目次
5月の星座 うみへび座
ゴールデン・ウィークは、和製英語
八十八夜の別れ霜・泣き霜
5月5日の菖蒲湯
端午の節句
風の香り
新緑の風薫る季節
藤の歴史と魅力
油断できない5月の天気
5月のこよみ
強い低気圧メイストーム
雷にご用心
低気圧の通過
「事」を先送りしてませんか?
星座になったギリシア神話「ヘルクレス座」
アサリは女性の味方
体調が悪い時の食事
目を使うと血液を消耗する!?
夢で分かるあなたの体調
気に関する養生法「肺気を高める」
現代医療の落とし穴
生命力遺伝子
痛みの見分け方と養生
ストレスと風邪
アロマセラピー?アロマテラピー?
ピンクの呼吸法
山菜で春の身体にチェンジ!
庶民も楽しんだ会席料理
フードファディズムに陥らないために
日本で最初にラーメンを食べたのは?
食の不安と安心について
おばあちゃんのご飯
焼肉発祥は日本?韓国?
肝を補う酸味の食材
子宝養生学
ヨウ素過剰症を防ぐ組み合わせ
甘いものの食べ過ぎと胃アトニー
皮膚は、もっとも大きな解毒代謝機構
水道水はそんなに悪いの?
(電子レンジレシピ)「白菜のナムル」
(電子レンジレシピ)「そら豆の塩ゆで」
(電子レンジレシピ)「フキの下ゆで」
(電子レンジレシピ)「「超簡単」--目玉焼き (卵1個分)」
(電子レンジレシピ)「超速・浅漬け」
ハーブ寿司
果実酒(酢)を楽しむ
個人用の箸と茶碗を分ける食文化
ちょっとお茶でも…
天皇家のお食事
整理整頓BOX
フレッシュ・ストロベリー・ティー
入れ歯が変わる 
「ボケ」と「ズレ」
独楽吟と車輪吟
働かないアリ
橋について考える
人に優しい、「土佐藩」
無用の用ならぬ無能の能
戦いには勢いが必要
学年不要論
福澤諭吉は勝海舟が嫌いだった?
権限が集中することの危険と効用
高級レストランでのマナー
犬に残飯をあげる是非
国旗ってなに?
なんでもデジタル 
簡単に始まってなかった武士の時代
『古事記』の神々(その2)
「情けが仇」の見本?
低燃費車が人気沸騰
奥付
奥付

閉じる


<<最初から読む

41 / 71ページ

試し読みできます

(電子レンジレシピ)「そら豆の塩ゆで」

MaRo のイラスト電子レンジクッキング
「そら豆の塩ゆで」サラダやビールのおつまみに・・・・・

 

完成写真 材  料 (3人分)
サヤ付きそら豆 10本
塩  少々

 

 

<作り方>


① サヤ付きのそら豆の筋に沿って2つに引き離し、中の豆を取り出す。

 

 

 

 

② 取り出した豆の爪のようなところに1/3まで包丁目を入れ、皮から中身を取り出しやすくする。
 

 

 

 

 

③ 容器に包丁目を入れたそら豆をいれ、サッと水をくぐらせ、水を切る。フタをしてレンジ500wで約3分加熱する。 

 

 

 

 

 

 

④ 加熱後別の容器に移し、塩を振ってから冷ます。
 


(電子レンジ料理研究家  MaRoママ/文写真共)


試し読みできます

(電子レンジレシピ)「フキの下ゆで」

材  料 (1束分)
ふき  1束
塩 大さじ1

 

 

 

 

 

 




 

(電子レンジ料理研究家 MaRoママ//絵写真共)



試し読みできます

(電子レンジレシピ)「「超簡単」--目玉焼き (卵1個分)」

「超簡単」--目玉焼き (卵1個分)

① 直径5・6cmのぐい飲み器の内側を水でぬらす。 (卵が こびりつかないようにするため)
 

 

 

 

 

② 器に卵を割って、黄身の部分に2・3箇所箸やフォークで穴をあける。フタをして、レンジ500Wで
1分(半熟)~1分30秒(固ゆで)加熱する。

 

 

 

 

 

③ ゆで卵風に、刻んでマヨネーズであえてサンドイッチに。器のまま、だしをかけて温泉卵風に。

 

※ 卵の黄身に穴をあけないと・・黄身が爆発します!

