目次
もくじ
もくじ
1.新しい文学の形と新しい文章
1.新しい文学の形と新しい文章
2.ライトノベルと識字率
2.ライトノベルと識字率
3.書評:『きらきらひかる』江國香織著
3.書評:『きらきらひかる』江國香織著
4.神とはヒトの口癖である (前編・後編)
4.神とはヒトの口癖である(前編)
4.神とはヒトの口癖である(後編)
5.再現とは、でっちあげること (全5章)
再現とは、でっちあげること (1)
再現とは、でっちあげること (2)
再現とは、でっちあげること (3)
再現とは、でっちあげること (4)
再現とは、でっちあげること (5)
6.ブリコラージュ状思考態って何ですか?
6.ブリコラージュ状思考態って何ですか?
7.「作家デビュー」
7.「作家デビュー」
8.なぜ、江國香織さんなのか?
8.なぜ、江國香織さんなのか?
9.小説か、エッセイか?
9.小説か、エッセイか?
10.書き手の孤独
10.書き手の孤独
11.江國香織さんと夏目漱石
11.江國香織さんと夏目漱石
12.読まなきゃあ、詠めない
12.読まなきゃあ、詠めない
13.短命に終わったブログの復元
13.短命に終わったブログの復元
奥付
奥付

閉じる


<<最初から読む

16 / 20ページ

10.書き手の孤独

2012-08-11 20:02:08
テーマ:小説を書くことについて


   小説を書くという作業は、絶対的な孤独のなかで無から有を産みだすことだと思う。「産みの苦しみ」という比喩的な言い方があるが、的を射た表現だ。  

 

 連日、オリンピックの映像をテレビで見ているが、選手が投げ込まれている絶対的な孤独を思うと痛々しさを覚える。個人競技だけでなく団体競技であっても、競技者一人ひとりが一回の試合や演技のなかで全責任を背負っている。    

 各選手は戦う。戦いの相手は、競技や演技の相手だけではない。自分との戦いがある。彼らは母国の人たちの視線にさらされている。とてつもなく大きな期待が重圧となって身体と心にのしかかる。    

 二重の相手に立ち向かう――。大きな声、怒鳴り声、声援、罵倒、悲鳴のなかで、最終的には自分だけに頼らなければならない。  

 

 ある日のある時刻に、戦いが始まる――。その直前までに、どれだけの時間を練習やトレーニングに費やしたのかもわからない、長い長い日々。        

     *

 話を戻そう。  

 

 書き手は、絶対的な孤独のなかで、無から有を産みだす。  

 

 新人賞をねらって原稿を書いている、無名の書き手たちが全国にいることはまちがいない。誰かに頼まれたわけでもないのに、あえて物を書いている人たちがいる。    

 なぜ、書くのか?    

 小説が好きで書く者もいるだろう。また有名になりたいがために書く者もいるだろう。お金がほしくて書く者もいるだろう。家族を養うために書く者もいるだろう。また、「書かずにはいられないものがあるから(←ほんまかいな?)」という、もっともらしい手あかのついた科白を口にする者もいるだろう。    

 スポーツ選手と、新人賞をねらう無名の書き手との間には大きな違いがある。ほとんどの書き手には、応援してくれる人たちや成功を期待してくれる人たちはいない。応援団も、支援者たちも、スポンサーもいない。    

 絶対的な孤独のなかで、自分自身と、目に見えないライバルとを相手に書く。悲壮な覚悟なしで、夢を実現することは到底できないであろう。         

     *

 夢を実現させるためなら、自分を含む凡人にとっては、書くことと読むことが趣味であってはならない。お遊びであってもならない。    

 オリンピックが終わる――。閉幕のセレモニーの華やかな喧噪を尻目に、4年後の新たな夢をめざして練習やトレーニングに励んでいる人たちがいる。数知れなくいる。これだけは確かだ。    

