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第00話 雨の夢

雨が強くなっていた。

闇も濃くなり視界は殆ど無い。

頭が鈍く痛む。
震える手足は随分と重い。
眠りもせずに丸一日剣を振るっていたのだから当然だろうか。

ここは不気味なほど静かだ。
聞こえて来るのは、雨が土と鉄板を叩く音だけ。
敵も味方の姿も、見当たらない。
もう、誰も居ないのかもしれない。

終わってしまった戦場。
そんな言葉が頭を過ぎった。
タイヤと爆発によって掘り返された大地。
ひしゃげて焦げた軍用車。
時代遅れの魔導師達が残した、地面に刻まれた薄気味悪い魔導式。
瓦礫から覗く人の手足。
ゴムと肉の焼ける匂い。
血と泥が混ざりあった地面は踏み締めるたび、
誰かに足首を掴まれているかのように、しつこく絡み付く。
酷い有様だが、それは今の時代何処にでもある風景。
だから、何も感じない。
いつの頃からか、それが日常の風景の一部となってしまった。
以前はもう少し何かを感じたような気もしたけれど、忘れた。

とぼとぼと黒い丘を歩く。
自分達を戦場まで運んでくれたトラックは真っ先に壊され、
辺りに使えそうな車は残っていない。
遠く離れた街へ帰るため
疲れきった体に鞭打ち仕方なく歩いているのだけれど、
戦場の外れに来た今でも時折敵兵に襲われる。
敵だけじゃない。味方の兵士にも背後から斬りかかられる始末だ。
皆、生きて家に帰るのに必死なのだ。敵と味方の判別をする余裕も無いのだろう。
そんな自分はというと、今は襲い来る兵士の事より
早く街に戻って柔らかいベッドで眠る事だけを考えていた。
自分の仕事は、もう終わっているのだから。
両軍を共倒れさせるという目的は、もう十分達成されたと言っていいだろう。

そこで、ようやく自分がやっている事を思い出した。
この戦争から、勝者も敗者も生み出さない事。
誰にも平等に、実りの無い不毛で虚しい結末ばかりを届ける事。
こんな事をしていても無駄だと、世界中の偉い人達に思い知って貰う為に。
そもそも自分は、味方の兵士に襲われたと文句を言えるような立場ではないのだ。
昨日から今日まで、どれだけ味方の背中を斬り付けたのか、忘れた訳ではないのに。
・・・いいや、忘れていたのか。
忘れて、"味方の兵士"なんて言葉を使ってしまったのだから。

遠くで銃声が響いた。
あぁ、まだこの戦場は終わってないのか。
その音に気が逸れた瞬間、
じゃりっ
土を踏む音と共に、瓦礫の中か血と泥にまみれた男が剣を振り上げ飛び出してきた。
男は立ち上がりざま、すくい上げるように刃を振るう。
でも、遅い。
自分は左手にぶら下げていた抜き身の剣で男の剣を弾く。
そして飛び散った火花が消える間もなく、
その反動を利用して、そのまま切っ先を男の首筋に食い込ませた。
傾く首から鮮血が噴き出す。
もうこれ以上返り血を浴びるのは御免だ。慌てて血を吹く男から遠ざかる。
安堵する間もなく、すぐ真横から殺気が吹きつけ後ずさる足を止めた。
鼓膜と頭の芯を揺さぶる銃声と共に、足元の岩が弾け飛んだ。
相手の姿は闇に飲まれて見えない。が、銃の閃光は見えた。
自分も腰に挿した拾い物の銃を抜いて、暗がりに向けて銃弾を撃ち込む。
男の短いうめき声と、人が倒れる音がした。が、まだ死んでいない。
ぞくり、と。
死が自分の身体を潜り抜ける未来を見た。
このままでは死ぬ。そんな時に感じる、第六感のようなものだ。
この不思議な力、あるいは勘のお陰で自分は余程の事が無い限り命に関わる傷を負う事は無い。
それでも、動かなければ死ぬ。
僅かな焦りを覚えつつ、体を反らし後ろに倒れ込みながら残りの銃弾を全てばら撒いた。
暗闇の中で相手の頭が爆ぜたのと、相手の銃弾が自分の鼻先を撫ぜて行ったのは同時だった。
それを見届けた自分は、そのままバランスを崩して倒れこみ・・・・・・
べしゃあぁっ、と、先に斬った男の血溜まりへ背中から突っ込んだ。
ゆっくりと服に生暖かい泥水が染み込む感触を味わいながら、濁った雨空を見上げる。
「 最悪・・・」
乾き切った喉を震わせ、呟いた。

横になった途端、今度は眠気に襲われる。
背中に伝わる生暖かい温もりさえ、冷え切った身体には心地よく感じられた。
このまま眠ってしまいたい気分だか、そういう訳にもいかない。
剣で身体を支えながら、嫌々と起き上がる。
腰まで届く銀糸の髪が血で固まり、首筋に張り付く。
髪に絡んだ血と雨水を絞ると、髪が指に絡みついた。
苛立ちながら無理矢理引っ張ると、
まだらな赤茶色に染まった髪はブチブチと千切れた。
溜息が漏れる。
もう嫌だ。
早く帰りたい。

そこでふと、自分はおかしな事を考えているなと思った。
今の自分は、敵に襲われる事より、服や髪が汚れる事の方がおおごとらしい。
そう考えると、訳の分からない笑いがこみ上げてきた。
くだらない事で価値観がズレている自分を滑稽に感じたのだ。
こんな感性を持つようになっては、人として終わりだ。
これまで化け物だの鬼だのと手酷く罵られてきたが、
これでは否定も出来ない。

自分は力を持っている。
誰にも負けないとは言わないが、
誰にも殺されないだけの力を持っている。
それは、この戦争を生き抜くには何よりも素晴らしい力。
しかし守れる物は自分の命のみ。
それ以外の物は、ボロボロと手のひらから零れ落ちてしまった。
この力で得た物など何も無く、失う物ばかり
目の前の者さえ守る事が出来ない
役立たずな力。



絶望的な虚しさ

力など要らない。
自分が持つモノ全てがどうでもよい。
欲しいものは、ただ一つ。
あの日俺が なくしたもの。
しかしそれは、どれほど渇望した所でこの手に戻る事は無い。
この手の中にありながらも失ってしまったそれは
二度と戻る事は無いのだ。

ああ。
もし神様が居るのなら
せめて、あいつの心だけでも救ってやれないだろうか?

