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ワイド 同和に群がる懲りない面々

大阪沖縄県人会に抗議されていた大阪府同和教育の「大恥」

 沖縄が日本に復帰する一年前の話。「沖縄県」として編入するため議会、行政、条例などの制度整備が続けられる一方、教育行政ではどう「沖縄」を教えるのかについても議論が進められていた。それを同和教育、人権教育に利用しようとしたのが、大阪府教委である。昭和46年1月22日、大阪府教育委員会は吉澤《よしざわ》正七郎《しょうしちろう》教育長(当時)の名で「にんげん(中学校用)について」という文書を各市町村の教育委員会に通知し、教育現場でも使うように要請した。もともとこの「にんげん」は、同和問題、被爆者などを扱った人権教育の副読本。小学校を対象に配布していたものだ。そして復帰に伴い全国解放教育研究会が中学生用に沖縄問題を取り入れ編集。「沖縄の問いかけるもの」なる読み物を作成し「沖縄人差別」を取り上げたのである。
「沖縄の問いかけるもの」ではT君という中学生が沖縄に行き、彼に対して教師が沖縄差別を説く、こんなスタイルで進められている。一部を抜粋してみよう。

T君。きみが学んだ「部落差別」のことを思い出してほしい。「沖縄差別」と「部落差別」とは、歴史性も社会性もたしかにちがう。明治以来、貧しい家庭の子どもが学校を休めば、校長や駐在所の巡査、場合によっては村長さまが、その“不心得”をさとしたものだが、それが部落の子どもたちなら、だれも気にもとめなかった。就職も、結構も、いや、きみたちが学んだように、部落差別はひどすぎた。そのかずかずの差別を、ぼくたちは平気でしてきたのだ。しないまでも、見すごしてきたのだ。しかし、この差別と、沖縄の人たちへの差別と、ぼくたちの心のなかで、果たしてどれだけのきょりがあるのだろうか。「沖縄」と対して、ぼくたち日本人には自分自身が見えてくる。あの沖縄ののどかな芝生の連なりが、実はおそろしい軍事基地であることが見えてくるように―。もちろん「沖縄差別」も、ときの政治を左右した人たちがつくりだしたものだ。だが、沖縄の人たちを「現実に差別してきた」のは、ぼくたち日本人自身だった。日本人には、その自分自身のみにくい姿が、見えなかったのだ。

本土のぼくたちが歴史のなかで、沖縄の人びとにしてきた差別のかずかずとともに、いまも沖縄の人たちを“恐怖のなかに放置している”差別を、考えてみてほしい。本土のぼくたちは、部落に対して「なにをするのか」と問われているのと同様に、沖縄に対して「なにをするのか」と問われているのだ。

 沖縄と同和、まるで前提の異なる現象を強引に結びつけるこの種の言説自体は特別、珍しいことでもなく、今でも「人権教育」の現場や集会では同様の教材や主張をよく目にする。そして、まるで同和側から沖縄に「連帯しよう」とでも言いたげだ。ところが、面白いことにこの「にんげん」に対して、大阪沖縄県人会側が「No」を突きつけたのである。
 県人会側は府教委側へこう反論している。

沖縄差別と、部落差別は、全く異質のものであり、心情的差別の量にいたつては比較する事自体が無意味な程、雲泥の相違がある。府教委も、質、量共に、違いのあることを認めている。然るにこれ程違うものを単なる差別という広い範疇で取り上げ、部落解放を標榜する副読本に、沖縄を併記掲載したら如何なる結果を生来するかという事である。ある学者は『人はイメージを頼りにして物事を判断する』といつている(日本の思想)この副読本は『解放を必要とする心情的被差別者を収容する本』というのが平均的イメージだと思われる。だとすれば、沖縄も心情的解放を必要とするものとなる。然るに、今見て来たように、沖縄の場合、過去はいざ知らず現在、心情的差別『蔑《さげす》まれ軽蔑』されている事実は、格別に取り上げて、事挙げする程はないことを知つた。然るに、この読本を持つイメージで判断されれば、オール沖縄県も亦《また》未開放部落の一種なりという印象を、否応なく植え付けられる怖れが多分にあると思われる。特に相手が、批判力の弱い児童生徒にして見れば、なほ一層その感を深くする。

 同和教育、同和事業のためなら利用できるものは何でも使え! と「にんげん」で沖縄にすり寄ってはみたものの思い切り、拒否された格好なのだ。この件を検証してみて改めて思う。行政や運動体が守りたいのは、「人」ではなく「自身の主張」と「事業」であると。(三)