 数々の文学賞の授賞式がおこなわれ終わる――。その模様を報じる新聞や雑誌を食い入るように見ている人たちが、きっといる。数知れなくいるだろう。目のつかないところに。    

 さあ、今、そしてこれから毎日、あなたも私も、するべきことはわかっているはずだ。(20:01)      


【※以上のエッセイは、3日間というあまりにもの短命に終わった、Amebaブログのバックアップから再現したものです。】


11.江國香織さんと夏目漱石

2012-08-12 16:24:29
テーマ:小説を読むことについて

 

 私には江國さんと夏目漱石が似ているように思えてならない。これは、以前から持ち続けている印象だ。  「どこが? どんなふうに?」と尋ねられたとしても、きっと満足のいく回答を口にすることはできないだろう。    

 なぜなのか? 今、考えてもはっきりとした理由というか根拠が見つからないでいる。苦しまぎれに答えるなら、両作家が作品にとって余計なものを徹底的に排除するという書き方をしているから似ている――、と言うだろう。    

 そうした書き方をすると、作品のテーマと関係のないもの、つまり余計なものに読者の注意を拡散させることなく、肝心なところに集中させることができるのではないか。    

 とはいえ、江國さんの小説では肝心なところは必ずしも明確ではなく、言語化しにくい。強いて言うなら生理的と言ってもかまわないものだという感じがする。さらに言うなら、読者に生理的に迫ってくるパワフルなものだと思われる。  

 曖昧な感想で恥ずかしい限りである。      

 

     *

 

 きょうの午前に、ツイッターでタイムラインを眺めていたとき、はっとするようなツイートを目にした。誰のツイートだったかは、残念ながら思い出せないが、次のような意味の発言だった。  


>――江國香織さんの小説のリアリティのなさにはへきえきする、と友達が言った。その友達が好きな三島由紀夫の小説のリアリティはどうなのだ、と私は言い返したい気持ちになった。

      *    

 リアリティのなさ――。    

 そうなのかもしれない。いや、きっとそうだ。そうにちがいない。だが、「リアリティのなさ」をさらにネガティブに言うなら、「荒唐無稽」とか「絵空事」となる。これは小説に対する痛烈な罵倒である。そこで思い出したのが、文学史で習った図式である。    

 つまり、明治時代後期から大正時代にかけての「文壇」の主流であった「自然主義文学」と、それとは対照的な立場にあったという夏目漱石を始めとする「余裕派」が併存したという図式である。    

 漱石の作品については、私はよく知らない。ただ、『道草』を去年の暮あたりに再読した記憶がある。読んでいて息苦しい作品だった。それまでに読んだことの成る漱石の小説は、読んでいて退屈だと感じることはあっても、息苦しいと感じたことはない。  

『道草』は新潮文庫で読んだのであるが、解説は柄谷行人が書いている。そのなかに、上で述べたような文学史的な図式に触れた個所があった。  


「余裕派」とか「低回派」と批判的に呼ばれていた漱石が、当時の主流である自然主義文学の系譜につらなる私小説や心境小説に近い作品を書いたことで、「自然主義文学系の文壇から高く評価された。」と柄谷行人は書いている。

     *

 ちなみに『道草』という小説は、漱石の作品としては珍しい自伝的なもので、私小説とみなしてもかまわないほどに、漱石の伝記的な事実を踏まえて書かれていると言われている。だから、私は読んでいて息苦しさを覚えたのであろう。  


『道草』を読んでいて、もう一つ感じたことがあった。主人公である大学教師とその妻や、親戚にあたる人物たちとの関係や摩擦が描かれているのに対し、主人公の職場である大学での場面が出てこないのである。    

 作家志望の私は、『道草』のそうした書き方に興味を持った。「そうか、こういう書き方もできるのか」という具合に感心したのである。    

 このブログ記事の冒頭近くにある個所を以下に引用する。  

>両作家(江國香織と夏目漱石)が作品にとって余計なものを徹底的に排除するという書き方をしているから似ている――、と言うだろう。  

>そうした書き方をすると、作品のテーマと関係のないもの、つまり余計なものに読者の注意を拡散させることなく、肝心なところに集中させることができるのではないか。  

     *

 江國さんの小説に「リアリティのなさ」を感じて不満に思う読者は、リアリズムに徹した「読んでいて息苦しい」小説を好むのではないだろうか。あるいは「これこそが文学(小説)だ」と高く評価するのではないか。  


