第5章 嵐の前の(1)
ボクたちは一路、大澤博士がいるという研究施設へと向かった。あんな事があって、いくらスイッチを切っただけとはいっても、瞳を閉じて『眠ったままの』彼女を後ろに乗せていたら、工藤さんもボクも何だか口数が少なくなっちゃって。ずっと車の中には重っ苦しい空気が充満していた。
「・・・彼女の名前、麻衣さんっていうんだね」
今いちばん近いところから絡まった糸を解きほぐしていこうと、思い切って声を掛けてみたんだ。でもまだ工藤さんはチラッとこっちを見るだけだった。
「ずっと一緒にいたのにさ?・・・名前、分かんなくて。『キミ、キミ』って」
やっと少しだけ笑顔を見せてくれた。おかげで、ちょっぴり空気が軽くなったような気がして、胸を締めつけられるようなイヤな感じもなくなった。
「・・・そうだ、彼女にそっくりな女の子が大澤博士と一緒に写ってる写真があったんだけど」
「写真?・・・どこにあったの」
「博士の部屋の本の中に挟まってた」
さらにボクは、それが20年前にあそこで撮られたものらしいと付け加えた。
「・・・その子は、博士のお嬢さんだよ」
「じゃあ、やっぱりその・・・彼女 ──── ノアは、博士の娘さんがモデルなんだ」
工藤さんはうなずいた。その顔は、とても寂しそうだった。それが妙に気になって、頭から離れなかった。
博士の部屋にあったあの『異質な』本
その中に挟まれていた20年前の写真に写る、博士と・・・その娘
彼女に瓜二つの、アンドロイド
工藤さんが、それを『麻衣』と呼んでいたこと ────
今までバラバラだったパズルのピースが、ゆっくりとはまり始めた。そうして全てがよどみなく繋がった時、ボクはそれが嘘であってほしいと心から願っていた。あれほどに知りたいと思っていた事を、知らなければ良かった・・・そう本気で思っていた。
第5章 嵐の前の(2)
「20年前、麻衣はあの交差点で事故に遭って・・・」
──── 死んだんだよ。
工藤さんは、あまり悲しそうな顔を見せずに淡々とそう言った。
「・・・だから、博士は彼女を?」
ボクの言葉にも黙ったままだったけれど、しばらくして工藤さんは『ノア計画』について静かに語り始めた。
ノア計画 ──── それはもともと『不慮の事故や病気などで命を失った人と、その家族を救う』目的で、本来の支援ロボットプロジェクトとは別に極秘で進められていた研究だった。最先端の技術を使って亡くなってしまった大切な人と寸分違わないアンドロイドを提供する。でも、そのためには外見だけでなく記憶も完全に再現する必要があった。いくら姿かたちがそっくりでも、前もってプログラムされたような機械的な行動をしたり、一緒に過ごした家族や、その思い出を忘れていては意味がなかった。そこで大澤博士は、ヒトの脳に蓄積された全ての記憶を吸い出してデータ化するシステムと、そのデータを90パーセント以上の割合でスムーズに行動に反映させる事の出来る高性能なA.I.を搭載した『ニューロ・チップ』と呼ばれるものを開発したんだ。もちろん、そのチップには起動後のデータも『記憶』として保存される。そうしてノアと共に今までとほとんど変わらない生活を送る事によって、家族の悲しさや寂しさが少しでも和らげられるように ──── というのがこの計画の主旨だった。
・・・けれど、ある悲しい出来事がきっかけとなってノア計画に狂いが生じ始める。
第5章 嵐の前の(3)
ニューロ・チップの試作品がようやく完成にこぎつけた1989年8月、博士は久しぶりに休暇を取って麻衣さんと一緒に深山の別荘へ出かけた。夕食の材料を買いに行ったまま、なかなか戻らない麻衣さんが心配になった博士は、彼女のポケベルにメッセージを入れた。しかし一向に麻衣さんからの連絡はなく、しばらくして博士のもとに警察から一本の電話が・・・
『お嬢さんが事故に遭われて、病院に搬送された』
と。血相を変えて駆けつけた博士が見たものは、チューブで繋がれ体中を包帯でグルグル巻きにされた痛々しい姿でベッドに横たわっていた麻衣さんの姿だった。ほんの数ヶ月前に奥さんを亡くし、悲しみに打ちひしがれていた博士を支えていたのは、もちろん他ならぬ娘の麻衣さんだった。もうこれ以上愛する家族を失いたくなかった博士は何も考えられなくなって
