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はじめに - 1
僕たち夫婦が暮らすアパートの二階に、ある死刑囚が住んでいることを知ったのは、つい数日前のことだった。
彼の名は仮にMとしておく。実名ならネットで見つかるし、法務省の受刑者検索サービスでも当然、彼の刑の詳細だけじゃなく、現住所までも分かってしまう。つまり僕らの住所まで知られてしまう。それはプライバシーについての僕らの考えに反するので、Mという記号*1を使うのを責めないで欲しい。
付け加えると、この記録に出てくる人々の名もすべて本名ではない。それにMに起きたこと以外については、何が事実で何が嘘なのかを明言するつもりはない。つまりこの記録は嘘だらけかもしれないし、本当のことをたくさん書いているかもしれない。こうすることで、もしMにたどり着けたとしても、僕らのことは分からないように工夫している。
ただもし僕らにたどり着き、何らかの情報を得たとしても、それについては心の内に留めておいてほしい。もちろんこのご時世では、プライバシーにこだわりすぎるのはあまり理解を得られないのも分かってはいるし、そもそもこんな記録を発表しなければいいと言われてしまうだろう。僕自身、うまく説明できない。だからこの気持ちは分かる人には分かるだろうし、分からない人には分からないだろう。分からない人はこの辺りのことはあまり気にせず、先に進んでくれればいいし、あるいはここでやめてもいいと思う。どちらもあなたの自由だ。
この文書は題名どおり、僕がMと呼ぶ死刑囚の記録だ。だから彼にまつわることを書くのだが、その前にまずMが死刑判決を受けた事件について簡単に説明しておく。
Mの事件の特徴は、被害者が中年の女性であること、激しい殴打を加えられた後に首を絞められて殺害されていること、殺害された後に金品を取られていること、そして最後に遺体の周囲、もしくはその衣服に精液が残されていること、の四点だった。またM自身の自白を信じれば、被害者は計七人であり、被害総額は一千五百万円を超える*2。だが実際に見つかった遺体は四体であり、他の三名は見つからずじまいだった。そのためその三件については嘘とみなされ、Mには虚言癖があるという証拠にもなった。つまり罪状的には四名の女性への強盗殺人であり、これに対して死刑が科せられたわけだ。
被害者の数がどうであれ、この事件のインパクトの大きさは変わらない。出生率が下がり、犯罪も少なくなり、皆がとても親切で幸せなこの国のこの時代にとって、周辺地域の住民を恐怖のどん底に突き落とし、過剰な自警運動を誘発するのには十分だった。そして当然、その犯行や裁判の過程は全メディアを賑わした。つまり、何度も繰り返すが、彼を特定するのはそう難しくないし、僕たち夫婦もそれに伴って居場所を知られてしまうリスクがある。それでも僕はMとのことを記録し、公表したくてこれを書いている。僕と妻の葵*3にとって彼との出会いは人生に刻まれるだろうし、それを僕は忘れたくないし、多くの人々にも知ってもらいたいからだ。
*1 これは彼の本名とは関係ない
*2 ある被害者が偶然一千四百万近く所持していたため、高額になったらしい。
*3 これも本名ではない。妻に好きな名前は何かと尋ねたところ、これが返ってきた。
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はじめに - 2
さて、以上がM自身についてのごく簡単な情報だが、彼との話に入る前に、もう少しこの国のことも説明しておきたい。というのは、この記録は完成後に英語でも書くつもりだから、これを読むのは日本人とは限らないし、日本人であっても中学・高校生ということもあり得る。そういった人たちにはこの国の現状を説明しておかないと話が通じないかもしれないからだ。もちろん日本人で成人した方にとっても役立つだろう。それにこれが十年後、数十年後に読まれる可能性だってないわけじゃない。その場合、この時代の状況が忘れられてしまったり、理解できなくなっていたりするかもしれない。
