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儲かりまっせ同和事業! 「まごころ」の営業トーク


八女市の同和地区実態調査報告書。

「部落解放」(2010年1月10日)に「差別ハガキ偽造事件」について部落解放同盟福岡県連合会の「最終見解と決意」が掲載されている。それには差別ハガキ事件が始まり、自作自演が発覚するまでの時系列の経過が書かれ、事件への反省と謝罪が述べられている。熊本の行為については、「差別糾弾闘争の意義と成果を根底から破壊する、許しがたい裏切り行為」と断じている。一方、その背景として「差別事件を偽造すれば糾弾がおこなわれ、行政当局が要求を受け入れてくれる」という思惑と、同盟員の間にあったのではということが述べられている。そして、対策として「同盟員教育」を強化すること、各地協任せになっていた糾弾会に対して県連が「点検活動を重視」していかなければならないとしている。
「差別事件」が起こるたびに、運動団体は「市民への啓発が足りないからだ」と行政に迫るが、今回は啓発の対象が同盟員、啓発の実施者が運動団体と、そっくりそのまま逆転したわけだ。
 もう何十年も同じような啓発をし、同じことを繰り返してきたはずなのに、その中身に疑問が向けられることはあまりないように思う。そこで、図書館というのは、自治体でどのような啓発が行われてきたのかを知るための資料の宝庫だ。
 早速郷土資料コーナーで同和事業や同和教育関係の資料を探してみたのだが、残念ながら旧立花町関係の資料がほとんど見当たらない。図書館の職員に聞いてみると、旧立花町の行政資料は旧役場や公民館などに分散しており、図書館としても収集はまだ始まったばかりなのだという。ようやく見つけたのが「立花町史(1996年)」にある、町の同和事業についての記述だ。
 資料によれば住宅新築資金等貸付事業が59件、技能習得資金等貸付事業が26件、同和住宅建設28戸、その他は地区の生活環境整備、隣保館の建設といった内容だ。同和教育については、同和地区児童生徒の学力の向上、進路保障、関係機関団体との連携といったお決まりの内容が書き並べられている。小さな町ということもあって、目立って派手な事業は行われていない。一番大きな事業は集落移転事業であろうが、実際に移転が行われたのはかなり遅く、1997年以降のため、当然町史にはまだそのことは書かれていなかった。
 我々は最初に県連の見解を見たとき、立花町でも行政に対する激しい糾弾が行われ、行政と運動体が言わばズブズブの関係にあり、利権がはびこっていたのではないかという印象を持った。しかし、町史を読む限りではそのような様子は読み取れない。町を巡ってみれば分かるが、目立った産業といえばタケノコくらいしかない町だ。そもそも利権でズブズブになれるほどの金があるようにも見えない。
 立花町における同和行政がどれほどのものだったのか、当時は近隣自治体であった八女市と比較すると分かりやすいだろう。そこで、我々は図書館には豊富にある八女市の資料を調べてみた。そうして見つけたのが「平成5年3月八女市「同和」問題指導手引き「まごころ」」という本である。これは名前のとおり、市民に対する同和問題にいついての啓発を行う指導者のための手引書である。その中に「「同和」対策事業の概要」という記述がある。それには同和対策事業予算の財源の内訳が数値として示されており、1969年から1991年までの総事業費が6億3440万8000円、それに対する八女市の一般財源からの負担が1964万5000円とされている。つまり、事業費のほとんどは国や県の負担、あるいは起債(借金)ということだ。さらに同和事業に関する制度をフルに活用すれば、1000万円の道路工事がわずか67万円で済むということが示されている。同じ事業を一般事業として行うと、市の負担は少なくとも666万円かかるという。そして、こんな“営業トーク”で追い打ちをかける。