     *


 話を変えよう。     

 今ごろになって気づくとは、かなりうかつなことであるが、江國さんの小説と漱石の小説の類似点として、私は次の2点を学んだ。  

1)小説では、読者の注意を散らすことになる、余計な細部やテーマとは無関係なことを省くという書き方がある。  

2)読んでいて息苦しくなるような私小説的な記述を排除した書き方がある。うまく書けば多くの支持者(=読者)がつくだろう。ただし、この書き方に徹するならば、「リアリティがない」とか「絵空事である」といった非難を覚悟しなければならない。        

     *

「何を今さら――」とか、「そんなことは、別に両作家だけの書き方ではないじゃないの」とか、「あんたは、これまでに何を読んできたの?」という具合に、人から言われそうなことを、きょうの記事に書いた。    

 私は、やはり、かなり勉強不足なうえに、かなりおバカな作家志望者らしい。 (16:22)  

 

【※以上のエッセイは、3日間というあまりにもの短命に終わった、Amebaブログのバックアップから再現したものです。】



12.読まなきゃあ、詠めない

2012-08-28

10:11:28

テーマ:創作活動について

 

 1年半ほど前にアメブロで知り合った人がいる。年配の方で、小説とエッセイを書いている。物知りで謙虚な人なので、私はその人になついた犬のように、くっついて回っていた時期があった。

 その人は謎めいているところがあり、また不可解な行動もする。自己破滅的な面もあって、危うい感じの人物である。深いところで私と似ているような気がする。

 私はアメブロにあるグルっぽのなかで、作家志望者関連のグルっぽには今は参加していない。以前は複数のそうしたグルっぽに入会していた。だが、作家になれそうなたたずまいの人との出会いはなかった。そういう私も作家になれそうな活動をしていたわけではないが。

     *

 その人とは、作家志望や読書関連ではないグルっぽを通して知り合い(哲学のグルっぽだったような記憶がある)、主にメッセでやりとりをしていた。ある時、小説を読むことと書くことの関係が話題となった。小説家になるためには、どれくらいの読書量が必要なのかと私が尋ねた

 読まなきゃ、詠めない――とその人からの返事にはそう書かれていた。知的な言葉の遊びというか、半端じゃない知識の裏付けのありそうな、ひねりのあるダジャレやオヤジギャグを連発する人なので、さすがうまいなあと思った。

 基本的に何をどう書いてもいいという自由と柔軟性が、小説にはある。そんな理屈を見聞きした覚えもある。とはいえ、エンターテインメントであろうと、いわゆる「純文学」であろうと、それぞれの作品には何らかのパターン(模様・様式)と様式がある。

 正確に言うと、小説とは、その様式を各書き手が崩すことで存続しているとも言える。停滞しているようで、小説は変容し続けているのだ。

     *

 話がややこしくなりそうなので、はしょってこの記事を終わらせよう。要するに、プロの作家になるためには、豊富な読書体験が必要だということだ。

 読まなきゃ、書けない。

 造らなけりゃ、崩せない。


  【※以上の文章は、いわゆるサブアカに書いたものです。この時期には、めちゃくちゃな行動をしており、サブアカをつくってや潰すなどという「代償行動」をしていました。本日(2012/09/17)、「読まなきゃ、詠めない」というエッセイを書いたことをふと思い出し、「あれは何に書いたのか」と気になり、google で検索してキャッシュを復元したのが上記のエッセイなのです。サブアカですので、語り手の「私」はでまかせであり、「1年半ほど前にアメブロで知り合った人」なんていません。嘘です。念のため。】

 


