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同和、在日、隠れキリシタン 人権を大安売りする中野国家公安委員長の薄っぺら「感性」

 民主党政権が発足してからというもの不思議な閣僚人事が続いている。特に韓国の反日デモに参加した岡崎トミ子参院議員が国家公安委員長に就任した際は、多くの人が疑問を感じただろう。そしてその後、内閣改造で国家公安委員長の職について中野《なかの》寛成《かんせい》氏も果たしてこのポストが適任なのかどうか疑問だ。さらに不思議なのがその発言の“軽さ”である。中野氏の地元、大阪府の部落解放同盟関係者がこう証言する。
「なぜか数年前から中野氏は“自分は同和地区出身者だ”と言い始めたそうだ」
 中野氏の著書でもこうした出自については明かされてはいない。中野氏の議員事務所に確認してみると、担当秘書は「本人は否定しています。ただもともと隠れキリシタンの村に生まれたとは言っています。そのことはHPにも掲載していますのでそちらをお読みください」と説明する。
 中野氏のHPのプロフィールをのぞいてみると「昭和15年11月26日、長崎市生まれ。満4歳の時、原爆体験。呉服商の父が倒産し、昭和29年8月、中学2年の時に豊中市へ。アルバイトで家計を助けつつ苦学」とある。さらに「中野寛成の波乱万丈」というコラムでは「私の父の郷里は、長崎県|西彼杵郡《にしそのきぐん》黒崎村《くろさきむら》(現在・長崎市|下黒崎町《しもくろさきまち》)といい、長崎市の北西部に位置します。東シナ海に面した夕日の美しい村です。昔から隠れキリシタンの里として知られ、遠藤周作の「沈黙」の舞台ともなっています」と生い立ちを説明している。
 原爆体験をして、隠れキリシタンの里に生まれた、何らやとりあえず“悲劇的”な現象をひたすら「盛った」かのような経歴だ。
 ではなぜ、前述した同和地区出身の話が生じたのだろうか。どうも過去の講演での発言が原因のようなのだ。『中日新聞』(1998年5月11日)によると、『私の母は部落出身民主の中野氏 差別撤廃訴え』という記事が掲載されている。
「わたしの母親は被差別部落の出身であります」。民主党の中野寛成代表代行は十日、来賓として出席した部落解放同盟全国大会(福岡県春日市)のあいさつで「(両親)二人の間で、時にこの差別の問題が夫婦げんかの種になった。子供としてはどうしたいいかと本当に困惑したことがある」と語った。さらに「わたし自身健康そうに見えますが、いわゆる色覚異常であります」と打ち明け「このこと(色覚異常)は明らかに就職差別や結婚差別の対象となっている。差別意識を除去するための運動を強くしなければならない」と差別撤廃の重要性を切々と訴えた。
 どうやらこの母親に関する情報がめぐりめぐって、「同和出身」という話になったようなのだ。それにしても原爆体験者の上、色覚異常というのだから一体、何重苦の人なのか?
 そしてある時は解放同盟で差別撤廃を訴えたとか思えば、在日本大韓民国婦人会中央本部60周年記念式典では「政権交代を機会に、地方参政権を実現したい。政権政党という立場から、議員立法よりも政府自らが責任を負うという意味で政府提案に向け準備している。遅くとも来年春の通常国会には実現させたい。民主党として全力を尽くす」と話す。とりあえず「人権めいたもの」をひたすらまき散らすその様は“薄っぺら感性”の名がふさわしい。(三)


