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ラフィルスとゼネガス

ラフィルスとゼネガス



たくき よしみつ

ラフィルス

 これは私たち人類が住むこの地球が存在する宇宙とは別の宇宙に属する、ある「世界」での物語である。
 その「世界」でも、やはり私たち同様の「人間」が生きていて、その「世界」の食物連鎖の頂点に立っていた。
 周囲を海に囲まれた小さな島国「ラフィルス」。
 女王ライラ・ラフィルス四世が統治する住民八百万のこの国は、緑と雨に恵まれた山岳国で、国民は農耕と漁撈を中心にした生活をもう三千年以上続けていた。
 すべての生き物には、ラフィルスと呼ばれる神の魂が宿っている。
 ラフィルスの魂を貴び、昨日と同じ明日が続くことに感謝して生きる……これが先祖代々伝わった「ラフィルス」の教えだった。
 ラフィルスの国民はみなこの教えを守り、特に大きないさかいもなく、平和に暮らしていた。
 海の遥か向こうの別の世界から、「ゼネガス」と呼ばれる宗教を信じる者たちが、黒い水を使った魔法を伝えるために渡ってくるまでは……。

♪壮大なオープニング音楽。フルオーケストラ♪

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♪ジョロリロリ~ン♪

「これはこれはヒデノリ様、何をこんなところで油を売っておられます。姫がお呼びですぞ」


 なんだこいつは? 二頭身だから格好がよく分からんのだよね。白い頭巾みたいなものを被って、僧侶かね。
 お、隣には女の子が……。
 どれどれ、ちょっかいを出してみるか。

「あら、ラフィルス修行僧四天王の一人と呼ばれたヒデノリ様、今日はライラ女王から特別な任務を言い渡される日でしょ。さあ、接見の間にお急ぎください」

 ふうん、そういうわけか。旅立ちの前に、まずは女王様から頼みごとをされちゃうわけね。よくあるパターンだな。
 では上に移動……と。
 お、凄い部屋だね。紫色の床に銀色の壁かよ。銀色とか金色ってのはテレビ画面上ではなかなか表現しにくいんだよね。背景を担当したプログラマーは結構苦労しているだろね。
 さて、女王様女王様……と。
 お、いたいた。女王様も二頭身か。それにしても女王様だけで、王様とか王子様とかはいないのかね。寂しい宮殿だぜ。

「ヒデノリ。待っていました。今日はそなたに大事な頼みごとをしたいのです。聞いてくれますか?」


はいいいえ


いいえ

「えーっ、そ、そんなあ……。それじゃあいきなりこのゲームが終わってしまうじゃないの。そんな意地悪を言わないで、オ・ネ・ガ・イ……ライラのお願い、聞いて」

 くっだらねえ会話だこと。無駄なプログラムだなあ。
 じゃあ、しょうがない。

はい

「ありがとう。頼みというのは他でもない、娘のサツキチャン姫のことです。娘は、ゼネガスの呪いの秘密を暴く旅に出ると書き置きを残して城の外へ出てしまいました。
 そなたも知っての通り、城の外にはゼネガス軍団がこの国にばらまいた生物兵器……平たく言えばバケモノどもがうようよいます。娘のサツキチャン姫一人では、すぐに命を落としてしまうでしょう。
 すぐに追いかけ、姫を城へ連れ戻してほしいのです」


 はいはい。じゃあ、さっそく出かけましょうかね。

「出発の前に、ラフィルス教会の長老の話を聞いていくがよい」

 あ、そ。教会ね。城の中に教会があるわけか……。ふうん、隣の部屋がそうだな。
 あの祭壇の前にいる黒い服の爺さんが長老か……。ではさっそくありがたいお言葉をば賜りますかね。

「よく参られた、ヒデノリ殿。そちは女王陛下から、サツキチャン姫を連れ戻すようにとの命を受けたのであろう。しかし、サツキチャン姫はそちも知っているように、なーかなか頑固。たとえ運よく見つけられたとしても、あっさり、ハイそうですかと城へ戻るようなことはあるまい。姫はゼネガスの秘密を探り出すまでは戻らないつもりなのじゃ。
 そこで、そちもゼネガスについて、姫に言い負かされぬよう、最低限の理論武装をしておかねばなるまい」