13.短命に終わったブログの復元

※以下の文章は、2012-09-03 から 2012-09-15 という短期間に、Amebaブログに投稿された記事のバックアップを復元したものです。

『シルエット』 島本理生著・講談社文庫

2012-09-03 15:19:43
テーマ:読書記録


 私は記憶力が悪い。人の名前や顔を覚えられない。テレビのドラマや映画を見ても、その筋を思 い出すことができない。作家を志す私にとって致命的なのは、読んだ小説のあらすじを思い出し、他人に聞かせることができないことだ。  

『シルエット』には、長めの作品1編と、掌編と呼んでいいくらいの短い小説が2編収録されている。一昨日に読み終えたのだが、内容をすっかり忘れている。こんな人間が作家志望だと言うのを聞けば、人は笑うにちがいない。  

 

 今、PCの横にその文庫本がある。ぺらぺらめくっているうちに、内容を思い出す。こんな状態なので、読書感想文や書評はもちろん、レビューなど書けるわけがない。だから、私はこのアメブロに設定されているテーマを「読書記録」としている。    

 本当は「読書感想文」とか「書評」とか書きたいところだが、以上のような事情があるために「読書記録」なのである。  


     *

 ほんの少しだけだが、私には島本理生さんと「共通項」がある。私の書いた 『小品集』 という短編集に、 『たぶん面白半分』という掌編が収録されている。その小品の追記を以下に引用する。  

【※この作品は、現在は休刊中の文芸誌「鳩よ!」(マガジンハウス)主催の掌編小説コンクール第1期の第二回「今月の当選作」となった小品に加筆したものです。   
 作家の島本理生さんは、『ヨル』という作品でこのコンクールの第2期10月号の当選者となり、年間MVPを受賞しました。15歳での快挙です。   
 私のこの作品は、第1期の年間MVPの候補2作に残りながら、受賞を逃しました。   
 当時は、複数の文芸誌主催の新人賞に何度も応募していた時期でした。すばる文学賞の最終候補5作に残り落選した時に、私は作家デビューに最も近いところにいたのではないか。今になって、そう思います。】    

 我ながら未練がましい文章だ。正直に言うと、島本さんの作品を読むたびに、うらやましいなあ、と嘆くのである。 

 はあ(←ため息です)。        

     *

 なんだか自虐的な気持ちが高まってきたので、もう1つ未練たらしい文章を引用させていただく。  

 と思ったが、現在でも文学界のみならず政界で隠然たる、いや顕然たる力をお持ちの、さるお方が出てくるので、当該のブログ記事のタイトルとURLだけを記すにとどめる。該当する個所はご自分で探していただきたい。

  「09.01.16 あなたなら、どうしますか?」   

 はあ(←ため息です)。          


     *

 島本理生さんの作品で読んだことのあるのは、『ナラタージュ』、『リトル・バイ・リトル』、『生まれる森』だ。島本さんが若くしてデビューした作家であることは、知っていたが、『シルエット』を読んで、その著者プロフィールに目を通し、この作品が文芸誌「群像」の新人文学賞優秀作だと知った。    

 意外だった。というのも、「群像」は前衛的な作風の小説に賞を与える文芸誌だと思い込んでいたからだ。『シルエット』は、オーソドックスな作品で、前衛的でもなければ、奇をてらった書き方をしているわけでもない。思い込みというのはよくないと反省している。    

 私はある出版社主催の文学賞に応募する小説を書いている。複数ある文学賞別に、傾向と対策みたいなものが書かれている本がある。「公募ガイド」という雑誌にも、そうした特集記事が掲載されることがある。    