①単純に666万円―67万円=599万円が浮くことになり599万円で他の市単独の事業が出来る。
②指定地域を中心にした地域の環境が同対事業によって低財源で整備することができる(圃場整備や近隣の町内)。
③環境整備すると地域の活性化をはかることができる。
④事業を進めることにより地場産業が発展する、雇用確保も!
⑤八女市における部落差別の現象面での解消を図ることができる。

 要は同和事業を行うと、同和地区以外の人もこんなに儲かりますよ、と言っているわけである。以前も他の自治体の職員から同じような話を聞くことは度々あったのだが、啓発書という形でここまで露骨な物を目にしたのはこれが初めてであった。すると、差別で金儲けしようという発想があったとすれば、少なくとも立花町だけの問題ではなく、むしろ八女市のように行政ぐるみで「功利主義」がはびこっていた自治体がいくつもあったのではという疑問は当然出てくる。
 もう1つ、八女市関係では興味深い資料がある。八女市が作成した「「同和」地区実態調査報告書(要約版)平成15年3月」という行政資料だ。どうせ実態調査と言いながら、肝心の部分はぼかしてあるのだろうとタカをくくっていたのだが、最初のページを見た瞬間、その予想は見事に裏切られた。下川犬《しもかわい》、北国武《きたくにたけ》という地区名がストレートに書いてある。
 そう言えば、八女市の文書にはなぜか、「同和」のように、ことごとく同和に鍵カッコが付けてある。これは、同和という用語が「同胞融和」に由来し、天皇制に通じることから、そのまま使うことを嫌って「いわゆる同和」という意味合いで鍵カッコを付けるもので、解放同盟系の運動団体の文書の書き方である。すると、八女市の場合は行政が解放同盟とズブズブどころか、行政自体が解放同盟ではないのかという疑いが出てくるのだ。解放同盟は、特に組織内部では同和地区名を隠さない。部落地名総鑑事件以降、外部に向けては同和地区名を公にすることを非難するが、本質的には「穢多であることを誇る」団体である。すると、実態調査報告書に地区名がためらいなく書かれている理由も合点がいく。こうなると、旧立花町だけではなく他の八女市内の同和地区も訪問してみなければなるまい。図書館には他にも興味深い資料があったのだが、それはまたおいおい紹介することにしよう。
 図書館で資料収集をしているうちに、夕方になった。そろそろ熊本が自宅に戻っているだろう。我々は再びさくら台住宅を訪れた。家の前に、本人のものと思われる車が停まっている。今度こそ本人に会えると確信し、チャイムを鳴らした。
「はい」と中年男性の声がした。そして出てきたのが熊本和彦、その人だった。自作自演発覚前に手記が書かれた「部落解放」で本人の写真は見ていたが、それよりも少し痩せたように見えた。第一印象は、どこの町役場にでもいそうな、普通のおじさんである。
 後に知ることになるが、熊本は決して饒舌《じょうぜつ》な人ではなかった。むしろ話は不得意な人だったそうだ。しかも自演事件について尋ねたいという我々の申し出に対し、声が大きくなるはずもないだろう。
「何も話すことないですよ」
そういうのみだ。
「いえ、我々はむしろ熊本さんに責任があるのではなく、解放同盟や行政の体質に問題があるのではないかと考えているんですよ。ですからぜひお願いします。少しだけでもお話をお願いします」
 一瞬、熊本の顔が安堵《あんど》したようにも見えた。それでも態度は頑《かたく》なだ。
「そのことについては、話さないことにしてますので」
「そうですか。では何かお話頂けたり、ご協力できることがあったらぜひこちらに」
と、我々は名刺を渡した。
「解放同盟の支部はどちらになりますか?」
「私が所属していたのは立花支部ですよ」
 しかし、その他は何を聞いても話せないというだけで、事件の核心について全く踏み込めない。おそらく支部から口止めでもされているのだろうか。この時点ではそう思っていた。ともかく実際に会えて良かった。ほとんど会話にならなかったが、まずは名刺を渡せたのが良かった。「営業は断られた時から始まる」という題名の本があった通り、これは最初の一歩に過ぎないのだ。
 その日、八女市の第三セクターのレジャー施設「べんがら村」で一風呂浴びたあと、旧立花町内にある道の駅「たちばな」で一泊することにした。この辺りは竹林が多く、タケノコの生産量は日本一だという。竹を原料に作られる竹炭も名物で、道の駅では竹炭で濾過した水を飲むことができる。
「熊本さん、気が小さそうなのに、糾弾されて気の毒だな」
「あの人だけに問題があるわけじゃないのに」
 こんなことを思いながら眠りについた。しかしその後、我々が熊本に抱いた思いや予想はモノの見事に崩されていくことになる。(次号へつづく)


