芽生えの章
「蛍のピンチ」
大志はプレセントがたくさん入った大きなお土産袋を抱えて一人で海辺を家に向かって歩いていた。ぶつぶつと何かを呟きながら、面白くないという顔をしている。
これで蛍ともなかなか会えなくなるんだろうな。あいつの頭がいいからいけないんだよ。俺みたく劣等生ならば同じ学校に行かれたかもしれないのに。ちきしょう!
彼女が函館にきてからの四年間、ほぼ毎日のように顔を合わせてきた。それが、これからはめったに顔を見られなくなるかもしれないのだ。なんとかしたい。だが、劣等性の俺のことなんか、学校が変わってしまえば、もう相手にしてくれないかもしれない。
蛍は一番優秀な公立高校へと進学する。彼女の周囲は秀才だらけになる。
大志は石を蹴った。コ~ンと勢いよくとんでいき、ボチョンと海におちた。
「お~い、剣先!お~い」
遠くから自分を呼ぶ声がして、大志は声がする方角を振り向いた。左後方から紋甲武が声を張り上げながら自転車でやって来る。
「どうしたんだ!」
キッキー、ブレーキの音が響く。
はあはあはあ。武は息を切らせながら言った。
「あ、青里が高校生に言い寄られているぞ。」
「なんだって!」
「前々から、○○高校の不良の松烏賊(まついか)ってやろうが、青里がかわいいからなんとかしたいって目をつけてやがったんだ。噂では知ってたんだけど、本格的に彼女にちょっかいをだしはじめやがった。危ないぞ。あいつは何をするか分からないので有名な不良だ。」
大志は目を吊り上げた。
「蛍は今どこにいるんだ。」
大志が武の胸をつかむ。
「あ、あわてるな。まだ何が起こったわけじゃない。お前が強いのは分かっているが、喧嘩を売るようなまねはするなよ。奴は危ないからな。」
武は自分の襟をつかんでいる大志の手を押し戻した。
「分かった。どこにいるんだ。」
「学校の裏門で話しかけられている。」
大志の目が険しくなった。
「この自転車、俺に貸してくれ。」
「わかった。でも、いいか、喧嘩はするなよ。」
「わかっているって。」
大志は自転車を飛ばした。
「延長された約束の期限」
だぼだぼの学ランに悪臭を漂わすポマードの臭い。エクレアが頭に乗っかっているようなリージェントの髪型。その風貌を見ただけで、青里蛍は目をそむけたくなった。
「蛍ちゃん、いいだろ。俺と付き合ってくれよ。」
蛍の背中は壁に張り付いていた。
「困ります。」
「どうしてだよ。別に付き合っている奴がいるわけじゃないだろ。」
松烏賊のつばきが顔に飛んでくると、嗚咽があがりそうになる。蛍は顔を横に向けた。
松烏賊の手が蛍の腕に伸びた。
「やめてください。」
蛍は松烏賊の手をはねのけた。
「そういう態度とると、酷いことしちゃうよ。素直に俺の彼女になれって!なあ。」
松烏賊が蛍の顎を触った。
「私、付き合っている人がいるんです。」
「えっ、またまた嘘を。ちゃんと調べてきたんだから。」
「本当です。」
「じゃ、誰だよ。教えてくれよ。そいつの顔見たら、あきらめるからさ。」
松烏賊は両手を壁につけて蛍の身体に自分の身体を近づけてきた。蛍はつま先立ちになって、壁に身体をぴったりと擦り付ける。
「その人に迷惑がかかるから言えません。」
「そんなでたらめやめようよ。蛍イカのような顔していておいしそうだ。へへへへ。」
松烏賊が蛍の頬に指をはわす。
完全にいかれている。蛍は恐怖で動けなくなった。松烏賊は両腕を蛍の身体に回してきた。蛍は頭から血の気が引いて気が遠くなってくるのを感じた。
「おい、そこまで嫌がっているんだから、もうやめたらどうだよ。」
背後から声がして、松烏賊は振り向いた。
