閉じる


はじめに

" I wonder if, a hundred years from now, anybody will win a victory over anything because of something I left or did. It is an inspiring thought. "

「いまから百年後になって、だれかが、わたしの遺すものやまたしたことによって何かに勝つことがあるだろうか。こう考えるだけで奮起せずにはいられない。」
(『エミリーはのぼる』第一章より)


1908年にL.M. モンゴメリの『赤毛のアン』が世に出て100年。
世界中で読み継がれ、日本でも新たな訳出が重ねられている『赤毛のアン』とそのシリーズについて、近年では「モンゴメリは、本当は家庭的な物語は書きたくなかったのだ」「世間に好まれるものを、仕方なく書き続けたのだ」などといった、読者が自然に抱く『赤毛のアン』のイメージを覆す内容の評論や解説書が目につくようになりました。
それは果たして、本当でしょうか?
アン・シャーリーの一番の「心の同類」であるモンゴメリ自身と、彼女の人生の中での「心の同類」たちを通して、モンゴメリがアンやエミリーの物語に託した思いを探ります。

1
最終更新日 : 2012-08-12 09:08:43

Ⅰ - 1 昔気質の少女

「赤毛のアンはオルコットの直系の子孫」


これは、イギリスの有名誌「スペクテイター」による『赤毛のアン』出版当時の書評です。(*1)

『若草物語』で知られるルイーザ・メイ・オルコットは、19世紀後半に活躍したアメリカの女性小説家で、モンゴメリが愛読した作家でした。


「時折仕事の手を休めて、小さな本棚をうっとりと見上げるのが好き。すべてお気に入りの本ばかり。

買うまえに読んでみて、ずっと読み続けたいと思うような本でなければ買わないし、作者から『目に見えない何か』が得られるはっきりとした確信がなければ手に入れたりしない。

10代の頃に読んだ大好きな詩人たちの本、オルコット、そして『ジプシー』物語。まだずっと好き。それからいろんな場所で出会い、手に入れた小説たち。擦り切れるほど繰り返し読み、何度も貸し出された・・・。」(*2)


そう日記にあることからも、少女時代のモンゴメリがいかにオルコットの作品を愛読していたかが伺われます。

そんなモンゴメリですから、冒頭の「スペクテイター」誌の書評が、イギリスに住むマクミランという文通相手から送られたときは、さぞ嬉しかったことでしょう。

その喜びは、マクミラン宛の礼状に素直に現れています。


「アンについての書評を送って下さって、ありがとうございました。送って下さらなかったら、あの書評を目にすることはなかったでしょう ── わたしが契約している切り抜き専門の会社もイギリスの書評をたくさん送ってよこしたのですけれども。『スペクテイター』紙の書評は少なからずわたしを喜ばせてくれました ── とても好意的で、縦二欄近くも割いていたのです。あの畏れ多い『スペクテイター』がわたしの本にいくらかは重きを置くだろうと言う人がいたら、そんな考えをわたしは一笑に付していたことでしょう。でも、それが起こったのです。」(*3)


確かに『赤毛のアン』には、オルコットへのオマージュが散見されます。

例えば、日本では、『美しいポリー』と『風の中のポリー』に分けて訳出されることもある『昔気質の一少女』。

この物語は、


「いつも、心の中で、女の子なんて、いないほうがずっといいと考えていた」(*4)


少年トムが、


「ええっ!それで、ぼく、ひとりでいって、一ども会ったこともない女の子を、家までつれてくるのかい?」(*5)


という風に、主人公の女の子・ポリーを駅に迎えにいくところから始まります。

これはまるで『赤毛のアン』のマシューのよう。

おまけにトムは赤毛で、「小さいときに、みんなから『にんじん』といってからかわれ」(*6)ていたのですが、『赤毛のアン』のアン・シャーリーもギルバートに同じようにからかわれます。

主人公のポリーは、ラテン語を「すらすらと、読」(*7)めてしまったり、「あっさりとかざりけのない服」(*8)を着ていたり、実は心の奥でトムの姉が着ているように「ふわふわしたかざりや、レースをつけたいと思ったり、かざり帯のむすびを、もっと大きく、はでやかにしたいと考え」(*9)たりする女の子ですが、彼女のそういった特徴はどれもアン・シャーリーにも見られます。

