閉じる


試し読みできます

死して屍 拾う者あり 1

 ・・・ドッ。

「まぁ!?半月も?・・・じゃぁ、もう無理ですよ・・・」
「・・・うん。でも、もうちょっとだけ・・・」

 ・・・ドクッ、ドクッ。

「腐敗は・・・していないみたいですね」
「だろう!それに、触ると温もりもある」
「ぬくもり?」

 左手の甲に妙な感覚を覚えた。

「・・・冷たくはないけど、アタシには温いとも感じられませんけど・・・」
「そんなはずは無いよ。・・・あれっ?・・・いや、そんなはずは・・・あっ!ほら、温いじゃないか!」

 今度は確かな触感があった。その場所からピリピリと冷たい感じが広がる。この感覚は知っている。ピリピリが引いた後には温かい血流が戻ってくる、痺れが引く時の感覚だ。

「・・・・・・。センセイがそう仰るのなら・・・そうなのかもしれませんが・・・。それにしても、こんな事を為さってらしただなんて!あの鈴尾様が、よく御承知なさいましたね?」
「いや・・・わたしの独り決めなんだ」
「・・・それってセンセイ・・・もしや、これが知れたら鈴尾様のお叱りだけじゃぁ済まないんじゃありませんか・・・?」
「ん?まぁ、そうなんだけど・・・痛いとこを突くね、ヨウちゃん」

 ドクッ、ドクッ、ドクッ・・・。

(なんの音・・・?ウルサイなぁ・・・)

 頬に何かが触れた後、遠くで流れていた音が言葉に変わり、じわり・・・と近づいた。

「栄養剤は効いてるはずなんだ。でも、日々、血の気が抜けていくみたいでね。本当は、しかるべき量の輸血が必要だったのかもしれない。外傷は無かったし内臓にも損傷は診られなかったから処置しなかったんだけど、なにせ先例の無い事だからね。万全を期すべきだった。わたしの手抜かりだよ。まだ繋がってるから、あっちのを取りに行きたいけど、いまこの子から目は離せない。だから、緊急的にわたしのを・・・」
「とっ、とんでもない!もう止めてください。センセイだって身体が持ちませんよ!どうりで近ごろ顔色が悪かったはずです。ほら!コレも勿体ないからセンセイの身体に戻しましょう。それに、この子だっていつまでもこのままじゃかわいそうです。不憫に思うのなら、もう、真っ直ぐ逝かせてあげるべきです。情が移ってセンセイが出来ないっておっしゃるのなら、このアタシが一思いに・・・」
 いやに落ちついた女性の声と何やら煮え切らない受け答えをする男性の声。
 男性の声はちょっと高めで柔らかな口調。いまPSPの乙女ゲーで攻略中の彼の声に少し似ていて、なんだか照れくさいけど、もっと耳元・・・カナル型(イヤフォン)で聞いていたい気分。
(で・・・?だれが、どこに行かされるんだろう・・・)
 胸に溜まっていた澱んだ気体を鼻からフウゥ~ンと深く吐き出し、深く新鮮な空気を吸い込みながら「あと五分」と主張する重たいまぶたをこじ開けようとした。
「・・・力及ばずか。残念だよ。ハァ・・・今日は朝の占いから最悪で・・・」
「センセイ・・・」
「あぁ!それに、昨日は今年一番金運に恵まれる日だったはずなのに紙入れを失くした」
「センセイ・・・」
「このあいだなんか、水難の相とかで雹(ひょう)に打たれたよ。この時季に雹だよ、ひょう!」
「あぁ、ありましたねぇ、そんな日が。でも氷難の相なんて見立ては聞いた事ありませんからね。カミナリ様に打たれるよりは良いのじゃありませんか?それよりセンセイ、占いがよく中る体質で良かったですね・・・」
「何がいいもんかぁ!」
(・・・へぇ、拗ねたような声も甘くてステキ・・・)
「でも・・・ほら。センセイの最悪の結果がもう一つ、目を開けちゃいましたけど・・・」
 ボーッとした頭に街の喧騒のように流れ込んで来る会話の中、薄く開いた目に飛び込んだのは・・・。
〝キラッ〟と光る注射器の針先をあたしの喉元に突き立てようとする、真っ赤な姿だった。
○×◎■△×!
 あたしは音にならない声で絶叫し、周りの機器から伸びて指先に噛み付いていたコードを勢いよく引っぺがし、乗っていた寝台から薄いブルーのシーツ諸共〝ズルズル・・・ドテッ〟と、ずり落ちた。


