目次
もくじ
もくじ
1.新しい文学の形と新しい文章
1.新しい文学の形と新しい文章
2.ライトノベルと識字率
2.ライトノベルと識字率
3.書評:『きらきらひかる』江國香織著
3.書評:『きらきらひかる』江國香織著
4.神とはヒトの口癖である (前編・後編)
4.神とはヒトの口癖である(前編)
4.神とはヒトの口癖である(後編)
5.再現とは、でっちあげること (全5章)
再現とは、でっちあげること (1)
再現とは、でっちあげること (2)
再現とは、でっちあげること (3)
再現とは、でっちあげること (4)
再現とは、でっちあげること (5)
6.ブリコラージュ状思考態って何ですか?
6.ブリコラージュ状思考態って何ですか?
7.「作家デビュー」
7.「作家デビュー」
8.なぜ、江國香織さんなのか?
8.なぜ、江國香織さんなのか?
9.小説か、エッセイか?
9.小説か、エッセイか?
10.書き手の孤独
10.書き手の孤独
11.江國香織さんと夏目漱石
11.江國香織さんと夏目漱石
12.読まなきゃあ、詠めない
12.読まなきゃあ、詠めない
13.短命に終わったブログの復元
13.短命に終わったブログの復元
奥付
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4.神とはヒトの口癖である (前編・後編)

4.神とはヒトの口癖である(前編)

哲学は好きですが、議論は苦手です。ですから、哲学的議論には加わらないように努めています。

 

今、苦手という言葉を選びましたが、婉曲的な言い方です。「私はそういう話は苦手なんです」という具合に、逃げるときに使う言葉です。

 

この文章は哲学について論争をしかける目的で書かれてはいません。「苦手」などと遠慮せずに、「大嫌い」とか「虫酸が走る」とか「馬鹿馬鹿しい」とか「不毛だ」と書いてもいいのですが、読む人が何を考えるかはわからないので、抑えた表現にしておきます。

 

あるブログ記事に、次のようなことを書いたことがあります。長いですが加筆したうえで引用します。

 

     *

 

「神」とは何か?」と問われれば、「口癖です」と私は答えることにしている。

 
詳しく言えば、次のようになる。

 
ヒトという種は、どういうわけか言葉を獲得してしまった。 それ以来、ヒトは、身のまわりの物、事、様、動きだけでなく、森羅万象、そして自分の頭に浮かんだものにさえ「名前=言葉=レッテル」をくっ付ける習性を得るようになった。


 その「名前=言葉=レッテル」の1つが、たとえば「神」である。

 
要するに、


 *神とは、ヒトという種に固有の口癖である。

 
さらに短くすれば、

 
*神とはヒトの口癖である。

 
したがって、私は神については、以上のように「言う」ことにしている。

       *

 
「言う」という「動作=動き=動詞」も「名前=名詞=言葉=レッテル」であるのは言うまでもない。品詞という名の、言葉の「管理=整理=つじつま合わせ=こじつけ=官僚的手さばき=苦しいギャグ」の仕方は、どの言語においても、「矛盾・例外・牽強付会」に満ちている。  

そもそも「文法」=「文+法」という「言葉 or もの」は、字義どおりの機能・役割を果たしておらず、「(ダムや箱物のように)つくってしまったのだから、仕方がない」=「(掟や法や教義や預言や計画のように)いったん決めたのだから反対する者は腕ずくでつぶす」=「(役人のように)前例を踏襲するだけ」=「事なかれ主義」=「いつまでたっても支払われている公務員の〇〇手当て」状態にある。

  「正書法・国文法・国語教育」によって、書き言葉を「監視・整理・がんじがらめに」しようとしても、書き言葉の「現状=移り変わり」を完全に抑えることはできない。  

話し言葉については、「年齢・性別・世代・地域・ITの発達・共同体の解体」といった諸要因が、「乱れ=変貌=秩序の崩壊=進化=言語である以上不可避な変化」を生み、さらに助長させていることは、誰もが体験しているはずだ。