そして、もし許されるなら、
俺の手で
この腐った世界を------
戦場の雨音は やけに耳に障った。

第01話 はじまりの朝

 雨の音と、薄く窓から差し込む光で、エアニスは目を覚ました。

 いつも以上に気だるい朝。何故こうも不愉快な目覚めなのか分からぬまま身を起こし、琥珀色の長い髪を掻き上げる。
 夢を見ていたような気がした。でも、どのような夢かは思い出せなかった。どうせ、ろくでもない夢だろう。

 昨夜から降り続いている雨が窓ガラスを叩いていた。それを見てエアニスは目をすがめる。
 雨の日は嫌な事を思い出す。大戦中に見てきた幾つもの地獄の中で、たった一つの場面だけが彼の脳裏に焼き付いて離れない。

 雨の降りしきる暗い森
 目の前でじわりと広がる赤い染み
 繋いでいた暖かな手が離れてゆく感触

 頭を振り、浮かび上がる記憶を振り払った。
 忘れたい訳ではなく、忘れてはならない事だという事は分かっている。
 自分でも受け入れ、完全に終わった出来事だ。しかし、それをたかが雨という共通点だけで思い出すという事は、自分でも意識していない、割り切れない思いがあるのかもしれない。
 だとしても、だからそれはもう終わった事だ。今更どうにか出来るものでもない。

 自室まで引いた水道で顔を洗う。雨水をろ過して使っている為、雨の日は水が随分と冷たいが、この気分を拭うのには丁度良かった。
 腰まで届く琥珀色の髪を梳き、首の後ろで束ねた所で部屋の扉がノックされた。
「エアニス、起きていますか?」
 聞こえてきたのは、まるで教師のように落ち着いた声色と言葉遣い。
 扉から眼鏡をかけた黒髪の男が顔を覗かせた。
 エアニスと同居しているトキだった。年の頃はエアニスと同じくらいで、少し背が高い。これといった特長の無い顔立ちに、これまた特徴の無い服装をしている。強いて言えば、誰に対しても丁寧な言葉遣と、その顔に常に張り付く愛想笑いが特徴か。
「朝ご飯、とっくに出来てますよ。早く食べちゃってくださいね」
 笑顔でそれだけを言うと、トキはパタパタとキッチンへ戻ってゆく。

 エアニスはイライラと足を揺すりながら頭を掻く。
 何かが違う。普通このような場面で現れるのは男ではない筈だ。
 エアニスに浮ついた願望がある訳ではないが、毎日エプロン姿の野郎に起こされるという境遇にエアニスは不条理さを感じていた。今のまま野郎と二人で新婚生活のような暮らしを続ける事に危機感を感じるのは何故だろう。何の危機かは、考えたく無い。
 得体の知れない寒気に身体を震わせ、エアニスは自室を出た。秋も半ばの早朝である。単に肌寒いだけだ。
 リビングの扉を開けると、そこにはテーブルに料理を並べるトキの姿。
 今日も腹立たしいまでに似合う彼のエプロン姿がエアニスの神経を逆撫でる。



「今朝は随分と不機嫌なお目覚めですね?」
 パンをちぎりながらトキは尋ねた。
「そう見えるか?」
 エアニスのその日初めての言葉。
 エアニスは平均に比べ、やや背が低い。長く伸ばした髪に白い肌と、女性のように華奢な容姿の割には、声は男らしく低めだった。
「ええ。ムカついている時か、考え事をしている時の顔ですね」
「・・・人の顔ジロジロ見てんじゃねぇよ」
 エアニスは感情を表に出すタイプではないが、どうにもトキの前では気を許しているせいか顔に出てしまう事が多い。それでなくても、彼は他人の感情など周りの変化に対して敏感な人間である。
 エアニスの数少ない信頼できる仲間・・・なのだが、どうにも見透かされているようで面白くはない。トキとの会話で、話題の矛先が自分であるとろくな方向に進まない。エアニスは強引に話題を変える。
「大学はいつまでなんだ?」
「今日は早いですよ。授業は昼前に終わりますが、研究室に寄って帰りますので昼少し過ぎ位でしょうか」
 トキは街で唯一の大学に通っている。
 彼は生まれた時から戦争と共に過ごし、学業に就いた事が無いのだと言う。にも関わらず数日間の独学でこの街の最高学府の試験をクリアした。現在もかなりの成績を修めており、大学ではちょっとした有名人であった。しかし、エアニスはそれを大して不思議な事だとは思っていなかった。
 トキの頭と身体は、特別製だという事を知っているから。



「エアニスは? 今日も家でごろごろするだけですか?」
「別に・・・やる事も無いしな・・・」
 スプーンをかじりながら相変わらずの調子で返事をする。
「もう1週間近く街に出てないじゃないですか。たまには運動しないと体なまりますよ」
 説教臭く言うトキに、ものすごく嫌そうな顔をするエアニス。
「・・・最近寒いし、今日は雨降ってるから嫌だ」
「・・・とても去年まで世界中を旅して回っていた人間とは思えない言葉ですね・・・」
「はっ、1年もすりゃ、人間じゅーぶん変わるって」
 天井を見上げ、おどけた調子で笑ってみせる。
 そこで話は一瞬途切れ、スープを飲みながらトキが言う。
「あまり変わった様には見えませんけどね」

 エアニスの過去を知るトキの何気ない一言。その意味は十分エアニスも分かっていたが、気づかないフリをしておくことにした。
「そうか? 自分ではけっこう社交的になったんじゃないかなーって思ってるけど。昔に比べれば人当たりも良くなったと思わないか?」
「街のチンピラに少しからかわれたくらいで、相手を動かなくなるまで殴るのが社交的ですか?」
 街のごろつきに女みたいな奴だと絡まれ、怒りに任せ相手5人を張り倒したのは10日ほど前の事だったか。
「斬られなかっただけ感謝して貰いたいな」
「まあ・・・どうとは言いませんけど・・・」
 真顔のエアニスに、トキは目を逸らして溜息を吐く。
 エアニスの性格矯正は遠の昔に諦めている。

 確かに、変わっていない、と言うには語弊があるのかもしれない。
 新たな一面を得た、と言うべきか。トキがエアニスと出会ったのは一年半程前の事だが、彼はその頃に比べると良く笑うようになった。自分からふざけた事を口にし、トキを笑わせる事もある。
 しかし、トキが感じる限り、エアニスの本質は変わっていない。
 自分だけの正義を持ち、己のルールから決して外れない。
 女と子供には心配になる程甘く、自分の中で定義する悪に対しては大物小物問わずに叩き潰す。
 しかし、一般的に悪とされる存在がエアニスにとって正義と映ってしまう事もあれば、自分の定義する正義の為に罪を犯す事を厭わない。
 それが、エアニス=ブルーゲイルの本質。