 
(電子レンジ料理研究家 MaRoママ//絵写真共)2007.05


試し読みできます

(電子レンジレシピ)「超速・浅漬け」


「超速・浅漬け」
レンジ加熱1分・漬けて5分おいておくだけ

<材  料 (3人分)>

大根 (かぶ)=7cm厚

にんじん=7cm厚

きゅうり=1本

しょうが =小 1かけ

浅漬けの素(液体) 適量

<作り方>
① 大根とにんじんは1cm角に切る。

きゅうりはたて半割にし、1cm巾に切る。

しょうがは薄くスライスして、細い千切りにする。(針しょうが)

 

 

 

 

 

② 容器に切った大根・にんじん・きゅうりを入れ軽く混ぜ、フタなしでレンジ500wで1分加熱する。 

 

 

 

 

 

 

③ 加熱した大根・にんじん・きゅうりをポリ袋に入れ、野菜が ヒタヒタにかぶる程度に液体の浅漬けの素をかける。

 

 

 

 

 

 

④ 最後に千切りにしたしょうがを入れ、ポリ袋の空気を抜いて口を縛り、袋の上から手で軽くキュッキュともむ。そのまま5分たったらOK!

 

冷蔵庫で冷やすともっとおいしくいただけます。

 

(電子レンジ料理研究家 MaRoママ)絵写真共
2004-05


試し読みできます

ハーブ寿司

日本で外国のハーブがもてはやされているのと同じように、外国では日本のハーブが注目を浴びています。どちらも、健康増進、食欲増進に一役買っています。そこで、日本古来からのハーブを使って、「はるずし」はいかがでしょうか。

 まず、すし飯を用意します。完全に冷え切る前にシソ、三つ葉の茎、(あれば)みょうがをみじん切りにし、5分ほど水にさらしたものをさっと混ぜ込みます。あとは太巻きにしたり、手巻き、上に季節の野菜や魚介をかざって、ちらしずしにと、お楽しみください。この時期栄養価の高い菜の花の塩茹でや桜の塩漬け(もちろん塩は水で振り洗いしてのぞきます)をあしらって、日本の食の春をおたのしみください。きっといつもよりも食が進むはずです。

(コラムニスト ブルック/絵:吉田たつちか)
2004-05


試し読みできます

果実酒(酢)を楽しむ

 通風と診断されてから好きなビールを控えています。控えているのは家での晩酌だけで、時たま、外で飲む場合は最初はビールから入り、ハイボール、しめは熱燗というのが定番です。外で飲むときは、お酒の量が進みますし、ストレスが発散・開放されるので、多少のビールはOKと、自己判断しています。

 医者からは、お酒がやめられないのなら、焼酎にしたらとアドバイスされましたが、私はどうも、焼酎が好きになれないたちなので、果実酒を自分で作って飲むことにしました。 果実酒の主役は梅酒で、これは、毎年大きなビンに3本ほど作ります。そして、ネットでみつけた果実酒の造り方のページを参考に色々の種類の果実酒を造り始めました。

