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来客

 始末屋。それは例えテストの赤点だろうが国家の機密情報だろうが、なんでも始末する裏の仕事。かつて非公式に政府が設立した直属の暗躍部隊だったが、今の世の中には必要がないとして、実質廃業状態にある。
 その最後の当主とされるのが葉月葉一である。
 前当主であった父親、兼は常々こう言っていた。

 始末屋は依頼された対象を始末すればいいというものではありません。そんなことなら、誰にでもできますからね。

 始末屋に求められること。それは―――。

「・・・ん」
 何か、重要なシーンだった気がする。夢―――だったのか。
 朝日と鳥たちの声に目を覚ました。なんて言ったら優雅なお嬢様のような起床だが、ただ朝がきて目が覚めただけだ。
 懐かしい夢だったなぁ。
 昔、父さんと暮らしていた頃の夢。
 あの頃は父さんが始末屋葉月家最後の当主とされていた。しかし、最後の当主となったのは葉月葉一だった。
 一見するとどこにでもいそうな、オッドアイが特徴の十七歳の女の子だが、その実は裏の第一線で活躍する始末屋だ。依頼されれば、例え人であろうと始末する。
 今のところ人の始末依頼は来てないが、舞い込む依頼は全て完璧にこなしてきた。
「葉一さま」
 ドアをノックする音と、若い女の声がした。
「ああ、開いてるよ」
「失礼します」
 入ってきたのは、透き通るような金色のロングヘアーが特徴の二十四歳の女性だった。身長は158㎝で青い瞳がよけい日本人離れした雰囲気を持たせているが、一応日本人。普段着はいつも愛用の和服姿で、体重は極秘事項らしい。
「おはよう、金。今日は珍しく早いね」
「ひどいですねぇ、あたしはいつもこの時間ですよ」
 ふくれたように抗議するが、実際この時間には滅多に起きない。
「それで? 今日はなにを企んでいるのかな?」
「えへへー。バレました?」
「バレバレですよ」
 どうせなにか変なものが欲しいとか言うんだろうと思いながら、寝巻きを着替える。
「あら、葉一さま、そんな人前で簡単に脱ぐのはいけません」
「なに言ってるの、いつものことじゃない。というかあなたは女性でしょう? 男性を前に着替えるなら言われてもいいけど」
「確かにそうですが、着替えるさいは『着替えるから少し外で待ってて』ぐらいは言いましょうよー」
「自宅で身内の女性にわざわざそんなこと言うの? それで、なにか欲しいものがあるんじゃないの?」
「ええ、そうなんですよ~♪ ・・・ってあれ? あたしなにか欲しいなんて言いました?」
「あなたの考えてることなんてすぐに分かるよ」
「えへへー、それがですねえ。猫を飼いたいなぁ・・・、なんて思ったりして」
「・・・猫?」
「はい! この猫です!」
 どこからか出した雑誌に載っていた猫は、なるほど確かに可愛い。
「それで! どうでしょうか!?」
「えっ、なにが?」
「だ・か・ら! 飼ってもいいですか?」
 まあ、今までに何かを飼ったこともないし、たまにはいいのかなぁ・・・。
「そうだね、金がしっかり世話するっていうのなら、飼ってもいいよ」
「本当ですか!?」
「ダメです」
 いきなり、というかいつの間にか金の背後に立っていた男が却下した。
「うわぁ!」
「そんなこと言って、絶対に世話はしないんですから、見てるだけにしなさい」
「あら、白おはよう」
「おはようございます、葉一さま」
 白と呼ばれるこの男は、金と共に葉一の世話をするのと、秘書のような補佐のようなこともこなす大変有能な男である。
 切れ長の目に黒いショートヘア、銀縁のメガネがインテリの印象を深めている。背丈もすらっと長く、185㎝ある。普段から黒スーツに真白なワイシャツで黒ネクタイというそれこそ執事のような格好で、齢は金と同じ二十四だ。
「たまには飼ってもいいんじゃない?」
「そうですよ、葉一さま公認ですよ!?」
「ダメです。いくら葉一さまがいいと仰っても、あなたは世話をしないこと確実なんですから、それが条件だというのなら、とても認められませんね」
「金ってそんなに世話嫌いなの?」
「いえ、世話が嫌い・・・というより、飽きてしまうんですよ」
「ああ、なるほど。要するに、始めは可愛いし楽しくてしょうがないけど、段々興味が薄れて面倒になるってこと?」
「ええ、まさにその典型例といったところですね」
「そんなことありません! ちゃんと世話しますよ!」
「私がいる前では、通用しませんよ」
「っぐぅ・・・」
 さすがに二人は付き合いが長いので、白は金の抑え方を心得ている。
「どうしても白は金が飼うのに反対なんだ?」
「ええ、例え葉一さまの許可があろうとも、途中で世話を投げ出すことが目に見えて―――」
「じゃあ、私が飼うよ」
「ですから、いくら葉一さまが―――なんですって?」
「だから、金が飼うのに反対だっていうなら、私が飼う」
「葉一さまぁ・・・!」
 感激した金は涙を溜めて葉一に抱きついた。
「葉一さま、後悔しますよ」
 白は慌てて止めに入るが・・・。
「いいの。確かに金だけが飼いたいっていうなら私も止めたかも知れないけど・・・」
「と、言いますと?」
「私も気に入ったのよ、この猫」
「・・・そうですか、そう仰るのであれば、すぐに手配いたしましょう」
「お願いね」
「よーし! じゃああたしも今日は余計に張り切っちゃうぞー!」
「いえ、あなたはダイニングで寛いでいて結構です」
「なんでぇ!? 洗濯とか料理とか色々あるのに!」
「全て済ませましたので」
「全部・・・?」
「白は本当にやること早いね・・・」
「ですから、あなたは朝食を食べたら喫茶店のほうをお願いしますね」
「はーい!」
 金は今にも踊りだしそうな勢いで飛び出していった。
「そしてフォローも完璧、と。相変わらずだね、白は」
「これも私の務めの内ですから。では猫の手配をしてきます」
「うん、よろしくね。私も後ですぐ喫茶店のほうに出るから」
「分かりました」

