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一日目:羽田から松山へ

 

羽田空港が国際化されたというので、早速乗りにいく。


羽田への公共交通としてはリムジンバス、モノレール、京急が代表的なものだが、バスは時間の予測が難しい上に高い。モノレールはターミナル・浜松町駅のアクセスが悪い。


ということで、京急で行くことにする。


京急のターミナルはJR品川駅ホームと直結しており、アクセスしやすい。品川からは日中ほぼ10分ネットで空港直通列車が出ており、便利といえば便利なのだが、日中4分というフリークェンシーを実現しているモノレールに比べると、見劣りがする。


実際品川駅に着いたはいいが、ちょうど列車が出た後で、次の直通急行まで十分ほど待たされることに。


もっともいざ出発すると、速い速い。もともと(関東私鉄にしては)スピード自慢の京急の上、急行だが空港までノンストップなので、蒲田に停まる快速特急よりはやい。ただ立体交差工事はまだ完了しておらず、蒲田駅では減速を余儀なくされる。


逆に言えば、工事完了の暁には、さらなるスピードアップが望めるわけだ。現在、モノレールと京急の所要時間はともに最短13分だが、モノレールのスピードアップが頭打ちになっていることを思えば、展開はしだいに京急有利になるか。


地下に設置された国際線ターミナル駅で降り、改札を出ると、エレベータorエスカレータで地上3,4Fの出発ロビーまでいける。成田と同じ方式だ。ただモノレール駅は降りてすぐ目の前がロビーなので、これはモノレールに軍配が上がる。まあ、たいした差ではないのだが。


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モノレール最大の弱点は、浜松町ターミナルのアクセスの悪さだ。東京の実質上の中心・新宿から遠く、また品川駅のように新幹線に接続してもいない。これを克服しようと、ターミナルを新橋まで延伸するプランも出ているが、新橋駅もまたマイナーな存在なので、正直事態が劇的に改善されるとも思えない。


そもそもモノレールでは相互乗り入れが不可能で、都営地下鉄、京成などと乗り入れ、長大なネットワークを組む京急との競争には勝ち目が薄い。


もっとも京急の軌間は標準軌で、関東では特殊な部類に属する。そのため東京駅乗り入れが実現したとしても、これ以上ネットワークを拡張することも難しい。(京急と乗り入れしている都営浅草線は東京駅のそばを通ることから、東京駅に新ホームを設置するプランがある・・・が、東京モノレールの大株主にあたるJRは乗り気でない)


この京急・モノレールの角逐を一蹴する可能性があるのが、JR貨物線の転用だ。実は、羽田空港の真下には貨物線が敷かれており、東海道線と接続している。これを使えば、成田エクスプレスのように広範囲な空港直通ネットワークを構築できる。新宿・横浜方面のNEXは羽田空港の近くを通るので、分割運行することも考えられる。


ただ東海道線は充分に儲かっているので、殿様商売のJRは、わざわざ苦労してまで空港客を捕まえる気はないようだ。殿様としては、そのような「はした需要」などは、京急にくれてやろう、と言ったところか。あまり東海道線を混ませても、国土交通省から指導されるだけだしね。


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さて、昨年(2010年)10月に開業した国際線ターミナル。出入国ロビーの上は「和」をテーマとしたショッピングセンターとなっており、空港関係者やマスコミが「どや顔」をするのが常となっているが、正直たいしたものは売っていない。染物やら伝統工芸やら日本臭のプンプンするものばかりで、外国人がこれは、と買いたくなるような物はあまり置いていない。


日本に来る外国人の大半が「和マニア」だ、とするのはTVの見すぎだろう。外国人相手の店は日本情緒を売るのでなく、日本でしか買えないような、日本で買ってお得感のあるものを置くべきと思う。日本が得意とする電子機器やデザイン文具、アニメや漫画などを拡充する、など。


またショッピングや食事、展望台くらいしか暇潰しがないのも痛い。韓国の仁川空港は積極的にショーを提供することで、乗客の無聊を慰めているが、それを真似して無料の映画上映、ショーなどを打つべきだろう。


空港自体のレイアウト自体はコンパクトで機能的なわりには、温かみがあって及第点。成田はインテリアが冷淡な上、巨大すぎてあちこち歩かされて疲れる。せっかく無駄にスペースがあるのだから、有効活用してもいいのでは。ショッピングモールにするとか、美術館を設けるとか、もっと歩いて楽しい施設にすべきだろう。


時間があるのでVIPラウンジへ。ドリンクバーくらいしか飲み物はないが、滑走路が一望でき、会議テーブル、ソファブースや無線LAN、雑誌新聞も完備しているので、なかなか使いやすい。ビジネスユースにも、ツアー客にも対応できる造りになっている。


無線LANは一般ロビーでも使えるが、有料。海外では無料LANがデフォルトになりつつあるので、この点は改善してほしい。


そうこうしている内に出発時間。乗り込むとじきに飛行機はターミナルを離れるが、ここからが長い。国際線ターミナルのある空港北端から、南端にあるD滑走路まではかなりの距離がある。途中ガコンガコンと、繋ぎ目を横切る音がするが、これはD滑走路へいくには橋を渡らなければならないからだ。


D滑走路こそは羽田国際化の立役者で、この滑走路が完成したおかげで発着枠が広がり、国際線を招致することができたのである。


ただ滑走路は無理やり拡張したので、多摩川の河口を塞ぐ形となってしまった。これを解消して川をスムーズに流すために、河口部は下ががらんどうになっており、支柱だけが並んでいる。いかにも日本人技術者の好きそうな手の込んだ設計で、ランニングコストも相当高くつきそうだが、東京の競争力回復のためには、必要な投資だろう。


     ☆


乗ったのはエヴァ航空だが、この会社は当たり外れが大きい。以前、チェックインに行ったら「席がありません」と言われたことすらある。IT時代になってからのダブルブッキングも珍しい・・・食い下がったら渋々席をくれたが、満員キツキツの便で不愉快な思いをした。