 これまでの結果、梅系(梅、プラム、すももなど)が一番うまく、逆に、あまりおいしくないのが柑橘系でした。でも柑橘系の中では唯一、金柑はおいしくできました。健康を考慮して、人参も試してみましたが、栄養はともかく、おいしさの点では今一です。同じく身体にいいと勧められて作ったのが、アロエ酒とビワの種酒です。アロエ酒は思ったより癖がありませんでした。アロエは家の周りにいくらでも生えているので、材料費がかからないのがいい。ビワの種酒はビワで有名な西伊豆土肥にある店で、原料のビワ種を買い求め、添付されていたレシピのとおり作りました。種には毒があるということで、1年半以上熟成させてから飲むようにとの注意書きが添えてありました。これも、おいしさの点では勧められないが、薬効がありそうなので、時々、他の果実酒に少しだけ混ぜて飲んでいます。

 また、ジャムの材料として重宝しているイチゴ、トマト、ルパーブでも果実酒を造ってみました。これらは、家庭菜園でそこそこ収穫できているのでチャレンジしてみたのです。イチゴは香りが強く自分的にはあまり好きではありません。トマトとルパーブは合格点すれすれといったところです。

 果実酒は一般的に1年くらいかけて、果実のエキスが抽出されて熟成されますが、先日、24時間で果実酒が作れるという便利マシーン(Bearmax 果実酒即製器 casadevino [FW300])を発見、さっそく購入して試してみました。小さな装置なので、一度に作れるのは大きなコップ1杯分程度ですが、本当に24時間で完成しました。しくみはよくわかりませんが、超音波の働きで、アルコール分子の反応を早め、果実のエキスを抽出させるようです。容器に果実と果実酒用アルコールと角砂糖を入れ、水を少し入れた容器に浮かせ、電源を入れるだけで、24時間後には果実酒が出来るという優れものです。アルコールの代わりにお酢を入れると、果実酢も出来ます。こちらは毎朝、水で薄めて、小さなコップ一杯のむようにしています。

少量できるので、色々な果物や野菜で果実酒・果実酢作りを試してみることが出来ます。果実酢はリンゴ、バナナ、ブドウ、プラム、キンカンなどが美味しく飲めます。今年は、近所で大量に出来るヤマモモと新に畑に植えたグミで挑戦してみるつもりです。

氷を入れた大き目のコップに、果実酒A(あまり美味くはないが健康によさそうなタイプ)、果実酒B(コーヒー酒)、果実酒C(梅酒)を1:1:2程度入れて、炭酸で割るのが一番のおすすめです。お酒を控えてと、医者に言われたのですが、果実酒の種類が増える一方なので、頑張って飲んでいます。

 (コラムニスト 井上勝彦/絵:そねたあゆみ)2013-05


試し読みできます

個人用の箸と茶碗を分ける食文化

 日本の食文化のおもしろいところとして、箸や茶碗といった食器類が家族でも全員個人用のものがあるというのがあります。

 あまりにもこれが常識になっているので「え?」と、思う人もいるかも知れませんが、欧米にせよ中国にせよ「これはおじいちゃんのお箸、これはお母さんのお箸、これはぼくのお箸」と、個人のお箸や茶碗が決まっているという文化は、まず日本以外ではないでしょう。せいぜい大人用と子ども用が別れている程度。

 アメリカやヨーロッパではナイフやフォークに対して「これはおじいちゃんのやつ。これはお母さんの」と、区別することはありませんし、お皿もしかり。

 作家である井沢元彦さんの『穢れと茶碗』(祥伝社)によると日本人はたとえ家族が使ったお箸や茶碗でも、自分以外の人が使ったものはどんなにきれいに洗っていたとしても“汚れている”と感じるそうなのです。しかもその食器は和食器に限られ、カレーライスに使うお皿やスプーンは洗ってさえいれば、何の抵抗もなく使えるのに……。

 井沢元彦さんはこれは一種の宗教なのではないかとおっしゃるのですが、わたしもそう思います。

 わたしたち日本人は箸を手にながら合掌し食事の前に「いただきます」と頭を下げます。欧米には食前に神に祈りを捧げることはありますが、「いただきます」に相当する言葉はありません。