 理論武装ときたね。凄いゲームだこと。

「そちはそもそも、これまで奇跡を次々におこしてきたゼネガスの魔法というものを、どう思っておる?」

 そう言われてもなあ……。
 
「よし、ざっと復習してみよう。
 今からおよそ百年前、海の向こうから渡ってきたゼネガスの僧侶たちは、この国の人々に黒い水を使った魔法を教えた。我らラフィルスの民は悲しいくらい勤勉なので、たちまちその魔法を習得し、ゼネガスを信奉する海の向こうの大国の人々、つまり本家本元よりも優れた魔法の使い手になったわけじゃ。
 ゼネガスの魔法は、確かに我らの国に驚くほどの便利な文明をもたらした。今では夏場に冷たいビールが飲めるし、この島国の北端に位置するモリアオの地から南端のクチヤマの地まで、たったの一日で移動できる乗り物もある。
 じゃが、その裏では先祖代々伝わってきたラフィルスの魂が削られ、ラフィルスで清めきれないほどの毒を生み出しておるということを、そちは気づいておったか?
 もともと、この世の中に、無から何かを生み出すような術など存在しないのだ。ゼネガスの魔法も、使えば使うほど、ラフィルスの魂をいけにえに捧げることを求めておるのだ。
 じゃが、愚かな我らは、そのからくりに気がつかないまま、ゼネガスの魔法の虜になってしまった。人々はみな異口同音に言う。
『今さらゼネガスの魔法に頼らない暮らしになど戻れない』
 ……とな。
 わしとて冷蔵庫にビールが冷えていない暮らしに戻るなどとんでもないと思う。嫌じゃ、嫌じゃ、嫌じゃ。
 しかしのう、ラフィルスの教えとゼネガスの魔法は全く相入れないものなのかどうか……。
 必要なのは、昔に戻ることではない。ラフィルスの教えを思い出し、もう一度この世界をやり直そうとする勇気ではないのかのう。
 そう、サツキチャン姫は、その答えを見つける旅に出たのじゃ。
 さあ、行きなさい。もうあまり時間は残されておらん。
 サツキチャン姫と合流し、その答えを探すのじゃ。
 世界が完全に滅びてしまう前にな」


 あーあ、シンキ臭えゲームだね。先が思いやられるぜ。
 ま、いいか。
 じゃあ、仕方ないから出発しますよ。
 出口、出口……。ん? こんなところに宝箱があるね。

♪ピロピロリーン♪

『石の短剣』か……。攻撃力5? 屁のつっぱりくらいにしかなりそうもないけど、まあ丸腰よりはましか。外へ出たら早くどこかの町へ行って、武器を揃えないとな。
 さてと、外に出たぞ。一人で行くさ、誰もいないさ……っと。
 早くサツキチャンを見つけてパーティーを組まないとな。

♪ジャラリラリロ~ン♪


[一つ目ブヨリンが現れた]

 お、出ましたね。モンスター。
 最初に出るだけあって、あんまり強そうじゃないね。
 どうしますか?

 攻撃する  逃げる  魔法  説得する  その他

 バコッ!

 あれ? 一撃で死んじゃったよ。弱いねえ。最初の敵キャラだからって、いくらなんでも弱すぎるぜ。
 え? 経験値が2増えたのはいいけど、なんで攻撃力が5下がるんだよ。俺は戦いに勝ったんだぜ、おい。
 ん? なんだって?

[ヒデノリは暴力で相手をねじふせる空しさを知った。もう二度と暴力に訴えることはするまいと心に誓った]

 ……なんだよ、それで攻撃力がマイナス5なのかよ。これじゃあ戦えば戦うほど弱くなっちまうじゃんかよ。冗談じゃないよ。

♪ジャラリラリロ~ン♪

 あれ、また現れたよ。一つ目ブヨリンが三匹もいっぺんに。

 どうしますか?

 攻撃する  逃げる  魔法  説得する  その他

「ねえねえ、一つ目ブヨリンさん。暴力はいけませんよ」

[一つ目ブヨリンは説得を無視して攻撃してきた]
 ブヨヨン、ブヨヨン

[ヒデノリは一つ目ブヨリンの毒に侵された]

 ゲッ! なんだなんだ。

♪プヨヨヨヨ~ン♪

[ヒデノリは傷つき、美しい草原の真ん中で、長くはない一生を終えた。意識がなくなる前に、頬に触る草の匂いを静かに胸に吸い込んだ。ああ、僕はどこから来て、どこへ行くのだろう……]
   
 ゲームオーバー
 
 もう一度始めますか?


 ……うっせえ……

ゼネガス


 これは私たち人類が住むこの地球が存在する宇宙とは別の宇宙に属する、ある「世界」での物語である。
 その「世界」でも、やはり私たち同様の「人間」が生きていて、その「世界」の食物連鎖の頂点に立っていた。
 人間がこの世界の頂点に立てたのは、ゼネガスの神の教えてくれた黒い水の魔法のおかげだった。
 人間はみな、幸福を追求する権利を持っている。自由に、夢を追う喜びを知っている。しかし、幸福になるためには努力を惜しんではいけない。ゼネガスの神は、努力を怠る者たちには魔法の恩恵を与えなかった。しかし、努力をし、夢を追い求める者たちには、この夢の達成のために必要な材料をふんだんにお与えになった。植物も、動物も、鉱物も、そして隠されたエネルギーの秘密も。
 人間は神の期待に応え、限りなく努力を重ねた。そしてついに、この限られた世界の中で、永遠をかいま見ることができるまでに成長したのである。
 人間はもはや「神」に近い存在になった……そう錯覚する者もたくさんいた。
 しかし、神は人間たちに新たな試練をお与えになった。
 不可能を可能にするかに思えたゼネガスの魔法も、使用法の乱れと使い過ぎによって、魔法の源が乏しくなってきたのである。
 神が人間のために用意してくださった黒い水は、決して無限ではなかった。
 人々はゼネガスの魔法に代わる新たな魔法を見つけなければならなかった。しかし、その新たな魔法を手に入れるためには、数々の尊い犠牲を払わなければならない。
 その試練の旅に、今、選ばれたゼネガスの若き戦士たちは旅立とうとしていた。

