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第12話 月夜の寄り道 -前編-

 気持ち程度に舗装された裏街道。
 石畳を逸れ、草地へ入った木陰に車を停めてエアニス達は休憩をしていた。既に日が傾き始めている。当初の予定では日が沈む前に港街へ到着する予定だったが、このままでは間に合いそうにない。
 エアニスは煙草を一口、大きく吸い込みながら茂みの奥に目をやる。そこには力無くうずくまるレイチェルと、彼女の背中をさするチャイムの姿。
 車酔いである。

「ごめんなさい、本当にごめんなさい・・・」
 泣きそうな顔でレイチェルは謝る。
「いや・・俺も運転乱暴だったしな・・・すまん・・・」
 視線を逸らせながらエアニスも謝る。青ざめたレイチェルの顔を見るのが申し訳なく思う程度にはエアニスも反省していた。非難するようなチャイムの白い視線もなかなか厳しい。
 事実、意図的に意地悪な運転をして山を下り、あまり良いとは言えない路面をずっと高速で走っていたのだ。我ながら、乗り物に弱い人だったら間違いなく酔っている運転だと思った。
「うーん、やっぱり今日中に出航手続きを済ませるのは無理かもしれませんね・・・」
 トキが遠くに見てきた海を眺め呟く。
「・・・すみません・・・」
 レイチェルが光を失った虚ろな瞳で謝る。
「あぁぁ、レイチェルさんのせいじゃないですから・・・気にしないで結構ですよ!」
 トキも思わずレイチェルから視線を逸らす。彼女は今、女の子の見られたくない一面を思いっきり晒している。
「にしても・・・ホントに大丈夫?」
「うん、だいぶ気分は良くなってきたから・・・」
 草地で仰向けに寝そべり、空を仰ぐレイチェル。日が暮れ、冷えてきた風が気持ち良かった。
「じゃなくてさ、アスラムに渡るんだったら、港から1週間は船の上よ・・・
 船酔いとかは大丈夫なの・・・?」
「・・・・・・」
 その言葉を聞いて、レイチェルの顔色がみるみる青ざめていく。
「うわーっ!!ごめん、レイチェルっ!!」
 旅立ち早々に乙女としての危機を迎えているレイチェルから目を背け、エアニスとトキは慌てて彼女達の目の前から退散した。


 それから更に3時間後。
 エアニス達はようやく港街・ヴェネツィアに到着した。とっくに日は沈んでしまい、空の八割方が藍色に染まっていたが、それでも未だ人通りは多く街の活気を感じさせた。
 混雑気味の大通りをエアニス達の車はゆっくりと走る。船の乗船手続きは予想通り締め切られていたので、仕方なくエアニス達は今日の宿を探して街をさまよっている所だった。港街という事もあり、物資を運ぶ軍のトレーラーや有名企業のロゴマークが貼られた運送車が頻繁に走っているので、幸いにもエアニス達の車が目立つ事は無かった。
「あの宿なんかどうでしょう?」
 トキが身を乗り出し、行く手に見える派手な看板を指差す。大通り沿いにある観光客相手のリゾートホテルだ。
「そうだな、良さそうだ」
「えっ、まじ? あんな高そうなホテルに泊まるの??
 ちょっと贅沢じゃない・・・?」
 チャイムが遠慮するような声で言う。綺麗な宿に泊まれる事は喜ばしいことだが、戸惑いの方が先立った。
「じゃなくって、追っ手から身を隠す為だよ。下手に人気の無い場所に行くより、こういう人間の多い街は、騒がしい所に隠れた方が見つからないもんだ」
「あ、なるほどね・・・」

 2人部屋を2つ続きで取って、部屋に入るなりレイチェルはベットに沈み込んだ。
「大丈夫ですか?
 何か薬を用意しましょうか?」
 トキが心配そうに問いかけると、レイチェルは顔をベッドに埋めたまま弱々しく頷く。
 今は2つ取った部屋の1つに4人は集まっていた。
「どのみち買出しに行くから、一緒に買ってきてやるよ」
 まだ街の商店が閉まるには早い時間なので、エアニスは今日中に必要な物資を買い付けに行くつもりだった。
「それなら、あたしも一緒に行く。あたしとレイチェルも買っておきたいものあるし」
 チャイムが買出し係り名乗りを上げる。
「いや、お前もココにいろ。買出しはお前らの分もしてやるからさ」
「んー・・・でも、頼みにくいのもあるからさ・・・」
 チャイムの歯切れの悪い言葉に、エアニスは首を傾げる。
「どういう意味だ?」
「女物の下着とか頼まれても困るでしょ?」
 チャイムは意地悪そうな顔をして率直に言ったが、
「別にかまわねーよ」



 エアニスが迷う事無く快諾してしまったので、部屋に微妙な空気が流れた。
「いや・・・ごめん、
 お願い。私も一緒に行かせてください・・・」
 エアニスに頭を下げて買出し係りに志願するチャイム。こう言われてしまっては、お願いする立場に立つ他無い。
 どん引きされている事に気付きもせず、エアニスは時計を確認する。
「まあ、いいけどさ別に。
 行くなら今すぐ出るぞ。店が閉まっちまう」
「あ、うん。ちょっと待って」
 チャイムは壁に掛けたマントと剣を掴み、エアニスの背を追う。
「では僕はレイチェルさんを診てます。気をつけて下さいね」
「あぁ。食事は先に取ってていいからな」
 エアニスは腰に下げた剣を掴みながら頷く。
「すみませんー・・・」
 レイチェルの消え入りそうな声に見送られ、二人は買出しに出かけた。


 大通りを歩くチャイムが空を見上げると、露店のテントや建物から張り出した屋根に遮られ、夜空がひどく狭く見えた。狭い空には穏やかに光る三日月が浮かぶ。その静かな空と騒がしいこの街があまりにも対照的で、空の向こうに此処とは違う別の世界が広がっているように見えた。
 時刻は既に8時を過ぎている。にも関わらず街道沿いの飲食店や旅人相手の道具屋は閉まっている店が殆ど無く、客足も絶えてはいなかった。
 戦争後期頃から街に電気が引かれるようになると、人々の生活時間帯は夜遅くまでずれ込むようになってしまった。ほんの十年前は、日が傾く頃には何処の店も閉まってしまい、日が沈む頃には皆床についていたというのに。
 先の戦争で急激に発達した機械文明は、ようやく兵器以外の技術にも反映されるようになり、人々の生活を変え始めていた。
「こうして歩いてみると、大きな街ね~・・・」
 感嘆の息と共にチャイムが呟く。街灯や店先のランプがオレンジ色の光を放ち、この大通りに限ってはまるで昼間のような明るさだ。
「この辺りの交易の要だからな。遠くからモノを買い付けに来る商人も多い。
 俺が知る限り、この街は金があれば何でも買う事ができるぞ」
 どことなく不穏な物言いをするエアニス。
「・・・今から買いに行く物に、普通じゃ買えないようなヤバい物は入ってないわよね?」
「今日は、な」
「・・・」
 この男に付いて行くと、いずれ身を滅ぼす事になるんじゃないかと本気で不安になるチャイムだった。


 足元に買い物袋を置き、煙草を咥えエアニスは街角に座り込んでいた。
「おまたせ」
 するとチャイムが買い物袋を下げて戻ってくる。例の、"エアニスに頼みにくいもの"を買ってきたのだ。手元のメモ書きを確認するエアニス。
「コレで買い物は全部だな。じゃ、宿戻るか」
 煙草を手元の携帯灰皿に押し込み、腰を上げる。
「あ、ちょっと待って。あそこの店・・・」
「え。何?」
「ずーっと探してた本が置いてあったのよ」
「・・・お前緊張感足りなくねーか?」
「だって、1週間くらいずーっと船の上でしょ?
 そういう暇つぶしが欲しいじゃない。エアニスだってソレ・・・」
 チャイムはエアニスの手元を指さす。そこにはエアニスがついでに買ってきた「内燃気の歴史」と題された本が。そう言われてしまうとエアニスも反論の余地は無い。
「チッ、分かったよ」
「今、チッって言った・・・」
「言っとくけど、そーいうのは自分のカネで買えよな」
「そんな事、言われなくても・・・!」