また、いつもは周囲を明るくする太陽のようなポリーが、


「そして、絵を見たついでに、日記を読んで、あたしのおくり物を笑って、それをみんなモードの罪にしようとするの。そんな、ひきょうなやりかたって、あるかしら。あたし、一生あなたたちをゆるさないわ!」(*10)


「からだをふるわせて怒り、たたきつけるように」(*11)言ったり、失礼なことを言う友だちに「お腹のそこから、怒りがこみ上げてきて、するどい声で」(*12)叫んだりといった癇癪もちなところも、自分をからかったギルバートの頭に石盤を叩き付けてしまうアンに似ています。

おまけにもう一つ、トムのおばあさんが語る、物置の急な屋根からスモモの枝に手を伸ばして足をすべらし、たくさん繁った草の上に落ちて命拾いした思い出話も、アン・シャーリーが無鉄砲から「バーリーさんの屋根の台所の棟」を歩き、そこから落ちてかかとをつぶす怪我をした「アンの名誉をかけた事件」(*13)を彷佛とさせます。


ちなみに、ポリー(Polly)という名前はモンゴメリの子供の頃の愛称でもあり、トムの一番下の妹の名前モード(Maud)はモンゴメリのミドルネームと同じです。

愛称や名前の符合は、それをモンゴメリ自身が付けたのでない限り偶然の出来事と言うべきものでしょう。

ましてやオルコットが『昔気質の一少女』を著し、モンゴメリが生まれた1870年前後の時期は、


「ヴィクトリア女王の次女 ( Alice Maud Mary,1843-78 ) の影響などでモードの名に人気があった」(*14)


とのことですから、モードの符合はそんなに珍しくはなかったことかもしれません。

とはいえ少女のモンゴメリにしてみれば、自分と同じ呼び名の主人公や登場人物が描かれる物語に他にはないほどの親しみを覚えたであろうことは、容易に察せられます。

その物語の作者・オルコットの誕生日が自分と一日違いであることも、8~9歳の頃から「精神的で永遠なる事柄」(*15)について強い好奇心をもっていたモンゴメリに、特別な意味を感じさせたに違いありません。


2
最終更新日 : 2012-08-14 14:08:50

Ⅱ - 1 勝気な少女と夢見る少女

モンゴメリが『赤毛のアン』を出版するのに先立つこと60年前、19世紀中頃の英国文壇に多大な影響を与えた姉妹がいます。

『ジェーン・エア』や『シャーリー』で知られるシャーロット、『嵐が丘』で有名なエミリー、『アグネス・グレイ』と『ワイルドフェル・ホールの住人』を書いたアンのブロンテ三姉妹です。

三姉妹の中でも、特にシャーロット・ブロンテについてモンゴメリは次のように述べています。


「ベンソンが最近出版したシャーロット・ブロンテの伝記には心奪われました。でもシャーロットが、彼が描くような人を圧する背の低いガミガミ女だったとは思いません ── さりとて、ギャスケル夫人が書いた伝記にあるような、あまりに気高いヒロインというわけでもないでしょう。誰も本当のシャーロット・ブロンテを知ることなどできないと思う私です。彼女が貶(けな)されるのを見ると腹立たしくなるほど、シャーロットを愛しています。」(*1)


そんなモンゴメリが『赤毛のアン』の主人公・アン・シャーリーを「おそろしくやせっぽちだし、きりょうがわるい」(*2)少女としたのは、物語の主人公は美しくなければならなかった半世紀以上も前の時代に、シャーロット・ブロンテが二人の妹に対して


「不器量でちっぽけな女主人公が、あなたがたの女主人公と同様に興味ある人物になることを示しましょう。」(*3)


と言って綴った『ジェイン・エア』へのオマージュだったと思われます。

実はこの他にも、モンゴメリが描いた「アン・シリーズ」や「エミリー・シリーズ」には、おどろくほどブロンテ姉妹やその作品との符合が見つかります。

『赤毛のアン』に始まるアン・シリーズの主人公は言わずとしれたアン・シャーリー(Anne Shirley)。

そして、モンゴメリのもう一つの代表作であるエミリー・シリーズの主人公はエミリー・バード・スター(Emily Byrd Starr)。

一方、ブロンテ姉妹の名前はシャーロット(Charlotte)、エミリー(Emily)、アン(Anne)。

そして、シャーロットがエミリーをモデルにして書いた小説の題名が『シャーリー』(Shirley)。

こうして並べてみると、偶然と言ってしまうのがためらわれるほどの符合です。


これだけではありません。

『ヨーロッパ人名語源辞典』によれば、


「チャーリー(Charlie)は、チャールズの愛称形であるが、シャーロットから派生した女性名でもある。シャーリー(Sharley)やシェリー(Sherry)という変形もある。」(*4)