♪壮大なオープニング音楽。フルオーケストラ♪

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>主人公の名前を入れてください
  サツキ

>あなたのいちばん好きな異性の名前を入れてください
  ヒデノリクン

>物語をスタートさせますか?
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♪ジョロリロリ~ン♪


「これはこれはサツキ様。ゼネガス民主々義共和国連邦の尊い文化と文明を次の世代に伝えるために選ばれた『希望の戦士』の一員ともあろうあなた様が、こんなところで油を売っていてはなりませんぞ」


 誰なの、この白い服の人。長い台詞のわりには意味不明なこと言ってるわね。いきなりなんなんだろ。
 じゃあ、今度はこっちの女の子に訊いてみようかしら。
 
「サツキ様。さっき『希望の戦士』のお仲間、ヒデノリクン様が捜しておられましたよ。早く教室へ行ってください」

 教室ですって。一体ここはどこなのかしら。ま、いいわ。とにかく階段を昇って次の画面に行ってみましょう。
 あら、本当に教室になっているわ。
 あれが先生かしら。
 
「サツキ君、遅刻ですよ。この世界の存続は、ひとえにあなたがた希望の戦士が新しい秩序とエネルギーの源を捜し出せるかどうかにかかっているのです。
 もはや一刻の猶予もなりません。こうしている間にも、世界は刻々と滅亡へと向かっています。完全に取り返しがつかなくなる前に、人間が築いた素晴らしい文化、文明を残す手立てを考えなければなりません。そして、それはあなたがた若き優秀な戦士たちに課せられた使命なのです。
 さあ、授業を始めますよ。
 この時間はこの星の再編成に関するシミュレーション授業です。
 地上は今、

 A・耕作可能地域、B・都市文明地域、C・酸素供給用森林地帯、D・汚染閉鎖地域

 に大別できます。これらを再構築して新しい秩序の世界を作り出すのが私たちに課せられた使命です。
 私たちゼネガス民主々義共和国連邦に属する以外の人間たちは、ここでは全部まとめて『ラフィルス』と呼ぶことにします。
 ラフィルスをうまく消去して、世界を適正人口のゼネガス陣営の手で再構築するのがこのゲームの目的です。
 耕作可能地域にはラフィルスたちが残って抵抗しているエリアもあります。まずはこれらを効率よく整理せねばなりません。
 一種の陣取りゲームですが、そこに様々な要素が入り組んでいるので、作業はかなり複雑です。
 征服の方法、統治のルールをどう決めるかによって、その後の展開も変わってきますね。
 要領よくラフィルスたちを消去するためにはどういう方法があるのか?
 まずはシミュレーション・レベル1の画面からクリアしなさい。
 サツキ君。君はヒデノリクン君をパートナーにしなさい。
 ではまずルールの説明から。
 一つのエリアを征服するために使用可能な兵器は通常兵器二百単位、生物化学兵器五十単位、核兵器五単位です。
 効果の大きさと使用後のその土地へ残すダメージとをしっかり計算しないと、せっかく手に入れた耕作可能地域が、その後何年もの間使用不可能になってしまうことがあります。
 始末したラフィルスたちをどう処理するかも問題ですね。有機肥料として利用するのは限度がありますし、そのための処理施設建設にもエネルギーが必要です。労働力として利用することも考えられますが、その場合は最低限度の食料や環境汚染を計算に入れなければなりませんし、条件次第ではやっかいな反乱という可能性もあります……。
 とにかく、現在残された耕作可能地域の面積が扶養できる人口よりも世界人口ははるかに多いわけですから、思いきった処理も必要ですね。
 作戦をよーく考えてから取り組みましょう……」


 なんだかルールが複雑そうね。
 でもこの画面をクリアしないと次には進まないわけだし、仕方ないわね、じゃあぼちぼち始めようかしら……。
 まずこのI国はこのまま放っておいても内戦が続いて人口は減るでしょうから、征服するのはその後でもいいわね。
 問題はC国だけど……。