       *  

話を戻そう。  

>*神とは、ヒトという種に固有の口癖である。

>さらに短くすれば、

>*神とはヒトの口癖である。   の続き――。

蛇足ながら、真理や愛も、考えるや感じるも、海や山も、痛いや気持ちいいも、女や男も、信じるや祈るも、「あっはあ~」や「うっふ~ん」も、言語や貨幣も、「逃げろー」や「とまれー」も、モーツァルトやニーチェも、ハリー・ポッターやポケモンも、きれいも汚いも、馬鹿や阿呆もレッテルであり、レッテルとして流通する、ヒトの口癖である。

 レッテルには、ぺらぺらの紙と同じく貼りやすいしはがしやすい、また、かつらのようにずれやすいしどこか不自然だ、という特徴がある。そう、不自然なのである。  

自然  

この星の自然界に生息するおびただしい数の生物の存在を念頭におけば、  

*ヒトの口癖は、ヒトにしか通じない。  

ことは言うまでもない。当たり前すぎるくらいの当り前だ。したがって、  

*神とはヒトの口癖である。  

と「言って」も、

*当たり前すぎるくらい当たり前

なのである。

*不自然すぎるくらい不自然だ

と「言って」もいいような
気もする。なぜなら、

*ヒトにとっての当り前は、自然界では不自然であり、重大なルール違反である。

という思いがあるからだ。


以上のような発言や考えは、世間では「屁理屈」や「でたらめ」や「妄言」と呼ばれ、歓迎されない。

 

(ここまでが加筆した抜粋です。)

 

     *

 

2年ほど前に、約1年をかけてブログ記事を書き続けました。ブログにしては長い文章を、ほぼ毎日書きつづったのです。

 

記事のバックアップがあったので、いろいろな形で再利用し、最終的には電子書籍化しました。タイトルは、『うつせみのあなたに 第1巻』~『うつせみのあなたに 第11巻』です。

 

そのとてつもなく長い哲学的エッセイ集のメインテーマは、

 

*「何か」の代わりに「その何かではないもの」を使う。つまり代用する。

 

というシンプルなものです。

 

たとえば、言葉は、何らかの「もの・こと・さま」の代用として、ヒトが用いるものだと言えそうです。

 

お金もそうです。何らかの「もの・こと・サービス・価値」の代用物でしょう。

 

そうした代用物を例に挙げて、いろいろなことを書きました。

 

     *

代用という操作・作業については、延々と述べることができるだろうと思います。でも、疲れ果ててしまったので、

 

*「何か」の代わりに「その何かではないもの」を使う。つまり代用する。

 

について、論じることはやめました。その結果として、全部で11巻になる『うつせみのあなたに』という名の電子書籍が生まれました。

 

     *

 

皆さんが、今お読みになっているこの文章というかエッセイでは

 

*神とはヒトの口癖である。

 

をめぐって思いつくままに書いてみるつもりです。

 

私は即興的に文章を書く癖があるので、これから先にどんなことを書くか、はっきりしていません。ぼんやりとした見通しはありますけど。

 

おおまかに要約すれば、さきほどの引用とあまり変わらない文章になるでしょう。

 

「口癖」という言葉を「くちぐぜ=くちくせ」、あるいは「口・癖」と書くと、

*「癖」

という言葉に目が行きます。すごく気になります。もちろん、私の場合ですが。

 

     *

 

*くせ・癖・曲

 

と分けることも可能でしょう。「分ける」という作業もまた、ヒトにとって基本的な行為です。

 

「くせ」は、大まかに2つに「分ける」ことができるような気がします。

 

(A)ほとんど無意識におこなうくせ=本能的行動

 

(B)真似て身に付けるくせ=学習された行動

 

うさんくさいですね。嘘っぽいですね。よく目にする図式ですね。どこかで見聞きした記憶をたどって書いた本人がそう思います。でも、話を簡単にするためには「分ける」という、きわめてうさんくさい作業をしなければならないようです。

 

そのうさんくささの元凶は、

 

*ヒトは分けなくては言葉とそれが指し示すと思い込んでいる物・事・様とを認識できない。

 

もう少し正確に言うと、

 

*ヒトは森羅万象を分けることなしに、森羅万象の断片あるいはその代理を認識できない。

 

ことにあるみたいです。

 

どうして分けるのでしょうね? 誰かに頼まれて分けているのでもなさそうです。

 

