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菜摘子の絵


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1

 上で動く京次の腰から背骨へ左手を這わせ肩甲骨をたどって肩と首の境に置く。その手を離さず喉仏から臍まで右手の甲を滑らせ指の先で彼のペニスに触れる。濡れているのがわかる。そのままペニスの付け根を握り左手の人差し指を彼の口に入れ、舌を触る。彼の舌が指に巻きつくように絡みつき、腰がゆっくり押しつけられ、子宮の底から首の付け根の奥底まで大きな波が響いてくる。京次が動くたびにその波が繰り返し突き上げ、菜摘子は彼の尻の肉に爪を立ててもっと奧まで引き込むように力を込める。
 汗が飛び散ってまぶたや鼻やあごや胸に落ち、耳の穴に流れ口の端を濡らし首筋を伝い、京次は動きを止めて菜摘子のまぶたに落ちた汗を拭う。菜摘子は京次の首に手を伸ばし、彼のあごのラインに指を滑らせ、濡れた髪に手を入れて言う。
「すごい汗」
 再び京次が動き出し、菜摘子は彼の手首をつかんで指を口に含み、舌を這わせ軽く噛みながら二度目、いや三度目には「すごい奥まで入ってる」と言おうと思う。そのあとすぐ自分はいく。一度も味わったことのない激しくてやさしくすべてが溶け出してしまう底知れない快感に飲み込まれ手足の指一本一本の先まで大きな波が届きどこかを一㎜でも動かせば体の真ん中に向かってまた押し返す、それが何度も何度も繰り返されて息をするのも忘れてきっと動けなくなる。
 京次は静かに指を引き抜き、菜摘子の口を吸い舌を差し入れこすりつけ絡み合わせ、ひざの裏に腕を差し込み足を高く上げ、強く突く。そのたびに菜摘子から声が漏れ顔が歪むのを見て背中に快楽が走る。菜摘子は京次の首に腕をかけて強く引き、こめかみに頬を押し付けひげでざらつく頬に舌を這わせ、耳に息をかけるように声をあげる。いつもの自分のものとは違う声が出てそれが耳の奧で何度も鳴って菜摘子は汗に濡れた京次の背中に爪を立ててしがみつく。
 京次の動きは速く強く激しくなり菜摘子は彼を両足で抱え込む。低く唸るような声と奥まで届く深い挿入と同時に京次が止まり菜摘子に体を預けて力を抜く。菜摘子は京次のペニスの痙攣を感じ、耳元で鳴る熱く荒い呼吸を聞いて、体の内側で繰り返し突き上げた波と二人の熱と汗とにおいが絡み合い、消えていくのに気づく。
 それが菜摘子には少し、惜しかった。数分になり数十分になり数時間になっていつまでも二人で浸っていたかった。でも二度目三度目には気を失ってしまうほど、そして怖くなるほど、長く続く気がする。これから二人はいつまでもそんなふうにセックスできる気がする。


「いけなかった?」菜摘子の右の鎖骨に頬をつけたまま京次が聞く。
「いいの、よかったから」
 京次は体を起こしてその言葉を確かめるように目を覗き込もうとし、彼女の目が見えないことを思い出す。
 射精の直前までは菜摘子が盲目だということを絶えず意識していた。腰を打ちつけ、彼女から漏れ出る声を聞き、閉じられたままのまぶたを見るたび、自分は盲人と交わっているのだと強く意識した。少し厚めの唇に舌を差し入れ絡みつかせ、服を脱がせ、張りつめた乳房をやさしく持ち上げるように揉み、吸い込むように乳首を咥えて奥歯で噛み、上に乗って彼女の中に入る、そのすべての瞬間、京次は菜摘子の顔を見つめた。どの歪みが痛みを表し、どの歪みが快楽を表すのか、それが知りたくて目を離せなかった。
 京次が顔を上げたまましばらく姿勢を変えなかったから、菜摘子は「私、変な顔してる?」と聞く。
「いや、きれいだ」そう京次は言って菜摘子のまぶたにかかっていた髪を払う。菜摘子は京次の指の柔らかな動きを感じ、微笑を浮かべる。

