ホテルの呪い
1
ゴッサムホテルはニューヨーク五番街の六八と六九ストリートの間に建つ、一九〇〇年初頭に建てられた超豪華ホテル。一〇〇年以上にわたり、アメリカの栄華を語る際の象徴として小説や映画の中で使われてきた。
一八〇室というその小柄なサイズゆえ、世界中のVIPに好まれ、五番街のエントランスに掲げられている五本の国旗は、宿泊しているVIPの国籍によって変わる。だが、その日ばかりは、五本の旗すべてがアメリカ合衆国の国旗だった。なぜなら、五月最後の週末で、殉職した兵士の追悼を行うメモリアル・ウイークエンドだったからだ。
セントラルパークに建てられた戦士の銅像の前では、トランペットにあわせて多くの兵士が敬礼をしていた。
まだ五月というのに、すでに真夏のような気候となり、夜中になっても熱い風が五本の国旗を静かに揺らしていた。
「どうした由美子?いやになったのか。」
由美子の動きが止まったので一郎は残念そうな顔をした。
「ううん。。。でも、今、なにか変な声が聞こえたの。」
天井を見ている由美子の目が左右に動く。
「変な声?隣の部屋にいるカップルの声か?」
「いいえ、なんか赤ん坊のなき声のような。。。。」
由美子が首をかしげる。
「おい、おい、気味悪いこというなよ。このホテルは一〇〇年からの歴史あるホテルだ。途中で自殺したゲストもたくさんいるだろうし。。」
「ええ!一郎さん、あなたこそ変なこと言わないでよ。そっちのほうがよほどリアルだわ。」
一郎は力を込めて由美子を抱きしめた。
「いたっ。。。。あっ、ほら聞こえた。また。」
一郎は力を抜いて耳を澄ました。
「ニャ~、ニャ~」
「ほんとうだ。。。。なんだこの声は?」
一郎は顔を上げて周囲を見渡した。そして壁にかけられている一枚の粗末な絵を見つめた。
「あの絵からでているのかな?」
「こわ~い、やめてよ~。」
由美子が一郎の背中をつねった。
「痛い!だって、ほら、あの布切れにかかれているきれいな女性、悲しげな顔をしているじゃないか。」
2
強い日差しをボンネットに受けながら、シルバーのBMWが高速道路を疾走していた。規定スピードをオーバーしながら車と車の間をぬって走って行く。
竹内二郎はちらりと時計を見た。
早くしないと、兄さんからどやされる。もう到着時刻だ。それにしても、このネット時代に兄さんのやつ、たった一枚の葉書を送ってきただけだ。いくら新婚旅行だからって、ビジネスマンならPCくらい持っていくぜ。
前の車がスピードをおとした。BMWはレーンを変えて加速し、車と車のわずかな隙間を見つけて入り込んだ。
それに、「もし俺に変なことが起きたら、泊まっているホテルで起きたことが原因だ。」なんて意味不明なメッセージを書いてきて、人を心配させやがって。
BMWは疾走する。前方に成田空港近辺に立ち並ぶホテルが見えてきた。
これなら間に合うはずだ。飛行機が到着してから八分。ぴったりの時間だ。
二郎は車を駐車場に入れてカスタマー・エリアまで走った。ちょうど、ぞろぞろと人が出始めだしたところだった。
ようし時間通りだ。
二郎は荷物をカートに乗せながら出てくる人々に視線をはわす。
どこだどこだ。ビジネスクラスで飛んでいるから早く出てくるはずだ。
二郎は左右の出口を交互に見る。
あっ、いたいた。
「兄さん!ここだよ。ここ!」
二郎は手を振った。
カートを押しながら兄の一郎と由美子が出てきた。だが、一郎と視線を合わせると、二郎のゆるんだ口元が締まった。一郎の顔色はとても悪く、のっぺりとした表情で全く笑っていない。となりにいる由美子の顔も同じように青くのっぺりとしている。
どうしたんだ。あの二人。あんな表情の兄さんは一度も見たことがない。おかしい?
一郎は二郎に向かって歩いてきた。近くに来たというのに、のっぺりとした表情は全く変わらない。
「どうしたの兄さん、なにかあったのかい?」
二郎は一郎の顔を覗きこんだ。
「いいや別に。迎えに来てくれてありがとう。」
横にいる由美子が小さく会釈をした。
二郎はあっけにとられたまま頭をさげた。
あんなに明るい由美子さんまでおかしな状態だ。なにかがあった、絶対に!
二郎は確信した。二郎の確信は間違いなくあたる。昔からなんどもそうした経験をしてきた。物心ついてから今日に至るまで、そうした勘が外れたことは一度もなかった。学生時代にネットビジネスを立ち上げて創立五年目にして、すでに年商四〇億円を超えるまでに成長させることができたのも全てはその不思議な勘があったからだった。
二郎は、一郎と由美子を後部座席に乗せて都心に向かって高速道路を走った。
「どうだった、ニューヨークは?俺が留学していた五年前とはだいぶ変わったってきいているけど。」
二郎はフロントガラス越しに前方を見たまま言った。
「楽しかったよ。」
小さな声で一郎が言う。
こんなのは兄さんの反応じゃない。あのばかがつくぐらい明るい性格はどこへ行ってしまったんだ。
「なあ、兄さん、先日、俺に送ってきた絵葉書のこと覚えているか?」
「。。。。葉書。。なんて送ったか?」
そんなことも忘れたのか?
「ねえ、由美子さん。セントラルパークの蛍を見た?楽しみにしていたでしょう。」
「見ました。」
二郎はバックミラーで由美子の顔をちらりとのぞいた。二コリともせずに青くのっぺりとしたままだ。
白い歯をだして、けらけらと笑うあのキャラクターはどこへ行ってしまったのか。ニューヨークのホテルに滞在している間になにかが起きた。それが二人の性格を根底から変えてしまったんだ。一体何が起きたというんだ。
プルルルル。二郎の携帯電話がなった。
「竹内です。ああ、お疲れさん。うん、うん、そう。わかりました。それじゃ、あとでオフィスに行きます。」
まいった。オフィスに行かなければならない。こんな二人を残して大丈夫だろうか?