「なんだ~。てめえは。」
松烏賊は大志の足もとから頭の先まで上下になんども視線を動かしながら、低い声を出した。
「俺は蛍のダチだよ。しつこくするのはやめてやってくれよ。かわいそうじゃん。」
大志が松烏賊を険しい目でにらみつける。
「てめ~、ガキのくせしやがって、イッチョまえの口ききやがって。ふざけんじゃねえぞ。」
松烏賊は大志の胸倉をつかんだ。あまりの臭さに大志は顔をそむけた。大志は中学を今日卒業したばかり。松烏賊は高校二年。だが、身長183センチ、体重90キロ、分厚い胸板をした大志の身体はちょっとした格闘家のようで、松烏賊を完全に威圧していた。
「あんたくさいよ。きちんと歯磨いている?」
「あんだと、この野郎~!」
ガッン。松烏賊が大志を殴った。大志の口が切れて血がとび散った。大志が怒りの形相で松烏賊を睨みつけた。
「きゃ~。剣先君」
蛍が叫んだ。剣先の口はばっくりと切れていた。血が流れ出し白いシャツが真っ赤に染まっていく。
「この野郎、殴りやがって!」
大志は怒りの声をだした。そしてダッシュして手刀を松烏賊の首に叩き込んだ。グリッ!
「グエッ」松烏賊は首を抑えた。
「まだやるか?」
大志は言った。
「当たり前よ。」
松烏賊は首を押さえながら、パンチをくりだした。だがその体勢ではスピードがでない。大志は簡単によけて、逆水平で手刀を松烏賊の咽喉仏に打ち込んだ。松烏賊の首が曲がった。がっくりと松烏賊は膝まづいた。首を押さえ下を向いたまま、大きく肩で息をしている。
「俺は小さい頃から漁をしてきたから普通の奴とは体の鍛え方が違う。喧嘩で俺に勝てるわけがないぞ。もうやめておけ。」
大志が松烏賊を見下ろした。
「お前、漁師の息子なのか?」
潰れた声で松烏賊が言った。
「そうだ。」
松烏賊は首を押さえたまま、チェッと唾を吐きその場を去って行った。すぐに蛍が大志に駆け寄った。
「剣先君、血がでているわ。」
蛍が大志の口にハンカチを当てると、ハンカチは血を吸ってすぐに真っ赤に染まった。
「大変、血がとまらない。」
蛍の目が潤んでくる。
「大丈夫だ。すぐに止まるよ。」
「剣先君がきてくれなかったら、どんなことになっていたか分からない。本当にありがとう。」
「礼には及ばないよ。」
大志は優しい目で蛍を見た。
「どうして?」
蛍は大志を見つめた。
「お前が転向して来た日に約束したろう。お前の名前をバカにする奴は俺が許さないって。あいつ、お前のことを蛍イカなんて呼んでいたじゃないか。」
「約束、覚えてくれていたんだ。」
蛍は目を閏わしながら、ハンカチを絞ってまた大志の口に当てた。
「ああ。俺は約束は守る。」
「それじゃ、もうひとつの約束も覚えている?」
「なに?もひとつって?」
大志は首をひねった。
「なんで私が、イカが好きだと分かったのか、その理由を中学三年になったら教えてくれるっていう約束よ。」
「バカな。そんな約束まだ覚えていたのか?」
大志はフッと鼻で笑った。
「当たり前よ。中学三年生に早くならないかなって、待っていたんだから。」
そういいながら蛍は血が止まっていないかハンカチを少し離して傷を見た。傷があまりにも深いので顔をしかめた。
「お医者さんに行って縫わなければ駄目だわ。」
大丈夫とばかりに大志はハンカチを自分で押さえて、蛍の手を自分の口から遠ざけた。
「それは高校三年生になったら、教えてやるよ。」
「なに?約束を守らないの?剣先君らしくないわよ!」
「まだ早いんだよ。その理由を知るのは。高校三年生になったら、必ず教えてやるから。待っていてくれ。」
蛍は考えこんだ。
「本当ね?それじゃ、それまで近くにいてくれるの?」