「泥棒!!」
 言い合いになりかけた二人は突然響いた声に振り向く。すると、やっと人通りもまばらになった街道を、麻袋を抱えた男が全力で走り抜けて来た。
 有無を言わさず、チャイムはエアニスに自分の買い物袋を押し付けて駆け出した。
「おいっ!!」
 エアニスの制止を聞かず、チャイムは袋を持った男との距離を一気に縮め、男の背中にタックルをかけた。チャイムと男が砂埃を上げながら街道の石畳を滑っていく。
「なっ、この女っ・・・!」
 バチンッ。
 男が折りたたみのナイフを抜いた。それに気づいたエアニスは、両手に抱えた荷物を手放し咄嗟に胸元の小銃に手を掛ける。買い物袋が地面に落ち、中身をぶち撒ける。
 だがその心配も無く、既にチャイムはナイフを持つ男の腕をひねり上げ、関節を固めていた。ギリギリと男の肘をねじ上げて自分の方を向かせる。
「あんたっ!!
 その袋人から盗ったモノじゃないのっ!?」
「いでででっ!! このっ放せぇっ!!」
「暴れんじゃないわよ!!
 腕折るわよっ!?」
 その周りには、騒ぎに気付いた野次馬達が人垣を作り始めていた。やれやれと、エアニスは頭に手を当てる。

 エアニスにとってチャイムはどうにも頼りない印象だったが、すこしは戦えるようである。
 窃盗犯に一瞬で追いついた瞬発力といい、ナイフに怯えずその腕をひねり上げる事といい、そう簡単に出来る事では無い。エアニスはパチパチと手を叩き、チャイムに歩み寄る。
「やるじゃん。見直したよ」
「そりゃどーも。で、どうしよう、こいつ?」
 その質問に答えず、エアニスはチャイムに押さえつけられた窃盗犯の頭を、硬いブーツで思いっきり蹴飛ばし、気絶させてしまった。
 青ざめるチャイム。
「だから・・・乱暴すぎるって・・・」
「あぁ・・・俺はこういうカス野郎には厳しいからなぁ・・・」
「なんで他人事みたいに言うの?」

「す、すみません。大丈夫でしたか?」
 麻袋の持ち主だろうか。気弱そうな男が野次馬をかき分け現れた。
「大丈夫よ。
 あなたね、これを盗られた人は・・・って・・・!」
 チャイムはその男の顔を見て、驚きの表情を浮かべた。
「エリオットじゃない!!」
「あ・・・チャイム先輩!?」
 現れた男も、驚いた顔でチャイムの名を呼んだ

「チャイム・・・先輩?」
 一呼吸遅れてエアニスが奇妙な響きの呼び方に苦笑いを浮かべた。


第13話 月夜の寄り道 -中編-

「ほんとに久し振りね、元気してた!!?」
「はぁ、そこそこは・・・」
 久し振りに見知った顔に会えたのが嬉しかったか、チャイムは上機嫌である。それに対し、エリオットと呼ばれた男は、チャイムの浮かれたテンションについていけてない様子だった。
 場所は大通りに面した酒場。
 そこでチャイムとエリオットは、食事を取りながら旧友との再会を楽しんでいた。もちろん、チャイムの隣には少し距離を置いてエアニスが座っている。
 因みに大通りでチャイムとエアニスが畳んだ物盗りは、憲兵隊の詰め所に連れて行くのが面倒だったので、ロープで縛って路上に転がしておいた。放っておいても野次馬の誰かが通報してくれるだろう。

「で、こっちらはどちらさん?」
 ずっと状況が飲み込めずにいるエアニス。正直チャイムの知り合いなど、どうでもよいのだが、付き合いとしてとりあえず尋ねておいた。
「あぁ、私がエベネゼルにいた時に、一緒の隊で訓練してた後輩なの」
「・・・訓練って何の?」
 エアニスはチャイムがエベネゼルで何をしていたのか知らないので、話が見えてこない。
「騎士団の訓練に決まってるでしょー」
「はぁ?」
 一瞬自分の耳が馬鹿になったのかと疑うエアニス。
「お前、ひょっとしてエベネゼルの・・・」
「うん。聖騎士団員よ。あれ、言ってなかったっけ?」
「・・・へー・・・。」
 彼女の予想外の肩書きに、エアニスは遠い目をして無感動な声を上げる。
 騎士ってこんなヘナチョコでもなれるんだ・・・エベネゼルはよほど深刻な人材不足問題を抱えているとみえる。いや、さっき泥棒をシメた時の手際はよかったけどさ。
 という感想は、心の中だけに留めた。
 二日前。4人でトキの買ってきたケーキを食べたあの時。
 エアニスはチャイムの大剣の柄にエベネゼル騎士団の紋章が刻まれているのを見ていた。エアニスにとって、あの時はまだ彼女達の事は"どうでもいい事"と捉えていたので、あまり深く考えてはいなかったが、まさか本当に騎士団員だとは思いもしなかった。
 いや、騎士団の剣を持っているのだから、普通ならば真っ先にその可能性を思いつくべきなのだろう。しかし、あまりのチャイムの頼りなさと、らしくなさに、彼にその考えは欠片も頭をよぎらなかったのだ。
「ちょっと・・・何か失礼な事考えてない?」
「そんな騎士様、滅相も無い・・・」
 エアニスの微妙な半笑いにチャイムが眉を吊り上げた所で、丁度注文していた飲み物がテーブルに届けられ、不毛な争いは起こらずに済んだ。

「エリオット=グラハムと申します。今はその、エベネゼルからの派遣員としてこの地の視察をしている所です」
 エアニスに自己紹介をするエリオット。チャイムを先輩と呼んだので、恐らく17、8歳だろうか。金髪で童顔の、騎士と呼ぶには頼りない印象だ。チャイムといいエリオットといい、エベネゼルの騎士はみんなこうなのだろうか?
「エアニスだ。今はこいつの用心棒みたいなことをやらされている」
「やらされてるって、アンタ・・・
 あ、エリオット。
 ここは第三国からの要請で来てるの? それともウチの自主派遣?」
「えぇ、本国からの通達で・・その・・・」
 言いにくそうにチラリとエアニスの顔を見るエリオット。部外者であるエアニスに聞かれるのはまずい話なのだろうか。
「すみません、人の目もあるのでここで話す事は・・・」
「じゃ、場所変えるか」
 まだ注文した食事も飲み物も殆ど残っているのに、エアニスは口元を拭きながら言う。唐突な提案にチャイムは彼にいぶかしげな視線を向ける。
「振り向くんじゃないぞ。さっきから入り口側のカウンターに座った二人組みが、こっち見てる」
「!」
「それって、ルゴワっ 」
 チャイムが露骨に動揺した声を上げたので、エアニスはチャイムの口にパンを押し込み黙らせた。
「違うと思う。その二人組、ずーっとあんたの事を見ているようだ」
 言いながらフォークでエリオットを指すエアニス。エリオットは苦い表情を浮かべる。
「心当たりあるんだな?」
「・・・えぇ」
 意外と動揺の色を見せないエリオット。見かけよりは度胸があるのかも知れない。
「申し訳ありません、先輩。巻き込んでしまう前に、僕は行きますね。まだ暫く街にいるつもりですので、機会があれば、また」
 エリオットは椅子に立て掛けた大剣を取り、マントを羽織り店を出て行った。チャイムは引きとめようとしたが、エアニスの視線に釘を刺され、エリオットに声すらかける事も出来なかった。自分達もルゴワールに追われる身である。あまり目立った事は出来ない。
 そしてエリオットを追うように、エアニスが指したカウンターの二人組みも店を出て行った。
「さて、じゃ俺達も行くか」
「行くって、どこによ?」
 どこか非難するような、憮然としたチャイムの表情。その言葉に対しエアニスは意味ありげに笑う。
「どっちがいい?」
 エリオットの出て行った方向と、その逆の方向を交互に指差し、エアニスは悪戯っぽい笑みを浮かべる。その笑顔に、チャイムの目が点になる。そしてニカッと笑うと、
「コッチに決まってるじゃない!」
 チャイムが指さすのはエリオットの歩いていった方向。
「ま、いいだろ」
 エアニスは少し大目の代金をテーブルに置くと、剣を片手に立ち上がる。
 何だかんだで、この男もお人良しなのかもしれない。チャイムは苦笑を浮かべながら席を立った。