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2

 七日前、京次は盲学校に取材し、そこで菜摘子に出会った。会議室に数人の教師が集まり、最後に疲れ切ったように頭を垂れて背中を丸め、半年はクリーニングに出していないような皺くちゃの紺のスーツを着た坂本という教頭の肩に手を置いた菜摘子が入ってきた。
 その瞬間から京次は菜摘子に強く惹かれた。ICレコーダーの録音スイッチを入れ、取材の目的を話し、菜摘子を含めた教員たちが座談会の形で視覚障害児教育の現状について討論している間、京次はずっと菜摘子だけを見ていた。
 ただの一度も日に焼いたことがないような白く透き通る肌に艶やかな黒い髪、睫毛の長い、開かれることのないまぶた、細く白い指、そして少し厚めの赤い唇。菜摘子以外のすべては薄い膜がかかったようにぼやけて消え去り、菜摘子だけがその場に浮き上がるように京次には映った。そして、人間ではない、どこか別の世界の生き物、どこか、ここよりもずっと澄んだ世界で生まれた女、そんな意味のない、それでいて間違っているとは思えない言葉が京次の中に流れ出す。
 座談会が終わりに差し掛かったとき、視覚障害児教育の権威とされている六十近い女校長が「水谷先生きれいでしょぉ?」と赤く塗った唇を右上に引きつらせて棘のある言葉を発する。京次は「ええ、本当に」と呟くように答える。それを聞いて女校長がうつむいている坂本を見、そこからその場を一周するように他の先生方と目を会わせて眉を寄せたのにも京次は気づかなかった。一呼吸置いて皆がこらえられないようにくすくすと笑いを漏らし、菜摘子の肌が赤く染まる。
 それでやっと笑われていると気づいたが、首と頬を赤らめてうつむいた菜摘子からは目を離せなかった。菜摘子の触れるだけで傷をつけてしまいそうな白く薄い肌が赤く染まったという、ただそれだけの事実に驚き息が苦しくなった。人間ではない純粋な女、ここではない別の世界の女、他の誰とも違う女、あまりにも美しすぎる女、そんな非現実的で曖昧な言葉が京次の中で再び繰り返され、強さを増していく。
 取材が終わり、坂本と菜摘子以外の皆が会議室を出ていくと、京次は菜摘子に近づき、こう言う。
「水谷先生、いきなりで失礼なんですが、明後日よかったらお食事しませんか? この近くですごくおいしい店知ってるんです」
 菜摘子は表情を変えずに京次の声を聞き、坂本の肩に手を置いたまま返事をしない。京次が言葉が伝わらなかったんじゃないかと錯覚し、同じ言葉を繰り返そうとした瞬間、菜摘子は坂本から手を離し「教頭先生、私大丈夫ですからお先にどうぞ」と言う。
 坂本は「じゃあお先に。気をつけてくださいね」とうつむいたまま口の中でもぐもぐ言い、最後に京次をにらみつけるように見て会議室を出た。
「いつもこういうことするんですか?」
 教頭の足音が聞こえなくなるのを待って菜摘子が口を開く。
「こういうことって?」
「見ず知らずの人をからかったり恥かかせたり」
「そんなつもりじゃないんですが」
「ちょっと失礼だと思います」そう言って菜摘子は窓のほうを向く。その姿は外の木々を見ているように京次には見える。
 すると菜摘子は見えないはずの夕方の赤い光が眩しいとでもいうように顔をしかめ「土曜は用事があるんです」と言う。
 京次は一息吐いて目を瞑り「そうですよね、突然ですもんね」と言い、ごめんなさい、でも本当においしい店なんです、本当です、そう付け加える。
 その声を聞くと菜摘子は右に頭を傾げ、続いて京次が見えているようにまっすぐ彼に顔を向け、そのまま一切の表情を浮かべずに京次に向かい合う。京次は菜摘子が自分のまぶたや唇の小さな震えまで見過ごさず、心までもはっきりと見通しているような、妙な感覚に陥る。
 その見知らぬ感覚が広がりいたたまれなくなって鞄をつかんで帰ろうとぎこちなく体を動かし始めたとき、菜摘子は右手をそろそろと伸ばして机の端に触れ、左脇に抱えていたノートを置く。そしてもう一度京次のほうに振り向いて何か考えるように頬に手を当て、ノートにゆっくりと大きな数字を書き、差し出しながら言う。
「破ってくれませんか?」
 京次は菜摘子が書いた部分を破り取り、差し出したままの彼女の手の平にノートをそっと置く。
「平日はたいてい六時まで仕事してます。お電話くださるならその後にしてください。それ以外の時間は出ないから」そう言って菜摘子は軽く微笑む。それが菜摘子の最初の笑顔だった。