愛荘町事件の再現? 同和地区問い合わせ電話を解放同盟に通報した長野市

 解放新聞中央版(2011年5月16日)に“「○○地区の部落を知りたい」と長野市人権同和政策課へ問い合わせ”という記事が掲載された。

「〇〇〇〇地区の部落を知りたい」と2月16日午後5時ごろ、長野市役所の人権同和政策課の直通電話に、市内の部落を問い合わせる差別電話事件があった。
 電話の相手は、明瞭な話し方をする男性で、声から比較的若く20~30歳ぐらいに聞こえたという。同人権同和政策課は、翌17日に市保健福祉部長、市教育委員会教育長、教育次長に報告。さらに北信教育事務所、長野地方法務局へ報告し、18日には市長、副市長へ報告した。
 報告を受けた市協議会は、直通電話に履歴が残る設備や差別を受ける側への視点、人権侵害救済に関するとりくみの要請をおこなった。

市内の部落を問い合わせた差別電話事件
職員 人権同和政策課です
相手 〇〇〇〇地区の部落を知りたい。人に頼まれている、教えて欲しいのだが
職員 どちらさまですか。訳は
相手 ……(沈黙)
職員 教えることはできません。聞いてくること自体が差別です
相手 ……やっぱりそうですか
職員 そういうことを聞いてくること自体差別
相手 ……(無言で電話を切る)

 この記事から思い出されるのは、本誌「滋賀県同和行政バトル日記」のきっかけとなった、2007年8月16日の「東近江市民による電話での愛荘町役場への同和地区問い合わせ差別事件」であろう。愛荘町の場合は、着信履歴に残されていた電話番号から電話をかけた人が割り出され、その情報が解放同盟に提供されて糾弾会となった。記事を読む限り、長野市でそうならなかったのは、単に電話に着信履歴が残るようになっていなかったからである。
 ともかく、こうなれば次にやってみることは1つである。私は早速長野市人権同和政策課へ電話をかけた。
 名前を名乗った後、「長野市内の同和地区の場所を知りたいんですけど、どうやったら分かりますでしょうか」と直球な質問を投げかけると、電話口に出た職員は「…少々お待ち下さい」と言い、しばらく保留音が鳴った後、別の職員に交代した。次に出てきた職員は部署名と名前を名乗った後、こんな質問をしてきた。
「まず、大変失礼なのですけどお名前とご連絡先を教えていただくことは可能ですか?」
 当然、本名、住所、電話番号と個人情報をフルに伝えた。以降、職員との会話は次のとおりである。

職員 「今、担当の者から引き継いだのですが、長野市内の…」
  「はい、同和地区なのですがどうやったら知ることができますか?」
職員 「これ、大変失礼ですが意図はどういったことなのでしょうか」
  「別に意図を言う必要はないと思いますけどね」
職員 「何か研究ということになるのですか?」
  「調査というか、取材です」
職員 「この調査は不動産とか結婚ですか?」
  「そういった事は言う必要はないと思いますけどね」
職員 「まず、連絡先などを教えていただきありがとうございました。ここは人権同和政策課という名称の通り、同和問題等が根強く残っていることを解消するために啓発を中心とした業務を行っております。従って、法律上切れてしまっている同和地区というのは行政上の概念でして、現在長野市では把握しておりません。」

 これは意外であった。解放新聞のとおり「聞いてくること自体が差別」と門前払いされるかと思ったが、そもそも把握していないので答えられないという対応なのである。詳しく聞いてみるとこういうことだ、現在長野市では未だに結婚や不動産関係で根強く残っている差別を解消するための啓発業務をしており、同和地区がどこかということを特定すること自体が差別という認識だというのである。そして、その事業は解放同盟と連携してやっているという。
 解放同盟と言えば、都道府県連があり、その下に市協があり、そして地区ごとに支部がある。ご承知のとおり、解放同盟の支部が分かれば必然的に同和地区がどこにあるのかということも分かる。そこで、「解放同盟の支部は把握しているのか?」と聞いてみたところ、「市協から先のことまでは把握していません」ということであった。
 しかし、後で同和地区について「知らなくて答えられないのか、知ってて答えないのかどちらでしょうか?」と突っ込んでみたところでは、「把握している部分はございます」ということだった。同和対策が終わったと言っても、長野市内には4つの隣保館、16の「人権同和教育集会所」がある。当然、その場所のほとんどは同和地区である。そうでなくても信州といえば島崎藤村の「破戒」の舞台であり、どこが「被差別部落」なのかというとも、地元に長く住んでいる人にとってはよく知られたことだ。市役所の職員ともなれば、なおさらであろう。
 例えば筆者は長野市の郊外、旧|松代町《まつしろまち》にある大室《おおむろ》古墳群に観光に行ったことがあるのだが、山中の古墳群の麓《ふもと》には教育集会所があって、少し離れたところには隣保館がある非常に分かりやすい同和地区であった。同行した地元の同級生によれば「信州|若穂《わかほ》と言えばそれで有名」(松代とその隣の若穂地区には被差別部落が多い)であるという。
 ところで、解放新聞に書かれていたように、問い合わせがあったことが解放同盟に報告されるのかということも聞いてみた。