「ふんふんふ~ん」
 鼻歌を歌いながら喫茶店の台所で仕込みをしているのは金だ。やる時はやるもので、喫茶店に来てから二十分で五十人分は作ってしまった。
 ちょっと多すぎたかな・・・。まあいいか、多すぎたらあたしが食べればいいもんね。
  金は見た目によらずかなり食べる。寿司屋へ行ったら一人で三十皿は余裕というほどだ。それなのに体重はもちろん、スタイルも変わらないという世の女性が羨む体質である。
「金、準備は出来た?」
 ちょうど金が仕込みを終えた頃、朝食を終えた葉一が入ってきた。
「あ、葉一さま。はい、ちょうど仕込みが終わったところですよ」
「そう、ありがとう。白ももうすぐこっちに来ると思うからOPENにしようか」
「はーい」
 喫茶店の入り口に掛けてあるCLOSEの札をOPENにひっくり返した。
「うー・・・ん! 今日もいい天気だなあ」
 この喫茶葉月はN県のとある山の中腹に建っており、緑豊かで近場には湖もあるという好条件のためか、登山者やピクニックに来る人たちからも人気が高い。
「さてと、他の仕事もすぐ済ませちゃおっと」
 やる気全開で店内に戻ろうとした時、一人の小さなお客さんがやってきた。
「このお店、まだ準備中ですか?」
 長い黒髪にちょっと街までお出かけというようなオシャレな格好をした、小学五年生ぐらいの女の子だった。
「いらっしゃいませ。ちょうど開店したところですよ」
 少しかがみ、笑顔で答えた。
「ここ、喫茶葉月ですよね」
「そうですよ」
 女の子は安心したような笑みを浮かべた。
「お邪魔しますね」
「はーい。いらっしゃいませ、一名ご来店でーす」