(ちなみ最悪の思い出を与えてくれたのは、ブラジル・ヴァリグ航空。やはり席がないと言われ、代わりの席もくれず、文句言ったらなんともう一席買わせられた。急いでいたので、泣く泣く二倍の価格で搭乗することに。二度と利用したくない・・・と思っていたら、案の定破産。日本から撤退していった)


今回はそのようなことはなく、機内も6割程度の埋まり具合で楽に移動できた。機種はエアバスA330。最新鋭ではないが、それなりにシートピッチも確保されており、前回のようなキツキツ旅とはならなかった。


乗ること4時間、松山空港に到着。


・・・松山といっても四国ではない。「台湾」の松山空港である。「台湾の松山空港ってどこ?」という人も多いだろう。そう、通常日本からの便は、台湾の桃園国際空港に着く。台北から車で一時間ほどのところにある空港だ。


しかし昨年から羽田に国際便が就航。羽田発の台湾への便は、松山空港に到着することになったのだ。


松山空港は台北市内にあり、日本統治時代の1936年に開港した。日本の撤退後も台北の空の玄関として国際線も扱っていたが、1979年に桃園に新空港ができると国際線はそちらに移転。国内線専門となっていた。だが2007年に台湾新幹線が開通すると国内線が減便され、離着陸枠に空きができたので、国際線再開の運びとなったのである。


羽田と良く似た経過をたどった松山空港だが、海沿いの羽田と違い陸内にあるので、着陸はビルの合間を縫って行われる。ふと、啓徳空港をおもいだす。啓徳空港は香港の市街地に鎮座していた空港で、ビルとビルの合間にジャンボがその巨体を差し込ませながら降りていく姿はスリリングだった。


結果、ついたあだ名が「世界で最も着陸が困難な市街空港」。遊園地のアトラクションのようなこの空港は、あまりに危険な上、騒音問題もあったので、中国返還を前に廃止されたのではある。


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無事松山空港へ到着。桃園空港に比べると小じんまりとして可愛らしいが、むき出しのコンクリートが多く、灰色な印象を受ける。一般に台北のビルは無塗装なものが多く、無機質というか殺風景だが、松山空港の場合、軍事基地としても利用されているのも一因だろう。


中国の軍事力に対抗するため、台湾では純粋な民間飛行場といったものはほとんど存在しない。高速道路でさえ、戦闘機の離着陸に使われているのである。


空港へは「ゆりかもめ」や「ニュートラム」のような新交通システム内湖線が通じており、台北市内に直行できる。台北の繁華街、忠孝路までは10分ほど。交通の要衝・台北駅までは20分。従来は桃園空港からバスで一時間もかけて移動していたので、大変便利になった。


台北の地下鉄は年々整備され、内湖線が開通したのは2009年と、つい最近のことである。2010年には新たに蘆洲線も開通。12年には信義線が開通。その後は桃園空港まで路線が伸びる予定で、当初は点と線を繋ぐのみだった地下鉄も、漸くネットワークと言えるようになってきた。


とはいえ現時点(2011年)ではネットワークの目は粗く、市中心部でさえ、20分も30分も歩かないと駅に出られないところは少なくない。また空港アクセスを担う内湖線は車両が小さく(遊園地のアトラクションに毛が生えたような!)、容量不足も深刻な問題になってきている。当初からフル規格の地下鉄で建設すればよかったのだが、財政上の理由から断念したことが、尾を引いている。


内湖線に乗って、3つほど先の駅、「科技大楼」でおり、街を歩く。


前回、台北を訪れたのは昨2010年の六月だが、そのときに比べると自転車が増えた気がする。実は台湾は世界最大の自転車メーカーGiantを擁する「自転車大国」である。もっともそれは生産大国であり、車社会の台湾では長らく自転車はまともな交通機関としては認識されてこなかった。


これを見かねたGiantの会長が、自ら自転車に跨って台湾を旅したことや、エコ意識の高まり、ガソリンの高騰などから、台湾でも近年自転車がブームになってきていると言う。実際、自転車レーンを何度となく見かける。特に台北を貫く淡水川や基隆川などの川べりでは、専用道、レンタルサイクルの類が整備されている。


ファッショナブルな自転車や、スーツに身を包んだ若者も多い。赤坂、道玄坂と坂だらけの東京とは違って、台北中心部は坂もほとんどなく、道幅も広い。歩道も広く整備され、段差も少ないため、自転車には有利なのだ。ただ車の運転が乱暴で、排気ガスもきつい台北では、自転車の本格的な普及には課題も多い。


実際、歩いていると幾度となく轢かれそうになる。一応、車は信号は守るものの、右折(台湾の車は右側通行)は赤信号でもできるらしく、横断歩道を歩いていても車やバイクが突っ込んでくる。


なぜそうなるかと言うと、一つには賠償額が低いというのが理由だと言う。人を轢き殺しても、日本円でせいぜい数百万、時には数十万程度の賠償金しか支払われない。なので事故っても「お金で解決がつく」という「安心感」がある。


もちろん数十万程度の金額でも低所得層には大打撃だが、そういう人たちが事故を起こしてもお金は取れないから、被害者側は諦めざるを得ないのだ。


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街中は処々に紅い飾りつけがなされている。。。この時期は「旧正月」という、台湾最大のイベントがあるのだ。というか、今回の旅はこの旧正月をみるのが目的である。


日本では正月と言えば注連縄、門松だが、中国では「門レン」「春レン」と呼ばれる字幕が飾りつけの主流だ。これは赤地の紙に、縁起が良い文句を金色などで書いたもので、玄関に貼り付ける。「龍馬精神」「万事如意」などがスタンダードな文句だ。


「龍馬精神」とは、もちろん坂本龍馬の意味でなく、「龍や馬のように疲れ知らずで勢いが良い年でありますように」の意(というより、坂本龍馬という命名はこの文句にあやかったのかも)。おもしろいのには「福」の倒立文字がある。これは「倒福」=「到福」つまり福が到る、の吉句。