「お前か。俺達の事を嗅ぎ回っている奴は?」
 路地の奥から粗暴な凄み声が聞こえる。
 エアニスとチャイムがエリオットを見つけた時、彼は人気の無い倉庫街で四人の男に囲まれている所だった。
「今日の取引の事を知っているんだな?」
 エリオットの前に立つ大男が、彼を見下ろしながら問い掛ける。
「取引場の関係者の方達ですね?
 あなた方のボスにお会いしたいんです。案内していただけませんか?」
 エリオットの言葉に、男達は声を揃えて笑い出す。
「お前みたいなガキにボスが会ってくれるわけねーだろ!!」
 男がエリオットの襟元を掴んだ。エリオットは仕方ない、といった表情で腰の剣に手を掛けた。
 気弱そうなエリオットの顔が、すぅ、と暗い眼差しに変わる。
 彼の襟首を掴んだ男に嫌な寒気が走った。

 ごいんっ!
 鈍い金属音が響いたと思うと、エリオットを掴んだ男が白目を剥く。クタリと崩れ落ちた男の背後には大剣の腹で男の脳天を一撃したチャイムが立っていた。
「!・・・先輩!!」
「なんだ、この女! いつの間にっ!」
 男がチャイムに掴みかかろうとするが、剣を切り返したチャイムに腹部を打ち据えられる。大剣の刃は潰されているとはいえ、この重みをまともに受けたのだ。泡を吹いて男は崩れ落ちた。
 顔色を変える残りの二人の男達。胸元に手を入れ、抜き出したのは・・・
 拳銃。
『!!?』
 街のチンピラの予想外のエモノに、チャイムとエリオットは硬直する。
 ばがん!
 しかし男の一人が景気の良い音と共に前のめりに勢い良く倒れ込んだ。
「なっ・・・誰だっ!?」
 そこには鞘に納まったままの剣をバットのように構えるエアニス。
 どごん!
 そのままボールを打つかのように、男の頭を叩き飛ばした。
 ガヒィィンッ!!
 同時に男の銃が暴発し、チャイムのすぐ足元の石畳を砕いた。
「うひぃいいいいいっ!!!」
「お、なんだこいつ。銃なんて持ってやがったのか?」
「ちょっとは慎重に戦ってよぉっ!!」


「・・・ということで。エリオット、怪我は無い?」
 言いたい文句を一通りエアニスにぶつけた後、チャイムはエリオットの身を案じるように声を掛けた。
「はい、特には・・・。すみません、先輩」
「そ。・・・ところで、さっきの取引って?
 エリオット、あなた結構危ない事に巻き込まれてるんじゃないの?」
 彼は困った表情を浮かべる。話せない事情があるのか、それともチャイムを巻き込む事に抵抗があるのか。
「心配しないで。ああいうチンピラだったら何十人いようと、アレが全部相手してくれるからさ」
 そう言いながらエアニスを指さす。エアニスはアレ呼ばわりされた事より、またトラブルに自分から関わろうとするチャイムに呆れていた。こうやって、旅先でいつも困った人間を助けているのだろうか?
 エアニスには、そこまで他人の為に尽くすチャイムの思考が理解できなかった。
 チャイムに半ば詰め寄られるような形のエリオットは、渋々といった様子で事情を話し始める。
「・・・実は、エベネゼルの兵器開発所から流出した銃が、この街の闇市で今日、売りに出されるという情報があったのです」
「銃の闇市・・・!?」
 一部の国を除き、この世界では一般人が銃を持つ事は許されていない。何処の国も国家が銃の管理と独占を行い、国軍や一部の憲兵達しか手にする事は出来ないのだ。
 しかし、兵器工場と繋がりのある犯罪組織が、工場から横流しした銃器を裏で一般人に高額で売りつけているという現実がある。
「先日、本国の兵器開発研究所に出入りしていた技術者をスパイ容疑で拘束するという事件があったそうです。そのスパイが、開発中の新型銃の試作品と設計図をヴェネツィアの闇市へ流したと自供したそうで。
 それで各地の派遣員に、ヴェネツィアで銃器密売の事実を調査しろと指令が下ったのですが・・・
 どうやらヴェネツィアの近くに居た派遣員は僕だけだったようでして。一人で調査をしていたところです」
「・・・・・・」
 チャイムは黙り込んでしまった。チャイムもこうしてヴェネツィアに居る訳だが、彼女はエベネゼル本国からの通達を知らなかった。国外に出ている騎士団員は定期的にエベネゼルと協力関係にあるギルドで、本国からの定期連絡・指令を聞く義務がある。しかし、レイチェルの件に関わって以降それどころではなくなっていたのだ。
 それはまぁ・・・さて置いて、とチャイムは自分を棚に上げて、
「そんな・・・一人でなんて無理よ。エベネゼルに駐留するレオニール軍に協力を・・・」
「それじゃエベネゼルの名に傷が付くもんな」
 黙っていたエアニスが口を挟む。
「建前を何よりも大事にしている国だ。自分の国から流れた銃器が他国の闇ルートで売られてるなんて、イメージダウンもいいところだ。できるだけ内密に回収しろとか、指示されてるんだろ?」
 エアニスの言い方が気に入らないチャイムはムッとした表情を浮かべるも、エリオットが苦い表情で頷いてしまったため、何も言えなくなってしまった。

 確かにチャイムの故郷、エベネゼルは、世界に対し自国の健全性を過剰なまでにアピールしている節がある。
 平和の象徴、正義の国、世界一の宗教国家、貧困国に対する惜しみない慈善活動。
 そういったイメージを定着させ、それを維持する事に躍起になっているのだ。チャイム自身それを感じる事はあったので、なおさら反論し辛かった。
「まぁ、そういう話なら俺はパスだ」
「えっ!?」
 エアニスの宣言に目を丸くするチャイム。
「そんな、私とエリオットだけじゃ、あんな銃持ったチンピラ集団相手にできないわよっ!」
「知るかよ。俺に頼るな。
 とにかく、こんな事に付き合う義理は無い。お前らだけで何とかしろ。
 今日は運転で疲れてるから先に宿に帰らせてもらうぞ」
 突然態度が冷たくなるエアニス。言いたい事だけ言って、一人で歩き出してしまった。
「ちょっ、ちょっと待ってよ!
 お願い、協力してっ。あんたならあんなチンピラ相手にするの朝飯前でしょ!?」
「気が乗らねー」
 チャイムはエアニスの袖を掴み引き止めようとしたが、見向きもされず乱暴に振りほどかれてしまった。
「~~~~っ、いいわよっ私たちで何とかするからっ!!
 バカ!!アホ!!この男女ぁっ!!」


 チャイムには言えなかったが、エアニスがあのエリオットという騎士に協力できない理由は別の所にも有った。
 エアニスも、その闇市の客なのだ。とある倉庫で月に一度、銃の密売会が行われる事はエアニスも知っている。エアニスの家に隠されていた銃器も殆どがこの街の密売所で手に入れたものであり、エアニスにとっては近場で銃を手に入れるのに丁度良い場所なのだ。それを自分から潰しに行く気にはなれなかった。
 そしてもう一つ。エアニスは個人的な恨みから、エベネゼルという国が嫌いであった。
 その名を口にするだけで、胸が焼ける程に。
 エアニスはチャイムを置き去りにして、宿に向かって歩いていた。
 しかし1人で宿に戻れば、トキやレイチェルに責められるのは明らかだ。今更どうしたものかとエアニスは足を止め、1人ベンチに腰掛けてぼんやり考える。
「・・・馬鹿か、俺は。これじゃただの八つ当たりじゃねーか・・・」
 頭を掻き独り言を呟くエアニス。あの国の事となると感情的になり易いのは自覚している。ああいう態度を取ればチャイムも仕方なく諦めるのではないかと思ったが、彼女は余計にむきになってしまい、全くの逆効果だった。彼女の性格を考えれば容易に想像できる反応なのに、さっきのエアニスはそれができなかった。
 腰に繋がった懐中時計を見ると、もう日付の変わる時刻であった。銃の取引は普段、あと1時間後に、港のとある倉庫で行われる。
「はぁ・・・早くアイツ連れて帰らないと、トキ達が怒るな・・・」
 エアニスは嫌々といった様子で、ベンチから腰を上げた。