 トキは呆れた顔で自分の食器を片付け、薄い割りに妙に重そうな鞄を肩に玄関へ向かう。
「さて、と、僕はもう大学へ行きますから。食べ終わったら食器を水に浸けといてくださいよ」
「はいはい・・・」
 その気の無い返事に何を感じたか、トキは苦笑いを浮かべて窓を開けた。
「おや、雨、上がりそうですね」
「ほんとか?」
 そんな些細な事にエアニスは過剰に反応し、トキと共に玄関から顔を出して空を見上げる。目覚めた時には薄暗かった空は今では薄日が射し込み、二人の影を濡れた芝に落としていた。
「ふーん、じきに晴れそうだな・・・」
 朝からずっとむっつりしていたエアニスが嬉しそうな顔をする。雨上がりの晴天は空気が澄んでいて大好きなのだ。こんな日なら、気分転換に街へ出てみようという気にもなれる。
 にこにこしながらトキが言う。
「あまりはしゃいで怪我しないでくださいよ」
「子供か? 俺は?」
「今の表情は子供そのものでしたよ。
  ・・・その辺りは変わったと言えるのかもしれませんね」
 その言葉に、エアニスは今まで以上に不機嫌な顔でトキを睨みつける。
「おっと、いい加減出発しないと遅刻ですね。
 それでは・・・」
 言いたい事だけ言って街へ向かうトキ。まるで当て逃げである。

 トキが大学へ行った後、エアニスは食事を済ませて食器を洗い、歯を磨いてから再び窓の外を見る。もう雨は殆ど降っておらず、街の方角の空は青空を覗かせていた。
「・・・ふん」
 満足そうに頷き、窓に腰掛けて煙草を取り出し火を点ける。眼下に広がるミルフィストの街と、雲の隙間の青空を眺めながら、暫しまどろみの時間を楽しむ。
 この家は街から半時ほど歩いた山の中腹に建っている。1年前、この街に流れ着いたエアニスとトキが、放置され朽ち果てた炭焼き小屋を改装、増築したもので、立地条件的にも人間嫌いなエアニスにとって丁度よい場所だった。最初は街に出る為に少し位歩く事は大した労力では無いと思っていたのだが、元々面倒臭がり屋のエアニスは日が経つにつれ街に出向く頻度が少なくなっていった。だが、こういう日なら街に用が無くても、散歩がてらぶらぶらするのも気持ちがいいだろう。
 勢いよく紫煙を吐き出し、立ち上がるエアニス。
「さて、と。行くかっ」
 ベコベコの灰皿に煙草を押し付け、自室で身支度をする。

 外出する時、普段は着慣れた厚手のローブを羽織っていくのだが、あの服は雨に濡れやすかったので今日は裾の短い身軽な服を着た。しかし軽装でも腰に剣を下げていたり、シャツの下に細かな鎖を編み込んだ防刃服を着たりと、戦争中の習慣が未だに抜けないのは悪癖と呼ぶべきか。しかし、戦争が終わったとはいえ、これらを手放すのはまだ早過ぎるとエアニスは感じていた。
 支度を終え玄関を出た頃には雨は上がり、澄んだ空気を通し日が射していた。
 妙に嬉しくなり、エアニスは小走りで街に向かった。

第02話 切掛

 エアニスはこう考えていた。
 この世界は全て、偶然の積み重ねだと。
 この世に必然なんてものは無い。それは全て偶然の積み重ねから成り立っているのだから。
 必然を紐解いてゆけば、それはとりとめも無い偶然の集まりである事に気づくだろう。
 自分達は、そんな些細な偶然の積み重ねによって、この世界に翻弄され続けているのだ。
 だから、そんな些細な偶然が、自分の未来に大きな影響を与える事も珍しくない。
 この日、エアニスが目を覚ました時間や、空に晴れ間が覗いたタイミング、彼の気分や歩くペース、日に照らされキラキラと輝く濡れた草原に目を奪われ、暫く足を止めていた事など。
 彼の何気ない行動のどれか一つが欠けていたら、今日の出会いから始まる物語は無かったのかもしれない。
 後になってエアニスは思う。
 この日はまさに、エアニスにとって奇跡のような日だったのだ。
 無論、今現在の彼はそんな事に気付く筈もないのだが。



 時刻は十時を少し回った頃。
 街に下りてきたエアニスは特にする事もなく大通りをぶらぶら歩いていた。
 ミルフィスト。
 大陸の北に位置し、二日ほど歩いた場所には港街がある。街の中では大きな街道が幾つも交差しており、そこから港へ向かう街道が分岐しているため、旅人や商人といった流れの人間がとても多い。その割に治安は良い方で、大通りの露店は大勢の人々で賑わっていた。
 比較的物が手に入りやすい事と、それなりに機械文明の浸透した暮らしやすい街で、何より街並みが綺麗だった。街の石畳や家々の壁は殆どが白く塗られていて、ちょっとした観光地でもある。
 山の中腹にある自分の家からは、この美しい白い街並みと、港町の方角に見える青い海が一緒に見える。エアニスがこの街に住んでいるのは、ある恩人から紹介して貰ったという理由なのだが、それ以上に、その景色が気に入っているという事がエアニスをこの街に留めている一番の理由なのかもしれない。

 露店でコーヒーを買い、飲みながら歩くエアニス。
 ふと、大通りから外れた路地にある無骨な建物が目に付く。エアニスがミルフィストに来てから暫く通っていたギルドだ。
 ギルドというのは、旅人に仕事を斡旋する紹介所のような所で、土木作業から人の護衛まで、様々な仕事がある。戦争が終わって間もない今、新たな定住地を求める旅人が増えているので、どの街にも必ず一件は国が運営するギルドがあった。
( 久々に顔出しておくか )
 思ったがままにギルドへ向かう。コーヒーのストローを咥えながら立て付けの悪いドアを開けた。