字幕のほかに、めでたい図柄を描いた絵画も売られている。福禄寿のような福福しい神々や、吉祥のエピソードがある武将、官僚を描いたものが多い。


日本の注連縄、門松は、稲藁や松、竹の生命力を利用して禍を締め出したり、吉を招いたりする目的のものだが、そのような素朴な「自然信仰」は中国では早くに廃れ、代わって書や絵画など、人間の文化を神聖視する文化が主流になったと考えられている。


     ☆


その転換点はおそらく書が芸術化した魏晋南北朝のころかと思われるが、以後、中国では自然の中に人為を見出す、あるいは人間の中に自然を見出す、「渾然一体」の思想が主流となった。その具現が「気」である。


気とは自然、人間を貫いて流れる摂理で、自然でも人間でもない。自然というには余りに人為的で、人間というには余りに自然だからである。その気を導き入れるのが「門レン」の役割であり、人間の書いた、つまり人為の文字には気を操る作用があると思われたのである。


一方、日本では人為にはそのような力はないとされた。禍福を操るのは自然の力のみであり、松や竹の生命力が、それに相当した。日本と中国は同じ「自然重視文化圏」に属するとよく言われるが、その内情はかなり異なる。


以上は民俗論だが、その射程は民俗だけにはとどまらない。というのは民俗はその民族の基本的な思想を具現しており、基本的思想は政治や社会、経済や外交に露呈するものだからである。


中国人が政治や外交に長けているのは、政治外交を人為でなく、「人為+自然」なる「小宇宙(コスモ)」として見ているからだろう。コスモはそれ自体が完全な存在であり、自らの全てをかけるに値する。ゆえに中国の政治家は全身全霊でもって政治に取り組むのを常とする。(その政治家の善悪とは別問題である。)


だが日本では政治は人為とされ、その自然信仰からすると邪なものであった。もちろん社会を為す以上、政治はなくてはならない。よって政治は必要悪とされ、やむをえず執る場合でも、なるべく人為を排除するのがよいとされた。天皇などが良い例だろう。


作為も策略もめぐらせず、ただ居るだけで人民をひれふさせる。それが日本政治の理想であった。(儒教でもそのような政治を理想としたが、実際の中国の政治家や官僚らは、その理想を「妄想」と考え、陰謀策略に精魂を凝らしたことは、たとえば「塩鉄論」にくわしい)


策略のない政治と、策略をめぐらした政治とでは、どちらが勝つかは一目瞭然だろう。日本外交が中国外交に歯が立たないのは、そうした背景がある。


     ☆


道を歩いていくと、通りかかりのおばさんに「珎(ニィ)従上海來馬?(お前は上海から来たのか?)」と聞かれる。ちがう、と答えると不審そうな顔をして去っていった。


少ししてショーウィンドウに映る自分の姿を見てみると、確かに中国人っぽい。中国男性の服装というのは革靴にカーキ色のズボン、それに黒っぽいジャケットが多い。20世紀初頭の欧米での正装を引きずっているところがある。(日本でも昭和4,50年代まではそういうファッションが主流だったが)


しかし通りすがりの人に「お前は中国人か?」と聞くのも失礼だな、と後でこのエピソードを台湾の人に話すと、それは警戒しているのだ、と説明された。


むかし、台湾が日本支配から解放されて中国支配に復したとき、大量の中国人が新たな支配者として大陸から来台した。彼らは統治者として台湾人を弾圧・搾取したため、今でも台湾民衆の間には、中国人への警戒感があるのだという。


それで見知らぬ人物がやって来た場合は、「中国人か?」と誰何する習慣ができたのだという・・・・もっともこの話をしてくれた男性は中国嫌いで、話は割り引いて考える必要があるのだろう。



今回はホテルがとれず、ウィークリーマンションに滞在することになっていたのだが、着くころには日が暮れたので、台湾名物の夜市で夕食と繰り出した。が行けば、師大夜市は閑散としている。聞けば旧正月の時期では、売り子は里帰りしていて店じまいなのだと。ただ新年夜市というのをティウ化街でやっていると言う。


そこに行こうかとも思ったが、さすがに飛行機で疲れていたので、結局その日は「長春」という素食屋で夕食をとる。


素食といっても粗食のことではない。精進料理のことだ。ただ食への追求では他民族の追随を許さない中華民族のこと、日本の精進料理のように質素なものでなく、あの手この手が凝らされたものとなっている。


もう、「刺身」から「内臓」まで、ありとあらゆる料理があるのだ。


もちろん、刺身といっても野菜から出来てるし、内臓といっても大豆製である(ガンモドキに似る)。しかし食べてみると、しっかり肉の味がする。


日本だと精進料理を食べる理由は肉食への執着を断つ、というのが目的だが、どうも台湾ではそれが目的ではないらしい。精進料理を食べて肉食の雰囲気を楽しむのが目的のようだ。日本人の眼からすると、邪道のようにも思える。


でも考えてみると、ブッダが肉食を禁じたのは動物の殺害をタブーとしてたからで、肉味のするものを喰うな、と言ったわけではない。だからこのような肉味ぷんぷんの精進料理を食べて、肉食への情欲を抑えられれば、理論的にはOKなわけである。


(ちょうど、エロい本や暴力的な漫画の議論と似ている。性犯罪や暴力を断つには、そうしたものを一切なくすべきだ、という意見と、逆にそうしたものを利用することで、欲望を発散させることができるのだ、という反論である。


ここはどちらが正しいかを語る場ではないが、子供にはそうした「害悪メディア」へのアクセスが制限されているアメリカや東京都で、犯罪が少ないかというとそうは思えないわけだし、青少年が害悪メディアを真似することによって、お手軽に殺人やレイプができてしまうのもまた事実ではあるだろう。)