天才少女の悩み

「ええ、そうです。その猫を一匹。なるべく大人しい子をお願いします」
「大丈夫ですよ。大人しいと言いますか、非常に賢い子猫がいますのでその子をお届けいたします。子猫でもよろしいですか?」
「子猫ですか・・・」
 子猫のほうが愛着も湧いていいかも知れないな。
「分かりました。その子猫をお願いします」
「ありがとうございます。ご希望の日時などはございますか?」
「今日の十時までにお願いします」
「はい・・・あのう、『今日の』十時。ですか?」
「そうです。今日の十時です。無理は承知ですが、その分支払ははずみます」
 無理は承知。というのも、依頼しようとしているのは、麓から車で二時間のところにあるペットショップだからだ。というのも、その猫を扱っているところでなおかつ配達が可能だったのがこのペットショップだけだったからだ。
「お願いできますか」
 さすがに難しい、というか無茶な注文なだけあって、電話の向こうではかなり悩んでる様子だったが、しばらくして、
「分かりました。出来る限り早くお届けいたします」
と返事が来た。
「ありがとうございます。では、よろしくお願いいたします」
 電話が終わると同時に、元気の良い金の声が聞こえてきた。
「はーい。いらっしゃいませ、一名ご来店でーす」
「おっと、もうお客様が。急ぎますか」
 早足で店内に入ると、そこには小さな女の子が真ん中のテーブル席に一人陣取っていた。
「お待たせしました」
「あ、ちょうど良かった。金、後は白にやってもらって仕込みのほうお願い」
「仕込みですか? それならもうやりましたけど」
「何人分?」
「五十人分は」
「じゃあ追加で百人分お願い出来る?」
「百人分? ちょっと多くないですか?」
「今日はいつもより良い天気だし、お客さん多くなりそうな気がするんだよ。余ったら食べていいから」
「そうですか、分かりました」
 金は少し戸惑いながらも仕込みをしに厨房へ向かった。
「それにしても、まさかあの方より早いお客様とは、驚きましたね」
「そうだね。いつもあの人が一番にお店に来るものだから、なんだかこういうのも新鮮かも」
 噂をすればとばかりに、その常連はやってきた。
「いらっしゃいませ。おはようございます森重さん」
「おお、おはよう葉一。いつものを頼めるか」
「はい。コーヒーとサンドイッチ、それと朝刊ですね」
 白髪をオールバックにしてサングラスをかけているこの森重という人は、この喫茶葉月が建っている山の管理人をしており、喫茶にはほぼ毎日顔を出してくれている常連だ。齢八十を超えているにも関わらずそこらの若者よりも若々しく筋肉もしっかりしている。
「おや、今日は珍しく先客がおったか」
 カウンターに座ってから後ろの少女に気付いた。
「ええ、なんと開店と同時に来てくれました」
 少女はさっきから携帯電話をかなり気にしているようだった。
「ん? あの校章、どこかで見たことがある」
「校章ですか?」
「あの子の肩に刺繍してあろうが」
 言われてよく見ると、なるほど確かに。盾のような形の枠の中に一つ大きな星があり、その星から翼がはえているような・・・。いや、翼が星を包んでいるのか。
「この辺りの学校ですかね?」
「いや、あれは確かT都にある・・・。なんと言ったかの。全国的にも有名校だったはずじゃが・・・」
「聖星女学院の校章ですね」
「白知ってるの?」
「少し前に学院始まって以来の天才少女が現れたと話題になりましたから」
「おうそうじゃ、確か名前は―――」
「吉本早百合です」
 いつの間にかカウンターのところまで来て、女の子は言った。
「学院創設以来の天才として、日本全国にその名が知れ渡りました」
「なるほど、話題になるはずだ」
「そして、その天才少女と言われる吉本早百合というのが私です」
「・・・こりゃ驚いた。まさかお嬢ちゃんがあの吉本早百合とは・・・」
「夏休みで避暑に来たのかな?」
「ええ、まあ・・・。あの」
「どうしたの?」
「しばらく、ここに通ってもいいでしょうか」
「それは構わないけど、そういえばご両親は?」
 両親のことを聞かれ、ぐっと黙るが、決意したように話し出した。
「実は、両親には内緒で来ました。その、依頼をしに」
「依頼っていうと?」
「始末屋の葉月という方に依頼があって来ました」
「はあ、やっと終わったー」
 若干シリアスな雰囲気の中を見事壊して金が戻ってきた。
「あれ? 皆さんどうしたんですか?」
「えーと、じゃあとりあえず話を聞こうかな。金、依頼だよ。準備して」
「依頼ですか!? あわわ、ちょっと待ってくださいね!」
 金が慌てて準備をしに奥へ行くと同時に、ペットショップの配達がやってきた。
「ちわー。ご注文のお届けでーす」
「ご苦労様です」
「あ、今朝話してた猫? もう届いたんだ」
 配達員の持っているゲージには、かわいらしい子猫が入っていた。
「代金のほうは小切手で申し訳ないのですが」
「あ、はい。・・・こんなに!?」
「急がせてしまったお詫びです」
「いやいや、それにしたって・・・」
「どうぞ、お納めください」
「はあ、すみませんね。それではまたのご利用お待ちしてます」
 よほど金額が大きかったのか、戸惑いながらも受け取っていった。
「子猫・・・?」
「ほぉ、猫を飼うことにしたのか」
「はい。金に言われたら私も気に入っちゃって。早百合ちゃん、猫好き?」
「え? あ、はい」
「今はまだ環境に慣れないから借りてきた猫みたいになってるけど、三日もすれば元気になると思うんだ。そしたら遊んであげてね」
「はい」
 早百合は子猫をじっと幸せそうに見つめて
いた。
「さてと、わしはそろそろ帰ろうかの」
「もうお帰りですか?」
「これから仕事じゃろ?」
「すみません、ありがとうございます」
 森重は、明日また来ると言って帰った。
「葉一さま、準備出来ましたよ! ってあああ! 猫がいるー!」
 仕事道具を持ってくると、今度は猫に目を奪われ、抱きつこうとするが、ひらりとかわされた。
「あれ!? 猫さんが抱擁をかわした!?」
「そんなわけないでしょう」
 もちろん猫の入ったゲージを持った白がかわしただけだ。
「来たばかりの子猫にそんなことしたら怖がるだけです」
「えー、抱っこしたりスリスリしたりしたいのにぃ~」
「それはまた今度ね、今は仕事だよ」
「は~い」
 大丈夫・・・なのかな?
  一連のやり取りを見ていた早百合は一抹の不安を覚えた。
「さて、これからのやりとりは一応録音と録画をさせてもらうね」
「分かりました」
 葉一が目配せすると、金はビデオカメラとボイスレコーダーのスイッチを入れた。
「まず、私たちを知ったきっかけは?」
「お父さんが知人の方と話していたのを聞いて」
「依頼内容は?」
「私の頭脳を歳相応にしてもらいたいんです」
「というと?」
「私はまだ小学五年生ですが、感覚も視点も大人と同じ。頭脳にいたっては大学教授と同等と言われています。でも私は、こんな頭脳は要らないから同い年と普通の女の子として触れ合いたい、遊びたいんです。なのに学校以外の場所でも例え家の中だろうと私の頭脳を目的に多くの政治家や研究者たちが毎日訪問して難題を解かせようとするんです」
「どうしてそんなに難題を持ちかけるの?」
「私が常人より記憶力・理解力に優れているから、他の人に出せないような答えを出すから。そうした難題を解けば解くほど更に知能が増していくから・・・。でも、私は普通の女の子として楽しく過ごしたいだけなんです」
「葉一さま・・・」
「分かってる。でもね、私情を挟んではいけないんだ」
「・・・はい」
「依頼内容と動機は分かりました。望むのであれば、相応の報酬と引き換えに依頼を受けます」
「本当ですか!?」
「始末の方法としては、早百合ちゃんの知能を退化させます」
「知能を退化させる・・・?」
「そうです。何重もの暗示や催眠を用いて天才的頭脳を封印。その上で十一歳ぐらいの子供まで知能を低くします」
「もし、万が一封印が解けてしまったら?」
「その時はまたお越しください。可能性は無いとは言い切れませんので、その場合は無償でまた封印します」
「そうですか。それはどのぐらい時間が必要ですか?」
「本当なら封印してから一ヶ月かけてゆっくり低下させたいのですが、時間のほうは」
「時間ならあります。両親には用事だと言ってあるので心配ないと思います」
「分かりました。ではこの書類にサインを」
 提示された書類にサインをすると、安堵の息が漏れた。
「正直、ここが駄目だったら自殺する覚悟で来たので、本当に安心しました」
「自殺は駄目ですよ!」
 金が慌てて言うが、早百合は笑顔だった。
「大丈夫です。もうそんなこと考えませんから」
「じゃあ早速今日から始めようと思います。ただ、喫茶店を一ヶ月も閉めるわけにはいかないので、営業中のお店は白と金にまかせるよ」
「了解しましたぁ!」
「了解です」
「あの、素人が意見するのもなんですが・・・」
「どうしました?」
「葉月さん一人で大丈夫なんでしょうか?」
「そのことなら心配要りませんよ」
「それならいいんですが・・・」
「伊達に始末屋葉月家の当主をやってませんから。ああ見えて知識も経験も豊富なんですよ」
 ああ見えて。というのはどうかと思うが、一見するとただの高校生ぐらい。綺麗なオッドアイが目を引くが、おっとりしたかわいい女の子。といったほうがしっくりくるぐらいだ。だが、実力は申し分ない。
「だから、安心して任せてください」
「そういうことなら、分かりました。よろしくお願いします」
「さて、じゃあそろそろお客さんも来るだろうからお店再開しようか。白」
「分かりました」
「これから私は早百合ちゃんの依頼をやるから奥に居るね。何かあったら呼んで」
「わっかりました~」