      ο ο ο
  マルソン営業部長・長岡秀麿は、部下の白鳥洋一に訊いた。
「どう? 先月同時発売の『ラフィルス』と『ゼネガス』。どっちが売れている?」
「断トツで『ゼネガス』ですね。生産が追いつかないって、工場のほうからさっきも電話がありましたよ」
「やっぱりねえ……。喜ぶべきか悲しむべきか……」
「メーカーとしては喜ぶべきでしょう、もちろん」
「『ラフィルス』はどうして売れないのかね」
「だってあのゲームのコンセプトは、今ではもう時代遅れですよ。今頃になって取り返しのつかないことを説教されたってねえ。それだったら、万に一つの可能性を示唆してくれる『ゼネガス』のほうが、ユーザーもやる気が起きるってことでしょう?」
「そうか……じゃあ、工場のほうには『ゼネガス』の増産を指示しておかないとね。『ラフィルス』は生産中止にしよう」
「分かりました」
 白鳥は面倒臭そうにそう返事をすると、コンピューターの端末に向き直った。

『ラフィルス』と『ゼネガス』は、多くのデータを共有して作られた二種類のゲームである。
 企画会議の段階で開発チーム内の意見がどうにも折り合わず、それならばいっそ、同じような背景とシステムを共有しながら、全く違う内容のゲームを二つ作ろうということになったのだった。
 この国ではまだ、子供たちがコンピューター・ゲームに興じるだけのゆとりが残されている。かつての世界有数の工業生産力の貯金と、内陸部に残されたわずかな緑。そして異常気象が続く中でも、なんとか確保している雨量のおかげである。
 億単位の人間が餓えや複雑な武力抗争の果てに死んでいく国が絶えない現在、世界でいちばん恵まれた国と言えるだろう。
 しかし、この国でも、既に人口は二十世紀末期の半分に減った。
 死因のトップは癌。次が自殺。これだけでもこの国がいかに平和な国か分かろうというものだ。今や世界のほとんどの国では、死因のトップは餓死、あるいは戦死、戦闘巻き添え死である。
 平均寿命も、未だに五十歳という長寿ぶりだ。四十代でなお会社に勤めている者も珍しくはない。
 とはいえ、コンピューター・ゲーム業界は、かつてと同じように若い世代を中心に動いている。
 クリエイターやプログラマーの大半は十代前半である。長岡部長も十五歳。白鳥課長は十二歳である。
 彼らは「世界」がなぜ急速に破滅に向かっているのか、今ではその理由をおぼろげに分かってはいる。
 しかし、もう何をやっても遅いのだ。どう頑張ったところで、どんな手を打ったところで、破滅へと向かう流れは止まらない。
 彼らにとって幸福な人生とは、できる限り死の恐怖から目を逸らし、飢えと戦争に巻き込まれず、気楽に暮らせる人生という程度のものにすぎない。

 ちなみに、『ゼネガス』のラストシーンは、生き残った一万人ほどのゼネガスの若者たちが、南米大陸の奥地で、奇跡的に、手つかずの新しい油田を見つけ、それまでの文明を維持することに成功するというものである。
 ラストまでクリアした者が出始めれば、『ゼネガス』の人気はさらに上昇するかもしれない。

「もしもし、ヒデノリ? 私、サツキ。今ね、とうとうクリアしたわよ、『ゼネガス』。感動のラストシーン。一緒に見たかったわ。え? ヒデはまだ終わっていないの? え? 『ラフィルス』? バッカじゃないのあなた、あんなゲーム買ったの? いらつくだけじゃん、あれ」

 この国では娯楽産業だけはまだなんとか続いている。
 ゴルフ場もスキー場もゲームセンターもまだまだ健在だ。
 しかし、すきっ腹を抱えて『ラフィルス』をやろうとする子供の数は、極めて少ない。

(『ラフィルスとゼネガス』 了 初出:小説すばる)

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高貴な粘液(1/2)