精進料理屋だけあって、僧侶が大勢食事をしている。が、そのほとんどはなぜか尼さんである。日本では尼、僧侶は一種「特権階級」である。親子代々僧侶職を受け継ぎ、お布施・賽銭という安定した収入、免税という権利も所有し、政治や教育にも大きな発言権をもっている。


それに比べると、台湾では僧侶の地位は一般にひくい。坊主=乞食、というイメージすらある。実際、街中を歩くと、乞食のような姿で托鉢にいそしんでいる僧侶も少なくない。中には食べていけないから僧侶になった人もいるという。


もっともそれは宗教が本来の役割、即ち貧者救済の役割を果たしているからでもある。セーフティネットが不十分な台湾では、失業者は僧侶になるという救済ネットがあるのだ。


一方、日本では概して仏教は弱者救済に消極的で、既得権益を守るのに汲々としているイメージがある。先進国にしては日本の自殺率はかなり高い水準にあるが、それは日本仏教が弱者を軽視していることも、一因だろう。


かつて身一つで放浪しながら、弱者救済に回った一遍を輩出した時宗だが、その総本山・遊行寺はとても立派な伽藍をもつ。立派が悪いわけではないが、その伽藍は一遍の精神とはかけ離れたものと、なってはいないだろうか。


二日目:新年夜市

 

二日目は猫空(マオコン)に赴く。「猫空」とは何やらステキなネーミングだが、台北市の南郊の山で、茶の産地である。昨日空港から乗った新交通システムがその山の麓まで通じている。


そこからはロープウェーが敷かれており、30分ほどで山頂までいける。このアクセスのよさは、東京で言うと高尾山に匹敵する。


もっとも猫空ロープウェーはトラブル続きで、工事の遅れ、台風による支柱倒壊など、色々なアクシデントに見舞われた。が、現在は行楽の足として定着し、あまりの人気に休日は長蛇の列となっている。


その日は平日だったが、すでに学校などは旧正月休みに突入しており、子供たちでワンサカ混みあっている。人気があるのは「水晶車」という車両で、これは床が硝子張りになっており、結構スリルがある。


スリルがあるのは景色だけのことでなく、「床が抜ける」という技術的な点も関係している。硝子なので強度が弱く、一般車が定員八名に対して六名と少ない。


もちろん係員がいて六名以上乗り込ませないようにしているのだが、ただ台湾社会はいろいろと「アバウト」な面があり(というより日本社会が几帳面すぎるとも言えるのだが)、七名でも詰め込んだりしかねず、そもそも強度設計が正しいのか、少々心もとない。


そんなわけで水晶車は敬遠して、普通の車両で上までいく。


やたら長いロープウェーで、途中90度近い方向転換まである。速度も速く、箱根ロープウェーなどに比べると、二倍近い速度が出ているようだ(当社比w)。


終点、猫空駅に着くと、あたりは茶畑が広がる。茶畑の間には、レストランや茶館が点在している。ここでは自家製の茶を使った料理や茶を出してくれる。


暖かな雲南原産の茶は、不思議なことにやや冷涼な気候を好む。


亜熱帯の台湾は本来茶にふさわしくない土地なのだが、山地に茶畑を開墾することで、その欠点を補い、清代ではすでに烏龍茶などの産地として知られるようになった。猫空もそんな土地の一つである。


駅から歩いて十分くらいの「茶壷」というレストランで食事。ここからは先ほど乗ってきたロープウェーが一望でき、景色を楽しみながら茶炒飯や茶鶏などの茶料理を食べられるので、何度か利用したことがある。


が、今回はマズイ。


旧正月でシェフが帰省しているのか、かなり味が落ちている。特に茶鶏は硬くて塩辛くてとても食べられたものではない。しかも雨も降り始めてきたので、ほうほうのテイで帰路につく。余り悪天候だと、ロープウェーは運行急死になるのだ。


     ☆


一旦アジトに戻って休んでから、夜は買い物に行く。普段は夜遅くまで店が開き、夜店も明るい台湾だが、この時期は日本では年末に当たり、店がかなーり閉まっている。


日本でも1980年代あたりまでは、正月になると、ほとんどの店が閉まり、買い物に苦労した記憶がある。当時はコンビニも少なく、年末に一週間分の食糧を買い込んで、正月篭りをしたものである。ために商店街は歳末の買出しでどこも大繁盛だった。


かつて北日本、日本海沿岸では秋のうちに食糧その他を溜め込み、積雪の激しい時期を屋内に篭って過ごす、という習慣があったのだが、それが都会にも持ち込まれたのかもしれない。


「バブル」は一つの文化的大分水嶺であり、それ以降、日本ではさまざまな伝統、習慣が廃れたが、「冬篭り」もその一つである。しかし台湾ではその習慣は今でも残っており、旧正月前後で買い物にいける場所はあまりない。その数少ない場所の一つを紹介してもらったのが、「新年夜市」である。


場所は台北駅から北へ数キロのところにあるティウ化街で、いつもは漢方薬や乾物を商っているアメ横のような商店街だが、年末になると年末商品専門の夜店街に変わる。


もっとも町全体が夜店になるわけでなく、一本の街路だけに夜店の屋台が並ぶのだが、これがもう大変な人出だ。日本の初詣並み、新宿駅のラッシュアワー並のヒトデだが、方向規制が行われてないこと、中華圏では対人距離が短いことなどから、ひどい混雑になる。


手足がぶつかるのは当たり前、胸やお腹、アタマもドシドシしばかれる。女性でもお構いなしにどつき、どつかれるが、別段トラブルにはならない。みんな当たり前な顔をして、先を急ぐ。日本だと痴漢だ、痴女だで大騒ぎである。


考えてみると、日本人は自意識が花瓶だと思う。


触る・触られるはもとより、視線があっただけでも「ガンをつけた」「いやらしい」などとして、トラブルになる。海外では少々珍しい性癖である。古代エジプトでは眼光には神威が宿るとされ、直接貴人の眼を見ることは憚られたというが、古代日本でも同様の思想があり、それが現在日本にも色濃く影を残している。