今後の方針

 白と金に店を任せ、二人は喫茶の裏にある葉月宅へ向かった。
 葉月の家はほとんど余計なものが無く―――金の部屋は例外だが―――とても質素で落ち着いていた。中でも葉一の部屋は年頃だというのに雑貨や化粧道具などは一切見当たらなかった。
「葉月さんはお化粧とかしないんですか?」
「ええ、特に必要ないと思って」
「じゃあお手入れとかは」
「特にしてませんよ。入浴剤も特別な洗顔とかも使ってませんし」
「他の一般女性が聞いたら羨ましがるでしょうね」
「そうですか? 私は普通にしているだけなので特に意識したこともないですし、言われたのは早百合ちゃんが初めてです」
 葉一は話しながら椅子を用意したり鏡を用意したりと準備をテキパキとこなしていた。
「じゃあ彼氏とかはいないんですか?」
「いませんよ。昔から出会いもないですし、お客さんからはお世辞を何度か言われるぐらいで」
 それは多分、お世辞とかじゃないんじゃ・・・。
  なんとなく、葉月葉一の人物像が掴めた気がした。仕事はしっかりこなしているし、表も裏も実力はかなりのものなのだろうが、少し・・・いや、かなり恋愛面では鈍い。
 多分私と同じなんだ。一見すると普通の女の子でもすごい技術や知識を持っている。けどやっぱり中身は普通の女の子だ。ただ育った環境が特殊だっただけで・・・。
「さて、準備出来ました。そこの椅子に座ってください」
 早百合は指示された通りに椅子に座った。
「じゃあ、始めますね。目を閉じて、ゆっくり深呼吸をして、言う通りのことを思い浮かべてください」
 葉一の言う通りに深呼吸しながら言われたことを思い浮かべ、徐々に意識が奥底に落ちていった。

「金、三番テーブルにビールを三つ」
「はーい!」
 昼過ぎになると、やはり登山者やハイキングに訪れたお客さんで賑わった。そのほとんどが常連で、金や葉一目当てのお客さんも少なくない。
「やあ金ちゃん、久しぶり。今日は葉月ちゃんは居ないのかい?」
「あ、お久しぶりです。マスターなら奥で別の仕事してますよー。残念でしたー」
 普段は「さま」を付けているが、喫茶店では葉一をマスターと呼ぶ。さすがに喫茶店内で葉一さまはおかしいのでそうしている。
「なんだ、久しぶりに会いに来たのに残念だな」
 ははは、と笑いながらビールを飲む。これで三杯目だ。
「おじさん飲みすぎは良くないですよ」
 追加のビールを置いていつものように忠告する。
「なあに、まだまだ序の口だよ!」
「金、五番テーブルに運んでください」
「あ、はーい! じゃあまたね」
「葉月ちゃんによろしく!」
 うーん、ちょっと動きづらいなあ。
  普段は白と二人なのでなんとか動けたが、さすがにこう忙しいと和服での移動は辛いものがあった。
「金、ちょっと着替えてくるね」
「早目にお願いしますね」
「はーい」
 ここ喫茶葉月では、特に制服の使用を義務付けているわけではないので、二人とも普段の格好のまま出るのだが、金の場合は特に和服のため動きづらいということもあり、忙しい場合には特製の軽装を用意してある。
「これでよしっと。お待たせー」
「おお! 久しぶりだね、金ちゃんのその格好!」
 葉一のファンがいればもちろん金のファンもいるわけで、そのファンが好きな格好がこの軽装だ。
「えへへー、まだシーズンにはちょっと早いですけど、今日は忙しいので着替えました」
「いつもの和服姿もいいけど、やっぱりこっちだな」
 酒が入っていることもあり、上機嫌な客はべた褒めした。
「さて、お仕事再開!」