高貴な粘液



たくき よしみつ



ο ο ο

小高おだかさん、あれ!」
 船の舳先へさきのほうに乗っていた沢野が、水面を指差しながら叫んだ。
 カメラマンの横井が、反射的にビデオカメラに手を伸ばす。
 見ると、船の右手前方を、何かが、まるで船を先導するかのように泳いでいる。
「こんな奥地にまでいるんですねえ。もう、ずいぶん分け入ったと思っていたのに、この分じゃあ、目的地はまだまだ先ですかね」
 舳先付近に移動した私の隣に寄ってきて、沢野が耳打ちした。大声を出さないのは、撮影を開始した横井のビデオカメラの内蔵マイクに、声が入らないようにという配慮からだ。
 船を先導する陽気な生物は魚ではなかった。
 アマゾンカワイルカ。
 世界中に四種いる淡水棲のイルカの一つだそうだが、川でイルカに出合うというのは、どうにも不思議な気がする。
 私たちはテレビのドキュメンタリー番組を撮るために、世界第三の大河・オリノコ河を遡っていた。
 流域面積世界一のアマゾン河の場合、河口の河幅が三百二十キロあり、四千キロ遡ってもまだ十キロ近い河幅を誇る。オリノコ河はそれには及ばないものの、巨大なことに変わりはなく、イルカを眺めていると、ここが河なのだということをどうしても忘れてしまいそうになる。
 イルカたちはしばらく船と並走するように泳いでいたが、やがてどこかへ姿を消した。
 カワイルカ類はマイルカなどに比べると脳の大きさが半分以下だが、離の数はあまり変わらないとか、揚子江に棲むヨウスコウカワイルカは生存数が二百にも満たず、絶滅は時間の問題だというようなレクチャーを、私はすでに沢野から何度か聞かされていた。
 横井がカメラを再び防水ケースに戻すのを見届けてから、私はガイド役のカルロスに訊いた。
「まだ大分かかるのかな」
「オーライ、オーライ。あと三日のうちには着くよ」
 カルロスは甲板に寝そべったまま、私より下手な英語で答えた。
 二日前に町を出たときにも「三日のうちには」と言っていた。
 河はどこまで遡ってもあまり景色が変わらない。一体どれくらいの距離を進んだのだろう。
 私は諦めて、ポケットから雛くちゃになったラッキーストライクのパッケージを取り出し、一日の割り当て本数三本のうち、二本目に火をつけた。
 この取材旅行が終わるまでに禁煙するつもりで、最初からあまり持参しなかったのだが、果たして成功するだろうか。
「小高さん、こういうジャングルは初めてですか?」
 コーディネーターの沢野が言った。
「アマゾンは初めてだけど、ボルネオのジャングルに入ったことはあるよ。あれはすごかった」
「ボルネオっていうと、オランウータンか何かを撮りに?」
「いや、元日本軍の通信兵が、あそこの奥地に有尾人ゆうびじんがいるっていう話を耳長族の長老たちから聞いたって言うんでさ、『幻の有尾人を求めて』とかなんとかっていう番組をね、計画したわけさ」
「ユウビジン?」
「しっぽがある人間って意味。類人猿じゃないよ。人間なんだけれど、しっぽがあるわけね」
「そりゃすごいや」
「すごいだろ。いれば世紀の大発見さ」
「でも、幻は幻のまま終わってしまった……と」
「そう。耳長族の集落まではたどり着いたんだけど、そこでもそんな話は出なかったね。仕方ないから『幻の耳長族を求めて』って番組に変更してさ、耳長族は昔から有名で、幻でもなんでもないんだけどね、しゃあないよな」
「オランウータンにしっぽくっつけて撮影しちゃうとか、何かすればよかったのに」
「実際そういう意見もあったよ。学者は最初からそんなものは生物学上考えられないって言ってたんだよね。その時点で何か仕込みでもしないと番組としては成り立たないという予感はしてたんだけど、いざ、物すごい自然の中に入ってみると、そんなセコいヤラセは馬鹿らしくなっちゃうんだよね」
 私は数年前の、やはりハードな取材を思い出していた。ヒルに身体中吸いつかれるし、原因不明の高熱は出るし、下痢は止まらないしで、本当に死ぬかと思った。
 大学では探検部の主将を務め、高山から砂漠まで、一通りの冒険を経験してきた私も、いつしか結婚もせずに四十代の半ばにさしかかろうとしている。そろそろハードな取材は遠慮してプロデューサー的な仕事に回ろうかとも思っていたのに、結局はこうしてジャングルの本家とも言うべきアマゾンに来てしまっている。
 正確にはアマゾン河よりも千キロ以上北、ベネズエラを二分するように流れるオリノコ河を遡っているのだが、目指す目的地はブラジルとの国境付近に広がるジャングルだから、広い意味でアマゾンと言ってもそれほど差し支えはないだろう。
 オリノコ河は中流以下がリャノスと呼ばれる草原地帯なのだが、私たちはジャングルが始まるあたりまでは飛行機で入ったので、この河の下流地域の表情は間近には見ていない。
 今回の本当の目的はオリノコ河を撮ることではない。この河の源流近くに住むというチシツメリ族、別名「笑顔族」という部族と接触することだった。
 チシツメリ族はほんの十人から二十人程度のグループでジャングルの中を移動している採集民族だという。なぜかいつも笑顔を絶やさず、「生まれるときも、寝るときも、死に顔さえも笑顔の部族」などと呼ばれているとも聞いた。
 私がこの部族の存在を知ったのは、イギリスのあるドキュメンタリー番組のビデオでだった。日本では放送されておらず、イギリスに住んでいる友人がビデオを送ってくれた。
 映像はわずか数分間だったが、そこに登場した全裸の部族は、確かに終始笑顔を絶やさない。その笑顔の不思議さになぜか無性にひかれてしまい、企画会議でこの部族との接触を試みるドキュメンタリー番組を提案してしまったのだ。
 部長から、「小高君、提案者の君が行くんだろう?」と言われたときは、一瞬、いつかのボルネオでの悲惨な体験を思い出したが、結局断れなかった。言い出しっぺの責任というよりも、彼らの笑顔の秘密を知りたいという好奇心が強かったのだと思う。
 もっとも、ボルネオの有尾人のように雲を掴むような話ではないものの、チシツメリ族に出合える自信はあまりなかった。実際にいることは確かなのだろうが、なにしろアマゾンには、未だ我々がまったく存在を知らない未接触部族も多数いると言われている。
 しかも、ビデオを送ってくれた友人の手紙によれば、このビデオを撮影した取材班の一人は行方不明になったまま戻らなかったのだという。ビデオにも一瞬映っている、金髪の、笑顔が魅力的な美人生物学者が、パーティーが引き上げる寸前に忽然と消えたらしい。かなり捜したが、遺体も遺品も見つからなかったそうだ。あまり気持ちのいい話ではない。
「本当に大丈夫なんだろうな」
 私はもう一度ガイドに念を押した。
「オーライ、オーライ。でも、連中は絶えず移動しているからね。ワシも実際に会ったことはないのよ。会えればラッキーね」
 カルロスは笑顔族のような明るい笑顔でそう答えた。
 
