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第一部 海のない地球儀 (1/2)

ポチの耳・私の髪

 

たくき よしみつ

 

■第一部■ 海のない地球儀




 恐竜がなぜ絶滅したのかということを詮索する人はたくさんいる。でも、彼らが1億5000万年もの間生き続けたという奇跡を強調する人は少ない。
 ……ある男がそんなことを言った。その言葉は私の心を心地よい波長で揺さぶった。
 それがきっかけで私は彼とつき合い始め、やがて結婚した。今からちょうど十年前のことだ。
 結婚した後も、私はよくこの言葉を思い出す。そしていつからか、この言葉の後に続くものを捜し始めていた。
 例えば、
「そして、象も鯨も、まだ1億年どころか1000万年の『時の洗礼』さえ受けていない」
 ……蛇足にしかならない……。
 なぜあの言葉に、私は捉えられてしまったのだろうか?
 

ο ο ο

 

 その年の秋は、ひどく雨が多かった。10月に入って2週間以上、関東で雨が降らなかった日は1日もないと、テレビで言っていた。
 ひとり息子の宗太郎そうたろうは、雨が降っていると、ポチを散歩に連れていくのをおっくうがる。ポチは当然欲求不満になり、私も宗太郎を叱ることに疲れて、やはり精神状態が悪くなる。
 8歳の子供が毎日ひとつの仕事を続けるということは、かなり大変なことだ。
 私にも覚えがある。子供のとき、捨て犬を拾ってきた。そのうち相手をしてやらなくなり、結局その犬は家出をした。
 だから宗太郎がおっくうがるのは分かるが、私も妥協はしない。どうしても嫌がるときは、私は宗太郎の右手に強引にポチの引き綱を持たせ、一緒に外に出る。私だけで散歩をさせることはしない。
 息子に動物とのつき合い方を教えるための散歩。ポチの健康を守るための散歩。……ノルマでする散歩ほど味気ないものはない。
 そんな日が数日続いて、「明日は待望の洗濯日和です」という天気予報に期待して眠りについた翌朝、目覚めた私の耳に最初に届いたのは、雨樋を伝う水のかすかな音だった。
「なんだかこのままずっと、この世の終わりまで雨が降り続くような気がするわ」
 傘をさしながらゴミを捨てにいくとき、隣の奥さんにそう挨拶した。毎日毎日「また雨ね」「本当に。嫌ねえ」では、芸がないと思ったので、ほんのちょっとバリエーションを加えてみたつもりだったのだが、彼女は適当な返答ができないで、曖昧に微笑んだ。
 こんなとき、私は「言葉」に裏切られた気持ちになる。
 彼女とは無難につき合っている。生協の家庭班が一緒なので、毎週木曜日は、配達された品物を仲よく選り分けたりもしている。時には、タンポン派とナプキン派を代表して、論争をすることさえある。

 でも、政治や環境問題やエネルギー問題の話はしない。
 それは、不必要な摩擦を避けるための「住宅街の見えないルール」とも言うべきもので、私も素直に従っている。

ο ο ο

 小降りになったものの、夜になってもまだ濃い霧のような雨が降り続けていた。宗太郎が寝てからしばらくして、玄関脇に車が入ってくる音がした。夫が帰宅するのは3日ぶりだ。最近では「忙しくて……」という言い訳さえしなくなった。
 夫はフリーのコピーライターをしている。
 仲間と一緒に事務所を構え、今ではコピーだけではなく、広告のコンセプト作りからそっくり引き受ける仕事が多いという。小さな広告代理店を開業しているようなものかもしれない。
 以前は一緒にテレビを見ているときなど、自分が手がけたCMが流れる度に、「これ、俺の仕事だよ」と、嬉しそうに話してくれたものだが、最近ではそういうこともなくなった。
 夫の事務所から、私名義の銀行口座に毎月一定の額が振り込まれる。私はそれを使って家計をやりくりする。夫が実際にいくら稼いでいるのかさえ、私はよく把握していない。
 結婚して10年で、いろいろなことが変わってしまった。原因は何だったのだろう。それを探るような気持ちで、夜、ベッドの中で、私は10年前の会話を再現してみようとした。
「恐竜の話、覚えている?」
「恐竜?」
「あなた、言ってたじゃない。恐竜は絶滅したことよりも、1億5000万年もの気の遠くなるような時間、生き続けたことのほうが強調されるべきだって」
「俺が? そんなこと言ったっけ?」
「覚えてないの?」
「ああ。誰か他のやつが言ったんじゃないのか?」
 夫はそう言うと、裸の肩を寒そうに布団の中にもぐりこませた。
 沈黙が2秒、3秒、4秒……。
「でも、ちょっとしゃれてるかな。その手の発想の転換は、コピーライターの常套手段のひとつなんだよな。使えるねえ、それ。『俺たちはおまえたちの1万倍長い歴史を築いた……世界恐竜大博覧会』……とかね」
 そしてまた沈黙。
 今度はすぐに、静かな寝息が続いた。

ο ο ο


〈この世の終わりまで雨が降り続ける……か。要するにその奥さんはノアの箱船の話を知らないんだ。そんなことで、いちいち悩むわけ? それはちょっと傲慢なんじゃないの、祥子が〉
 受話器の向こうで、L子が言った。
〈私だって高校生までは、旧約聖書と新約聖書の違いは、文語で書かれているか口語で書かれているかの違いだと思っていたもの。「約」の字を勘違いしていたのよね。哲学科に入る前に気がついてよかったわ〉
 L子はいつもの調子で明るく笑った。
 世の中に、「根っから明るい人」というのは存在するのだろうか?
 もし存在しえたとしても、L子は違う。

 彼女は明るさの裏にある暗がりを言葉にすることを嫌う。言葉が闇を打ち消す道具になるとは、はなから信じていないからだろう。
 L子は私の大学時代のクラスメイトだ。身体が細く、胸もないのに、なぜかいつもLサイズのだぶだぶの服を着ているのでこういうあだ名がついた。

 本当は江梨子という。
 彼女は卒業してすぐ、日本に留学していた2歳年下のドイツ人と結婚した。
 旦那の名前はペーター・シェーンレーベ。
 若禿げで老け顔。身長が198センチもある。どうせならあと2センチあれば2メートルと言えるから説明が楽でいいのに、などとL子は言っている。
 彼女は160センチ。決して小さいほうではないけれど、並ぶと夫婦というよりは親子のように見える。
 L子は去年、女の子を生んだ。濃いブルーグレーの瞳と、鳶色の髪がなかなかチャーミングだ。
 名前はハナ。「花」ではなく、「ハナ」と片仮名で書く。日本人的な名前にするかドイツ人的な名前にするか、ペーターとさんざんやりあった揚げ句の「折衷案」だそうだ。
 L子は彼女のことを「花ちゃん」と漢字で呼び、ペーターは「ハンナ」と横文字で呼ぶ。
 哲学科の同性の同期生は6人。わざわざ哲学科に入る女性というのは、世間の平均値からは少し外れているらしい。L子もそうした個性派のひとりなのだろうが、私から見れば、他の5人に比べて特に変わっているということもない。
 L子は、私にとって、いちばん気の置けない友人だ。
 1年に何回か、特に用もないのに私は彼女に電話をする。
「ご主人は元気?」
「ペー? 元気、元気。毎日ハナに『じゃあ、ファータはまた悪いおじちゃんたちがいっぱい集まっているビルに出かけてくるよ』って言って家を出るのよ。ハナが喋れるようになったときが怖いわ。近所の人から、あの背の高いガイジンさんは、何か悪いことをしているらしい、なんて言われたりしてね」
 ペーターは合成ゴムのメーカーに勤めている。今はスタッドレスタイヤの研究開発に携わっているが、本人はコンドームの開発部署に替わりたいと言っているらしい。
 彼は3年前、別の会社でゴルフボールやテニスラケットの開発に関わっていた。今の会社に転職した動機は、「ゴルフとスキーは最も環境を破壊するスポーツだから」だそうだ。
 およそ企業活動と呼べるもので、環境を破壊しないものはない。それでも真面目な彼は、前の職場にいた当時、スキー、ゴルフ、テニスという3つの代表的レジャースポーツの「環境破壊度」に関するリポートを上司に提出し、物議をかもしたことがある。
 施設の年間有効使用率や、施設面積に対するそこで遊ぶ人間一人当りの占拠率、さらには、用具の生産や施設の維持による資源消費や環境汚染の度合いなどの見地から独自に研究した「大作」だったそうだ。
 今の会社でコンドームの開発に関わりたいというのも、コンドームこそ究極の「エコロジー・グッズ」だからだという。しかし残念なことに、コンドームという商品には、もはやこれ以上の研究課題はほとんど残されていないらしい。
 彼の究極の目標は「面倒臭くないコンドーム」……言い換えると「しなくてもいいコンドーム」を開発することだというが、私にはタイムマシンの発明よりも難しいような気がする。
 職業に対してそんなにストイックになるなら、製造業に関わるのをやめて学者や社会運動家にでもなればいいのに、と、L子は呆れて言う。でも私はペーターのどこか不器用な生き方が好きだ。L子だって、口では何を言っていても、心の底ではそう思っているに違いない。
 かなりの長電話になっていた。
 私は無性にL子やペーターと直接会って話がしたくなった。ハナちゃんも結構大きくなっただろう。
 私は次の土曜日に久々に訪問する約束をして、ようやく電話を切った。



━━━Ф Ф Ф━━━

 

 L子の旧姓は山島やましまという。結構珍しい名字で、一度電話帳で調べたことがあったが、私が住む横浜市には5軒しかなかった。
 何の気なしに夫にそう言ったのがきっかけで、私たちは思いもかけず、アパートから一戸建てに引っ越すことができた。

[山島さんをさがしています]

 ……これは夫の修治朗が、コピーライターとして、ある広告賞を貰ったときのコピーだ。
 商品は朱肉のいらないハンコ。すでにこの分野では独占的なシェアを誇るメーカーがあったのだが、ある筆記具メーカーが業務拡大を図って、一連の朱肉を使わないハンコ製品を大々的に売り出した。
 カード型、マスコット人形型、ボールペン一体型、名刺入れとセットになっているもの、ネクタイピンや使い捨てライターケースに仕込んだものもあった。

山島さんをさがしています
「山」「川」「岡」「島」……どれも日本人の姓によく使われる字ですね。
 でも、川島さん、岡島さんはたくさんいても、「山島」さんという人は意外にいません。
 山岡さん、島岡さんはたくさんいても、「川岡」さんという人は意外にいません。
 山川さん、岡川さんはたくさんいても、「島川」さんという人は意外にいません。
 日本人の名字って、なかなか面白いものですね。
 全国の山島さん、川岡さん、島川さん、名乗りを上げてください。みなさんの意外な個性に敬意を表して、朱肉のいらないハンコ『ナメックス』をプレゼントします]

 このキャンペーンは結構話題になり、商品も当初の予想よりはるかに売れたそうだ。無名のコピーライターだった夫もこれがきっかけで仕事の依頼が増え、2年後にフリーとして独立することができた。フリーになると同時に夫の年収は3倍になり、私たちは地価が急騰する直前に、郊外の落ちついた住宅街の一角に、一戸建ての家を買うことができた。L子の珍しい名字サマサマである。
「あの『ナメックス』という商品はさ、すでに独占市場を築いている先発商品と、性能の点でもアイデアの点でも、何の差もなかったんだ。こういう場合、思いきって商品とは直接関係ないことに興味をすり変えちゃうというのもひとつの戦法なんだな。ということは、あのキャンペーンは、そのまま先行ライバル社の広告にしてもいいわけさ。つまり、これは商品の勝利ではなくて、純然たる広告の勝利っていうことになる」
 夫はそう言って自慢した。
 同じような商品にガソリンがある。そういえば、プレミアム・ガソリンなどというものが「発明」されるずっと前、「クルマはガソリンで走るのです」というコピーで成功したCMがあった。
 A社のガソリンを使うと、B社のガソリンを使うよりも目に見えてクルマがよく走るようになる……などということはないだろうと、ドライバーならば経験上誰でも知っている。それでも毎年、巨額の金がガソリンの広告に投入される。そしてやはり、その広告ゲームの中でちょっとした成功を収めたコピーライターやプランナーが、郊外に家を建てたり、新車を買ったりするのだろうか。
 何はともあれ、夫が「山」「川」「島」「岡」という4つの文字の組み合わせに関する考察をしたことがきっかけで、私たちは住居を手に入れた。言葉の組み合わせだけで生計を立てる人間というのは、人類史上でもまだそれほどいないだろう。
 余談だが、実際全国から申し出のあった人の中では「島川」さんがいちばん多く、「川岡」さんがいちばん少なかったそうだ。「山島」さんの1人、L子には、真っ先に「ナメックス」の全シリーズが(非公式にだが)プレゼントされた。

ο ο ο
 一方私は、その頃、お金にならない言葉遊びに興味を持ち始めていた。
 宗太郎が生まれ、会社勤めを辞めたときには、子供が手を離れたらまた仕事に就こうかと思っていた。しかし、宗太郎が小学校に上がる前に、夫一人の稼ぎだけで十分やっていけるようになった。
 専業主婦の甘えに後ろめたさを感じながらも、私は趣味の世界に足を踏み入れていった。
 小学生のときから、私の唯一最大の趣味は天体観測だった。
 しかし、嫁入り道具代わりに持参した天体望遠鏡は、押し入れの中でビニールの袋を被せられたままだった。前のアパートにはこれを据え付けられるほどのベランダはなかったし、向かいには巨大な製パン工場があって、窓から見える夜空の半分近くを隠してしまっていた。今住んでいる家からも、近くの清掃工場の煙突から24時間吐き続けられる煙や幹線道路の照明などで、まともな星空はとても望めない。
 宗太郎が生まれてからすっかりご無沙汰していた天体観測の同好会には、4、5年後に復帰した。でも、首都圏には星空を堪能できるような場所は少ない。観測会もおのずと遠出するようになり、昔のようには気楽につき合えなくなったのが寂しい。
 星のかすかな光から受ける無色透明なメッセージに遊ぶのとは別に、私は自分の心の奥に生まれるものを、言葉に変えて表現してみたい誘惑に駆られ始めた。だから、L子から小さな俳句結社主催の吟行会に誘われたときも、あまり抵抗なく参加し、その日のうちに入会を決めた。
 俳句結社という世界は老人が多く、L子や私は最年少の部類の会員だった。それでも私の心はむしろ若返ったような気がした。
 季語になっている草花の名前を覚えるだけでも楽しかったし、「春隣」とか「野分」などという情緒のある言葉に触れるのも新鮮だった。
 しかし、入会1年後、ようやくそれらしい作品を詠めるようになったとき、入ったときと同じようにあっさりと辞めてしまった。
 主宰の大学教授が亡くなられ、奥さんが主宰を継いだ直後のことだった。