 その種の本や雑誌に目を通し、「群像」の新人賞では前衛的な作風の小説を受賞作にするという、思い込みをいだいてしまったらしい。    

 お恥ずかしい限りである。    

 ところで、その手の傾向と対策を読み、それに沿った作品を書くなどということに有効性があるのだろうか。    

 今後、私は傾向と対策を無視する気持ちでいる。信念があってそう思っているのではない。うさんくささを感じるのと、そんな「芸当」をするのを面倒に思うからである。        

     *

 ん? ちょっと待てよ。やっぱり傾向と対策は必要だ、とたった今思った。    

 あの時、あの文芸誌の、あの賞に、よりによってあの人が選考委員だったのに、よりによってあのような、いかにもあの人がお好きではないテーマの作品を応募するとは、無知のきわみではなかったか――。    

 はあ(←ため息です)。    

 あの時、私はバカだった。
 

 追記 : 申し訳ありません。ひとりよがりな文章を書いてしまいました。私がいかにバカだったことを知っていただくためには、実はもう1編の掌編を読んでいただく必要があるのです。以下の小品にざっと目を通し、最後にある追記をお読み願います。そうすれば、上述の「いかにもあの人がお好きではないテーマの作品」の意味が、お分かりになると思います。どうやら、今も私はバカなようです。はあ。  

 『街の天使』  http://p.booklog.jp/book/14426/page/163232  

 
*****************************************

『ママがプールを洗う日』 ピーター・キャメロン著・山際淳司訳・ちくま文庫

2012-09-04 14:05:21
テーマ:読書記録

 『ママがプールを洗う日』は短編集で、同名の短編が冒頭にある。おそらく私がいちばん好きな短編のベスト3に入るだろう。    

 何度読んだだろう。20回以上は読んだ気がする。現実と回想が交錯する文体がここちよい。思うに、山際淳司さんの文章と原作との相性が抜群に良かったにちがいない。単に好みの問題だと言われれば返す言葉はないが。  

 故山際淳司さんの文章が好きで文庫本を何冊か持っている。シンプルで無駄がなく、からっとした抒情の感じられる文体が好きだ。売れっ子のノンフィクションライターだった人だから、手間のかかる翻訳は下訳と呼ばれる人の手になるものだと推察される。とはいうものの、最終的なチェックの段階で、山際さんがかなりの加筆をおこなったと信じたい。

     *

 この短編集が好きでたまらないので原著(タイトルは、One Way or Another )を入手した。逐語訳をするように一語一句比較対照したわけではないが、原文もすっきりとした英語で書かれていた。暗くなりがちな話を、からりとした文体で書いているところが好きだ。    

 山際さんはキャメロンが相当お好きだったようで、Leap Year (邦題『うるう年の恋人たち』筑摩書房刊)と、The Weekend (邦題『ウィークエンド』筑摩書房刊)を翻訳なさっている。Leap Year も原書と邦訳を手に入れたが、残念ながら2冊とも我が家の押し入れで眠っている。私が出版翻訳の業界に進もうとしていたころの名残だ。

     *

 話を『ママがプールを洗う日』に戻そう。    

 一人称である「僕」が淡々と語っている形式をとっている。登場人物は、母親と義父と「僕」、そして回想に出てくる実父の4人。義父が「僕」の兄弟に見られるほど若いという点が面白い。私は作家志望だからこういう設定に敏感に反応する。    

 原題は Memorial Day (戦没者追悼記念日)で、英和辞典を引くと5月の最後の月曜日とある。その日に、「僕」の母親がゴムボートに乗り、プールの全壁面を、洗剤を付けたブラシでこすり、きれいにする習慣があることが語られる。    

 筋を追って書くのが苦手なので、私の書きたいことだけを書かせていただく。     

     *

 おそらく両親の離婚と、母の再婚が理由で、「僕」は言葉を話さなくなっている。学校では、よくしゃべると書かれているので、トラウマをかかえているといった心因的な病状ではないらしい。この設定も好きだ。    

 話さなくなった「僕」と母親だけのラストのシーンがたまらなくいい。読むたびに余韻にひたり、鳥肌がたつほどの切なさを覚える。

     *

 この短編集に収められている『「白鳥の湖」からの抜粋』も好きだ。フィクションとはいえ、作者のセクシュアリティがほのめかされているような気がする(事実そうなのだが)。お薦めします。  