八女の同和地区に育つ違法ケシの怪


すくすくと育つアツミゲシ(八女市国武で撮影)。

 シリーズ「自演」の取材中に見つけたケシの花、園芸に詳しい読者であればピンと来たのではないだろうか。ケシといえば品種によってヘロインの原料となり、日本では許可無く栽培することは禁止されている。
 5月にはオレンジ色の「ナガミヒナゲシ」の花が全国各地で満開になるのだが、これはもちろん麻薬成分を含まない、合法な品種である。しかし、立花町山崎中洲の「さくら台住宅」の近くに生えていたケシの花は紫色で、明らかに別の品種であった。気になった我々はそれを写真に撮り、翌日福岡県八女総合庁舎内にある南筑後保健福祉環境事務所に持ち込んだ。
 写真を見た職員は、間髪入れずにこう言った。
「セティゲルムですね、植えてはいけないケシです」
 保健所ではセティゲルムとよばれるそのケシは、一般にはアツミゲシと呼ばれる品種である。特徴は花全体が薄い紫色で、花の中心部を覗くと濃い紫色の模様があること、葉はギザギザがあり茎を抱きかかえるような形をしていることだ。実には麻薬成分が含まれているので、栽培は違法である。しかし、大麻などと違ってケシの実から「製品」であるヘロインを作ることは非常に手間がかかる。しかもアツミゲシはもともと麻薬の原料として栽培するための品種ではないため実が小さく、麻薬用として栽培しても割りに合わないと言われる。そのためか、アツミゲシの違法栽培が摘発されたという例は聞かない。その代わり、毎年春になると園芸用のケシと間違えて栽培して、保健所や警察が抜き取りに来たということがニュースになる。
「後で抜き取りに行きますので、場所を教えてください」
 職員がそう言って住宅地図を持ってきたので、さくら台住宅の付近を指し示しておいた。
 保健所を出た後、我々は別の用事で下川犬《しもかわい》へ向かった、目的地に差し掛かる直前、道路脇に生えた無数の紫色の花が目に入り、急いで車を止めた。驚くことに、それも全てアツミゲシだった。県道横の民家の庭と思われる場所に、たくさん生えていた。もちろん、これも保健所に通報しておいた。
 次に我々は北国武《きたくにたけ》に向かった。目的地に着いて集落の中程にあるプレハブ小屋の横を見ると、ここにも立派なアツミゲシが生えていた。当然、これも通報である。
 どうして「植えてはいけないケシ」がこんなにもあるのか。保健所の職員に聞いてみると、九州の気候がケシの生育に適しているらしく、南筑後保健所の管内でも毎年30件程度の通報があるという。“ケシ粒”と言われるようにケシは実の中に無数の細かい種をつけ、それが風で四方八方に飛び散ってしまうので、一度でも花が咲いて実を着けるのを見逃すと、ところかまわず生えてくるのだ。
 しかも、違法なケシといえ、ケシはケシなので花としての美しさは園芸種と変らない。道端に咲いていても、刈り取ってしまうのは忍びない。それどころか、知らずに自分の家の花壇で観賞用に栽培してしまう人も多いと聞く。そうして、もともと繁殖力が強いケシの繁殖を、人間が手助けしてしまうのである。
 その後、保健所から連絡があり、土地の所有者に確認してケシを処分したとのことであった。幸い、意図的に栽培されていたものではなく、どこからか種が飛んできて偶然生えたものだった。
 読者が見つけた場合は、最寄りの保健所か警察に通報しよう。興味本位で実をかじったりしないように。職務質問されて、尿検査でもされたら手が後ろに回りかねない。
 それにしても、どうしてこう同和地区に向かう途中に限って見つかるのだろうか? そうだ、そもそも我々は八女市では同和地区ばかり巡っていたのであった。(鳥)


第2回「近江八幡の部落史―くらしとしごと」


筆者が近江八幡市役所から購入した「近江八幡の部落史―くらしとしごと」。

 京都新聞(2009年6月12日)に、次の記事が掲載された。

町名挙げ「同和地区だった」と発言
近江八幡の冨士谷市長

 滋賀県近江八幡市の冨士谷《ふじたに》英正《えいしょう》市長は12日の定例市議会本会議での答弁で、同市内の町名を挙げて「同和地区(被差別部落)だった」と発言した。
 市議が個人質問で地域の課題や進ちょくをただしたのに対し、「同和地区だったが、(同和対策事業の対象となる)地区指定を返上された。一般施策としてまちづくりを進めてきたために遅れた」と述べた。
 冨士谷市長は「歴史的事実であり、差別意識をもって発言したわけではない」としている。