 閉店後、葉月宅の居間で今後について話し合われた。
「金、白、お店のほうはどう?」
「今日は葉一さまの予想通りシーズン並みに混みましたが、なんとか」
「そう。金もお疲れ様」
「あぅ~」
 白がいない分、二人分の忙しさで疲れたのだろう。帰ってくるなりソファーに倒れた。
「服着替えたら?」
「お風呂入るまではこの格好にしますー・・・。着物に着替える元気ないです」
「そっか」
 金の姿に、葉一は思わず笑みを浮かべた。
「それより葉一さま、早百合ちゃんのほうは」
「うん。今は落ち着いて寝てるよ。複数の暗示や催眠をやるからね、大分負荷がかかったみたい。頭脳は大学教授だって言っても、中身は十一歳の女の子だからね」
「そうですか。封印にはどれほどかかりそうですか?」
「そうだね・・・。これからの経過にもよるけど、多分一ヶ月はかかると思う。少しずつやるしかないからね。知能を小学生レベルにまで戻すのも下手したら一ヶ月かかっちゃうかも」
「それでは少し時間がかかりすぎますね」
「そうなんだよ。それにもう喫茶店のほうもシーズン入りするからね、いつまでもこの状態だと・・・」
 金を横目に見ると、起き上がる気配が全くない。
「金が倒れちゃうかも知れないしね」
「頑張りやなのはいいですが、体力が持ちませんからね」
「う~、明日からお休みにしません?」
「そういうわけにはいかないでしょう。最低あと一ヶ月は頑張ってもらいますよ」
「一ヶ月!」
 絶望したように叫ぶと、全身の力が抜けたようにソファーに沈んだ。
「参りましたね・・・。適当なアルバイトを入れるわけにもいきませんし」
「役割交換とかは?」
「それですよ!」
 それまで死んだようにソファーに沈んでいた金ががばっと起き上がった。
「駄目ですね」
 が、一蹴された。
「なーんーでー!?」
「金の料理センスは絶望的ですからね」
「そんなことないもん! ねっ、葉一さま!」
「うーん・・・。ごめん」
「ガーン!」
 今度はショックでソファーに沈んだ。
 しかし事実ではあった。センスの問題かどうかはいささか疑問ではあるが、なぜかレシピ通り作っても味がおかしくなるので、それを知っている白はなるべく金には調理させないようにしているぐらいだ。
「どうかしましたか?」
「早百合ちゃん?」
 目が覚めてしまったのだろうか、いつの間にか廊下に続くドアのところに立っていた。
「起こしちゃった?」
「いいえ、目が覚めてしまって。トイレを借りた後で明かりを見付けたので」
「そう、ホットミルクでも出そうか?」
「大丈夫です。それより皆さん揃って・・・団らんの最中でしたらすみません」
「大丈夫。これからのお店のことをちょっとね」
「お店の?」
 一応葉一は早百合に現状を説明した。
「そうだったんですか・・・。私のせいで大変なことになってたんですね・・・」
「早百合ちゃんが気にすることはないよ。これも私たちの仕事なんだし」
「そうですよ。金が一ヶ月頑張れば済む話ですから」
「だから無理ー!」
「あなた一体なんのためにここに居るんですか」
「そんなこと言ったって~!」
「はあ、なら私もお手伝いしましょうか?」
「駄目駄目、そんなことしたら本末転倒だよ」
「そうですね、すみません。私ったら寝ぼけてるのかな」
「早百合ちゃんは自分のことに専念してて大丈夫だよ。今日は慣れないことやったし、ゆっくり体を休めて」
「はい、ありがとうございます」
 早百合が戻ると、時間も遅いということで、会議は後日に持ち越されることになった。