 京次の重みを感じ彼の指の柔らかな動きを感じたまま微笑を浮かべた菜摘子は、自分が笑っていることに気づき、十五年前の夏の朝、洗面台に向かって笑いかける自分を思い出す。
 失明すると笑い方を忘れてしまって二度と笑えなくなるんじゃないかという不安が十歳の菜摘子を鏡の前に立たせる。鏡に向かって笑顔を作り、ここが目、ここが鼻、ここが唇、ここが耳よ、そう言って指で輪郭をなぞる子供の自分が見え、京次が汗を拭ったまぶたや頬や唇もまだあのときのままなんじゃないかと菜摘子を錯覚させる。
 それに続いて父から菜摘子が鏡の前にいると聞いた母が、洗面所の敷居に立ち、手を伸ばしてくる映像も浮かび上がる。その手は慌ただしく左右に振られながら菜摘子に向かって伸び、細い肩をつかむ。もう片方の手は頬を撫で首筋をたどりもう一度頬に触れ、薄く産毛の生えた広い額をなぞって髪に指を入れるが、娘が身を引こうとする動きを感じて一瞬止まる。
 その頃の母の顔を菜摘子は今でも思い出せる。
 ただ思い出すたびにそれが本物の母なのか、それとももっと小さい頃の記憶と重なった母なのかがわからなくなる。たとえば菜摘子は一瞬手を止めた母の、光を感じることのない開かれた目に涙が溜まっていたとも記憶している。けれどその頃には菜摘子の目は物の輪郭を捉える以上のことはできなかった。母の顔はぼやけてかすみ、母の目も鼻も口もそれらがそこにあるという以上のことを映さなかった。だから母の目に涙が溜まっていたというのは自分が作り出した嘘だと菜摘子にはわかる。
 菜摘子が身を引こうとしたのを感じて手を止めた母が、次の瞬間、骨が軋むほど強く菜摘子を抱きしめたのは本当のことだ。そして菜摘子が腕の中で歯を食いしばって痛みに耐えている間、声にならない声で何度も何度もごめんねと繰り返し、すすり泣いた母の記憶も本物だった。
 そのときの強すぎる力とシャンプーのにおい、そして母の頬からこめかみに伝わる生暖かい涙を菜摘子は今でもまざまざと感じることができる。思い出すだけで今もまだ母に抱かれ続け、痛みを我慢し続けているような気さえする。けれどそのとき菜摘子は母の腕からすり抜けるように体を離し、もう一度自分を抱きしめようとする母の手を抑えるようにつかんで「私は大丈夫よ」と言い、そしてそう言う自分を鏡で見た。その斜めに映った横顔が菜摘子自身の最後の顔の記憶だった。