そういう過敏さが上質な日本製品を産み、世界中でもてはやされた時代もあったが、今となってはその過敏さがガラパゴスを産み、自閉の原因になっている。こうした習慣・伝統を改善しないと、日本の地盤沈下はさらに続くだろう。Japan Problemの本質は、その文化そのものに内包されている。


だがこう言うと、「国賊」扱いされるというエキセントリックな雰囲気が、今の日本社会にはある。日本文化への批判は許さない、という日本原理主義だ。拙ブログにも、たびたびそうしたメッセージが書き込まれる。(注:この文章は、もともとブログの文章を転載したものです)


たとえば日本食は万能健康食ではない、白米食でカロリーは高いし、塩分も高くて糖尿病や高血圧を引き起こしやすい、とブログに書いたら散々叩かれたことがある。また能や歌舞伎はその内容に深く精通していないと理解できない、つまり通好みの閉鎖的な演劇だ、と発言したら、やはり「お前に能の何が分かるのか」と罵倒されたこともある。


高度成長期のころの日本人というのは、そのような頑なな態度がなく、自国文化に良い意味で批判的であり、海外のものは積極的に取り入れるという進取の機運があったのだが、社会の衰退というものを感じる。


     ☆


それは兎も角、店で売っているものは、日本とはかなり異なる。日本だとアメ横や築地などの商店街で年末、売っているものは、おせち料理、新巻鮭、しめ飾り、お年玉袋などだが、ここでは「お菓子」ばかりだ。


赤や黄色にキンキラ輝く包装紙に包まれた、キャンディや中華飴、スルメや落花生、年羹(鏡餅のような丸い外郎)やロールケーキなどが、ワンサカ売られている。


これは台湾では、正月に子供たちなどにお菓子を振舞う習慣があることに由来する。個人宅ばかりでなく、お店や銀行などでもカウンターにお菓子が盛られている。


もともと中華圏ではそういう伝統はあったのだが、近年アメリカのハロウィーンの影響も加わって、社会現象になっているらしい。


ほかにも楊桃(star fruit)果汁、クコの実の果汁、黒糖生姜汁などなど、飲み物も充実している。総じて甘いものばかりだが、これは台湾が砂糖黍の一大産地ということと無縁ではない。


     ☆


砂糖黍栽培そのものはオランダ植民地時代(17世紀)から行われていたが、日本統治時代になると砂糖を国産化したい日本の意向から、大々的に栽培が拡大された。


日本でも砂糖が生産されてなかったわけではない。江戸時代から徳島や奄美諸島では砂糖黍が栽培され、和三盆などという名糖も作られた。しかしいかんせん生産量は少なく、明治になってからも、その需要の多くは輸入で賄っていたのである。


植民地当局の努力もあって、台湾は砂糖の一大産地となり、日本での需要を賄って余りあったという。台湾の光復後も砂糖は日本に輸出されたが、近年農業は不振産業と化しており、砂糖産業もその範に漏れない。


     ☆


砂糖産業の不振化の理由は、一つにはTPPなどの自由貿易協定にある。台湾は工業国であり、その工業製品を売りさばくために諸国と自由貿易協定を結び、台湾からの輸出品へかかる関税を撤廃してもらった。その代わり、台湾に輸入される砂糖への関税もなくさざるを得なくなったのである。


これによって、海外から大量に安価な砂糖が流入。台湾の砂糖産業は壊滅的な打撃を受けた。これは砂糖だけでなく、農産物全般に起きた現象であり、カンタンに言えば、台湾政府は工業のために農業を切り捨てたわけである。


人口3千万弱と、日本の関東圏よりも少ない人口しか持たない台湾では、工業製品を輸出して外貨を稼がなければ、生きていけない。ある意味仕方のない選択肢ではあったが、切り捨てた後のセーフティネットが、台湾では十分に張られていなかった。


国民年金制度は不備だらけで、カバーできているのは公務員や大企業社員のみ。中小企業の従業員や自営業、農民などは基本、カバーされていない。海外からの安い農作物の流入で農家が潰れても、救済策はほとんど講じられず、失業して路頭に迷うケースも散見される。


失業者はかつては工場労働者になるという道もあったが、国内の工場は中国へ流出した現在では、その道も塞がれ、町には失業者があふれている。その一方で中華圏に含まれる台湾では、うまく中国の活力を取り入れた者は富み栄え、貧富差が拡大し続けている。


日本では中国よりの国民党、独立志向の民進党と色分けして報道されることが多い、台湾の政治事情だが、実際には台湾人は統一も独立も望んでおらず、そのような色分けは現実に即していない。


それよりも富裕層重視の国民党、貧困層が支持基盤の民進党、といった色分けの方が、住民の意思に近いようだ。


前回の選挙では、台湾人は国民党を選んだが、結果、貧富差が拡大。昨年の中間選挙では国民党が勢いを失う結果となった。次の総統選を来年に控え(台湾の総統選は、アメリカ大統領選挙と同年に行われる)、政治は混沌としている。


     ☆


新年夜市の照明は、省エネ糞くらえな白熱電球ばかりだが、これは中華の民がすきな暖色を演出するため。


通りは基本、店舗、騎楼(コンクリ制のアーケード。スコールの多い亜熱帯に位置する台湾では必需品)から出来ているが、その外側に屋台が並べられ、道のど真ん中にはゴミ箱などが置かれているので、通行人が歩けるスペースは3、4mくらいしかない。


図にするとこんな感じ。



店舗 騎楼 屋台 ←歩行スペース→ 屋台 騎楼 店舗



その屋台の上に仁王立ちになって、売り子が歓声を上げる。売り子も看板娘ではインパクトが足りないと見えて、東方神起ばりのイケメンが3人並んで台の上で愛嬌を振りまいたりする。ちょっとしたショー気分だ。