  「解放新聞で読んだのですが、さきほど聞かれた私の個人情報を市協に提供したりするんでしょうか?」
職員 「事の成り行きによりましては、特に不動産や結婚に関わる問い合わせについては重大な人権侵害になりますので、法務局等とも相談してそういう狙いのもとに担当させていただきますが…」
  「場合によっては提供されることでしょうか」
職員 「個人情報の流出になりますし、地域を特定するというのはそういうことなので」
  「個人情報というのは誰の個人情報ですか?」
職員 「お問い合わせいただいた地域が同和地区ですかということは、問題であるということになりますので」

 話が噛み合っていない部分があるが、職員のいう「個人情報」というのは、「どこが同和地区か」という情報のことである。一方で私が言うところの「問い合わせをした人の個人情報」は、解放同盟に流れてしまうということがあるようだ。
 ついでに愛荘町の一件を知っているかどうか聞いてみたところ、案の定知らないということであった。
 そして職員は最後にこう締めくくった。
「他の課も含めて特別対策はなくなっておりますが、ぜひ皆さんで力を合わせて偏見等なくなるようお力添えいただきまして、ぜひ一緒に取り組んでいただければと思います。」
 33年の同和対策事業の痕跡はそう簡単に消えそうもない。人間は好奇心の強い動物だから、調べれば分かる以上「市役所に問い合わせる」という、ある意味大胆な行動にでる人がいるのも必然的なことだ。
 部落差別の存在をちらつかせ、すんでのところで教えない。それが余計に人々の興味を誘い「差別事件」は繰り返される。そしてそれがまた「部落差別」の存在を証明するものとして「啓発」の材料にされていく。啓発のための啓発という無限ループはいつまで続いていくのだろうか。(鳥)


同和、在日、隠れキリシタン 人権を大安売りする中野国家公安委員長の薄っぺら「感性」

 民主党政権が発足してからというもの不思議な閣僚人事が続いている。特に韓国の反日デモに参加した岡崎トミ子参院議員が国家公安委員長に就任した際は、多くの人が疑問を感じただろう。そしてその後、内閣改造で国家公安委員長の職について中野《なかの》寛成《かんせい》氏も果たしてこのポストが適任なのかどうか疑問だ。さらに不思議なのがその発言の“軽さ”である。中野氏の地元、大阪府の部落解放同盟関係者がこう証言する。
「なぜか数年前から中野氏は“自分は同和地区出身者だ”と言い始めたそうだ」
 中野氏の著書でもこうした出自については明かされてはいない。中野氏の議員事務所に確認してみると、担当秘書は「本人は否定しています。ただもともと隠れキリシタンの村に生まれたとは言っています。そのことはHPにも掲載していますのでそちらをお読みください」と説明する。
 中野氏のHPのプロフィールをのぞいてみると「昭和15年11月26日、長崎市生まれ。満4歳の時、原爆体験。呉服商の父が倒産し、昭和29年8月、中学2年の時に豊中市へ。アルバイトで家計を助けつつ苦学」とある。さらに「中野寛成の波乱万丈」というコラムでは「私の父の郷里は、長崎県|西彼杵郡《にしそのきぐん》黒崎村《くろさきむら》(現在・長崎市|下黒崎町《しもくろさきまち》)といい、長崎市の北西部に位置します。東シナ海に面した夕日の美しい村です。昔から隠れキリシタンの里として知られ、遠藤周作の「沈黙」の舞台ともなっています」と生い立ちを説明している。
 原爆体験をして、隠れキリシタンの里に生まれた、何らやとりあえず“悲劇的”な現象をひたすら「盛った」かのような経歴だ。
 ではなぜ、前述した同和地区出身の話が生じたのだろうか。どうも過去の講演での発言が原因のようなのだ。『中日新聞』(1998年5月11日)によると、『私の母は部落出身民主の中野氏 差別撤廃訴え』という記事が掲載されている。
「わたしの母親は被差別部落の出身であります」。民主党の中野寛成代表代行は十日、来賓として出席した部落解放同盟全国大会(福岡県春日市)のあいさつで「(両親)二人の間で、時にこの差別の問題が夫婦げんかの種になった。子供としてはどうしたいいかと本当に困惑したことがある」と語った。さらに「わたし自身健康そうに見えますが、いわゆる色覚異常であります」と打ち明け「このこと(色覚異常)は明らかに就職差別や結婚差別の対象となっている。差別意識を除去するための運動を強くしなければならない」と差別撤廃の重要性を切々と訴えた。
 どうやらこの母親に関する情報がめぐりめぐって、「同和出身」という話になったようなのだ。それにしても原爆体験者の上、色覚異常というのだから一体、何重苦の人なのか?
 そしてある時は解放同盟で差別撤廃を訴えたとか思えば、在日本大韓民国婦人会中央本部60周年記念式典では「政権交代を機会に、地方参政権を実現したい。政権政党という立場から、議員立法よりも政府自らが責任を負うという意味で政府提案に向け準備している。遅くとも来年春の通常国会には実現させたい。民主党として全力を尽くす」と話す。とりあえず「人権めいたもの」をひたすらまき散らすその様は“薄っぺら感性”の名がふさわしい。(三)