二郎は二人を麻布にあるマンションに送ってから、オフィスに向かった。
3
翌日、二郎は兄の家に戻った。携帯電話で連絡をしても兄はでなかった。会社にも顔をだしていない。無断欠勤などする人間ではない。二郎は急いで車を走らせた。
ブー、ブー、ブー。なんど入り口にあるブザーを鳴らしても返答がない。二郎は仕方なしに、兄から聞いていた暗証番号を押した。ドアが開くと、二郎は誰もいない廊下に入りエレベーターに乗った。
二郎が玄関のブザーを鳴らす。だが応答はない。二郎は両目を押さえた。暗闇の中に二郎と由美子の顔が見えた。のっぺりとした顔をしてただ座っている。
やはり二人は家の中にいる。だが意識がないも同然の状態だ。
二郎は兄から預かっている合鍵をだして玄関を開けた。
「兄さん、兄さん、俺だよ。二郎だ。」
二郎は廊下を進み居間のドアを開けた。そこに二人は静かに座っていた。
「兄さん。」
一郎は二郎を見なかった。ただ前を向いたまま座っているだけだった。由美子も同じ状態だった。ふたりは寝ているわけではない。ただ目を開けたまま、考えることも、動くこともない状態だった。
“もし俺に変なことが起きたら、泊まっているホテルで起きたことが原因だ。”兄さんはこうなるかもしれないことを予測して、葉書で俺に助けを求めてきたんだ。
二郎は救急車を呼んだ。
二時間後、二郎は病院にいた。椅子に腰掛けていると、二郎と由美子の両親も病院に駆けつけてきた。五人は救急治療室から医師が出てくるのを待った。しばらくするとドアが開き、一郎と由美子を乗せた担架を押す看護婦と共に医師がでてきた。
「どうですか?」
二郎が医師にたずねる。医師はゆっくりと首を横に振った。
「原因が全くつかめません。こんな状態の患者は初めてです。」
五人は顔を歪ませた。
「お嬢さんは妊娠しています。」
「このままの状態が続くとどうなるのですか?」
二郎が聞いた。
「胎児は残念ながら。。。。」
「そんな。。。。」
由美子の母が両手で顔を覆った。
「どれくらいの間なら、大丈夫なんでしょうか?」
二郎が医者を見つめる。
「なんとも言えません。まず何も食べることができないですから、健康を点滴で保つようになります。寝た状態でしたら体の機能も衰えていきます。」
「一週間やそこらならば大丈夫ですか?」
「ええ、それくらならば多分ですが。。。」
医師は自信なさそうに首を傾けた。五人は溜息をついて病室の前にたたずんだ。
「父さん、母さん。俺はオフィスに戻って仕事の整理をしてくる。そして、明日ニューヨークに行く。」
「どうして、こんな大切なときに、ニューヨークへなんか。」
父の雄二が言った。
「兄さんはこうなることを予測していた。原因はニューヨークで泊まったホテルにあると書いて葉書を俺に送ってきていたんだ。それを調べに行ってくる。」
「なんだって!そうだったのか。わかった。頼むぞ。」
雄二は二郎の肩に手を置いた。二郎はうなずいた。
ホテルの呪い
4
四十五時間後、二郎はニューヨークにいた。五番街の六八ストリートに立ち、ゴッサムホテルを見上げていた。
このホテルで何かが起きたんだ。とにかく兄さんが泊まった部屋に泊まろう。
二郎はホテルに入ってチェックインカウンターにいるスタッフに話しかけた。
「Hi, How are you? I am Jiro Tekeuchi. My elder brother stayed at your hotel last week and he recommended me to stay here. I would appreciate it if you could arrange for me to stay in the same room as he stayed in. The room number is 911. ハイ、お元気ですか?竹内二郎といいます。兄が先週ここに泊まって、とてもすばらしいホテルだったと聞いたので、私も泊まりたいと思います。兄が泊まった部屋に泊まりたいのです。部屋番号は九一一です。」
二郎は兄がチェックアウトのときに受け取ったゲスト・フォーリオ(明細書)を見せた。
「Thank you for choosing our hotel. Let’s see….Unfortunately, room 911 is currently occupied by other guests. I will be most happy to arrange the same category room for you. 当ホテルを選んでいただきましてありがとうございます。残念ながら、九一一号室は埋まっております。でも、同じカテゴリーの部屋をご用意させていただきます。」
「Oh, that is not what I intend to do. Can I wait for room 911 to become available while staying in some other room? Will you make sure to arrange for me to get room 911 as soon as it becomes available? それは困った。他の部屋に泊まりながら待っていますから、九一一が空きしだい、私が入れるようにしていただけますか?」
「Sure, I will make sure that you will get it. 了解いたしました。そのようにさせていただきます。」
二郎は八階の八一一号室へ入ることになった。九一一が空くのは二日後ということだった。二郎は部屋に入るやいなや、部屋の隅々まで眺めた。
一九〇四年に建てられたホテルにしてはとてもきれいに改装されている。よく八一一を覚えておこう。九一一との違いが何かわかるように。。。。
二郎は部屋を隅々まで見回した。
二日後、二郎は九一一へと移動。驚いたことに九一一は八一一と全く違い、一〇〇年前のそのままの状態を保っている雰囲気の部屋だった。
その夜、二郎は眠りについた。そして気持ちのよい爽快な翌朝を迎えた。
なにも変わったことは起きなかった。兄さんには何かが起きたが、俺には起きなかった。二人の違いは何か?横に女がいなかったことか。まさか?