[かすみ網の揺れおさまらず山紅葉]

 秋の吟行会で私が詠んだこの句が、退会を決意させるきっかけになった。
「字余り、季重なりの上に、『おさまらず』という語感が汚いですね。『かすみ網』は秋の季語ですから、紅葉と一緒に使うことはできません。それに古語では『おさまる』という言葉は使いませんから、『おさまらず』よりは、意味は逆になりますが、『とどまりぬ』とでもしたいところですね。例えば、『夕暮れて揺れとどまりぬ小鳥網』などとすればどうでしょう」
 新しい主宰は、静かな口調でそう講評した。
 今思えば、しごくまっとうな講評だった。  ただ、私はどうしても赤い紅葉の鮮やかな静けさと、かすみ網にかかってもがき続ける野鳥の生への葛藤を対比させたかったのだ。
 勉強不足の私は、そのときまで「かすみ網」が秋の季語になっていることを知らなかった。渡り鳥を狙って張られるから秋を感じさせる言葉なのだそうだ。しかし、今時どれだけの日本人が、かすみ網という言葉に秋の風流を感じるというのだろう。
「小鳥網」などという言葉にも、大いに違和感を覚えた。そんな言葉があることすら知らなかったが、ちょっと聞いただけでは、可愛らしささえ感じてしまいそうな、薄気味悪い言葉だ。
 改めて俳句歳時記で調べてみると、「かすみ網」の項に載っている句の半分以上は、かすみ網に積極的に「秋の風流」を感じているらしい句だった。

[裏山に揺れる銀河や小鳥網](高岳秋霞子)

 吟行会から帰った夜、私は結社を退会することを決めた。
 L子からはずいぶん叱られた。
「あなたね、入会1年目で主宰直々の吟行会に参加させてくれる俳句結社なんて、そうそうあるもんじゃないのよ。せっかく同世代の仲間ができたと喜んでいたのに、我慢が足りないわよ」
 もっともだ。
 それに、あのときは妙に腹が立ってしかたなかったが、新しい主宰の技術や知識は本物だった。
「夕暮れて揺れとどまりぬ小鳥網」という句が、私の拙い元の句、「かすみ網の揺れおさまらず山紅葉」よりもはるかに完成度の高い句であることは間違いない。
 今は素直にそう思っている。

━━━Ф Ф Ф━━━

 

 夫・倉掛修治朗の初期の作品から。

[光が沁みこむ石がある……ダイヤモンドは一つの真実です]
[「妻が恋人」宣言……ゴールドカード・エイジの健康法]

「沁みる」「真実」「暖かい」「ときめきの」……広告コピーによく使われるこうした言葉を、近所に住んでいる甥のさとるは「死語」と呼んで冷笑する。
 数年前だろうか、若い世代の間で「死語遊び」とでもいうようなものが流行ったことがあったらしい。

 オバサンになった私には、その「ブーム」がどの程度のものであるかは体感できなかったが、悟が時折教えてくれる「十代流行通信」的な情報のおかげで、そういう風潮があるということだけは知っていた。
「たまさか」「すわ(鎌倉)」「ものかは」「~のごとく」といった文語的な表現を知らない若者が増えている。社会に出て、中高年の上司などが時折使うこれらの言葉に触れて、彼らは相当な違和感と適度な快感を覚えたのだろう。クラシックカーを「かわいい」と感じるように、そうした言葉を「死語」と決めつけながらも、心の底では密かに愛したのではなかろうか。
 しかし中には、可愛いというよりは「無様」に近い匂いを発散する言葉もある。 「トンチキ」「パンチの効いた」「ビフテキ」「ナウなヤング」……。こうした言葉が集中的に「死語遊び」の標的になっていった。
 その感覚はさらに屈折、発展して、古い新しいに関係なく、不誠実な使われ方をしている陳腐な言葉やフレーズにも向けられ始めた。
 例えば、テレビ番組のタイトルの頭に付けられる「輝け!」や「衝撃の」などというフレーズ。
 広告コピーの「時代は今……」や「ナイス・タッチ/ナイス・フィーリング」「あなたの充実した○○ライフをお手伝い」「明日に向かって」「ハートフルなぬくもり」、そして後になって出てきた「地球にやさしい」「エコ」……。
 甥の悟は当時高校生。物書き志望という彼は、クラスメイトたちがゲームだのアイドル歌手だのオカルトだのといったそれなりの話題に騒いでいるとき、自分の世代を一歩外側からドライに見つめたような「団地少年通信」なる怪文集を発行していた。
 ワープロとコピーを使って作られるB4サイズのその妙な個人新聞が送られてくるのを、私はいつも楽しみにしていた。
「団地少年通信」第5号の冒頭記事は、こんなふうになっている。

予告! 5年後の『死語大賞』は『E電』に決まり!
 ハイ、課長。今日の午後、凸凹物産さん(おおっと、会社名に「さん」付け! こりゃ「死語係数」高い)と、H駅の国電改札口そばのルノアールで待ち合わせです。ハイ、万事つつがなく(死語)進める所存(死語)です……ってか。
 究極の死語野郎でさえ恥ずかしすぎて使えない『E電』は、死語大賞候補ナンバー1だっ!(この「だっ!」も死語だわねん)]


 E電……国鉄がJRに名称を変更した際、「国電」に替わる新しい呼称としてJR東日本が(本気で)採用したこの言葉は、当時も随分議論を呼んだものだった。
 そのあまりにひどいセンスに憤慨した「文学者」が、雑誌に抗議のコラムを書いたりもした。
 そんな論議も必要ないほど、「E電」という言葉はあっけなく消えた。5年どころか5か月ももたなかった。かつて霞が関の官庁ビルの中だけで強制的に流行させられた「省エネルック」と共通するものがある。(そういえば、あの両袖を短く切った背広のその後はどうなったのだろう。不燃物ではなく、「燃える」ゴミになっただけマシだったと考えるべきか?)
 しかし、E電は葬られても、JRを始め、JT、JA、NTT、JRAなどなど、日本を代表する組織名は、ことごとく母国の言葉を捨ててしまった。
 煙草の銘柄「いこい」や「しんせい」「みどり」が、「ハイライト」「セブンスター」「キャビン」などに駆逐されたように、いつかは「ひかり」「こだま」「のぞみ」に代わり、「レーザー」「エコー」「ホープ」などが日本列島を走る日が来るのだろうか?
JR東海の『ひかり』××号グリーン席」という表記が、すでに「E電」と同じ状況になっていることに気がついている人は少ない。
 同じ「団地少年通信」第5号には、こんな記事も載っていた。
「時代は今(死語)、植物園! ボタニカル・エイジを先取り!」
 臭くない、汚くない、うるさい子供もいない、それに植物は人前でSEXしたりしないから、植物園は動物圏よりもエライ……という主旨の記事だった。
 あれから随分経つが、植物園ブームが起きたという話は聞いていない。もっとも、一時期、水族館やプラネタリウムがちょっとしたブームになったことはあった。
 そういえば、水槽の中に隔離された魚や、星座(に似せた光)も、植物同様臭くないし、人前でSEXしたりしない。でも、多くの都会人はまだ植物園の魅力に気づいてはいない。
 悟は少しばかり時代を先読みしすぎていたのかもしれない。
ο ο ο
 悟は大学進学と同時に実家の団地から出て、アパートで独り暮らしを始めた。「団地少年通信」は第12号で一応廃刊したが、彼はその後も、「アパート青年通信」「アパート青年通信ターボ」「アパート青年通信スーパーDX」を経て、今は「ポチの友」という、シュールな詩集のようなものを発行している。
 そこには、こんな詩が載っている。

  「洋書専門店の憂鬱」

 タバスコこぼす子ドン・ボスコ
 俳句は西語じゃ詠めまセニョリータ
 いんぽのビンボウみかん箱
 せっせせっせかきかき
 せっせせっせかきかき
 芥川賞おめでとう
 大新聞に広告出せば文学じゃ
         (大口タイロン悟)
         
         
  「木の葉と蜘の糸」

 くるくるくるくるくるくる
 風シーン
 くるくるくるくるくるくるくるりんと
 加えてきらきらきらきら
 風はやっぱりシーンと
 ほかの葉っぱは静か僕も静か君は静香
 くるくるくるくるくる
 蜘の糸が支える木の葉一枚
 あの接点が永遠のはじっこ
         (大口タイロン悟)

 彼の言葉への取り組み方は未整理で舌足らずだが、夫の理詰めの広告コピーよりは誠実な仕事だと、私は一目置いている。
 今も私は年間購読料1000円を払って、定期購読(といっても、彼は当初からの「気が向いたら発行」というポリシーを崩していないので、「定期」購読とは言い難いのだが)を続けている。
 悟ほどのエネルギーはないが、私もまだ俳句は続けている。結社を辞めてからは、時折この「ポチの友」に投句することもある。

[無言で送る夫の背に糸屑]
[どしゃぶりのディズニーランドに人の列]
[ポチの耳に触れて温もりを確かめる]
[電飾の言葉走り去る壁の沁み]

              (倉掛祥子)

 

 

━━━Ф Ф Ф━━━


 浦安のL子の家に遊びにいこうと、鏡台に向かって化粧をし始めたとき、玄関のチャイムが鳴った。紅がまだ唇に馴染まぬまま、仕方なく出ると、紺色の作業服を着た小肥りの男が作り笑顔で立っていた。その後ろに、肌の浅黒い、痩せた男もいる。二人ともここ数日、何度か見かけた顔だ。
 このへん一帯では、先日から下水道の改修工事が進んでいる。
「奥さん、すみません。庭の水道使わせてもらえないですかね」
 小肥りの男のほうがそう言った。
「あら、うちは来週の予定だって聞いてたけど、今日やるの?」
 そう問い返すと、男は頭をかきながらこう言った。
「いえ、お宅は来週。今日はお隣なんですけどね、隣の庭の水道、今日は出ないんですよ。昨日は出てたのにさあ。家の中の元栓締められちゃったみたいなの。頼もうにも留守みたいだし、お宅の庭の水道、使わせてもらえないですか? 水が使えないと仕事になんないんすよ」
「いいですよ。どうぞ」
「すいませんね、どうも」
 寝室に戻って再び鏡台に向かうと、庭でポチが激しく吠えた。
「奥さーん、犬、犬! 怒ってるみたいだけどォ……」
 庭でさっきの男が哀願するような声を出している。仕方なくまた立ち上がり、縁側の戸を開けた。
「ポチ、大丈夫よ」
 ポチはすぐに鳴きやみ、激しくしっぽを振る。
「ポチ? ポチ君ね。大丈夫だからねえ、おじさんたち、いい人だから。吠えないでねえ……」
 小肥りの男がそう言いながらポチの前にしゃがみこんだ。
 蛇口に長いホースをつないでいるのは、痩せたほうの男だった。小肥りの男のほうとは対象的に、口数が少ない。もしかしたら日本人ではないのかもしれない。
 ポチは納得したらしく、目の前の蛇口にその男がホースをつなぐのを、黙って横目で見ていた。
 嘘の入り込む余地のないほどシンプルな会話は気持ちがいい。
 何をもって「いい人」というのかなどということを、ポチは問題にはしない。
 
ο ο ο
 ポチの名づけ親は夫である。「犬はポチ。猫はタマ。昔からそう決まっている」と言って、わずか3秒で決定した。宗太郎のときも「男は太郎、女は……」などと同じようなことを言い出したのを、私がさすがに躊躇して、1文字付け足した。大好きだった双子のマラソン選手の名字を貰ったものだ。「宗太郎」だけでも「名字+名前」のように見えるところが気に入っている。

[ポチは地球を守ってくれるおじさんたちを見るとしっぽを振る癖があります]

 ちなみにこれも夫・修治朗の作品だ。電力会社のイメージCMに使われた。
 ヘルメットをかぶった男たちが、巨大な風車を建てている横を通り過ぎるオープンカーの助手席に大きな犬が乗っていて、ズームすると尻尾を振っている……という映像。
 このコピーがテレビで繰り返し放送されるまでは、私はポチはそれなりに愛情を込めて名づけられたものと信じていたのだが、今では疑っている。

ο ο ο
 留守番のポチのことを気にしながらも、私はL子の家に車で向かった。
 首都高速は平常通りに混んでいた。
 湾岸道路に入っていくインターチェンジの手前に、万年筆メーカーの大きな広告看板がある。数年前まで、ここに夫の作品が掲げられていた。

[セピア色のインクで手紙を書きたくて
 万年筆ルネッサンス=マドラー・エクセル]

 夫の仕事の中で、私が気に入っていた数少ない広告コピーだ。
 ボールペンやサインペンに押されて落ちてしまった高級万年筆の需要をなんとかもう一度回復させたいというメーカーのキャンペーンだった。

[セピア色のインクで手紙を書きたくて
 街じゅうの店を捜し歩いた
 あなたに似合う色だから]

 夫が作詞したそんな歌詞のCMソングも作られた。
 CM人気を当て込んで、メーカーはセピア色のインクカートリッジも豊富に用意したという。
 しかし、その万年筆は売れなかった。
「今時、万年筆で恋文を書こうなんていうやつはいないよなあ、やっぱり」
 夫の敗戦の弁である。
 それ以後、夫はロマンチックなムードのコピーをほとんど書かなくなった。
 かつて杉山登志というCMディレクターがいた。テレビCM創世期の伝説的クリエイターだ。
「セピア色のインク」は、杉山さんの代表作『図書館』を彷彿とさせる。
 物音ひとつしない図書館の中、美女と美少年の視線が合う……あれは何の広告だっただろうか。
 ともすれば広告が商品から遊離した「アート」として一人歩きできた、よき時代だった。
[夢がないのに夢など作れません]
 驚くほど実直な「コピー」を残して、杉山登志は自殺した。自殺したからこそ「伝説のクリエイター」として永遠に生き延びられたのだ。
 夫は彼に憧れて広告業界に入ったと聞いている。
 技術的には分からないが、夫は杉山さんが越えられなかった壁をいとも簡単に突破したように思える。
 そしてその壁は、今の広告業界には存在していないかのようだ。

ο ο ο
 万年筆メーカーの看板は撤去されたらしい。その看板を目印にして湾岸線への分岐をするのが常だった私は、知らないうちに渋滞している環状線へ入り込んでしまった。
 L子の家に着くのが、これで30分は遅れた。