「ああ。約束を果たすまでいつも近くにいる。」
「わかった。それじゃ待つわ。とにかくお医者さんに行きましょう。」
大志は嬉しかった。これで蛍との絆ができた。学校が違っても会えるだろう。殴られて痛い思いをしたおかげでこんなことになるとは夢にも思わなかった。
成長の章
「画家になる夢」
高校生になると、蛍はいつもスケッチ用紙を持ち歩くようになった。そして、景色のよいところを見つけては絵を描いていた。
函館はとてもきれいな街。そしてゆっくりと時間が流れる街。このときの流れの中で、街を描けるなんて幸せだわ。
蛍は埠頭の先に来ていた。ペンシルを握って腕を伸ばしながら片目をつぶる。遠近感をはかり終わると目を閉じて風景を頭の中で思い浮かべながらスケッチをする。
「やっぱりここにいたな。」
背後から急に声をかけられて蛍はビクンとした。そして、後ろを振り返り、フーッと息を吐いた。
「急に話しかけないでよ。ああ、心臓が止まるかと思ったわ。こんな静かなところで驚かすのは無しよ。」
蛍は胸を押さえて自分の鼓動を聞いている。
「ごめん。ごめん。近頃いつもここで絵を描いているもんな。よほど、ここからの風景が気に入っているんだな。」
大志は額に手をかざして遠くの景色を眺める。
「函館山の形が好きなの。」
蛍は胸を押さえながら言った。大志はスケッチを覗き込んだ。函館山が薄く鉛筆で描かれている。大志の目はそれに釘づけになった。
「上手だ。ほれぼれするな。君には絵の才能があるんだな。」
「才能なんて大げさだけど、この街をいつまでも描き続けていたい。この街はいつまでも変わらないような気がする。」
蛍は遠くに横たわっている函館山に視線を戻した。
「そうだな。俺が生まれてから今にいたるまでほとんど変わっていないからな。これから一〇年たっても二〇年たっても変わらないだろう。イカの味が変わらないように。」
「ふふふ、イカの味が変わっていないなんて、当たり前のような気がするけど。この風景もいつまでも変わらないといいわね。」
「ああ。」
大志も函館山に視線を飛ばした。
「剣先君、私、来年、高校を卒業したら美大に行こうかと思っているの。絵の勉強をして、この街をきれいに描けるようになりたいの。」
「そうか。それはいいんじゃないか。」
「東京に行くのよ。」
蛍は大志を見つめて言った。
大志は函館山を見たまま言った。
「東京に行って、本格的な勉強をしてこいよ。いいじゃないか。がんばって夢を果たせよ。」
行くなっていいたいけど、俺たちはまだ高校三年生。将来のことを考えるには早すぎる。俺は君にいつまでも一緒にいてもらいたい。でも、君はそんなことまでは考えていないだろう。
「約束の理由」
蛍に別れを告げるために、大志、武、浅子の三人が空港に集まっていた。
「あんまり悲しそうな顔をするなよ。戻ってこようと思えばいつでも戻ってこられるんだからさ。海を渡るわけじゃあるまいし。」
武が言った。
「海は渡ることになると思うんだけど。」
蛍が首をかしげた。
「あっ、そうか。でも海底でつながっているじゃないか。」
「海底なら世界中どこでもつながっていると思うんだけど。海底トンネルでつながっているということでしょ。」
浅子が言った。
「うるさいな、いちいち、人のあげ足をとるなよ。津軽海峡はたった二十キロしかないんだから、俺なら泳いだって渡れるぜ。」
ふふふふふ。蛍が笑う。
大志はなにも言わずに黙ったままだった。
「おい、剣先、なんとか言えよ。とうぶん会えなくなるんだからさあ。俺たち、七年間、いつも一緒だったもんな。別れは寂しいよ。」
武が大志を急かす。