 メディアはこのように同和がからむ話題となれば、その場所がどこであるかをはっきりと報ずることはないのだが、筆者はその町が「若宮《わかみや》町」であることを後で知った。
 最初に手がかりになったのが、昭和40年代に部落解放同盟滋賀県連合会により刊行された研究書「滋賀の部落」である。「滋賀の部落」には、現在の近江八幡市|中小森町《なかこもり》付近の「未解放部落」について「中小森村内3部落」として解説されている。そしてそれは細工《さいく》村(現在の大森《おおもり》町)、××村、堀上《ほりあげ》村(現在の堀上町)であると書かれている。「滋賀の部落」は当時同和対策事業を辞退した地域は伏字にされているため、××村が冨士谷市長が言う同和地区だった部落であることは間違いない。しかし、1974年に刊行された「滋賀の部落」の総集編版では××村が「十座《じゅうざ》村」であることがはっきりと書かれており、その代わりに現在名が××町と伏字にされていた。そして、「十座村」がどこのことか調べていたところ、部落解放研究所が発行する雑誌、部落解放研究(2003年8月)に「近江の太鼓づくり」という記事があり、それには安政4年に中小森村十座の教信寺《きょうしんじ》に門徒が太鼓を寄進したと書かれているのである。
 ここまでヒントが出てしまえばあとは簡単だ。近江八幡市中小森町付近で教信寺という名前の寺を地図で探すと、若宮町にあることが分かる。しかも、2009年末から2010年初頭にかけて部落解放同盟滋賀県連の支部員名簿の流出事件があった際に、県連の支部リストも流出しており、その中に若宮支部があることから、若宮町が「被差別部落」であったことは確実なのである。
 こうして「滋賀の部落」を手が掛かりに、文献から若宮町を特定するには、それなりに手間がかかってしまったのだが、若宮町がいわゆる「未指定地区」であることは地元ではあまりにも有名過ぎる話のようだ。草津市のある解放同盟員は「近江八幡の若宮なんて、同和対策事業やってないけど、特別に差別が残っているとかないもんね」ということを、平然と話していたものである。
 前置きが長くなってしまったが、今回紹介する「近江八幡の部落史―くらしとしごと」(近江八幡市発行)は若宮町のことも含め、近江八幡市内の全ての同和地区のことが分かるという文献である。この本の存在をもっと早く知っていれば、筆者は何も苦労しなくて済んだであろうと悔やんでいる。
 筆者が「くらしとしごと」を見つけたのは、滋賀県立図書館だ。利用制限がかかっている「滋賀の部落」とは対照的に開架に置かれていて、貸し出し、コピーも自由だ。さらに、近江八幡市役所では、1冊1500円で販売されている。
 この本は、タイトル通り近江八幡市内の同和地区の「くらし」と「しごと」を、末広、堀上、大森、住吉、八幡の順に解説したものである。もちろん、同和地区を返上した若宮町のことを特別に解説した章はない。しかし、他の地区のことを解説する中で、若宮町のこともしっかりと触れられている。というのも、近江八幡の同和地区を知る上で、若宮町のことは避けて通れない理由があるのだ。そして、それは若宮町が有名である理由と共通する
 若宮町は、全国水平社初代委員長の南《みなみ》梅吉《うめきち》の出身地なのである。「くらしとしごと」には南梅吉の写真が載っており、そのキャプションには「全国水平社の初代委員長南梅吉は近江八幡市内の被差別部落出身である」と書かれている。そして、同じページの本文中にある堀上町の老人の証言を引用しよう。

岡崎公会堂を借りて、水平社を創立するという。全国から志のある人が寄って来た。その中で、おっちょこちょいというのか、おだてられたというのか、それが若宮の南梅吉や。梅吉は幼名を音吉といっていた。あの人の兄の葬式に、うちの親父らが行ったら、十座(若宮)が上を下への大騒ぎ。今度、水平社ちゅうものができる、その大将が音や、その音が自分の兄弟の葬式に帰っていた。

 全国水平社といえば、水平社宣言を書いた西光《さいこう》万吉《まんきち》や、国会議員となった松本《まつもと》治一郎《じいちろう》が有名であるが、初代委員長のことは忘れ去られている感がある。というのも、南梅吉は組織内の抗争により失脚し、後に日本水平社と呼ばれる融和団体を作ったことから、言わば部落解放運動の「裏切り者」として扱われているからだ。「くらしとしごと」には南梅吉について多くのことは書かれていないのだが、これを読む限り彼は水平社の草創期のメンバーである西光万吉や松本治一郎に比べると凡庸《ぼんよう》な人物であり、周囲におだてられて水平社の委員長に担ぎ上げられてしまったような印象を受ける。
 また、若宮町が有名なのは「中小森村内3部落」の中では最大の部落であり、商店が多かったことから他の部落から見ると物流の中継点として重要だったことがあるだろう。そのにぎわいは、本の中で「若宮は船の着かん港や」と表現されている。
 ともかく、若宮町が「被差別部落」だったことは市役所が販売されている本に書かれている上、公然の事実であることは間違いない。京都新聞の記事が掲載された当初、2ちゃんねるでは「マジで糾弾される5秒前」などと騒がれたが、冨士谷市長が地元からそのことを咎《とが》められたという話も聞かない。それどころか、冨士谷市長の発言はそのまま市議会会議録に掲載されており、インターネットでも見ることができる。そこから、富士谷市長の発言を抜き出してみる。