━━━Ф Ф Ф━━━


 シェーンレーベ家は12階建のマンションの11階にある。家賃の半額を会社が負担しているそうだ。
 ドアを開けて、最初に出迎えてくれたのはペーターだった。
「こんにちは。待ってましたヨ」
 ドアの上の縁よりも高い空間から、久しぶりに聞くペーターの優しい声がした。
「お邪魔します。お久しぶりですね。元気でした?」
「ボク? それともエリコ?」
「みなさん」
「エリコは普通に元気、ハンナはとっても元気、ボクは少し元気」
 ドイツ人は定型句の挨拶にも正確を期そうとするので、ちょっと疲れる。3種類の元気の違いを訊き返そうかどうか迷っているところに、奥からL子の声がした。
「いらっしゃい!  風が入るから、早く入って」
 私は天井に頭のつきそうなペーターの背中を見ながら、奥の部屋に入っていった。
「宗太郎クンは?」
 奥の部屋から顔だけ出して、L子が訊いた。
「学校よ、もちろん」
「それじゃあ、帰ってくるまでには戻るわけ?」
「別に……。鍵は持たせてあるから」
「じゃあ、夕食までには帰るの?」
「そうね。もっとも、あの子は誰もいなければ勝手に食事も済ませるように教育してあるけれど。近所のお弁当屋さんからお弁当買ってきたりね」
「ひどいわね。だってまだ3年生でしょ?」
「そうよ」
「あなた、知っている? 養殖ハマチって、一割以上が奇形になるらしいわよ。背骨が曲がったようなハマチがたくさん出て、普通はこっそり投棄処分するんだけれど、一部は安く裏の流通ルートに流れているんですって。切り身にしちゃえば分からないから」
「突然何よ」
「いえね、売っているお弁当って、よくブリの切り身みたいなのが入っているじゃない。そういうもの、3年生の息子に食べさせてるなんて、あなた母親失格よ」
 いきなり殺伐とした話題になってしまった。
 母親は子供の給食係や家政婦であることだけで「母親」なのではない。少なくとも六歳を過ぎれば、子供も家事を分担する義務があると私は思っている。もっとも、それと弁当屋の弁当で夕食を済ませることとはまったく別問題ではあるが……。
 L子はハナちゃんに離乳食を与えているところだった。代わりにペーターがお茶の準備をしてくれる。テーブルの上にジャムの瓶を4つ並べて、「どれにする?」と訊く。紅茶にジャムを入れるのがこの家の流儀なのだ。
 ジャムはコケモモ、黒スグリ、イチジク、アボガドの4種類だった。瓶の形も大きさもまちまちだ。中身はすべて手造り。
 少し迷ってから、結局最もクセのなさそうなコケモモのジャムを選んだ。
 私は本当はミルクティー党なのだが、彼らのジャム造りの趣味に敬意を表して、この家に来たときだけはロシアンティー党になる。
「最近はあんまりいいジャムの材料が見つからなくって。皮に農薬やワックスが付いていて、皮ごと煮ることができないのよね」
 潰したゆで卵のようなものをハナちゃんの口の中にスプーンで押し込みながら、L子が言った。この離乳食も、当然市販のものではないのだろう。
「もともとはどっちの趣味だったの?」
 4つ並んだジャムの瓶を見ながら、私はL子に訊いた。
「どっちって……ジャムのこと? ペーよ。私は影響されたわけ」
「仲がよくて羨ましいわ。趣味が一緒だと楽しいでしょ。うちのダンナなんか、星を見るのは寒いから嫌だ、俳句は儲からないから馬鹿らしいですもの」
「そういえば、この前ダンナさん、見たヨ。霞が関で。グリーンのポルシェに乗ってた。儲かってるネ」
 ペーターが言った。
「グリーンのポルシェ? 人違いじゃないの?」
「間違いないヨ。あれ、928でしょ。15万マルクくらいはするんじゃない?」
 夫は車好きで、すぐに買い替える悪い癖がある。しかし、いくらなんでも車に1000万円以上出せるほど儲かってはいないと思う。
 もっとも、彼が昼間どんな行動をしているのか、私はまるで知らない。知人の車でも借りたのだろうか。
「スポーツカーって、荷物は積めないし、燃費は悪そうだし、あんなもの、東京の中で乗ってどうするのかしらね。でも、気をつけないとさ。車くらいならいいけど、そのうち有名な女優かなんかとデートしているところを週刊誌に撮られたりして」
「うちの旦那が? まさか」
「あら、あながちありえないことじゃないでしょ? この前の『リル』にもカラー写真入りで出てたじゃない。『今月のトレンディー・パースン』だっけ? 『コピーライター倉掛修治朗。20字で時代を切り取る男』とかなんとか。有名人路線まっしぐらじゃないの。そのうち、ワイドショーにコメンテイターで出てたりして」
 夫が女性誌のカラーグラビアに登場したことを私が知ったのは、その雑誌の次の号が店頭に出てからのことだ。友人との電話の中でたまたま相手がその話題を持ち出したのだ。
 私が知らないと言うと、その友人は呆れて、すぐにそのページのコピーを郵送してくれた。
 夫に訊いたところ、「まあ、フリーでやっている以上、ああいうのも仕事の一環だからね」と、すんなりかわされてしまった。
「仕事」という言葉は、日本ではオールマイティーのジョーカーだ。「夫婦の役割分担と相互不可侵条約」に、私はサインをした覚えはない。
 しかし、そういうこととは別の意味で、私は彼の「仕事」に口を出すことを控えていた。
 夫が万一「有名人」になっていったとしても、私はそのこと自体には文句をつけるつもりはない。面倒臭いと思うだけだ。
 ただ、夫の仕事の内容そのものには、最近言い知れぬ怖さを感じることがある。
 夫は「20字で時代を切り取る」のではなく、「20字で時代を動かす」ことができると思い始めているのではないか……。
「どうしたの? 深刻な顔して」
 L子が私の顔を覗き込むようにして言った。
「え?」
「何か気に障った? ごめん。口が悪いのは今に始まったことじゃないから、気にしないで」
「ううん、全然。そんなんじゃないわ。ただ、最近、家庭内離婚っぽいからね、うちって」
 私は返事にならないようなことを口にしていた。
 L子の表情が少しだけ曇った。でも、すぐに笑顔に戻ってこう言った。
「うちも今、もめてるのよ。うちこそ離婚の危機かもしれない」
「またまた」
「あら、それほど冗談でもないのよ。ひょっとしたら、離婚はなくても、別居くらいはあるかもよ」
「でも、あと半年は多分大丈夫。別居するとしても、来年の夏休みの後だネ」
 ペーターが追いうちをかけるように言う。
 つまらない冗談だと思って聞き流そうとしていた私は、驚いて二人の顔を交互に見た。
「どういうこと?」
「どういうことって、そういうこと。理想と現実のギャップに翻弄され始めたってことかな」
「具体的に言ってくれなきゃ分からないわ」
「つまりね、ペーはもう都会には居たくないんですって」
 それからしばらくの間、私はペーターの都会脱出計画を拝聴した。
 大学のときの同級生が福島で有機栽培の農場を始めた。土地はたくさんあって、仲間を募っている。これからは食料不足の世の中になるから、今のうちにそうした生活に切り替えていくことが最大の自己防衛になる……。そんな説明だった。
「でも、そんなんで生計が立てられるの?」
 私は訊いた。
「無理」
 ペーターはあっさりと答えた。
「自分で食べる分は十分だけど、人に売って、それで生計を立てるのは無理みたいだよ。だから、お金は別のことで手に入れるヨ。ボクの友達も、地元で塾の先生をしている。ボクもそれ手伝うし、ドイツ語の翻訳とかのアルバイトもする。これは電話と電子メールと宅配便があれば、どこへ行ってもできるからネ」
「それでL子は?」
「ペーの言うことは分かりすぎるくらい分かるけれど、今はちょっとそこまではついていけないって気がするのよね。本音を言うと、私、普段、無農薬野菜がどうとか自然との共存が大切だとかって言ってるわりには、田舎は苦手なの」
 L子のほうも、実にさばさばしている。
「大体ね、ペーは日本の田舎をまったく知らないで、夢のようなことばかり考えているのよ。ただでさえムラ意識が強い東北の田舎に、目の青い2メートル近いガイジンさんが『ハイ、コンニチハ。ドウゾヨロシク』って入っていって、うまくやっていけると思う? しかもペーは理屈こねてばかりで、実践よりも理論の人でしょ。田舎暮らしにはおよそ向いていないよ」
「それは大丈夫。ゴウに入ればゴウに従うだけだよ。心配ないネ。それより、問題はゲンパツだよ」
 ペーターがゲルマン人特有の無表情のまま、壁にかかっている大きな日本地図を指差した。そこには赤いマジックインキで小さな×印がいくつも描き込まれている。その×印を中心にして、半径1センチくらいの円も描かれている。
「ほらね、ここなんだけど、福島原発と福島第二原発の、ちょうど中間くらいのところでしょ。すぐそば」
「すぐそばもすぐそば。15キロしか離れてないのよ」
 L子が地図の中の一点を指差す。  半径1センチの円と円が重なり合う分厚い凸レンズ型の図形の中に、赤いボールペンで小さく○印がついていた。どうやらそこが話の舞台らしい。
「15キロなんて、ほとんど原発の庭に住んでいるようなものよ」
「でも、どうせチェルノブイリ級の事故が起こったら、日本列島なんてすっぽり全部駄目だって言うじゃない」
「それはそうよ。あんなの起きたら、日本はどこにいても駄目よ。風が海に向かって猛烈に吹くとかしない限りね」
「だから、ゲンパツは目をつぶるとして、今ボクが心配しているのは、ウィンドタービンのほうネ」
「ウィンドタービン? 風力発電のこと?」
「そう。このへんは、もしかするとウィンドタービンに囲まれてしまうかもしれないのヨ。あれはダメだネ。低周波で身体が壊れるし、自然も破壊されて、生活ができなくなってしまうから……」
 ペーターはその後延々と、世界中で起きている大型風力発電施設による被害の話をし始めた。
 ときおりL子が細かいデータなどを訂正するために口を挟む。
 二人の勉強家ぶりには改めて感心させられたが、ペシミスティックな話を聞いていると、どんどん疲労感が溜まっていく。
 人間が恐竜並みの生存記録を打ち立てるなんて、到底ありえない。そう再認識しただけだった。
 少し話を抽象的な方向に戻したくて、あの恐竜の話を二人にぶつけてみた。
 ペーターは目を輝かせてその話に乗ってきた。
「恐竜はたまたま目立つ存在だったということヨ。大きいからね。動物園でも、キツネよりゾウやキリンのほうがウケるでしょ。だいいち、恐竜が滅んだとき、滅んだのは恐竜だけじゃなかったんだヨ。地球上の生物の7割くらいが一緒に絶滅したらしいネ」
「生物の7割?」
 私は驚いて問い返した。
「そうだよ。アンモナイトとかね。プランクトンやバクテリアも、たくさん絶滅したらしいヨ。恐竜は大きいから、目立つだけ」
 勉強家のペーターのことだから、多分信用できる話なのだろう。
「でも、地球上の生物の7割もが絶滅したとしたら、その原因は一体何だったの?」
 L子が言った。
「分からないネ」
「なーんだ。そこが肝心なところなのに」
「そう? 原因はそんなに大切?」
 ペーターが挑戦的に言い返す。
「大切じゃないの?」
「大切なのは、ある種の生物が滅びることじゃなくて、地球が生き続けるって認識ネ。
 例えば今、核兵器が何かの拍子に管理できなくなって暴走したら、地球上の動物の7割くらいは簡単に絶滅するヨ。もっとかな。でも、地面の下の土壌生物なんかは生き延びて、地球は平気な顔であと50億年くらいは昼と夜を繰り返すでしょ。10億年とか20億年くらい後には、絶滅した人間とか動物が石油になって、砂漠から吹き出しているかもしれない。それを使ってまた知能の発達した生物が、新しい石油文明を築いているかもしれないネ」
 ペーターは無表情のまま、饒舌にそんな話を続けた。
 こういう会話を、学生時代、キャンパス内のカフェテラスで誰彼となく交わしたような気がする。ひどく懐かしい気分になると同時に、言葉の上に積み重ねる推論の空しさをも思い出した。
 言葉に熱くなり、言葉の限界に疲れ果てる……そんな4年間が、哲学科の学生の平均的大学生生活だった。
 卒業後、就職するのが嫌で、私は大学院に進んだ。同期の中では女は私だけだった。そして一年後に辞めた。言葉をいじり回す作業に飽きたというよりは、単純に、その大学のキリスト教的保守主義に嫌気がさしたのだ。ニーチェやサルトルをやろうとするだけで、黒い僧服を着たヨーロッパ人の教授たちから白い目で見られた。
 例えば、NOT ABORTION BUT ADOPTION(中絶をやめて養子に)という標語を、彼らは決して不誠実に使っているわけではないだろう。しかし、胎児の生きる権利を声高に主張するよりも、私はペーターのコンドーム研究のほうを支持する。
「……ウィンドタービンのそばでは暮らせないヨ。でも、たとえゲンパツの隣でも、ボクは土とつながって暮らしていたほうがいいんじゃないかと思うのネ……」
 ペーターの話はまた元に戻っていた。
「ボクは思うんだ。もしかしたら、地球上の生き物は、より大きな生き物の一部なんじゃないかって。細胞と個体の関係のようにネ」
 そう言いながら、ペーターはごみ捨て場から拾ってきたというご自慢のオーディオセットの上から、風船式の地球儀を取って、手の上でもて遊び始めた。
 風船の地球儀は埃が積もっていて、ペーターが手の上で軽く弾ませると白っぽい綿の粒を部屋中に散らした。
「……ボクら人間を含めて地球上のあらゆる生物は、地球の細胞組織なの。それで、個々の生き物をつなぐ神経や血管の働きをしているのが、土や水なんじゃないかな。
 魚同士は水でつながっている。植物は土でつながっている。
 長良川の源流に棲むサンショウウオは、その川の水が海に流れ込んでいる限り、南氷洋のクジラとつながっているんだヨ。水を通してコミュニケートしているのよネ。
 植物もそう。土がつながっている限り、アリゾナ砂漠のサボテンと箱根のカラマツはつながっているんだヨ。だから、水族館の魚とか鉢植えの観葉植物は、可哀想ネ。仲間とのラインを断ち切られて、孤独ヨ。
 だからネ、人間の家も、地面とつながっていないと駄目なんだヨ。ここはあまりにも土から遠すぎるヨ。ショウコさんの家とも、土でつながらない。寂しいネ」
「土でつながっていなくても、通信回線と舗装道路でつながっているのよ」
 L子が言った。
「そっちのほうがずっと現実的なラインでしょ。こうやって、離れていても連絡を取り合って、すぐに会いにきたりできるんだから」
 ペーターは黙ってしまった。
 私はふと、L子がペーターと結婚してドイツへ渡ったときに言っていた言葉を思い出した。
「ペーターとあなたは、私がこの『猿の惑星』で出逢った、数少ないまともな人間なのよ。ペーターと私は赤い糸で、あなたと私は白い糸で一生つながっているんだからね」
「猿の惑星」という言葉を、今でもL子は時々口にする。自分とは、価値観はもちろん、認識力、審美眼、常識……何もかもがズレている人間の社会に生きていかなければならないということを言いたいらしい。最近では「猿の惑星に生きていると思えば腹も立たない」……というように使うことが多いようだ。
 私としては、L子とペーターには、「猿の惑星」というよりは、シリーズ第3弾の映画『新・猿の惑星』で、突如現代人間社会に迷い込んだ純情無垢な精神の持ち主であるチンパンジーの夫婦、ジイラとコーネリアスに近いイメージを抱いているのだが、誤解を招くと面倒なので、口にしたことはない。
 L子とペーターを結ぶ「赤い糸」は、本当に今にも切れそうになっているのだろうか。そして私と結ばれているという白い糸は?
 それにしても、「白い糸」というのは一体どこから出てきたのだろう。