 扉をくぐった途端、一斉に向けられる険しい視線。いかにも、といった柄の悪い大男達がエアニスを珍しそうに見ていた。何処の街のギルドも、似たようなものだった。
 そんな視線など気づいていないかのように、真っ直ぐとカウンターに座る体躯の良い初老の男の元へ向かう。男がエアニスに気づいた。
「おぉ、エアニス、久しぶりだな」
 笑って右手を上げるエアニス。
 初老の男はバルガスといった。このギルドの管理人で、エアニスも以前、金とコネクションを得る為に仕事を紹介してもらっていた。強面で近づき辛い男だが、接してみると気さくな性格。戦時中はどこかの軍隊の将軍か何かをしていたらしい。何故その地位を捨てて、このような俗な仕事をしているのかとは尋ねていない。この世界では戦争中の話に触れるのはタブーといった風潮がある。大多数の人間にとって、戦争中の事は触れられたくない過去なのだ。
「何の用だ? 仕事でも探してんのか?」
「いや、これといった用は無いよ。近くを通ったから、ちょっと寄っただけ」
 そう言いながら壁に貼られた賞金首の手配書を眺める。
「小一時間程度で終わるような仕事なら引き受けてもいいぜ」
「じゃあ店の裏のドブさらいを頼む。昨日腰をヤっちまってなぁ。このままじゃ町内会の連中にサボってると思われちまう。
 こんな事を頼めるのはお前くらいだ。駄賃には色をつけるぜ」
「そう言って貰えるのは嬉しいが・・・すまん。他を当たってくれ・・・」
「つれねぇなぁ・・・」
 バルガスの何処まで本気か分からない話を聞き流しながら、ずずず、とコーヒーを飲み干す。そろそろ本題に入ろう。
「最近、裏情報から離れてるからさ。何か変った話でも聞ければと思って来たんだが」
 旅をしている時なら自然とそういった情報を知る機会はあったが、最近では街のニュースすら耳にしない浮世離れした生活を送っているのだ。街のニュースはともかく、裏事情というものは知っておかないと昔から落ち着かないのだ。
「べつに。相変わらず至って平和だぜ、この街は」
「ふーん、そっか・・・」
 何故かつまらなさそうなエアニス。
「ただ、な」
 トーンを落としたバルガスの言葉に、一度外した視線を彼へと戻す。
「噂の域を出ないんだが、最近、エイザムの連中が街に入り込んでるらしいぜ」
「エイザム・・・。確か・・・サカナ料理の名前だったな」
「違うよ・・・。犯罪組織の名前だ」
 聞いたことの無い名前だった。名前の知られていないローカル組織か、エアニスが裏の情報に疎くなったここ1年半の間に出来た組織か。
「でかいのか?」
「いいや、ランバテイルの辺りでのさばってるチンピラ連中さ。バックでも付いたのか、最近調子付いて活動範囲を広めているらしい」
「ランバテイル? 随分田舎ら来てるんだな」
 ランバテイルはここから車を使っても5日ほどかかる場所にある。小さな組織の活動範囲としては、ミルフィストは地理的に突出している。こんな離れた街では、抗争が起こったら応援など待っていられないだろう。この街にだって昔から犯罪組織は幾つも入り込んでいるのだ。
「仕事で出張して来てるんだう。何の仕事かまでは知らねぇがな。
 悪い事は言わねぇから、ああいゆう連中といざこざ起こす事だけはやめておくんだぞ」
 バルガスの忠告にエアニスは肩をすくめて答える。
「そうだな、もう懲り懲りだ」
 犯罪組織に狙われると昼夜を問わず襲われるようになり、おちおち眠ってもいられなくなるのだ。エアニスは過去にそういった経験があるのだが、その時は身の安全よりも睡眠時間の方が深刻だった。
 昔は少しくらい眠らなくても平気だったが、今は一日8時間は眠らないとだるくて仕方無い。そんな体の時につまらない連中に目を付けられては事である。

 その後、バルガスと他愛無い世間話をしてからギルドを立ち去った。
 本屋と刀剣屋に立ち寄り、買った本を馴染みの喫茶店で読みながら時間を潰す。時計を見ると昼を過ぎた所だった。
「もう少しでトキの大学が終わる時間だな・・・」
 たまには迎えにでも行ってやるか、と思い、街の端に位置する大学へと向かう事にした。
 エアニスは近道をしようと人通りの少ない裏路地に入る。
「・・・ん?」
 声が聞こえた。
 随分遠くからだが、多人数が走る足音と怒声、そして剣戟の音。耳の良いエアニスでないと気付けない、かすかなものだった。
 早速バルガスと話していたエイザムという組織が頭をかすめ、足が止まる。何も好き好んで田舎猿どもにに関わる事は無い。さっさとこの場から立ち去ろうとしたのだが。
 聞こえてくる声に、女の声が混じっている事に気づいてしまった。
 それも、追われる側の声。
 踵を返した足が再び止まる。
「・・・ち・・・。まあ、いいか」
 一瞬だけ悩んだのち、エアニスは駆け出していた。



「待ちやがれ!」
 男の一人が粗暴な声を張り上げる。
 ごろつきの集団に追われているのは2人の少女だった。
 一人は明るい赤毛の剣士風の少女、大柄な剣を片手にもう一人の少女の手を取り、走る。手を引かれて走っているのは、金髪のロングヘアを結んだ、魔導師風の少女。二人ともまだあどけなさが残る顔立ちだ。赤毛の少女の方が僅かに年上といったところか。
 追っているのは何処にでも転がっているような、ごろつき風の4人の男達。ただのごろつきと少し違うのは、全員が手に剣やナイフを持っていたという事だ。路地裏とはいえ白昼堂々そのようなものをぶら下げているのだ。通報されればその井手達だけで役人や憲兵隊に撃たれかねない暴挙である。彼らもそれなりの覚悟を持って事に当っているのか、それとも単に頭が悪いのか。
「レイチェル!、先に逃げて!!」
 逃げ切れないと悟ったか、剣士風の少女は立ち止まり、大剣を構える。
「でも・・・っチャイムは!?」
「スグに追いつくからっ!!」
 一瞬だけ迷い、走り出すレイチェルと呼ばれた魔導師風の少女。
 チャイムという名の赤毛の少女が後ろに視線を戻すと、追ってきた先頭の男が剣でチャイムに切りかかろうとしているところだった。完全に、相手を殺そうとしている太刀筋だ。
 慌てて剣で斬撃を弾き、男の横腹に思いっきり蹴りを入れる。よろけた男を後続の追っ手に向けて突き飛ばし、再び走り出そうとすると・・・。
「きゃあっ!!」
 前から聞こえたレイチェルの悲鳴。先回りでもしていたのか、彼女は追っ手のごろつき達と同じタイプの男に捕まっていた。
「レイチェル!!」
 チャイムの意識がそちらに向いた瞬間、
 ガィイン!!
 追っ手の剣がチャイムの剣を弾き飛ばし、同時にチャイムの肩口を浅く捉えていった。
「つッ・・・!」
 傷は深くはないが、思わずあとずさるチャイム。飛ばされた剣は、追っ手達の足元に転がる。気づくと、二人は完全に囲まれていた。
 場所は背の高い煉瓦造りの家が立ち並ぶ裏路地。逃げ道は塞がれ、人目も全く無い。相手はごろつき風の男が前方に2人、後ろに4人。前方の男にレイチェルが捕らえられ、まさに打つ手なしという状況にチャイムは息を呑む。
「散々逃げ回ってくれたなぁ・・・」
 リーダ格だろうか。レイチェルを捕らえているごろつきと一緒にいた男がドスを効かせた声を出す。腰の大振りのナイフを抜いて、チャイムに歩み寄る。
「やめて! 用があるのは私だけでしょ!! チャイムは関係ないっ!!」
 叫ぶレイチェルにニヤついた視線を向けるリーダーの男。