吊られて落花生などを買い込んでしまうが、帰ってから食べてみると、カビたの粒が小さいのなどが入っていて、ダマされたことに気づく。


     ☆


この辺りは「迪化街(ティウファーチェー)」といい、台北でも古い町である。台北は淡水川の水運によって開けた都市だが、この淡水川の船着場がこの辺りにあり、迪化街は荷揚げされた貨物を扱う問屋街として栄えた。


そのピークは清代末期から日本統治初期にかけての20世紀初頭であり、今でも当時のネオ・バロック様式の商館が軒を連ねている。


鉄道が完備してからは水運が廃れ、町の中心は台北駅などに移ったが、今なお漢方や乾物といった伝統的な物貨の取引は、この町が有名である。


この迪化街の守り神が霞海城隍廟だ。城隍というのは都市の守り神のことで、廟というのは神社のこと。中華圏では早くから中央集権制が発達し、各都市には中央から役人が任命されたため、神話においても同じ発想がうまれた。


すなわち天帝が各都市に城隍を派遣し、地上を恙無く治めるというのである。


だが現実には廟の周りには車椅子に乗ったホームレスたちが集まり、宝くじなどを細々と売っている。台湾では宝くじ売りはホームレスの数少ない仕事となっており、壊疽になった足を抱えたホームレスなどがそれを売っている。(砂糖消費量が多いせいか、夜食の習慣があるせいか、台湾では糖尿病患者が多い)


去年旅したときにはそれほど目立たなかったホームレスだが、今回は増殖しているようだ。


帰りのタクシーで運転手に聞いてみると、景気がいいのは金持ちばかりで、貧乏人はさらに貧乏になった、馬政権はどうなってるんだ、とさんざ政権批判を聞かされた。


降りるときに追加料金を請求されたので、貧乏な運転手にめぐんでくれ、という意味かと思ったがそうでなく、年末年始はタクシー運賃は割り増しになるのだとか。


三日目:大晦日

 

明けて翌日は大晦日、ということで龍山寺に行く。和平東路と温州路の交差点あたりにあるホテルから、もよりの地下鉄駅「古亭(クーティン)」まで、歩いて20分ほど。そこから龍山寺駅までは10分程度だが、目の前のバス停に乗れば、乗り換えなしの直通でいける。


龍山寺というのは、台北最古の寺である。東京で言えば、浅草寺のような由緒ある寺だ。


何度か行ったことがあるが、今日は大晦日なので、台湾を代表する古刹に行ってみよう、というわけ。


バスに揺られること20分、龍山寺に着く。バス停に降りると、ここもホームレスが多い。その中の一人が「お腹が空いたが、夜になって閉店セールで安くならないと、弁当が買えない」と泣きつくので、可哀想になって500元(日本円で1500円ほど)を渡した。


考えてみると、日本では腹が減った、と訴えるホームレスに出会ったことがない。台湾でもアメリカでも中国でもホームレスたちは結構ストレートに食を訴えるのだが、日本では一度も無い。


それは日本社会では食事の無料サービスが完備しているのか、それともホームレスたちは恥ずかしがって言い出せないのか、あるいは訴えたところで何ももらえないのか。


台湾では宗教がかなり根付いており、特に仏教系の寄付意識は広く根付いている。ある托鉢者から聞いた話だが、小さなお店でも念仏を唱えると何がしか呉れることが多かったという。もっとも綺麗な店、大きな店だと、何もくれないらしいが。


     ☆


境内に入ると、線香をもらえる。七本あって、神像一体一体に捧げるのだ。ここは「寺」だが、多神教の中華圏では菩薩のほかにも、華ダ(医術の神)やら関羽やらの像が置かれている。


関羽など、元来は武将であったのが、義理堅いということから商売の神とされ、さらには約束を守るということから男女の間の約束を取り持つ縁結びの神にまで、守備範囲が広がってしまった。ある意味出世神である。


縁結びの神ということで、神像の前には妙齢の女性が群がっている。彼女らがしきりに引いているので、自分も引いてみたのが「関帝霊籤」。台湾の御神籤は古式のもので、筒の中に入っている木の棒を引いて、その先端に書かれた番号を読み取る。そして横の箪笥から、その番号にマッチした引き出しを引いて、中からその番号の御神籤を一枚抜き出す、というしくみ。


読んで見ると・・・


     第五十一首上吉 御溝流紅葉(おん溝に紅葉流る)


     君今百事且随縁(君今百事縁に随うを阻む)

     水到渠成聴自然(水渠に到って自然に聴くをなす)   

     莫嘆年來不如意(年来不如意を嘆くなかれ)

     喜逢新運称心田(新運に逢い心に叶うを喜ぶ)

 

     宮殿の溝に紅葉が流れる。

     今までは万事うまく行かなかったが
     水が溝に流れついてからはスムーズに流れるように、これからはうまく行くだろう。
     思い通りにならない、と嘆くことはない。    
     新しい運勢が開け、心に思い願ったことが叶うだろう。

     (心田とは、田んぼを耕すように心も耕せ、という心を表す禅語)



とゆーことで、「今まではダメダメだったけど、これからはイケイケさ」という開運の御神籤であった。本当かどうかは分からないが、とりあえず縁起がいいので財布にしまいこむことにする。


各神像に線香をあげるのを忘れたので、本尊のところでまとめて線香を放り込む。日本と違ってボンボン燃えているし、香炉が深いので上の方から投げ込むと、係員に「仏様に対して無礼な」と叱られる。


入り口に戻ると、また御神籤がある。今度は本尊の御神籤で、さきの関帝籤よりも大きく、迫力がある。引いてみると



   蘇武援官典属國


当春久雨喜初晴 春に当たって雨久しく、初晴に喜ぶ

玉兎金烏漸漸明 玉兎・金烏ようようにして明なり

旧事已成新事遂 旧事すでに新事となりて遂わり

看看一跳入蓬莱 一跳にして蓬莱に入るを看よ


意訳

春にはなったが長雨が続き、今日始めて晴天となった。

月と太陽ようやく明るくなりはじめた。

ふるい事柄はすで終わり、新しい事柄がはじまる。

これからは一足飛びに成功するだろう。

これは前漢の蘇武の逸話にちなむ漢詩である。蘇武は武帝の使者として匈奴に赴いたが、陰謀に巻き込まれて逮捕抑留されてしまう。抑留は20年ちかくにも及んだが、武帝が没すると融和ムードが広がり、蘇武は釈放されて帰国、典属国の官職を授けられた。


