閉じる


題 名








ミラクルボイス☆七海ナオ☆


こだま

1.覆面声優・七海ナオ登場

「“勝ちたいなら方法はただひとつっ。勝つまで絶対にやめないこと!”」

いつもの決めゼリフを力強く言い終えた直子は、ガラスの向こうの返事を待った。

「はい、お疲れさん」

コントロールルームから、監督の声が届く。

別名・金魚鉢とも呼ばれるブースから飛び出した直子は、ショートボブの頭を下げて監督らスタッフに謝った。

「本当にすみませんでしたっ」

「すみません、で済んだらプロじゃないよ」

自分でOKを出したくせに、ヒゲ面の新しい監督はネチネチいやみたらしい。

小さな体をさらに小さくしてうつむいた直子は、自分は今日一体何回NGを出したんだろう?とこっそり数えた。

ここはサッカーアニメ『ドリブルハート』のアフレコ現場。

ヒゲ面の監督は、サングラスの奥から主人公・ヒロキ役の直子をじろりと見下ろした。

「君、好きな人はいるか?」

「えっ、す、好きな人ですかっ?」

思わず声が裏返ってしまった直子に、ヒゲ監督は厳しい口調でこう言った。

「いいかい?ヒロキは本当はあの子が好きなのに、冷たくしてしまった。そういう気持ち、わかって芝居してくれよ」

「はあ」

「やっぱりこういうのは人生経験がモノをいうんだよなあ。悪いけど、君みたいに若けりゃいいってもんじゃない」

「すみません…あっ」

また言ってしまった。

「ま、今日のところはお疲れさん」

「…ありがとうございました」

直子は唇をかみしめもう一度頭を下げた。

渋谷の録音スタジオを出ると、外はもう薄暗かった。十一月の冷たい風が吹き付ける。 細い体をぶるっと震わせ、紺色のピーコートのポケットに手を突っ込んだ直子は、低くうなった。

「うーっ、くやしい」

さっきのヒゲ監督の言葉を思い出す。

好きな人はいるかだと?

若けりゃいいってもんじゃないだと?

言いたい放題言いやがって〜っ!

直子は、リスに似た黒目がちな瞳をくるんと動かし上を向いた。こうすればこみあげてくる涙を流さずにすむからだ。

泣いてはいけない、仕事だもの。

責任は、うまくできなかった自分にある。

妥協や甘えは一切通用しないのが、この世界。直子が小学生だからって、例外はない。そんなこと、声優の仕事を始めたときからわかっていた。

えっ、小学生が声優?

まっさかぁ、と笑ったそこの君。

いまはアイドル、俳優、演歌歌手、それから手品師、漫才師でも小学生が活躍する時代だ。アニメに声を吹き込む声優をしている小学生がいても、驚くことはないだろう?

「くそう、負けるもんかっ。次の収録は絶対一発OKとってやる!」

決意も固く渋谷の街をゆく、ちょっと勝ち気なこの少女は、港区立赤坂第一小学校五年一組の市川直子。彼女こそ、年齢・出身地すべてのプロフィール非公開の、噂の覆面声優・七海ナオの正体だ。