 日本人は誰にいただきますといっているかというと、それはもちろん料理を作ってくれたお母さんや料理人、あるいはそのために働いてくれたお父さんや農家の人々、そして田畑や山や海にいる神々にお礼をいっているのです。

(食文化研究家 巨椋修<おぐらおさむ>)2012-05


試し読みできます

フレッシュ・ストロベリー・ティー

旬の果物が八百屋さんの店先を賑わす、いい季節になりました。今回ご紹介するのは、新鮮なイチゴを使ったフレッシュ・ストロベリー・ティーです。紅茶のお店で売られているストロベリー・ティーは、だいたいが人工的に香りを着けたものなので、ものによっては香りが強すぎたり新鮮さが感じられません。本物の果物を使ったフルーツティーなら香り・味ともに自然なものなので、ナチュラル志向の方にもおすすめできます。使用する茶葉は、個性が強くなく果物の風味を損なわない、ディンブラが適しています。また、大きい茶葉を使用すると蒸らす時間が長くなり、果物の風味を落としてしまうので、蒸らし時間が短くてすむ、BOP(ブロークン・オレンジ・ペコ)のような葉の細かいものがいいでしょう。ロゼワインを使うのは、イチゴの風味をUPさせるため。白ワインは、ロゼワインほどイチゴの風味とうまく合いませんし、赤ワインは酸味が強すぎるので、是非ロゼワインをお使い下さい。

<フレッシュ・ストロベリー・ティー・2杯分>

茶葉・・・ティースプーン2杯弱(ディンブラBOP)

水・・・350cc

イチゴ・・・小粒2個

ロゼワイン・・・ティースプーン1杯

①イチゴは横に5mmくらいの厚さにスライスする。

②へたのついた一番上の部分を温めたカップにいれ、ロゼワインを1/2杯づつかける。

③温めたポットに残りのイチゴを入れ、その上に茶葉を入れ、熱湯を注ぐ。

④約3分蒸らし、茶こしを使ってカップに注ぐ。

(紅茶コーディネーター 吉野留美/絵:吉田たつちか)
2004-05


試し読みできます

「ボケ」と「ズレ」

第二次世界大戦中、アメリカ合衆国大統領、フランクリン・デラノ・ルーズベルト は、この大戦の最中に亡くなったことから、ノルマンディー上陸作戦や、ヤルタ会談でのソ連へのシベリア参戦要請などを始めとする、一連の決定は、果たして、正常な思考の元で為されたのか?ということが言われているようです。

ノルマンディ上陸作戦は、1944年(昭和19年)6月6日、敗色濃厚の感が強くなってきたドイツにとどめを刺すべく、連合軍によって為された、ヨーロッパ本土への強襲上陸作戦です。ところが、実は、当時、相手方であるドイツ側には、もう一カ所、別の上陸予想ポイントがあったそうです。

それが、パ・ド・カレー地区です。

当時、ヒトラーを始めとするドイツ首脳も、ここを連合軍の上陸予想地区の第一に掲げ、実際に連合軍がノルマンディに上陸したときも、一部の司令官の中には、これをパ・ド・カレー上陸の為の陽動作戦だと思い込み、早期の反撃を指示しなかったとさえ言います。

それほどに、パ・ド・カレーが重要視された。その理由は「イギリス本土から大陸への最短距離である。」、「空軍・海軍からの支援が受け易く、港も確保し易い。」、「イギリスにとって脅威であったドイツ側のロケット兵器基地がある。」ということと、もうひとつ、何より、この地は「ライン川からドイツの心臓部にかけての最短距離。」であったことです。

つまり、ここを攻撃することは、ドイツ心臓部への最短距離でもあることから、ドイツ側の頑強な抵抗が予想されるとしても、結果として、早く戦争を終わらせることが出来た可能性もあったわけです。