『そんな事をすれば、娘さんは本当に死んでしまう!』
と静止する医者を突っぱねて、強引に麻衣さんを病院から連れ出したんだ。
「きっと、もう・・・医者を信用していなかったんだよ。昏睡状態の娘を前にして博士は、奥さんさえ救う事の出来ないような連中に任せるくらいなら、自分の力で何とかしてやる・・・って。そう思ったんだろう」
でも博士は、麻衣さんを連れ出した時にはもう・・・別れを覚悟していた。ただ、今まで研究を、そして自分を支えてくれた娘に報いるためにも、自分がこれまでやってきた事を信じてノアを作り上げるしかなかったんだ。
第5章 嵐の前の(4)
「でもね。ノアが完成した時、博士俺に・・・こんな事言ってたよ」
麻衣を死なせてしまったのは、結局は私なんだ ──── って。
あのまま病院に預けていれば、ひょっとして助かったかもしれない。こんな『偽りの姿』じゃなく、正真正銘の血肉の通った人間として自分のところへ戻ってきたかもしれない。博士は麻衣さんに会いたい一心で、ノアを完成させはした。けれど、スイッチを入れた時にもし・・・彼女の記憶の中に強引に自分を連れ出す父親の姿があったとしたら。それでも自分のした事を認めてくれるんだろうか?また、あの日のように笑ってくれるんだろうか。いや、それどころか生きていた頃の記憶すらなく単なるロボットのままだったとしたら ──── 博士の不安は決して消える事はなかったんだ。
「だから、髪を伸ばしたんだってさ。そのほうが面影が薄れるから・・・とか言って」
工藤さんは肩をすくめて苦笑いした。
「何だかんだ言って、博士は ──── ・・・って言うか俺も、そうなんだけど。結局、『麻衣』に会う勇気がなかった。・・・だから、別荘からあんなに離れたラボにずっと置きっぱなしにして」
「じゃあ何で、彼女を起こしたりしたの」
本当に会いたくないのなら、わざわざプログラムしてまで彼女を起動させる必要なんてなかったはずだ。・・・たしか彼女は、起動したままの容量の少ない補助バッテリーで動いていた。にもかかわらず、遠くへ行くようにインプットされて、結局はあの森で倒れちゃったんだ。あのままもし誰も気づかなかったら、いずれ彼女は機能を停止して壊れてしまう。まさかとは思うけれど、わざとそうなるように仕組んだとか・・・
「・・・うん、その事なんだけど。いいかい、驚かないで聞いてくれよ?」
そんな言い方をするってことは、『驚くような事を言う』って言ってるようなもんじゃないか。じゃあ、やっぱり博士はもう彼女を壊すつもりで・・・!
──── 博士は、ある組織に『命』を狙われてるんだ。
第5章 嵐の前の(5)
「へっ・・・?」
命を狙われてる ──── って、そんなドラマや映画みたいな話すんなり信じられるわけなかった。でも工藤さんの冴えない表情を見るかぎりじゃ・・・冗談ってわけでもなさそうだし。
「でも、それと彼女をあそこから遠ざける事と何の関係があるんですか?」
「・・・それが、大アリなんだよ。言ったろ?博士は『命』を狙われてるって」
・・・何だか回りくどいな。首を傾げるボクを見て、工藤さんは心なしか楽しそうに微笑みながら
「そいつらが博士を狙う目的は何なのか・・・って考えてごらん?」
・・・目的?そうだなあ・・・ ──── あっ!・・・ひょっとして
「博士の研究!?あの、『ノア計画』だ・・・!!」
大きくうなずく工藤さん。
「そう。それで、『唯一現存している研究成果』って言ったら ──── 」
ハッと息を止めて目を見開いたボクは思わず、後ろで寝ていた彼女をそぉっと覗き込んでしまった。
「・・・いずれは連中もあの別荘を調べるだろうし、そうなればあのラボが見つかるのも時間の問題だったから」
だから博士は、あえて自分が去った後で彼女が動き出すように仕組んだんだ。『娘』が組織の手に渡るのを防ぐためにね。・・・何だ、そういう事だったのか。心配して損しちゃったよ。やっぱり、親子なんだもの。いくら何でも壊したりなんて・・・
「後でさ、博士大慌てだったよ!『水を補給しておくのを忘れた!!』って。あのままじゃ、じきにセーフモードになっちまうから・・・ホント、どうなるかと思ったけど。『救世主』が、いてくれたからね」
なんて、工藤さんはチラリとボクのほうへいたずらっぽい視線を送ってきたんだ。