たぶん、

 

*ヒトは自分が「小さい=矮小だ」から分ける。

 

か、

 

*ヒトは自分の身のたけに合わせて森羅万象を対象とする。

 

のだと勝手に思っています。

 

     *

 

先に触れた『うつせみのあなたに』のなかには、

 

*くせ・癖・曲

 

にこだわった文章があります。そのさいには、

 

*経路

 

や、

 

*回路

 

という言葉も使いました。

 

要するに、ヒトに備わった「筋道・ルール・文法・パターン」みたいなものです。

 

その経路は、ヒトが認識している場合もあれば、無意識である場合もある、と言えそうです。

(後編につづく) 









4.神とはヒトの口癖である(後編)

     *

 

話を「癖」に戻しましょう。

 

今論じている「癖」は

 

*「口癖の癖」=「狭義の言葉の癖」

 

であるばかりではなく、

 

*各人の行動の起点となる癖

 

です。

 

両者をひっくるめて

 

*「ヒトの言動の癖」=「広義の言葉の癖」

 

と考えてみましょう。

 

ここで説明を加えます。

 

狭義の言葉とは、話し言葉と書き言葉です。

 

一方の広義の言葉とは、話し言葉、書き言葉、表情や仕草や身ぶり手ぶりを含む身体言語=ボディランゲージ、手話、点字、指点字、音声(発声)、音楽、合図、映像、図像、さまざまな標識や記号や信号などを指すとします。

 

そう考えてみると、上で述べた、

 

*「ヒトの言動の癖」=「広義の言葉の癖」

 

が、少しは分かりやすくなりませんか。

 

つまり、言動を文字通り分けて、「言=ことば」と「動=動き」としてとらえるのです。

習性や刷りこみや本能といった業界語は使えません。エソロジー(動物行動学)には疎いのです。

     *

ここで思い出しましょう。

 

*神とはヒトの口癖である。

 

でしたね。そのさいの「口癖」を単に

 

*話し言葉における癖

 

だけではなく、書き言葉も含めた上述の

 

*「広義の言葉」における癖

 

だと考えるのです。

 

また、「神」の部分には、さまざまなもの、たとえば前編で述べたようなものが入るでしょう。繰り返します。


>*真理や愛も、考えるや感じるも、海や山も、痛いや気持ちいいも、女や男も、信じるや祈るも、「あっはあ~」や「うっふ~ん」も、言語や貨幣も、「逃げろー」や「とまれー」も、モーツァルトやニーチェも、ハリー・ポッターやポケモンも、きれいも汚いも、馬鹿や阿呆もレッテルであり、レッテルとして流通する、ヒトの口癖である。  

 

さらに言うなら、

 

音楽も、ダンスも、スポーツも、笑うも、泣くも、学問も、宗教も、法律も、政治も、人間関係も、愛憎も、戦争も、殺すも、生かすも、すべてが、

 

*広義の口癖

 

となります。というか、そういうことにして話を進めます。

 

     *

 

生まれたてのヒトの赤ちゃんは、乳房を探しお乳を飲みますね。/「ばかやろう」と言われれば、普通腹が立ちますよね。/もよおしてくればトイレに行きますよね。/学校や会社に行きますよね。/3年間にわたり家の自室に閉じこもっているヒトもいるようですよね。/米国の大統領には多岐にわたる権力を行使することができますよね。/おびただしい数の画素からなる画面を見つめて、サッカーのFIFAワールドカップの決勝戦を楽しむことができますよね。

 

1+1=2だと教えてもらいますよね。/生まれて初めて自転車に乗れて感動することもありますよね。/中国の首都は北京だと何らかの機会に知りますよね。/誰かを好きになることも嫌いになることもありますよね。/戦争のきっかけは一方がもう一方に戦闘行為を働くからでしょうね。/「わたしはイエス・キリストの生まれ変わりだ」と言うヒトがいて、それを信じるヒトたちもいますよね。/ヒトの世界ではものすごくたくさんの集団が、それぞれものすごくたくさんの神を信じていますよね。/神の存在を信じないヒトもいますよね。/天動説が体感できて地動説が体感できなくても、地動説が正しいと学校で習うので、そういうことにしておきますよね。

 