となれば、ソ連のベルリン進駐は間に合わなかった可能性も有り・・・。

さらに、その上、連合軍はミスを犯します。

連合軍は、ノルマンディ上陸後も、一路、首都ベルリンを目指すことをせず、まず、残存するドイツ軍部隊を撃破することを優先し、ベルリンから90度曲がって、残存部隊に殺到してしまったことです。

その間に、ソ連軍が「腐っても鯛!」とばかり、ベルリンを制圧してしまったことで、その後の東西冷戦と軌を一にして、ドイツの東西分割が決まってしまったと言われています。

その後、翌1945年2月4日からのヤルタ会談を経てドイツ降伏の1カ月前、日本降伏の4カ月前の4月12日昼ルーズベルトは突然、63歳で脳溢血により任期半ばで世を去ります。

この点について、私見を言わせて頂くなら、ルーズベルトの頭脳は、やはり、正確な判断ができない状態であったと思います。

私自身の体験としても、こういったルーズベルトのような症状は、いきなり、痴呆というものになるのではなく「ボケ」というよりも、「ズレ」という形で出てくるもののようだからです。

日常会話には支障はないから、極々、身近な一部の人以外このズレには気づかないのですが、逆に、家族や秘書など身近にいるものにはよくわかります。

ところが、こういう英雄の微妙なズレは、そういう身近ではない人たちには、なかなかわかってもらえないんです。

ズレた決定が過去の実績と相まって、深謀遠慮とさえ映る・・・。

さらには、困ったことに、ズレに気づいたところで、いくら異議を唱えようとも、逆に意固地になって一喝される・・・老人特有の症状です。

(文:小説家 池田平太郎/絵:吉田たつちか)
2006-05

 


試し読みできます

人に優しい、「土佐藩」

今年の大河ドラマ「龍馬伝」が、なかなか好評のようですね。私も「娯楽作品」としては毎週、楽しく見ています。

 特に、武市半平太とその一派が、何かあるとすぐに目を吊り上げて「攘夷!」・・・と叫ぶシーンなどは、現代の、ネットなどで過激な意見を吐いている人たちと二重写しに見えます。(この手の輩が中途半端な理論武装を振りかざすところも、また、底の浅さが露呈したときのヒステリックな反応もまったく同じに見えます。)

 もっとも、実際の武市がどの程度、本気で攘夷思想を推進する意思があったのかは別にして、彼には「攘夷」を唱えなければならない「事情」があったのは事実でしょう。

 まず、土佐藩という藩は歴史的に関ヶ原の戦いでの勝者側である山内家武士団が進駐することによって始まった体制だけに、上士の下士に対する抑圧は他藩に比べても著しかったと言われており、また、一旦定着した支配体制が堅牢な物であればあるほど、下層に置かれた者がはい上がるのは、事実上、不可能に近く・・・。

 となれば、その憤懣も一方ならぬものだったでしょうが、そんな時に、土佐藩の上部団体である徳川将軍家とは別系列になる天皇家が、将軍家とは違う意向を持っていることがわかったわけですから、これは抑圧されている側にとっては文字通り、千載一遇の好機だったでしょう。(そういう視点で見れば、楠木正成が哀しいまでに献身的に南朝方に尽くしたことも理解できるような気がします。)

 また、上士と下士の間には厳格な一線があると言ったところで、上士の数だけでは限りがあり、一旦、有事の際には下士も動員しないことには絶対数が不足することは明らかなことから、下士と言えども「殿様(体制)を守る」という意味での「防衛」を唱えることは、ちょうど、今の中国やロシアなどに置ける「愛国心」のようなもので、官憲側も安易に取り締まれない・・・という面があったでしょう。

 ただ、その土佐藩ですが、まったく奇妙な藩ですね。

それほどに下士を抑圧したくせに、坂本龍馬、武市半平太はおろか、彼らよりさらに一段下の出である岩崎弥太郎までも、しっかり江戸遊学を許している。

 いくら有事の際には一翼を担う・・・と言ったところで、剣術修行なら金メダルを獲ってくる訳でも無し、藩内で十分であり、学問したところで幕僚に登用するわけではないわけで、被支配者階級が都会へ行くなど、百害あって一利なしで、よくぞ許したものだと思います。