とのことですから、シャーロット ≒ シャーリーとなるのです。

厳密にはスペルの違いがありますが、モンゴメリは綴りの正確さよりも音に意識が向いていたタイプ 。(*5)

こだわるほどのことではないでしょう。

そうと知ったうえで、モンゴメリが描いた物語の主人公たちとブロンテ姉妹の名前を見比べれば、「アン・シャーリー」はアンとシャーロット、「エミリー・バード・スター」はエミリーと見事に一致するわけです。


 


単に名前が一致しているだけではありません。

互いの特徴の類似も見られます。

例えば、もし次のような人物紹介を読んだなら、あなたは誰のことを思い浮べるでしょうか。


  • その少女はとてもおしゃべりで、かんしゃくもちです。
  • 小さい頃はきちんと学校に通うことが出来ませんでしたが、シェイクスピアなどの本を読むことが好きで、トムソンやスコット、バイロン、キャンベルなどの詩をそらんじることができます。
  • お世辞にも美人ではないけれど、何かに夢中になった時の瞳は人を魅了します。
  • そんな彼女は物語の中で、石盤を真っ二つに割ってしまい、先生から罰を受けました。


『赤毛のアン』を読んだことのある人なら、これはまさしくアン・シャーリーのことだと思うはずです。

しかし、これらの特徴はみな、シャーロット・ブロンテのものでもあるのです。


エミリー・ブロンテの評伝を著したキャサリン・フランクは、『ジェイン・エア』に登場するテンプル先生のモデルとなったカウアン・ブリッジの若き女性校長、アン・エヴァンズのコメントを引きながら、


「シャーロットは『とても利発な賢い子供で』、ブロンテ姉妹の中ではいちばんおしゃべりでした。」(*6)


と 8~9歳の頃のシャーロット・ブロンテの様子を紹介しています。

また、シャーロットと直接面識のあった19世紀の英国ベストセラー女流作家エリザベス・ギャスケルが、シャーロットの死後著した『シャーロット・ブロンテの生涯』によれば、シャーロットは友人のエレンに宛てて、


「わたしの機嫌はあまりにもすぐにうち壊され、あまりにも怒りっぽく、あまりにも露骨で激しすぎるらしいのです」(*7)


「あなたがお読みになる本を何冊か推薦して欲しいとおっしゃるのですね。【中略】ミルトン、シェイクスピア、トムソン、ゴールドスミス、ポープ(わたしは彼には感心しませんが、もしあなたがお望みなら)、スコット、バイロン、キャンベル、ワーズワス、サウジーです。」(*8)


と書き送っています。


ギャスケル夫人はまた、10歳から14歳までの間は学校に通っていなかったために、同じ年の子たちからはとても無学だと思われていたシャーロットが、


「わたしたちが暗唱しなければならなかった短い詩をたいていはよく知っていました。作者は誰、どの詩から取られたものだ、とよく教えてくれました。」(*9)


というシャーロットの友人メアリ・テイラーの証言を載せています。

そしてギャスケル本人が捉えた、


「しかしときどき、生き生きとした興味をもったり正当な憤りを感じたりするのが当然の場合には、まるで何か霊的な明かりが灯されたかのように、表情に富む眼の奥で光が輝き出て、燃えることがあった。わたしは他のいかなる人にもこれと同じ眼を見たことがない。彼女の顔立ちは、他の部分についていえば、器量が悪く、造作が大きく、釣り合いが悪かった。しかしそれらの一覧表を作り始めるのでなければ、そのことはほとんど気にならないであろう。というのは、眼と、表情の力が肉体的な欠点をすべて圧倒していたからである。」(*10)


