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パニック性障害 (PD)


 パニック障害で悩まれている方は多いと思います。
 外出も一人では出来ないばかりか、一人でいるといつ起こるかもしれない症状におびえた毎日を過ごされていることでしょう。

 しかし、パニック障害が治らないと諦めていることがおかしいのです!!

 パニック障害は治ります!! 

 なぜ発作が起こったのかという原因が明確になれば、その原因と向き合い解消し、後は予期不安を乗り越えるだけです。
 
 パニック障害を乗り越える為には、初めに起こった症状と、その後の予期不安をはっきりと分離させることです。そのために適切な心理療法が必要です。

 予期不安が消せずに苦しむのは、強烈な不安感と恐怖感です。
 いつ発作が起きるかもしれないという不安感と、実際に症状の前兆を
わずかでも身体に感じ始めたときの恐怖感は非常に大きなものです。

 二度と同じ体験(救急車で運ばれるような、死ぬかもしれないと思えるような、自分ではもうどうしようもなくなった精神状態と身体的苦痛)を味わいたくないと恐れるのは当然でしょう。経験がない人には分かりにくいものですが、人生に多くの支障が出たとしても自由な行動を避け、再発を恐れる程の強烈な不安と恐怖を伴う身体症状を体験してしまうのです。

 そうした予期不安からあなた自身を解放してやる為には、催眠状態に導いて、精神面の緩和の為に情動系への働きかけが非常に効果的なのです。
 怖れを徐々に軽減し、再発の不安におびえることなく過ごせるようになります。

 3ヶ月あれば、段階を経ながら、パニック障害は治せます!!

 なぜ多くの方が治らないものとして諦めて不自由な生活をされているのかが理解できません。
 また、この病気に関して、多くの団体が存在します。ネットで調べても、同じ症状を抱えた方々の集まりのサイトが存在しますが、皆、症状とうまく付き合っていくことを推奨し、慰め合っています。治らないことを前提とした集まりなのです。

 あなたの人生は、症状を治さないままでよいのでしょうか?!

 
前項でお話ししました、不安傾向が生まれつき強い方や、強迫性障害の傾向が多少ある方は、その方の気質の程度によって治すのに時間が少しかかります。


 しかし、長いといってもそんなわずかな時間など、これから生きていくもっともっと長い人生の時間と人生において経験する全ての貴重な体験に必要な自由を手に入れる為に、本当に治せるのだということが分かっていれば、治すことに真剣に取り組むべきではないでしょうか?!

  本当に治せるのです!!
  あなたが治りたいと真剣に願えば!!



緊張、あがり (SAD)

 
 人前に立つだけで緊張してしまい冷静な行動ができない悩みは深刻です。
 
 人の視線を浴びると頭の中が真っ白になってしまう。
 なぜこんなに手足が震えるのだろう?!
 なぜ自分はあがってしまうんだろう?!
 人はちゃんと落ち着いて平然とスピーチをし、事を処理しているのに・・・。

 人前で何かをやらなければならない予定が決まった瞬間から、緊張するタイプの人は情動反応は起こってきます。
 どうにかして断れないだろうか?!
 断れる何か良い理由はないかと葛藤しつつも、断れない現実に観念してしまうしかなく苦しみます。
 人によっては、食事ものどを通らなくなったり、お腹を壊して痩せてしまう方もいます。
 
 それでも、今度こそ頑張ろうという気持を抱ける人はまだましで、これまでの経験による敗北感で精神的に打ちのめされ心が逃げている状態になる人も多いのです。
 しかし、逃げる訳にはいかなく、どうにか対策を練って対処する準備に入るのですが、頭に浮かんでくる失敗している自己イメージを打ち消す事が出来ずにストレスを受け続けます。

 仕事がらみでなくても、友人の結婚式でのスピーチだったり、近所の集会での司会だったり・・・。
 緊張しない人にとってはどうってないこと、例えばパーティーなどの乾杯の音頭をとるだけの依頼でも強い緊張に悩まされる人も多いのです。
  