 本来、支配者階級にとって、被支配者層が余計な知恵を付けるのは迷惑至極な話であり、遊学どころか、外部情報からは一切の情報途絶状態に置いておくべきで、実際、彼ら下士が「攘夷」だの「天皇」だのと、余計な情報を知ったからこそ、下士の発言力拡大からやがては大量脱藩などという形に繋がってしまったわけで・・・。

 この点、古代、大和朝廷などは朝鮮半島や中国大陸からの使節が到着すると、自国の民と親しく交わったりせぬよう厳重に隔離したと言いますし、鎖国を導入した江戸幕府にしても、国民が必要以上に清国人やオランダ人と交流を持つことに神経質なまでに制限を加えてます。

 そう考えれば、土佐藩というのは随分と「人に優しい藩」だったんだな・・・と。

(文:小説家 池田平太郎/絵:吉田たつちか)
2010.05


試し読みできます

無用の用ならぬ無能の能

「果たして、理論家のTOPの下に実践派の補佐役が付いた方がいいのか、それとも、実践派のTOPを補佐する形で理論派の参謀が付いた方がいいのか」・・・・・。すなわち、智将の下に猛将が付くべきなのか、猛将の下に智将が付くべきなのか?。これは、実は、結構、以前から考えていたことで、特に学生時代、三国志を読んでいて強く思ったことなのですが、これはある意味、理論が先か、実践が先か・・・といっていいかとも思います。

となれば、「理論と実践とはどちらが欠けてもいけない車の両輪である」・・・という自説に照らせば、もちろん、両方優秀な人であるのが一番、理想なのでしょうが、それは現実社会では必ずしも実際的ではありません。(かつて、兵法評論家にして私が師と仰ぐ、大橋武夫氏は三国志に関する著書の中で「曹操は百万の大軍の総司令官であり、諸葛亮は百万の大軍の参謀総長であった」と述べられたことがありましたが、同時に「この二人が組むことが一番、理想形だったろうが、曹操では諸葛亮の保護本能をくすぐることがなかったであろうから、この組み合わせは難しかったであろう」ということを述べておられました。諸葛亮が推戴した劉備は決して、切れ者ではなかったが人徳と決断力だけは持っていた人物で、それが言うならば、劉備という男の「可愛げ」・・・であったろうと。誰かが言ってましたが、これこそ、「無用の用ならぬ無能の能」であろうと。)言ってましたが、これこそ、「無用の用ならぬ無能の能」であろうと。)その意味では、理想的・・・、あるいは、ベストという形はおそらく、存在しないのでしょうが敢えて、ベターという視点で言えば、私的には、「智将を補佐する形で勇猛な部将が付いた方が良い」ように思います。

敢えて、政治感覚のみの人と、勇猛なだけの人に極論すればわかりやすいかと思いますが、その点で、好例となるのが、源頼朝と義経、石田三成に島左近、アウグストゥスとアグリッパのような関係でしょうか?

一見、決断力に富む軍事的能力が高い人がトップに立ち、政治的能力の高い人が細部を詰めていった方がいいようにも思いますが、この場合、勇猛なだけの人に判断能力があればいいのですが、判断が付きかねる場合、また、こういう人ほど得てして妙な猜疑心を持ったりするもので、そうなると、やはり、誤った判断を下しかねないように思えます。

項羽と范増の関係がその典型でしょうか。項羽は范増の献策を活かすことなく、逆に敵の計略にひっかかり、范増を殺してしまうことにも成りかねないからです。(史書はそう伝えてないみたいですが) となれば、智将の下に勇猛な部将が付いた方が弊害が少ないと思うのですが、如何でしょうか?