というシャーロットの印象。


また『赤毛のアン』には、かんしゃくを起こしたアン・シャーリーがギルバートの頭に石盤を打ち付けて割るという、いわゆる「石盤事件」が描かれていますが、シャーロットが描いた物語『ジェイン・エア』では、緊張したジェインが誤って石盤を落として真っ二つに割ってしまい、教室中の注目の的になったうえに教師から罰を受ける、というエピソードが描かれているのです。

石盤を割るというエピソードの元祖は、偶像を崇める同胞に怒って十戒石板を割るモーゼであり、「怒って割る」という点でモーゼにより近いアン・シャーリーですが、アンとシャーロットの共通点を踏まえた上で『ジェイン・エア』と『赤毛のアン』を読めば、やはりそれぞれの「石盤事件」は自然に重なって見えてきます。

そしてこの他にも、アンの最初の友だちになるダイアナと、ジェインの気持ちを最初に理解してくれる女中のベッシーは、ふたりとも黒い瞳に黒い髪の血色の良い肌の美人だった・・・など、類似する点があるのです。

エミリー・バード・スターとエミリー・ジェイン・ブロンテの間にも、大きな共通点が見られます。
モンゴメリの描いたエミリー・バード・スターは詩人をめざしますが、ニューヨークに出ることを誘われてもそれには乗らずに、プリンス・エドワード島のニュームーン農場で詩作を続けます。

エミリー・ジェイン・ブロンテも、その作品が注目され始めた後も、ロンドンに出て文壇社交界デビューすることを望まず、ハワースの荒野を歩き続けた人でした。
また、エミリー・シリーズの第一作目である『可愛いエミリー』の原題は"Emily of New Moon(新月農場のエミリー)"ですが、エミリー・
ジェイン・ブロンテには


月の光がこうこうと輝く風の夜

一面の光の世界を視線はさまよう



といった月を歌った詩や、


夜のあいだずっと、おまえの目はきらきらと

私の瞳を覗き込んでいた。

そして私は深くやるせない吐息をつき、

この天からのまなざしに感謝する。


次から次に襲いくる思い ── 次から次に

果てしなく星が輝き

遠く近く、やさしい神秘の力が

全身を貫き、私たちは一つに。



という「星」という題の詩があります。
(*11)
キャサリン・フランクによる評伝に、

「エミリーの詩に、夜、暗闇、風、月、星などがしばしば出てくるのは、彼女がもっとも自由に詩を書いていたのが夜だったということにも一因があるのかもしれない。【中略】エミリーは昼間の勉強や仕事をわきに押しやり、深夜まで、想像の世界に身を委せる。」(*12)

と書かれているエミリー・
ジェイン・ブロンテ。
真夜中の3時に詩作に没頭するヒロインにエミリー・バード・スターと名付けたモンゴメリが、彼女を意識していなかったはずがありません。


3
最終更新日 : 2012-08-17 08:10:17

Ⅱ - 2 符合する登場人物たち

モンゴメリとブロンテ三姉妹が描いたそれぞれの登場人物の間にも、多くの共通点がみられます。


①二人のシャーリー

シャーロット・ブロンテの『シャーリー』には、主人公・シャーリーについて次のような記述があります。


「シャーリー・キールダー(彼女にはシャーリー以外洗礼名がない。両親が男の子を欲しがり、結婚して八年後、娘しか授からなかったのを知ると、男が生まれた場合につけるつもりだった家族の男子名を彼女に与えたのだった)。【中略】生まれつき血色はよくないが、知的で、表情は変化に富んでいる。」(*13)


本当は男の子が欲しかったのに授かったのは女の子、というプロットはマリラの家に来たアン・シャーリーの境遇と同じ。

そして、その容姿も


「小さな顔は、青白くて、肉が薄く、【中略】あごは尖っていて凛々しいこと。大きな瞳は生き生きと精気に満ち、唇は愛らしいが、口元は表情に富み、そして額が広く豊かなこと。」(*14)


という特徴のあるアン・シャーリーと重なります。

また、


「夢見心地の状態や白昼夢にふけっている様子」(*15)


というシャーリー・キールダーのキャラクターも、


「『外の方が、想像の余地があるから』だとか何だとか。思うに、ちょと変わった子ですな」(*16)