「蛍、がんばれよ。身体に気をつけて。」
大志がそう言うと、武は口をとがらせた。
「なんだ、それ。そんな台詞みたいなことだけかよ。気のきいたことがいえないなあ。剣先は。」
「紋甲君、ちょっと私たちあっちに行きましょうよ。」
そう言って浅子が武の手を引っ張った。
「なんで~。まだ別れの挨拶が終わっていないって。」
武の言うことを無視して、浅子は彼の腕をむりやり引っ張って歩いていく。
「紋甲君、ばかね。私たちがいるから、二人は大事な話しができないのよ。気を利かせなさいよ。」
浅子はちいさな声で人差し指を武の顔の前にたてながら言った。
「ああ、そうか。」
武は頭を掻いた。二人は遠くのベンチに座り蛍と大志を見ていた。蛍が先に口を開くのが分かった。
「剣先君、七年前からの約束よ。教えて。なぜ私がイカが好きだとわかったの?」
大志は頭を掻いた。そして、しぶしぶ言いはじめた。
「君がきれいだったからさ。イカにはビタミンEがたくさん含まれているから、イカをたくさん食べているときれいになるんだって、親父から小さいときに教わったんだ。君と初めて会ったとき、こんなかわいくてきれいな子はいないと思った。だから、イカばかり食べてきたんだろうと思ったんだ。それだけだよ。」
蛍は口に手を当てた。
「フフフ。。。。。はは。。は。そんな理由だったんだ。でも嬉しい。中学三年生のときに聞いていたら、こんなに嬉しい気持ちにはなれなかったわ。ありがとう。四年たったら戻ってくるから待っていてね。」
蛍は涙を浮かべた。
「わかった。待っている。」
蛍は手を出した。ゆっくりと大志はその手を握った。
成長の章
「大志の思い」
「剣先君、お元気ですか?私は元気で学校に通っています。本格的に絵の勉強ができて、今、とても充実した日々を送っています。自己流では限界がありました。ここにきて、とても上手になっていくのが自分で分かります。先日描いた絵がコンクールで賞を取りました。とても嬉しかったです。でも、同時に、私は心を函館に残してきてしまっていることを強く感じています。早く函館に戻って剣先君の顔が見たいです。またお手紙しますね。お体に気をつけてお過ごしください。」
「おい、大志、そろそろ行くぞ。」
父親の洋平の声がした。
大志は封筒に手紙を戻してゆっくりと立ち上がった。
「さあ、今日もたくさん釣ってくるぞ!」
パチン。大志は両手で自分の頬を叩いた。外に出ると、男が一人立っていた。
「親父、あの人、誰?」
「あ、ああ、あれは見習いだ。これからしばらく、俺の船に乗せてしごくことにした。」
大志は首をひねった。どこかで見たことのある顔だ。どこで見たんだろう。
大志が近くに行って頭を下げると、男は言った。
「いつぞやは失礼いたしました。」
男は深く頭をさげた。
「どこかでお目にかかったことがありますよね。」
大志は首を傾げた。
「はい、その節はとても失礼いたしました。」
「ああああ」
大志は男の顔に向けて指をさした。
「そうです。松烏賊です。あのときは失礼いたしました。」
松烏賊は髪を短く切って、きりっとした顔つきになっていた。
松烏賊はあのときから漁師になろうと決めていたのに違いない。だから、俺が漁師の息子と聞いたときに、おとなしく引きあげていったんだ。
「こちらこそ、叩いたりして申し訳ありませんでした。首はなんともありませんでしたか?」
「いいえ、私が悪かったんですから、そんなめっそうもありません。鞭打ち症でしばらく苦しみましたが。」
松烏賊はてれくさそうに頭の後ろに片手を回した。