 その瞬間
 どがっ!
 レイチェルを捕らえていた男が盛大に吹っ飛ぶ。
 突然、狭い路地から長髪の男が飛び出してきて、そのままごろつきに飛び蹴りを叩き込んだのだ。まともに横っ面に入り、レイチェルを捕らえていた男は伸びてしまう。
 突然現れた長髪の男。もちろん、騒ぎに首を突っ込みに来たエアニスだった。
 唐突な出来事に、その場にいた全員の動きが止まる。エアニスは何も喋らず、その場に立ち尽くして自分が蹴り倒した男と、二人の少女、その他のごろつき達の順に視線を巡らせる。彼なりに状況を推測しようとしているのだが、のんびりとしたその間が悪かった。一向に相手にされないリーダー格の男が、しびれを切らしたように叫ぶ。
「なっ、なんだてめぇはっ!?」
 第三者の登場に焦ったのか、問答無用でナイフを構え向かってくる。
 エアニスには状況が全く分からなかったが、とりあえずこの男は自分にとっては敵らしい。体ごとぶつかって来ずに、腕だけで切っ先を向けてくるリーダ格の男。エアニスは姿勢を低くしながらナイフを持った腕を軽く受け流し、男の懐に潜り込む。そのままジャンプをするように、斜め下の位置から男の顎に手の平を打ち付けた。
 グシャッ!!
 男の顎を砕き、そのまま後ろの壁に後頭部を叩きつけた。
 バラバラと男の歯が石畳に落ちる。エアニスは男の顎を掴んだまま、壁に押し付け離さない。



「まだやるか?」
 視線は自分が壁に押し付けている男に向いていたが、そのメッセージは残りの男達に言ったものだろう。エアニスが顎を砕いた男は、既に意識を失っている。
 まともに色めき立つ男達。チャイムもレイチェルも、その場から逃げる事を忘れ男達と同じようにエアニスを見ていた。
「こ、ここまで来て引けるかよ!!」
 怯んだ表情を見せながらも、残りの4人が同時に剣を構え向かってくる。
 呆れた表情でリーダーの男を放り投げ、エアニスは腰の剣をベルトから外した。刀身を鞘に収めたまま剣を構える。こんな相手の為に剣を汚すのは気分が悪かったからだ。

 男の二人がエアニスを挟み込むような斬撃を放つ。剣で受けると鞘に傷が付くため、エアニスはジャンプして刃をかわす。軽々と大人を飛び越せるほどの跳躍力だった。呆けたようにエアニスを見上げる二人の男。エアニスは空中で体をひねり、一人の男の肩に鞘の一撃を、もう一人の男には、着地する為の足を男の首に引っ掛け、頭から地面に叩きつけた。男の首から足を抜く前に三人目が向かってきたが、エアニスはしゃがみ込んだままで、男のスネを真横に薙ぎ払う。男は綺麗に体が半回転して頭から地面に倒れこんだ。

 この間僅か数秒。あまりにもあっさりと男達をいなしてしまったエアニスを、呆然と眺める二人の少女。そんな不覚となっていた彼女達の意識が覚醒する。最後の一人を見ると、その手には黒光りする鉄塊が握られていた。
 拳銃。
「!?」
 彼女達より少し遅れて男の銃に気づくエアニス。油断していた事も加えて、対応が僅かに遅れた。男の視線と銃口はエアニスの胸の中心に向けられている。こんな雑魚相手に体を張った博打を打つつもりはない。立ち尽くしている少女二人をかっさらい、エアニスは建物の影に飛び込んだ。
 乾いた数発の発砲音。盾にした煉瓦の壁が小さな破片を撒き散らす。
 銃声が止んで、暫くして路地を覗き込むと、最後の一人の男が背中を向けて走り去っていく所だった。追いかけようとも思ったが、そこまで執着する事でもない。あっさり諦め、座り込んで小さく息を吐いた。

「大丈夫か? 怪我は?」
 煙草を出しながら襲われていた少女二人に、のほほん、とした調子で話しかける。
 よく見ると、赤毛の少女の肩からは血が流れていた。
「大丈夫、たいしたこと、ないわ」
「お宅はたいした事なさそうだけど、連れが気を失ってるみたいだぞ?」
「え」
 チャイムが隣に座っているレイチェルを見ると、チャイムにもたれるようにうなだれていた。怪我はしていないはずなので、安心して気が抜けたのだろうか?
「ちょっとレイチェル! 大丈夫!? ねぇ!!」

 やれやれ、といった雰囲気でエアニスは伸びた男達を見る。
 どうやらこの少女達、ワケありのようだ。逃げていった男が拳銃を持っていたのがその理由である。
 この国に限らず、何処の国でも拳銃は軍隊しか持つことしか許されず、一般人が持つ事はできない。裏の取引を介さない限りは。

 こんなトラブルなど、エアニスにとっては取るに足りない下らない出来事だった。せいぜい、一ヶ月もすれば忘れてしまうだろう。
 しかし結局、エアニスはこの日を生涯忘れる事はなかった。
 それは些細な偶然が呼び起こした、奇跡の日だったのだから。

第03話 teatime

「これで・・・大丈夫でしょう」
「・・・ありがと」
 チャイムの肩に巻いた包帯を留めて笑顔を浮かべるトキに、チャイムはあまり感謝していないような口ぶりで礼を言う。