と評されるアン・シャーリーを彷彿とさせます。


②二人のギルバートと二人のブライス

アン・シャーリーがずっとライバル視していて、後に夫となるギルバート・ブライス(Gilbert Blythe)の名は、アン・ブロンテの『ワイルドフェル・ホールの住人』という小説の語り手であり、主人公ヘレンが後に再婚する相手であるギルバート・マーカム(Gilbert Markham)と符合します。

『ワイルドフェル』のギルバートは、

 

「僕が感情をこめたり、機嫌を取り結んだりしそうになったり、言葉や視線にわずかながらも愛情の兆しが見えたりすれば、その瞬間に僕は彼女の態度の急変で罰せられました。《中略》やっとの思いで芽吹いたつぼみを一つずつ無情にも摘み取っていたのです。」(*17)


「僕は目の前の幸運を感謝して享受しながらも、未来にはこれ以上のものをと願い、期待することを忘れはしませんでした。しかしもちろん、こうした夢は僕だけのものにしておきました。」(*18)


と語っていますが、モンゴメリの描くギルバートも『アンの青春』で

 

「ギルバートはまだ少年期を脱したか脱しないに過ぎないが、人並みの夢は抱いており、その未来にはいつも、大きな澄んだ灰色の目、花のように美しい、優美な顔の少女がいた。ギルバートはまた、自分の未来をその女神にふさわしいものにしなければならないと、かたく決心していた。《中略》しかしギルバートは思っていることを言葉にあらわそうとしなかった。このような感情を明かそうものなら、アンは情容赦もなく、それを蕾のうちに切りとってしまうであろうし ── あるいはギルバートを軽蔑するにちがいないからだった。それがなにより辛かった。」(*19)


と悩んでいます。 

『ワイルドフェル』のギルバートはヘレンのことを、貞淑な未亡人で(実は彼女は、堕落した酒浸りの夫から息子を連れて逃げてきていたのですが)、普通の女性に見られがちな他人のうわさ話に興じるようなところのない「心の純粋さと気高さ」を持ち、どの女性よりも「愛らし」く「崇高」であると惹かれます。(*20)

『青春』のギルバートも、「アンの最大の魅力」は、他の娘たちのように「見せかけの嘘をついたり、敵対意識をはたらかせたり、機嫌とりをするような、くだらぬ真似をしないこと」であり、「アンはこういうことからまったく離れていた。それも意識してでなく、動機も抱負も、水晶のように透明な、純情な性格からきていた。」と思っています。(*21)

このように、ヒロインに向けて芽生える恋心が蕾(bud)のうちに摘み取られてしまうという、二人のギルバートの悩みはまさに同じもの。


また、こんな奇妙な類似点も見つかりました。

『アンの夢の家』に登場するギルバートの大伯父さんの名前はデイビット・ブライス(David Blythe)ですが、シャーロット・ブロンテに求婚して振られた2人目の男性の名前もデイヴィッド・ブライス(David Bryce)という名で、綴り以外は同姓同名。(*22)

 この実在の人物デイヴィッド・ブライスの、


「活発でハンサムな人」

「機知に富み ── 活発で、熱心で才気ある人」(*23)


という特徴は、『アン』のギルバート・ブライスを彷佛とさせますし、この男性が 23歳のシャーロットにプロポーズして振られ、


「六か月後に、突然、血管破裂で亡くなってしまった。」(*24)


という実話も、アン・シャーリーに振られた後に病気になって死の淵をさまよったギルバートのエピソードを思い出させます。

そしてモンゴメリは、このエピソードをアン・シャーリーが22歳頃の出来事としておいています。


③二人のダイアナ

アン・シャーリーが「心の同類」(Kindred spirits)を感じる腹心の友、ダイアナ・バリー(Diana Barry)。

彼女については、シャーロット・ブロンテの出世作『ジェイン・エア』で、主人公・ジェインが親しみを感じた女性ダイアナ・リバーズ (Diana Rivers)と名前が符合します。