ちょっと平成元年といいますと、改選があったのはたしか62年だったと思います。64年の1月で平成になったんですかね。だから、2年と少しの間ですので、十分に請願というのはまだ僕も勉強の途中であったかなと思ってるんですが、要は若宮町は正直に申し上げまして、以前といいますか、被差別部落という言葉がありました。でも、若宮町の場合は同和地区というのを指定を返上されたというふうに理解をしてるん。それで、いわゆる同和対策事業がそこの町内には何もなかったと。そういうことで、他の同和地区と比較しても、大変事業面ではおくれてたと、あるいは環境面でも大変おくれてたと。だから、それは一般事業として一般施策の中でやってくれという、そういう立場で請願をなさったというふうに僕は記憶をしてるん。

 そして、「地域の課題や進ちょくをただした」市議(加藤《かとう》昌宏《まさひろ》市議)の発言は次のとおりである。

平成元年12月議会で、「明るく住みよい若宮町をつくるための総合的事業の実施について」との請願が採択されております。毎年6月の段階で採択された請願の処理状況について報告がなされます。本件については、採択以降ずっと各所管課において対応していますとだけの報告で、進行状況や到達状況がわかりません。具体的にはどのような総合的事業なのか、まちづくりのために何を実施するのかが明確でないように思います。整理をする意味で、目標とするところやこれまでの経緯について説明願います。

 市議は「20年も前から若宮町で事業をやっているようだが、何をやっているのかよく分からない。当時市議会議員だった冨士谷市長にこれまでの経緯を説明して欲しい」と言っているわけである。そして富士谷市長は「若宮町は同和対策事業を辞退したので、代わりに一般事業をやってほしいと地元から請願があった」という経緯を説明したのである。ちなみに、加藤昌宏市議は日本共産党所属で、堀上町在住である。
 インターネットで見ることができる、最も古い会議録である平成2年9月定例会会議録でも、同様のことが話題になっており、「若宮町は、今日まで部落の完全解放に向けて自主自立路線を歩んでこられたと思っております」「請願書の趣旨は、当初若宮は同和地区指定を返上をして一般施策の中で地域の環境改善をやってくれと、こういうことだったわけです」という当時の市議の発言が残っている。さらに、会議録を「若宮 同和」というキーワードで検索すると、若宮町が近江八幡市内の「被差別部落」の中でも独自路線を歩んできた歴史を垣間見ることができる。若宮町は1969年に同和対策事業の返上を議会に請願して可決されている。さらに1991年には同和地区としての実態調査を町ぐるみで拒否。若宮町と同和対策事業についてはその後も何度か議会で話題になっており、もちろんその度に若宮町が「被差別部落」であったことは公言されている。最近では平成17年3月定例会で「同和対策事業から大きく取り残された若宮町」という市議の発言がある。
 結局、若宮町は同和地区だったという発言は初めてのことではなく、市議会では以前から大っぴらに議論されてきたことなのだ。しかも、発言は市議会でのやりとりの中で必然的に出てきたもので、そのことに触れなければかえって不自然だった。何のことはない、京都新聞の記者が同和地区を特別に意識し、勝手に問題発言だと思い込んだだけだったのである。
 ところで、「くらしとしごと」には若宮町と南梅吉のことだけでなく、多くの興味深いエピソードが書かれている。例えば、戦後間もないころ引き上げてきた兵隊が博打をしているのを見て、明治以前の村の掟《おきて》を持ち出して罰金をよこせと脅したという堀上町の話や、本村の中小森村より上になろうということで細工村を「大森町」に改名したという話が面白い。昔の貧しい時代や、差別事件の事も書かれてはいるが、苦労話や悲惨話に偏っているということもない。何より、最近の同和関係の文献では曖昧にされることが多い「どこで」「誰が」ということが忌憚《きたん》なく書かれている本書は貴重である。
 個人的に一番の見所は、末広町の食肉業についての解説である。一般のメディアではなかなか触れられない、同和と肉屋の関係を知ることができる。この本を読みながら近江牛を食べれば、3倍は旨く感じられることは間違いない。

