目次
もくじ
もくじ
1.新しい文学の形と新しい文章
1.新しい文学の形と新しい文章
2.ライトノベルと識字率
2.ライトノベルと識字率
3.書評:『きらきらひかる』江國香織著
3.書評:『きらきらひかる』江國香織著
4.神とはヒトの口癖である (前編・後編)
4.神とはヒトの口癖である(前編)
4.神とはヒトの口癖である(後編)
5.再現とは、でっちあげること (全5章)
再現とは、でっちあげること (1)
再現とは、でっちあげること (2)
再現とは、でっちあげること (3)
再現とは、でっちあげること (4)
再現とは、でっちあげること (5)
6.ブリコラージュ状思考態って何ですか?
6.ブリコラージュ状思考態って何ですか?
7.「作家デビュー」
7.「作家デビュー」
8.なぜ、江國香織さんなのか?
8.なぜ、江國香織さんなのか?
9.小説か、エッセイか?
9.小説か、エッセイか?
10.書き手の孤独
10.書き手の孤独
11.江國香織さんと夏目漱石
11.江國香織さんと夏目漱石
12.読まなきゃあ、詠めない
12.読まなきゃあ、詠めない
13.短命に終わったブログの復元
13.短命に終わったブログの復元
奥付
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もくじ

もくじ

1.新しい文学の形と新しい文章

2.ライトノベルと識字率

3.書評:『きらきらひかる』江國香織著
4.神とはヒトの口癖である(前編)
  神とはヒトの口癖である(後編)
5.再現とは、でっちあげること(1)~(5)
6.ブリコラージュ状思考態って何ですか?
7.「作家デビュー」
8.なぜ、江國香織さんなのか?
9.小説か、エッセイか?
10.書き手の孤独
11.江國香織さんと夏目漱石
12.読まなきゃ、詠めない
13.短命に終わったブログの復元

 

 

 

 

 


1.新しい文学の形と新しい文章

過去1年半くらいに私が経験したことについて、エッセイを書くつもりでした。ネット上で起きていることをめぐっての話です。

でも小説の執筆に専念すると公言したあとなので、書こうとしていたエッセイのために溜めこんでいたメモを断片的に連ねていくことにしました。

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◆新しい文学の形――小説投稿サイトやブログ小説について

小説家になろう 」というサイトがある。私が知ったのは去年の3月頃だった。グーグルで検索をしていて偶然に見つけた。

トップページの上部に小さめの文字で、

小説家になろうはオンライン小説、携帯小説を掲載している小説投稿サイトです。
小説掲載数108,224作品。登録者数136,649人。

 

とある。

 

アマチュアの小説や詩の書き手たちが、自分の作品を投稿し、互いに評価し合うというサイトだ。

このようなサイトが存在し、上記のようにたくさんの人たちがパソコン(携帯で参加している人もいる)で文章をつづり、それを公開していることに驚いた。

一番驚いたのは、小説を横書きで読むことに慣れた10万人を超えるユーザーがいるという事実だ。

ウェブ上のサイトは基本的に横書きだから、驚くべきことではないのかもしれない。

私自身が翻訳の仕事で使うのも、マイクロソフト社のワードの横書きだ。産業翻訳は横書きで納品するのが普通だ。

一方、文芸作品を出版翻訳する場合には、たいていは横書きで草稿を作り、最終的に縦書きに表示して、クライアントに送る。校正も縦書きで行う。実用書であれば、横書きが完成稿となる場合が多い。

いずれにせよ、小説や詩は、原則として縦書きだ。

それなのに、上記サイトを利用して10万人を超える人たちが横書きで小説や詩を読んでいる。それだけではない、ブログに小説や詩を書いている人たちがいるはずだ。その数は10万人どころではないだろう。

     *

「小説家になろう」の姉妹で「小説を読もう 」というサイトがある。

トップページの上部に小さめの文字で

小説を読もう! は数万作品の小説が無料で読めるオンライン小説サイト/ケータイ小説サイトです。

 