試し読みできます

死して屍 拾う者あり 2

 その日は、前の晩から入った強い寒気の影響で何年か振りで雪の朝になった。
 朝の情報番組のお天気コーナーでは、あたしの暮らす港町・横浜も三センチの積雪を観測したと言っていた。起きた時には真っ白なパン粉が軽やかに乱舞していた降り方が、今はいかにも湿気タップリのぽたん雪に変った。
 近所の子供達はマンションの駐車場に積もった雪をかき集め、なんとか雪ダルマを作っているようだったが、そのあちこち泥だらけの雪ダルマっぽいモノは融けかけのオレオクッキーアイスみたいに不恰好で、横目に見て苦笑しながらも、子供の頃の自分の姿を重ね合わせ、ちょっぴりセンチメンタルな気分になった。
 防寒兼転倒時対策として、制服のスカートの下に青い膝下までの体操着を穿き、全神経を足の裏に集中して歩く。足元を気にするあまり、肩に担ぐように差したオレンジ色の傘が頭上から反れて集中力を散漫させた。
 「やっぱり長靴にしておくべきだったな・・・」
 革靴の底はツルッと平らで、少しでも気を抜こうものならすぐバランスを失いそうだ。

 

 ようやく川向こうにJRの駅が見えてきてホッとする。

 今にして思えば、この時の「ホッと」が正に命取りだったのかもしれない。なぜ駅構内に入るまで、あと少し危機感を保たなかったのだ、あたし!
 道路には悪路にも関わらず果敢にも駅まで自転車に乗って来ている人も少なくない。案の定スリップして転倒している人もいて、車に巻き込まれやしないかと見てい方がヒヤヒヤとさせられた。
 でも次の瞬間、巻き込まれたのはあたしの方だった。
 転んだ自転車を避けようと右にハンドルを切った軽自動車が、対向車線を走って来たワゴン車と衝突したのだ。わずか数秒の出来事のはずなのに、その映像はゆっくりとコマ送りで見ているようだった。
 弾かれた軽自動車が斜めになったまま、まるであたしに狙いを定めたように滑って来る。リアウィンドウからヒヨコの形をした『赤ちゃんが乗ってます!』ステッカーが、恰(あたか)もバイバイするように揺れていて、その手前を水分をたくさん含んだ大きな雪がぼたぼたと落ち続けるのを瞬きもせず見ていた。
 もしもあんな時・・・ジェームス・ボンドやインディー・ジョーンズだったなら、瞬時にサッと身を捻って間一髪、ミサイルだろうが大岩だろうが軽々とかわす事だろう。だが悲しいかなあたしは鈍臭い一介の女子高生で、当たり前だがそこはスクリーンの中でもなかった。
 鼻先に刻々と迫り来る鉄の塊になす術もなかった。
(うん・・・車って鉄の塊、ホント走る凶器なんだ。赤ちゃん乗ってるのかしら?怪我しなきゃいいけど・・・あぁ、来る・・・こっちに来る・・・)
 傘もカバンも握り締めたまま息を詰め悲鳴を上げることもなく、頭の中にはボンヤリとそんなことが漂った。
 そして衝撃があったのだと思う。
 「思う」と言うのは、その先は覚えていないから。
 あまりの惨たらしさに、自分の中で自主規制がかかったのかもしれない・・・。