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最終更新日 : 2015-10-30 19:46:42

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第一部 海のない地球儀 (2/2)

ο ο ο
 やはり宗太郎を弁当屋の店頭に立たせるのは忍びなかったので、私は4時前にシェーンレーベ家を出た。
 10月にしてはひどく冷え込んで、マンションの外に出ると息が白くなった。
 案の定、夜の天気予報では、この秋一番の冷え込みだと言っていた。
 その天気予報を聞きながら、私は宗太郎とふたりで鍋をつついていた。
「うちは3人家族だよね」
 何を思ったか、宗太郎が突然そんなことを言った。
「そうよ。なぜ?」
「パパがいれば、もう少しおいしいんだ、これ」
 そう言って、宗太郎は私がスーパーで買ってきた鍋物のセットを包んでいたラップフィルムを見せた。そこには金色の縁取りのシールが貼ってあって、こう書かれていた。


[家族の数だけ鍋はおいしい!]

 不思議な日本語だ。家族が多いほど鍋料理はおいしく食べられるという意味なのか、それとも、家族ごとに違った鍋のおいしさがあるという意味なのか。宗太郎は前者と受け取ったようだが……。

 夫は結局その夜も帰らなかった。私はぼんやりと、緑色のポルシェが首都高速を走る光景を思い描きながら、広いベッドの中央で眠りについた。

[ミクロの光があなたとあの人のハートを結びます~光ファイバーが伝えるノイズのないきれいな言葉/テレコムニッポンTCN・環境に優しい上にお得な「エコ割」始まりました]

━━━Ф Ф Ф━━━

 うちの庭でも、下水道改修工事が始まった。一部のコンクリートを剥がす作業が大変そうだ。
 騒音に混じって、時折、聞き慣れない外国語が飛び交う。顔を見ただけでは全員日本人のようだが、何人かは東南アジア系の人たちが混じっているらしい。
「おーい、エルボが来てねえぞ。100じゃなくて120だろが、バアタレ……」
「ハイヨー。××××、××××××。×××? ××!」
「×××、ゲンさん、××。×××エルボ×××」
「山本ォ! 斎藤は穴掘ってんだから、おまえが持ってこいよ」
「ハイヨー」
 この前、水道を使わせてくれと頼みにきた現場監督らしい人に、お茶を出すついでに訊いてみた。
「外国の方も交じっているみたいですね」
「そう。マレーシアとバングラデシュかな。おい山本、おまえマレーシアだったっけ?」
「そうヨ」
 背の高い痩せた男が答えた。日本語もかなり喋れるらしいが、なぜ「山本」なのだろう。そう訊ねると、ゲンさんと呼ばれている丸顔の現場監督が代わって答えた。
「長くて妙ちくりんな名前だから、こっちで適当に山本とか斎藤とか名前を付けてるんですよ。こいつらもそのほうが気兼ねがなくていいみたいですよ」
「気兼ねがないって言いますと?」
「こいつら日本語もそれほど不自由なく喋れるし、見ただけじゃ日本人とあんまり変わらないでしょ。日本人の名前で呼んでれば、気がつかれないわけっすよ。工事をする家によっては、いろんな人がいましてね。日本人じゃないと分かると、露骨に嫌な顔する奥さんとかもいるから、やつらとしても都合がいいわけっす」
 私はすでに顔見知りになっている背の高いマレーシア人に訊いた。
「本当はなんていうお名前なんですか?」
「ナマエ? ……ヤマモトでいいヨ」
 彼は微笑みながら答えた。私はそれ以上無理に聞き出そうとはしなかった。その代わり、そこで会話が途切れてしまうのが何か寂しくて、こんなことを訊いてみた。
「あのL型に曲がったパイプ、エルボっていうんですね。肘に似ているからかしら」
 ヤマモトさんは、急に表情を明るくして答えた。
「そうでしょ。ボクもそう思ってたの。ね、ゲンさん、エルボってELBOWってことよネ?」
「何?」
 突然質問をされたゲンさんは、不機嫌そうな声を出した。
「エルボはエルボだよ。L型の棒ってこったろ。知らねえけど」
「違うでしょ。L型の棒じゃなくて、やっぱりELBOWでしょ」
「山本」さんはさらに食い下がっていたが、現場監督は相手にしなかった。
「何言ってんだよ。理屈なんかねえよ。名前なんだから」
 彼はヤマモトさんの質問の内容を理解していなかった。それはそれで、すがすがしいまでにストレートな言葉への態度だった。
 私は彼のその正直さに勇気づけられて、言わずにおこうと思っていた質問をつい口にした。
「下水に流した汚物って、末端の処理場にこのまま何十キロも流れていくわけでしょう? 終末処理場できちんと浄化しきれるのかしら。浄化しきれないで、汚いまま海に流れ込むんじゃないのかって、いつも思うんだけど」
「そらそうっすよ。100万人分のウンコや合成洗剤入りの台所排水をまとめて浄化するっつうてもねえ。やっぱどっかで無理があるよね」
 彼は再び正直に答えた。
「結局、下水道って、エネルギーを無駄遣いして、海を汚すシステムなんじゃないのかしら。もともと川や土が浄化していたものを、わざわざそうした生態系の力から隔離して何十キロも運んで、別のエネルギーを使って浄化しようとして、でも無理だから、最後はごまかして海に流しちゃうんでしょ?」
「まあねえ……。しかし、役所も馬鹿じゃないっすよ。ちゃんとそのへんのことは考えてますよ。50年、100年先のことまで」
 もとより彼と下水道論議をするつもりはなかったので、私はそれ以上は何も言わなかった。
 川だって、すでに100万人分の汚水を分解するだけの能力はない。しかし、100年後もこの下水道システムが順調に機能しているとも思えない。
 経済成長神話の中で生まれた「公共事業」という名の相互扶助システムが、この現場監督やマレーシアの「ヤマモト」さんの生活を支えている。
 「公共」とか「生活」という言葉を相手に喧嘩をしても、勝ち目はない。ペーターも、もし例の福島の実験農場とやらに行って生活を始めれば、本当の敵は原発や風車そのものではなく、それを作りだしたシステムのことだと悟るに違いない。
「奥さん、ごちそうさまでした」
 ゲンさんは少しバツの悪そうな顔になって、話題を切り上げた。
「ハイヨ、お茶は終了。山本、そこの土ならして、あと、ヤクモノ集めとけよ、あっちこっち散らばってるだろ」
「ハイヨー」
 男たちは再び作業に戻っていった。
 私はゲンさんが言っていた「ヤクモノ」という言葉に、また好奇心を覚えていた。漢字で書くと「役物」だろうか、「焼くもの」だろうか?

ο ο ο
 午後、甥の悟がふらりとやってきた。
 彼のアパートはうちから歩いて10分ほどなのに、自分が書いている『ポチの友』は、必ず郵送してくる。目の前で読まれるのが照れ臭いのだろう。
 その日、悟は私が名前も聞いたこともない文芸雑誌のようなものを持ってきた。もっとも、私が知らないだけで、『ポチの友』とは違い、ちゃんと本屋で売っている雑誌らしい。
 そこには、夫の仕事の内容を攻撃する文章が載っていた。
 仕事の内容が市販の雑誌メディアを通じて批判されるほど夫がメジャーな人間になったのかと感心したが、さらに驚かされたのは、その文章を書いているのが私の哲学科の同級生・白庄司しろしょうじたかし君だったということだ。彼が文芸評論家のようなことをしているという噂は耳にしていたが、私は彼の「評論家」としての文章を読んだことはなかった。

宦官かんがんの契約~意志なき天才言葉職人・倉掛修治朗の大罪

『リル』の「今月のトレンディ・パーソン」(毎月「トレンド」が変わっていくのだから、お付き合いさせられる読者のほうも大変である)によれば、「20字で時代を切り取る男」倉掛修治朗である。
 コピーライターなる職業の人間が「時代を切り取る」のか、はたまた表現者としての意志というファロスを「切り取られ」たままでの宦官的安住をニヒリスティックに選択した虚業家御用達言葉職人にすぎないのかという論議はさておき、「時代を切り取る」という言葉の裏には、(ここでいう)「時代」はすでに何者かの意思のもとに用意されたトポスであるという暗黙の了解が厳然と存在するという欺瞞をこそ無視するわけにはいかない、という指摘だけはまずしておこう。〕

 そこまで読んで、相変わらずだなと苦笑した。大学時代、こんなふうに、なかなか読点が現れず、何度も前の行に戻って読み返さないと意味が取れないような文がぎっしり詰まったラブレターを、私は彼から3回受け取った。確かそのときも「ファロス」という聞き慣れない言葉が出てきて、L子に意味を訊ねたものだ。
「ファロス? オチンチンのことじゃないの?」
 L子は屈託なくそう答えてくれた。
 ファロス……「男根」とか「ペニス」よりはずっと語感が柔らかい。例えば「強姦」は、「理性に反したファロス的激情の暴走」などと表現できないことはない。重宝な言葉だ。

 白庄司君の文章はこんなふうに続く。

〔……その好例が、電気自動車振興連盟をクライアントとする「太陽の恵み」キャンペーンである。いまさらいうまでもなく、電気自動車というのは原発にとってはきわめて都合のよい「夜間電力多消費型電気製品」であり、私の知人である電力会社社員T君を して、「電気自動車は原発自動車と言い換えてもよい」と、私に 「非公式に公言」することによって、3割の良心と7割の諦観で構成された嗟嘆の情を吐露させる性格の究極的世紀末商品ではある。
 同連盟が提示している「電気自動車はガソリン自動車に比べて1.73倍もエネルギー効率が高く、二酸化炭素の排出量は半分以下である」という「試算」が極めて悪意に満ちた詐欺行為かどうかという問題はいまだ即断のかぎりではないものの、このキャンペーンの意図は、一般消費者に「電力=クリーン」というイメージを植えつけることにより、「電気自動車産業」という新たな経済トポスを、より円滑に現出してみせることにあることは疑いのないところであろう。(中略)
 ウォンバット、狸、ナキウサギ、レッサーパンダ、モモンガ……倉掛がこのキャンペーンに起用した動物キャラクターは、どれもごく最大公約数的に日本人の縫いぐるみ志向的自然欠乏症にどこか心地良げに働きかけ、問題の本質を焦点化させることなく、執拗な換喩性による快楽の代替物としての機能を果たすことになる。むろんこうした常套手段じたいはたんなる職業人としての方法論にすぎないものの、問題はわれわれの生をとりまく物理的事象のすべてをまでこうした感情操作上のテクニックで宙吊りにし、あたかもテレビジョンの画面の中での刹那的残像にすぎぬかのように料理できると信じている倉掛の底知れぬ楽観主義、および、いうまでもなく、彼のそうした特異な気質を本能的に見抜き、今では「トレンド・クリエイター」としての彼に「文化人村役場」の新しい議席を用意せんと手を伸ばし始めたこの国の陰の支配者たちの暗く果てのない野望にこそある。〕

「今日発売されたばかりだから、おじさんはまだ読んでいないだろうなあ。さて、妻としてはどうする? 黙殺かな? やっぱり」
 私が一応読み終わったことを確認すると、悟はニヤニヤしながらそう言った。
 悟は、この筆者がかつて私にフラれた同級生だということまでは知らないだろう。教えようかどうかと迷ったが、やめておいた。これ以上悟を喜ばせる材料をただで提供するのは悔しい。
「どうでもいいけど、あなた、こういうマニアックな本を発売日と同時に買ってしまうわけ?」
 私は悟の質問をはぐらかした。
「マニアックでない本は、図書館から借りればいいから、自分で金を出して買うのは、おのずとマニアックなものになるよね。
 でも、本は考えようによっては安いよ。ゲームなんか、勇気を出してダウンロードしても、ゴミだと判明するまでにたった5秒ってことがよくあるもん。本はゴミだと判明するまで立ち読みしても金は取られないしね」
 悟はそう言うと、私の手から雑誌を受け取り、ショルダーバッグに戻そうとした。私は思い立って、そのページをコピーすることにした。
 夫の書斎に、コピー機が置いてある。コピー機のスイッチを入れてスタンバイできるまでの数十秒間、何気なく夫の机の上を見ると、動物の写真が何枚も重ねて置いてあった。
 手に取って、一枚一枚眺めた。白庄司君の文章に出てきた動物はすべて入っている。他にもハリモグラ、ツパイ、オランウータン、ゴマフアザラシ、ミーアキャット、変わったところでは砂漠に棲むビスカーチャというネズミの一種もいる。
 私は数か月前、夫と宗太郎が交わしている会話の中に、この動物の名前が出てきたのを思い出した。
「これ、好きか?」
「うん」
「レッサーパンダとどっちが好きだ?」
「そりゃあレッサーパンダだよ。ビスカーチャは抱けそうもないじゃん」
「そうか。抱けそうなやつがいいんだ」
 ある調査によると、一連の動物キャラクターを使った電気自動車キャンペーン広告は、視聴者の好感度CMの上位にランクされているらしい。あの宗太郎との会話は、次の広告のキャラクターを決めるためのリサーチだったのだろう。
 宗太郎の寝室の壁には、ウォンバットの写真が貼ってある。今テレビで放送されている電気自動車キャンペーンの仕事で、夫が手に入れてきたものだ。