大阪沖縄県人会に抗議されていた大阪府同和教育の「大恥」

 沖縄が日本に復帰する一年前の話。「沖縄県」として編入するため議会、行政、条例などの制度整備が続けられる一方、教育行政ではどう「沖縄」を教えるのかについても議論が進められていた。それを同和教育、人権教育に利用しようとしたのが、大阪府教委である。昭和46年1月22日、大阪府教育委員会は吉澤《よしざわ》正七郎《しょうしちろう》教育長(当時)の名で「にんげん(中学校用)について」という文書を各市町村の教育委員会に通知し、教育現場でも使うように要請した。もともとこの「にんげん」は、同和問題、被爆者などを扱った人権教育の副読本。小学校を対象に配布していたものだ。そして復帰に伴い全国解放教育研究会が中学生用に沖縄問題を取り入れ編集。「沖縄の問いかけるもの」なる読み物を作成し「沖縄人差別」を取り上げたのである。
「沖縄の問いかけるもの」ではT君という中学生が沖縄に行き、彼に対して教師が沖縄差別を説く、こんなスタイルで進められている。一部を抜粋してみよう。

T君。きみが学んだ「部落差別」のことを思い出してほしい。「沖縄差別」と「部落差別」とは、歴史性も社会性もたしかにちがう。明治以来、貧しい家庭の子どもが学校を休めば、校長や駐在所の巡査、場合によっては村長さまが、その“不心得”をさとしたものだが、それが部落の子どもたちなら、だれも気にもとめなかった。就職も、結構も、いや、きみたちが学んだように、部落差別はひどすぎた。そのかずかずの差別を、ぼくたちは平気でしてきたのだ。しないまでも、見すごしてきたのだ。しかし、この差別と、沖縄の人たちへの差別と、ぼくたちの心のなかで、果たしてどれだけのきょりがあるのだろうか。「沖縄」と対して、ぼくたち日本人には自分自身が見えてくる。あの沖縄ののどかな芝生の連なりが、実はおそろしい軍事基地であることが見えてくるように―。もちろん「沖縄差別」も、ときの政治を左右した人たちがつくりだしたものだ。だが、沖縄の人たちを「現実に差別してきた」のは、ぼくたち日本人自身だった。日本人には、その自分自身のみにくい姿が、見えなかったのだ。

本土のぼくたちが歴史のなかで、沖縄の人びとにしてきた差別のかずかずとともに、いまも沖縄の人たちを“恐怖のなかに放置している”差別を、考えてみてほしい。本土のぼくたちは、部落に対して「なにをするのか」と問われているのと同様に、沖縄に対して「なにをするのか」と問われているのだ。

 沖縄と同和、まるで前提の異なる現象を強引に結びつけるこの種の言説自体は特別、珍しいことでもなく、今でも「人権教育」の現場や集会では同様の教材や主張をよく目にする。そして、まるで同和側から沖縄に「連帯しよう」とでも言いたげだ。ところが、面白いことにこの「にんげん」に対して、大阪沖縄県人会側が「No」を突きつけたのである。
 県人会側は府教委側へこう反論している。