ο ο ο
 
 町を出発して一週間経った。
 川を遡っているうちは、食料はもっぱら捕れた魚だった。味も素晴らしく、毎日食べても飽きなかった。
 船を降りる頃までに飲料水を半分近く使ってしまった。帰りのことを考えると不安が募る。
 ジャングルを歩くようになってからは、太い蔦を山刀で切って得られる水を飲むようにした。
 蔦の切り口からは、まるで水道の蛇口のように透明な水がほとばしり出る。口を近づけて飲み、残りは水筒に入れる。これは植物が浄水器の役割を果たしているので安全だし、第一、用意してきた飲料水よりもはるかにうまかった。
 珍しい動物や、河のほとりに住む人々の生活などはかなりビデオに収めたから、今引き返しても、それなりに番組は作れるだろう。しかし、ここまできたら意地でもチシツメリ族を映像に収めたい。
 ジャングルに分け入って三日目のことだった。カルロスが大きな糞の山を発見して、興奮した声を上げた。
「これ、連中のウンコよ。まだ乾いてないね。連中、近くにいる証拠ね」
 本当だろうか。
 糞はきれいにとぐろを巻き、太さからいっても、かなりの大型動物のものには違いない。
「脇にティッシュでも落ちてれば、人間のものだって分かるんですけどねえ」
 見事な糞のモニュメントにカメラを向けながら、横井が咳いた。
 その言葉の意味を理解したわけでもなかろうが、カルロスは糞の山のそばに自生している蔓性の植物を指差した。
 よく見ると、蔓の一部に乾いた糞が薄くこびりついていた。
「これ、チシツメリ族の特徴ね。サルはこんなことしないよ」
 なるほど、信用してよさそうだ。
 私は、脱糞の後、蔓を尻にこすりつける図を思い描いた。
「痛くないのかね。めりこんだりして……」
 沢野が言った。どうやら同じ想像をしていたらしい。
 そのとき、十メートルほど離れた薮が揺れた。
 みんな一斉にその方向を見た。
 何かが動いている.動物だとしたらかなり大きい。
 横井はすかさずカメラを向けている。
 緊張のひとときが過ぎる。
 現地人のポーターたちも、一様に顔に不安の色を浮かべた。
 しかし、相手は姿を現さない。
「ダポポポポプルルル……」
 突然の奇声。
 驚いた横井が、カメラを担いだまま危うく腰を抜かしそうになった。しかし、声を発したのは薮の中の相手ではなく、カルロスだった。私たちは固唾を呑んで、カルロスの次の行動を見守った。
 しかし、カルロスはそれ以上何も行動を起こさなかった。
 やがて薮のほうから、小さな緑色の物体が飛んできた。
 緑色の物体は沢野の頭にあたり、バウンドして地面に落ちた。
 そばによって調べると、大きな木の葉で何かをくるんでいるようだ。
 私は恐る恐る木の葉の中身を調べてみた。
 中身はまだ暖かそうな糞だった。
「ダポポポポプルルルゥルルゥ」
 カルロスが、今度は少し嬉しそうな調子で声を上げた。
「木の葉でくるんでいるね。これ、友好の印。顔を合わせたくない場合は、木の葉でくるまずに、直接ぶつけてくるね」
「本当かいな」
 沢野が、かぶっていた帽子をとって、「被害」がないことを確かめながら言った。
 何はともあれ、木の葉でくるまれていてよかった。
「それ、同じように投げて。早く」
 カルロスが言った。
「何だって?」
「それ、投げて。こっちも友好の印、返さないと、行ってしまう」
 躊躇している余裕はなかった。私は思いきって、その木の葉でくるんだ柏餅状のものを掴み上げ、飛んできた方向に向かって投げ返した。
「柏餅」の落下地点付近の薮が揺れた。確認しているのだろう。
「ダポポポポプルルルウルルウルウ」
 今度ははっきりと相手からの信号だった。
 やがて、薮の上にひょこんと人懐こそうな笑顔が現れた。
 間違いない。
 顔つきはかなり違っていたが、彼は私がビデオで見たのと同じ種類の、あの不思議な微笑を浮かべていた。
 私は感動のあまり、しばらくは声も出なかった。
 気がつくと、頬のあたりの筋肉が緩み、自分もまた満面の笑顔を浮かべていることに気づいた。
 しかし、周りを見渡してみると、笑っているのは私だけで、スタッフは全員、緊張した表情を崩してはいなかった。