 自分は緊張症だからと開き直って、仕事関係でもプライベートでもいっさい人前に出ることを避けてきた男性が、ある日私の事務所に相談に見えました。
 「娘の結婚式で、父親としての挨拶があるが恥をかきたくない・・・」との事です。
 確かに、父親として娘の前で良いところを見せたいだけではなく、両家の親族を前にして毅然と立派に振る舞いたいのは人情です。

 個人会社を経営している男性が、「昔から、電話での顧客との苦情処理で声が震えるので困っていたが、来月から娘が学校を卒業し会社を手伝うことになったので、落ち着いた電話応対が出来るようになりたい」との相談もありました。

 緊張やあがりで悩まれない方にとっては分かりにくいかもしれませんが、当事者にとって相当に深刻なものです。

 緊張やあがり等の精神的・身体的な情動反応をうまくコントロールできないのには原因があります。

 原因は、幼児期からの環境要因がほとんどなのです!!
 そして、どんなに症状がひどくても、治せるのです!!

 多くの場合は家庭内での親子関係での緊張によって素地が作られていきます。デリケートな性格の持ち主ならなおさらです。
 その他の代表的な要因としては、幼い時のあなたの環境に、親との関係に緊張を感じたり、人前での振る舞いに厳しい躾を受けたり、人の評価を意識し自らよく見られる努力をしてきた場合など、人前に自分をさらす時にちゃんとした評価を受けることができるか、自分は今どのように見られているか、まだ何か不足していないか、もっと完璧にできないかなどの思考が感情を不安定にし、交感神経の興奮という、反射機能が働きだすのです。

 大脳皮質の前頭葉に血流がいかなくなり、情動の働きを作っている脳の奥の部分の大脳辺縁系に大量の血液が流れ込み興奮状態を作りだします。これが、自律神経の交感神経を異常興奮させるのです。

 もちろん過去に何らかの理由で、人前で失敗し恥をかいたような経験がある場合はその記憶が再現され、その時に形成された条件反射が当然瞬時に働きます。
 緊張、あがりという現象は、条件反射によって再現される交感神経の異常興奮なのです。

 幼い頃の歴史のどこかで、自分になんとなく自信が持てない、緊張を伴う、
 “心の条件反射”が作られているのです。

 どうすれば治せるかというお話をします。
 答えは簡単なのです。

 あなたが過去において脳内に形成してしまった条件回路を理想的な別のものに変えてしまえば良いのです。そうすることで、交感神経の異常興奮は起きなくなります。

 過去の置いて、緊張を経験していない人は緊張の回路が脳内に作られていません。
 
 子供時代に緊張するような経験の思い当たる節が無くても、間違いなく些細な緊張が積み重なっているのです。または、日常の環境が自分に緊張を与えているという自覚が無いことも多いのです。例外として、人の緊張を自分に模倣することもあります。

 なぜあなたが緊張しあがるようになったかという、正しい原因を明確にする事はもちろんの重要な事です。そうした理性の理解が、不安という感情を消し去るからです。
 
 原因が明確になり、それに応じた努力をすれば、人は変われます!!

 それに応じた努力とは何かというと、それはイメージトレーニングです。
 ただし、間違った練習をしている人も多いので注意が必要です。

 正しくイメージトレーニングをして、脳内に新たな理想的な回路を作るのです。
 もちろん、交感神経の興奮が無い条件回路です・・・。

 緊張やあがりが特にひどい人の場合は、さらに催眠によって条件付けを行います。
 そうすることで、どのような状況の下でも、腹が据わった、自己コントロールできる自分自身を作ることができます。

 
あなたの中に新たな選択肢が出来たとき、どちらを選ぶかはあなた次第の意志です。

 そうして、その結果は心身ともに忠実に再現され、
 あなたが不安がることはもうなくなるのです。

 
 あなたが、人前で緊張やあがりがなくなった時、

 あなたの人生は、自由を取り戻します。          


正しいイメージトレーニングの仕方


対人緊張・恐怖、視線恐怖(SAD)