「近江八幡の部落史―くらしとしごと」は近江八幡市役所の他、近江八幡市内の公民館、図書館、書店、通信販売でも買うことができる。購入のお問い合わせは、近江八幡市役所 協働政策部・地域文化課 市史編纂室 電話 0748―33―2118 まで。(鳥)


第3回口頭弁論 裁判官の交代

 4月21日、大津地方裁判所で第3回口頭弁論が開かれた。今回の大きなポイントは3つある。
 1つめは、県が戸籍の不正取得により部落差別が行われているという趣旨の主張をしたことである。そこで、私の戸籍謄本を提出した。戸籍が部落差別に使われるというのであれば、私の戸籍からどうやって部落出身を判別できるのか、県側に説明してもらおうという考えだ。私の場合、本籍地は実家の住所(鳥取県鳥取市|下味野《しもあじの》)のままで、近くに隣保館がある。しかし、同和減免を申請してみたところ受け付けてもらえなかった(本誌2010年11月号「同和対策固定資産税減免を申請するとどうなるか」)ので、多分同和地区ではないと思うのだが、正確なところは未だに不明である。
 探偵や興信所が部落出身かどうかを調査しているのかどうか、これも実際に滋賀県内の探偵社に聞いてみた。「ガルエージェンシーびわ湖」と「総合探偵社シークレットジャパン滋賀」によれば、やはり部落出身かどうかを調査することはしていないということである。理由は、実際に調査できるのかどうかという以前に「人権問題になってしまうから」ということなのである。最初は客を装ってたずね、裁判のために調べているということは後で告げた結果なので、少なくとも探偵社がどこでも部落出身かどうかを調査しているということはあり得ないだろう。
 2つめは、住居表示の変更前と変更後の新旧対照表が個人に関する情報であるとされた、過去の判例との関係である。この判例は、大阪府堺市が保有する文書に対する情報公開訴訟の判決の中で出てきたものである。
 そこで、堺市の担当者に問題の新旧対照表とはどのようなものだったのか聞いてみた。住居表示の新旧対照表は、単に過去の地名と新しい地名が書かれたものではなく、1つ1つの土地に対する詳細なものであり、地番だけでなく土地の所有者も書かれていたものだったという。つまり、もとは名簿のようなもので、文字通り個人情報である。しかし、個人名だけ消せば公開情報ではないかということが裁判で争われたのである。
 堺市の同和地区といえば協和町《きょうわちょう》で、1957年に現在の名前になる前は耳原《みみはら》、または|ちぬが[#圏点 &#xFE45;]丘[#圏点 &#xFE45;]と呼ばれていた。堺市が危惧していたのは、住居表示の変更履歴により特定の土地が過去に被差別部落の地名を称していたか調査されるということである。もちろん、被差別部落の地名が分からなければそのような調査はできないので、被差別部落の地名は知られているということが前提なのである。つまり、滋賀県のように同和地区の地名が知られるかということが問題なのではなくて、問題となった情報は漠然とした地域名ではなく特定の個人が所有する土地の住所だったのである。
 3つめは、情報公開法の立法趣旨として、個人に関する情報に同和地区名が含まれているかどうかだ。県の説明によれば、政府の第45回情報公開部会において「特定の個人が識別され得ない状態で開示することによっても個人の権利利益を不当に侵害するおそれがある情報」とは具体的にどのようなものかという塩野《しおの》宏《ひろし》東京大学名誉教授の質問に対し、角田《つのだ》禮次郎《れいじろう》元内閣法制局長官が「地域改善対策等に関する情報」が含まれる旨を答えている。
 おそらく、県がいう通り情報公開法を制定する際に同和地区名が分かる情報は非公開にするということは念頭にあったのだろう。ただ、そのような規定を法律に盛り込むことが困難であったことから、諦めてしまったのではないかと思われるフシがある。それが県も指摘している第51回行政情報公開部会で佐藤《さとう》幸治《こうじ》京都大学名誉教授が大阪府の情報公開条例の制定に関わったことについて触れた次の発言だ。

条例を作るときに、なぜ地名がプライバシーの保護なのかということでいろいろ議論して、大変表現が難しかったことがあった。ここも趣旨はよく分かるが、もう少しうまく書けないかなという非常に虫のよい注文をさせてもらった。