翌日も何も起こらなかった。
これは本格的にいろいろな試みをしなければならない。二人の一番の違いは横に女がいたかどうかだ。まずはどこかで女を見つけなければ。
二郎は日本に電話をかけた。
「粕谷か、俺だ。竹内だ。久しぶり。なあ、粕谷はニューヨーク生活が長かったよなあ。こちらに女性の知り合いいないか?それも軽い感じでいつも男を募集しているような女だ。なるべくならばかわいい人がいいんだけど。えっ、いや俺がいたのはもう五年も前のことだから、あの頃の知り合いは日本に戻ってしまっているんだ。ああ、そう。うん。オーケー。その人がいいや。電話番号教えてくれる?917-888-0000だな?そう。ありがとう。」
粕谷が紹介してくれた女性は学生だった。夜はピアノバーでアルバイトをしているという。電話をかけると、彼女は自分が働いているバーに尋ねてきてくれと言った。
二郎は九時少し前にバーに向かった。店が開いたとたんに行かないと指名が入ってしまい、会えなくなるかもしれないということだった。
二郎は五〇ストリートのセカンドアベニューとファーストアベニューの間にある「キラキラ」という店を探した。そこら周辺は居住区になっていて、タウンハウスと呼ばれる、5階建ての住宅ビルが立ち並んでいた。その一つのビルの中に店はあった。
ドアを開くと、たくさんの派手な格好をした若い女性が歩き回っていた。
「どなたかご指名ですか?」
黒服を着たボーイが尋ねてきた。
「渡辺順子さんいますか?」
「順子ですね。わかりました。ただいま連れてまいります。」
ボーイはすぐに順子を連れてきた。
「はじめまして。私が順子です。」
この子ならば大丈夫だ。一目見て二郎はそう感じた。二郎はじっと順子の目を見つめた。順子は少し顔を赤らめた。
「どうぞこちらへ。」
順子は奥まった席に二郎を案内した。
「粕谷さんから連絡がありました。親友がいくのでよろしくと。」
「そうですか。。。。私は竹内二郎といいます。よろしくお願いいたします。」
二郎が頭を軽くさげると順子は握手を求めて手を伸ばした。二郎は順子の手を握った。暖かく細い手だった。
「ニューヨークの滞在は長いんですか?」
「もう三年になります。まだあと二年間、勉強が残っています。」
「学生をしながら、夜、遅くまでここで働くのは大変でしょう。」
「生活費や学費やら、とてもお金がかかるので、こういうところで働かないと生活していけないんです。」
「そうでしょうね。この町じゃ、危ないから安いアパートには住めないしね。」
二郎はテーブルの上にあったナッツを口に入れた。
「そうなんです。仕方なしにこんな生活です。」
二郎は頷く。
「なにかオーダーしてもいいですか?」
「あっ、どうぞ。どうぞ。」
二郎が順子を促すと、彼女は手をあげてウエイターを呼んだ。
「竹内さんは何にしますか?」
「俺はビールをお願いします。」
「なんの銘柄がいいですか?」
順子はビールの銘柄がかかれたリストを二郎に見せた。
「ずいぶんと種類豊富ですね。ええと。。。。あっ、これがいいや。サントリー ザ プレミアム モルツ。」
黒服のウエイターは注文を書き留めた。
「私はコーラで。。。。」
「あれ、アルコールは飲まないんですか?」
「お客さんとアルコールを飲んでいたら、肝臓やられてしまいますよ。」
「はは、そうか。」
二郎は頭の後ろに右手を回した。
さて、どうやってそこまで話しを持っていくか。。。。。
「このお店は指名制なので、私を目当てに来るお客さんに指名されるとそちらに行かなくてはなりません。」
「そうでしたね。今日は何時まで働くのですか?」
「一時半までです。」
二郎は時計を見た。
「あと九時間か。。。九時間、俺がずっとあなたを指名するのはどうですか?」
順子は目を大きく開いた。
「もちろんかまいませんが、高くつきますよ。」
「問題ありません。あなた以外の人には興味ないですから。」
二郎は正面から順子の目をじっと見た。順子はたちあがると、黒服の男のところへ行ってなにかを伝えて戻ってきた。
「今日は誰の指名も受けないようにって、言ってきました。これで、リラックスできます。」
「よかった。」
二郎はニヤッと笑った。
「今回はホテルの調査をしに来ているんですよ。」
「そうなんですか?どこのホテルですか?」
「ゴッサムホテルです。」
「あの超高級ホテルですか?そこに泊まっているんですか?」
二郎はうなずいた。
「私も泊まってみたい!」
順子は少女のように胸の前で両手を握りしめた。
「どうぞ、もしよろしければ。すごく豪華な部屋ですよ。」
「ええ~、本当ですか?うれしい!」
順子が上を向く。
こんなに簡単にことが進むとは。。。
「あっ、大丈夫です。変なことはしないから、安心してください。」
二郎がおどけると順子はうなずいた。
「それでどんな調査なんですか?」
二郎はまたもニヤッと笑った。
「実はあのホテルに幽霊がでるといううわさがありまして、それを調べに来たんです。」
「キャ~、楽しそう。」
順子は体を傾けて、二郎の話を聞く体勢に入った。
二郎の勘に狂いはない。会った瞬間に、順子は心霊現象に興味を持つ女性だとわかった。それを利用すれば、部屋につれていけると思ったのだ。さんざん心霊現象の話しをしてから二郎は大きく息を吐いた。
「それじゃ、ルームサービスで夜食をとるから、おなかをすかして行きましょう。」
順子は笑みをうかべながら大き頷いた。
ホテルの呪い
5
空になった赤ワインのボトルが二本、フィレミニョンの食べ残しの皿が一枚、オニオンスープが入った器が二つ、シーザーサラダが少し残った皿が一枚、チーズケーキが三分の一残った皿が一枚、そしてコーヒーカップ二つ。それらがテーブルの上に散乱していた。
二時にホテルに戻ってきて、これでもかというぐらいに順子は食べて飲んだ。それから、満腹状態のままベッドの上に寝そべったままになっていた。
「明日の学校は何時からなの?」
「あ~、明日は午後からだから大丈夫、心配なさらないで。。。。」
赤い顔をしながら半分閉じかけた目で順子は応える。
「風呂にも入らずに寝るの?肌によくないよ。」
「入ります、入ります。」
そう言いながら、順子ははうようにしてバスルームに入って行った。
“ジャー”とシャワーが勢いよくでる音がした。それから、“ジョ、ジョ、ジョ”とバスタブにお湯が落ちる音に変わった。しばらくすると、「フン、フン、フン」と鼻歌が聞こえてきた。
約一五分後、“バタン”とバスルームの扉が開いた。順子はバスタオルを体に巻いた姿で出てきた。
タオルをはずしたら、その下はなにもつけていないだろうと二郎は思った。
「先に寝ていていいかしら。」