ο ο ο

 薮の中からは最初身長百五十センチほどの小柄な男が現れたが、私たちの背後にもう少し背の高い男が二人潜んでいたらしく、気がつくと、同じようにニコニコしながらすぐそばに立っていた。
 私たち一行はスタッフの他にポーターが四人いて、総勢十人だったが、もしも彼らに敵意があれぱ、完全に背後から不意をつかれ、背中に毒矢の一、二本は刺さっていたかもしれない。
 三人はニコニコするだけで何も言わず、私たちの前に立って歩き始めた。時折、ちゃんと後をついてきているかどうか確かめるように振り向く。振り向いた顔もやはり笑顔のままだ。
 そんなふうにして、私たちはジャングルの奥へ奥へと誘導されていった。
 カルロスは迷子にならないよう、立ち木に山刀で傷を付けながら歩いていた。
 三十分歩いても、一時間歩いても、三人は時折笑顔で振り返りながら、どんどん奥へと歩いていく。
「まさかこのまま捕まえられて、鍋でゆでられたりはしないんでしょうね」
 横井がぶつぶつと咳く。
 私は、行方不明になったまま帰ってこなかったというイギリスの撮影班の一人、金髪の美人生物学者のことを思い浮かべた.
 人懐こそうに笑いながら、「来客」をグツグツと煮込んで……?
 まさかあの笑顔は、久しぶりにうまそうな食料を見つけたという喜びを表しているんじゃないだろうな……などと、本当に気が気でなくなってきた頃、私たちはようやく彼らの集落に到着した。
 私たちが「友好の柏餅」を投げ合った地点から、すでに一時間半は歩いていた。あそこで出合わなければ、こんな森の奥深くの集落を捜し出すことは無理だったろう。私は改めて幸運に感謝した。
 それは、集落というよりはほとんどキャンプに近いものだった。
 木や植物の蔓を使って建てられたごく簡単な小屋が二つ。
 住民は、先導してくれた三人の男の他には、子供が五、六人と、彼らの母親らしい女が三人だけ。他にも外出中のメンバーが何人かいるのかもしれないが、それでも総勢二十人を超えることはなさそうだ。
 男も女も、みんな全裸だった。
 簡単なぺニスサックや腰蓑のようなものも着けていない。ただ、刺青なのかボディペィンティングなのかは分からないが、男女とも胸や顔に様々な模様を描いている。
 私たちはさっそく取材を開始した。
「リーダーは誰かと訊いてくれ」
 私はカルロスにそう耳打ちした。
「そんなあ……ワシも会うの初めて。言葉なんか分からないよ」
 カルロスは首を横に振りながら答えた。
「だって、さっき出合ったときは、あんなに見事にコミュニケーションしてたじゃないか」
「あの挨拶は爺様から話に聞いてただけね。あんなにうまくいくとは思わなかったよ」
 仕方なく、私は荷物の中からチョコレートの箱を三つばかり取り出して、最初に顔を出した背の低い男に差し出した。名刺代わりというか、とにかく友好の気持ちを表したかった。
 男はニコニコしながらチョコレートを受け取り、しきりに調べていたが、やがてゆっくりと私のほうに差し出して返そうとした。
 私は困って、ジェスチャーで「あげる」と伝えたが、もしかしたら食べ物だと分からないのかもしれないと思い、一箱を開けて、自分でゆっくりと一かけら食べて見せた。
 彼は迷っていたが、ようやく決心がついたようで、真似して一かけら口に入れた。
 もともと天真燭漫な笑顔に、困惑したような、驚いたような、あるいはさらに満足したような、微妙な表情が加わった。うまいと思ったのかどうかは分からないが、こちらの気持ちは伝わっただろう。
 私は、残りの二箱と一緒にもう一度それを彼に押しつけた。
 彼はようやく受け取り、それを他の仲間たちに見せに行った。
 女たちは笑顔の中に戸惑いを、子供たちは笑顔の中に抑えきれない好奇心を混ぜながら、それぞれ集まってきたが、不思議に、一種の余裕というか、威厳のようなものを崩さなかった。
 我々の風体や装備を見慣れているとは思えないが、それほど驚くでも、神経質に反応するでもない。まるで隣村の親戚が久しぶりに遊びに来たのを出迎えるといった感じだ。
 さらに不思議なことには、彼らは言葉らしきものをほとんど発しなかった。
 子供たちは時折、子供特有の歓声や奇声を発するが、大人たちは仲間同士でもひたすら笑顔を交わすだけだ。
 よく見ていると、その笑顔にも微妙な表情の違いがあり、それが言葉以上の意思伝達をしているようにも思える。
「すごい番組になりますね、これは」
 横井が興奮気味に言った。
「生きて帰れればね」
 私は再び行方不明になったイギリスの取材班のことを思い出しながら答えた。
 