と書かれている。

同ページの右下にタテ書き小説ネットとあり、その文字をクリックすると、

タテ書き

というタイトル(「タテ書き小説ネット」とも呼ばれている)と、次のようながことが書いてあるサイトに行ける。

本格的な縦書きオンライン小説サイト。
オンライン小説を縦書き・ルビ対応(PDF形式)で提供しています。

簡単に説明すると、「小説家になろう」に投稿されたおびただしい数の作品が、縦書きで読めるのだが、その字面がとてもきれいなのに驚く。PDF形式でのルビがうまく処理されていて、ルビのある行とそうではない行とのスペースの差がない。あるとしても、ほとんどない。つまり、美しいのだ。

以前、私はある出版社から電子書籍を発行(出版)したことがあるが、その作品でのルビの施し方が実に汚かった。

なぜ、プロであるはずの出版社から出た有料の電子書籍が、無料で読め自由にダウンロードできるPDFに劣るのか? たぶん、その出版社の技術が相当低かったのに違いない。

     *

「小説家になろう」と併存している「タテ書き(タテ書き小説ネット)」で公開され、無料でダウンロードされている作品は、PCでしか読めないとはいえ、立派な電子書籍である。

     *

「小説家になろう」というサイトに参加して、知ったことがある。

ユーザーたちが互いに自分たちの作品の評価をし合うのはいいとして、そうした行為に過度に依存していると見受けられる人たちがいる。仲間同士の褒め合いに終始しているという意味だ。

この人は、このサイトに投稿されている小説や詩やエッセイだけを読んでいるのではないだろうか? いわゆるプロの作家の書いた文章を、浴びるくらいに読む時間を確保しているのか?

そんな疑問の対象となるユーザーがいる。しかも万単位でいる。

以上は、ブログに小説を投稿し、何らかのグループを作っている人たちにも、よく見られる傾向だ。

 

いわゆるプロの物書きで、しかも文章力のある作家の作品を浴びるように読まなければ、私たち凡人は、少なくとも出版社主催の文学賞に入選できないのではないか?

 

一部のユーザーにとっては、小説家になろうではなく、小説家にならないが、あのサイトの適切な呼称ではないか、というのが私見だ。


◆新しい文章

現在、この国では未だかつてないほどの規模で、文章が変化しつつあるように見受けられる。
具体的には、私が書いている、この文章を見ていただきたい。

冒頭の一字空けがなく、段落の意識が薄まり、あるいは消えて、数行のセンテンスが束ねられて、改行となる。
それが断章形式につづられるという形になっている。

こうした文章の書き方を、私がするようになったのは、インターネットの普及と、電子メールでのやり取りが当たり前になってきたのとシンクロナイズしていたように思われる。

現在では、ビジネス文書や私信でも、このような書き方が増えているのではないだろうか?

以上の現象は、時代の流れか、それとも言語の乱れか?

忘れてならないのは、改行や濁点や句読点が使われるようになったのは、日本語の長い歴史のなかでは、つい最近のことだという事実である。

言語を静的なものではなく、動的なものとして受け止める必要があるように思う。

また、漱石の当て字は、漱石固有のものではなかったことも大切な点だ。 つまり、表記はばらばらであったという意味である。

確かなのは、いわゆる「日本語」とは抽象的な語であるがゆえに、それをめぐる議論は「正確さ」ではなく、「声の大きさ」(力関係)で正否が決まるということだ。

     *

新聞の読者による投稿欄を読んでいると、数カ月ごとに、現在の言葉の乱れを批判する文章が載る。書いているのは高齢者であったり、中高生であったりする。

特に、話し言葉の乱れを嘆くものが多い。そういう投稿文では、「正しい vs. 正しくない」、「美しい vs. 美しくない」、「自然(当然)である vs. 自然(当然)ではない」、といった図式が、あたかも存在するように書かれている。

新しいものが出てくると、それを嘆いたり、非難したり、禁止する。これは、おそらく世界各地で過去から何度も起こって現在にいたる現象だと思われる。話し言葉や文章だけにとどまらない。服装、髪形、行儀作法、言動、冠婚葬祭など、多種多様なレベルで起きてきたようだ。

私はそうした現象を見聞きするたびに、 「ああ、またか。そんなことで目くじら立てても、時代は進む――」と思い、ため息をもらす。

実際、そうではなかっただろうか?