人間、変われば変わるものだ。あんなに腐っていた男がこんなにまともになっている。そうとう苦労をしたのかもしれない。大志はそう思った。
剣先親子と松烏賊が船に乗り込もうとしているところに浅子が自転車に乗ってやってきた。
「剣先君、久しぶり。」
浅子が手を振った。
「おお、浅ちゃん。久しぶり。どうしたの?なにかあった?」
大志は太陽を背にしている浅子を目を細めながら見た。
「うん、ちょっとね。」
浅子は小さくうなずく。
「明日は時間ないの?」
大志が聞く。
「午前中ならば。」
「それじゃ、一〇時頃に会おうか?」
大志は船に片足をかけた。
「うん、ありがとう。それじゃ、一〇時に摩周丸船の入り口でどう?」
「わかった。そこに行くよ。」
松烏賊が浅子の去ってゆく背中を眺めて言った。
「なんかわけがありそうですね。」
「ええ、いつも彼女と俺の友人はもめているんですよ。小学校、中学校、高校、そして専門学校まで同じなんですよ。一緒にいすぎるからいけないんじゃないかと思うんですけど。」
「そうなんですか。それで、幼馴染の大志さんが喧嘩の仲裁役というわけですね。」
「そうなんです。」
「ところで、あの別嬪さんはどうされているのですか?」
「彼女は東京の美大に行きました。画家になろうとしています。」
「そうですか。あんなきれいな人はめったにいませんからね。俺は本当に一目ぼれしていたんですよ。」
松烏賊は頭を掻いた。大志はニヤッと笑った。
翌朝の一〇時、沙魚浅子は摩周丸の入り口で大志を待っていた。
大志が近寄ると「剣先君、おはよう。今日は朝早くからありがとう。」と、浅子は小さく手を振った。
「ううん。実は俺まだ飯を食べていないんだよ。イカそうめん食べに行くの付き合ってくれる。」
大志はおわんを片手に、箸で口に食べ物をかき入れるしぐさをした。
「もちろんよ。」
大志は行きつけの小さな店に入った。
「ここのイカそうめんはいつきても最高だよ。ほら、見て、この透明感。夜よりも朝のほうが美味いことが多いな。」
細切りにされたイカは透き通っていて光っていた。
「そうね。本当に透明ね。」
ズルズル、大志はイカそうめんをすする。
「ああ、うめえ。」
大志は片目をつぶって上を向く。
「ふふふ」浅子が笑う。
口の中のいかを飲み込むと大志が聞いた。
「それでどうなっているの?武との関係は?」
「もう駄目じゃないかと思っているの。一緒にいても不快な気持ちしか残らないのよ。」
「どうしてだろうね。奴は俺から見ても、なかなかいい奴だよ。嘘つかないし、約束は守るし。」
大志は視線をイカそうめんにもどした。
「そうなのよね。にもかかわらず、どうしてこんなに不愉快になるのかしら。普通は一緒にいて楽しいものでしょ。楽しくないのなら、一緒にいる意味がないと思うの。」
浅子が首をひねる。
「ひょっとしたら、他に女がいて、私のことが邪険になってきているのかもしれないって、思って。」
「それはない、それは。」
大志は箸をもっている手を大きく振った。
「邪険なのはいつも一緒にいられるから、甘えが出すぎているんだろうな。いっそのこと、二ヶ月間は絶対に会わないようにしてみたら。学校で会っても絶対に声もかけないようにして。二ヶ月会わなくて、清々すると二人が思えるのならば、そのまま分かれればいいんじゃないか?逆に、会いたくてしかたなくなるかもしれないし。そのときは、また会うようにすればいい。」
大志はおわんを箸でかき混ぜた。
「それはいいアイデアだわ。さっそく武と話してみる。」と言って浅子は手を叩いた。
「ところで、蛍の絵が賞を取ったこと知っている?」
浅子が体をテーブルに乗り出した。
「ああ、そうらしいね。手紙にそう書いてあった。」