(多分)オーストラリアの草原。のんびりと昼寝をしているウォンバットが画面いっぱいに映し出される。カメラが少しずつ引いていくと、ウォンバットの背後を、一台の流線形をしたソーラーカーが疾走していく。ウォンバットはまったく気がつかないかのように眠り続けている。
 大陸的な響きの民族楽器の音楽に、澄んだ男の声がかぶる。
[きれいなままの空気が、静かに揺れただけ。ほんのり甘い風を鼻先に感じたまま、彼は眠り続けていました。電気自動車は、地球と友達になりたいのです]

 夫の作品としては随分クサくて白々しい。今の彼は、本当はもっと巧妙な嘘をつけるだけの力がある。
「これ以上頑張るとクライアントが理解できないのさ」というのが彼の最近の口癖だ。この仕事もそんな中のひとつだったのだろう。
 クライアントである「電気自動車振興連盟」のセンスがその程度なのか、それとも一般視聴者がそれ以上の巧妙な嘘をまだ必要としていないことをクライアントが知っていて彼にそう要求するのか、そのへんは私には分からない。また、何者かが夫にもっと巧妙な嘘をつかせる時代がこれから来るのかどうかも分からない。
 ただはっきりしているのは、白庄司君がもし本気で夫に挑戦するつもりならば、もっと「武器」を磨かなければならないだろうということだ。

 そのページをコピーして、私は悟に雑誌を返した。
「おじさんに見せるの?」
 悟がニヤニヤしながら訊いてきた。
「さあ、どうしようかな」
「おばさんはどう思う? これ」
「どうって、内容のこと?」
「もちろん。文体の好き嫌いを訊いても仕方ないでしょ、これじゃあさあ」
 私はどう答えようか、少し迷った。判断がつかないということではなく、悟にどう答えるべきかを迷っていた。
 そこに宗太郎が帰ってきた。悟が「ヨッ!」と声をかける。宗太郎も同じように「ヨッ!」と返事をして、そのまま台所のほうへ走っていった。
 その後ろ姿を目で追いながら、私は悟の質問に逃げずに答えた。
「その通りだと思うわ、内容的には」
「やっぱり……」
 何が「やっぱり」なのか知らないが、悟は曖昧な微笑のまま、満足そうに私を見ていた。少しカンにさわって、私は悟にも同じ質問を返した。
「あなたはどう思うの?」
 悟は緩んだ表情のまま答えた。
「そうだなあ……言ってることはほぼ正しいんじゃない? ま、俺はおばさんのように複雑な立場じゃないけどね。扶養家族がいるわけじゃないし、会社勤めもしていないから、『ファロス』もちょん切られてない、オキラクゴクラクな立場からの発言だけどさ」
 だったら今のうちだけでも、もっとストレートに言葉を使いなさい……と、言いかけてやめた。
「何? 何?」
 宗太郎が冷蔵庫から取り出した牛乳のパックを手に持ってやってきた。
「ねえ、何話してんの? 何が複雑なの?」
「ちゃんとコップに入れて飲んでよ。そのまま口つけないで」
 一秒の猶予もなく、私は「母親」の顔に戻っていた。
ο ο ο
 数日後、新しい「ポチの友」が郵送されてきた。表紙には大きく「特集・現代俳句への挑戦」とある。

〈狙撃せよかけがえのない蛆の森〉
〈春めいて夏来にけらし秋の里〉
〈熱き目に釘打つ我は凍死せり〉

 そんな俳句が20あまり並んだ後、「註」が添えられていた。

[作者(挑戦者)・自動俳句制作ソフト『水芭蕉くん』・version 1.02。『水芭蕉君』はフリーソフトですので、自由にコピー、配布してくださってかまいません。ただし、できあがった作品の著作権は、ソフト使用者ではなく、『水芭蕉君』に帰属します。]

ο ο ο
 映画『新・猿の惑星』の中で、人々は言葉を話すチンパンジーを見て衝撃を受ける。
 キリスト教文化圏の人々の多くは、人間と動物とを厳然と隔てている証として、「言葉」の有無を考えているようだ。
 現代では、人間の言葉を理解するチンパンジーやイルカがいるという報告はあちこちからされている。しかし、彼らの「言葉」を理解する人間が現れたという報告は聞かない。

━━━Ф Ф Ф━━━

 夫が帰宅しない夜はさらに増え、帰ってこないほうが普通になった。
 事務所に寝泊まりできるから、仕事が遅くなるとどうしてもタクシーを使ってまで帰ってくるのが馬鹿らしくなる、と、彼は説明するが、私には「寝泊まりできる事務所」というものがうまくイメージできない。
 衣類や身の回りの小物も、知らないうちに随分持ち出しているようだ。おかげで夫の衣類を洗濯する回数が減った。
 夫は今や、完全に二重生活を送っているようだった。
「愛人でもできたの?」
 極力平静を装って(いや、実際、私は動揺など少しもしていなかったのだが)そう訊いてみたこともある。
「そんな三流のテレビドラマみたいな図式とは関係ないね。ただ、生活圏が次第に広がっていることは確かだな」
 と、夫は答えた。
 ついでなので、ペーターから聞いた「グリーンのポルシェ」の件も訊いてみた。
 答えは、「事務所の車だよ。税金対策さ」だった。
 私は夫の「事務所」を見たことがない。電話番号くらいは知っているが、どんなビルに入っていて、どれくらいのスペースがあるのかなどは知らない。
 もっとも、世の中の「妻」のほとんどは、夫の職場を見たことがないのではなかろうか。
 前から、事務所は他の人たちとの共同使用との説明だったが、だとすると、事務所で車を持つというのはどういうことなのだろう。法人化したということだろうか。かなり食い下がって質問してみたが、答えは要領を得なかった。
「君と価値観が違うことは分かっている。だから仕事のことは極力家には持ち込まないことにしているんだ。家計のことや宗太郎のことでの相談ならいつでも乗るけれど、仕事そのものの話をしたくはないね。それがルールだろう?」
 夫はそう言って逃げた。
 そんな「ルール」を結んだ覚えはさらさらなかったが、私はそれ以上は何も言わなかった。

ο ο ο
 よく晴れた12月最初の日曜日、珍しく夫は朝から家にいた。
 昼近くになってようやく起きてきた夫に、宗太郎はキャッチボールの相手をせがんだ。
「キャッチボール? どこでやるんだ?」
「家の前でもいいし、公園でもいいよ」
「スポーツってのは、それなりのきちんとした施設でやりたいもんだよなあ。道路でキャッチボールなんてのは貧乏臭い」
「キャッチボールって貧乏なの?」
「いや、そうじゃなくて、道路でやるのが貧乏臭いの。子供と一緒に行ける会員制の高級キャッチボール倶楽部とかってないのかな。そういうのこそ、本当の贅沢だろうな」
「よく分かんないよ。何それ?」
 私は二人のそんなやりとりを呆れて聞いていたが、敢えて口を挟むことはしなかった。
 やがて夫は「貧乏臭くない、我々がするキャッチボールにふさわしい高貴なスペースを捜しに行く」と言って、宗太郎を連れて車で出かけていった。ただ軽くドライブするだけで戻ってくるような気がしたが、それでも父子のスキンシップが図れればそれでいい。
 私は黙って見送った。
 朝の冷え込みが嘘のような、穏やかな日和だった。
 私は誰もいない部屋で、マラソンの中継を見ていた。
 カメラも積んでいない、存在意義がよく分からない一人乗りのソーラーカーが、トップ集団のそばを常に走っていた。
 電話が鳴る。
 男の声で、経産省の誰それと名乗ったが、夫の不在を告げると、それでは結構ですと言って電話はすぐに切れた。
 仕事の電話ではなさそうだったが、夫が経産省の人間とまで交遊があるのを知って、少し驚いた。
 レースが終わるまで、ある重工業メーカーの企業イメージCMが合計4回流された。
 かつては反体制のイメージで売ったロックシンガーが、独特のシャウト唱法で歌う。
 
[愛が見えてるかい?/パパは素振りは見せないけど/おまえをいつでも見つめてるぜ/夢は見えてるかい?/パパはいつも見ているぜ/言葉に出して言わなくたって/パパはいつも見ているぜ/おまえと同じ夢を/一緒に見たいから]

 そんな歌を背景に、ノート型パソコンを抱えた30代くらいの男が、空港のロビーの窓から、何やら意味ありげに遠くの夕焼け空を見つめている映像が流れる。
 それにしても、何でも言葉にするのが得意な父親は、息子をどこまで連れていったのだろう。二人はまだ帰ってこない。
 私はテレビのチャンネルを衛星放送に換えた。
 頭が薄くなりかけた白人の学者風の男性が、クジラの写真パネルの前で何やら講義をしている。
 ザトウクジラのオスは、長く複雑なパターンを繰り返す「歌」を歌う。その歌の音域は非常に広く、何オクターブもの音域を一瞬のうちに移動するような高度な歌い方もできる。彼らが歌う歌にはその年の「流行」のようなものがあり、時とともにフレーズが少しずつ変化していき、やがて元の歌とはまったく違う歌が歌われるようになる。この歌には一定の作曲規則があって、そのルールの中で彼らは即興演奏をしているらしい。つまり、ザトウクジラは口伝方式で世代を越えて伝える「伝統文化」を持っている……。
 ……そんな話だった。
 私は、文字を持たないアイヌ民族の「歌う文学」ユーカラのことを思い、次にペーターが言っていた、生き物が土や水を通してコミュニケーションしているかもしれないという話を思い出した。
 ザトウクジラの歌は、彼らが行っているコミュニケーションのうち、人間がたまたま耳で聞くことができるほんの一部分にすぎないのかもしれない。彼らは海の水を通して、人間には感知できない形で意思の疎通をし合っているのかもしれない。超音波でも光ファイバーでもない、何か不思議なラインを通して、長良川の上流に棲むオオサンショウウオと会話しているのかもしれない。
 ただ、彼らの見えないコミュニケーションを可能にしているものは水で、水のつながりが途絶えるとそのラインも切れてしまう。
 だとしたら、ペーターが言う通り、人工物の壁で仕切られたプールに入れられたイルカやシャチの孤独はどれだけ深く、絶望的なものだろうか。
 白人の学者の話は、次第に環境問題へと移っていた。
 クジラはあと何世代かで確実に滅びるだろう。捕鯨によってではなく、海洋汚染によって。食物連鎖の頂点にいて、身体が大きな動物ほど体内への毒物の蓄積が顕著で、しかも世代交替による汚染濃縮も激しい。汚染された母クジラから生まれる子クジラは、生まれたときから母親以上に汚染された身体を持っている。
 人間は海と空に過剰な期待をしすぎている。海も大気圏も、実は人が一般にイメージしているよりもずっと華奢なものだ。
 地球をリンゴに喩えれば、大気圏はリンゴの皮よりもずっと薄い。そんな薄っぺらな大気と海が、地球を過酷な太陽光線から守っている。海や空に無限の大きさと許容力をイメージするのは間違っている……。

ο ο ο
 二人は暗くなってから帰ってきた。宗太郎はかなり満足していたようだった。
 私たちは久しぶりに三人で夕食を食べた。

[一人で食べたみかんの皮を捨てる]
[川の字に寝る家族を羨む夜]
[愛が見えてるかい? いいえ]

 ……冴えない。
 私は3句目を、黙って線で消した。
 
[愛が見えてるかい? いいえ]

━━━Ф Ф Ф━━━
「ごめんなさい。ママには内緒だって言われたんだけど、やっぱり言うね。
 この前パパとね、緑色のかっこいい車に乗ったよ。会社の車って言ってたけど、ほとんどパパの車なんじゃないかな。テレビがついてるの。なんでこれで通勤しないのってきいたら、家には3台も車を置く場所がないからなんだって。
 その車でさ、海のほうに走っていって、広い公園でちょっとだけキャッチボールしたんだけど、すぐに風が冷たいからってやめちゃってさ。
 でも、あの色、カッコイイよ。緑っていっても、すごく濃い緑でさ、キマッテルんだよな。
 そのうちぼくと一緒にゴルフとかテニスをしたいってパパは言ってたけど、ゴルフって面白くなさそう。テニスは面白いかもね。でも、テニスクラブの会員になるのって、お金かかるんでしょ? どうせなら、一流のクラブに入ろうな、って言ってたけど、中学生とか高校生でも入れるのかな。
 ママとやればいいのにって言ったら、ママはそういうのが好きじゃないから、無理に一緒にやろうとは思わないんだってさ。でも、ママも昔はテニスやったんでしょ? 一緒にやればいいのに。僕は見ているからさ。
 うちは3人家族でしょ?
 ママとパパはそのうち離婚するの? え? しない? 本当? 絶対?」

ο ο ο
 離婚という二文字を、もちろん何度も考えたことがある。
 踏み切れなかったのは、夫がいつかまた戻ってくるという期待からではない。心が離れたままの状態が続くことを、私はもう、なんとも思わなくなっていた。
 そして何よりも、私と宗太郎の生活が、今日も明日も、夫のつむぎ出す言葉によって支えられているという現実に逆らう勇気がなかった。
「仕事」という言葉が持つ巨大な呪縛の力を、結局は私もまた、乗り越えられないでいる。
ο ο ο
 クリスマスを挟んで六日間、夫は仕事でグアムに行くと言う。
 別に訊ねもしないのに、その「仕事」の内容を説明してくれた。今や夫が仕事の話を私にするなどということはほとんどない。妙なところで「嘘がつけない」性格なのだと、心の中で苦笑してしまった。
 その「嘘」の中身に、私は興味を失っていた。
 夫がグアムでどんなクリスマス休暇を楽しもうと、私にはどうでもよかった。心が動かない。見えない者に対する嫌悪も嫉妬もない。知らないうちに乾いている自分の心に驚いた。
 見えない相手がただの若い女なら、恐怖の対象にはならない。
 私が本当に恐れているのは、夫が住んでいる世界、その世界に漂っている、暗く、深い、形のない力だ。
 夫だけではなく、宗太郎や私の命の中にまで巣食って、世界の真相を見えなくさせようとする力だ。
 そんな力が支配する「世界」に、いつか宗太郎も踏み込んでいくとき、私はどういう行動を取れるだろうか?
 旅立つ宗太郎にどんな言葉を手向けてやれるだろうか?
 分からない。
 今はまだ何も見えない。
 私はただ、癌細胞を抱えたまま、それでも明るく振る舞う映画のヒロインのように生きていこうとしていた。