 場所は騒ぎを起こした路地裏からそれほど離れていない、人目の多い大通りに面した宿屋。部屋に居るのはエアニスとチャイムと、ベッドで横になっているレイチェル。そして学校帰りにエアニスに捕まったトキだった。出来ればもっとあの騒ぎの現場から離れたかったが、レイチェルが気を失ったままだったので、とりあえず人目の多い手近な宿へエアニスが二人を連れ込んだのだ。
 少女らの事情は分からなかったが、あの場でさよならできるほどエアニスは冷たくはなかった。彼の名誉の為に言っておくと、エアニスには決して下心などは無い。ただ単に、彼は女子供に対して甘いのだ。

「なかなか手馴れたものね。あなた、こういう仕事の経験あるの?」
 チャイムは的確な手当てを施された肩をさすりながら、トキに聞いた。
 最初は自分で手当てするつもりだったが、トキに僕が手当てをしますと、やんわりと押し切られてしまい嫌々ながらも任せていたが、彼の処置の正しさと手際の良さに途中から感心していたのだ。
「いやぁ、それほどでも。昔はこのくらいの怪我はよくしたものですからね、自然と慣れてきちゃったんですよ」
 さらりと意味深な言葉が出てくる。
「・・・あなた、元軍人か何か?」
「うーん、まぁ、そんな所ですかね」
 トキは笑いながら背を向けると、話の途中にも関わらず、治療に使った道具を持って洗い場の方へと行ってしまった。
「・・・変な奴」
 ぽつりと呟き、チャイムが部屋に視線を巡らすと、窓際でボーっとしているエアニスと目が合った。
「あいつにアレコレ尋ねたところで疲れるだけだぞ」
「・・・そーみたいね」
 チャイムはトキの事を、不思議な雰囲気の男だなと思った。何処にでも居る普通の青年に見えるが、その姿は何処か作り物めいていた。もちろん外見の話ではなく、内面の事だ。ちゃんと会話が成立しているのにも関わらず、彼の全てが虚ろに感じられた。空気のような、掴み所の無い態度とでも言うのだろうか。チャイムにとってのトキの第一印象はそれだった。
「じゃあ、あなたに聞くわ」
「は?」
 エアニスはチャイムに丸い瞳と指先を向けられ、間の抜けた声を出す。
 意思の強そうな赤みを帯びた茶色い瞳が印象的だった。エアニスより少し年下、一緒に居た金髪の少女より上、といった年頃だろう。明るい色の艶やかな赤毛は肩にかかる長さで雑に切り揃えられており、それが少し勿体無く感じられた。顔立ちは小さく、首や肩の肉付きも薄く頼りなさを感じる。路地裏で男に追われていた時に剣を振るっていたが、とても剣士のそれとは思えなかった。
 何故そんな所まで見ているのかというと、彼女はトキに手当をして貰ったままで、上半身は下着と薄いシャツを身に着けているだけなのだ。エアニスは居心地が悪くなり彼女から目を逸らす。因みにベッドで未だに気を失ったままの金髪少女の方が、胸が大きいような気がした。
「あなた、ずいぶんと強いじゃない」
「まあな」
 自分で言うのもどうなんだろう、と突っ込みたくなったチャイムだが、事実その通りである事と、それをどうでも良い事として捉えているような気の無い返事に、茶々を入れる気は失せてしまった。
「子供の時からずっと旅してたからな。その辺のごろつきなんか、相手にならねーよ」
「へえ、」
「剣なら誰にも負けない自信はあるぜ。今は引退・・・いや、休暇中?ってことで、この街に住んでるんだけどな。さっきのメガネも同じような境遇で・・・」
 突然、ニコリと笑みを深くするチャイム。
「・・・何がおかしい?」
「ごめん、見かけの割には良く話すのね」
「・・・放っとけ・・・」
 小声で呟いて、また窓の外を向いてしまったエアニス。気分を害してしまったらしい。チャイムは彼の、調子よく自分の事を話す姿と、ごろつきを一瞬でたたんでしまった姿とのギャップがおかしかったのだ。
 戦い慣れした人間と接するのは少し怖いものだが、エアニスには彼女が勝手に抱くそんな威圧感など微塵も無かった。むしろ話しやすくて、彼の中性的な容姿は安心感を抱かせた。
「ごめんー、だって、そういう雰囲気の人に見えなかったんだもん」
 その一面に安心してか、すでにエアニスに対しての口調は馴れ馴れしくなっていた。エアニスは振り向こうとしない。

「う・・・ぅん・・・」
 ベットの上で気を失っていた少女が身を動かす。
「お。やっとお目覚めか?」
「レイチェル!」
 小走りでベットに駆け寄るチャイム。エアニスも少女の顔を覗き込んだ。
 16、7歳くらいだろうか、色白で華奢な四肢。とても旅人には見えない、深窓のお嬢様のようだと例えてもいい。首の後ろで一本に三つ編みされた長い金髪と、深い紫色の瞳が印象的な少女だった。
 エアニスは彼女の瞳の色に僅かな既視感を感じた。しかし、それが何によるものなのかは分からなかった。
 まだ寝ぼけているのか、緊張感の無いぼんやりとした表情で辺りを見回す。
「チャイム・・・ここ、どこ?」
 困った顔でチャイムはエアニスを指差し、
「ほら、路地裏であいつらに襲われて、この人に助けてもらったのよ」
「人を指さすな」
 彼女の癖だろうか。二度も指を指されているので、一応エアニスは突っ込んだ。
 そこでエアニスは初めて少女にじっと見つめられている事に気づく。
「・・・どうも」
 何を言えばいいのか分からず、間抜けたリアクションを返した。
 すると少女は突然飛び起きてチャイムの肩を掴む。
「"石"は!?」
「だ、大丈夫だって! あんたの首にかかってるでしょ!!」
 ハッ、と自分の胸元を見る。そこには黒い石が収まった少し大きめのブローチ。そのブローチに嵌めこまれた石を両手で包み込み、少女は安堵の表情を浮かべる。
「あなたが助けてくれたのですね。本当に有難うございました」
「あ、あぁ、別に気にすんな」
 さっきまでの顔とはうって変って、キリリとした表情を見せるレイチェル。それだけで急に少女が大人びて見えた。

「おや、丁度いいですね。金髪のお嬢さんもお目ざめになられましたか?」
 ひょこりとトキが顔を覗かせた。
「下のカフェでケーキを買ったので、お茶を淹れたのですが」
 二人の少女の目が点になる。
「おぉ、気が利くな。何がある?」
「ショートケーキと、チーズケーキ。モンブランにミルフィーユです。
 紅茶はダージリンでいいですか?」
「紅茶は何でもいいや。それより俺、チーズケーキいただきな」
「駄目です。チーズは僕のです」
「・・・何だとこの野郎」
 とぼけた二人のやりとりを見ていて思わず笑ってしまう二人だった。