典属国とは「属国を支配する」の意味で、匈奴などの異民族を支配、交渉する役職で、現在で言えば外務省アジア方面局長、あるいはアジア方面司令官に相当する。長年匈奴の地にいた蘇武にはうってつけの仕事だったろう。



・・・ということで、これまた先難後成という大器晩成の縁起よい文句。これもそそくさと財布にしまいこむ。


     ☆


寺を出て、次は買い物に行く。といっても最早大晦日で、開いている店が少ない。そこで教えてもらったのが正月も開いている「家楽福(チャーローフー)」。発音からお分かりかもしれないが、かつて日本にも進出していたフランスの倉庫型スーパー「カルフール」である。


カルフールは倉庫型スーパーに抵抗が強かった日本では苦戦し、撤退したが、中華圏では業績が好調。今や百軒以上の店舗を展開している。


5F建ての広々としたビルで、一階はテナントスペース、二階は雑貨、電気製品売り場、三階は食品、四階・五戒はレストラン街になっている。地下は駐車場だ。台北市内にありながら、これだけのスペースがあるのは凄いが、日本の植民地統治、国民党の一党独裁が長かった台湾では、区画整理が行き届き、市内でも各区画のスペースが広く取られている。


おもしろいのはやはり、食品売り場だろう。さすがに食への追求が凄まじいお国柄だけあって、様々な食材、食品が売られている。豚足・鶏足はもちろん、豚耳、牛の胃袋、ブタの心臓なんてギョッとするものまで、置かれている。


夏だとドリアンやスターフルーツ、釈迦頭、ライチなどのtropical fruitが山盛りになっているのだが、今の季節だと蜜柑や芭羅ぐらいしかおいていないのが寂しいが、代わりに正月用の年羹などが売られて彩を添えている。


昼になったので、上のレストラン階で食事。エスカレーター脇には出張マッサージ屋が椅子を並べたりしている。


何軒かレストランがあるが、どれもあまり美味しそうには見えない。その中で一番マトモそうなタイ料理屋に入る。料理が出るのが酷く遅かったが、海戦トムヤムクンはまあまあだった。


帰りはバスに乗って帰るが、ウトウトしていると「降りろ」と叩き起こされる。強盗かと思って辺りを見回すと、運転手が「終点だ。早く降りろ」と言う。「ここはどこだ」と言っても「終点だ。さっさと降りろ」と段々怒ってくるので、仕方なく降りる。


降りた所は川沿いで、地図で確認すると、確かにバス路線はここで尽きている。逆方向のバスに乗ってしまったわけだ。バス停の10mほど先には鉄門があり、向こうは川になっている。乗ってきたバスはその門を潜って川原へ行く。車両基地でもあるのだろう。


向かい側のバス停で、帰りのバスを待つ。


バス停は、小さな飲食スタンドの前に立っている。飲食スタンドと言っても、朝夕だけ開いているようで、午後の今は無人で自動販売機だけが動いている。販売機の前には大きな街路樹が立っており、ぶっとい根っこで床石が持ち上げられている。


区画整理が行き届いている台北の街は、少々殺風景なところがある。


     ☆


帰宅して荷物を置き、夕方ごろ、近くのモスバーガー(台湾にはモスがある)で真珠バーガーでも食べようと外出するが、閉まっている。


扉に張られた掲示を見てみると、大晦日の夜は閉店とのこと。


では他の店は、とお気に入りの牛肉麺屋を覗いてみたが、そこも閉まっている。


というより町自体が暗く、人通りも少ない。台北というのは日が暮れてから賑やかになるのだが、今日は逆で、その静けさが不気味ですらある。


辺りを散策してみると、ところどころ開いている店もないわけではない。そこで入ろうとすると、予約済み、ということで断られる。聞けば、台湾では通常、大晦日は自宅で料理を作り、家族一族と過ごすのだが、それが面倒な人は、レストランに予約するのだとか。


しょうがないので頂好市場で麺と肉醤(豚肉を細切れにし、醤油味に煮しめたもの)を勝ってきて、自分で肉醤麺を作る。


そうこうしている内に爆竹の音が静寂のなか、響き渡る。


窓から首を突き出してみると、道路で爆竹を鳴らす人がいる。が、中華街のお祭りのような賑やかさではない。時々、思い出したかのように鳴る程度だ。


やがて年が明けたのでTVを漬けてみると、初詣の風景が映し出されている。日本も台湾も同じだなあ、と思っていたら、参拝客がいきなり走り出し、お堂めがけて全力疾走。人は倒れる、転ぶ、その上を踏みつけて後ろの客がさらに加速する。子供が泣く、女が叫ぶ。阿鼻叫喚である。


台湾の寺は大晦日の夕方、一旦山門を閉じ、12時を回ってから改めて開く。そのとき、一番最初に本堂に入った人に、幸が舞い込むと言われている。


このような習慣は日本の一部の寺にもあるが、日本の場合、本気で信じているというより、単なるスポーツと化している麺が強い。その日に備えてトレーニングした高校生が、ランニングを身に着けて走りこむ、というイメージだ。


一方、台湾では切実だ。博打で身を持ち崩したかのような親父が、息も絶え絶えに駆け込む。彼らは本気で一位になれば、金運が舞い込むと信じているかのような、必死の形相をしている。そこには確かに信仰が息づいている。