今からちょうど七年前、つまり2018年の秋、この国から一切の刑務所が消えた。それは世界中のどの先進国にも先駆けて行われたハイパーモダンな施策だった。だから日本に住んでいない人にはこの国の刑罰の在り方はほとんど想像もつかないものになっている。なぜなら重罪を犯した人間たちが、まるでその罪が帳消しになったかのように、自分たちの隣で暮らしているのだから。
もちろん裁判は以前と同じように執り行われているし、罪の重さに応じて量刑が決まることも変わりない。では何が変わったのか? それは刑罰の性質だ。簡単に説明すると次のようになる。
判決が下され、受刑者が裁判所から出た瞬間から、すべての措置が民間業者に委託される。が、先にも言ったとおり刑務所は廃止されたから、受刑者はどこにも収容されない。つまり肉体的に拘束されずに暮らせる。無期刑であろうと死刑であろうと、いつどこで飯を食い、働き、風呂に入り、眠りにつくのも、自由だ。
ならば彼らには刑罰が下されず、自由になったということか? この国は犯罪者を罰するのをやめ、すべてを許すような非現実的なユートピアになったのか? ご想像のとおり、決してそうではない。
受刑者たちは国内であればどこにでも行けるし、たいていのことは好きにできる。拘束されるのは逮捕されてから判決確定までの間と一時入院してコントロールチップ、通称「懲役」*4を脳に埋め込む手術を受けるときだけだ。
この手術自体は十数分で済むらしい。具体的には生命維持を司っている視床下部や網様体などにナノレベルの技術で作り出されたチップを埋め込む手術が行われるようだが、その詳細についてはほとんど情報がない。どちらにせよ、「懲役」は簡単に取り出せるものではないだろう。そしてそれが埋め込まれる瞬間が、刑が執行される瞬間でもある。実際、ネット上では「刑執行手術」と呼ばれている。
なお、「刑執行手術」時には「懲役」だけでなく、「三人の看守*5」と呼ばれる三つのレコーディング&ストリーミングチップも埋め込まれるという。その場所は左右どちらかの網膜と鼓膜、そして鼻の粘膜の三カ所で、これを無理に摘出しようとすれば致死量の毒物が排出されるという説がある。データの通信に不具合が起きても同じような罰が執行されるようだ。
これによってまさに二十四時間年中無休で受刑者は行動を監視されることになる。その居場所は当然として、見たもの、聞いたもの、嗅いだもの、のすべてがモニターされる。つまり誰と話し、どんな本を読み、何を食べ、どんな音楽を聴き、どんな香水をつけているか、そういった日常のすべてがモニターされるわけだ。
もちろんモニタリングに対する妨害行為には罰が下される。例えば受刑者がヘッドホンやサングラスを使ってある種の感覚遮断を行うことは法で禁じられた。またAR、つまり拡張現実機能(Augmented Reality)*6を備えたコンタクトや眼鏡等のガジェットの類を所持するだけで刑期が50%延びるという法も制定されている。ARによって現実とは異なる情報を「看守」たちに送り込んでマスクしつつ、別の行為を行うことが(非常に難しいとしても)可能になるからだ。
上記の制限はあくまでも「三人の看守」に対する妨害行為についてのものだが、受刑者はこれ以外にも日常生活のある側面を厳しく制限される。例えば今述べたARが代表的な例だが、一般的なモバイルデバイスはすべて禁じられているし、僕が今これを書いているような旧式のデスクトップ型PCを利用することでさえ罰せられる。
それだけでなくテレビや新聞といった特定の層、つまり「時間つぶし好き」と呼ばれている層向けのオールドメディアでさえ、視聴時間を制限されるらしい。ネットの情報では一日二時間までと言われている。当然電子ブックなどもダメだ。したがって、二十一世紀初頭に比べると約三十分の一に激減してしまった書店や古本屋で今では骨董品扱いされつつある「本」を買うか、県庁所在地くらいにしか残っていない公立図書館、もしくは大学図書館にいかなければ小説やその他のコンテンツも読めない。旧世紀から今世紀初頭にかけて大流行した「少年ジャンプ」という漫画雑誌でさえ、本物の紙を使ったものは今では一冊三千円くらいするから、受刑者たちには入手できないだろう*7。