「まさか、こんな流れでナンパされるとは思わなかったわー」
 チーズケーキを口に運びながらチャイムは呟いた。結局チーズケーキは彼女の元へと行った。チャイムもそれが好きだと言い、トキが譲ったのだ。彼女は遠慮の欠片もなくそれを受け取った。
「いやぁ、こんな可愛らしいお嬢さん方とお茶ができるなんて光栄ですよ」
「やだもー! 上手いんだからー!」
「ノってんじゃねーよ。それに、これがナンパに見えるか?」
「あ、あはははは・・・」
 路地裏での緊張感は何処へやら。レイチェルは乾いた笑いを上げる。
 4人は午後のティータイムを楽しんでいた。ほんの少し前まで命の危険に遭っていたというのにだ。
「そいえば、自己紹介すらしていませんでしたね。
  僕はトキと言います。ここで、大学生をやっている者です。えっと、今年で19歳になります」
 トキが二人の少女に視線を送る。
「あ、えっと、チャイムよ。見ての通り、旅の剣士ってとこかな・・・、えーと・・・、あたしも19よ」
「レイチェルと言います。
  一応、魔導を使えます。私も旅人で、17歳になったばかり」
 そうして順に自己紹介を進めててゆく。残ったエアニスが何も言い出さないので、三人の視線がエアニスに集まる。
「・・・エアニスだ」
 エアニスは一言だけ呟くとそっぽを向いてしまう。
「それだけ・・・・?」
 チャイムが控えめに突っ込む。
「ほら、何かあるじゃん? 何してるとか、出身とか歳とか!」
「別に話せるような経歴なんて無いよ」
「・・・あ、もしかして、あたしが良く喋るのねって言った事、気にしてる?」
 図星を突かれ口元が強張るエアニス。そこに、トキがフォローを入れる。
「エアニスはですね。アレです、ただの無職の風来坊です」
「フォローになってねぇ!!」

「そいえばレイチェル。体の方は怪我ないの?」
 エアニスを弄るのに早くも飽きてしまったのか、チャイムは話題を本筋へと戻す。
 チャイムの言葉に、思わず自分の体を見回すレイチェル。
「気を失ってたからさ、どこか怪我したのかなーって思ったんだけど」
「別に・・・どこも怪我してないけど・・・」
 眉をひそめ、レイチェルは思い出すような仕草で考え込む。
「ま、拳銃突き付けられたら、普通は誰だって怖気づくだろ。アイツ等追い返して、安心して気が抜けたんじゃないのか?」
 ここで自己紹介の話をぶりかえすのも何なので、思ったままの感想を口にするエアニス。
 あの時の事を思い出したのか、レイチェルにハッとした表情が浮かんだ。
 恐怖に凍った、表情。
「・・・ああいった経験は初めてか?」
 どことなくエアニスの声は優しい。
「いいえ、初めてと言う訳じゃないけど、あそこまで追い詰められたのは久し振りだったので・・・」
 今まで明るかった二人の少女の顔が陰る。
「今までもこんな事があったのですね?」
「まあね・・・」
「ワケありか?」
 チャイムとレイチェルは困ったように顔を見合わせる。
「何か協力できる事があれば、力になりますよ?」
「おいおい・・・」
  トキが初めて真面目な顔をして話に入ってきた。トキが本気で言っている事を感じ、エアニスは慌てる。
 だがしかし、チャイムとレイチェルは彼の言葉に戸惑うように口をつぐんだ。レイチェルが顔を上げる。
「すみません・・・事情が簡単じゃないんです。
  誰にでも事情を話せるなら、もう誰かに助けを求めてます・・・。
  ・・・ごめんなさい」
 気まずそうに彼女は謝り、部屋に沈黙が落ちる。
 トキもその答えは予想していなかったようだ。
「まあ、そうだよな」
 露骨にエアニスの口調が白けていた。
「命まで落としかねない事情に他人を巻き込むなんてとんだ迷惑な話だ。
  俺だって自分だけで何とかしようと思うね」
 その言葉に、トキが神経質そうに肩を揺らした。
「エアニス。それで昔、痛い目を見た事を忘れたんですか?」
 眼鏡を押し上げ、非難するような声で言った。眼鏡に当てた手が影になり、その表情は三人には見えない。
 益々気分を害したエアニスは、すっと目を細めた。
 険悪な空気が流れ始める。だがエアニスはトキに反論できなかった。痛いところを突かれたという自覚があるため、一度トキを睨みつけただけで何も言わず視線を逸らしてしまった。
「エアニスさんの言うとおりです。これは、私の問題ですから・・・。
 私がやらなくちゃいけない事だから・・・」
 沈黙を破ったのはレイチェルの思いつめたような声。
 その表情に、不安を覚えるエアニス。こんな顔をして全てを背負い込み、大変な思いをしていた少女を、エアニスは知っている。それは、とても見ていられるものではなかった。だから、エアニスの口から余計な言葉が漏れる。
「まあ・・・・自分の手に負いきれないものを背負い込むのは・・・
 それ以上の馬鹿かもしれないけどな」
  思わず口を突いてしまった言葉。自分の心無い言葉のフォロー、という訳ではない。自分にとっての教訓、戒めだった。
「まあ、どうでもいいけどさ。
 それより、その事情ってのはアンタの・・・レイチェルの事情なのか?
 "私がやらなくちゃ"って言ったろ?」
 気を取り直し、そんな事を尋ねるエアニス。突き放すような事を言ったが、彼なりに彼女達の事を心配しているのだ。
「そうです。チャイムは・・・私の事情に巻き込んでしまっただけなんです」
 申し訳なさそうに言うレイチェルに、慌ててチャイムが口を挟んだ。
「何言ってんのよ、首を突っ込んだのは私の方なんだから、レイチェルが気にする事ないわよ。それに、私はちゃんとあんたに雇われて護衛してるんだから」
「でも、雇ってるって言っても・・・」
 レイチェルは笑っているような、困っているような顔で言う。
「護衛なのか、お前が・・・。1日いくらで雇われてんだ?」
「一日、100で」
 何故か誇らしげに答えるチャイムに、思わず椅子からずり落ちるエアニス。トキも口が開きっぱなしである。傭兵一人を雇う相場は大体一日15,000からである。100という額は、子供の一日あたりの小遣い程度である。
 雇われているというのは、どうやら建前のようだった。