 一方、チャイムとエリオットは港の倉庫街を探索していた。エリオットの情報によると、この辺りの倉庫で取引が行われるというのだ。
 だが、どの倉庫かまでは見当が付かず、当ても無く倉庫街をさまよっていると、路地から体格の良い男達が道を塞ぐように立ちはだかった。
「・・・ただのカツアゲって風じゃないわね」
 この状況で現れたのだ。闇取引の関係者達だろう。
 チャイムは早鐘を打つ心臓を落ち着かせようと静かに息を吐き、腰の大剣に手を掛ける。
「遅かったな、エリオット」
 ごろつき風の男達の中に、一人だけ雰囲気の違う男がいた。
 明るい色のスーツを着た、白髪交じりの髪を後ろに撫で付けた初老の男。右手に握ったステッキと、それを握った指に輝く大きな指輪が成金趣味を感じさせた。
「バイスさん、遅くなりました。銃を狙っている他組織の妨害があったもので」
「・・・!?」
 エリオットはバイスと呼ばれた初老の男と顔見知りのように話す。



「えっ・・・なに、コレ・・・エリオット、どういう事!!?」
 状況を掴めず戸惑うチャイム。彼女に視線を向けて、バイスがエリオットに問いかける。
「何だ、この女は?」
 エリオットは困ったように頭を掻き、
「すみません。たまたま街で会った同郷の先輩で、付いて来てしまっただけです。
 バイスさんとお会いするまでには何とかしようと思ってたのですが・・・」
 どんっ!
 エリオットの剣の柄が、チャイムの腹部をえぐった。柄はまともに彼女のみぞおちに入り、チャイムは息も出来ず思わず地面に膝をついた。
「・・っあ・・・っ!」
 息も絶え絶えに、チャイムはエリオットを見上げる。
「すみません、先輩。銃器の流出の話、密売人は僕なんですよ。
 派遣兵として密売の調査に来たという名目があれば、この街で堂々と動く事ができますからね。適任でしょう?」
「・・・・!?」
「先輩が悪いんですよ? 僕は先輩を巻き込むつもりはなかったのに、先輩がお節介にも付いてきてしまうから・・・。
 あ、でも大通りで泥棒を捕まえてくれた事には本当に感謝しています。あれは取引品を狙っていた敵対組織だったんです。本当に助かりました。
 ・・・先輩? 聞いてますか?」
 チャイムは薄れゆく意識の中でかつての同士の言葉を聞いていた。
 その声はチャイムの良く知る、人懐っこく、少し遠慮がちなエリオットの声。
 聖職者でありながら金に目が眩み、闇に魅入られ手を汚した者の言葉。

 何かを言おうと必死に声を発しようとしたが、喉を振るわせる事すら出来なかった。
 そして、チャイムの意識は闇に落ちる。


第14話 月夜の寄り道 -後編-

「ほぅ、これが・・・」
 とある倉庫の一室。密売所の元締めであるバイスは、エリオットの空けた小さなケースの中身を覗き、感嘆の声を上げる。
 ケースの中には銀色に輝く、有機的な形をした銃が収まっていた。近代の銃は、どれも工業製品然とした味気ないデザインのものばかりだが、その銃は職人が作ったような温かみのある造形をしている。
 単純な芸術品としても、それは価値のある物の様に見えた。しかし、これの持つ価値は、その中身にある。
「エベネゼルが全面出資している兵器会社に作らせた銃です。
 ただの機械式ではなく、魔導技術も適用した、今までにない構造を持つ銃です。
 銃の始まりは魔導師が作った魔導式の道具が始まりだと言われています。
 それから時代が進むにつれて、銃は魔導師以外の人間も扱えるよう機械式へと進化して行きました。ですから、これはある意味先祖返りをしたという事になるのかもしれませんね。
 魔導技術と機械技術の融合が研究分野として確立しつつある今だからこそ出来る銃です」
 バイスは銃と一緒に添えられた紙の束を手に取って、広げる。
「試作品の一つと、設計図を持ち出すだけで精一杯でしたが、これだけの資料があれば、この銃の複製を量産することは可能でしょう」
 バイスは隣に控えた男に設計図を渡す。その男は銃器開発の技師だった。男は設計図に目を通し、暫くしてからバイスへと頷きかける。
 バイスも満足そうに頷いた。
「よくやってくれた、エリオット。ここまで大変だっただろう。約束の金には、色をつけさせて貰うよ」
「ありがとうございます」
 その一部始終を、意識を取り戻したチャイムは見ていた。彼女は今、後ろ手に縛られ倉庫の鉄柱に縛り付けられている。
「エリオット・・・あなた、自分がどんな立場の人間で、どんな事をしてるのか分かってるの!?
 貴方はエベネゼルの聖騎士でしょ!!」
 しかしエリオットは気弱そうな笑みを浮かべ、
「聖騎士になって得られる物など、上っ面の名誉だけで、他には何も無いじゃないですか。僕達下っ端は給料だって沢山貰えるわけじゃあない。先輩は知ってましたよね。僕の家、父さんは戦争で死んでしまって、稼ぎ手は僕だけだって。小さな兄弟達も多いから、こういう仕事もしないと家族を養えないんですよ」
「だからって・・・・」
 言うべき言葉が見つからず、チャイムは言葉を詰まらせた。エリオットはバイスに向き直る。
「バイスさん、先輩・・・彼女はどうするつもりなんですか?」
「決まっている。この取引を見られた以上、口は塞がねばならん。
 それに・・・まぁまぁいい女だ。部下どもの好きにさせようかと思ってるが?」
 バイスはろくに考えもせず答える。しかし、当然の事だろう。取り巻きのごろつき達が下卑た笑みを浮かべていた。
「すみません。その役は僕に譲って頂く事はできませんか?
 報酬につける色は、必要ありませんから」
 エリオットの申し出に、バイスは部下達の顔を見回し少し考えると、
「・・・まぁ、いいだろう」
「ありがとうございます」
 チャイムは絶句し、エリオットを見上げる。
 彼はバイスから小さなリボルバーを借り受けると、撃鉄を起こしチャイムの頭に銃口を押し当てた。
 気弱な顔を、申し訳無さそうに、悲しそうに、歪めながら。
「すみません、先輩。せめて痛くないように済ませますから・・・ごめんなさい、許してください・・・」
「エリ・・オット・・・」
 チャイムは縛られて動くが出来ない。チャイムは俯き、死を覚悟する。
 キリリと、引き金のスプリングが鳴った。