話を、文章やその書き方に絞ろう。

携帯やPCを用いてのメールやブログやツイッターでは、どのような文や表記が書かれているか? これは、みなさんが、ご承知の通りであろう。とはいえ、ITにはそれを利用できなかったり、その恩恵を受けられない弱者がいることを忘れてはならない。

いずれにせよ、ネット上では「ちゃんとした」「おとな」なら、腹を立てたり、顔をしかめたり、首をかしげるであろう、書き方が飛び交っている。

顔文字、絵文字がいい例だ(最近、私は絵文字を自分で作る高校生がいると知ってびっくりした)。

「私ヮ・私ゎ・私w」とか「~ですぅ」とか「あ”ー」とか「サプリメント」などの表記もそうだ。

また、故意の当て字や誤字脱字・誤記も忘れてはならない。

このように、「ちゃんとした」「おとな」たち(そんなのいるの?)の血圧を高める素材にネットは満ちあふれている。


また、改行・句読点・レイアウト・約物(やくもの)・不注意による誤字脱字など、校正・表記の基準が無視される。

私見を述べるなら、ちゃんとしたおとなたちや業界人たちや役所が、わめこうと、どなろうと、禁止しようとしても、新しい技術に並行して起こる、以上の多岐にわたる事態は避けられないだろう。

     *

 

電子書籍というものがある。言葉では知っているが、どんなものかは知らない人が多い。この国における電子書籍の普及は、現時点では勢いがそがれた格好になっている。

やがて認知度が高まり、いずれは社会が受け入れるようになるだとうと、私は期待している。

     *

電子書籍に関して、よく言われることを以下に箇条書きにしてみよう。

・書き手と読み手のあいだが限りなく狭まる。これは、出版界や印刷業界にとっては悪夢であるに違いない。死活問題だからだ。

・上述の「小説家になろう」的な文学の楽しみ方が増える。意地の悪い言い方をするなら、次のようになるだろう。書き手と読み手の双方が素人同士である形態の文学と市場が生まれる。つまり、校正者や編集者が行ってきた作業がなくなる。その結果、玉石混交状態となり、クオリティの低い作品が多数出回るようになる。

・書き言葉の乱れ・質の低下(悪く言えば)と、多様化・豊かさの向上(良く言えば)に拍車がかかる。ひいては、話し言葉にも変化をおよぼす。


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以上述べた、新しい文章と新しい文学の形について、もっと知りたい方のために電子書籍化されたエッセイを紹介いたします。私が書いたものです。

その電子書籍のタイトルは『空前の「純文学」ブーム』 で、パブーというサイトにて無料で読めます。


2011-05-02 記







2.ライトノベルと識字率

【赤川次郎は偉大な作家だった。彼の小説だけを読みふけって読み書きを覚えた、かつての少年少女たちをたくさん知っている。落ちこぼれだと指をさされた生徒たちも多かった。赤川次郎は、この国の識字率を引き上げた。 現在は、いわゆるライトノベルとブログと携帯メールが識字率向上に貢献している。】

以上の文章は、今年の4月6日にツイートしたものだ。
http://twitter.com/#!/renhoshino7 

面白いと言ってくれた人がいたので、調子に乗ってミクシィの「つぶやき」にも同じ文を載せた。

読むと、最後のセンテンスに加筆したくなる。次のように変更したい。

【現在は、いわゆるライトノベル、ケータイ小説、ブログ、電子メール、そして携帯メールが識字率の向上に貢献している。】

ある知人が、冒頭のツイートを読み、「面白い冗談だね」と言ったのには、驚いた。私は、冗談で冒頭のツイートを流したのではない。本心をつぶやいたまでだ。

ちなみに、書き換えたセンテンスにケータイ小説を付けくわえたのは、私がケータイ小説を強く支持しているからだ。

電子書籍の作成と販売サービスを提供している「パブー 」というサイトに、 「私のページ 」があり、そこに 『空前の「純文学」ブーム』 というエッセイを収めているので、興味のある方にお読みいただきたい。