八女の同和地区に育つ違法ケシの怪


すくすくと育つアツミゲシ(八女市国武で撮影)。

 シリーズ「自演」の取材中に見つけたケシの花、園芸に詳しい読者であればピンと来たのではないだろうか。ケシといえば品種によってヘロインの原料となり、日本では許可無く栽培することは禁止されている。
 5月にはオレンジ色の「ナガミヒナゲシ」の花が全国各地で満開になるのだが、これはもちろん麻薬成分を含まない、合法な品種である。しかし、立花町山崎中洲の「さくら台住宅」の近くに生えていたケシの花は紫色で、明らかに別の品種であった。気になった我々はそれを写真に撮り、翌日福岡県八女総合庁舎内にある南筑後保健福祉環境事務所に持ち込んだ。
 写真を見た職員は、間髪入れずにこう言った。
「セティゲルムですね、植えてはいけないケシです」
 保健所ではセティゲルムとよばれるそのケシは、一般にはアツミゲシと呼ばれる品種である。特徴は花全体が薄い紫色で、花の中心部を覗くと濃い紫色の模様があること、葉はギザギザがあり茎を抱きかかえるような形をしていることだ。実には麻薬成分が含まれているので、栽培は違法である。しかし、大麻などと違ってケシの実から「製品」であるヘロインを作ることは非常に手間がかかる。しかもアツミゲシはもともと麻薬の原料として栽培するための品種ではないため実が小さく、麻薬用として栽培しても割りに合わないと言われる。そのためか、アツミゲシの違法栽培が摘発されたという例は聞かない。その代わり、毎年春になると園芸用のケシと間違えて栽培して、保健所や警察が抜き取りに来たということがニュースになる。
「後で抜き取りに行きますので、場所を教えてください」
 職員がそう言って住宅地図を持ってきたので、さくら台住宅の付近を指し示しておいた。
 保健所を出た後、我々は別の用事で下川犬《しもかわい》へ向かった、目的地に差し掛かる直前、道路脇に生えた無数の紫色の花が目に入り、急いで車を止めた。驚くことに、それも全てアツミゲシだった。県道横の民家の庭と思われる場所に、たくさん生えていた。もちろん、これも保健所に通報しておいた。
 次に我々は北国武《きたくにたけ》に向かった。目的地に着いて集落の中程にあるプレハブ小屋の横を見ると、ここにも立派なアツミゲシが生えていた。当然、これも通報である。
 どうして「植えてはいけないケシ」がこんなにもあるのか。保健所の職員に聞いてみると、九州の気候がケシの生育に適しているらしく、南筑後保健所の管内でも毎年30件程度の通報があるという。“ケシ粒”と言われるようにケシは実の中に無数の細かい種をつけ、それが風で四方八方に飛び散ってしまうので、一度でも花が咲いて実を着けるのを見逃すと、ところかまわず生えてくるのだ。
 しかも、違法なケシといえ、ケシはケシなので花としての美しさは園芸種と変らない。道端に咲いていても、刈り取ってしまうのは忍びない。それどころか、知らずに自分の家の花壇で観賞用に栽培してしまう人も多いと聞く。そうして、もともと繁殖力が強いケシの繁殖を、人間が手助けしてしまうのである。
 その後、保健所から連絡があり、土地の所有者に確認してケシを処分したとのことであった。幸い、意図的に栽培されていたものではなく、どこからか種が飛んできて偶然生えたものだった。
 読者が見つけた場合は、最寄りの保健所か警察に通報しよう。興味本位で実をかじったりしないように。職務質問されて、尿検査でもされたら手が後ろに回りかねない。
 それにしても、どうしてこう同和地区に向かう途中に限って見つかるのだろうか? そうだ、そもそも我々は八女市では同和地区ばかり巡っていたのであった。(鳥)