閉じる


<<最初から読む

3 / 247ページ

試し読みできます

3

スタートした。桜井栄光は会話をやめて一緒に走る。しかし馬券を買っていないマサルが話しかけてきた。

「エーちゃんはその子はダメなのか?」

桜井は画面と新聞を交互に見ながら答えた。

「オレの本命は別にいますから」

マサルも画面を見ながら話す。

「エーちゃんの本命。亜美か?」

「何を言う気ビバーチェ。涼子ですよ」

マサルは感心した。

「なるほど涼子チャンか。あの子は魅力的だな」

「魅力的?」桜井は一瞬マサルを見てから画面に目を戻した。「魅力的ってまさかマサルさん?」

「エーちゃんが出走するレースには、オレは出ないよ」

「ありがたき幸せ」桜井は頭を下げた。「マサルさんの大外一気のゴボウ抜きは破壊力抜群ですからね。同じレースは走りたくないです」

桜井は画面に見入った。恋のレースも大事だが、まずは目の前の競争だ。

第4コーナーをカーブして最後の直線を駆け抜ける。

「よし取れる。そのまま、そのまま!」桜井が画面に向かって絶叫した。

50歳くらいだろうか。スーツを着たサラリーマン風の男が、桜井の隣で叫ぶ。

「差せ、差せ!」

「そのまま!」

「差せ!」

「そのま・・・NO!」

桜井が買っていた馬は後ろから来る二頭の馬に交わされた。

 


試し読みできます

4

「よし取った!」

男は満足の笑み。桜井は放心状態。男は勝ち誇った笑顔で桜井を見た。

「明日のメインも教えてあげようか?」

桜井栄光はハズレ馬券と新聞を宙に投げた。

「わあああ!」

「ダメだよ」マサルが腕を掴んで止める。

「あ、そういう姿勢じゃ一生当たらないね」

男は笑いながら去っていく。桜井は床に落ちた新聞にストンピングの嵐。

「どこに印つけてんだバカヤロー!」

「人のせいにしたか」マサルが笑顔で呆れる。

「てい、こらあ! ほらあ!たわけこらあ!」叫びながら新聞を踏みつける桜井栄光。

「何でそこで長州力が出てくるんだ、幅広いな」

「やるかこらあ! タコこらあ!」

 

土日で大切なお金を失い、月曜日の朝は精神的ダメージを負った状態で出勤。良くない生活のリズムだった。

桜井栄光が勤務する冠田ゴム工業株式会社は、毎週月曜日に朝礼を行う。

都会にある小さなビルの3階が本社で、朝礼はそこで行われる。

本社には、社長、専務、部長がいて、営業や事務員が働いている。その本社から歩いて5分のところに倉庫がある。桜井はそこで働いていた。

 


試し読みできます

5

朝は8時半から始まる。月曜日は9時5分前になると、皆でゾロゾロと本社まで歩いていく。

倉庫の社員が本社に到着すると、朝礼が始まった。

冠田社長の面白くない話。相川専務の毎週同じ挨拶。そして黒田部長の叱咤と行くはずだったが、いつもと違ってニコヤカだ。

眼鏡を直すと、黒田部長は人事を紹介した。

「えー、埼玉工場で製造の責任者をしていた岸守涼子さんが、きょうから本社勤務となりました」

若い女性が一歩前に出た。やや照れた感じで皆に挨拶した。

「岸守です。よろしくお願いします」

彼女は深々と頭を下げた。

岸守涼子 Kishimori Ryouko.

肩までの黒髪。穏やかな表情。控えめな雰囲気に見えるが、涼子は反骨心が旺盛だった。

冠田ゴム工業株式会社は、東京本社と倉庫のほかに、埼玉工場と神奈川工場がある。総勢100人の会社だ。

涼子は桜井と同期だった。年齢も同じ27歳。

マサルが言った通り、涼子は魅力的な女性だ。笑顔が素敵で、責任感が人一倍強く、性格は優しかった。

朝礼が終わると同時に倉庫のメンバーがロケットスタート!

バタバタと部屋から出て行き、エレベーターでもめる。

「ほらブザー鳴っちゃう、ブザー鳴っちゃう」桜井がうるさい。

ブザーが鳴ってしまった。

「何で5人なのに鳴るんだよ。コクオーが馬体重オーバーしてるからだな」

「うるせえ。静かに乗れば大丈夫だ」

ブー!

「ほらみろ」

「黙れ。テメーの声がうるせえからだ」

「声で鳴るかバカ!」

 

 

 


試し読みできます

6

騒がしい声を、顔をしかめて見ていた部長の黒田だったが、涼子を見ると笑顔で言った。

「倉庫には行かなくていいからね」

「なぜですか?」涼子は不思議そうな顔で部長を見た。

「倉庫は野蛮人の集まりだから。ハハハ」

「部長がそういうこと言っちゃダメですよう」涼子も笑った。

 

本社は社長を始め、重役の目が光っているが、倉庫は無法地帯と化していた。

前にこの倉庫の責任者をしていた飛志勝は、上下関係を排し、威張る幹部には睨みをきかせ、倉庫に王国を築きつつあった。

会社は飛志勝を円満退社させる予定でいたが、本社にも情報網を張っていたマサルには通用しなかった。

逆に不当解雇で会社を責め、戦争状態にまで発展し、会社は大きな痛手を受けた。

社内に噂が広がるのは早い。飛志勝は表向きは円満退社だが、実際は激しい戦闘が半年以上続いたことを皆は知っていた。

だから「飛志勝」の名前は社内ではタブーで、重役の前でその名前を口にするのは倉庫のメンバーだけだった。

亜美はマサルのファン。桜井栄光と名村国男はマサルを尊敬していたし、桜井は今でも付き合いがある。藤山健三はマサルの先輩だが親しい仲だ。

マサルが辞めてから入社した新人の國里尚だけが、マサルを知らなかった

 


試し読みできます

7

倉庫の入口に、本社の柏原主任が立ち、落ちたゴミを蹴っていた。

「汚ねえな。掃除なんかしてねんだろ」独り言のように呟く。

柏原はいつも高価そうなスーツを着ている。不良っぽい髪をした細身の長身。ポケットに両手を突っ込み、蔑みの表情で倉庫の中に入ってきた。

倉庫はそんなに広くない。古い木造の二階建てだ。

「桜井」柏原が偉そうに呼んだ。

「何だ?」

「何だじゃねえだろ。同期でも俺はもうすぐ係長になるんだ。お前は平だろ」

桜井栄光の中で早くもファンファーレが鳴り響いた。

「係長ってそんなに偉いのか?」

「当たり前だ。それがわからないならサラリーマンなんか辞めろ!」

藤山健三は倉庫の外で作業をしていた。

藤山健三 Fujiyama Kenzou.

60歳だが会社一の怪力。現役バリバリだ。ガムシャラなファイトで8時間疲れを知らないとばかりに動きまくる。底知れないスタミナの持ち主だ。

柏原の威張った態度を見て、臨戦態勢に入っている若い女性は、國里尚だ。

國里尚 Kunizato Nao.

短めの黒髪がよく似合う。愛らしい目。魅力的な唇。しかし性格は荒っぽかった。作業着は着用せずに、グレーのトレーナーにジーパン、スニーカーのラフだがお洒落なスタイル。年齢は二十歳だ。

チャーミングなルックスと男勝りの性格のアンバランスが魅力を際立たせている。ほとんどノーメイクで綺麗な顔。スリムなボディ。だが気性は人一倍激しかった。

 

 



読者登録

ブラックサワさんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について