唯一許されているのはラジオという、旧世紀に広く利用され、現在ではごく細々と続けられている音声メディアだけ。しかも特注のラジオが刑執行時に渡され、それを肌身離さず持ち歩き、ある特定の放送を一日一時間以上の聴取が義務づけられているという噂まである。
この、情報との接触を極端なまでに制限する措置は、刑務所機能を民間に委託したのと同時に成立した「情報制限法」に基づいている。肉体的には自由だが、情報の摂取は自由でないことが、この法律によって定められているわけだ。僕などはネットにどっぷりと浸かって生きている人間だから、これらの制限を想像するだけでもぞっとする。もっとも、人によっては特に苦痛を感じないかもしれない。例えば世捨て人のような性格の人にとっては、毎日をぼんやりと暮らし、街を眺めたり、通り過ぎる人々を眺めたりしているだけでも十分な娯楽になるかもしれない。そう考えればそれほどひどい刑罰でもないかもしれないとも思う。
だが、だからこそ、彼らに科せられる罰はこの程度のものではない。
例えばある受刑者がある日、「三人の看守」から寄せられた情報を元に、生活指導を受けるため、あるいは刑の減免などの知らせやその他諸々の連絡のため、CCC*8への出頭を、「懲役」を通して命じられたとする。その瞬間、「懲役」は出頭の日時や場所を受刑者の脳に刻みつけ、期限を越えても受刑者が出頭しない場合、命令が脳内で繰り返され、まるで大音量のヘッドホンをつけられた状態になるらしい。さらに期限超過後二十四時間以内に全国のCCCのいずれかに出頭するまで、「懲罰」と呼ばれる急激なめまい・吐き気・悪寒に襲われ、震えたり、嘔吐を繰り返すことになり、それでも命令に逆らい続けると、噂では生命維持機能に直接影響を与えたり、耐えがたい痛みを味わわされたりするらしい。ただし実際に肉体を傷つけるわけではなく、脳に作用して一種の幻覚を覚えさせる働きをするのが真相のようだ。
だがそもそも「懲役」を埋め込まれてしまった以上、受刑者はどこにいてもその居場所を把握されてしまう。だから「懲罰」は不要とも言えるかもしれない。もっとも自主的に行動してくれれば、CCC自らが動く必要はないという意味では役に立つのだろう。
加えて「懲役」は攻撃性・反社会性が低下するようにホルモンなどを調整するとも言われている。つまり受刑者が命令に従わず、「懲罰」を利用せざるをえなくなること自体がほとんど生じないはずであり、受刑者は一般人以上に安全な存在になる、というのが政府の見解だ。だからこそ彼らを社会に解き放つことが認められたのだ。
以上が2025年現在の刑罰制度の説明だが、ごく簡単にまとめれば、次のようになる。
すなわち、ナノレベルの医療技術が発展したおかげで「懲役」や「三人の看守」を埋め込むことが可能になった。それによって受刑者はどこにいても監視され、情報との接触を制限され、さらには攻撃性・反社会性も制御され、刑務所自体が必要なくなった。いわばこの国そのものが彼らの監獄になったのだ。
*4 実際には作業などが科せられないため、「懲役」という単語は正確ではないが、いつの間にかこの語が使われるようになっている。
*5 英語では three officer となるが、これを略して、TC という語で「三人の看守」を示しているサイトも多い。
*6 バーチャルリアリティと対を成す概念。強化現実とも呼ばれ、現実の環境(の一部)に付加情報としてバーチャルな物体を電子情報として合成提示することを特徴とする。拡張現実 - Wikipedia
*7 これも特に書く必要はないと思うが、現在は作品ごとに電子ブックにダウンロードして読まれている。紙に印刷されたものを買うのは一部のコレクターのみである。