試し読みできます

死して屍 拾う者あり 3

 そして目が覚めたら目の前に〝キラッ〟と光る針である。
 あたしにとっては悪夢の続き以外の何物でもあって欲しくない。
(は、針ぃ?なんで思いっきり首に刺そうとしてたの?あぁ、手術の前に麻酔が切れたのか・・・え?いやだ、それって医療ミスじゃん!ってか、もっと痛くなさそうに刺そうよ、針っ!トラウマになるぅ!)
 訳も分からず冷たいビニールの床に手を突き、注射器ガン見で酸欠の金魚の如く口をパクパクする。
 すると、視界の隅にあった白いモノが動いた。
「良かったぁ、目が覚めたんだね!」
「センセイ、もう戻せませんよ?」
「あ~ぁ、こういう日に最悪なんて、あのヘボ占い師め!やっぱり占いなら龍星か・・・」
「センセイ、占いから離れましょうよ」
「ああ、でも大吉って訳でもないか・・・中吉の更に小吉寄り、くらいかなぁ」
(・・・それ占いじゃなくておみくじだから・・・あれ、おみくじも占いか?)
 あたしは混乱した頭で一人ツッコミ、更に混乱した。
 動いた白いモノ・・・それは白衣だった。さっきから聞こえていた好い声は、この白衣姿のセンセイと呼ばれる人のものらしかった。その人は目の前でパクパクとテンパってるあたしの思考など知るわけもなく、のんびりした足取りで寝台を回り込み近づいて来る。
「気分はどう?」
 腰を屈めて覗き込むセンセイの顔を見て、あたしの目はいつもの三割り増しで見開いたと思う。
(かっこイィ!イケメンだ!・・・ブリーチかしら?すごいキレイ・・・・・・何のコスプレ?)
 声からしてまだ若いと思われたセンセイは二十歳前後だろうか。好きだった仮面ライダー俳優の面々も霞むほどのイケメンぶりだ。レイヤーの入ったショートヘアは、まるで絹糸のように細く白銀色で、あたしの顔にキラキラと降り注いできそうだった。その下の切れ長の黒い瞳は涼やかで、口元には人懐っこそうな笑みをたたえている。実物のコスプレーヤーという者を初めて見たが、白銀色のウィッグがこの上なく似合っている。この人なら髪の色が黒くても白くても、見た目も声も、ド真ん中(好きなタイプ)だ。
 だが、なんといっても目を惹いたのはその額にある小さな紅い印。ホクロ?いや、インド人?でなきゃ大仏様か阿弥陀如来様だ。
(えっ、神様!・・・ここって天国・・・。いや外国?外人のセンセイ?医者のコスプレヤー?)
「まさか、口がきけないのかな?・・・それとも、わたしに見惚れてるのかな?」
「センセイ・・・ここは普通に考えれば、ただ単に驚いていて言葉が出ないだけ、って事じゃないですか。それとも、やっぱり無理があったのかしら・・・」
 もう一つの声。
 寝台の反対側に立っていた女性も近づいて来てあたしを見下ろした。
 女性もまた白衣を着ていたが、中は真っ赤な超ミニのワンピ。目覚めに飛び込んできた真っ赤の正体だった。前にTVのニュースで見たバブルという時代に、羽の扇子を振り回し狂喜乱舞していた女性の姿にそっくりだ。
 違っていたのはやはり首から上。
 肩までのゆるくウェーブした髪は錆のような赤銅色(しゃくどういろ)で、瞳は青灰色(せいかいしょく)その中の青い瞳孔は細められていて、まるでシベリアンハスキーのような瞳だった。
(かっ、カラコン?なんのキャラだろ?・・・ここ、ホントに病院?)
「最終通告ですよ。今ならまだ手はあります!このまま闇から闇に・・・」
 そう言って女性は寝台の角に手を付いて、ニィっと笑った。
「ぃひぃっ!」
 思わず、喉の奥で音が出た。
 笑った女性の口角がぐいっと引きあがり、その両側から覗いたのは八重歯というより、短いけれど鋭く尖った、確かに牙だったのだ。
「あっ!今、『ぃひぃっ』て言った。良かった・・・。やっぱり、中吉ど真ん中くらい・・・だったか?あれ?『ぃひぃっ』って、どんな意味の言葉だったっけ?まったく、あっちの若者言葉には付いて行けないよ・・・」
 自分だって若者だろうセンセイは腕組みをしてブツブツと年寄りじみたことを言っている。
「もお~ぅ、そんな事よりこの子、どうなさるんです?目を開けちゃったじゃありませんか!」
「開けちゃった・・・って、だって、その為に今日まで手を尽くして来たんだ。ようやく目覚めた命だ。もっと喜んでよ、ヨウちゃん!」
「本当に、いいんですね?」
「生きようとする力の勝利だ!大丈夫、上手くやるさ。全て覚悟の上だよ。ヨウちゃんは何も知らなかった事にして」
 軽やかに言うセンセイに、ヨウちゃんと呼ばれた女性が不安げな表情になった。
「君、言葉は分かるよね。話せる?」
 そう言ってセンセイは立ち上がるよう手を差し伸べてくれた。
 白い浴衣を着せられていたあたしは慌てて乱れた裾を直し、右手をセンセイに引いてもらいながら左手で落ちた時に打ったお尻をなでなで、立ち上がった。
(手術はどうなったの・・・?)