*****************************************

小説の書き方


2012-09-05 09:40:17
テーマ:創作について

 ここAmebaで、作家志望の人たちの集まるグルっぽに参加していたことがあります。参加していても、何も活動できないでいる人たちが多い、あるいは大多数を占めていると思いました。確かにテーマ別のスレッドがあり、そこに書き込みがあるのですが、いまいち元気というか活気がないのです。  

 

 そこで、ブログのトップページにある、各メンバーさんのブログを次々に訪問してみました。ジャンルはもとより、執筆の仕方がいろいろあって、とても参考になりました。気がついた点と私見を以下に挙げます。       

     *

 

 1)ブログで連載をしている人が多い。    

 これには驚きました。勉強不足で力不足な私には、連載なんて到底できないからです。あるブログに作者のメモみたいなものがあって、そのなかで「次回はどうしよう?」といった言葉があって、さらに驚いたことがあります。もし私が連載をするとしたら、一応作品を完成した後に、章や話(エピソード)を載せていくでしょう。  

2)自由奔放な書き方をしている。    

 ネット上に文章を載せる際には、PCのモニターやスマートフォンや携帯で読まれることを想定し、読みやすくする必要があります。その結果として、改行や行間を空けることが頻繁におこなわれるようになっているのだと思います。私自身も見よう見まねで、そうした「すかすかした」レイアウトを採用しています。  

     *

 

 他にも気づいた点がありますが、以上の2点について、さらに思うことを述べます。  

 上の1)と関連することなのですが、私は「物を語る」ことが苦手です。予めあらすじを書いたり、頭のなかにあらすじをとどめた状態で執筆することができません。それでは何も書けないじゃないか――と言われそうです。  

 では、どのように書くのかと言えば、メモ用紙にシーン(場面・状況)を思いつくままにペンで次々と書いていきます。あくまでペンで書きます。ワープロやテキスト文書だと、バラバラの状態にあるメモ全体を眺められないからです。PCのモニターをスクロールして眺めても全体が見えてきません。    

 それがある程度溜まってきたところで、PCに向かい、メモ用紙をトランプのようにぺらぺらめくり、目に付いたものを抜き出したり、カルタのように床に並べることもあります。それを読みながらというか見ながら、PCのワープロで草稿を書きます。    

 つまり、メモ用紙に書かれた短い文や言葉の切れ端を、組み合わせたり、織り上げていくのです。パッチワークをイメージしていただくと、わかりやすいかもしれません。そのうちに、全体の筋やテーマや流れが見えてきます。  

     *

 そんなわけですから、草稿はごちゃごちゃしていたり、前後の辻つまが合わない、断片的なものになります。    

 ところで、私は江國香織さんに私淑しています。「私淑(ししゅく)」なんてあまり使わない言葉ですね。一生のうちに、この言葉を知ることなくお亡くなりになる方々も多いかと思います。    

 簡単に言えば、「私淑」とは、勝手に誰かを師とあおぎ精進することのようです。    

 小説の書き方の1つに、現実と回想と空想を意識的に織り上げていく文体があります。下手をすると、読者が混乱する書き方ですね。たとえば、ミステリだったら、そんなごちゃごちゃした文章を最後まで読んでくれる人は、まずいないでしょう。  

     *

 現実と回想と空想を別個に書き、読者が混乱しないようにするのが、良き作家と言えるでしょう。というか、どの作家も何らかの形で、その3つの部分を自分なりの方法で処理するわけです。  

 江國香織さんは、3つの部分を、たとえば1ページのなかで交差するように書くことがあります。ある程度、じっくり読まないと混乱するでしょう。その「じっくりと読む」ことが好きな読者には、たまらない魅惑的な文章である――。そう言ってかまわないと思います。  

 私が江國さんに私淑するのは、江國さんが今述べた書き方の名手だからなのです。この種の書き方の名人は他にもいますが、江國さんの描く「世界」にも共感をおぼえるので、江國さんを尊敬しています。