沖縄差別と、部落差別は、全く異質のものであり、心情的差別の量にいたつては比較する事自体が無意味な程、雲泥の相違がある。府教委も、質、量共に、違いのあることを認めている。然るにこれ程違うものを単なる差別という広い範疇で取り上げ、部落解放を標榜する副読本に、沖縄を併記掲載したら如何なる結果を生来するかという事である。ある学者は『人はイメージを頼りにして物事を判断する』といつている(日本の思想)この副読本は『解放を必要とする心情的被差別者を収容する本』というのが平均的イメージだと思われる。だとすれば、沖縄も心情的解放を必要とするものとなる。然るに、今見て来たように、沖縄の場合、過去はいざ知らず現在、心情的差別『蔑《さげす》まれ軽蔑』されている事実は、格別に取り上げて、事挙げする程はないことを知つた。然るに、この読本を持つイメージで判断されれば、オール沖縄県も亦《また》未開放部落の一種なりという印象を、否応なく植え付けられる怖れが多分にあると思われる。特に相手が、批判力の弱い児童生徒にして見れば、なほ一層その感を深くする。

 同和教育、同和事業のためなら利用できるものは何でも使え! と「にんげん」で沖縄にすり寄ってはみたものの思い切り、拒否された格好なのだ。この件を検証してみて改めて思う。行政や運動体が守りたいのは、「人」ではなく「自身の主張」と「事業」であると。(三)


愛荘町事件の再現? 同和地区問い合わせ電話を解放同盟に通報した長野市

 解放新聞中央版(2011年5月16日)に“「○○地区の部落を知りたい」と長野市人権同和政策課へ問い合わせ”という記事が掲載された。

「〇〇〇〇地区の部落を知りたい」と2月16日午後5時ごろ、長野市役所の人権同和政策課の直通電話に、市内の部落を問い合わせる差別電話事件があった。
 電話の相手は、明瞭な話し方をする男性で、声から比較的若く20~30歳ぐらいに聞こえたという。同人権同和政策課は、翌17日に市保健福祉部長、市教育委員会教育長、教育次長に報告。さらに北信教育事務所、長野地方法務局へ報告し、18日には市長、副市長へ報告した。
 報告を受けた市協議会は、直通電話に履歴が残る設備や差別を受ける側への視点、人権侵害救済に関するとりくみの要請をおこなった。

市内の部落を問い合わせた差別電話事件
職員 人権同和政策課です
相手 〇〇〇〇地区の部落を知りたい。人に頼まれている、教えて欲しいのだが
職員 どちらさまですか。訳は
相手 ……(沈黙)
職員 教えることはできません。聞いてくること自体が差別です
相手 ……やっぱりそうですか
職員 そういうことを聞いてくること自体差別
相手 ……(無言で電話を切る)

 この記事から思い出されるのは、本誌「滋賀県同和行政バトル日記」のきっかけとなった、2007年8月16日の「東近江市民による電話での愛荘町役場への同和地区問い合わせ差別事件」であろう。愛荘町の場合は、着信履歴に残されていた電話番号から電話をかけた人が割り出され、その情報が解放同盟に提供されて糾弾会となった。記事を読む限り、長野市でそうならなかったのは、単に電話に着信履歴が残るようになっていなかったからである。
 ともかく、こうなれば次にやってみることは1つである。私は早速長野市人権同和政策課へ電話をかけた。
 名前を名乗った後、「長野市内の同和地区の場所を知りたいんですけど、どうやったら分かりますでしょうか」と直球な質問を投げかけると、電話口に出た職員は「…少々お待ち下さい」と言い、しばらく保留音が鳴った後、別の職員に交代した。次に出てきた職員は部署名と名前を名乗った後、こんな質問をしてきた。
「まず、大変失礼なのですけどお名前とご連絡先を教えていただくことは可能ですか?」
 当然、本名、住所、電話番号と個人情報をフルに伝えた。以降、職員との会話は次のとおりである。