ο ο ο

 私たちは図々しくも彼らの集落の外れにテントを張り、彼らと数日間生活を共にすることにした。
 最初の夜から、私たちは彼らの心根の優しさに接し、感動した。
 夕方、狩りにいっていたらしい別の男二人が、サルを担いで帰ってきた。夜の献立は、そのサルの蒸し焼きだった。
 集落の真ん中あたりで細長く火をおこし、それを囲んで夕餉ゆうげの支度をする。長円形のキャンプファイアといった感じだ。
 私たちは少し離れた場所からカメラを回し、その様子を記録していたが、やがて焚火を囲む輪の一角が不自然に空いていることに気がついた。
 見ると、いつの間にか私たちの人数分の木の葉に、取り分けたサルの肉が盛られ、その輪の隙間に並べられていた。
 女たちがどこか恥ずかしそうな笑顔を私たちに向けている。まるで「何もおかまいできませんが……」と言っているようだ。
 もちろん私たちは彼らの厚意を無にするようなことはしなかった。サルを食べるのは初めてだったが、焚火の中で真っ黒になっているサルの頭蓋骨はなるべく見ないようにして、私は極力うまそうな顔をしてその御馳走を口に運んだ。
 淡泊で、どこかトリの笹身に似ている。
「それほど臭みもないし、いけるなあ、これ」
 沢野は本当に気に入ってしまったようだった。
 さらに感激させられたのは、私たちが土産代わりに渡したチョコレートが木の器に盛られて回ってきたことだった。
「食べ物は誰のものでもなくて、全員で分けるね。これ、森の民に共通する決まり」
 カルロスが解説してくれた。
 以後、私たちも彼らが見ているところでは、自分たちだけで物を食べないように気を配った。
 
ο ο ο

 村での取材は順調に進んだ。
 彼らは次第にうちとけてきて、二日目の夜からは自家製の酒をふるまってくれた。
 薄くカラメルで着色したような色をしていて、かすかにとろみがある。
 喉越しはすっきりとしていたが、その癖のなさが曲者で、実は強烈な幻覚症状を起こす代物だった。
 器に一杯も呑むと大変なことになる。
 沢野は「森全体が何かを語りかけてくるような気がした」と言い、横井は「小高さんがピンク色のペンギンに見えました」と言った。
 私は、カルロスが突然テノールで「まあるい緑の山手線……」と歌うのを幸せな気持ちで見ていた。もちろんカルロスがそんな歌を知っているとは思えないから、これも幻覚、幻聴だったのだろう。
「あれは、マリファナの比じゃないですね」
 翌朝、スタッフの中でいちばん若い植島がパンツを替えながら言った。どんな幻を見たのか、大量に夢精したらしい。
 私は残念ながらマリファナを経験したことがないので分からなかったが、あの至福感を毎晩のように味わえたらどんなにいいだろうとは思った。
 惜しむらくは、翌朝ひどい頭痛に襲われる。この欠点さえなければ優れたトリップ薬なのだが……。
 もっとも、チシツメリ族は私たち以上に呑んでもみんなケロリとした顔をしているので、これは慣れの問題なのかもしれない。
 狩りに向かうグループに同行し、毒矢を使った彼らの見事な狩猟テクニックをビデオに収めることもできた。
 集落に残った女たちの生活もなかなか興味深いものがあった。
 そろそろ充電機用の軽油も底をつき始め、引き上げようかと話し合っていた三日目の夜、沢野が気になることを言い出した。
「あの酒だけどさ、ここで造っているんじゃない気がするよね」
 すかさず横井が言った。
「今日、村に残っていろいろなシーンを撮っていて気がついたんですけれど、知らないうちに一人がいなくなっているんですよ。それで夕方に女性が一人、酒の入った壺を頭の上にのせてひっそり帰ってくるのを見かけたんですよね。昨日は別の男性が単独行動をしていた気がするし、どこか別の場所に、あの酒の醸造所のようなものがあるんじゃないですかね」
 やがて議論の焦点は、あの酒の原料は一体何かということに移っていった。集落の中にはあの酒の原料となるようなものは見あたらなかったし、身振り手振りで酒の作り方を教えてくれと頼んでもみたのだが、彼らはただ笑っているだけだった。
 彼らは何かを隠している気がする。原料はやはり植物だろうか。だとしたらそれは野生のものだろうか。もしかしたら、あの酒の原料を栽培している畑があるのではないか。
「あの酒の原料が栽培可能な植物だとしたら、煙草とかケシとか麻とかよりずっとすごい換金植物になるかもしれないわけでしょ。ひょっとして、俺たちは世紀の大発見の入口に立っていたりして……」
 沢野が目を輝かせながら言った。
「とりあえず、もう一日だけ滞在を延ばして、その秘密に迫ってみようか」
 私はそう決断を下した。
 

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最終更新日 : 2010-06-28 16:37:53

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