TVは総統・馬英九が初詣するシーンを写した後、なぜか台湾原住民の歌謡紹介となる。そしてさらに不思議なことに彼らは、聞いたこともないような日本語の歌を歌いだす。


日本の歌にしては歌詞に変なところがあるので、どうやらこれは原住民が自分で作詞した日本「風」の歌らしい。日本でも英語の歌を作るのが流行ったことがあるが、それと同じ感覚か。


余談だが、これを書いているのは4月だが、この時点までに集まった台湾からの震災義援金は100億円に達する。アメリカとほぼ同じ金額だが、アメリカの人口3億に対し、台湾の人口は3千万に満たない。仮に3千万としても、一人当たりアメリカの10倍という金額になる。当然世界一の額で、台湾の親日ぶりが数字で露になったかたちだ。


そんな国だからこそ、日本の歌を自作したりするのだろう。


四日目:元日

 

明けて元旦。元旦は龍山寺に行く人が多いが、すでに行ったので、ここは「関渡」に行く。そこには多くの台北っ子が初詣する廟があるのだという。


東京で言えば、観光客受けするのが浅草寺で、地元住民は明治神宮行ったりするような感覚か。


度小月で腹拵えして、出陣。度小月というのは台南の坦々麺屋で、今は全国チェーンになって店格も高級化している。高級化したものの未だに素朴な味わいを失っていない、ということで主に南部出身の台湾人に人気が高い店だ。


この店は天晴れなことに、元旦でも開いている(11時半からだが)ので、入ったのだ。料理はなかなかのものだが、開店間際でざわざわして落ち着かず、長居できない。


店を出て地下鉄・蘆洲線に乗る。この路線はできたてホヤホヤの路線で、ホームドアが設置され、乗客も少ない。途中で淡水線に乗り換えて北上。関渡はそのほぼ終点に当たる駅だ。


ここは淡水河と基隆河の合流点で、渡河点でもあるので、「渡し場の関所」つまり「関渡」という地名がついている。改札を出ると、駅前から蟻の行列のように、歩く人の列ができている。それに沿って歩く。


駅の裏通りから、高速道路下の交差点を渡っていくが、信号はないので、車の合間を見て渡る。普段は車優先の台湾社会だが、これだけ通行人が多いと、流石に譲らざるを得ない。


交差点を越えるといよいよ路地に入っていく。路地には出店が並び、焼きジャガイモやらリンゴ飴やらを売っている。豚が檻に入っているので驚いたが、売りものでなく、飼っているだけのようだ。


やがて雑踏が酷くなると、そこが関渡宮である。


     ☆


もう大変な人ごみで、境内は人人人で埋め尽くされている。合間を縫って出店や物売りががなり立てるので、さらに狭く感じる。建物も龍山寺より遥かに立派で、鉄筋のビルが3,4階にも聳えている。


もっとも本尊は地下にあるとのことで、階段を下ってトンネルのような通路を潜る。通路の左右には寺や神々の由来を語った彫り物や装飾が施されているが、詳しくは分からない。


台湾の寺廟は日本以上に習合が激しく、武将関羽と観音菩薩を平気で左右に祀るくらいの芸当はやってのけるので、由来を理解するのは一筋縄ではいかない。


が、ここの本尊は「媽祖」である。媽祖というのは宋代、台湾の向かい側・福建にいた黙という娘で、海難祈願のために山に入ったて仙人になったとも、海にわが身を投じたともとされるが、由来は曖昧である。


そもそも「黙」という女性がモデルになっている割には、神の名が「媽」になっている。媽というのは女性に対する一般尊称(現代北京語でお母さんの意味)で、それが神名になっているという事実からは、モデルとなった女性はおそらく一人ではなく、複数いることが推測できる。


想像を逞しうすれば、華南の沿海地方では、古くから娘を依り代とした海神祭儀が行われていたのだろう。華南と東南アジアとの隣接性に思いを馳せれば、東南アジアで盛んな母系原理が、華南地方に伝来したことも十分に考えられる。


「媽祖」=母系の祖先、というネーミングからは、そのことが読み取れる。


     ☆


さて通路を抜けると本堂、その先は地上に出る。階段を下って地上に出る、というのは、この建物は崖の上に築かれているからで、先ほど入ったのは崖上で、今出たのは崖下なのである。


前には道路が敷かれ、大勢の人々があるいている。


一緒にあるくと、川に出る。川には水門が付けられ、その上を通ると、中州に出られるようになっている。が、そこは道が狭まっているため、スゴイ人ごみになる。


人ごみの中を、車椅子に乗った障害者が宝籤を売ったりしている。


ようようにしてそこを抜けると、中州では屋台が並んでいるが、あまりの人手なのでそれ以上行くのを諦め、名物のアヒル卵を購入して帰る。


     ☆


帰り際、昨日のリベンジとばかり、モスに入って、真珠バーガーを注文。これは早い話がライスバーガーなのだが、日本のと比べると、かなり脂っぽい。


正直、あまりウマイとは感じなかった。


が、余韻に浸る間もなく、帰国の準備。明朝9時の便なので、6時にはここを出ないとならない。台北の朝は遅く、公共交通は6時以降にならないと動き出さないので、タクシーを利用。


早朝なので人影もまばらな街路を、タクシーは飛ばし、20分足らずで松山空港に到着。


そこでチェックインを済ませ、メールチェックも終えて(松山空港では無料LANが提供されている)、いざ出国審査、という時にトラブル!


     ☆


頂好市場で買ったあの肉醤の缶詰を、手荷物に入れていたのだが、これが引っかかってしまったのである。


缶ジュースは飛行機には持ち込めない、とは知っていたが、缶詰もダメだったとは。係員はしきりにトランクに缶詰を入れろ、というが、既にトランクはチェックインしてあるので、泣く泣く棄てることに。


そして午前中には羽田に着いたが、そこでもまたトラブル。


モノレールが動かないのである。変電所の故障だかで、立ち往生している。まあ京急でも帰れるのでそちらに回ると、当然同じことを考えている人はいるもので、電車はゲロ混み。


満員電車で都心に向かうのであった。


この本の内容は以上です。


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