 見回すと、そこは白い部屋だった。
 天井も壁も床も白で距離感を間違えてしまいそうだ。さっきまで乗っていた寝台の上部には小さな電球がたった一つ付いている。不思議とそれだけで部屋の中は十分に明るかった。
(目が覚めなかったら今頃はあの上で、『宇宙人の解剖ビデオ』みたいになってたんじゃぁないよね・・・)
 あたしは小さく身震いし、イザという時の『逃げ道』になるドアと、その向かいの壁一面の戸棚、そしていくつかの機器と寝台があるだけの殺風景な造りの室内を確認した。それから寝台に痛むお尻をそっと預け、左手を軽くこめかみに当てながら尋ねた。
「あたし、事故に遭ったんですよね。車が真っ直ぐ向かって来て、グングン大きくなって・・。でも、後はよく覚えてないんです。軽い怪我とかで済んだんでしょうか?ここ、どこの病院ですか?まさか・・・死んじゃったりして天国とか地獄とか、そぉーゆートコでしゅか?」
 ヨウちゃんといい、センセイといい、よくよく見れば人間離れした容姿をしている。センセイに至っては白衣の下に着物と袴という出で立ちだ。こんな姿の医者、今まで見た事がない。だからと言ってコスプレにしては、二人とも作り物っぽさが何処にも感じられないのだ。髪も目も牙も、とても自然で違和感が無い。もしかしたら本当に何かの神様という事もあるかもしれない・・・。
(イヤイヤ、待てよ・・・何かのビックリ企画とか・・・?)
 訊きながら自分の中に湧き上がってくる妄想に興奮し、何がなんだか後半は呂律が回っていなかった。百歩譲って、もしも医者であったとしても、出来ればこんなふざけたコスプレ医者には診てほしくない。イケメンじゃなくてもいい。少々目鼻のバランスが悪くても、ジィちゃん先生でもいい。ワイシャツでもポロシャツでも、普通の服装に白衣を着た普通の先生に診てもらいたい。叶うのならば普通の医師の姿の、そこそこ腕の良い真面目な先生ならば尚のこと良い。
 しかし、センセイは首を横に振った。両手を膝に当てて軽く屈むと、あたしの顔を興味深そうにしげしげと見つめた。
(頭を打ったと思われたかしら?いや、それとも、相当激しく打ってこんな事になってるのかしら・・・)
「ちょっと複雑でねぇ。痛いところとか、ない?どこか動かないトコとか?」
 手の平を恐る恐る握ったり開いたり、グー、パーを繰り返した。それからプールに入る前の準備運動のように膝の屈伸運動、頭もグルリと回してみたりしたが特に不具合は無かった。痛みはさっき打ったお尻意外感じられない。
「大丈夫・・・みたい・・・です」
「うん・・・でも、すこし、ゴメンね・・・」
 センセイはあたしの手首に触れて脈を取ってから指や爪先に触れ、感覚の有無を尋ねた。そのあと細い指先であたしの左右のまぶたを目薬を点す時のように開き、顔を寄せて瞳をじぃーっと覗き込んできた。
(ちか・・・ぃ・・・)
 男の人に・・・肉親の父さんとだって記憶にある限りこんな風に近づいたことはない。たとえこれが必要な医療行為だったとしても、ド真ん中(好きなタイプ)の若い男性の整った顔が自分のヘン顔にこれほど近づいているのには耐えられない。『あ~ぁ~したのゆ~はん、なに、食べよっかなぁ~~♪・・・』などと、どうでもいい事を必死に考えて沸騰直前の乙女心を押さえ、恥ずかしさに耐えた。
「ん~?ちょっと熱っぽいかな?目眩とか吐き気、してない?」
「しっ、してません!大丈夫。何処もかしこも異常なし、元気ですっ!」
 どこも異常が無いオツムならば、こう即答すべきでは無かったろう。あたしは交通事故に遭い今の今まで寝台の上で医療行為を受けていたのだから。だが、本当に身体はどこも痛くないし目眩も無かった。それに今の、この動悸とクラクラ感ならば原因は分かっている。
(ヘンな病気と間違えられたらどうしよう?)
 キリリとした真顔でコクリと一つ頷いたセンセイは姿勢を元に戻し、振り返って言った。
「ヨウちゃん!異常は無いそうだよ」
(・・・無いそうだ・・・よ?いいの、そんな診断で?)
 息を感じるほど近くにあったセンセイの顔が頷いて離れる一瞬、口元にフッと笑みを零したように見えたのは気のせいだろうか。
「はいはい。異常は・・・無しですね」
 ヨウちゃんは何か言いたげな表情であたしを見ながら繰り返し答えた。
 むしろあたしにとっては二人の方が異常ありありに見えるのだ。
「あのぉ、ここ何処ですか?」
 自分に一段落したあたしは何よりそれが知りたかった。
 あと、飲み込んだ「あなた達は誰?本物の医者ですか?」が・・・。