そのエッセイのなかで、私はケータイ小説を擁護している格好になっている。

     *

今、唯川恵さんの『肩ごしの恋人』(集英社文庫)を読んでいる。
まだ半分ほどしか読んでいないが、小説の仕組みとしてさまざまな工夫があり、作家志望の私にとっては大いに勉強になる。内容も面白い。

唯川さんは、中高生から20歳くらいをターゲットにした小説を長く書いていたらしい。

グーグルで検索し、唯川恵さんの経歴などを読んでいると、『肩ごしの恋人』の中で、なるほどと思える個所がいくつかある。

それは大きなテーマなので、いつかこのブログで取りあげてみたい。

先ほど述べた「中高生から20歳くらいをターゲットにした小説」は、現在、「ライトノベル」と呼ばれている小説と重なる部分が多いと、私は理解している。

冒頭の文章で触れた、赤川次郎さんにも、そうしたジャンルに入るとみなされる作品が数多くある。

ジャンル分けという作業は、はしたない行為になりやすい。分類は差別と重なる部分が多いことを確認しておこう。
分けることと並行して、好き嫌いや序列や優劣が生じやすいからだ。

「ライトノベル」がいい例だ。

とはいうものの、なぜ、今、私が唯川さんの『肩ごしの恋人』を読んでいるのかと言うと、直木賞受賞作であるからだ。
はしたない動機だと思う。恥ずかしい。

いずれにせよ、せっかく読み始めた本だ。

そろそろ読書に入ろう。


(2011-05-02 22記)







3.書評:『きらきらひかる』江國香織著

江國香織さんの『きらきらひかる』(新潮文庫)を読んだ。

いきなりではあるが、話を変えよう。

2人の男性がいるとする。その2人が性行為をする。

以上の単純な出来事に肉付けし1編の小説にするなら、ゲイ、ホモ、同性愛者、オカマといった一連の言葉を多用することができるろう。

また、そうした言葉にこびり付いたイメージに沿ってストーリーを展開することも可能だろう。

そんな小説があれば、私は杜撰(ずさん)で安易な作品だと思う。

     *

たとえば、

彼はゲイだ

という発言や、

ゲイはゲイらしく行動する

という考えや発想も、杜撰で安易だと思う。

「ゲイ」とは言葉でありレッテルだ。その言葉が具体的にどんな人物を指すのかは曖昧だが、ある程度の共通したイメージがあるだろう。

つまり、「ゲイという言葉」をめぐっては、人びとがおびただしい数のイメージをいだいている。しかも、そのイメージは刻々と変化する。

そのイメージをとらえようとすれば、文化、言語、時、場所、状況、生まれてからの体験といった要因も考慮しなければならない。

イメージがそれほどとりとめのないものであるなら、言葉でありレッテルでもある「ゲイ」を一般化することは、言葉ではできても、現実というレベルでは不可能だろう。

     *

話がまた飛んで恐縮だが、神仏を論じることも杜撰で安易な行為にならざるを得ない。

「神」とは何か? と問われれば、「口癖です」と私は答えることにしている。

詳しく言えば、次のようになる。

ヒトという種は、どういうわけか言葉を獲得してしまった。それ以来、ヒトは、身のまわりの物、事、様、動きだけでなく、森羅万象、そして自分の頭に浮かんだものにさえ「名前=言葉=レッテル」をくっ付ける習性を得るようになった。その「名前=言葉=レッテル」の1つが、たとえば「神」である。

要するに、

神とは、ヒトという種に固有の口癖である。

さらに短くすれば、

神とはヒトの口癖である。

したがって、私は神については、以上のように言うことにしている。
「言う」という「動作=動き=動詞」も「名前=名詞=言葉=レッテル」であるのは言うまでもない。

さらに言うなら、真理や愛も、考えるや感じるも、海や山も、女や男も、信じるや祈るも、言語や貨幣も、モーツァルトやニーチェも、ハリー・ポッターやポケモンも、レッテルであり、レッテルとして流通する、ヒトの口癖である。