「大体、でかすぎるんじゃないか、この剣。あんたの力や体重じゃ、こんな重い剣振り回せないだろ?」
 エアニスは壁に立てかけられたチャイムの剣を手に取る。
「あっ、こらっ!! 勝手に・・・」
 鞘から刀身を抜いて窓から射す光にかざしてみる。手のひらを広げたくらいの両刃の剣。分厚い刀身には縦溝が入り肉抜きがされているが、それでも重さは見た目通りでかなりの豪腕でないと使いこなせそうにない。
「なんだ、この剣・・・?」
 思わず眉をひそめるエアニス。路地裏で彼女の剣を見た時は気づかなかったが、彼女の剣は刃が潰され紙すら斬ることができない代物だった。
「これだったら、相手を殺すことなく戦えるでしょ?」
 チャイムのそんな言葉に、エアニスは今度こそ呆気に取られる。
「馬鹿か、お前。命のやり取りをしてるんだぞ。そういう余裕は、もっと強くなってから見せろ。死ぬぞ」
「・・・う」
 エアニスはチャイムの目を真っ直ぐに見て言う。その声には茶化しもからかいも無く、彼女はたじろぐように目を逸らす。
「たしかに、悪い姿勢ではありませんが、相手の身を案じて戦うのは、とても難しい事です。まずは先に自分の身を案じるべきですね」
 やんわりとトキに追い討ちをかけられ、チャイムは机を叩き反論する。
「い、いいでしょ!! あたしにとっては譲れない一線なのよ!!
 だいたい、あんた達には関係ないじゃない!」
「そうだな。俺達には関係の無い話だ」
 無関心そうにそう答え、エアニスは彼女の剣を鞘に納める。その時、柄に付いた小さな飾りに気づいた。十字架と天使の羽をあしらった紋章、縁取りに蛇が絡みついた精緻なエンブレム。それはエアニスの良く知るものだった。
「・・・お前、エベネゼルの出身か?」
「そ、そうだけど・・・」
 小さく溜息をつくエアニス。エベネゼルはこの世界で最も大きな宗教国家である。どの国にも加担する事なく、常に中立を保つ国。魔導、科学を問わず医療の進んだ国で、先の戦争でも世界中の戦場へ医者や魔法医を大勢派遣していた。
 この世界で最も大きな国は大戦を引き起こしたベクタ帝国だった。しかし終戦と共にベクタは解体され、今ではエベネゼルが世界で最も大きな国だ。しかし中立を貫くエベネゼルには大国としてのリーダーシップというものがなく、現在この世界には中心となる国が無い。世界中の国から頼りにされており、多くの民に世界の中心となる事を望まれる、非常にクリーンなイメージを持った国家である。
 しかし、エアニスにとってエベネゼルは最も忌み嫌う国の名であった。
「なるほど、偽善の国の使者か・・・」
「え?」
 エアニスの嘲笑交じりの呟きは誰にも聞こえなかったようだ。
「なんでもない。ホラ、返す」
「うおーーっとぉおーーー!!」
 エアニスが放り投げた鉄塊をチャイムは何とか受け止める。やはり、剣の重さに腕力が追いついていない。
 エアニスは、何故彼女がエベネゼルの紋章が入った剣を持っているかという疑問を問おうとしなかった。エベネゼルのでの出来事を思い出すのが嫌だったのだ。また結局のところ、彼女達の身の上など、どうでもよかったのかもしれない。
「さて、と。そろそろ帰ろうか、トキ」
 ケーキの欠片を口に放り込み、おもむろに立ち上がるエアニス。急に不安そうな表情に変わるチャイム。その時、彼女はエアニス達と居た間は自分が安心しきっていた事に遅まきながら気づいた。そしてその安心感は、ずっと周りを警戒しながら旅を続けていたチャイムにとって久しぶりの事だった。
「ですが、エアニス・・・・」
 トキは困った声を上げるが、毅然としたレイチェルの顔を見ると無理に手助けを買って出るという訳にもいかなかった。彼女達にも思う所があるのだろう。その思いは尊重せねばならない。
「宿代くらいは持ってやるよ。ここに連れ込んだのは俺だしな。ま、悪い事は言わないから、役人に保護してもらった方がいいぞ」
 席を立ち、扉へ向かうエアニス。チャイムはエアニスに言葉をかける事が出来なかった。内心では彼を引き止めて助けを求めたい気持ちはあったが、あくまでこれはレイチェルの問題であり自分がどうこう言える事ではない。
「・・・ねぇ!」
 チャイムが突然立ち上がり、エアニスを呼び止める。彼は首だけで彼女の方へ振り向く。
「その・・・・あ、ありがとうって言ってなかったから・・・」
 どもった口調で礼を告げる。本当は、他に言いたい言葉があるのに。
「別に」
 その一言だけを残してエアニスは部屋を出て行ってしまった。溜息をつくトキ。
「僕達は街の裏山にある家に住んでいます、もし、何かあったら訪ねて来て下さい。きっとエアニスも協力してくれる筈ですから・・・」
 トキは、勝手にエアニスの家を教えてしまった。出すぎた真似だったかもしれないが、この事をエアニスは怒らないと思ったのだ。
 そして一礼を残し、トキも部屋を出て行ってしまった。

  部屋に残されたチャイムとレイチェルは、暫く言葉が出なかった。
「・・・・ね、レイチェル・・・。無理してない?」
 優しく話しかけるチャイム。そんな事は聞くまでもない事だったかもしれない。
「まあ、ね・・・
  でも、これ以上誰も巻き込みたくないの・・・」
 レイチェルは今にも泣き出しそうな顔でチャイムを見返す。
「ごめんね、チャイム。巻き込んじゃって・・・」
 その顔を見ると、チャイムは言葉より先に体が動いた。おもむろにレイチェルの頭を抱き抱え、そのままベッドに倒しこんだ。
「なーにいってんのよ! 首を突っ込んだのはあたしの方なんだし。ここまできたら最後まで付き合わせなさいよっ!」
 両手でレイチェルの金髪をわしゃわしゃかき回しながら笑う。
「ねっ?」
「チャイム・・・」
 くちゃくちゃになった前髪の下でレイチェルは瞳を潤ませる。

 レイチェルにはチャイムの明るい優しさがたまらなく嬉しかった。同時に、自分と同じくらい不安であるはずのチャイムに、無理をさせている自分にはがゆさを感じていた。
 エアニス達といた間消えていた不安が、二人の胸へと帰ってきた。ずっと同じものを抱えて旅をしていたはずなのに、今の二人にはそれはとても重く感じられた。


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