「どうぞ。俺はこれから風呂に入るから。」
二郎は口元がゆるんだのを悟られないように風呂場に入った。だが、風呂から出てくると順子はすやすやと寝てしまっていた。
まずいぞ、寝られてしまっては変化が起きないかもしれない。兄さんと姉さんは毎日寝ていなかったはずだ。
ベッド脇のランプを小さくして二郎はベッドの中に入った。しばらく天井を眺めながら、隣にいる順子の寝息を聞いていた。
変なことはなんにもしないと言ってしまったからなあ。だが、ここまできて、なにもしないのはもっと失礼かもしれない。自分を女として見ていないということになるかもしれないし。困ったなあ。いや、困ったのはなにもせずにこのまま朝を迎えることだ。しかたない。
二郎は行動にでることにした。そして、順子の唇に自分の唇を重ねた。すると寝ていたはずの順子の両手手が二郎の頭の後ろに回ってきた。
なんだ寝たふりをしながら俺を待っていたのか。女の気持ちはわからないものだ。。。
順子の息遣いが荒くなってきた。ときおり、きもちよさそうな声をだす。その反応にのまれて二郎も我を忘れかけた。と、そのときだった。
「ニャ~、ニャ~」
赤ん坊が泣いているような声がかすかにが聞こえた。
二郎は動きを止めた。順子は動きをとめずに快楽を求めてくる。そして、二郎の動きが止まったことに苛立ちを覚えたかのように、順子は目を開くと二郎を見つめた。二郎はゆっくりと部屋の周囲に視線をはわせた。
「なんか変な声が聞こえる。」
ようやく順子も気がついた。
二郎は目を閉じて、そこにいる何かを感じ取ろうとした。すると、フラッシュバックのように女性の姿が見えた。彼女の前には上半身裸の男がいた。
「なぜ間違えたの?あなたがあのとき間違えなければ、私たちこんなつらい思いをすることはなかったのに。」
「なに?なんて言ったんだ。」
二郎は真下にいる順子の顔を見た。
「なんのこと?」
「今、間違えたどうのこうのって言っただろう。」
「なにも言ってないわ。」
また、二郎は視線をあげて周囲を見渡した。そして、古びた絵に視線をとめた。
あの絵から何かを感じる。
二郎は順子のうえから下りて裸のまま絵の前まで歩いた。
「私をまた裏切ろうというの?」
うしろから声がして、二郎は振り返った。
「君は誰だ。」
「また私を忘れるつもりなの。もうありえないって言ったじゃない。」
順子がうつろな目をしながら言う。二郎は順子の目を覗いた。彼女の瞳は、白い幕が張られたように輪郭がぼやけていた。
あぶない。こんなことを続けていては二人ともおかしくなる。
二郎は電気をつけた。順子はしばらく放心状態だったが、急に我にかえると声をあらげた。
「きゃ~、急に電気をつけないで。二郎さん裸じゃないの。エッチ!」
二郎はあわてて股を押さえた。
6
翌朝、二人はレストランで朝食を食べていた。
深夜三時にあれだけ食べたというのにまだ食べられるのか?この子の胃はいったいどうなっているんだ。
順子はすでに三杯もオレンジジュースをおかわりしていた。飲めば飲むほど足してくれるので止まらない。
「ここのトーストおいしいですね。トーストがこんなにおいしいものだったなんてしらなかった。」
順子はトーストにジャムをつけながらもくもくと食べている。
「ふふふ、昨晩のことは本当に覚えていないの?」
二郎はその無邪気な様子を見ながら笑った。
「私が変なことを言ったということですよね?」
順子はトーストを噛みながら首をかしげた。
「やっぱり誰かが乗り移っていたんだ。」
「そんなこと本当ですか?全く覚えがありません。」
「もしなにか変なことが起きたら、すぐに俺に電話くれるかな。君が心配だ。」
二郎は携帯電話番号を名詞に書いて順子に渡した。
「君の携帯番号も教えてくれる?」
順子はうなずいて、コースターに自分の携帯電話番号を書いて差し出した。
「また来ていいですか?長くお泊りならば。」
「もちろん。まだ解明しなければならないことがあるから、しばらくここに泊まるよ。でも君が来るときは他の部屋に泊まろう。あの部屋は危険だ。事前に連絡をください。」
順子は大きくうなずいた。
「それじゃ、行きます。ごちそうさまでした。」
順子はレストランを去って行った。
食事を終えると二郎は部屋にもどり、また絵を見た。
この絵はいつ頃に描かれたものだろうか?布切れのようなものに描かれている。まだきれいな紙ができる前の時代のものなのか?被写体は美しい女性。年齢は二〇歳くらいだろうか。
二郎は目を閉じた。そして昨日のフラッシュバックの光景を思いだそうとした。
駄目だ。思い出せない。頭の中に白い霧がかかっているようだ。昨晩起きたことが幾日もつづいたら、俺もどうかなってしまうだろう。兄さんたちもこれを経験したに違いない。普通の人なら、順子がそうであったように、起きたことを思い出せない。そして精神が蝕まれていく。勘のいい兄さんはなにかを感じとった。だから、葉書で俺にあのメッセージを送ることができたにちがいない。
7
あてもないまま二郎はホテルのエントランスを出た。外の空気を吸いたかったからだった。五番街を南に向かって歩いていくと、セント・パトリック・チャーチがあった。入り口が開かれていて中が見える。覗くと、いたるところにきれいなステンドグラスがあった。しばらくそれに見とれていると、ぼろぼろの服をまとった老婆が近寄ってきて手をだした。匂いもすごかった。二郎は二ドル札を渡した。すると、老婆は二郎の顔をじっと覗いた。
「I want my baby back along with my husband. 私の赤ちゃんと夫を返してもらいたい。」
なんだって!その言葉が二郎の耳に残った。
「Is there anything that I can do for you? なにか私にできることがありますか?」
「Yes, There is. Help her understand that she is already dead. My baby told me to do that before she died. あるとも。彼女に、彼女はすでに死んでいることを気がつかせておくれ。私の赤ちゃんが死んでゆく前に、私にそうしろと言ったんだ。」
「Who is she? 彼女って誰ですか?」
「She is the one who deprived me of my husband and baby on my honeymoon trip. 新婚旅行の日に私の夫と赤ちゃんを奪った女だよ。」
似ている。この老婆の言うことは兄さんに起きたことに似ている。この老婆は、あのホテルとなにか関係がある.