七色の声を自在に操る彼女を、人は『ミラクルボイス・七海ナオ』と呼ぶ。


2.恋の予感

「さくら、また好きな子変わったでしょ」
「やだぁ、なんでわかるの?直子もしかしてエスパー?」
図書室の本棚を見上げていたさくらは、大きな目をさらに見開き直子を見た。
「んなわけないでしょ」
超能力がなくたって、入学以来の仲良し江並さくらの行動パターンなら直子にはだいたいわかる。ファッション誌しか読まないさくらが放課後図書室に足を踏み入れるなんて、理由はひとつしかない。
「うふ、恋しちゃった」
「やっぱり…」
五年に進級してからだけでも、さくらはなんと好きな子を四回も変えている。
「野球部エース城野くん、絵画コンクール金賞受賞の寺下くん、校内水泳大会優勝の菅井くん、それから音楽発表会で指揮者だった井上くん。人気者を次々狙ってあっという間に飽きる。知ってる?あんた赤小の魔性の女って言われてるんだからねっ」
「ひっどーい、なにそれ」
「でしょ?だからこれ以上純情な男子の心をもてあそぶのはやめなさい」
「魔性の女なんて、なんかオバさんくさいわ。せめて小悪魔って呼んでほしい」
「そっちかい!」
原宿の有名美容室で月イチお手入れする栗色ウェーブヘアを、指先でくるくるしているさくらに反省の色なし。直子と話している間も大きな瞳は、図書室にかっこいい男子がいないかチェック中だ。
その様子を見た直子は、ため息をついた。
ガーリーなさくらとボーイッシュな直子。
ボケのさくらとツッコミの直子。
雰囲気の違うふたりだが、なぜか気が合いクラスが別々の今も一番の仲良しだ。
あまりに違いすぎてお互い妙なライバル心が生まれないのと、方向性は違うけど、さっぱりあっさりからりと明るい性格だけは似ているせいかな、と直子はさくらとの友情を分析している。
「で、今度の犠牲者は誰?」
「犠牲者だなんてひどーい。直子なんか好きな人もいないくせに」
「う」
昨日の収録の記憶がよみがえる。
「またその話か」
うなだれる直子の顔をさくらが不思議そうにのぞきこむ。
「どうかした?」
「…何でもない」
直子が七海ナオであることは、仲良しのさくらにも秘密だった。絶対に自分から正体を明かさないこと。この仕事をはじめるときにパパとママが直子に出した条件だ。
おかげで騒がれも、いじめられもせず、直子は平穏な小学生ライフを送っている。仕事のせいでさくらと遊ぶ予定を断らなくちゃいけないときは、申し訳ない気持ちになるけれど、これだけはパパとママとの約束だから仕方がない。
「で、今度は誰を好きになったの?」
気を取り直してたずねると、さくらはえへんとせきばらいして発表した。
「今度は、上原颯太くんでーす」
「栄養はぜーんぶ身長に行っちゃって、頭の中はバスケのことだけの、あのアホ颯太?」
「好きなことに熱中している姿って素敵よ」
「でもサル顔だよ?」
「顔なんかどうでもいいの。あたしの場合、美しい顔が見たかったら鏡を見ればいいわけだし。人は自分に欠けているものを持つ相手に惹きつけられるの」
「なるほど。あんたは欠けているものが多すぎるから、いろんな男子を好きになってしまうわけだ」
直子がからかうと、さくらは唇をとがらせた。
「失礼ね、まだ恋を知らない直子には理解できないのよ」
「はいはい。で、なんで図書室に来たわけ?颯太なら今日も校庭でバスケだよ」
「実はね、さっき職員室で顧問の吉田先生が話してるの聞いちゃったんだ。次の日曜日、ミニバスケ部が練習試合するんだって。だから応援に行こうと思って…あ、あった」
お目当ての本『バスケットボールルール解説』を見つけたさくらがにんまりする。
「これから颯太くんと一緒に読んで、教えてもらうのよ。ね、いい作戦でしょ?」
「言っとくけどあいつほんとにアホだよ。めちゃめちゃ漢字に弱いし、本なんか一緒に読むかなあ?」
そう、あれは颯太と同じクラスになったばかりのことだ。
「うちの父ちゃんがすっげー面白い映画があるって言ってたんだけどさ、メルなんとかの『みだいきん』って見たことあるか?」
颯太が大声で話していたので、それはメル・ギブソン主演の『身代金(みのしろきん)』だと、直子は親切に教えてやったのだ。
次の日、『身代金』を無事レンタルした颯太は、教室に入るなり興奮ぎみに「すげえな」を連発し、直子に話しかけてきた。
そうか君もあのサスペンス映画の面白さがわかったか、とうなずいていたら、颯太は真顔でこう続けたのだ。
「ハリウッド俳優ってマジすげえな。だって全員日本語ぺらぺらだぜえ」
「ちがーうっ!」
直子は颯太の勘違いを全力で訂正した。
「あんたが見たのは日本語吹き替え版!」
洋画における声優の役割を説明したら、颯太は細い目をぱちくりさせて驚いていた。
「市川、お前って物知りだな」
この一件のあと、席替えで隣の席になってからは、読めない漢字があったりすると颯太は必ず直子に聞いてくるようになっていた。
「颯太くんてかわいい。天然なのね。ますます気に入っちゃった。じゃ、行ってくるわ」
直子が止めるのも聞かず、さくらは本を抱えてスキップで図書室を出て行った。
数分後、校庭の隅にあるゴールポストの下には、背の高い颯太と、首をかしげるようにして彼を見上げるさくらの姿があった。
“颯太くん、バスケのこと教えて!”
“お前バスケ興味あんの?”
“試合がんばってね。応援してるから”
“サンキュ”
図書室の窓から眺めていた直子は、ふたりの会話をアテレコしていた。
「ま、颯太がさくらのえじきとなるのも時間の問題だね、わははは…」
笑っていた直子の胸がちくりと痛んだ。
ん?いまの何?
窓を閉めながら、直子は自分の心臓のあたりに手をやって首をひねる。
「お腹すいたせいかな。さ、帰ろ帰ろ」
その夜直子は、晩ご飯をお腹いっぱい食べ、八時前には布団に入った。颯太の隣になって以来欠かさなかった国語の予習は、なんだかやる気が出なくてさぼってしまった。