(文:小説家 池田平太郎/絵:吉田たつちか)
2009.05


試し読みできます

福澤諭吉は勝海舟が嫌いだった?

明治草創期、新政府で勢威をふるった薩摩・長州の二大派閥。

薩摩人は、新政府構築についての意見を勝 海舟に仰ぎ、長州人は福澤諭吉に求めたといわれています。

二人は、まさしく、当時を代表する新時代の知識人だった。

勝も福澤も、共に、当時の社会体制にあっては優遇された立場からのスタートではなかったこともあり、門閥優先の封建制度を激しく嫌悪しており、優れた能力者同士、一度出会えば、すぐに肝胆相照らす仲であったように思えるのですが、実際には、両人の仲はあまり良好なものではなかったようで、特に福澤は、勝が維新後に栄達を得たことを批判するなど、生涯にわたり批判的でした。

この、福澤の「勝嫌い」は、元を辿れば万延元年(1860年)、咸臨丸での太平洋横断に始まります。

このとき二人は、遣米使節団の一員としてアメリカ合衆国へ渡ったのですが、後に福澤をして、「蒸気船を初めて目にしてから、わずか7年たらずで、日本人の手によってのみ行われた世界に誇るべき名誉」と言わしめたほどのこの大航海ですが、実は、初めて経験する太平洋の荒波の前には、日本側乗組員の大半はまるで使い物にならず、事実上は、同船していたアメリカ側乗組員の手によって、相当の部分が運行されていたとか。そして、この点は事実上の指揮官として、また、海軍通の第一人者を自認していた勝も例外ではなく、特に、伝染病の疑いが懸念されたこともあって、航海の大半を自室に閉じこもって終えたのに対し、逆に福澤は医学的知識が豊富だったこともあって、船酔いもせず病気にもならなかったことで、福澤の、勝を見る目は太平洋の海面よりも冷たかったでしょうか。

さらに、福澤の目を厳しくしたのが、勝が艦長・木村摂津守喜毅に次ぐNO.2として、事実上の操船指揮官であったのに対し、福澤は、その、木村の従者として、自費での乗船だったことでした。

そういうと、従者待遇への不満が原因であったかのようですが、ことは勝の「上司」にして福澤の「主」である、この木村という人物に起因します。

木村喜毅は、勝・福澤と違い、浜御殿奉行の嫡子という名門の家に生まれました。従って、叩き上げの実力派を自認する勝からすれば、木村という男は、「名門の出」というだけで艦長の役職を与えられた唾棄すべき存在であり、このため、勝はこの航海中、木村を露骨なまでに無視・・・、というよりも、いじめ抜きます。

しかし、一方で、木村は、元々、幕臣でも何でもない福澤の乗船を許したくらいですから、身分を鼻に掛けるだけの無能な人物などではなく、航海中も、外に出るときは福澤を従者として扱ったものの、一旦、自室に戻ると、年下の福澤を自分と同じ椅子に座らせ、「師」として遇し、真摯にその意見を聞いたとか。

これなどは、「同じ価値観を持つ一級の人物同士でも、見る位置が違えば、これほどに違って見える」・・・という好例でしょうか。

従って、福澤からすれば、勝というのは、木村の人となりを見ようともせず、「ボンボンだから無能」と決めつけ、ことあるごとに偉そうなことを言うくせに船酔いばかりで何も出来ない嫌な奴以外の何ものでもなく、一方で、勝の度重なる嫌がらせにも温顔を崩すことなく耐えている木村の姿・・・。たぶん、私が福澤だったら、たとえ、勝の学識や人物は認めたとしても、「こいつとは、一生、付き合うことはない」と思ったでしょうね。もっとも、勝からすれば、木村はともかく、何で自分が福澤からこんなに嫌われているのかは困惑ものだったでしょうが・・・。
(文:小説家 池田平太郎/絵:吉田たつちか)
2008.05



読者登録

atecさんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について