「I was about to die with my husband, but my baby in my body saved my life. I did not want to survive to live such a hard life. 私も夫と一緒に死ぬはずだった。だが、おなかの赤ちゃんが私を助けてくれた。こんなにつらい思いをしながら生きていかなければならないのなら、助かりたくなかったのに。」
老婆は首をなんども横に振った。
「Where did you stay on your honeymoon. 新婚旅行でどこに泊まったのです。」
老婆はゴッサムホテルの方向を指差した。
間違いない!二郎の勘は確信に変わった。この老婆が一緒なら事態を解決できるかもしれない。こんな偶然があるのか。
「My elder brother stayed at the hotel on his honeymoon trip too. When he came back, he and his wife became unconscious. Also she is pregnant. This is exactly the same situation as you experienced, right? 俺の兄さんが新婚旅行であのホテルに泊まった。そうしたら、兄さんも嫁さんも意識不明になってしまった。嫁さんのおなかには子供がいる。あなたと同じ状態だった。そうだろ?」
老婆は首を何度も振った。
「Oh, poor boy. She misunderstood the situation again. かわいそうに。またあの女の勘違いじゃ。」
「Please let me know how I can save my brother and his wife. How come I can let her know that she is already dead. 教えてくれよ。どうしたら、兄さん夫婦を救えるんだ。その彼女に死んだことを気づかせるにはどうしたらいいんだ。」
二郎は真剣に老婆は見つめた。
「Go meet Dave and he will help you. デイブに会え。彼が力になってくれる。」
老婆は小さな紙切れをぼろぼろのかばんから取り出して渡した。そこには彼女がデイブと呼ぶ男の住所が書かれていた。
呪いの謎
1
一九〇〇年初頭、アメリカは空前の好景気に沸いていた。一八七六年にベルが電話を発明し、一八七九年にはエジソンがフィラメントを発明。こうした後に基幹産業となる発明がアメリカで生まれ、一八八八年に、アメリカが工業生産で世界一位になった時代だった。
そのあり余る資金を元に贅沢なホテルが建てられ始めた。この時代に建てられた超高級ホテルは「グランドホテル」と呼ばれるようになった。
「これまでマンハッタンは金融街が主たる盛り場でした。ですが、これからは変わります。みなさんが、この美しく木々を成長させたセントラルパークの魅力に気がつき始めたからです。財閥のみなさんが、ここら周辺に住むところをもちたいと言っています。その要望に応えるために、私はこの土地にアメリカ一豪華なホテルを建てたいと思っています。それでは乾杯!」
不動産と株で財をなしたコーネリアス・シビターノが、ホテルの定礎式に集まった人々の前で演説をおこなった。
――その晩
「お疲れさまでした。だんな様。盛大な定礎式でしたね。ちょうどいい報せがはいりました。すごく上質の資材が見つかったそうです。きっとだんな様のお目にかなうものです。楽しみにしていてください。」
黒い服を着た小さな男が手もみをしながらそう言った。
「それは楽しみだ。どこで見つかったのかね。」
「イタリアのローマ近くの小さな村の下からでございます。」
「村の下?」
シビターノは首を傾げた。すると、男はニヤッと笑った。
「井戸を掘ろうとしたところ、穴があき、その下から八〇〇年近く前の村の遺跡が発見されたのです。その中に、金銀財宝とまではいきませんが、すばらしい大理石の柱やら、絵画、装飾品が眠っていたそうです。今、その発掘作業に入っています。その一部を今度のホテルの建築資材に使おうと思っています。」
「そうか。このホテルにはマロン家からも投資が入ることになった。下手なものは造れない。よろしく頼む。」
シビターノは満足げな顔をしてうなずいた。
2
「気をつけろよ。ここが崩れたら、この部屋はまた埋まってしまうからな。」
男たちは細心の注意を払いながら、うずもれた村の発掘作業をしていく。
「この部屋はきれいに復元できそうだ。」
土中に埋まっていた人間の体が上半身まで現れていた。
「これは女性の体だろう。中腰で男と抱き合っているぞ。ここはホテルの一室だったんじゃないか?横にはベッドらしきものがあるし。。。」
男たちは少しずつ泥をすくいあげる。なにかにぶつかったときは、その部分をブラシでなぜながら輪郭を残してゆく。最初は泥で埋まっていた場所だが、じょじょにそこに置かれていたものやら人やら、動物の姿までがあらわになっていく。
「おお、これを見ろ。」
作業員の一人が大きな声をだした。
「どうした!」
同じ場所で作業をしていた三人が寄ってきた。
「この絵はきれいに残っているぞ。千年近く前の絵画だ。価値がでるぞ。」
「これは女性の絵だな。もしかしたら、ここにいる女性かもしれないな。残念ながら、顔の復元まではできないからわからないが。」
「しかしかわいそうになあ。あっと間に、なにもわからないままに死んだんだろうなあ。二人とも。」