神とはヒトの口癖である。/真実とはヒトの口癖である。/現実とはヒトの口癖である。/事実とはヒトの口癖である。/でたらめとはヒトの口癖である。/ウソとはヒトの口癖である。/地球は太陽の周りをまわるというのはヒトの口癖である。/3×3=9というのはヒトの口癖である。/人類は月面に仲間を降り立たせたという話はヒトの口癖である。/マイケル・ジャクソンは2009年に亡くなったというのはヒトの口癖である。

 

     *

 

今上で挙げた例は、この地球上でヒトだけが口にしている癖ばかりです。ヒトという種が地上からいなくなればそうしたおびただしい数の口癖も消滅するでしょう。

生物としてのヒトという種は、この星では one of them (たくさんあるうちのひとつ)ではないでしょうか? 「そうである」も、「そうでない」も、ヒトが口にしたとたん、口癖となるのです。

 

誤解があるといけないので念を押しますが、以上述べてきたことは、

 

*「何かに貼られたレッテル=言葉・語」をめぐっての「お話(story・histoire・His story)」

 

なのです。よろしいでしょうか。「レッテル=言葉」という次元での話です。その

 

*「レッテル=言葉」が指し示す「何か(物・事・様)」についてのお話をしているのではない

ことを強調させていただきます。

 

とはいうものの、「レッテル=言葉」が指し示す「何か(物・事・様)」について「お話をする」=「広義の言葉を使う」こと以外に、ヒトは

 

*「語る」

 

ことも

 

*「記述する」

 

こともできないと言えそうです。


     *

さきほど書いたことを引用します。

一方の広義の言葉とは、話し言葉、書き言葉、表情や仕草や身ぶり手ぶりを含む身体言語=ボディランゲージ、手話、点字、指点字、音声(発声)、音楽、合図、映像、図像、さまざまな標識や記号や信号などを指すとします。

「広義の言葉」を感覚的に知っていただきたいと思っています。たとえば、あなたが知り合いと前日の夜に見たテレビ番組について話しているとしましょう。相手は、その番組を見損なったと仮定します。

相手に話しているうちに、あなたはその番組の登場人物になったような気がしませんか? ある科白を覚えていていれば、臨場感を盛り上げるために、声色や表情まで登場人物を真似て再現しようとする。つまり、語るのであり、まさに騙るのです。

このように、声、表情、動作、行動といったものまでが広い意味での言葉になり得るのです。というより、広義の言葉に他ならないのです。

ここで、確認しておきたいことがあります。上記の「を真似て再現しようとする」というフレーズの「再現」について考えてみましょう。

私がち密な論理的操作ができないことは、ここまでの文章をお読みになればお分かりになるでしょう。ですので、思い付きで書きます。

*ヒトのいう「再現」などはあり得ない。ヒトが「再現」と呼んでいる作業は「捏造」か、せいぜい「作文」にすぎない。

というのですが、思い付きなので、この点についてはこれ以上書けません。

     *

ヒトは自分のすべての行動・動作・表情・声の出し方などを、何らかの形で「学習する=学ぶ=真似る=引用する=反復する」という、上述の考え方について補足説明をします。例を挙げましょう。

ああ、よく考えると、今の私の怒り方は俳優のOOを意識して真似たものだ――。

あいつはあいつの兄貴と同じような笑い方をする。兄弟だから似ているのかな。それとも無意識にああいうふうに笑うのかな――。

おれって、最近、彼女の前ではあのドラマに出ていたOOになりきっている気がする。言葉遣いとか表情なんかが――。

お化粧をするとき、なぜか必ずOOをイメージする――。

あの子、絶対にOOを意識してしゃべっている。だって、OOに似ているって、いつもみんなから言われているもの――。

あー、怖かった。でも、OOを真似てすごむと、けっこう相手はびびるもんだなあ――。

女優のOOの歩き方は、アメリカのモデルのXXを真似たものなんだって――。

なぜかなあ。パソコンのキーボードを叩いていると、ふとOOがこの部屋でPCに向かっていた時を思い出す。というか、自分がOOになったような気持ちになる――。

どうでしょうか?