以上のような発言や考えは、世間では「屁理屈」や「でたらめ」と呼ばれ、歓迎されない。

     *

話を戻そう。

江國香織さんの『きらきらひかる』では、「ホモ」と「おとこおんな」という言葉が出てくる。

この2つの言葉は、この小説のストーリー進行を促すためや、小説内の出来事の説明としては使われていない。つまり、

レッテルに安易に寄りかかって語られている小説ではない

ということだ。

そのスタンスに、私は共感を覚えた。

逆に「ゲイ」という確固とした属性や生物学的実体があり、「ゲイはゲイらしく行動する」という考え方には抵抗と疑問を覚える。だから、

ゲイとはヒトの口癖である。

そんな気がする。

日常会話のレベルなら、「ゲイ」という言葉と、「ゲイはゲイらしく行動する」という紋切型の考え方はほとんど抵抗なく流通していると思われる。詮索や議論をしなければの話だが。

しかし小説であれば、ゲイという紋切型の通念に依存するのは、あまりにも芸がなさすぎはしないだろうか。

人とは多面的な存在ではないだろうか。

     *

ゲイというレッテルを他人から貼られる人たちがいる一方で、自分はゲイだと胸を張って言い、ゲイらしく行動しようとしている人たちもいるだろう。

前者は、嫌々ながらゲイというレッテルを貼られるのかもしれない。後者は、ゲイという言葉とそのイメージまたは通念に、自分自身を当てはめようと努力することもあるだろう。なぜなら、救いと連帯感を得られるのだから。

後者の場合には、「ゲイ」だけはではなく「オネエさん」、「オネエ言葉」、「オネエキャラ」――「ゲイ」と「オネエさん」が100%一致するというわけではないが――という言葉やイメージを利用してマスメディアに登場し、一生懸命になっているように見える人たちもいる。なぜなら、臨時的な副収入を得る絶好のチャンスだから。

また、自分を非当事者(ノンケとも言う)とみなしている人たちが、便宜的に「ゲイ」や「オネエさん」という言葉を、そのイメージにそって使う場合も多々あるに違いない。

    *

要するに、誰もが、「ゲイ」(「ホモ」、「同性愛者」、「オカマ」でもいい)という言葉とそのイメージを用いている。

なぜだろう?

楽だからだ。

彼(or私)はゲイだ。ゲイはゲイらしく行動する。文句あっか?

いう感じである。

ゲイというレッテルがすんなりと流通しているのは、それが楽だからだ。

頭を使ったり、悩んだり、「言葉にしにくい何か」に真っ向から立ち向かい苦労する必要がないからだ。

それは、それでいい。だが、文学の場合には、世間で流通しているレッテルに頼ることは杜撰であり怠慢だ、と主張する人たちがいても意外ではない。一方で、レッテルを積極的に利用する作家が大半を占めていても、これまた意外ではない。

今述べたことは、作家や作品の優劣や巧拙や良し悪しを論じているわけではない。人それぞれだ、と言うのと同様に、書き手それぞれだと言えよう。

     *

一般的なレベルでのレッテルについて考えてみよう。

レッテルを貼ることは安易で楽な行為だ。レッテルを自分に貼ることで、苦しい自分探しにピリオドを打てるのならば、精神衛生上そんないいことはない。

ヒトという種は、「言葉=レッテル」なしには生きられないと言えそうだ。

言葉が大好き。言葉がなくては生きられない。NO WORDS, NO LIFE.