職員 「今、担当の者から引き継いだのですが、長野市内の…」
  「はい、同和地区なのですがどうやったら知ることができますか?」
職員 「これ、大変失礼ですが意図はどういったことなのでしょうか」
  「別に意図を言う必要はないと思いますけどね」
職員 「何か研究ということになるのですか?」
  「調査というか、取材です」
職員 「この調査は不動産とか結婚ですか?」
  「そういった事は言う必要はないと思いますけどね」
職員 「まず、連絡先などを教えていただきありがとうございました。ここは人権同和政策課という名称の通り、同和問題等が根強く残っていることを解消するために啓発を中心とした業務を行っております。従って、法律上切れてしまっている同和地区というのは行政上の概念でして、現在長野市では把握しておりません。」

 これは意外であった。解放新聞のとおり「聞いてくること自体が差別」と門前払いされるかと思ったが、そもそも把握していないので答えられないという対応なのである。詳しく聞いてみるとこういうことだ、現在長野市では未だに結婚や不動産関係で根強く残っている差別を解消するための啓発業務をしており、同和地区がどこかということを特定すること自体が差別という認識だというのである。そして、その事業は解放同盟と連携してやっているという。
 解放同盟と言えば、都道府県連があり、その下に市協があり、そして地区ごとに支部がある。ご承知のとおり、解放同盟の支部が分かれば必然的に同和地区がどこにあるのかということも分かる。そこで、「解放同盟の支部は把握しているのか?」と聞いてみたところ、「市協から先のことまでは把握していません」ということであった。
 しかし、後で同和地区について「知らなくて答えられないのか、知ってて答えないのかどちらでしょうか?」と突っ込んでみたところでは、「把握している部分はございます」ということだった。同和対策が終わったと言っても、長野市内には4つの隣保館、16の「人権同和教育集会所」がある。当然、その場所のほとんどは同和地区である。そうでなくても信州といえば島崎藤村の「破戒」の舞台であり、どこが「被差別部落」なのかというとも、地元に長く住んでいる人にとってはよく知られたことだ。市役所の職員ともなれば、なおさらであろう。
 例えば筆者は長野市の郊外、旧|松代町《まつしろまち》にある大室《おおむろ》古墳群に観光に行ったことがあるのだが、山中の古墳群の麓《ふもと》には教育集会所があって、少し離れたところには隣保館がある非常に分かりやすい同和地区であった。同行した地元の同級生によれば「信州|若穂《わかほ》と言えばそれで有名」(松代とその隣の若穂地区には被差別部落が多い)であるという。
 ところで、解放新聞に書かれていたように、問い合わせがあったことが解放同盟に報告されるのかということも聞いてみた。

  「解放新聞で読んだのですが、さきほど聞かれた私の個人情報を市協に提供したりするんでしょうか?」
職員 「事の成り行きによりましては、特に不動産や結婚に関わる問い合わせについては重大な人権侵害になりますので、法務局等とも相談してそういう狙いのもとに担当させていただきますが…」
  「場合によっては提供されることでしょうか」
職員 「個人情報の流出になりますし、地域を特定するというのはそういうことなので」
  「個人情報というのは誰の個人情報ですか?」
職員 「お問い合わせいただいた地域が同和地区ですかということは、問題であるということになりますので」

 話が噛み合っていない部分があるが、職員のいう「個人情報」というのは、「どこが同和地区か」という情報のことである。一方で私が言うところの「問い合わせをした人の個人情報」は、解放同盟に流れてしまうということがあるようだ。
 ついでに愛荘町の一件を知っているかどうか聞いてみたところ、案の定知らないということであった。
 そして職員は最後にこう締めくくった。
「他の課も含めて特別対策はなくなっておりますが、ぜひ皆さんで力を合わせて偏見等なくなるようお力添えいただきまして、ぜひ一緒に取り組んでいただければと思います。」
 33年の同和対策事業の痕跡はそう簡単に消えそうもない。人間は好奇心の強い動物だから、調べれば分かる以上「市役所に問い合わせる」という、ある意味大胆な行動にでる人がいるのも必然的なことだ。
 部落差別の存在をちらつかせ、すんでのところで教えない。それが余計に人々の興味を誘い「差別事件」は繰り返される。そしてそれがまた「部落差別」の存在を証明するものとして「啓発」の材料にされていく。啓発のための啓発という無限ループはいつまで続いていくのだろうか。(鳥)