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3

 それから三ヵ月後、二度と光を感じられなくなった菜摘子は遺伝を受け継がなかった兄の恵一に「私笑ってる?」と繰り返し聞く。
 恵一は「笑ってるよ、すごくかわいく笑ってるよ」そう言いながら、何度も菜摘子の頭を撫でる。菜摘子は頭を撫で続ける兄の顔におそるおそる触れ、唇をなぞり、少し油っぽい鼻に触れ、そのそばの湿り気を感じ、濡れているまぶたに触れる。恵一はいつまでも妹の好きなように触らせ、指が離れるとその細い肩を軽く抱きしめ、黒くしなやかな髪に頬を擦り付け、自分の部屋に戻る。
 その恵一は今から五年前に結婚し、三年前、二歳になる孤児の拓人を養子に取った。養子を取らずとも子供を生める夫婦だったし、実際子供はできた。そのことを菜摘子は義姉の雪から手術の三日後、つまり今から四年前の夏のある日に聞かされる。
 恵一がおろせと言った、雪は菜摘子のブラウスの鎖骨のあたりに涙の染みを作って言う。おろさなきゃよかった、産めばよかった、義姉は何度もそう繰り返し、声を震わせる。菜摘子は何も言わず、義姉と同じように涙が流れるのを感じながら彼女の肩や背中をさする。
 そして三年前、恵一はたった一度だけ拓人を連れて来たきり、生まれ育った家を訪れていない。その代わり雪が三ヶ月か四ヶ月に一度、拓人を連れて義理の両親に会いに来るようになり、そのたびに恵一が来れないのは仕事が忙しすぎるからだと小さな声で言い訳をする。母は、わかってるよ、恵一にはこっちのことは心配しないでいいって伝えて、とうつむく雪に言う。母には恵一が自分の代わりに二人を寄こしているのだとわかる。それが恵一のやさしさなのだということも、わかりすぎるほどにわかる。
 それでも雪が来た日の夜、母は必ず泣いた。父と菜摘子が眠りにつく頃、キッチンのテーブルに突っ伏し、恵一、ごめんね、と声を殺して言い、そんなに私が憎いか? そんなに私のことを信じれないのか? とすすり泣いた。菜摘子は遠くから微かに聞こえる母の声で幾度も目が覚め、そのたびに頭まで布団を被って耳をふさぐ。そして眠りにつくまで、自分も子供は生まないと何度も繰り返す。恵一のように養子を取って、目の見える子供を育てると声に出して呟く。


 京次は菜摘子の額に軽く触れ、閉じられたまぶたにかかる黒く艶やかな髪を払う。恵一のことを考えていた菜摘子にはその指の動きが兄のそれのように柔らかく、同じくらい臆病に思える。どんな些細な痛みも与えないように私に触れる指。やさしい指。それは京次の声を初めて聞いたときから知っていた。そして兄のいつも遠慮がちで苦しそうな声が京次のそれと初めてはっきりと重なり、自分がこの男に惹かれた理由の一つがわかったような気がした。柔らかで臆病でやさしい指、柔らかで臆病でやさしげな声、それが菜摘子の中で形をとり始めた京次だった。
 突然、京次が言った。
「菜摘子さん、明日、暇?」
「暇だけどどうして?」菜摘子は首を傾げて聞く。
「海に行こう」京次はそう言って菜摘子の首筋に口をつけ、軽く歯を立てる。
 菜摘子はくすぐったいと体をよじり、京次の頭を押しのけ「私泳げないし、水着もないよ」と言う。
「じゃあ明日買いに行こう」京次の指が菜摘子の頬に触れる。
「でも私と行ってもつまんないと思うよ」菜摘子は小さく答える。
「いいんだよ、一緒に行きたいだけ」京次は菜摘子の体から降り、菜摘子の頬に自分の頬を押し付ける。
「くすぐったい」そう言って菜摘子は笑う。

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奥付



じのん中編集 ある死刑囚の記録 / 菜摘子の絵

2004/12/31 菜摘子の絵 脱稿
2008/12/31 ある死刑囚の記録 脱稿
http://p.booklog.jp/book/25450


著者 : じのん
公式サイト:http://jinon.jp/
著者プロフィール:http://p.booklog.jp/users/jinon/profile
Facebook:http://www.facebook.com/jinon.jp

「菜摘子の絵」 写真: じのん
「ある死刑囚の記録」 写真: browneyes
表紙デザイン: browneyes


発行所 : ブクログのパブー(http://p.booklog.jp/
運営会社:株式会社paperboy&co.


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http://booklog.jp/puboo/book/25450



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