ずるずる。大志がイカそうめんをすする。
「凄いわよね。絵の才能もあったなんて。彼女みたいに全てを備えて生まれてきた人なんて、私の周りには他にいないわ。」
浅子はお茶をすすった。
「そんなもんかね。」
大志もお茶をすする。
「そうよ。剣先君はそう思わない?」
「そういわれれば、そうかな。」
大志はまたおわんを持ち上げた。
「しっかりと彼女のことをつかまえないと、他の男に取られてしまうわよ。東京で彼女はもてもてのはずだから。」
そんなこと言われたって、俺に何ができると言うんだ。俺につかまるということは、彼女の可能性を潰してしまうことになるじゃないか。彼女の夢を潰すようなことは俺にはできない。
成長の章
「蛍の帰郷」
函館に夏がやってきた。帰郷をした人が増え街を歩くと懐かしい顔と出くわすようになった。青里蛍も今日戻って来る。おとといの電話で彼女は言った。
「景色を見たいから、今回は電車で帰ります。津軽海峡を渡る前になったら電話します。」
彼女の電話を受けて大志は駅に向かった。一番安い切符を買って、プラットホーム内に入って待っていた。
前方から赤い色の電車が入ってきた。シューッ。ズーッと音をたてて止まった。ドアが開きどやどやと人がおりてくる。大志は首を伸ばしたり右に左に身体を傾けたりして、人ごみの中を覗き込んだ。
おかしいなあ。いないぞ。
大志が首を傾けた。
トントン。うしろから肩を叩かれて、大志は振り向いた。ニヤ~と白い八重歯を輝かせながら笑う顔があった。
「ご無沙汰。」
大志は言葉をなくして目を丸くさせた。
「なあに?なんか変?私。」
蛍は自分を指さした。
「いや、別に。。。」
大志は首を振った。
「お帰りの一言ぐらい言ってくれてもいいと思うんですけど。」
「ああ、ごめん。お帰り。」
最後に別れたとき、蛍はまだ高校を卒業したばかりで化粧をしていなかった。ところが、今、化粧をして髪形を変えた彼女はまるで売れっ子アイドルのようなルックスをしている。あまりのかわいらしさに、大志は言葉を失ってしまったのだった。
「それじゃ行こうか。車を外に置いてある。」
大志は蛍から奪うようにして荷物を持ち上げた。
「ありがとう。」
通りすがる男性の視線が蛍に向いていることがわかる。なかには通りすぎたあとも首を回して蛍のうしろ姿を追いかける奴がいる。それはそうだろう。こんなにかわいい女性なら、誰でも見続けたいと思うのが男の心理。大志は鼻が高くなったような気分だった。
「懐かしい~。この雰囲気。やっぱり私は函館が好きだな。」
蛍は両腕を上げて深呼吸をした。
「なにも変わっていないだろう。」
大志がそう言いながら海を見る。
「うん、何も変わっていない。」
変わったのは君だよ。大志はそう言いたかった。
「そうか。車の免許を取ったんだ。」
蛍がパチンと手をたたいた。
「ああ、仕事で使うからね。」
大志は小型のトラックを指差した。
「あれが俺の車だ。」
クスクス。蛍が笑う。
「なんだよ。おかしいか?」
大志が横を歩く蛍の顔を見る。
「ううん、剣先君らしさが全く変わっていなくて嬉しいの。」と、蛍が首をふる。
「俺らしさって、小型トラックが俺のイメージってことか?」
大志が自分を指さす。
「そう。私はこのいかついイメージが好き。都会の男のイメージは弱弱しくて私には合わない。」
喜んでいいのかなげくべきなのか、大志は複雑な心境だった。
「今日さ、豊川埠頭の飯屋にイカくいに行くことになっているんだけど、それでいいんだよな。」
蛍の荷物をトラックに乗せながら大志が聞いた。
「うん、楽しみにしてきたのよ。早くイカが食べた~い。」