3.練習試合とコンビ解消

翌朝直子が登校すると、五年一組の教室ではちょっとした騒ぎが起きていた。
「どういうことだよ!」
太い眉毛を逆立てて怒っているのはミニバスケ部キャプテンの大野だ。わざわざ隣のクラスから乗り込んで来るとは、何事だ?
「ドラゴンミニバスケチームと練習試合することになったって本当なのか?」
大野の質問に颯太がうん、とうなずいた。
「吉田先生に俺が頼んだ」
「ふざけんなよ!」
大野は颯太につかみかかった。
背の高さもサル顔も同じだけど、がっちりした大野と細い颯太が並ぶと、気の荒いゴリラと調子のいいくもざるって感じだ。
「毎年地区優勝のドラゴンと試合だなんて無理に決まってるだろ。わざわざ試合申し込んで惨敗なんて赤小の恥だっ。俺が塾で休んでいる間に勝手なことすんな。今から断れ、いいなっ」
息巻く大野にくってかかったのは、同じく隣のクラスまで出張してきたさくらだった。
「ちょっと!颯太くんが決めたことにケチつけないでよっ。あんたなんか受験にびびってもうすぐミニバスケ辞めるくせに!」
「うるせえ!江並お前関係ないだろっ、だいたいなんでここにいるんだよっ。おい颯太っ、聞いてんのか!」
大野が顔を真っ赤にして叫ぶと、颯太はきっぱり答えた。
「試合はやるよ。俺、どうしても出たいんだ」
「俺は出ないぞっ。ついでにお前とはもう絶交だっ」
大野は颯太を突き飛ばし、教室から出て行った。尻もちをついた颯太は、てへへと恥ずかしそうに笑って見せた。
颯太のところへさくらがかけよるのを見ていた直子は、なんか妙だなと思った。
大野とはミニバスケでコンビ組むほど仲がいいのに、絶交を言い渡されても平気だなんて、一体颯太はどうしちゃったんだろう?

4.努力はムダ?

放課後、直子はさくらにひっぱられて校庭の隅にあるバスケ練習場にいた。さくらは朝の騒ぎに便乗し、なんとミニバスケ部のマネージャーに名乗りをあげたのだ。
「それはいいんだけどなんでわたしまで?」
「いいじゃない、友の恋を応援するのが女の友情ってもんでしょ」
「いまさらわたしが応援しなくたって大丈夫。昨日だって颯太と話盛り上がってたんでしょう?」
「うふふ、まあね」
さくらは余裕の笑みを浮かべた。
それを見た途端、直子の胸がずきっと痛んだ。まただ。昨日からなんか変だ。悪い病気だったらどうしよう、と心配しながら直子はミニバスケ部の様子に目を向けた。
颯太たちが試合に向けて練習中だ。
大野の姿は、やはりない。
「大野のやつ、塾があるから試合は出ない、って吉田先生にわざわざ断りに行ったのよ。あー颯太くんかわいそう。なんとかならないかしら」
「でもとりあえず試合のメンバーは足りてるんでしょ?」
直子はコートで練習する部員を数える。
中学受験を控えた六年生が抜けたあとは、五年の颯太と大野でチームをひっぱっていた。メンバーはほかに四年と三年がふたりずつ。残りは一、二年のおちびちゃんが六人。
実は、赤坂第一小ミニバスケ部は弱い。
連戦連敗、このあたりじゃ知らない者はいないくらい弱いのだ。
四年生の取り損ねたボールがコートを飛び出した。それを低学年のおちびたちが一斉に追いかけ、気がつけば鬼ごっこになっている。 なにがおかしいのか全員笑顔だ。
もちろん颯太もにこにこ笑って、下級生たちに根気よく教えている。
楽しそうなのは結構だが、とても週末に強豪チームとの対戦を控えたチームには見えない。
「…大野、戻って来るといいね」
「だよねえ」
直子とさくらはうなずき合った。
休憩時間になり、さくらはタオルを手に颯太にかけよった。
直子は遠くに転がったバスケットボールを見つけた。誰も気づいてないみたいだから取りに行ってやるか。そう思って、ボールに近づいたが、先を越された。
「あ」
大野だった。ふてくされた顔で、直子に狂いのない見事なパスを寄越した。
「ありがと。みんな練習してるよ」
ボールをキャッチした直子が声をかけると、大野はふてくされ顔のままで答えた。
「いくら練習したって、勝てるわけ
ねえよ」
「そんなのやってみなくちゃわか…」
「わかるだろ。きれい事言うな」
「言ってないよ」
「じゃあ聞くけど、練習すればあいつらがプロになれるのか?今度の試
合に絶対勝てるのか?」
「それは…」
ずいぶん意地悪な質問だ。
「いくらがんばったって、ダメなもんはダメだ。ムダな努力なんだよ」
大野は吐き捨てるように言った。
「俺は試合なんてやらない。もう帰る」
くるりと背を向けた大野のランドセルに、きらりと光るものが見えた。バスケットボールの形をしたキーホルダーだ。颯太のランドセルにも同じものがついていたことを、直子は知っている。
どんどん遠ざかる大野の後ろ姿で、
キーホルダーが「バスケやりたい」って言っているように直子には見えた。



読者登録

こだまさんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について