 ビシュッ!ぶしゅっ!
 濡れた破裂音が聞こえ、チャイムの視界で血が弾けた。
 自分の血かと思ったが、違う。血と共に地面にリボルバーが転がり落ちた。
「うわぁあっ!!」
 エリオットが短い悲鳴を上げる。リボルバーを握っていた彼の手は数発の銃弾に打ち抜かれ、手の平の指は数本欠けていた。
「チャイム!!そこにいるのか!!?」
 倉庫の入り口から聞こえたのはエアニスの声だった。
 呆けていた男達は我に返る。
「エアニス!!?」
「馬鹿野郎ォ!! 自分から厄介事に首突っ込みやがって!
 少しは自分の立場わきまえろっつーの!!!
 ただでさえ追われる身なのにこんな目立つ事して━━━━」
「お、お、女の仲間だ! 撃て!!殺せ!!」
 倉庫内に居た男達は全員銃で武装している。男達はバイスの号令と同時に、一方的に文句をまくし立てるエアニスに向け発砲した。
 エアニスは舌打ちしながら、倉庫内の光の届かない場所へ身を隠す。
「どこだ!?隠れたぞ!!」
「明かりは無いのか!?」
 倉庫内は天井からの明りが中心部を照らしているのみで、光の届かない場所は多い。エアニスを見失い、辺りを見回す男達。
 ガン、 カン、  コン・・・
 どこからともなく聞こえてくる、金属を叩く音。
「何の音だ・・・?」
「奴は・・・」
 それは倉庫の鉄骨をエアニスが踏み鳴らす音だった。エアニスはあっという間に照明の裏側、屋根の梁へと駆け上がる。そして、そのまま男達の頭上へ身を躍らせた。
 倉庫内を照らす照明に、一瞬大きな影がよぎった。
「上だ!!」
 バイスの叫びに男達も一斉に天上を仰ぐ。
 どしゃぁっ!
 バイスはエアニスによって背中から腰にかけて深々と斬りつけられ、その場に潰れるように倒れ伏した。
「う、わあぁぁぁ!」
 その凄惨な光景に恐怖しながら、男達は自分達が作る円陣のど真ん中に立つエアニスに銃口を向ける。しかし、エアニスを挟んだ向こう側の仲間に弾が当たるのではないかと躊躇し、引き金に掛かる指が止まった。
「殺し合いの最中にためらいを見せるな」
 エアニスが冷徹な声で言い放つ。その体がふわりと揺れたかと思うと、エアニスは低い姿勢で男達の間を駆け抜けながら刃を振るった。
 時間にして3秒あっただろうか。
 5人居た男達は一瞬でエアニスに胴を、足を切り飛ばされ、発砲するどころか悲鳴すら上げることなく床に転がった。
 今のエアニスは剣を鞘から抜き放っていた。ミルフィストで追っ手と戦った時は、剣を鞘に収めたまま戦っていたのに、だ。
 一瞬の、そして突然の出来事にチャイムの全身から血の気が引き、恐怖でまばたき一つ出来なくなる。
 エアニスが、人を殺した。

 髪を揺らし、剣を翻すエアニス。剣に絡みついた血を振り払うその姿は、まだ血煙の向こう側にある。その光景はどこか現実味を欠き、異様で、おぞましく、そして綺麗に見えた。
「ば、化け物っ!!」
 それを遠巻きに見ていた残りの男達が倉庫から逃げ出す。エリオットもまだ取引が終わっていない以上、このまま解散されては困る。取引道具の銃が入ったケースを掴み、倉庫から逃げ行った。
「なんだ、つまらん連中だな」
 エアニスは逃げる男達に目もくれず、チャイムを縛る縄をほどきにかかった。
「おい、何があった?
 さっきお前のアタマに銃突きつけてたの、お前の後輩じゃなかったのか?」
 しかし、チャイムはエアニスの問いに答えず、縄を解かれるなり両手でエアニスの服に掴みかかった。チャイムが何のつもりか分からず、戸惑うエアニス。
「殺す事・・・・なかったんじゃないの・・・」
「・・・あ?」
 エアニスはチラリと自分が斬り倒した相手を見る。分解されてバラバラになったマネキン人形に見のようだと思った。
 そういえば、チャイムの前で人を斬ったのは初めてだ。
 いや、そもそも人を斬った事が随分と久方ぶりだ。最後に人を殺したのはいつだったかと思い出そうとしたが、思い出せなかった。
 エアニスを掴むチャイムの手は震えている。ひょっとしたらチャイムは、人の死ぬ場面をあまり見たことが無いのだろうか。
「相手が銃を持ってこっちを殺そうとしてきたんだぞ。加減して相手をする義理も、余裕もない。自分の為ならまだしも、他人・・・お前の身を守る為ならば、なおさらだ。
 人が死ぬ所を見たくないのは分かるが、お前もこっちの世界で生きてるんなら、そのくらいの事は割り切れ」
 いい加減、チャイムの甘さに苛立ちを感じ始めていたが、エアニスはできるだけ優しい口調で諭し、服を掴むチャイムの手をほどいた。
 下唇を噛むチャイムの様子にエアニスは気まずそうに頭を掻き、誤魔化すようにエリオット達が逃げていった路地に目をやる。
 そうだ、今はこんな論議をしている暇ではない。
「追うのか?」
「・・・追うわ」
 顔を上げ、はっきりと答えるチャイム。
 エリオットに裏切られた事、エアニスのした事はショックだったが、今は立ち止まっている場合ではない。


 エリオット達の追跡は容易だった。
 エアニスの銃弾でエリオットは傷を負い、彼らが通った通路には血が点々と残されていたからだ。
 その血痕を辿り、暗い倉庫街をエアニスとチャイムは走り抜ける。
「エリオットは・・・こんな事する子じゃないわ。きっと、他にも事情があるのよ・・・」
 チャイムは事の成り行きをエアニスに説明し、エリオットの事は自分に信じ込ませるように呟いた。
「エアニス、お願い。あの子だけは絶対に殺さないで」
「・・・頼みならば、努力はする。しかし、万一の時は、分かるな?」
「・・・」
 頭では分かっているが、心が割り切ってくれない。チャイムは頷く事ができなかった。
「・・・見つけたっ!」
 路地の先に、男達の背中が見えた。
「チャイム。ここで止まって目と口押さえてろ」
 エアニスはそう言うと懐から小さな缶を取り出して、それを逃げる男達に投げつけた。
 ばしゅうっ
 閃光とともに白い煙が元締めたちを包み込む。とたんにチャイムは目の痛みを感じた。催涙ガスの類だろうか。エアニスはそのまま白煙の中に飛び込み、護衛の男達を倒しにかかる。何故かエアニスはガスの中で平気なようだが、男達はまともに目を開けていられない様子だった。エアニスの存在を感じ、無闇に銃を乱射するも、あっさりとエアニスに首筋を、みぞおちを叩かれ、次々と気を失っていく。
 チャイムがエアニスに追いついた時、ガスの薄れた路地に立っていたのは鞘に納まったままの剣を肩に担ぐエアニス一人だけだった。
 しかし。
「おい、アイツは何処に行った?」
 エアニスが白煙の中で、片っ端から倒した男達の中にエリオットの姿が無かった。
「こいつらはどうでもいいんだがな・・・」
 つまらなさそうに、足元に転がる男をブーツで小突く。
「一緒に逃げて行ったのは間違いないわ。
 さっきの白煙に紛れて、どこかに隠れたのかも・・・」

 その言葉を聞きながら、チャイムの肩越しにエアニスはエリオットの姿を見つけた。彼女の体が邪魔をして、彼の存在に気付くのが遅れてしまった。既にエリオットの握る銃は、チャイムの後ろ頭に狙いが定められている。
 ほんの一瞬の攻防がとても長く感じられた。
 チャイムはエアニスの視線を感じて、後ろを振り向く。そこにはチャイムに銃口を向けるエリオットの姿。しかし、彼女が何らかの反応を示すよりも早く、彼女の体はエアニスによって真横に突き飛ばされる。そしてチャイムの目の前に、小銃を握ったエアニスの左手が伸びる。狙いは既にエリオットの眉間へと定められていた。
「駄目ぇっ!!」
 チャイムは銃を構えたエアニスの左腕に掴みかかった。チャイムの行動に、エアニスは動揺する。