もう一人の早百合

 翌朝、天候は雷雨となった。これではお客さんもまず来ないということで店は開けないことになり、金は休めると大喜びだった。
「天は我に味方せりー!」
「調子に乗っていると、これから先ずっと快晴かも知れませんよ」
「うっ、嫌なこと言わないでよー」
 そのため今日は三人で封印の作業をすることになった。
「早百合ちゃん、今日はちょっと強めにやるから、精神的に辛いかも知れないけどいい?」
「はい」
「白と金もサポートとフォローよろしく」
「了解しました」
「了解です!」
「じゃあ始めるね」
 昨日と同じように、早百合は目を閉じ、深呼吸をして指示されたことを思い浮かべると、徐々に意識を沈めていった。
 暗示や催眠と言っても、始末屋として葉一の行うのは「どんどん忘れていく~」といったものではない。専用のお香を使ったり、催眠で心を開かせたりして耳元で囁きながら、封印したい事柄等を暗示と共に忘却へ導いていく。それを地道に根気良く続けるのだ。
  今回は一段と強いお香や催眠を使い、より深い根のような部分を忘却へと導いていく。しかし、これは心の深い部分をえぐるようなもの。相手によっては精神崩壊すら招いてしまう恐れがある。そこで必要なのがサポートとフォロー役の二人、金と白だ。
 二人は精神崩壊しないよう、暗示を中和する役割を担う。この作業においては金は秀でた技術を持っているので特に重要な役と言える。もちろん葉一も白も心得はあるが、葉一がそれをやると抑えようとしていた部分が一気に逆流し、逆に精神を壊してしまう恐れがある。白の場合は万が一に備えての待機だ。中和が間に合わなかったりイレギュラートラブルが起こった時に相手を物理的に押さえ込み抑制する。もしそれが無理な場合は強制的に意識を飛ばす。
 こうして見るとかなり危険であり拷問のような感じだが、この三人の連携が上手くいくとこれ以上ない効果を生む。
  早百合が催眠に完全に落ちたのを確かめ、葉一がお香を嗅がせながら耳元で囁き始めた。
 何事もなく順調に進んだが、終わりかけた時急に早百合の体が痙攣した。
「金!」
「分かってる」
 早百合に駆け寄ると、即座に耳元で中和の暗示を囁き始めた。
  葉一も徐々に暗示を弱めるが、一分経っても状態が落ち着かない。
  どういうこと? 今は金の中和のほうが強いはずなのに・・・。
  更に一分が経つが、収まる気配がない。逆流を防ぐためにも二人が暗示を止めるわけにもいかない。それにこの状態がこれ以上続くのも精神的に限界を迎える。
  ここまでか・・・。
  葉一は白に目配せで指示を出した。
  白は頷くと早百合に近寄り、首に的確な手とうを当てた。
  それまで強い痙攣をしていた早百合は意識を失い、椅子に力なくもたれた。
「ありがとう白」
「いえ」
「ごめんなさい、葉一さま。あたし・・・」
「謝らなくてもいいよ、落ち込むこともない。金のサポートは完璧だった。ただ・・・」
「何か気になることが?」
「うん。白も気づいていたと思うけど、あの時はもう終わる直前だったの」
「はい。私も金もつい安心してしまいましたが・・・」
「ところが、精神の奥深く、どこかに強い拒絶の領域があったみたい。多分そこに触れたからだよ、強い拒絶反応が起きたのは」
「しかし、本人はそういったことについては一切言ってませんでしたから、無意識に壁を作っているのでしょうか」
「可能性はあるね。それがどんなものにせよ、今は早百合ちゃんの回復が最優先だね」
「一応手加減しておきましたので、目は覚めるはずですが」
「そう、ありがとう」
 生まれながらにして天才的頭脳を持ち、特殊な環境で育った十一歳の少女。心になんらかの壁があるのは当然かも知れない。
  三時間ほど経ち、金から目が覚めたと報告があった。
「様子はどう?」
「それが、異常はなさそうですし、自分で起き上がれたんですけど話をしてくれないんです」
「話さない?」
 二階にある早百合の部屋に入ると、確かにベッドに起き上がった早百合が居た。
「早百合ちゃん?」
 葉一が話しかけると、早百合はゆっくりと葉一のほうへ向いた。
「・・・。あなたね、あたしの領域に侵入したのは」
「領域? 早百合ちゃん・・・だよね」
「あたしは吉本桜花。この子の、早百合の姉よ」
「早百合ちゃんの、お姉さん?」
 一同が戸惑っていると、桜花と名乗るその子は説明を付け加えた。
「姉といっても早百合の実の姉じゃないわ。この子は一人っ子。別人格って言ったほうが分かりやすいかしら」
「別人格!?」
「ええ、平たく言えばね。あなたが葉月葉一さん?」
「ええ、そうだけど」
「そっちの金髪美女が確か金さんで、執事みたいなのが白だったかしら」
「そ、そうですけど」
「その通りです。あなたは別人格だと言いましたね」
「だから?」
「では早百合ちゃんは今?」
「中で眠ってるわよ。あなたでしょう、この子を気絶させたのは」
「・・・はい」
「まあ起きないことはないでしょうけど、早百合が目を覚ます前にあなたたちに一言言いたくて出てきたの」
「言いたいこととは」
「これ以上この子とあたしに関わらないで」
「そんな! それじゃ契約違反になっちゃいますよ!」
「違約金とかだったら吉本社長からたっぷり貰えばいいわ」
「早百合ちゃんの意思はどうなるの」
「関係ないわ。この子はあたしが助言すれば納得するはずよ」
「じゃあ一つ聞くけど、ここに来るまでに始末屋のことやそういった悩みについて相談されたことはある?」
「っ!」
 葉一の言葉は一気に核心をついた。様子から見ると、相談されたことはなかったようだ。しかもそのことを気にしていたらしく、一気に不機嫌になった。
「うるさいわね! そんなこと関係ないでしょ!」
「関係あるよ。ねえ、少しお話しない?」
「ほっといてよ!」
 キッと睨みつけてそう言うとベッドに潜り込んだ。
「体調が戻ったら勝手に出て行くから、もう関わらないで」
「葉一さま・・・」
「今はそっとしておくしかないみたいだね。白、お願いね」
「了解しました」