試し読みできます

死して屍 拾う者あり 4

「ここはね、ん~・・・不思議・・・の国?・・・かな」
(はっ?)
 ボレーで打ち返すようにセンセイを見返した。
(不思議の国?・・・ってか、なんで疑問形?)
「それが一番納得できると思うよ。君には」
 センセイは苦笑いを浮かべ、胸の辺りで腕を組んだ。そうして少しのあいだジッとあたしを見ていたが、やがて小さく息を吐いて言った。
「あの日、君は覚えているように事故に遭った。自動車と橋の欄干とのあいだに挟まれたんだよ。あれは・・・痛かったよねぇ・・・きっと。それでね、『ぺっちゃんこ』になっちゃったんだ・・・」
 あたしはポカンと口を開けた。
 脳裏にCMで見た、Tシャツに張り付いた「ぴょん吉」《※1》の姿さながらに、道路に張り付く自分の無様な姿が浮かんで消えた。
「わたしが駆け寄った時には身体の方はもうダメでね。でも魂の方はなんとか灯っていた。そして、あの事故では他にもう一人、巻き込まれて犠牲になった子がいたんだ。その子は身体の方は奇跡的に無傷だった。でも既に心肺停止状態でね。不思議な事に魂はもう身体を離れていた。きっと何かの間違いで超特急で極楽浄土へ旅立っちゃったのかな?」
 あたしはやっと何度か瞬きをした。
 そのあいだヨウちゃんは背中を戸棚にもたれ掛け、時々、手にしたクリップボードに視線を向けた。
「ぺっちゃんこ・・・あたしが?」
「そう。でも魂は生きようと必死だった」
「でもあたし、こうして・・・」
 視線を下げて手の平を凝視した。
(あれ?・・・)
 その時、戸棚の前にいたヨウちゃんが一つの引き出しの中から何かを手にして近づいて来た。センセイの隣で立ち止まりチラリと視線を合わせると、一瞬あたしの目を見据えて、手にしていた物をクルリと向けた。
 ヨウちゃんが手にした物。それは小さな丸い手鏡だった。
 そしてそこに映っていたのは・・・
 軽くクセのある柔らかそうな栗色の髪に、ぱっちりとした二重まぶた。べっ甲飴みたいなキラキラした薄茶の瞳に、ふっくらとした頬、小さな唇。・・・まるで絵本の中の天使のような子供だった。
「で、それがその子で、君って訳なんだけどね・・・」
 思わず両手で頬を押さえた。
 鏡の中の天使も、「アッチョンブリケ!」と叫ぶピノコ《※2》ばりに、ビックリ顔で頬を押さえた。
 そこからのあたしは、きっと糸の絡まった操り人形のように見えたと思う。腕や足の動きは何の計画も意味も持たずバラバラに動き、首をこれでもかと捻り、あっちを撫でたりこっちをさすったり。
 そして気がついた。
「えぇーーー!っ」