 ばづっ!
 エアニスの目の前で血霧が散った。エリオットの銃弾がチャイムに当たったのだ。倒れ込むチャイムを抱えながらも、エアニスはエリオットに銃口を向けようとする。しかし、エアニスの腕をチャイムが掴んで離さない。
「このっ、馬鹿がっ!!」
 エアニスは反撃を諦め、自分の背中を盾にしながらチャイムをひきずり路地の曲がり角へと逃げ込む。その間も銃弾はエアニスを襲ったが、幸いそれが当る事は無かった。
 チャイムを抱え路地を何度も曲がりながら走り、エアニスはエリオットから距離を稼ぐ。路地の塀にもたれかかり、僅かに乱れた呼吸を整え、らしくもなく額に浮いた冷や汗を拭った。
「あなた、今エリオットを殺すつもりだったでしょ・・・!?」
 開口一番。助けられた礼も言わず、自分の怪我にも触れず、チャイムはエアニスの襟元に掴みかかった。この一言に、流石のエアニスも頭に血が登る。
「ふざけんな!!
 俺が助けてなかったらあいつに殺されてたんだぞ!!
 そんな甘い考えでこの旅に付いて来るんだったら、ここで降りろ!!
 足手まといだ!!」
 エアニスは掴み掛かるチャイムを突き飛ばす。チャイムは壁にぶつかり、そのままうずくまるように座り込んでしまった。苦しそうなうめき声が漏れる。
「・・・!!」
 我に返るエアニス。チャイムはエリオットの銃弾を受けていたのだ。慌ててチャイムの傷を確認する。銃弾はチャムの二の腕を貫き、深い傷を残していた。
 ハンカチをチャイムの腕に当て、簡単な手当てを済ませる。まだ血が流れ出しているが大きな血管が傷付いている様子は無い。弾も抜けているし大した事はなさそうだ。
「傷口押さえとけ。このくらいの傷なら出血もじきに止まる」
「さっき、あたしを助けてくれた時とかさ・・・」
「あぁ?」
「何であんな簡単に人を殺せるの・・・?」
「必要な事だからだ。ああしなきゃ、お前が殺されていたかもしれないんだぞ」
「・・・トキから聞いたよ・・・あなた、出来るだけ人を殺さないようにしてるんだって?」
「!・・・それは、」
 余計な事を、と内心舌打ちをする。
「あたしを倉庫で助けてくれた時は・・・違ったけど、さっきの路地裏の男達や、ミルフィストで遭った追っ手達は、殺さなかったじゃない・・・
 どうして? どうしてそんなに簡単に人を殺せるのに、あなたは普段"殺さない"っていう選択肢を選ぶの?
 必要に迫られれば殺せるとか、そんな理屈じゃ無いわよね?
 理由があるんでしょ?
 だったら・・・!」



 もう 誰も傷つけないで

 ビクン、とエアニスの体が震える。
 雨の降りしきる暗い森。
 目の前でじわりと広がる赤い染み。
 繋いでいた暖かな手が離れてゆく感触。
 昔の記憶がフラッシュバックで蘇り、エアニスは懐かしい声を聞いた。
 そしてその言葉はエアニスの心を深くえぐる。

 どうせ自分は、人を傷つけることしか出来ない人間だから



「・ニス・・・エアニス!
 どうしたの?大丈夫!?」
 気付けばエアニスは地面に片膝をついていた。強烈な立ち眩みに襲われたように、頭の奥が痺れている。
「・・・なんでもない」
 エアニスは息を乱し、額に汗を滲ませていた。その只ならぬ様子に、チャイムは聞いてはいけない事を聞いてしまったのだと自覚する。

「・・・先、輩・・」
 弱々しい声にエアニスとチャイムは振り向く。そこに立っていたのは、左手で銃を構えたエリオット。銃の取引でいくら貰う事になっていたのか知らないが、こうなってしまっては金を受け取るどころでは無いだろう。エリオットの表情は疲れ果てていた。
「すみません・・・今回の件を知られた以上、先輩を消さないと・・・次の仕事に移る事も、エベネゼルに帰る事も出来ません・・・先輩、すみません・・・」
 その声もどこか虚ろで、空しく聞こえた。
 ガキン!
 エアニスが石畳に剣を突き刺し、ゆっくりと立ち上がる。全身には今だ虚脱感が残っていたが、エリオット達に対狩る苛立ちがそれを上回った。
「カス野郎が・・・目障りだ、」
 しかし、チャイムがエアニスを制する。
「お願い。この子の相手は、あたしにさせて」
「嫌だね」
「お願い、エアニス」
「・・・わぁったよ・・・クソが・・・」
 エアニスは大きな溜息を吐いて剣を鞘に収めた。苛立ちをぶつける捌け口を奪われ、彼は不機嫌そうに対峙する二人を眺める。

 チャイムの武器は剣に対し、エリオットは銃である。二人の間合いはそれなりに開いており、チャイムの勝てる要素は一つも無かった。エアニスは懐に手を伸ばし、チャイムに気づかれないように胸元の銃の撃鉄を上げ、対峙する二人を見守る。必要であれば、これでエリオットの頭を打ち抜くつもりだった。
 彼女の目の前であろうと。

「あなたがこんな事する子とは思わなかったわ・・・本当に、これはあなたの意思なの? 誰かの差し金だったり、するんじゃないの?」
 この後に及んで、まだ後輩を信じようとするチャイム。
「言ったじゃないですか。こうでもしないと、家族を生活させる事ができないって・・・その為に必要な事だと思い、僕が選んだ道です」
 チャイムはやるせない気持ちに目を伏せる。それはエリオットなりの答えなのだろう。エリオットにとっては家族を守ることが全てであり、それを成す事がエリオットのすべき事なのだろう。
 正しいと思う事が、チャイムとエリオットで違っていたという、ただそれだけの事だ。
「あなたの家族が助かる事で、その銃がこれから沢山の人の命を奪う事になるのであれば、あたしはあなたを見過ごす事は出来ないわ・・・」
「そうですよね。先輩は特定の一人より、不特定の多数を大切にする人でしたからね」
「っ!」
 エリオットの言葉がチャイムの胸を抉る。それについて彼女は何も言わず、その代わりにゆっくりと大剣を構え直した。エリオットも腕を伸ばし、チャイムの胸に銃の狙いを定めようとする。
 そのエリオットの表情が、驚愕の色に変わる。
「!!」
 そしてエアニスも。
 いつの間にかエリオットの体に、幾本もの"糸"がまとわりついていた。ふわりと風になびく、淡く光る蜘蛛の糸。
「なっ・・・拘束術!!?」
 今のエリオットは体を動かす事も、銃の引き金を引くことも出来なくなっていた。怪我をしてぶらりと垂れ下がるチャイムの右手には、リオットにまとわり付く糸と、同じ色の光が輝いている。
 チャイムは振り上げた大剣を肩に担ぎ、駆け出した。
 「アタマ冷やしてきなさいっ!!」
 そして、エリオットの脇腹に大剣の一撃を食い込ませる。
 体を動かす事も出来ないまま剣の重みに突き飛ばされ、エリオットは石畳の上に転がり気を失った。
 チャイムがその気になれば、呆気ないものだった。


 がらんっ・・・
 重たい剣を取り落とし、チャイムは歪に切り取られた夜空を見上げる。
 どうしようもなく涙が溢れる。涙がこぼれないように空を仰いでみたが、そんなことでは誤魔化しきれず、次々と涙が流れて落ちる。
「・・・おつかれさん」
 エアニスは優しく、彼女の頭に手を置く。
「う・・えぇぇぇーーん・・・グスッ・・・・」
「泣くなよ・・・。お前もあいつも、悪くない。
 お前らなりの正義だったんだろ。この世に2つ以上の価値観がある以上、こういう事は仕方ない。
 こんな事でヘコんでるようじゃ、今の時代、しんどいぞ」
 チャイムはグスグスと鼻を鳴らしながら涙を拭うと、キッとエアニスを睨みつける。もう、いつも通りの彼女の顔だった。
「何よそれ。慰めになってないわよ・・・バカ」
「慰めてねーよ。これは説教だ」
 素っ気無く、エアニスは言った。
「・・・魔導が使えるなんて、聞いてなかったぞ」
「言ってなかったからね。
 エリオットも、知らなかった筈よ。だから、あんな簡単な術に捕らわれちゃったのね」
 チャイムは口をへの字に曲げ、何かを呟きながらエリオットに撃たれた傷口を軽く撫ぜる。傷口に巻かれたエアニスのハンカチをほどくと、既にそこに傷は無くなっていた。
 治療の術だ。それも、ろくに呪文の詠唱もなく、あれだけの傷を一瞬で治してしまった。
「ハンカチは洗って返すから、文句は言わないでよね」
「・・・へ」
 エアニスはバツの悪そうな顔で頭を掻く。
「足手まといって発言は取り消しとくよ」