━━━Ф Ф Ф━━━
 クリスマスイブ、私は宗太郎を連れて近くのデパートに行き、前から欲しいと言われていた地球儀を買ってあげた。コンピューターゲームやロボットのおもちゃよりも、地球儀が欲しいというのは変わっている。しかし、理由を訊いてもちゃんと答えない。
「だって、カッコイイじゃん」
 地球儀が? ……どうにもよく分からない。
 でも、思えば私も、小学生のとき、誕生日のプレゼントに天体望遠鏡をねだる変な女の子だった。宗太郎もしっかりその血を継いでいるのかもしれないと思うと、なんだか嬉しかった。
 私はふと、押し入れの中で埃をかぶっている天体望遠鏡のことを思い出した。ベランダから星が見えなくてもいいから、あれをまた出そう。車のトランクに積んで、宗太郎と一緒に星を見にいこう。
 張りぼての星より、本物の星を見たほうがいいに決まっている。
 宗太郎は売り場にある中で二番目に大きな、立派な地球儀を指差し、「高すぎる?」と言った。確かに立派な値段だったが、私は「大切にしなさいよ」と言って、それを買ってあげた。
 家に帰って、私は押し入れの中から天体望遠鏡を引っぱり出してみた。宗太郎は望遠鏡にはあまり興味を示さず、買ってもらったばかりの地球儀を、飽きもせずにいつまでも眺め続けていた。
 地球儀は直径が40センチくらいある立派なもので、山脈の凸凹もつけられている。全体は茶色で、地名はすべて英語で書かれている。
 宗太郎にねだられるまま買ったのだが、こうして改めて見てみると、インテリアとしてはいいかもしれないが、小学生の「教材」としては役に立ちそうもない。
 そこにL子から電話がかかってきた。夫のグアム行きを話すと、それならうちに来て、一緒にパーティーをしないかと誘われた。
 行くことにした。
 宗太郎はL子とペーターに見せるのだと言って、大きな地球儀を車の中に持ち込んだ。
 安物の風船式地球儀しか持っていないペーターは、きっと羨ましがるだろう。
 首都高からビル街を見やりながら、私は助手席の宗太郎に訊いた。
「パパの緑色のポルシェって、どこに置いてあるの?」
「ポルシェ? あの車、そういうの? ママ、なんで知ってるの? 見たの?」
「ううん。見てないわ。どこにあるの?」
「マンションの駐車場だよ。すっげえ車ばっか並んでんの」
「どこのマンション?」
「どこって、東京のどっか。分かんないよ、車で行ったんだもん」
「他に、パパの事務所の人とか、誰かいた?」
「駐車場しか見てないから、分かんない」
 宗太郎はそう言いながら、カーラジオをいじり始めた。FMはどこもクリスマス・ナンバーばかりだ。同じ曲が、別々の放送局で3秒くらいずれて流れていたりする。
〔ワンワンワン、ワンワンワン、ワンワンワン、ワ、ワン……〕
 犬の鳴き声で演奏する『ジングル・ベル』。これがいちばん心がこもっていない。
「キャッチボールはどこでやったの?」
「よく分かんないけど、このへんのどっかじゃないかな」
 車は湾岸道路に入るところだった。
 事故だろうか、車はいつもよりもずっと手前から渋滞し始め、ついにほとんど動かなくなってしまった。
 石灰石と砂利と鉄骨の集合体が連なる灰色の建造物の上に、動力伝達装置を空回りさせられた鉄の箱が無数に並び、石油を無為に燃やし続けている。このつながりもまた、ペーターが言っていた水や土のように、人間同士を何かの形で結びつけているニューロンのひとつなのだろうか。
〔ワンちゃんの歌う「ジングル・ベル」。いかがでしたか? 東京地方、一段と冷え込んできましたね。夕方には雨がパラつくかもしれないという話でしたが、この分では雪になるかもしれませんね。そうなれば、ホワイト・クリスマスになるわけですが……〕
 そううまくいってたまるものか。お天気くらいは毅然としていてほしいものだ。
〔それでは次のナンバーです。ディスコ・ビートに乗せた『サイレント・ナイト』。これは変わってますね……〕
 前の商用車の運転手が、窮屈そうに背伸びをした。彼もこの番組を聴いているのだろうか。しかし、数珠つなぎになった車に閉じ込められた人々を結ぶラインとしては、このFM電波はいかにも頼りない。
《……じゃないの? 無理だよ、これじゃあ……》
 ふいに大きなノイズが入って、FM放送が中断された。
 違法電波によるトラックの無線通信だろう。周囲を見渡すと、それらしい大型トラックがざっと5、6台は目に入った。
 斜め前のハイヤーの客は、携帯電話の受話器に向かって、さかんに何か話し続けている。どうやらこの渋滞に巻き込まれた人間たちを結ぼうとあがいている見えないラインは、無数にあるようだ。
 そのラインは、結局最後には何につながっているのだろう。
 宗太郎がラジオのチャンネルを変える。
〔……ベイエリアのホテルは一年前から予約で埋まっていて、予約の権利を友人に高く売りつける人も……(ピッ)……サッイッレント・ナイッ、ホーオーリイッ・ナイッ、ムキュキュッ、イェイ!ムキュムキュ、ムキュンキュ、キュルルッ、ガッガッガッガッ(ピッ)……は、地球とともに、今日も歩み続けています。環境にやさしいテクノロジーを求めて。セイブ・ジ・アース。かけがえのないこの緑の星を守ることが私たちの願いで……(ピッ)……にかけて断続的に7キロ。六号駒形……〕
 ラインはどこにつながっているのか?
 もしかして、どこにもつながっていない……?
 これだけ悪あがきしながら、私たちはどこにもつながっていないのか?
 ほんの少しだけ車の列が動く。アクセルを踏むのもおっくうなほどの小さな空間が、前の車との間に生じる。
「ママ、地球って茶色いの?」
 宗太郎がふいに言った。
 宗太郎は後ろを向いている。後ろの座席には、茶色い地球が大きな顔をして座っていた。
「青いのよ」
「でも、これは茶色いよ。土の色かな。でも、海は茶色じゃないよね。全部茶色いってことは、海がない地球になっちゃうよね」
「海も陸も、宇宙から見れば青いのよ。空が青いのと同じで」
 それはもしかしたら、南氷洋のクジラやアリゾナのサボテンが持っている「ライン」が集積した色かもしれない。
 そう、彼らをつなぐラインは仄かに青いのだ。それは無数に絡み合い、宇宙から見て初めて「青い」と分かる。その絡み合った青い糸が最終的につながっているものも、私には一瞬、おぼろげに見えた気がした。
「でも、この地球は青くないよ。嘘なの?」
 宗太郎はなおも食い下がるように訊いてきた。
「そうね」
「これを作った人は、なぜ嘘の地球を作ったのかな?」
 私は答えに窮した。
 インテリアとしてのデザイン的配慮なのだろうか。
 そういえば、大気圏がリンゴの皮より薄いのならば、山脈がこんなにはっきりと凹凸になっているのも「嘘」だということになる。それともこれは、海の水をすべて蒸発させた「固形成分だけの地球の模型」なのだろうか。
「ねえ、どうして嘘の地球を作るの? これ、3万8千円もしたのにさ。ねえ、どうしてなの?」
「分からないわ、ママには」
 また少し車の列が動く。アクセルを少しだけ踏む。
「やっぱり他の地球儀を買えばよかったのかな」
 どうだろう。日本が赤く、グリーンランドが緑色に塗られている地球だって「嘘の地球」に変わりはない。地球儀とはそもそもそういうものなのだ。旧ソ連がいくつかに色分けされた新しい地球儀が登場すれば、違う意味でたちまち「嘘」になってしまう運命を持っている模型の球体……。
「パパなら分かるかな」
「どうかしら」
 彼ならどうにでも説明してくれるかもしれない。そして「海のない地球儀」をいかにおしゃれでトレンディに見せられるか、考えるのかもしれない。
 ようやく車の列が動き始めた。
「パパなら分かるかもしれないね」
 海のない地球儀を振り返りながら、宗太郎が言った。
 15センチ隣にいる宗太郎が、ひどく遠くに感じられた。
 こんなにそばにいるのに、かつては私と一体だったのに、宗太郎と私を結ぶラインが見えない。
 ラインは何だろう。
 水や土で結ばれていない私と宗太郎を結ぶラインは何だろう。そのラインはやはり仄かな青い光を放っているのだろうか。
 隣の車線を走る黒塗りのハイヤーが、ゆっくりと私たちとの距離を広げていく。後部座席の男性は、まだ携帯電話を握り締め、しきりに何か叫んでいるようだ。
「パパならきっと分かるよ」
「いいえ、パパにはきっと分からないわ」
 私は確信をもって言った。
「ママが教えてあげる。今すぐには無理だけど、宗太郎が大人になるまでに、ゆっくり時間をかけてね」
 ラインは必ずある。
 水や土で結ばれていなくても、私たちには私たちのラインが必ずある。私にはそれが見える。

 恐竜がなぜ絶滅したのかということを詮索する人はたくさんいる。でも、彼らが一億五千万年もの間生き続けた奇跡を強調する人は少ない。

 宗太郎には、必ず本物の言葉で、ラインをつないでみせる。
 そう、夫とは違う意味で、私は「言葉」というラインをまだ捨ててはいない。

[地球儀をねだる子供を産んだ幸]

 リンゴの皮より薄い大気の中を、宗太郎と私と海のない地球儀を乗せた薄い鉄の箱が、今ゆっくりと動き始めていた。

2
最終更新日 : 2015-10-30 19:12:11

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第二部 目の不自由なヘビ (1/4)

■第二部■ 目の不自由なヘビ





 雨が降らず、異常高温が続いた夏がようやく通り過ぎていこうとしている。
 近づいてきていた台風は房総半島の手前で大きく東に逸れていったようだが、それと関係があるのかどうか、東京では昨日から久々に雨らしい雨が降っていた。
 エアコンの存在を忘れて過ごせる日は久しぶりだった。
 息子の宗太郎は今日は朝から家にいる。先週の土曜日が運動会だったので、その代休だそうだ。
 小学校が完全週休2日制になったのはいつからだっただろうか。
 その前は、第二土曜日だけが休校だったり、4週6休だったり、いろいろあったように思う。
 小学校で、最初に休みになった土曜日には、テレビニュースに魚のつかみ取りをする小学生の映像などが横並びで映し出されていたが、そんなことを覚えている人はもういないだろう。
 離婚届を提出し、私が旧姓の「里見」に戻ってから、1年以上経った。最初は「学校で呼び方が変わるのは面倒だよ」と嫌がっていた宗太郎も、ようやく「里見君」と呼ばれることに違和感を感じなくなってきたようだ。
 前夫・倉掛修治朗は、私が予想していたよりもすんなりと離婚届に捺印した。
「慰謝料は払いたくないな。ただし、もしも宗太郎が君と一緒に暮らすことを選ぶのなら、養育費は十分に保証したい」
 離婚の話を切りだしたとき、前夫はいきなりそんなことを言った。
 私との暮らしに何の未練もないらしいことはいささかショックだった。
 それまで、どちらからも離婚のことなど口にしたことはなかったのに、まるで待っていたように話に応じた夫。
 私はそれ以上、突っ込んで話をする気にはなれなかった。
 夫に女がいるらしいことは分かっていたし、仕事のことも秘密が多かった。それでも、たまに家に戻ってきたときは、ごく普通の夫であり、父親だった。世間にはもっと夫婦の会話や父子の交流がない家庭はいくらでも存在しただろう。
「いいのね?」
「君が望むなら仕方ないだろう」
 私が離婚を切り出して一時間もしないうちに、結論は出てしまった。
「なぜだ?」という問いを、彼は結局一度も口にしなかった。私と結婚したことや、子供を作ったことを、それほど否定的に捉えていたのだろうか? 私のほうが逆に「なぜ?」と問い返したかったが、彼の思うつぼにはまる気がして、できなかった。
 私はなぜ離婚したのだろう?
 今でも不思議に思う。
 意外だったのは、宗太郎までもが、まるでその日が来るのをずっと前から予期していたかのように、素直に運命を受け入れたことだった。
「僕はやっぱりママと一緒に暮らすんでしょう?」
 そう言って私を見上げた目に、涙はなかった。
 買ってまだ間もない家は売りに出された。
 価格は抑えたつもりだったが、なかなか買い手はつかなかった。
 この家を購入する資金はすべて夫が出していた。しかし「それまでの共同生活で君が担ってきた家事労働への報酬があってしかるべきだから」という理由で、夫は売却益の一割を私にくれるという。
 あくまでも「慰謝料」という言葉を使うことは拒否する夫だった。
 夫が浮気をしていることは確実だったから、探偵でも弁護士でも雇ってその点をはっきり追及すべきだと進言してくれる友人もいた。しかし、私はそういう方向で話を泥沼化させるのはごめんだった。
 一度だけ、夫の母親から私に電話があった。
 何が原因なのか、宗太郎はどうするのかと、矢継ぎ早に質問を浴びたが、適当にかわした。
 私の両親は、私が結婚する前後に相次いで亡くなっていた。
 まだ六十台半ばの親を送ったのはショックだったが、今となってみれば、一人娘が子連れで離婚するという事態に遭遇しなかったことは幸いだったのかもしれない。
 売りに出してから半年でようやく家が売れたとき、ポチが死んだ。
 突然物を食べなくなったかと思うとみるみる衰弱し、足腰が立たなくなった。
 獣医が原因を突き止めるのを待たずに、ポチは死んでしまった。
「神経系統の病気であることはほぼ間違いない気がするんですよね。解剖してみれば原因もはっきり分かるんでしょうが、もう死んでしまったしねえ」
 首を傾げながらそう言う獣医に礼を述べ、私はポチの亡骸が入った段ボール箱を車のトランクに積んだ。
 家の売買契約が成立した翌朝のことだった。
 もちろん、一戸建ての家を手放した後も、ポチの面倒は責任を持って見るつもりではいたが、心の奥を見透かされたようで辛かった。
 ペット動物専用の火葬場へ運ぶ前に、私は段ボールの中に横たわったポチの耳に触れてみた。
 ポチの耳は驚くほど冷たかった。
 私が知らなかった感触。
 小さな骨壷に入ったポチを連れて火葬場から家に戻ってきた後も、宗太郎はなかなか泣き止まなかった。
 その涙を見て、私は少しだけほっとした。
 ポチがいなくなり、二人だけになった私たちは、町田市の2DKのアパートに引っ越した。
 居住面積は今までの半分以下になった。
 何よりも辛かったのは、台所の狭さだ。シンクなどは洗面器ほどの大きさしかない。
 母子二人暮らしとはいえ、食事の後、シンクはたちまち食器で溢れて使い物にならなくなった。
 私はますます料理嫌いになった。
 アパート暮らしが落ちつくと、私はL子をはじめ、何人かの友人に頼み込み、翻訳やライターの仕事を回してもらった。
 世間は厳しい不況に突入していたが、幸い、私鉄やデパートを持つ大手企業のPR雑誌を下請けしているプロダクションから、毎月一定の仕事が入るようになり、母子二人でなんとか食べていけるだけのお金は稼ぎ出すことができた。
 前夫からは、宗太郎の養育費名義で毎月20万円が私の口座に振り込まれてくる。宗太郎が就職するか、25歳になるまでは支払い続けるという約束が交わされていた。
 20万円という金額は彼の方から一方的に言い出したものだ。
 私は少し悩んだ末に承知した。予想していたよりも高い金額だったが、そもそも彼からどんな名義であれ、経済的援助を受け続けること自体に、最後まで抵抗があったのだった。
 だが、この20万円がなければ、今の私たちの生活は相当苦しいものになっている。
「夫婦としての義務だけがなくなって、夫が運ぶ給料はしっかり入ってくるのね。いいなあ、それって」
 L子はそう言って、本当に羨ましそうな顔をした。
 あれだけ騒いでいたL子のほうは、なぜか未だに離婚していない。
 ペーターは相変わらず合成ゴムメーカーに勤めて、毎日パソコンとにらめっこしているそうだし、L子は文句を言いながらも花ちゃんの育児に追われ、ジャムを作り続けている。