 二つの膨らみがあった所を手の平がスカット空振る。小さな両手は腰の下で止まったまま、視線は恐る恐る下半身へと向かった。
 どのくらいのあいだそのまま固まっていたのか・・・。
「あぁ~むごい、胸が痛むわ!物凄い悪事に手を染めた気分ですよ、センセイ!」
 ヨウちゃんが非難めいた声を上げた。
「うぅ~ん・・・そりゃ、混乱するよね」
 センセイも声音を曇らせた。
「君の魂は空になったその子の身体を尸童《※3 よりまし》にして、なんとか留まり、こっちの次元で熾(お)きたんだ」
(よりまし?起きた?なにそれ!)
 再び手の平を見た。
「ウソ・・・あたし困ります!こんな姿で、父さんになんて言ったらいいんですか?学校にも行けない。友達にだって会えない、これからどうやって・・・。男の子だなんて!」
 そう言った途端、涙がぽろぽろこぼれた。
 びっくりした。泣くつもりなんかなかったのに。
「残念だけど、ここには君のお父さんは居ない。学校も無い。あっちとは違う次元なんだ」
(・・・違うジゲン?なに・・・そのSFチックな言葉・・・?)
「ここは君の居た次元とは違う場所なんだよ。でも、こっちにも同じように人々の暮らしがある。君は・・・あっちでは死んでしまったんだ。ある朝突然、なんの前触れもなく命を落とした。そこに偶然居合わせた私には君の魂は消えたくない、死にたくないと必死に訴えているように見えた。だから私の独断でこっちへ連れて来んだ。こっちなら、時間を掛けて魂と身体を合わせられる。君が生きられるチャンスがあると思ったから・・・」
 センセイからは何故か表情が消えていた。
(あたしが死にたくないと訴えた・・・?ウソよ。そんなはずない!)

 

 ※1  ぴょん吉・・・漫画 『ど根性ガエル』で、転んだ『ひろし』に潰されてTシャツに張り付いてしまった蛙。
     シャツの柄のようになりながらも生き続け、人の言葉を話す。

 

 ※2  ピノコ・・・漫画 『ブラック・ジャック』の助手の女の子

 

 ※3  尸童《よりまし》・・・修験者や巫子(みこ)が神降ろしをする際に、神霊を乗り移らせる童子や人形。


試し読みはここまでです。続きは購入後にお読みいただけます。

この本は有料です。閲覧するには購入する必要があります。
購入するにはしてください。
有料本の購入に関しては、こちらのマニュアルをご確認ください。
販売価格50円(税込)

読者登録

kawaridamaさんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について