 真夜中の港街を、大きな買い物袋を抱え、二人は歩く。
 街外れの倉庫街とはいえ、あれだけ暴れ回ったのだ。エリオットを倒した後、すぐに街の方角から警備兵がやって来て、エアニス達はこっそりとその場を後にしたのだ。
 今頃、エリオットと密売組織の男達は捕らえられているだろう。
「・・・今はエベネゼルの聖騎士なんだけど、元々は宮廷や軍の病院で、魔導医やってたんだ。私」
 ずっと続いていた沈黙に耐えられなかったのか、チャイムがぽつりと、自分の過去を話し始めた。
「魔導医から剣士へ転職か。また極端だな」
 まぁね、とチャイムは笑い、
「こう見えても、エベネゼルじゃ天才ーって呼ばれる程の魔法医だったんだから」
 芝居がかった素振りで鼻を鳴らすチャイム。
「騎士も魔導医も・・・お前には似合わないけどな」
「なんですって・・・?」
 じろりとチャイムに睨まれ、わざとらしく肩を震わせるエアニス。
 エリオットを術で束縛した時も、自分の銃創を塞いだ時も、チャイムは呪文を口にしていなかった。それには一流の魔力と集中力が必要であり、その理屈はエアニスも熟知していた。これまでのチャイムのイメージからすれば信じられない事だが、それだけの技術を見せられては、彼女の腕の良さを信じるしかない。
「何で医者辞めて騎士なんかやってるんだ?」
 チャイムは空を仰いで息を吐くように答えた。
「魔法医じゃ、傷付いていく人を守る事ができないから・・・」

 チャイムの端的な答えに、エアニスは首を傾げる。
「魔法医はね、傷ついた人しか助けてあげる事ができないの。
 でも、体の傷を治す事が出来ても、消えない傷はいっぱい残るの。
 心に、ね」
 トン、とチャイムは自分の胸を叩く。エアニスは黙ってチャイムの言葉に耳を傾けた。
「じゃあ、どうすれば誰も傷つかなくて済むのかなって考えたら、やっぱり、傷ついてゆく人を守れるようにならなくちゃって思って。
 魔法医は傷ついた人しか助けられないけど、騎士は傷ついていく人を守ることができる。
 だから、今は騎士として、人助けをしながら旅をしてるの」
 そこで彼女は一度言葉を切ると、
「もう、傷付いてゆく人達を見ているだけなのは・・・嫌なの」
 憂鬱な声で、そう呟いた。
 彼女もこれまで、色々な物を見てきたのかもしれない。
 これは、元々魔導医であったチャイム故の選択なのだろう。エアニスは何故チャイムが他人の厄介ごとに無闇に首を突っ込みたがるのか理解が出来なかったが、今の彼女の話を聞いて、彼女のことが少しだけ理解出来たような気がした。
「でも、ま・・・
 そんなに上手く行くもんじゃないんだけどねー・・・」
 チャイムは空を仰ぎ、苦笑いを浮かべながら呟いた。自分の無力さを痛感しながら。悲しそうに呟いた。


「・・・へっ、」
 エアニスは鼻で笑ったような、短い息を吐いた。
「何よソレ。馬鹿にしてんの・・・」
「いいや。
 感心してんだよ」
「やっぱ馬鹿にして・・・」
「大した奴だよ、お前。
 いい信念だと思う。聖騎士を名乗る資格は十分にあるんじゃないのか?」
 チャイムの目をしっかりと見てエアニスは言う。いつものように茶化している訳でも、お世辞を言っている訳でもない。思ったままの事を素直に彼女へ告げた。
「む・・・。
 ・・・ありがと」
 なんとも微妙な気分だったが、チャイムは大人しくその言葉を受け取った。

「あ、でもあたしの魔法医としての腕は頼りにしないでよ」
「え? どうしてだ?」
「あたしは今は騎士なんだから。騎士としてのあたしを頼りにしてほしいって事よ」
 その言葉を聞いた途端、エアニスは興味を無くした様にそっぽを向く。
「・・・じゃあ、やっぱ足手まといか」
 どがぁっ!!
 チャイムに買い物袋を思いきりぶつけられ、エアニスは石畳の上に転がった。
「あんたはケガしても治してやんないっ!!」
「ハッ、頼みゃしねーよ!
 俺に傷を付ける事が出来る奴なんて、そうはいないからな!」
「じゃあ今転んで擦りむいた、その手の傷は何よ?」
「これとソレとは話が別だ!」
「同じよ」

 二人は飽きもせずに不毛な口喧嘩を始める。仲裁するトキとレイチェルがいないので、言い争いはとどまる所を知らず、寝静まった街に二人の悪口が響き渡る。
 港街の空は徐々に白じみ始め、少しだけ長かった夜がようやく明けようとしていた。


第15話 積み上げる矛盾

「あはははは。
  早速チャイムさんと朝帰りとは隅に置けませんね、エアニス」
「お前、俺達のこの状態を見て、よくそんな事が言えるな・・・」
  クマがかかった眠そうな目を引きつらせ、エアニスはトキを睨みつけた。
  時刻は早朝。買出しに出ていたエアニスとチャイムは、ようやく宿に帰って来ることが出来た。
「チャイム、帰ってきたの!?」
  部屋の奥からレイチェルが飛び出してきて、二人の姿に息を呑む。
  エアニスは返り血で服を汚し、チャイムは右腕を血まみれにしたまま買い物袋を抱えているのだ。
「あ、大丈夫よ。ケガはもう治ってるから」
「俺のコレは自分の血じゃないから」
  二人は心配するな、と揃って手を横に振る。
  昨晩からトキ達に何の連絡を入れずに、宿を出たままだったのだ。二人には心配をかけただろうと思い、安心させようと二人は必死で作り笑いを見せる。しかし説得力は無い。
「何があったんですか・・・?」
  レイチェル心配そうに問いかける。
「別に、大したことじゃないよ。"石"の件とは別件だから。
  悪かったな、連絡入れられなくて」
  エアニスは買い物袋をテーブルに置き、汚れたローブを脱いで自室へ向かう。
「悪い。結局一睡もしてないんだ。ちょっと眠らせてくれ・・・
  トキ、船の乗船手続き、頼んだ・・・」
  あくびをしながら隣の自室へ去って行った。
「一睡もしてないのは、僕もレイチェルさんも同じなんですけどねぇ」
「あは、あはははっ・・・」
  チャイムがトキの愚痴に乾いた笑いを上げる。
「ま、事情は気が向いたら聞かせてください。チャイムさんも、今は休んで。
  後の事は僕が済ませておきますから」
  トキはチャイムの買い物袋を受け取り、隣の部屋へ向かう。
「レイチェルさんも。やっと休めますね」
「でも、トキさんに全てお任せするのも・・・」
「気にしなくていいですよ。僕は船に乗ってから休ませて頂きますから」
  毎度毎度、トキの気配りに頭が下がる。レイチェルは申し訳無さそうに微笑んだ。


  トキが買い物袋を抱え自室に戻ると、エアニスがブーツも脱がずベッドに倒れ込んでいた。
「まったく・・・。エアニス、シーツを汚したら怒られちゃいますよ?」
  トキがエアニスを揺さぶる。
「なぁ、トキ。お前、人を殺す時、心が痛む事はあるか?」
「はい? 何の話ですか、突然?」
「いいから答えろよ」
  トキは顎に手を当てながら考える。
「そりゃあ、相手によりますけど・・・
  敵を倒すのに心を痛めるなんてウェットな感情は、遠の昔に壊れてますよ。僕は」
  ・・・いえ、初めからそのような物は無かった、と言う方が正しいのかもしれませんね。
  心の中で、トキはそう付け加えた。
「はは・・・
  俺もそうだと思ったんだけどなぁ・・」
「何かあったんですか?」
「チャイムの目の前で、人を斬った。
  見ず知らずのクズどもだ」
「・・・それで?」
  それが何て事も無いように、トキは言葉を促す。
「もの凄く後味が悪かった」
「・・・はぁ」
  そんな事を気に病むエアニスに、トキは内心驚いていた。
  戦争中、数え切れない程の人間を手に掛けてきたエアニスが、こんな事で気分を悪くするとは思ってもみなかったのだ。
「"レナさん" との約束がまだ引っかかってるんですか?」
  エアニスは驚いてベッドから半身を起す。
「いや、そうか。お前には話した事あったな・・・レナの事」
「もう誰も傷つけない、でしたっけ?
  ・・・僕たちのような生き方をしてきた人間には、なかなか難しい事かもしれませんね」
  トキは荷物から自分の黒いロングコートを取り出しながら言う。
「戦争が終わったとはいえ、こんな世の中です。周りがそれを許してはくれません」
「周りや時代の問題なのかね・・・」
「自分だけではどうにもならない問題ですよ。
  でもねエアニス。あなたの力はこの荒れた世界の役に立てるはずです。
  誰も傷つける必要の無い世界を作る事に、エアニスの力は貢献していると思いますよ?」
「気に入らない奴を斬って捨てるだけの力がか?
  争いは争いを生むって言葉を知らない訳じゃないだろう?」
「エアニスの振るう正義っていうのは、それほど間違ってはいないと思いますけどね。
  これまでも、この世の害悪を的確に潰してきたのではないですか?」
  トキの言葉をエアニスは鼻で笑い、静かな声で言い返した。
「俺にとっては、レナを奪ったこの世界全そのものが害悪だ」