ο ο ο
 宗太郎の部屋から、テレビゲームの音が聞こえてくる。
 学校が休みの日は朝からこれだ。一時、かなりうるさく注意したり、ゲーム機を取り上げたりしたこともあったが、最近はこちらも疲れてしまい、放任しがちだ。
 それに、一緒にやってみると、確かに中毒性の高い、面白いゲームがある。同じゲームを母子別々にセーブしながらやったりもする。
 私は朝食の後片づけをすませると、自分の仕事机の上にある、今では時代遅れのタワー型パソコンに灯を入れた。
 一日のうち最初に起動した直後には、自動的にネットに接続され、電子メールや参加しているSNSの新規コメントなどが取り込まれる。
 作業の進行に従って、私のパソコンは犬や猫の鳴き声を発する。
 一時は「おはよう」「お疲れさまです」「待ってね」など、人間の声をセットしたこともあったのだが、あまりにも寒々としているので、動物の声に代えてしまったのだ。
 もちろん、何も喋らないパソコンがいちばん無難なのだろうが、パソコンに「喋らせる」設定を楽しむ程度には私も初心者レベルを卒業したということだろうか。
 ネットからダウンロードするデータはいつもよりかなり多めで、少し時間がかかっていた。ようやく「ワン!」という鳴き声がし、作業が終了したことを告げる。
 これは死んだポチの声だ。
 ポチが映っているビデオから鳴き声を拾い出し、パソコン用の音声ファイルにしたものをセットしている。
 宗太郎が喜び、最初の頃は台所仕事をしている私のところにやってきて、「ママ、ポチが呼んでいるよ」などと嬉しそうに言っていたものだ。
 ポチに呼ばれてパソコンの前に座り、今落としたばかりのデータファイルを開いてみる。
 電子メールは2件入っていた。

〔From:シェーンレーベ江梨子
Subject:残暑お見舞い

 元気ですか? 9月も半ばになろうとしているこの時期に「残暑」ってのもおかしいけれど、今年は本当にそういう感じよね。
 先日は俳句季語の辞書ファイルをどうもありがとう。力作ですね。私にはとても使いきれないので、周りにいる俳句愛好者に……と思ったのですが、考えてみるとパソコンを扱える俳句愛好者なんてほとんど知らないのですよ。
 このままでは宝の持ち腐れになるので、ペーターの友人のプログラマーに渡して、何かこれを利用したソフトが作れないかどうか相談してみようと思います。例えば「俳句自動作成ソフト」とか、季重なりや字余りを検出する「俳句添削ソフト」のようなものができれば面白いのではないかと思うのですが、こういうのは祥子の望むところではないかもしれませんね。嫌ならばそう言ってください。ただ、私としてはこれだけの労作を祥子のパソコンの中だけに眠らせておくのはちょっともったいない気がして。もちろん、このファイルの著作権などはしっかり主張するように注意はします。ご返事ください。
 追伸:最近パソコンの取り合いが激しいので、やはりもう1台購入しようかという話になっています。なんだかパソコンに振り回されているようで、情けなくなります。〕

 私は悟の『現代俳句への挑戦』を思い出して苦笑した。
 そういえば『ポチの友』はもう1年以上届いていない。
 2通目の電子メールは仕事の依頼だった。

〔From:明石基子
Subject:翻訳依頼

 ご無沙汰しております。このところの不況で翻訳業界は大打撃ですが、久しぶりにドイツ語の翻訳の仕事が入りましたのでお願いいたします。内容は新薬の実験データと解説で、専門用語がかなり入っているので骨かもしれません。約1500語です。締め切りは月末ですが、お引き受けくださる場合は……〕

 明石さんは大阪で翻訳のエージェントを経営している。彼女とは、「現代文芸フォーラム」というインターネット上の会員制SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)で知り合った。
 現代文芸フォーラムには誰もが入会できるが、入会の際は、本名と住所をきちんと届け出ることが条件となっている。
 書き込みはハンドル(ネット上の筆名)でできるので、本名を名乗っている人は少ないのだが、運営している側は本名と住所を把握しているので、ひどい書き込みがされることはほとんどない。
 もちろん、偽名や偽住所で登録している人も多いだろうが、私はきちんと登録している。出版関係者なども大勢いるSNSなので、仕事の話につながることもありえるだろうと思ってのことだったが、実際、こうして仕事に結びつくこともある。
 明石さんからは何度か仕事を貰っていながら、私は未だに彼女の顔はおろか声さえ知らない。つまり、電子メール以外で彼女と意志を通い合わせたことがないのだ。
 電子メールだけのやりとりが続くと、電話をかけるのが気が引けてしまう。相手の姿や声を確認するのがタブーであるかのような気持ちになってくるのはなぜだろう。

 現代文芸フォーラムでは、最近、ある作品の評価をめぐって活発な議論が巻き起こっていた。

〔……要するにこの作者は、現代の言葉狩りの問題の本質をまったく分かっていないわさ。それにそもそも、こういう作品をこのフォーラムにアップすることで、このフォーラムのシスオペや、ひいては現代文芸フォーラムそのものが外部から攻撃されうるという事態を想定してのことなのだろうか? 書き逃げはずるいぜ……〕
〔……作家にとっての言葉狩りという問題と、出版業界全体にとっての言葉狩りの問題は本質的には違うと思うのです。かつて某作家が「断筆宣言」をなさったのは、どちらかというと差別を錦の御旗として攻撃してくる団体にではなく、むしろそうした攻撃に及び腰になって、作家の発言の場さえ奪おうとしている出版側への絶望からでしょう……〕

 そろそろ読み飽きた論調の文章がいくつか並んでいる。
 私は軽く読み飛ばすと、ブラウザを閉じた。
 この議論の元になっている作品は『目の不自由なヘビ』という短編で、一週間ほど前にこの創作発表コーナーにアップ(書き込み)されたものだ。
 作者の名前は「けい」となっている。
 ネット上では普通のことだが、男性なのか女性なのか、はたまた年齢がいくつなのかは分からない。
 普通は作品を発表する前には、「談話室」という名のフリートーク専用のスペースに自己紹介の文を載せ、その後いくつかの発言を重ねて会員たちに名前を知ってもらうという手順を踏むものだが、この「けい」氏はそうした暗黙の作法を完全に無視して、いきなりこの作品を発表したのだった。
 常連が別名を名乗って発表したのか、それともまったくの新入りによる作品発表なのかも分からない。
 会員データを検索すると、現代文芸フォーラムへの入会は半年も前のことらしい。その後、半年間、自らは発言せずに、ひたすら他の会員の作品やコメントを読むだけの存在だったのだろう。
 私も、少なからずこの作品と謎の作者については興味を持っていた。もしかしたら、プロの作家が悪戯心で発表したのかもしれないなどと、想像をめぐらせたりもした。
 こんな作品である。


 

目の不自由なヘビ

 

けい



別所教授、サドウスキー生物学会賞受賞
 荻窪大学の別所英幸教授(生物学)が、生物学会では世界的権威を持つ「サドウスキー生物学会賞」を受賞した。受賞の対象となった研究論文は「ブルーミニメクラヘビにおける3倍体染色体遺伝の諸研究」で、雌だけで単為生殖をするブルーミニメクラヘビの遺伝子研究を基に、大型哺乳類のクローン再生などにも応用できる可能性を秘めた諸理論を確立した功績を称えて贈られたもの]


 世界的に権威のある賞というわりには、それは随分と慎ましい新聞記事だった。
 もっとも、爬虫類の研究などという地味な分野に、こうした賞が与えられること自体希有なことだから、贅沢は言えないのかもしれない。
 事実、日本人として初めてこの賞を受けたというのに、受賞者の別所教授の周辺はごく静かなものだった。
 研究室の仲間が3千円ずつカンパを出し合い、「珍珍軒」の二階座敷を借りきってパーティーを催してくれた程度だ。
 新聞に発表された日なども、何本かの祝電くらいはあるだろうと身構えていたのに、午後になっても彼の研究室には電話一本かかってこなかった。
 拍子抜けのまま、もう家に帰ろうかとしていた夕方5時半頃、その日初めての電話のベルが鳴った。
「わたくし、表現審議委員会の清水と申します。このたびはサドウスキー賞の受賞、おめでとうございます」
 電話の主は、ごく冷静な声でそう言った。
「いや、どうも……」
 反射的に返事はしてみたものの、別所教授には、相手の声にも名前にも心当りはない。
 困って黙っていると、清水と名乗った男はこう続けた。
「いや、しかし驚きましたよ。今どき、天下の大新聞紙上であのような文字を目にするとは……。これは私ども審議委員会のテポッチですね。どうやら生物学の分野までは目がいき届かなかったようです」
「はあ? 何がどうテポッチなんですか?」
「いやいや、ブルーミニメクラヘビ……ですか。これがサペッソではないかと」
「ブルーミニメクラヘビがサペッソ? どういう意味ですか?」
「とおっしゃるからには、やはり先生もご存じないと……」
 相手は多少芝居がかった口調で言った。
 別所教授は少しむっとしながら答えた。
「分かりませんね、どうも。ブルーは青い、ミニは小さい、メクラヘビは学術用語で……メクラというのは何語かなあ。多分ラテン語だと思いますけれど、どこがどうサペッソなんです?」
「それが違うのですよ。私も最初はそう思っていたのですが、うちの審議委員長の鹿島という者がですね、このメクラというのはかつては日本語だったのではないかと言うんですね」
「メクラがですか? 初耳ですね。しかし、私は国語学者じゃないですから、そんなことは……」
「ええ、ええ、分かります。でも、先生の高尚なご研究のおかげで、この日本語が甦ってしまったわけですよ。これまで私たち一般国民は、メクラヘビなんていうものを知りませんでしたからね。そもそもヘビなどというものを見る機会がほとんどないわけですから」
「そう言われましてもね。私はサペッソなどという意識は微塵も……」
「分かります分かります。無理もないでしょうな、わたくしども、専門家でさえうっかりしておったくらいですから。ですから先生を弾劾しようなどということではないんです。単純なご相談なんですよ。後れ馳せながら調べたところ、爬虫類トカゲ目ヘビ亜目の下にメクラヘビ下目というのがあって、メクラヘビ科、カワリメクラヘビ科、ホソメクラヘビ科というのがあるそうですね。メクラという言葉がつくものは他にはあるんですか?」
「おのおのの科に属するヘビにはすべてそういう名前がついていますが」
「はあ……例えば?」
「テルネッツサカヤキメクラヘビとかスボクラリスハシメクラヘビとか……いくらでも」
「うーむ、そうですか。困りましたなあ。それをなんとかしないことには」
「はあ?」
「せっかく葬り去ったサペッソ語が、たかが目の不自由なヘビごときのおかげで甦ってしまうというのは困りますからね」
「たかがヘビとは、ヘビたちに対して随分サペッソ的な発言じゃないですか。ヘビの研究者としては聞き捨てなりませんね」
「いや、失礼。これは私としたことがテポッチでした。とにかく、そのメクラヘビの改称について、ぜひ学界の第一人者でおられる先生からもお知恵を拝借したいので、一度こちらへご足労願えませんか?」


 役所が「ご足労願いたい」と言ってきたとき、拒否して得するためしはまずない。ただでさえ爬虫類研究などという地味な分野は、ほぼ100パーセント国家からの助成金で成り立っている。
 別所教授はやむなく「分かりました」と答えた。