「だろうな。だが考え方によったら、それで幸せだったかもしれないぞ。もしかしたら、二人は恋人同士で楽しい時間を過ごしていたのかもしれないからな。」
四人はそうだとばかりにうなずいた。
3
一九〇一年からゴッサムホテルの建立は始まり、ニューヨーク郊外に住む財閥たちは今遅しとその完成を待っていた。そして、一九〇四年一〇月一日、ついにそのドアは開かれ、予約をしていた人々がチェックインに訪れた。その中には大富豪として名高いアスター家やバンダービルト家の人々もいた。
ロビーに入った人々は同じコメントを口にした。
「こんな豪華な造りをしたロビーは見たことがない。これはアメリカでもっとも贅沢なホテルだ!」
ホテルは一八〇室しかない。それが家族で利用されるのだから、三〇件分の予約しかとれなかった。そして泊まりだしたら、彼らは何年にも渡って暮らした。人々はそこに住んでいることを誇りとした。
だが、オープンしてから六年経ったある日、噂が広がった。そこに暮らす大富豪の一つであるダポン家に呪いがかけられているというものだった。九階に宿泊していた、ダポン家の三組の若いカップルが奇怪な死を遂げた。それが原因でダポン家はゴッサムホテルを去ってしまった。だが、次に入ってきたマロン家からもおなじく奇怪な死に方をしたカップルが出た。
原因はわからないが、九階に泊まった家族から変死者が相次いで出たことで、ホテルはそのフロアーを閉めることにした。すると、奇怪な死をとげる者はいなくなり、いつしか呪いの噂は消えていった。
それから数十年、世の中は進歩をとげ旅客機の時代がやってきた。ニューヨークは世界中から人々が集まる都市になった。それにより、グランドホテルは財閥家族の長期滞在用のアパートとしての用途から、世界各国から訪れる短期宿泊者に利用される場へと変わっていった。そして、再びゴッサムホテルの九階は解放された。
4
一九七八年の二月二〇日、新婚カップルがゴッサムホテルにチェックインした。ゲストの名前はジョン・メイバックとその新婦のキャサリン。二人は九一一号室に通された。飛行機が遅れたこともあり、到着したのは午後一〇時を過ぎていた。
「すてきな部屋ね!」
部屋に入るなりキャサリンの顔が笑みで膨れあがった。
「さすがゴッサムホテルだ。」
ジョンは自分の選択に間違いがなかったことを確信した。
「今日は遅いから寝るか。明日は早くから起きて町を歩き回ろう。」
ジョンがそういうと、キャサリンはじっと彼を見つめた。
「さあ、風呂に入って体を暖めて寝るしたくをしよう。」
ジョンに促されてキャサリンは熱いお湯を深い浴槽にためて浸かった。
キャサリンが頭にタオルを巻きつけながらでてくると、ジョンはすでに服も着替えずにベッドの上で大きないびきをかいていた。
「なによ、もう。」
キャサリンは独り言をつぶやいた。だが、新婚旅行に来る前、ジョンが毎晩、徹夜で仕事をしていたことを知っていたので、文句を言って起こす気にはなれなかった。キャサリンは軽くジョンの鼻をつまんだ。すると、するするとジョンの両腕が伸びてきてキャサリンの体を引き寄せた。
「あら、起きていたの。」
「寝ていたさ。誰かが鼻をつかむから痛くて目が覚めたんだ。俺の鼻は硬いからつままれるとすごく痛いんだ。」
「そうなの!ごめんなさい。」
二人はごそごそと抱き合った。
「ミャ~」
「猫の鳴き声をまねした?」
「いいえ、なにか聞こえた?」
「空耳かな。」
二人はまたごそごそと動きながら快楽を求めた。そのときまた聞こえた。“ミャ~”今度はキャサリンにも聞こえた。
「赤ん坊の泣き声?隣の部屋からもれているのかしら?」
「この部屋の壁は頑丈だよ。そんな音は漏れないと思うけど。。。。」
「なんか気味悪いわね。」
「大丈夫、大丈夫、幽霊なんていないんだから。」
二人はまたごそごそと動いた。
「私はここよ。今度は間違えないで。」
ジョンは顔をあげた。
「これは空耳じゃない。君がふざけて声を出しているのでないとしたらだが。。。。」
キャサリンはジョンを見つめながら首を左右に振った。ジョンは部屋を見回した。そして赤い二つの点に視線をとめた。
「あれはなんだ?」
ジョンは目を凝らしてその二つの赤い点を見た。それは目だった。壁にかけられた絵の中にいる女性の目が赤く光っていた。ジョンは立ち上がろうとした。だが、キャサリンはジョンを離さなかった。
「怖い。行かないで。」
キャサリンは震えながらジョンをさらに強く抱きしめた。
「わかった。わかった。心霊現象なんて人に危害を加えられるものなじゃないから、放っておこう。」
ジョンも強くキャサリンを抱きしめた。二人は怖さを吹き飛ばすために快楽に没頭した。
それから二人は翌日に外出をしただけで、その後の五日間を部屋で過ごした。そしてチェックアウトの日を向かえた。
「チェックアウトでございますね。」
フロント・オフィス・クラークはジョンの顔を見て笑顔を作った。だが、ジョンは首を縦に振ってお金を無造作にカウンターの上に置いただけだった。フロント・オフィス・クラークはゲスト・フォーリオをジョンの前にだした。だが、ジョンはそれを見ようともしなかった。
「これで間違いございませんね。」
彼はジョンののろさに少しいらだちながら言った。
ジョンが首を縦に振ったので、彼はカウンターに置かれたお金に手を伸ばした。そして札束を数えておつりを戻した。だが、ジョンはおつりもとらずに出て行ってしまった。彼は首を傾けた。そして、そのあとをついて出て行く新婦ののっぺりとした顔を見て繭をひそめた。
呪いの謎
5
デイブ・マンズバックはニューヨーク市警の腕利き刑事だった。一昨年、四〇年の警察勤務に終止符を打ち年金生活を楽しんでいた。だが、今、彼は耐えようのない辛さに直面していた。