同和、在日、隠れキリシタン 人権を大安売りする中野国家公安委員長の薄っぺら「感性」

 民主党政権が発足してからというもの不思議な閣僚人事が続いている。特に韓国の反日デモに参加した岡崎トミ子参院議員が国家公安委員長に就任した際は、多くの人が疑問を感じただろう。そしてその後、内閣改造で国家公安委員長の職について中野《なかの》寛成《かんせい》氏も果たしてこのポストが適任なのかどうか疑問だ。さらに不思議なのがその発言の“軽さ”である。中野氏の地元、大阪府の部落解放同盟関係者がこう証言する。
「なぜか数年前から中野氏は“自分は同和地区出身者だ”と言い始めたそうだ」
 中野氏の著書でもこうした出自については明かされてはいない。中野氏の議員事務所に確認してみると、担当秘書は「本人は否定しています。ただもともと隠れキリシタンの村に生まれたとは言っています。そのことはHPにも掲載していますのでそちらをお読みください」と説明する。
 中野氏のHPのプロフィールをのぞいてみると「昭和15年11月26日、長崎市生まれ。満4歳の時、原爆体験。呉服商の父が倒産し、昭和29年8月、中学2年の時に豊中市へ。アルバイトで家計を助けつつ苦学」とある。さらに「中野寛成の波乱万丈」というコラムでは「私の父の郷里は、長崎県|西彼杵郡《にしそのきぐん》黒崎村《くろさきむら》(現在・長崎市|下黒崎町《しもくろさきまち》)といい、長崎市の北西部に位置します。東シナ海に面した夕日の美しい村です。昔から隠れキリシタンの里として知られ、遠藤周作の「沈黙」の舞台ともなっています」と生い立ちを説明している。
 原爆体験をして、隠れキリシタンの里に生まれた、何らやとりあえず“悲劇的”な現象をひたすら「盛った」かのような経歴だ。
 ではなぜ、前述した同和地区出身の話が生じたのだろうか。どうも過去の講演での発言が原因のようなのだ。『中日新聞』(1998年5月11日)によると、『私の母は部落出身民主の中野氏 差別撤廃訴え』という記事が掲載されている。
「わたしの母親は被差別部落の出身であります」。民主党の中野寛成代表代行は十日、来賓として出席した部落解放同盟全国大会(福岡県春日市)のあいさつで「(両親)二人の間で、時にこの差別の問題が夫婦げんかの種になった。子供としてはどうしたいいかと本当に困惑したことがある」と語った。さらに「わたし自身健康そうに見えますが、いわゆる色覚異常であります」と打ち明け「このこと(色覚異常)は明らかに就職差別や結婚差別の対象となっている。差別意識を除去するための運動を強くしなければならない」と差別撤廃の重要性を切々と訴えた。
 どうやらこの母親に関する情報がめぐりめぐって、「同和出身」という話になったようなのだ。それにしても原爆体験者の上、色覚異常というのだから一体、何重苦の人なのか?
 そしてある時は解放同盟で差別撤廃を訴えたとか思えば、在日本大韓民国婦人会中央本部60周年記念式典では「政権交代を機会に、地方参政権を実現したい。政権政党という立場から、議員立法よりも政府自らが責任を負うという意味で政府提案に向け準備している。遅くとも来年春の通常国会には実現させたい。民主党として全力を尽くす」と話す。とりあえず「人権めいたもの」をひたすらまき散らすその様は“薄っぺら感性”の名がふさわしい。(三)