それに対する角田禮次郎氏の感想がこれである。

地域的な集団の話だって絶対にできないし、「病気」というのもいかがなものかという気がしている。それを落としてしまって開示されると、ある特定の集団に属する全ての人に対して不当な偏見差別を引き起こすなどという話も、何を考えているんだと言われると嫌らしいので、この辺のところはもう少しあっさり書いた方がよいのかなという気はしている。代わりの言葉を考えるくらいならもうやめてしまった方がよいのではないかという気もする。

 そして、佐藤幸治氏も角田禮次郎氏に対して「私もその方がよいと思う」と同意した。つまり、「同和地区の場所は非公開ですよ」ということを法律に盛り込もうとしたものの、どんな表現であろうとそれのような規定を入れること自体が「嫌らしい」ものになってしまうため断念したのである。
 私はこれらの点を中心に県に対して反論した準備書面を提出した。
 去る4月1日付で石原《いしはら》稚也《ちがや》裁判長が大阪地方裁判所に異動になったため、今回からは長谷部《はせべ》幸弥《ゆきや》裁判長に交代した。交代から日も浅いため、まだ完全に引継ぎが終っていないと見えて、裁判長が書類を確認しながらの裁判となった。そのため、石原裁判長の時のような鋭い突っ込みもなかった。
 ただ、現在のところ私は東近江市と近江八幡市など一部の地域の条例しか証拠として提出していなかったので、これを全部提出するかどうかを裁判長から確認された。私は一度は今のままでいいと言ったものの、また次回口頭弁論があるということだったので、全て提出することにした。そこで、6月9日13時20分に開廷されることになった第4回口頭弁論に向けて、滋賀県下の地域総合センターがあった全ての町の条例を集めているところである。


全ての隣保館と教育集会所の名称をコンプリート

 こうして、滋賀県内各地の市役所、町役場に電話して地域総合センターの設置管理条例を請求したわけだが、一部をのぞいて、比較的スムーズにすすんだ。
 いちばん楽だったのはファックスで送付してくれた自治体で、日野町《ひのちょう》、湖南《こなん》市、長浜《ながはま》市、米原《まいばら》市である。ちなみに長浜市の旧|虎姫町《とらひめちょう》では地域総合センターの設置管理条例が存在せず、代わりに「虎姫町総合センター設置運営規程」という“規則”を制定していた。担当者によれば、地域総合センターは「施設」ではなく「機能」であるという解釈でそのようにしていたそうだ。ただ、例規集に掲載されていることから、条例に準ずる方法で公布されており、内容が公になっていたことは変わりないだろう。
 次に楽だったのは送料・コピー代負担で郵送してくれた自治体で、豊郷町《とよさとちょう》、甲良町《こうらちょう》、野洲《やす》市である。豊郷小学校の校舎取り壊し問題以降、あまりよい噂を聞かない豊郷町であるが、意外にも送料コピー代負担なしで送ってもらえた。県内一の同和地区人口率を誇る甲良町も、非常に丁寧な対応であった。
 愛荘町《あいしょうちょう》、彦根《ひこね》市、近江八幡《おうみはちまん》市には情報公開請求を行った。愛荘町には手続きなしで送ってもらえないか一度電話で問い合わせたものの、例の同和地区問い合わせ問題があったのであまり関わりたくないためか連絡が途絶えたので、一方的に情報公開請求書を送った。まだ情報公開請求の結果は出ていないのだが、さすがに非公開ということはないと思われる。
 残りの草津《くさつ》市、大津《おおつ》市は市役所の情報公開室にある公報を取得しないといけないので、次回の口頭弁論の前に直接出向くつもりである。
 こうして着々と手元に情報が集まっているわけであるが、ついに地域総合センター要覧に掲載された、滋賀県内54ヶ所の地域総合センターと、44館の隣保館、41所の教育集会所の名前が明らかとなった。次がその全リストである。