当然過ぎるくらい当然だ。

それはそれでいいだろう。

     *

本題に戻ろう。

『きらきらひかる』は、これまで述べてきた「レッテル貼り」という作業とは、かなり離れた言葉でつづられている。

つまり、安易ではない。

ある種のセクシュアリティを土台とする作品をめぐって口に出されるであろう、さまざまな言葉たちから遠く離れようとする、この作品を構成する言葉たちとストーリー展開――。

この作品について宣伝したり、語ったり、説明したり、感想を述べるさいに、用いられるに違いないレッテルへの抵抗――。

各人の一面だけを強調するのはなく、その多面性をつづろうとする言葉たち――。

安易なレッテル貼りに逆らおうとするこのスリリングな作品の放つ力に、私はすがすがしさを覚えた。

 

2011-05-03 記







4.神とはヒトの口癖である(前編)

哲学は好きですが、議論は苦手です。ですから、哲学的議論には加わらないように努めています。

 

今、苦手という言葉を選びましたが、婉曲的な言い方です。「私はそういう話は苦手なんです」という具合に、逃げるときに使う言葉です。

 

この文章は哲学について論争をしかける目的で書かれてはいません。「苦手」などと遠慮せずに、「大嫌い」とか「虫酸が走る」とか「馬鹿馬鹿しい」とか「不毛だ」と書いてもいいのですが、読む人が何を考えるかはわからないので、抑えた表現にしておきます。

 

あるブログ記事に、次のようなことを書いたことがあります。長いですが加筆したうえで引用します。

 

     *

 

「神」とは何か?」と問われれば、「口癖です」と私は答えることにしている。

 
詳しく言えば、次のようになる。

 
ヒトという種は、どういうわけか言葉を獲得してしまった。 それ以来、ヒトは、身のまわりの物、事、様、動きだけでなく、森羅万象、そして自分の頭に浮かんだものにさえ「名前=言葉=レッテル」をくっ付ける習性を得るようになった。


 その「名前=言葉=レッテル」の1つが、たとえば「神」である。

 
要するに、


 *神とは、ヒトという種に固有の口癖である。

 
さらに短くすれば、

 
*神とはヒトの口癖である。

 
したがって、私は神については、以上のように「言う」ことにしている。

       *

 
「言う」という「動作=動き=動詞」も「名前=名詞=言葉=レッテル」であるのは言うまでもない。品詞という名の、言葉の「管理=整理=つじつま合わせ=こじつけ=官僚的手さばき=苦しいギャグ」の仕方は、どの言語においても、「矛盾・例外・牽強付会」に満ちている。  

そもそも「文法」=「文+法」という「言葉 or もの」は、字義どおりの機能・役割を果たしておらず、「(ダムや箱物のように)つくってしまったのだから、仕方がない」=「(掟や法や教義や預言や計画のように)いったん決めたのだから反対する者は腕ずくでつぶす」=「(役人のように)前例を踏襲するだけ」=「事なかれ主義」=「いつまでたっても支払われている公務員の〇〇手当て」状態にある。

  「正書法・国文法・国語教育」によって、書き言葉を「監視・整理・がんじがらめに」しようとしても、書き言葉の「現状=移り変わり」を完全に抑えることはできない。  

話し言葉については、「年齢・性別・世代・地域・ITの発達・共同体の解体」といった諸要因が、「乱れ=変貌=秩序の崩壊=進化=言語である以上不可避な変化」を生み、さらに助長させていることは、誰もが体験しているはずだ。

       *  

話を戻そう。  

>*神とは、ヒトという種に固有の口癖である。

>さらに短くすれば、

>*神とはヒトの口癖である。   の続き――。

蛇足ながら、真理や愛も、考えるや感じるも、海や山も、痛いや気持ちいいも、女や男も、信じるや祈るも、「あっはあ~」や「うっふ~ん」も、言語や貨幣も、「逃げろー」や「とまれー」も、モーツァルトやニーチェも、ハリー・ポッターやポケモンも、きれいも汚いも、馬鹿や阿呆もレッテルであり、レッテルとして流通する、ヒトの口癖である。