 対人面における緊張や、視線に対する恐怖感も、全ては子供時代からの環境が絡んでいます。
 そんなはずはないと思われる方も多いかとも思います。
 または、小学校のある時に、こんなに強い緊張をする経験があったのが原因だと主張される方も多いかもしれません。

 よく考えて欲しいと思います。
 あなたが過去における強い緊張経験があったとしても、なぜその時にそのように強い緊張が起こったのでしょうか?!
 また、誰もがそのような緊張の経験をすると対人・視線恐怖になってしまうのでしょうか?!
 さらに、生まれつきの性格だけが原因だと言い切って良いものでしょうか。もしそうした性格だけが原因であったならば、症状がどんどんと悪化していく要因は何なのでしょうか。
 生まれつきそうした性格だから、どんどんと枝葉がついていき悪化していくのだと思われますか?
 症状を悪化させる要因は、背後に何らかの原因が潜んでいるのではないかとは思われませんか?!

 背後に潜む原因こそが、幼児期から日常的に影響を受け続けたトラウマと呼べる心的体験による心的外傷なのです。

 こうした幼児期からの脳の成長過程において形成された脳内条件回路が、無意識的な反応で症状を繰り返していくうちに、自分が置かれている状況に対しての冷静は判断と適切な対処が出来なくなっていくのです。


 続く・・・。

 

醜形恐怖(身体醜形障害)


 身体醜形障害(BDD)という心の病があります。
 これは、自分の顔の作りや輪郭などが醜いと悩む病気で、人前に出ることで周囲に不快感を与えるとまで悩んで外に出れなくなっていくまで症状が悪化する場合もあります。

 この醜形恐怖は、髪型や、髪の状態(薄くなっているとか禿げているとか)の見える部分だけではなく、見えない身体のあらゆる部分までが対象になります。

 そうした悩みの内容がそれなりに妥当であったとしても、それゆえに日常の生活が普通に過ごせなくなっていくことが問題なのです。人は自分の外見や身体の一部に悩みがあっても、人生を前向きに歩むことは出来ます。
 それが出来ないということが病気なのだと理解しなければならないのです。

 誰もが理想的であるにこしたことはありません。ゆえに、こうであって欲しい、もっとこうであれば・・・、と悩むことは正常といえば正常なことでしょう。
 しかし、問題は、そうした悩みがあることで、日常生活に支障をきたすことなのです。
 その悩みが解消しない限り、そのことが気になって何もできなくなってしまうことなのです。
 
 人は、努力の範疇を超えた解決不可能な、または多少の改善しか望めない何らかの問題を抱え持っているものです。身体的な問題に限らず、能力なども含めたいろんな不満があります。
 そうした諸問題に対してどのように向き合い対処していくかによって、その人自身の生き方が問われるところでしょう。

 外見的な悩みは誰にでもあるものです。余程のことがない限り、人に羨ましがられるような外見の持ち主でも、もっと欲が出てきて不満が生じ悩みが起こることもあるでしょう。
 顔に限らず、身体上のあらゆる面に完璧を求めるようになる人もいます。

 しかしながら、なぜこのように悩むようになってしまうのでしょうか?
 その答えは、このページまで読まれている方々にはもうお分かりかと思いますが、もう少し読み進んで下さい。

 以前、ファッションモデルとして
外国で活躍していた方が相談に見えました。
 ある症状が突然襲うようになり、現地の病院でも治療していても治らなくて、療養が必要といわれ東京に戻ったとのことでした。しかし半年経っても一向に症状が治らないので、私のところへ相談に来られたのです。