三十三歳のときに妻を失った彼は、一人娘のキャサリンを心の支えとして育ててきた。学校を卒業し、すばらしい伴侶が見つかって結婚式を済ませたばかりだというのに、今、彼女は昏睡状態のままベッドに寝たままになっている。
一体何が起きたというのだ。医師もこんな症状は初めてだという。新郎のジョンまで同じように昏睡状態のままだ。新婚旅行先でこれまでにない新種の毒素を飲んだか、吸ったに違いない。その毒素がわかれば解毒剤が作れるかもしれない。
デイブ・マンズバックは二人の新婚旅行の足取りを追うことにした。そのどこかに毒素があるはずだと考えたからだ。デイブは彼らが通った道、空港の待合室、そしてホテルをめぐった。一番可能性が高いのは六泊したホテルの部屋だと彼の勘が告げていた。
「ここに先日、私の娘が宿泊しました。その後、謎の病気にかかり意識不明の状態がつづいています。娘が泊まった部屋を見たいのですが。」
いきなり老人にそういわれて、フロント・オフィス・クラークは戸惑った。
「私の一存ではなんともできません。今、マネージャーを呼んできますから、お待ちいただけますか?」
デイブはうなずいた。しばらくして、マネージャーが出てきた。
「いったいどういたしましたか?」
デイブは同じ説明を彼にした。
「それはお気の毒です。しかし、その部屋は今お客様が入っておられまして、お見せすることができません。もしよろしかったら、ご予約を入れていただけないでしょうか?」
「予約を入れる?」
デイブはマネージャーをきつい目で見た。マネージャーはその目の鋭さに動揺して口ごもりながら言った。
「そ、そうです。その部屋はあさってには空く予定になっております。ご予約を入れていただければ、特別にその部屋をお取りしておきます。通常はカテゴリーのお約束だけで、お部屋番号まではお約束しないのがホテルのルールなのですが。。。。」
「わかりました。それでは予約を入れてください。」
6
二日後、デイブは娘夫婦が泊まった部屋に入った。どこかに新種の毒素があるかもしれないと、水道の蛇口、風呂の排水口、暖炉の煙突の中、ベッドの下、カーペットの下、隅から隅までくまなく探し回った。だが、なにも見つけられなかった。
次に刑事としてやることは、いや、刑事だったらやることは、過去のゲストの調査だった。もしかしたら同じような症状に陥ったゲストがいるかもしれない。だが、ホテルがゲストの個人情報を出さないことはわかっている。彼は昔の部下に電話を入れた。
「久しぶりだね。デイブ・マンズバックだ。元気でやっているかね。」
「警部。お久しぶりです。お元気ですか?」
「ああなんとか。実は娘が危篤状態に陥ってしまってね。原因不明の症状なので、その調査をしているところなんだ。お願いがあるんだけど、会ってもらえないかね。」
「奇病に!それは大変ですね。もちろんよろこんでご協力させていただきます。どこに何時に行けばよいでしょうか?」
二時間後、カーチス・ケイジ刑事はゴッサムホテルのロビーにやってきた。コートの肩には雪が積もっていた。彼は三〇代後半の痩せ形の男だった。体内に寒さが浸透してしまったかのように体を震わせていた。
二人はコーヒーショップに座りコーヒーをすすった。カ―チスがコーヒーカップをソ―サ―ごと持ちあげると、カチャ、カチャと音をだした。
「わざわざすまない。こんな雪の中を。」
「いいえ、とんでもありません。お嬢さんが心配です。私はなにをすればよろしいでしょうか?」
カーチスは一〇年間、デイブの部下として働いた。デイブは彼がいかに優秀な刑事であるかを知っている。また彼ほど信頼できる男もいないと思っていた。
「私は今このホテルの九一一号室に泊まっている。娘が新婚旅行で泊まったのと同じ部屋だ。娘はこのホテルに六泊してから、ようすがおかしくなって意識不明となった。医師は、原因は全くわからないと言っている。」
デイブはそこまで言うと、グラスを持ちあげて水を飲んだ。
「つまり警部はその部屋に特殊な毒素があると思ったわけですね。」
「その通り。だが、どこを探しても何も見つからない。」
「それで過去のゲストに同じ症状がでた人がいないか見つけたい。だが、ホテルは個人情報を一般市民には開示しない。そこで私の出番だと。」
「さすがだな。その通りだ。」
「お任せください。」
カーチスはニヤリと笑いながら席を立った。一時間後、彼は過去一年間にその部屋に泊まったゲストの名前と住所を持って戻ってきた。
「ありがとう。」
「お手伝いしましょうか?」
デイブは首を振った。
「これは私の個人の調査だ。君の時間を使うわけにはいかない。ありがとう。」
7
「私はニューヨーク市警の元警部、マンズバックというものです。先日、ゴッサムホテルの九一一号室にお泊りになられた際に、なにか変なことは起こりませんでしたか?」
デイブはリストに載っている、アメリカ国内のすべての人に電話をかけた。五八件あった。
その結果、二件は電話番号が変わったことにより連絡がつかず。一軒はすでに高齢による死亡確認。一軒は応答なし。そして一軒はデイブの探していた反応だった。
「元警部さんですか?なぜそんなことをお聞きになるのですか?」
「実は私の娘があのホテルに泊まってから、意識不明状態となりました。あのホテル内でなんらかの毒を吸ったと思われます。そこで、同じような症状になった人はいないか調べているのです。」
「・・・・そうだったのですか。私の娘も同じようになり、一〇日間で夫と一緒に死んでしまいました。」
「なんですって!」
自分の娘と同じパターンの状況に陥った者がいた!