センター名所在地所属施設
坂本市民会館坂本六丁目33-19坂本市民会館
坂本教育集会所
昭和会館昭和町15-25昭和会館
下龍華会館伊香立下龍華町584-157下龍華会館
田上会館稲津一丁目10-20田上会館
皇子が丘市民会館皇子が丘一丁目9-10皇子が丘市民会館
東山会館里根町163-1東山会館
広野会館犬方町848-1広野会館
広野教育集会所
長浜市地域総合センター西上坂町1204千草文化会館
長浜市教育集会所
末広地域総合センター武佐町27末広会館
末広第1教育集会所
末広第2教育集会所
八幡地域総合センター出町63-1八幡会館
八幡教育集会所
八幡教育集会所別館
住吉教育集会所
桐原地域総合センター中小森町1178桐原会館
大森教育集会所
掘上教育集会所
野口地域総合センター野口町60野口会館
野口教育集会所
小脇町宮地域総合センター小脇町1435小脇町宮会館
小脇町宮教育集会所
平田町駅前教育集会所平田町128平田町駅前教育集会所
新田会館木川町898-3新田会館
新田教育集会所
橋岡会館橋岡町76橋岡会館
橋岡教育集会所
西一会館草津町1446-1西一会館
西一教育集会所
芦浦会館芦浦町319-8芦浦会館
芦浦教育集会所
守山市地域総合センター矢島町3091守山市同和対策集会所
十里会館十里401十里会館
有隣館北比江85有隣館
野洲町総合センター小篠原1780野洲町立地域総合センター
和田集会所
松籟会館石部2655-1松籟会館
岩根会館岩根中央1-18岩根会館
夏見会館夏見1505夏見会館
三雲会館三雲729三雲会館
三雲教育集会所
柑子袋会館柑子袋868柑子袋会館
宇川会館宇川1143宇川会館
泉教育集会所泉827泉教育集会所
牛飼教育集会所
新城教育集会所新城557新城教育集会所
甲賀町地域総合センター相模165-1大久保教育集会所
大原中教育集会所
相模教育集会所
上野教育集会所
梅田会館大野3988梅田会館
清和会館北土山2747-2清和会館
かえで会館森尻670かえで会館
信楽町地域総合センター西349-4西教育集会所
さつき会館桑実寺173さつき会館
石塔会館石塔36石塔会館
日野文化会館豊田304日野文化会館
日野町教育集会所
愛東町地域総合センター梅林217愛東町人権啓発センター
梅林会館
秦荘町総合センター長塚159長塚会館
長塚教育集会所
川久保保愛館川久保164-1川久保保愛館
川久保教育集会所
山川原会館山川原126-1山川原会館
山川原教育集会所
大町地域総合センター大町155豊郷町隣保館
大町教育集会所
三つ池地域総合センター三ツ池43-1三ツ池教育集会所
呉竹地域総合センター呉竹168-1呉竹住民センター
長寺地域総合センター長寺432長寺福祉館
三吉会館三吉1101三吉会館
上多良文化センター朝妻筑摩38-1上多良文化センター
一色教育集会所一色685一色教育集会所
虎姫町総合センター酢280-1虎姫町文化館
虎姫町教育集会所
木之本町地域総合センター田部542木之本町文化センター
木之本町教育集会所
今津町社会教育会館浜分387-1今津町社会教育会館
安曇川町文化会館三尾里375-2安曇川町文化会館
音羽上教育集会所音羽632音羽上教育集会所

 この表は要覧内に出てくる地域総合センターの順序通りである。現在施設名地名などが黒塗りで開示されている要覧は、ほぼ丸裸になったと言え、要覧を非公開とすることは無意味化しつつある。
 ただ、そのことと裁判で正式に公開との判決が出るかどうかは別問題だ。ひょっとすると、条例に記載されていた施設名と位置は公開で、要覧に記載された同和地区名は非公開という落とし所があるかも知れない。ただ、そうするとなぜ地名が個人情報なのかという「嫌らしい」説明を裁判官がしなければならなくなるので、それはないのではないかと、個人的には思う。
 さらに、今回は準備書面と一緒に提出した追加の証拠がある。滋賀県の同和地区一覧が掲載された「滋賀の部落」は県立図書館で利用制限がかけられており、私が利用を申請したところ拒否されてしまったのであるが、実は県立図書館には他にも同和地区名が書かれた本がある。例えば「同和と在日文献の旅」で採り上げている「近江八幡の部落史―くらしとしごと」がそれだ。他にも草津市の新田《しんでん》地区、旧|中主町《ちゅうずちょう》、旧野洲町、旧|栗東町《りっとうちょう》の同和地区を紹介した図書があるので、いずれ本誌でもご紹介したい。(鳥)


この本の内容は以上です。


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