「お母さんやお父さんと一緒に食事しなくていいのか?帰ってきた初日だというのに。」
カチャ。大志が助手席のドアをあけた。
「大丈夫。父と母とは明日からしばらく一緒に過ごすことにしてあるから。今日は、思いっきり楽しめるわ。」
蛍が胸のまえで祈るように両手を合わせる。
「ところで、浅子と紋甲君はうまく行っているの?浅子からはもうだめというメールがいつも届くけど。」
蛍が車に乗りこむと大志がドアを閉めた。バタン。
「ありがとう。」
大志が運転席に乗り込んでキーをさす。
「どうなんだろうな。でも、今日のこと二人とも楽しみにしているところを見ると、なんだかんだ言いながら、うまくいっているんじゃないかな。」
大志がキーを回すとギイギイギイ。ブルブルブルと、大きな音をたててエンジンがかかった。トラックは小刻みに揺れた。
ほんの十五分間ていどだったが、蛍は車の窓越しに景色を楽しんだ。すがすがしい風を受けて、すこし茶色がかった髪がなびく。蛍は風景を懐かしむかのように目を細めていた。大志はそのすがたを横目でちらりと見て口元を緩ましていた。
蛍の家の前で荷物を下ろすと、大志はすぐにトラックに乗り込んだ。そして、窓越しに手を振った。
「それじゃ、店で七時に会おう。」
「うん、それじゃあとで。送ってくれてありがとう。」
「花火」
店は人でごった返していだが、武たち三人は大志のコネで窓側の一番いい席に座っていた。大志が入ってくると、武が立ち上がって両手で拡声器を作った。
「こっち、こっち、剣先、こっち」
蛍と浅子も笑いながら手を振っている。
「悪い、悪い、遅れちまった。」
大志の額から汗が流れ落ちた。それを見て蛍がハンカチをさしだした。
「ありがとう。あとで洗って返すよ。」
大志は汗を拭う。ハンカチはびっしょりになった。
「あと一〇分で、花火が始まるわよ。」
浅子が興奮ぎみに窓から外を指差して花火があがる方角を示した。
「今年も花火が見られるなんて、なんて幸せなんでしょう。」
蛍が胸の前で手を合わせる。
「でもよ~、蛍ちゃんの様変わりにはほんとうに驚いたよ。昔からきれいでかわいいと思っていたど、まさかここまで垢抜けるとは思わなかった。売れっ子アイドルと一緒にいるようだよ。一緒にいるだけで、じろじろと回りの男の視線を感じて、俺まで優越感を感じるよ。」
武が腕を組む。
「そうよね~。ほんとうにかわいくなって。私も東京に行こうかしら。」
武が首を小刻みに振る。
「なに、それ。」
恐い目で浅子が武を睨んだ。
「ねえ、わかるでしょ。こうした態度が私を不快にさせるのよ。」
浅子が武を指さしながら大志に意見を求める。
「う~ん。難しい問題だよな。二人はあまりにも親しくなりすぎてしまっているからなあ。この間、相談に乗ってから二ヶ月間会わないようにしていたの?」
「全然だめ。二ヶ月会わないようにしようって決めたのに、武が一週間もしないうちに電話してきて、映画見に行こうというんだもん。」
浅子は顔の前で大きく手を振った。
「それじゃ駄目じゃないか。」
大志が言うと、蛍がテーブルに体を乗り出した。
「ねえ、思い切って、結婚してしまったら?普通の夫婦はみんなそんな感じよ。うちの父母もそうだもの。もう愛情とかそんなものは無いと思うわ。でも子どもがいたりするから、分かれることなく続くのよ。二人も結婚して、子どもを作ればいいのよ。」
「ええっ!私たちまだ一九歳よ。蛍とは思えない大胆な意見。あんた、東京に行って、人間性変わったんじゃない。」
浅子がいかめしい目で蛍を見る。
「そうかしら。」
蛍がすこし顔を赤らめた。
「まさか、男にめざめたとか?」