デイブは翌日その遺族が住むロス・アンゼルスへと飛んだ。二月だが、ロスの気候は暖かく、デイブは春の香りのする空気を吸い込んだ。ロスの空港でレンタカーを借りて遺族の家までドライブした。そこはセンチュリー・シテイーの近くの閑静な住宅街にある大豪邸だった。
ゴッサムホテルに泊まる人だ。それなりの金持ちだろうとは思っていたが、まさかここまで金持ちとは。。。。
家を前にデイブはひとつ息を吐いた。それから、家のベルを鳴らした。
「はい。」
すぐに返事がして、亭主と思われる男がでてきた。電話で話しをした声の持ち主だった。
「はじめまして。一昨日、ゴッサムホテルのことで電話をしたものです。デイブ・マンズバックといいます。」
「私はトムといいます。どうぞ中へお入りください。」
トムは暗い表情でデイブを家の中へ通した。
まだ息子が死んでから三ヶ月しか経っていないのだ。明るい顔などできるわけがない。自分だって、キャサリンに死なれたら生きる力を失ってしまい、この先の人生など考えられなくなる。
デイブは応接間に通された。ソファに腰掛けて部屋を見回すと、いたるところに息子の写真があった。そのうちの二つは結婚式のときの写真だった。デイブは新婦の顔を見つめた。なんとなしに見慣れた面影があったので彼は首をひねった。
主人はコーヒーを運んできてデイブに差し出した。
「ありがとうございます。」
そう言いながらデイブは皿を受け取った。
「もう息子のことは忘れたいとなんども思ったんです。ですが、忘れられるはずなどありません。こうして写真ばかりあちらこちらにおいているしだいです。」
トムは目を押さえた。
「医師は全く原因がわからないと言いましたか?」
「はい。」
「どんな症状でしたでしょうか?ニューヨークから戻ってきたところからお話しいただけますか?」
トムはうなずいた。
「戻ってきたときから、一口もしゃべりませんでした。ただ、ぼ~としていました。そんな状態が二日続いた後、朝起きてこなかったのです。ベッドに行ってみると昏睡状態でした。病院に運びましたが、原因不明の昏睡状態ということで、治療方法がありませんでした。それから一〇日後に二人とも息を引き取りました。」
デイブは顔をしかめた。
「私の娘と全く同じ状態です。これでほぼはっきりしました。ゴッサムホテルの九一一号室に泊まった者がなにかの原因でそうなるということが。。。」
「でも、そうならない人もいるのですよね。」
「はい、この一年間で五八件のカップルが泊まっていますが、こうした症状になったのはお宅の息子さん夫婦と私の娘夫婦だけです。」
「そうなった者と、ならない者の違いはなんでしょう?」
「わかりません。これから調べます。」
デイブは首を振った。
入院してから一〇日間でなくなったのか。。。ということは、私の娘の命もあと五日程度ということになる。早くしなければ。
「情報ありがとうございました。」
デイブは腰を上げた。そのとき、ギ~と扉がゆっくりと開く音がした。デイブは音の方向に視線を向けた。そこには車椅子に座った老婆がいた。
「私の家内です。エミリーといいます。」
トムがそう言うと、デイブは歩み寄ってエミリーに手を伸ばした。
「刑事さんですね。」
エミリーはデイブの手をとって握手をした。
「前はそうでした。今は違います。ゴッサムホテルの犠牲者を調べています。」
「私の息子の仇をとってください。」
エミリーはハンカチを手にして目にあてた。
「相手が誰なのか調べています。必ず見つけ出します。」
エミリーは涙を流しながらデイブを見た。デイブは二回彼女の手を軽く叩いた。
「あのホテルには私も若いころに泊まったことがあります。」
「えっ!なんですって。」デイブの顔が突如険しくなった。
「そのときのことをお聞かせください。」
エミリーはうなずいた。
「あれは大恐慌の前の年でした。親戚があのホテルに住んでいたものですから、ニューヨークに行ったときに世話になったんです。」
「そうですか。」
デイブはうなずいた。
「そのときから呪われているという噂があったのです。」
「なんですって!」
デイブは目を大きく開いた。
「本当か?エミリー。どうしてそんなことを今まで私にも言わずに黙っていた。」
トムが驚いた顔をしてエミリーのところに来た。
「今、思いだしたの。呪いの噂があったことを。私がエレベーターに乗ったら、九階だけエレベーターが止まらなかったんです。それで、親戚の人に、なんで九階にだけ止まらないのかと聞いたら、その階に泊まった家族の中から何人も死人がでたということで、九階はクローズされているということでした。でも、息子の嫁のエレンがあのホテルに泊まることをとても喜んでいたから、楽しい話しばかりがでてきて、その不吉なことは思い出せなかったの。彼女の両親も昔あのホテルに住んでいたことがあったというし。」
「そんな昔に噂があったのですか。。。。」
デイブは遠くを見つめた。
「それじゃ、まるで呪いじゃないか。」
トムが眉間に皺を寄せた。
「そんな呪いのホテルに息子が泊まることに気がつかなかったなんて、息子を殺したのは私のようなものだわ。。。。」
エミリーはぼろぼろと涙をこぼした。
「仇はとります。」
そう言ってデイブは家をあとにした。
間違いない。あの部屋にこの謎を解くなにかがある。そのためには、どうしてキャサリンとあの夫婦の息子夫妻だけに呪いがかけられたのかを解明することだ。新婚旅行で泊まったカップルは他にもいたから、彼ら二人が新婚旅行者だったという偶然は理由にならない。
デイブは飛行場へと車を飛ばした。

ケニ―奥谷