八女の同和地区に育つ違法ケシの怪


すくすくと育つアツミゲシ(八女市国武で撮影)。

 シリーズ「自演」の取材中に見つけたケシの花、園芸に詳しい読者であればピンと来たのではないだろうか。ケシといえば品種によってヘロインの原料となり、日本では許可無く栽培することは禁止されている。
 5月にはオレンジ色の「ナガミヒナゲシ」の花が全国各地で満開になるのだが、これはもちろん麻薬成分を含まない、合法な品種である。しかし、立花町山崎中洲の「さくら台住宅」の近くに生えていたケシの花は紫色で、明らかに別の品種であった。気になった我々はそれを写真に撮り、翌日福岡県八女総合庁舎内にある南筑後保健福祉環境事務所に持ち込んだ。
 写真を見た職員は、間髪入れずにこう言った。
「セティゲルムですね、植えてはいけないケシです」
 保健所ではセティゲルムとよばれるそのケシは、一般にはアツミゲシと呼ばれる品種である。特徴は花全体が薄い紫色で、花の中心部を覗くと濃い紫色の模様があること、葉はギザギザがあり茎を抱きかかえるような形をしていることだ。実には麻薬成分が含まれているので、栽培は違法である。しかし、大麻などと違ってケシの実から「製品」であるヘロインを作ることは非常に手間がかかる。しかもアツミゲシはもともと麻薬の原料として栽培するための品種ではないため実が小さく、麻薬用として栽培しても割りに合わないと言われる。そのためか、アツミゲシの違法栽培が摘発されたという例は聞かない。その代わり、毎年春になると園芸用のケシと間違えて栽培して、保健所や警察が抜き取りに来たということがニュースになる。
「後で抜き取りに行きますので、場所を教えてください」
 職員がそう言って住宅地図を持ってきたので、さくら台住宅の付近を指し示しておいた。
 保健所を出た後、我々は別の用事で下川犬《しもかわい》へ向かった、目的地に差し掛かる直前、道路脇に生えた無数の紫色の花が目に入り、急いで車を止めた。驚くことに、それも全てアツミゲシだった。県道横の民家の庭と思われる場所に、たくさん生えていた。もちろん、これも保健所に通報しておいた。
 次に我々は北国武《きたくにたけ》に向かった。目的地に着いて集落の中程にあるプレハブ小屋の横を見ると、ここにも立派なアツミゲシが生えていた。当然、これも通報である。
 どうして「植えてはいけないケシ」がこんなにもあるのか。保健所の職員に聞いてみると、九州の気候がケシの生育に適しているらしく、南筑後保健所の管内でも毎年30件程度の通報があるという。“ケシ粒”と言われるようにケシは実の中に無数の細かい種をつけ、それが風で四方八方に飛び散ってしまうので、一度でも花が咲いて実を着けるのを見逃すと、ところかまわず生えてくるのだ。
 しかも、違法なケシといえ、ケシはケシなので花としての美しさは園芸種と変らない。道端に咲いていても、刈り取ってしまうのは忍びない。それどころか、知らずに自分の家の花壇で観賞用に栽培してしまう人も多いと聞く。そうして、もともと繁殖力が強いケシの繁殖を、人間が手助けしてしまうのである。
 その後、保健所から連絡があり、土地の所有者に確認してケシを処分したとのことであった。幸い、意図的に栽培されていたものではなく、どこからか種が飛んできて偶然生えたものだった。
 読者が見つけた場合は、最寄りの保健所か警察に通報しよう。興味本位で実をかじったりしないように。職務質問されて、尿検査でもされたら手が後ろに回りかねない。
 それにしても、どうしてこう同和地区に向かう途中に限って見つかるのだろうか? そうだ、そもそも我々は八女市では同和地区ばかり巡っていたのであった。(鳥)



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