ジェインはダイアナの兄からプロポーズされますが、実はいとこ同士だったという筋立てで、「いとこ同士」すなわち「血族関係=kindred」 となります。

リバーズの「リ」と「バ」をreverse(逆転)させるとバリーになるのも、ユーモアの才気あるモンゴメリならではのネーミングだったのではないでしょうか。


④二人のマシュー

『シャーリー』の物語には、シャーリーと並ぶもう1人の主人公キャロラインが登場します。

父を亡くし、幼い頃に母と別れた彼女の養父である叔父の名はマシューソン・ヘルストン(Matthewson Helston)。

この名前と役柄は、マリラとともにアン・シャーリーを引き取って育てたマシュー・カスバート(Matthew Cuthbert)を思い出させます。


⑤二人のレイチェル

そして、『赤毛のアン』に出てくる世話焼きなご婦人レイチェル・リンド夫人(Rachel Lynde)。

彼女は、アン・ブロンテの『ワイルドフェル・ホールの住人』の中に登場する「女主人の身の回り品を持って入ってきた頼りがいのある(*25) 年配のメイド、レイチェル(Rachel)と符合します。

女主人ヘレンのメイドであるレイチェルは、物語の中でしばしば館のドアを開けて客人を招き入れていますが、モンゴメリが描くレイチェル・リンド夫人は最初の登場人物として物語の扉を開き、私たちを『赤毛のアン』の世界へと招き入れます。


このように、『赤毛のアン』の主要な登場人物の5人に関して、そのキャラクター設定までをも彷佛とさせる符合が見つかりました。



【ふたりのシャーリーの符合図 



【アン・シリーズの登場人物とブロンテとの符合図


4
最終更新日 : 2012-08-16 11:11:41

Ⅱ - 3 ヒロインの誕生日

実は、モンゴメリがブロンテ姉妹をオマージュしていたことを示すのは、名前や人物像の符合だけではありません。

モンゴメリの描いた二人のヒロインの誕生日が、三姉妹それぞれの命日と、深い繋がりを感じさせるのです。

アン・シャーリーの生まれ月である3月は、シャーロット・ブロンテが亡くなった月。

そして、エミリー・バード・スターの誕生日は、アン・ブロンテとエミリー・ブロンテそれぞれの命日である5月28日と12月19日とを組み合わせた、5月19日になっているのです。


ところでモンゴメリは、新婚旅行先の英国で、憧れの作家たちのゆかりの地をあちこち訪ねていますが、ヨークシャーのハワースにある、ブロンテ姉妹の家だった牧師館とシャーロットが妹・エミリーと共に眠る墓を訪ねたことも日記に綴っています。(*26)

当時はまだ交通事情も悪く、片田舎のハワースまで荒れ地の中を車を走らせるのは難儀だった模様。

おまけにそんな苦労の末にたどり着いた牧師館も、中の調度品は見学出来ず、外側からしか覗けなかったと記しています。

そうまでして訪れたかった場所であるのに、モンゴメリを研究する様々な本にはなぜかこのエピソードは見あたりません。

 

さて、妹・エミリーをモデルにした『シャーリー』という物語を描くなかで、自分より先に亡くなった妹を「この中に生き返らせ」「エミリーが経験せねばならなかった失望、苦しみ、失敗を取り除いた(*27)シャーロット・ブロンテ。

彼女は、その6年後に妊娠中毒症のために38歳の若さで帰らぬ人となります。

わずか10ヶ月前に、父親の牧師補をしていたアーサー・ベル・ニコルズというアイルランド出身の男性と結婚したばかりでした。

新婚旅行から帰る途中に、シャーロットが親友に宛てて書いた手紙には次のような文章があります。


「ネルへ ── この六週間のうちに ── 私の考え方はずいぶんと変化しました。いままでよりもっとよく人生の真実が見えてきました。……ほんとうよ。ほんとうなのよ、ネル ── 妻になるということは厳粛で、不思議な冒険です。女にとって」(*28)


これは、家族から遠く離れた場所での肩身の狭い教師やガヴァネス(住み込み家庭教師)の仕事に追われる若い日々を過ごし、妻子ある男性教師への片思いと傷心から結婚には後ろ向きだったシャーロットが、「結婚生活によってもたらされる日ごとの、時間ごとの親しみの感情(*29)を喜び綴った手紙なのだと、伝記作家キャサリン・フランクは述べています。

その「日ごとの、時間ごとの親しみの感情」を、たった1年も味わうことなく亡くなったシャーロットの命日が3月31日。

そして、ブロンテ姉妹、特にシャーロットが好きと言っていたモンゴメリがアン・シャーリーの誕生月としたのが3月(生まれた日にちはアンが孤児のため不明)。


これは単なる偶然でしょうか?