 居間に戻ると、三人は同時にため息をついた。
「別人格かあ、あたし初めて見た」
「私もだよ。でも、これではっきりしたことは、あの時強い拒絶を示したのがあの子、桜花だってことだね」
「しかし疑問があるのですが」
「私たちに打ち明けなかった理由、でしょ」
「はい。桜花の言葉を信じるのならば、相当長い間柄のはず。しかし契約時や封印の時には一切話しませんでした」
「一緒に封印してもらいたかったんじゃないかな?」
「それもありそうだね。じゃなきゃ桜花だけは触れないで残しておいて。とか念を押したはずだし。でも、疑問はもう一つある」
「と言いますと」
「あの子、早百合ちゃんだよ。天才って感じした?」
「そう言われてみれば普通の女の子でしたね」
「そう振る舞っていただけでは?」
「もしかしたら、本当に天才だと言われたのは桜花のほうなんじゃないかな」
「ええ!? じゃあ早百合ちゃんはごく普通の女の子だってことですか?」
「うん。本当は『普通の女の子』を望んでいるのは桜花のほうなんじゃないかな」
「それなのに桜花が消されそうになり、慌てて出てきた。本末転倒になってしまいますからね」
「まあ憶測でしかないけどね。とりあえず今は様子を見るしかない」
「ところで桜花って子はほっておいていいんですか? 勝手に出て行くとか言ってましたよ?」
「それなら心配要らないよ。白に頼んでおいたから」
「え? 何したの?」
「発信機をあの子の靴に仕込んでおいたんですよ」
「すごーい。でもすぐバレちゃうんじゃない?」
「大丈夫ですよ。埋め込んでおきましたから」
「いつの間に・・・」
「とりあえずこれで監視は十分。あの子が全てを話してくれるまで、始末屋としてのお仕事は一時中断ということで」
「じゃあ明日からは喫茶店を通常営業するってことですか?」
「そうだね。明日からは私も出るから、金は安心していいよ」
「やったー!」
「それと、白にちょっとお願いがあるんだけど」
「なんでしょうか」
「あの子の身辺調査とかお願い出来るかな」
「お任せください」
「えっ!? じゃあもしかしてあたし一人?」
「心配ないよ、お客さんの少ない夕方にお願いするから」
「良かったー」
「にゃー」
「あれ?」
 話し声を聞きつけてか、猫がやってきた。
「金、ゲージはどうしたの?」
「あ、あはは」
「閉め忘れたんですね」
「すみません」
 しゅんとしていると、猫が寄ってきた。
「にゃ?」
 金の顔を見ながら足に顔を擦り付けた。
「か、か、かわいい~!」
 抱きしめたい衝動を抑えつつ、頭を撫でてやると、気持ち良さそうにゴロゴロと喉を鳴らした。
 すっかり猫に心奪われた状態の金は、寝転がりながら猫と戯れた。
「そういえば、猫の名前決めないとね」
「葉一さまにお願いしていいでしょうか」
「私? いいけど」
「私もそうですが、金もネーミングセンスはありませんので」
「あはは、了解」
 予想外の展開ではあったが、ひとまず落ち着いて様子を見ることに決まった。

ウルフ

 翌日、受信機を見るまでもなく、靴はまだ玄関に置かれていた。
「金、様子はどうだった?」
「朝食を運んでいったんですが、要らないの一点張りで・・・」
 目玉焼きと焼き魚を乗せた皿を下げて金が下に戻ってきた。
「そう・・・。話してくれない以前に食事はちゃんととらないと体に悪いんだけどなあ」
「何か食べたいものはある? って聞いてもほっといてって言うだけですし」
「本当に関わりたくないようですね」
「とりあえずお店は開けないとね。金、白、準備するよ」
「はーい」
「了解しました」
 昨日とは打って変わって今日はとても良い天気だった。登山者やハイキングに訪れる人、常連の人、いつもながら様々な人が来店してくれた。
「白、ビールを三番にお願い。金はホットドッグを五番に」
「今行きまーす」
「マスター、六番テーブルからです」
「ありがとう。あ、パンが切れてきたからちょっと補充してくるね」
「分かりました。しばらくカウンターに入ります」
「お願い」
 葉一はカウンターから出ると材料を置いてある小さな倉庫へ向かった。
「えーと、パンは確かこの辺りに・・・あった」
 パンを取り、倉庫から出ると足音が聞こえた。
 誰だろう・・・白かな。
  そっと音の方向を見ると、早百合が出て行くところだった。
 早百合ちゃん? それとも桜花?
  どちらにしろ、向こうが動いてくれたのは都合が良い。発信機が仕込んである靴も履いていた。
  店に戻ると、カウンターを預かってくれていた白に伝えた。
「ありがとう。白、蛇が動いたから様子見てくれない?」
「了解しました」
 蛇とは、始末屋で使っている用語の一つで、始末対象のことを示す。
 カウンターから出ると、すれ違いに金にも伝える。
「蛇が動きました。様子を見てきます」
「分かった」
 少数人数だからこその簡潔な連携、始末屋葉月の自慢でもあった。
「金ちゃん!」
「はーい!」
 お客に呼ばれ、金は笑顔で答えるとそのままテーブルへ向かった。