 
彼女の症状は、初めのうちは騒音恐怖症といって、周囲の物音が気になって苦しむ病気です。しかし、だんだんと時間が経つにつれ、自分の容姿に自信が持てなくなって、人の前に出れなくなっていったのです。鏡に映る自分の顔や姿さえも醜く感じて見るのが怖くなっていったのです。
 彼女が発症する原因は、もちろんストレスです。外国で、常に仕事をもらい続けて有名になっていくためには、様々な自己犠牲も強いられるのです。
 男性とのお付き合いも、どんなに嫌な相手でも応じなければならない日々が多くなっていったようです。しかし、その割には、満足できる仕事が入らないジレンマが大きかったようです。
 彼女は職業上、やせていなければならなく、きつい食事制限の下で生活されていました。スポンサーや関係者との会食やパーティなどの最中でも、食べてはこっそりとトイレで吐くということを繰り返していたのです。
 こうしたことも、栄養不足となり、脳内の必要なホルモンなどを作れなくしていたのです。その結果、脳は誤作動を起こし、人が悩まないことを、または軽くながせることを彼女は出来なくなってしまっていったのです。

 脳に必要な栄養が補えない生活の上での過剰な精神的ストレスが脳機能を異常にしていき、仕事を取るがための苦痛な生活への執着と努力、後に引きたくない状況の中で、自分の外見上の自信を失っていったのです。

 頭髪が薄くなってきて、抜け毛に悩み始められる方も多いです。
 しかし、その悩みが深刻化していく背景には、別の強いストレスが潜んでいることに目を向けて、そのストレスを作っている原因の解消が先なのだと自覚して欲しいのです。
 そうはいっても一般的に、そうした背後のストレスの重要性を認められない方が多いのです。なぜなら、抜け毛によって頭髪が薄くなっている現実にのみ意識がいって、怯えてしまうのです。それは現象面にのみ脳の過剰反応が生じているからです。

 脳が過剰反応や誤作動を起こしていると、理性的な思考が出来なくなっていき、目の前の気がかりな問題のみが誇張されて精神的に苦しむようになっていきます。

 ほとんどの人は、聞く耳を持てなくなって、背後のストレスには目を向けまいと抵抗します。
 なぜなら、その人の無意識が、背後のストレスの原因に焦点を当てることを避けているからなのです。いわゆる、触れたくない触れられたくない問題なのです。

 こうした症状に陥る人の傾向として、背景にはOCDの気質もあります。それゆえに改善していくのに時間がかかりやっかいな場合もあるのです。
 
 無意識が拒絶する背後の問題とは何でしょうか?!

 それは、子供時代の人生の中で、親の期待に応えられなかったり、自分自身の願いが叶わなかったり、認めてもらえない状況で苦しんだりと自分を何かの理由で否定的に捉えるようになった根深いストレスが背景にあるのです。

 そうした過去の心を解消しないままでは、たとえば整形手術で顔などをどのように変えても満たされるものではありません。

 何度も整形を繰り返した後に、相談に来られて、元に戻して欲しいと泣きながら訴えられていた人がいました・・・
 
 子ども時代からの辛く悲しい思いの感情などを、癒すために立ち止まり静かに見つめ直す時間が、人によっては必要なこともあるのです。



依存性障害(共依存)


 幼い頃から寂しい思いを抱きながら育ってしまうと、自分の心の欲求を埋める為に、人から自分を必要とされるような生き方になっていきます。
 自分が必要とされているという実感、人から感謝されることで心が満たされ癒されるのです。
 それは、幼い頃に親によって十分に満たされなかった寂しく辛かった心なのです。
 
 まだ、人生も世間の事情も十分に分かっていない幼い頃から、母親と関わるために、自分が母親にとって必要な存在であるために、母親の愚痴を聞いたり、母親の苦悩を垣間見ながら心を痛め、幼いカウンセラーとして生きるしかないような苦しい時を過ごすケースもあります。

 また、相手を縛ること、束縛することで安心するような行為の無意識的な衝動にも特徴があります。
 相手のことを愛しているからいつも心配している・・・。

 常に相手の心を自分の方に向けていなければ安心できないのです。
 自分では相手に対する愛情と勘違いして、相手を激しい嫉妬で束縛していきます。
 嫉妬・・・単に相手を束縛しているだけの嫉妬は愛情とは言えません。
 嫉妬して束縛しないとおれない心情の背景には、相手を失うことへの強い不安があるのです。こうした不安は、幼い時の母親との母子間の分離不安や、その後の報われない寂しい心情のさらされ続け我慢して過ごすことから生じてきます。
 