よく、おばあさんの命日に生まれた孫はおばあさんの生まれ変わりだとか、ジョン・レノンの命日に生まれたミュージシャンの誰だれはレノンの生まれ変わりだ、ということを言ったりします。

ところで、モンゴメリは1906年9月にマクミランへ宛てた手紙を、次のような一文で締めくくっています。


「海岸に行くと、わたしはいつも仲間がほしくなります ── 海の広さ、果てしなさ、広大無辺さに触れると、自分の卑小さに否応なく気付かせられて、無性に人恋しくなります。でも、森の中では、ひとりっきりでいるのが好きです。どの木もみんな昔からの親友ですし、ひそやかに吹き抜ける風はどれも陽気な仲間ですから。もし、霊魂再生説を本気で信じるなら、この世に生をうける以前のある一時期、わたしは木だったことがあるのだと思うくらいです。森の中にいると、いつも、完璧に、心ゆくまでくつろげるのです。
 ところで、あなたはその霊魂再生説を心から信じる気になりますか。わたしにとっては心惹かれるものです。憂うつな気分のとき、生命は脈々と続いてゆくのだと考えるのが好きです。ひとつの生命と次の生命の間に死という安らかな眠りをはさんで ── 忙しい昼の時間にはさまれて夜があるのと同じように。それは不死の生ということほどには信じがたいとは思われません。さて、そろそろ危険な深みにはまりこみそうになってきましたし、時間も遅くなりました。おやすみなさい、未来の休暇の楽しい夢を見ますように。」(*30)


このような感性を持っていたモンゴメリですから、シャーロットの亡くなった3月を誕生月としたアン・シャーリーの物語を描くことで、家庭を築いていく喜び から一転して永遠の別れという悲しみの淵へと突き落とされた、愛する先達の魂を再生し救済しようとしたとしても不思議ではないでしょう。

シャーロットが妹・エミリーにそうしたいと思ったように。


果たしてモンゴメリは、シリーズの4作目『アンの夢の家』(後の1936年に書いた『アンの幸福』がシリーズ4作目に位置づけられるので、シリーズ構成としては5作目)で、アン・シャーリーにギルバートと結婚して家庭を育むことに専念する道を選ばせます。

『赤毛のアン』では自由な少女時代を過ごし、続く 『アンの青春』『アンの愛情』でも当時の若い女性としては破格の学問的成功を修めたアン・シャーリーが、平凡な家庭婦人に落ち着いていくという展開に、


「『赤毛のアン』でのアンは、聡明で、誇り高く、それでいて心優しくて、夢や憧れを大切にする少女だった。私はそんなアンを愛しているし、彼女が生き生きと描かれている本書もまた好きだ。そのアンが、そのまま大人の女になり、働き、恋をする姿を期待していた。しかし、アンは最後に、中学校校長の職を捨てて結婚し、五人の子供の育児に追われ、夫ギルバートの心変わりを気にやむ平凡な女になる。女は個性や自我を捨てなければ大人になれないとでも言うように・・・。」(*31)


などと失望する向きも少なからずおられる様子。

しかし、シャーロット・ブロンテの生涯を強く意識していたモンゴメリであれば、アン・シャーリーが社会的成功を収めた後で、愛情豊かな結婚生活を送るイメージを始めから抱いて、物語を描いていたはずです。


実際に、『アンの夢の家』は112日間(1916年6月16日~10月5日)という当時のモンゴメリとしては最速の早さで描き終えられ、その筆になんの迷いも無いことが伺われます。

1917年7月の日記では、『アンの夢の家』の出版に際して「『赤毛のアン』や自分でも気に入っている『ストーリーガール』と比べても一番の自信作(*32)と綴っていますし、彼女の最後の住処である「旅路の果て」と呼ぶ屋敷には、『アンの夢の家』の表紙絵が飾られていたとか。(*33)

このことからも、アン・ シャーリーの新婚生活を描いた『アンの夢の家』に、モンゴメリが込めた思いの強さを知ることができるのです。


5
最終更新日 : 2012-08-15 15:40:10


読者登録

nobvko《水野暢子》さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について