 受信機を見ると、どうやら山を下っているらしい。
 昨日からあまり精神的に回復していないはず。その上食事もとっていない。あまり遠くへ行けないはずですが。
  予想通り、受信機の光点は下山手前で止まった。
  近くへ行くと早百合の姿が見える。
  話し声?
  誰かと話しているようだったので近くの木に隠れる。
「そう、でもちゃんと話せば分かってくれるんじゃないかな」
 携帯電話は使っていない。ということは桜花という人格と話しているのだろうか。
「桜花にとって、これは唯一の希望でしょ?」
 都合よく桜花の声が聞こえないので推測しながら聞き取るしかない。
「もう桜花は一人じゃない。葉月さんたちがいるじゃない。・・・もし何かあったら葉月さんたちがきっと守ってくれるよ。・・・ううん、私も桜花の味方だよ。・・・だから戻ろう? ・・・携帯電話? 何かあったら葉月さんに連絡しようと思って。・・・え!? 発信機!?」
 早百合の様子を見るのに気を取られていた白は、その言葉で周りの気配に気付いた。
 ! 気配を殺している・・・。訓練されてますね。相手は三人。仕方ありませんね。
「で、でも、誰もいない・・・よ?」
(ウルフを忘れたの!? あいつらは影よ! いつどこから来るか分からない!)
「どうすれば―――」
「動かないでください」
「ひっ!」
 いつの間にか後ろに立っていた黒スーツの男が威圧した。
 どこに隠れていたのか、同じ格好の男が二人目の前に現れた。
「さあ、戻りましょう」
(早百合! あたしに代わって!)
「いや!」
(早百合!?)
「社長が心配なされていますよ、桜花様」
「やはりそうでしたか」
「誰だ!?」
 慌てて桜花を囲もうとするが、そこに桜花の姿は無かった。
「桜花様!?」
「こっちですよ」
「ぬぅ!」
 声の方向を見ると、そこには白が立っていた。
「誰だ貴様! 桜花様をどこへ連れて行った!」
「この程度の動きが見えないとは、大したことありませんね」
「なんだと!?」

「大丈夫でしたか? 早百合・・・じゃなかった、桜花ちゃん」
「金さん!? なんでここに!?」
「あたしと白はお互いの場所が分かるんです」
「葉月さんは?」
「まだお店にいますよ」
「早く逃げないと!」
「どうしてです?」
(まどろっこしいわ! 代わって!)
「あ、うん。桜花に代わります」
「えっ?」
 早百合が目を閉じてゆっくり開くと、明らかに雰囲気が変わった。
「さっきはごめんなさい。桜花です」
「あれ!? 人格が変わった??」
「説明している暇はありません! 早く逃げないと!」
「逃げないと、どうなるんです?」
 慌てて説明しようとしているところに、何事も無かったかのように白がやってきた。
「えっ? う、ウルフは?」
「あれはウルフと言うのですか、少し眠ってもらいました。金、家まで運びますよ」
「はーい。歩ける?」
「は、はい・・・」
 事態が掴めないまま、桜花は二人と一緒に葉月宅へと戻った。
 玄関まで来ると、黒スーツの屈強そうな男三人を白が手早く縛った。
「これでよし。桜花さんは閉店までの間、喫茶店のカウンターでお茶でも飲んでいてください」
「じゃああたしは先に行ってるねー」
「お願いします」
「えと、あの・・・」
「積もる話は夜、あの男たちと一緒に伺います。今は喫茶店でお客様と楽しくお茶をしてください。今回はサービスしますので代金は結構です」
「分かりました・・・」
 よほど想定外のことだらけだったのだろう、半ば放心状態になりながらも喫茶店へ入った。
「白と早百合ちゃん、おかえり」
「ただいま戻りました。桜花さんこちらに」
 桜花を招き、椅子を引いてあげた。
「ありがとう・・・」
「なんだ葉一ちゃん、隠し子か!?」
「そんなわけないでしょう、迷子ですって」
「迷子? お父さんかお母さんとはぐれちまったのか」
「とりあえず今日はうちで保護して、明日親御さんのところへ送ります」
「そうかい、お嬢ちゃん、名前は?」
「えと、おう・・・早百合です」
「早百合ちゃんか、良い名前だねえ。山は初めてか」
「はい」
 適当に合わせて答えるが、桜花にとってはとても新鮮だった。政治家でも研究者でもない一般の気の良いおじさんと他愛も無い話をするのがこんなに楽しいなんて初めてだったからだ。さっきまできょとんとしていたが、すぐに笑顔になった。
「でな、おじさんはこの山で熊に襲われちまったわけだ。その時に死んだ振りをしたら勘違いした仲間が殺されたと思っておじさんを置いて逃げちまってよ!」
「あはは! 駄目じゃないですか、熊は死んだ振りしても意味無いんですよ」
「おお、よく知ってるな! おじさんもその後管理人の森重っておじさんに怒られちまってよ。死にたいのか! ってな!」
 なんだかんだで楽しい時というのは早く過ぎ去ってしまうもので、気が付けば夕方になり、閉店になっていた。
「それじゃあな、またここ来たら話そうぜ」
「はい、お気を付けて」
 最後の客が帰ると、表の札をCLOSEにして片付けを済ませた。
「どうだった、早百合ちゃん」
「あ、遅れてごめんなさい。あたし桜花です」
「あ、桜花ちゃんか。ごめんね」
「いえ、とても楽しかったです。家ではこんなことなかったので、新鮮でした。いつも化学式やらアルゴリズムについて考えてるだけなので・・・」
「どんなリズムですか?」
 片付けながら金が不思議に聞いた。
「あはは、音楽じゃないですよ。間単に言えば仕事の手順みたいなものです」
「へえ! なんかかっこいい」
「さて、片付けも済んだことだし、向こうでお話聞かせてもらってもいいかな?」
「はい。全てお話します」
 喫茶店での新鮮な体験に刺激されたのか、今までにない素直な瞳だった。

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