 しかし、相手を失うことへの無意識のからの不安は、常に相手の動向を把握し、自分の範疇に留めていて、常に必要とされていると感じられる関係を保っていなければ強い不安と落ち着かない心情にかられていきます。それゆえに、相手を縛って置くしかないのです・・・。
  立場が互いに違っても、互いに依存し合う傾向で関わることを共依存といいます。

 人は、生まれもっての様々な性格傾向があります。
 気質と呼ばれる遺伝的なパーソナリティーの多様性です。

 人の役に立っていることで、自己の存在価値を満たそうとする傾向をもう少し見つめてみましょう。

 子ども時代一緒に過ごす同級生など、人との関わりによって人の心の多様性と生まれつき置かれている環境の違いを学んでいくものですが、寂しい思いをして育ってきた子どもは無意識に自分の心を満たす為に、人の役に立つような役割を担っていきます。

 人の役に立つ行いは立派なことであり悪いことではありません。しかし、問題なのは、人の役に立つような思いを抱き相手のために尽くしながら、自分の心が満たされずに苦しんでしまうことです。
 相手が自分の思うようになってくれないと裏切られたような気持になったり、自分の力が十分ではないという無力感や寂しさに襲われることです。

 自分の心という世界の枠を超えて、人の心情を把握し理解することは、知識を学び経験を積んでいなければ無理なことです。

 一般のカウンセラーでさえ、学んでいても自分の考えをクライアントに押し付けてしまうことがあるように、ましてや素人では個人によって複雑な心の傾向を捉えることは難しいでしょう。
 それゆえに、自分と傾向が似たよな仲間が集まって、互いが理解し支え合うという居心地のよい仲間が集まる集団が出来上がります。
 そうして、互いに相手を失わないために、縛り合って過ごすことにもなっていきます。

 相手を縛ること、自分の願うような存在でいて欲しくて独占することは、真の愛情ではありません。しかし、自分の心を満たすために、互いに相手を必要としていることが分かっているだけに、無意識的に縛り合っていくのです。

 そうした互いの暗黙の要求と束縛が結局は互いの心を苦しめることになっていきます。

 母と子どもとの関係において、互いの性格が似通っている場合は理解しやすいのですが、たまたまそうではなかった場合に、互いの心が相手に通じずに不満を抱き苦しむこともあります。
 本能的に子どもは母親を必要とし求めます。しかしそうした愛着が希薄な性格の親も存在します。希薄ではなくっても、心が要求する内容や深さがに違いがある場合もあり、子どもは親の気持ちを誤解して自分は愛されていないと受け止めることもあります。
 
 両親の仲が悪い場合や、何かの事情で母親の機嫌が悪い日が多い場合など、子どもは母親に関わろうとしますが、どこかでそれも諦めていきます。
 このような、親からの愛情を諦めていく場合はそれを埋め合わせるために、何か代わりのものを見つけようとしますが、それが趣味やスポーツなどであればまだ救われますが、人間関係に求めていくと、過剰になり過ぎて「そこまで望んでない」と拒絶されたり「おせっかいやかないで」と嫌われたりするケースも生じます。
 
 自分の親に必要とされない寂しさが、誰かに必要と感じられ感謝されたい衝動に駆られていくのです。

 ひとり川の土手に座り、川の中で流されまいと存在している1つの石を眺めながら、ひとりぼっちで寂しいだろうな・・・とその石に感情移入をしてしまうことさえあるのです。

 親の心から見れば子どもの要求が“甘え”と映っても、子どもの性格によっては、甘えではなく“深刻な要求”になるのです。
 親の性格と子どもの性格の違いが大きい場合ほど、互いの理解に隔たりが生じ問題は深刻になっていきます。

 子どもは親に理解されないまま、ある段階で求めることを諦め、心に大きな傷を残して成長していきます。
 
 幼い頃から作られていったそうした心の傷は、子どもの成長過程の脳に深く痕跡を残し、成長後の人間関係や感情の表出に、共依存やその他の依存としてはっきりとした傾向を示すのです・・・。



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