武が流し目で蛍を見る。
「絶対にそんなことありません。」
蛍が腕を組んできつい視線を武に飛ばした。
ド~ン。空をつんざく音がして、四人は外に目を向けた。
「オッ、始まったよ。見て見て。」
武が外を指さした。
シュワ~。光の輪が空に広がった。
「わ~、きれ~い。」
蛍が口をぽかんとあけた。
ドン、ドン、ドン、ドン、続けざまに菊の花びらのような金色の火花が広がってゆく。黒い海にも光の花が映っていた。ゆらゆらと波に揺れて光がとぎれ、また違った美しさをかもし出している。三人はその美しさにしばらく釘づけになった。
首を後ろに向けていた大志は、疲れを感じて顔を前に戻した。目の前には花火に酔っている蛍の顔があった。よく見ると、彼女の瞳にも花火が映っている。
本物の花火よりも、蛍の瞳に映った花火のほうがきれいだ。大志はそう思った。そのとき、急に蛍がとても愛しく感じられた。それは、それまでに体験したことのない感覚だった。
成長の章
「二つ目の約束」
それからまもなくして函館港祭りが始まった。大志と蛍は繁華街にくりだすことにした。大志はファーストフードの店で蛍を待っていた。遠くからイカ踊りの音頭が聞こえていた。
「お待たせ。」
ニタ~ッと笑いながら蛍が入ってきた。
蛍は紺色の浴衣姿で髪を結わいて一つのかんざしで止めていた。うちわをパタパタと二回、顔の前で扇いで言った。
「どお?この姿。」
蛍が浴衣の裾を押さえながら腰をひねる。あまりのかわいらしさに大志の口元はおもわず緩んだ。
「にあうよ。」
大志は心で思うことの十分の一も気持ちを表現しない。いつもぶっきらぼうでいかつい顔をしている。ときどき蛍は残念に思う。
あんまり気に入ってくれなかったのかしら。あなたに喜んでもらいたいからきれいにしてきたつもりなのに。
「さあ行きましょうか。」
蛍は座ることなく歩き出した。
「ああ。」
外に出ると、通り過がりの男たちがじろじろと蛍を見ているのが分かる。こんなかわいい子と一緒にいられる優越感と、あまり俺の女を見るなよと言いたい気持ちが大志の心の中で交錯する。だが、俺の女なんて思ったら蛍に悪いのではないだろうかと大志は思う。蛍はそんな気持ちは持っていないかもしれない。これまで長いこと一緒に来たが、お互いそんな気持ちを言葉で確認したことはなかった。
しばらく歩いていくと、おみくじを売っている屋台があった。
「ねえ、これやりましょうよ。」
「ああ。」
二人は百円玉を投げてお祈りをした。それから、おみくじを引いた。おみくじを読むと、蛍はそれを横の木の枝に結びつけた。
「何を祈ったの?」
蛍が聞いた。
「いつまでも函館が変わらないようにって祈ったよ。」
「へえ~。」
蛍はつまらないという顔をした。
「君は何を祈ったの?」
「秘密よ。」
蛍が首を振った。
「えっ!秘密とはひどいな。俺だって教えたんだから、教えてくれよ。」
ニタ~と蛍が八重歯を見せて笑った。大志が自分に興味を示してくれたことが嬉しかった。
「そうね。それじゃ、私が二十三歳になったら教えてあげる。」
蛍がぱたぱたと団扇で顔をあおいだ。
「なんだそれ?七年前に誰かが言った台詞だな。」
「そうね。あの時は四年が七年間に延びたわね。今度は三年少しよ。ふふふ。」
蛍は大志に背を向けた。
「わかった。それじゃ、三年と少し俺と一緒にいてくれるんだな。」
蛍は後ろをむいたまま頷いた。
「距離は離れているかもしれないけど、心はいつもそばにいるわ。」
「わかった。それなら待つ。」
蛍は向きなおして大志を見た。
「ふふふふ。前と同じね。」
「そうだね。はははは。」

ケニ―奥谷