 表現審議委員会は文科省の建物の地下にあった。
 隣は天然ガスを使ったボイラー室。今や定置エネルギーは天然ガスを使ったコジェネが中心だが、このビルのシステムは相当旧式らしく、ボイラー室から音や熱が漏れてきているようだ。
 それにしてもこんな場所に押しやられているとは、相当暇なセクションなのだろう。
「ハハハ、お恥ずかしい。かつては相当羽振りのいい時期もあったそうなんですがね、ご存じのように今ではサペッソはほぼ完全に克服され、サペッソ表現などというものも化石のようになってしまいましたからね。我々も仕事がないのですよ」
 別所教授を迎え入れた中年男は、苦笑しながらそう言った。
 部屋には電話をかけてきた清水というその中年男と、壁際で難しい顔をしている白髪の老人の二人しかいなかった。
「私が審議委員長の鹿島です。来年定年でしてな。最後のご奉公というところです。ムオッフォンヒョヒョ」
 鹿島老人ははっきりしない発音で挨拶した後、大きな咳払いをした。
 来年定年ということは、もう60歳に手が届くということだ。今時、定年まで仕事を続ける人間など、滅多にいない。癌やエイズ、そして数々の毒物アレルギーなどで平均寿命が男女ともに50歳を切っている現代では、60歳定年制自体が一種のジョークなのだから。
「メクラヘビというのがサペッソにあたるのではないかというお話でしたね。しかし、現代人の何割がメクラなどという難しい専門用語を知っているでしょうか。今さらこれを変えようなどというのは、意味がないんじゃありませんか?」
 別所教授は前振りなしで、いきなり本題に切り込んだ。
「いや、そういう油断が大敵ですのじゃ。我々が世界に範たる平和で平等な国家を築くために、今までどれだけ大変なサペッソとの戦いがあったことか。症例が報告されなくなってから200年は経っていると言われる狂犬病の予防注射が今でも義務付けられているのと同じでしてね。サペッソの根はまだまだ見えないところに巣食っているかもしれん。それを根絶するのが我々の役割なんですよ。後追い行政などと批判を受けないためにも、小さな芽のうちに摘んでおかないと。そのへんはひとつ、ご理解いただきたいですな」
 鹿島氏は無表情のままそう言った。
「しかし、メクラがかつてサペッソ語だったなどという証拠があるんですか?」
「はい」
 代わって答えた清水が、旧式の光ディスクを取り出し、これもまた今ではほとんど見ることがなくなった旧式の光ディスクドライブに挿入した。
  コンピューターの画面に、見慣れない言葉が写し出された。
「メクラ、オッシ、トゥンボウ、ピッコ、ティンバァ、カタティンバァ、デッブ、プス……」
 別所教授が不審そうな顔で画面を覗きこみながらそこに写し出された文字を読み上げていった。
「何語です? これは」
「21世紀中頃まででしょうか。実際に存在した日本語です」
「古語ですか。しかし、死語になってしまったわけでしょう? どうでもいいじゃないですか」
「そうはいきませんよ。先人たちの、サペッソとの血の出るような戦いを思えば、その勝利を今になって綻ばせるわけにはいかないですからね。たとえ専門用語の中に生き残っていた死語だとしても」
「はあ……そうですか。私、根っからの理工系なもので、そういう文学的方面には不案内でして」
「理工系だろうと体育系だろうと関係ないですよ。教授、どうです? いい機会ですし、ここで少し、サペッソの歴史について学んでいかれたら……」
 清水が薄笑いを浮かべながら言った。
「いえ、そんな時間は……」
「交通違反に対するちょっとした講習のようなものですよ。あなたのような第一線で活躍される学者さんにこそ、サペッソの基礎知識は知っておいてもらわないと」
 清水はほとんど命令口調だった。
 冗談ではないと思いながらも、別所教授は感情をぐっと堪えた。
 役所を相手に喧嘩をしたくはなかった。ただでさえ乏しい研究費をこれ以上削られたりでもしたらたまらない。
 仕方なく、別所教授は、しばらく暇な役人の話につき合うことにした。

 

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 ここに『サペッソ表現克服の歴史』という名著がありますが、これによると21世紀初頭くらいまでは、とんでもないサペッソ表現がうようよあったらしいですな。
 サペッソ表現というのは大きく分けると9つのジャンルになるのです。これを「暗黒のナイン・サペッソズ」と呼んでいます。
 まず最初に、身体的ハンディを表す言葉ですね。そういうのが、昔は存在したんですねえ。驚くべきことです。
 例えば「ドームの外野席」という表現は、大昔は「トゥンボウ桟敷」と言ったそうなんです。トゥンボウというのは「耳が不自由」ということを示す言葉なんですね。驚きでしょう? そんな言葉が存在し、使われていたなんてね。
 なにしろ、運動会に「障害物競争」というとんでもない名前の種目があったりした時代ですからね。
 え? 障害物競争ですか? 今の「バラエティレース」のことですよ。梯子潜ったりするやつね。
「片手落ち」なんていう、ぎょっとするような表現もあったらしいですね。今で言う「ふてわび」のことですね。
 例えば、「Aには説明しておきながらBには説明しないなんて、ふてわびというものでしょう」なんていうときに使う「ふてわび」のことです。
 一説には、かつてテレビの放送で「片手落ち」という表現を使う度に、番組の最後で、「番組の中で不適当な表現があったことをお詫びします」と言っていたので、それが重なるうちに、不適当のフテとお詫びのワビを取って、「ふてわび」という言葉が発明されたなんていうんですが、真偽のほどは分かりませんね。
 二番目には、身体的ハンディ同様に、知能や精神が未発達だったり錯乱している様子を表す言葉ですね。
 そういうものを限定的な単語で表してはいけないことくらい現代では常識ですが、昔はあったんですよ。「精神が不自由な方」のことを「基地外」なんて言っていたそうです。

 フレドリック・ブラウンの名作『さあ、精神が不自由な方になりなさい』も、かつては『さあ、基地外になりなさい』なんていうタイトルだったといいますから、恐ろしいですね。
 ドストエフスキーや坂口安吾の『白くかすんだ知性』も、何か別のタイトルだったという説があるんですが、今では当時の本が残っていないので分かりませんね。
 三番目に、職業を表す言葉として、今ではまったく意味不明なんですが、「床屋」「おまわりさん」「八百屋」「肉屋」「百姓」などという言葉が存在していたようです。
 怪談の『青果業者お七』が、かつては『八百屋お七』と言っていたというんですが、意味が通じませんなあ、これでは。八百なのか七なのか、足せば八百七ですが……。
 それから童謡にあるでしょ、『犬の巡査部長さん』というのが。これが昔は『犬のおまわりさん』だったというんですが、このへんになるとさすがに嘘でしょうな。子供に歌わせる歌にそんな表現があったなんて、とても信じられませんからね。
 四番目として、職業についていない自由人や、民間からの善意の福祉行為にのっとって生活されていらっしゃる方々に対しても、ズバリ『コジキ』などと呼んでいたという説があるんですが、なぜ日本最古の書物の名前と同じなのか、不思議な話ですね。
 五番目に、人種サペッソや、血筋、職業、出身地サペッソに関する語というのもあったようですね。「シノーコーショー」……これ、何のことでしょうかね。
 そういえば広告業界の人間が無礼講の宴会などで歌う、意味不明の歌がありますよね。「ダイリテン、シノーコーショー、プロダクション……」というあれですが、どういう意味なんでしょうねえ。
 それから、「下請け」「孫請け」……これも何のことだか分かりませんねえ。
 六番目に、女性であることを区別する表現というのがありましたね。「スーパーパーソン」「ウルトラパーソン」「スパイダーパーソン」が、昔はそれぞれ「スーパーマン」や「ウルトラマン」などと言っていたようですが、信じられませんね、そういう神経は。
 成人女性を指して、「受付の女の子」なんていう呼び方があったという話に至っては、もはや何をか言わんのバラライカです。
 七番目に、言葉ではなく、形で表現するサペッソというのもありました。これを見てください。これ、何だか分かりますか?
 左から、テング、ヒョットコ、オカメというんだそうです。かつてはとてもポピュラーだったお面だというんですが、こんなものが堂々と公衆の目の届くところに飾られていた時代なんて、信じられますか、あなた?
 それから、この目が三日月型になって、シルクハットをかぶっている細面の人のマークは、ある清涼飲料水メーカーの商標だったそうですが、これなどはあなた、このテングだのオカメだのという恐ろしいサペッソ表現に比べたら、ミロの芸術のような高貴さを漂わせていますよねえ。
 そうそう、テングは漢字では「天狗」と書いたそうなんですが、ケモノヘンの漢字を人間を表す表現に使えた時代もあったんですねえ。「くるう」という字が、昔はリッシベンじゃなくてケモノヘンだったという記録も残っています。恐ろしいことですね。
 これは「リリカちゃん人形」と呼ばれて、昔は人気があった玩具だそうですが、白人至上主義を如実に表す人形が日本で売られていたなんて、ひどい話です。
 その隣は珍品中の珍品ですよ。ゴルビー人形というのだそうですが、これも恐ろしいでしょう? 頭の部分に地図の模様が入っているでしょう? モデルが実在したのかどうかは分かりませんが、いたとしたら本当に恐ろしいことですね。
 八番目に、動物に対する差別というのが唱えられたことがあったそうです。
 「狸おやじ」とか「狐目の男」「ブタ野郎」「馬づら」「権力の犬」といった表現は、狸や豚や犬の尊厳を著しく傷つけるものだという主張が、一部の動物権利代弁グループから出されたそうですが、これは却下され、逆に、ケモノヘンの漢字が使えなくなったのと同じように、人間を動物に喩えることが禁止されたわけですね。
 最後に、特定の国名が使われた表現をなくそうとした動きも記録されています。
 これが難解でして、よく分からないんですね、今となってはどういうことなのか。
 例えば、ソープランドのことをかつて「ルートコ」と言っていたという説があるのですが、今も昔もルートコという国はないですからね。これなどは何かの間違いでしょう。
 同じように、「南極ちゃん」のことを昔は「ダッチワイフ」などと言っていたというんですが、オランダ製の南極ちゃんが特に性能がいいという話は聞きませんし、これも意味不明ですね……。

 

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 清水氏の講義は延々一時間あまりも続いたが、別所氏はじっと耐えて耳を傾けた。
 一通りの「サペッソの歴史講義」が終わると、「メクラヘビ」という専門用語をどういうふうに変えるかという本題にようやく進んだが、これは簡単に結論が出た。「メノフジユウナヘビ」である。
 審議迅速を旨とする昨今のお役所のことだから、明日にでも審議委員会に提出され、即可決されるだろう。
 これによって、別所教授が研究していた「ブルーミニメクラヘビ」は「ブルーミニメノフジユウナヘビ」という名称に変わることになるが、それによって別所教授に何らかの実害が及ぶというものでもない。せいぜいコンピューターの記憶装置に単語置換コマンドを送り、今までのファイルにある無数のメクラヘビをメノフジユウナヘビに変えるという手間がかかる程度のことだ。

 別所教授がようやく解放され、建物を出たときには、もう日はとっぷりと暮れていた。
 思わず大きく深呼吸する。
 この胸の中を吹き抜ける渇いた風は何だろう。言い様のない閉塞感は何だろう。
 教授は気分転換のために、政府公認の快楽追求娯楽地区に足を運んだ。
 色とりどりのネオンサインが、善良な市民を迎える。
「野鳥撃ち放題楽園・地球大好きアイアンキング」「犬・猫・兎叩きゲームハウス・あんたが大将」……。
 表現の世界から動物の擬人化が追放された21世紀後半頃から、こうした動物虐待ゲームが静かな人気を呼ぶようになり、公認されていった。今ではこの手の娯楽産業は、セックス産業以上に人気がある。
 どぎついネオンを見ながら、別所氏はふと考えた。
 表現の世界から追放されたエネルギーの一部が、もしかしたらここに吹きだまっているのかもしれない……と。

 



 当初、この作品の後には一様に誉める評ばかりが続いた。
 しかし、やがて、「それほどのものか?」「書き手の精神の方がむしろ俗悪だ」「他人の褌で相撲をとろうというこざかしさに反吐が出る」といった批評が現れ始めた。
 比較的紳士淑女が集まっているこのフォーラムで「反吐が出る」というようなきつい批評が書き込まれることは極めて珍しいことだった。
 それに刺激されてか、常連同士がかなり厳しい議論の応酬を始めたりもした。かつて言葉刈りをめぐるトラブルがもとで「断筆宣言」をした有名作家の話題も蒸し返された。
 しかし、それも一週間が過ぎ、そろそろ鎮静の方向に向かっているように思える。
 この間、作者は沈黙を守っていた。
 これだけさまざまな意見が出ているのだから、ぜひ作者自身の意図や見解を聞きたいという呼びかけもあったが、〈けい〉氏からの反応はまだない。その態度が、会員たちの反感を買い始めていることは明らかだった。
 ある夜、私は公開の談話室にではなく、会員同士だけが使える「私信機能」で〈けい〉氏に直接簡単な感想を書き送った。

〔けいさん、はじめまして。現代文芸フォーラムに出入りさせてもらっているSHOWと申します。
『目の不自由なヘビ』、楽しく読ませていただきました。議論が噴出しているようですが、これからも新しい作品が発表されることを楽しみにしています。
 批評にはかなり的外れなものも見受けられますし、きっと失望されているでしょうね。でも、あまりにも孤高のポーズをとり続けていると、不必要な孤立を招くかもしれません。それがちょっと心配です。正体不明のままでも結構ですから、批評に対して多少は発言なさってはいかがでしょう。
 それと、もしご迷惑でなければ、私の感想を、個人的に電子メールで送ってもよろしいでしょうか? 後込みしているわけではないのですが、公開の場での討論を見ていると、このところますます論点がずれてきているように思えて、あの後に今さら何かを書き込むのは気が進まないのです。
 とにかく私は〈けい〉さんの他の作品をもっと読みたいのです。次の作品を楽しみにしております〕

 送った後、ひどく後悔した。
 まったく余計なお世話だった。なぜあんなメールを送ってしまったのか、自分で自分を呪いたくなった。
 離婚し、仕事の必要に迫られてますますパソコンと向き合う時間が長くなってきたが、これまで、未知の相手に電子メールを送るなどということは一度たりともしたことはない。
 ネットでは相手の顔が見えない。〈けい〉がとてつもなく陰湿なやつで、これを機に私にねちねちとした電子メールを送り続けてくるなどということも、ありえないことではない。
 誰かが雑誌の中で書いていた。ネットの世界には、数えきれないほどの魑魅魍魎がうごめいていると。
 現代文芸フォーラムの中では、私は〈SHOW〉というハンドルを使って俳句をときどき投稿している。
 〈SHOW〉というハンドルから37歳の「子持ちバツイチ女性」を想像する会員は少ないだろう。
 一度、十代の文学青年が、私の俳句への感想を直接メールで送ってきたことがあった。最初は適当に返信したが、次第に熱い文学談義を持ちかけられ、困った。
 そういう失敗もしているのに、自分からメールを送るとは……。

 翌日も、翌々日も、〈けい〉氏からの返信はなかった。私はほっとしていた。
 批評にも一切反応を示さない〈けい〉氏のことだから、会員から届いた私信も黙殺しているのだろう。
 しかし、〈けい〉氏に私信を送った3日後、いつものように現代文芸フォーラムにログインした私は、私信機能で届いているメッセージを見て仰天した。

〔From:けい<澤田径士郎>〕

 ケイシロウ……その名前の響きが、私を急速に20年近く前の記憶の中に引きずり込んだ。
 私が大学に入って初めて心を惹かれた2年先輩。そして、初めて肌を合わせた男。
 出逢いも、別れも、なぜか今ではよく思い出せない。なぜ別れたのかさえ思い出せない。ただ、若さに任せて熱くなっていた期間の思い出だけが、断片的に残っているにすぎない。
 径士郎は1年留年したので、卒業は私より1年早いだけだった。
 その後どうしていたのだろう。風の便りに、予備校の講師をしているらしいとか、まだ小説を書いているらしいとか、結婚したらしいというようなことは聞いていた。でも、それ以上、自分から知ろうとはしなかった。無意識のうちに忘れようとしていたのかもしれない。
 私は鼓動が少し早くなるのを自覚しながら、パソコンの画面の中に映し出された横書きの文字列をゆっくりとスクロールさせていった。
 


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最終更新日 : 2015-10-30 19:14:08

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