     *

 冒頭近くに挙げた、2)についてはあれ以上書きたいことはありません。こうした行き当たりばったりな書き方が私の悪癖です。ごめんなさい。  

 きょうはこれから、山田詠美さんの『蝶々の纏足・風葬の教室』(新潮文庫)を読む予定です。私の場合には、読書をしながらいろいろなことが頭に浮かぶので、本だけでなくメモ用紙とペンも用意します。あ、ボールペンのインクが出ません。家のなかを歩きまわって、別のペンを探してきます。  

*****************************************

尊敬する作家たち

2012-09-13 16:37:05
テーマ:読書記録

※ある作業をしていて、尊敬する作家たちのリストをつくりました。名前だけでなく、短いコメントを添えました。  

【※順不同・敬称略】  

紫式部 :  
この書き手によるという『源氏物語』に勝る長編を書いている人は、現在の日本にいるでしょうか。  

トルーマン・カポーティ :  
現実、回想、空想、の混在した短編は、作家志望者として大いに参考になります。  

川端康成 : 『眠れる美女』と『禽獣』は、前者が10回くらい、後者は20回ほど読みました。  

江國香織 :
現実、回想、空想、の混在した作品が好きです。この人の描く独特のリアリティに、はまりました。  

嶽本野ばら :
ある女性に薦められて『ミシン』、『エミリー』、『ツインズ』を読みました。絶対に読めないだろうという先入観が消えました。自分のなかに思いもしなかったものがあることを知りました。  

夏目漱石 :
評価や好きな作品については人それぞれでしょう。私の場合には、主要な人物に集中させて書きながら、多数のその他の人物を処理する――という、その手さばきに注目しながら読みます。生理的および身体的な描写にも学ぶところが多い作家です。  

山田詠美 :
よく言われる「文章=作家」という図式を信じたくなる書き手です。その洞察力には、ちょっと怖い感じもします。  

島本理生 :
「清楚」という言葉で形容したくなる書き手です。そのままでいてほしいという気持ちと、そろそろ化けてほしい気持のあいだで揺れます。  

宮部みゆき :
さまざまなジャンルの作品を書けるところがすごい。『火車』の文体は完璧だと思います。  

江戸川乱歩 :
難しい言葉を使わないで、生理的にぞくっとする内容を表現している点がすごい。あの文体が欲しい――とまで思わせる作家です。  

東野圭吾 :
後期、つまり最近書いている作品は、以前にくらべて深みを増したと思います。単なるミステリー作家では断じてない。  

アン・ビーティ :
ストーリーよりシチュエーションを重視した書き方をしている、と自ら主張している米国の作家です。ストーリーで引っ張る書き方が苦手な私は、多くをこの作家から学びました。  

中山可穂 :
すざまじい愛の形を描いています。マイノリティの読み物作家ではなく、普遍的な愛を追求しています。もっと評価されていい作家だと思います。  

桐野夏生 :
独特のテーマ展開をする書き手なので、勉強になります。一般的な定義のミステリとは言えない境地をきりひらいでいるスタンスはかっこいいと思います。  

マルグリット・デュラス :
『愛人(ラマン)』と『モデラート・カンタービレ』だけしか読んでいませんが、前者はかなり好きな作品です。  

重松清 :
この作家の作品のキャッチフレーズや書評に「家族小説」という言葉がよく出てきますが、確かにそのジャンルの名手だと思います。  

村上龍 :
初期の作品が好きです。とりわけ好きなのが『コインロッカー・ベイビーズ』です。『トパーズ』、『イビサ』、『ニューヨーク・シティ・マラソン』をお薦めします。  

吉田修一:
着実に力をつけてきている作家だと思います。土臭い作品と都会的な作品の2つの系列がありますが、両方とも興味深く読んでいます。  

スティーヴン・キング :
これまでの全作品のうち、3分の2は読んだと思います。全体のストーリーよりも細部が面白い作家です。日本では訳者に恵まれていない気もします。  