*自分という存在は、これまでに見聞きした無数の「他人の言葉と行為の断片」から成りたっている

とか、

*「自分」とは他者の言動の「引用の織物=パッチワーク=ごった煮」だ。

という、不思議な気持ちになることがありませんか?

以上の例を挙げたのは、身体言語も言葉であり、学習や模倣や引用や反復の対象となり得ると言いたいからです。

あなたは何かをする場合に、誰かを真似ていませんか? 意識的にまたは無意識に、誰か(複数の人でもかまいません)になりきっていませんか? あるいは、他の人を見ていて、その人が誰かとそっくりな言動をしているように思えることがありませんか?

     *

伝統芸能の継承者や、スポーツ選手や、ミュージシャンなどは、まず、学ぶ・技を盗む・真似る・カバーすることから始めるとよく言われます。これも広義の「引用」ですね。

本番直前のスポーツ選手が、競技する自分自身の姿を頭のなかで描いてイメージする――。よく聞く話です。そうした行動も、広義の「引用」だと思います。その際には、「自」と「他」、「見る」と「する」、「過去」と「現在」と「未来」といった線引きや仕分けが、無効にされ、曖昧になるような気がします。

これこそ、きわめてわかりやすい「模倣・反復・演技・引用」の例だと言えそうです。

     *

よく口にされる言い方を思い出しましょう。

*人は父親になるのではなく、子どもと一緒に父親を演じることを学ぶのだ。

なるほどと思います。では、何を見聞きして父親を演じるのでしょうか? おそらく、他の父親、テレビやマンガや映画や小説などに出て来る「父親のイメージ」を参考にするのでしょうね。

*ヒトの言動は、模倣された「広義の言葉」の断片の集積として常に作動している。

と言えそうです。【ただし、赤ちゃんが乳首を吸うといった行為については、せいぜい「本能」という言葉を持ち出すことを真似るだけにしておきます。「広義の言葉」だらけの赤ちゃんは苦手なのです。話し言葉といった、とっかかりがないからでしょう。】

で、「断片の集積として」ですから、

*ヒトは多面体である。

という比喩を用いてもよろしいかと思います。多面体ですから、ころころ変わって見えます。ぶれるのです。それが当たり前なのです。

さらに、出るにまかせて出まかせを言います。

*神をめぐるヒトの言動は、ヒトが「何か」を模倣した or 模倣しそこなったさいに反復される言葉と行動の集積である。

なんて感じでしょうか。

バチカンを思い浮かべてください。法的優遇措置の恩恵を受け、都内の一等地に豪華絢爛たる建物を持つ宗教団体でもいいでしょう。

あれって、癖なんです。前例の模倣と引用で成り立っている癖なんです。

そうそう、入信している団体に、なけなしの年金の一部をお布施として差し出す高齢者もいますね。それを当たり前として集金する地区委員みたいな者がいますね。

どうして、あんなことをするのでしょう? あれも、癖なんです。やるほうも、やられるほうも、です。詳しく言えば、ヒトの「広義の口癖」だからではないでしょうか。

     *

上記の、

*神をめぐるヒトの言動は、ヒトが「何か」を模倣した or 模倣しそこなったのさいに反復される言葉と行動の集積である。

というセンテンスの「神」を、「真実」や「事実」や「現実」や「過去」や「歴史」と置き換えても、案外「言えてる」気がしませんか?

*オリジナリティなんてない。嘘っぱちだ。あるのは、断片の引用と組み合わせだけだ。

と言いたい気持ちになりました。

     *

さて、


*OOとはヒトの口癖である。

ですが、
OOにいろいろな言葉を入れて論じる体力も気力も、今の私にはありません。

 

*「何か」の代わりに「その何かではないもの」を使う。つまり代用する。

 

をめぐって約1年間かけてほぼ毎日長いエッセイを書いて、もう懲りているからです。

 

ちなみに、

 

*「何か」の代わりに「その何かではないもの」を使う。つまり代用する。


もヒトの口癖なのですよね。

 

おっと、危ない!

深入りするところでした。上述のとてつもなく長いエッセイ集である『うつせみのあなたに』(全11巻)で論じた「表象・représentation」は、もう懲り懲りです。

 

この辺で失礼いたします。

 

2011-07-24 記
(2012-02-24 加筆)