*8 Convict Control Center ― 「刑務所機能」を請け負っている会社の名称。株式会社化されているが実体としては、半官半民といったところだろう。ただ僕は経済関連の知識が不足していて詳しくはわからない。
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1
上で動く京次の腰から背骨へ左手を這わせ肩甲骨をたどって肩と首の境に置く。その手を離さず喉仏から臍まで右手の甲を滑らせ指の先で彼のペニスに触れる。濡れているのがわかる。そのままペニスの付け根を握り左手の人差し指を彼の口に入れ、舌を触る。彼の舌が指に巻きつくように絡みつき、腰がゆっくり押しつけられ、子宮の底から首の付け根の奥底まで大きな波が響いてくる。京次が動くたびにその波が繰り返し突き上げ、菜摘子は彼の尻の肉に爪を立ててもっと奧まで引き込むように力を込める。
汗が飛び散ってまぶたや鼻やあごや胸に落ち、耳の穴に流れ口の端を濡らし首筋を伝い、京次は動きを止めて菜摘子のまぶたに落ちた汗を拭う。菜摘子は京次の首に手を伸ばし、彼のあごのラインに指を滑らせ、濡れた髪に手を入れて言う。
「すごい汗」
再び京次が動き出し、菜摘子は彼の手首をつかんで指を口に含み、舌を這わせ軽く噛みながら二度目、いや三度目には「すごい奥まで入ってる」と言おうと思う。そのあとすぐ自分はいく。一度も味わったことのない激しくてやさしくすべてが溶け出してしまう底知れない快感に飲み込まれ手足の指一本一本の先まで大きな波が届きどこかを一㎜でも動かせば体の真ん中に向かってまた押し返す、それが何度も何度も繰り返されて息をするのも忘れてきっと動けなくなる。
京次は静かに指を引き抜き、菜摘子の口を吸い舌を差し入れこすりつけ絡み合わせ、ひざの裏に腕を差し込み足を高く上げ、強く突く。そのたびに菜摘子から声が漏れ顔が歪むのを見て背中に快楽が走る。菜摘子は京次の首に腕をかけて強く引き、こめかみに頬を押し付けひげでざらつく頬に舌を這わせ、耳に息をかけるように声をあげる。いつもの自分のものとは違う声が出てそれが耳の奧で何度も鳴って菜摘子は汗に濡れた京次の背中に爪を立ててしがみつく。
京次の動きは速く強く激しくなり菜摘子は彼を両足で抱え込む。低く唸るような声と奥まで届く深い挿入と同時に京次が止まり菜摘子に体を預けて力を抜く。菜摘子は京次のペニスの痙攣を感じ、耳元で鳴る熱く荒い呼吸を聞いて、体の内側で繰り返し突き上げた波と二人の熱と汗とにおいが絡み合い、消えていくのに気づく。
それが菜摘子には少し、惜しかった。数分になり数十分になり数時間になっていつまでも二人で浸っていたかった。でも二度目三度目には気を失ってしまうほど、そして怖くなるほど、長く続く気がする。これから二人はいつまでもそんなふうにセックスできる気がする。
「いけなかった?」菜摘子の右の鎖骨に頬をつけたまま京次が聞く。
「いいの、よかったから」
京次は体を起こしてその言葉を確かめるように目を覗き込もうとし、彼女の目が見えないことを思い出す。
射精の直前までは菜摘子が盲目だということを絶えず意識していた。腰を打ちつけ、彼女から漏れ出る声を聞き、閉じられたままのまぶたを見るたび、自分は盲人と交わっているのだと強く意識した。少し厚めの唇に舌を差し入れ絡みつかせ、服を脱がせ、張りつめた乳房をやさしく持ち上げるように揉み、吸い込むように乳首を咥えて奥歯で噛み、上に乗って彼女の中に入る、そのすべての瞬間、京次は菜摘子の顔を見つめた。どの歪みが痛みを表し、どの歪みが快楽を表すのか、それが知りたくて目を離せなかった。
京次が顔を上げたまましばらく姿勢を変えなかったから、菜摘子は「私、変な顔してる?」と聞く。
「いや、きれいだ」そう京次は言って菜摘子のまぶたにかかっていた髪を払う。菜摘子は京次の指の柔らかな動きを感じ、微笑を浮かべる。

じのん