 レッテルには、ぺらぺらの紙と同じく貼りやすいしはがしやすい、また、かつらのようにずれやすいしどこか不自然だ、という特徴がある。そう、不自然なのである。  

自然  

この星の自然界に生息するおびただしい数の生物の存在を念頭におけば、  

*ヒトの口癖は、ヒトにしか通じない。  

ことは言うまでもない。当たり前すぎるくらいの当り前だ。したがって、  

*神とはヒトの口癖である。  

と「言って」も、

*当たり前すぎるくらい当たり前

なのである。

*不自然すぎるくらい不自然だ

と「言って」もいいような
気もする。なぜなら、

*ヒトにとっての当り前は、自然界では不自然であり、重大なルール違反である。

という思いがあるからだ。


以上のような発言や考えは、世間では「屁理屈」や「でたらめ」や「妄言」と呼ばれ、歓迎されない。

 

(ここまでが加筆した抜粋です。)

 

     *

 

2年ほど前に、約1年をかけてブログ記事を書き続けました。ブログにしては長い文章を、ほぼ毎日書きつづったのです。

 

記事のバックアップがあったので、いろいろな形で再利用し、最終的には電子書籍化しました。タイトルは、『うつせみのあなたに 第1巻』~『うつせみのあなたに 第11巻』です。

 

そのとてつもなく長い哲学的エッセイ集のメインテーマは、

 

*「何か」の代わりに「その何かではないもの」を使う。つまり代用する。

 

というシンプルなものです。

 

たとえば、言葉は、何らかの「もの・こと・さま」の代用として、ヒトが用いるものだと言えそうです。

 

お金もそうです。何らかの「もの・こと・サービス・価値」の代用物でしょう。

 

そうした代用物を例に挙げて、いろいろなことを書きました。

 

     *

代用という操作・作業については、延々と述べることができるだろうと思います。でも、疲れ果ててしまったので、

 

*「何か」の代わりに「その何かではないもの」を使う。つまり代用する。

 

について、論じることはやめました。その結果として、全部で11巻になる『うつせみのあなたに』という名の電子書籍が生まれました。

 

     *

 

皆さんが、今お読みになっているこの文章というかエッセイでは

 

*神とはヒトの口癖である。

 

をめぐって思いつくままに書いてみるつもりです。

 

私は即興的に文章を書く癖があるので、これから先にどんなことを書くか、はっきりしていません。ぼんやりとした見通しはありますけど。

 

おおまかに要約すれば、さきほどの引用とあまり変わらない文章になるでしょう。

 

「口癖」という言葉を「くちぐぜ=くちくせ」、あるいは「口・癖」と書くと、

*「癖」

という言葉に目が行きます。すごく気になります。もちろん、私の場合ですが。

 

     *

 

*くせ・癖・曲

 

と分けることも可能でしょう。「分ける」という作業もまた、ヒトにとって基本的な行為です。

 

「くせ」は、大まかに2つに「分ける」ことができるような気がします。

 

(A)ほとんど無意識におこなうくせ=本能的行動

 

(B)真似て身に付けるくせ=学習された行動

 

うさんくさいですね。嘘っぽいですね。よく目にする図式ですね。どこかで見聞きした記憶をたどって書いた本人がそう思います。でも、話を簡単にするためには「分ける」という、きわめてうさんくさい作業をしなければならないようです。

 

そのうさんくささの元凶は、

 

*ヒトは分けなくては言葉とそれが指し示すと思い込んでいる物・事・様とを認識できない。

 

もう少し正確に言うと、

 

*ヒトは森羅万象を分けることなしに、森羅万象の断片あるいはその代理を認識できない。

 

ことにあるみたいです。

 

どうして分けるのでしょうね? 誰かに頼まれて分けているのでもなさそうです。

 

たぶん、

 

*ヒトは自分が「小さい=矮小だ」から分ける。

 

か、

 

*ヒトは自分の身のたけに合わせて森羅万象を対象とする。

 

のだと勝手に思っています。

 

     *

 

先に触れた『うつせみのあなたに』のなかには、

 

*くせ・癖・曲

 

にこだわった文章があります。そのさいには、

 

*経路

 

や、

 

*回路

 

という言葉も使いました。

 

要するに、ヒトに備わった「筋道・ルール・文法・パターン」みたいなものです。

 

その経路は、ヒトが認識している場合もあれば、無意識である場合もある、と言えそうです。

(後編につづく) 










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