  絶句するトキ。
  その言葉を口にした彼の周りで、空気がチリリと焼けたような気がした。
  冗談、には聞こえなかった。
「・・・エアニス、本当に大丈夫ですか?
  らしくないですよ?」
「いや、悪い。冗談だよ、忘れてくれ」
  エアニスはすぐに普段の様子を取り戻し、ブーツを脱ぎ捨て毛布を手に取り、トキから顔を背けた。
「・・・じゃあ、僕は行きますね。早ければ昼過ぎの船には乗れますので、それまでしっかり休んでおいてください」
「悪いな。おやすみ」
  ベッドから手を振るエアニス。トキは心配顔のまま、部屋を後にした。
  部屋に一人になったエアニスは、天上を見つめながら、要らない事を喋ってしまったと、少し後悔する。
  倉庫街からの帰り道でチャイムの話した事が、かつてエアニスが唯一剣を捧げた人を思い出させるのだ。
  チャイムの甘い考えと尊い思想は、"彼女"に良く似ている。
  しかし、その思い出は懐かしさよりも、悲しみ、寂しさ、そして憎悪と、負の感情ばかりを呼び起こす。
  エアニスは腕を額に当て、自分の中で湧き上がる暗い感情を押し殺すように息を吐き、心を静めた。
  やっぱり俺は、この世界を憎んでいるのかもしれない。
  体は疲れているのだが、こんな気持ちの時に眠ると、また昔の嫌な夢を見てしまいそうだ。
  エアニスはそれが怖く、結局眠る事が出来なかった。


  それから5時間後の昼過ぎ。エアニス達は宿を後にし車で港へ向かった。
「すごい・・・!」
  レイチェルは岸壁に立って感動の声を上げた。
「すごいって何が??」
「私、こんなに間近で海を見たの、初めてだから・・・」
  その言葉に、エアニス達は驚く。
「そうか、エルカカは大陸の奥地だからな。初めて海を見るのか?」
「ずっと遠くからなら・・・見た事はあるんですけど・・・」
  雄大で美しい海の眺めに気を取られ、エアニス達との会話など うわの空といった様子だ。海を見たと言う、ただそれだけの事にとても嬉しそうなレイチェルが、妙に微笑ましかった。
「惜しいわねー。もうちょっと暖かければ泳げたのにねっ」
「あのな・・・いや、もういいや・・・」
  エアニスが文句を言いかけるも、今は眠くてチャイムの言葉を咎める気にはなれなかった。
「この船の目的地であるアスラムは砂漠地帯です。
  向こうなら、まだ泳げるくらいの暖かさはあると思いますよ?」
  トキのアドバイスにチャイムの瞳が輝く。
「あ、そうか。じゃあさ、向こうに着いたら水着買って、ちょっと遊んでこうよ!
  って、そいやレイチェルは泳げるの?」
「うん、エルカカには大きな湖があったから・・・」


 無邪気にはしゃぐ二人を、エアニスは仏頂面で、トキはにこやかに眺める。
「・・・あのお二人、随分と元気になりましたね」
「元気すぎだ、アレは・・・」
  エアニスは煙草に火を点けながら言う。
「でも、出会った時はお二人とも心身共に疲れ切った感じだったじゃないですか」
「・・・」
「良い事じゃないですか」
「・・・まぁな」
  苦笑い、といった表情で答えるエアニス。
  チャイムに関しては昨晩の出来事で塞ぎ込んだりしないかと心配もしたが、そんな心配は無いようだ。

「それはそうと・・・エアニス」
「何だ?」
  真顔になって話題を変えるトキ。
「やってくれましたね。街中大騒ぎですよ。
  "大量銃器密売組織摘発! 密売組織構成員を一斉検挙!
  バイス=オルウェス議員が関与か? 遺体となって発見!"
  はいこれ、さっき街で配ってた号外です」
  トキに渡された薄い新聞には、港の倉庫に密輸された銃が大量保管されていた事、そして組織の幹部達が一斉に逮捕されたという記事があり、この国の密輸組織を一網打尽にする足掛かりが出来た、という記事であった。
「聞くまでも無いですが、エアニスの仕業ですよね?」
「まぁ、その、成行きで。
  っつーか議員が関与って凄いな。でも遺体となって発見って・・・どういう事だ?」
「僕が知る訳無いでしょう。
  大方、斬っちゃった人の中に居たんじゃないんですか? その議員さんが。
  ともかく、この街で銃を手に入れることは出来なくなっちゃいましたねー・・・」
「いいだろ。別に」
「どこがですか?」
  困り顔のトキ。自分の得意とする武器の調達が出来なくなったのだ。彼にとっては結構な懸念事項だ。
「これでまた一歩、人を傷つけなくてもいい世界になったろ?」
  悪戯っぽい笑みを浮かべるエアニス。その言葉の前では、トキも目くじらを立てることはできなかった。
「まったく・・・都合の良い解釈ばかりして・・・」
「悪いか?」
「いいえ。
  ただ、この騒ぎと僕達を、ルゴワールが結びつけて考えるのではないかと、少し心配になりましてね。
  まぁ、考え過ぎだとは思うのですが・・・」
  事件はレイチェルの"石"とは全く関係の無い所で起こっている。ルゴワールがこの騒ぎとエアニス達を結び付けるという事自体、考えにくい。もちろん宿帳への名前記入や、乗船手続きは4人とも偽名で通している。
「まぁ、どのみちもう暫くしたら俺達は海の上だ。奴らも手は出せんさ」
「もし出せてしまうとしたら、船の上では袋の鼠ですよ?」
「・・・その時はその時だ」
  トキの懸念を他人事のように切って捨てた。


「じゃ、俺は貨物室へ車を入れるから、トキたちは先に乗っててくれ」
「わかりました。
  チャイムさ~ん、レイチェルさ~ん、行きますよー」
「ほーぃ!」
  脳天気なチャイムの返事を聞きながら、エアニスは船員に指示されたドックへと車を走らせる。
  それから数分後、エアニス達を乗せた船は、ヴェネツィアの港を後にした。


「あれ?」
  入港管理局で書類を書いていた職員が、疑問の声を上げた。
「おい、今出航して行った船って・・・・マゼラン176号船、だよな?」
  問われた女性の職員が双眼鏡を手にし、窓の外から見える今しがた出航した大陸間移動船を見る。
「そのようですが・・・どうかしましたか?」
「いや、176号船の出港手続きに関する書類が無いんだけど・・・。
  新人の野郎、書類書き間違えたのか?」
「176号船の事は、忘れるんだ」
  書類を捜す職員に、突然声を掛ける、年配の男。
「室長? どういう事です?忘れろって・・・?」
「あの船に関する資料は全て破棄するんだ。
  今日の分だけではない。過去の出航記録全て、今すぐだ」
  非常識な指示を出す入港管理局の室長。流石にそのような指示に従う事は出来ず、職員は理由を問いただそうとする。しかし彼は、室長が顔色を失い額から汗を流している事に気付いた。
  その様子にただ事ではない何かを感じ、抗議の言葉は飲み込まれた。

  その日、ヴェネツィア港から一隻の船が、乗船員の名と共に記録から消えた。


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