清少納言 :
『枕草子』は、どこから読んでもかまわない点が好きです。物の見方にも、共感する部分が多い書き手です。

*****************************************

独特のリアリティ

2012-09-14 09:28:37
テーマ:創作について

 小説を読むのが好きだが、その好みは朝と晩で、あるいは日によって、または週、月、季節、年によって微妙に変化する。情緒が不安定だからだろうか。  

 2012年9月14日午前の現時点で特に好きな作家は、江國香織さん、山田詠美さん、島本理生さんだ。やはり、その「好きな」は、多分に感情や気分に左右される気がする。要するに不安定なのだ。私だけなのだろうか。気になるところだ。  

 ほかにも好きな作家がいるが、ほとんどが女性である。私は男性だが、実は男性作家が大の苦手なのある。  

なぜなのか。  

 その理由を説明すると、かなり長文になりそうなので、きょうはやめておく。いつか小説の形で、ある男性が重度の男性恐怖症と性嫌悪に陥った経緯と事情を書いてみるつもりでいる。      

     *

 冒頭に挙げた女性作家のうちで、今一番好きなのは江國香織である。  

 とりわけ江國香織さんの描く「独特のリアリティ」に引かれる。そう書きながら、「独特の」という言葉と「リアリティ」という語がをくっつけることに、若干の違和感を覚える。  

「独特の」には「狭める」ニュアンスがある。一方、「リアリティ」には、多くの人たちに共有されているという意味での「広がる」ニュアンスを覚える。  

 その結果として、江國さんのファンには同じ作品を繰り返して読む人たちが多いという現象が起きている。そのように理解している。     

     *

 やや、読みにくいけど、素敵――。  

 何だか不思議な作品だったけど、この人の書いた別の小説を読みたい――。  

 何だったの? 今読んだ小説は。読んでいて気持ちよかったから、もう一度読んでみよう――。  

 こんな素敵な男性なんているはずないけど、全体の雰囲気がたまらなく好き――。  

 以上のように読まれている気がする。もちろん、好意的な印象を持たない読者もいる。いないはずがない。  

     *

「独特のリアリティ」という評を悪く解釈すれば、「現実味がとぼしい」とか、「荒唐無稽だ」という評価になるにちがいない。実際、そう言われるのを聞いたことがある。  

 とんでもない。余計なおせっかいだ。  

 私は江國さんの「独特のリアリティ」を支持する。  

 理由?  

 作品への愛に対し、野暮な詮索やもっともらしい分析はやめようではないか。ただ、1つ言えるのは、どの作品も「フィクション=つくり話=現実のコピーではないもの」だという、ごく当たり前の事実だ。  

 むずむずしてきたので、もう1つ指摘したい。本屋を思い浮かべてもらいたい。江國さんの小説に限らず、あらゆる作品は商品でもある。しかし、ある作品をあえて購入する人にとって、その作品は単なる商品ではない。  

 どの作品も、夢を包んだ小箱なのだ。

 再度言おう。その夢が、現(うつつ・リアリティ)のコピー(うつし)ではないことは言うまでもない。  

 ※以上のブログ記事は、9月9日にいわゆる「サブアカ」に書いたものです。若干加筆をしました。なお、そのサブアカは削除しました。さらに白状します。前回の記事の冒頭に書いた「ある作業」とは、サブアカつくりだったのです。ちなみに、現在サブアカはありません。 全部、退会・削除しました。

 

 



 


奥付



うつせみのな ―ブログ記事集―


http://p.booklog.jp/book/25569


著者 : 星野廉
著者プロフィール:http://p.booklog.jp/users/renhoshino77/profile


感想はこちらのコメントへ
http://p.booklog.jp/book/25569

ブクログのパブー本棚へ入れる
http://booklog.jp/puboo/book/25569



電子書籍プラットフォーム : ブクログのパブー(http://p.booklog.jp/
運営会社:株式会社paperboy&co.



この本の内容は以上です。


読者登録

星野廉さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について