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 5

「結局これか」
 いつものトーマスの店で、いつも通り十五分以上待たされたタマーレスにかじりつく。
「昨日トープさんが食べているのを見たときから、美味しそうだなぁって」
 いつもと違うのは、右隣にソニアが座っていることだ。
「アントニオは来てないのか?」
「今日は見てないねぇ。ビールは?」
 そしてトーマスの声は、いつも通りやる気を感じさせない。
「これから仕事なんだ、コーラにしてくれ」
「はいよ」
 コーラ瓶が小気味良い音と共に開栓される。
「お嬢ちゃんはどうするね?」
「ハマイカがあるのでしたら、それを」
 ハイビスカスの花弁から抽出した飲み物、それがハマイカ・ティー。酸味があり、砂糖を加えて飲む。冷やしても温めてもいい。飲食店や一般家庭に必ずと言っていいほどあり、大人から子供まで広く飲まれている。
 俺には少々上品な飲み物だ。
「はいよ」
 トーマスの声は、やはりやる気を感じさせなかった。

「遠出をするって言ってましたけど」
 トーマスのトルティーヤが口に合ったのか、ソニアは店を出てからも上機嫌だった。
「サルサが付いたままだ」
 親指でソニアの頬に付いたままのサルサを拭う。
 超音波は激しく減衰しながら空気中を進む。やがて何らかの物体に到達した際に、反射を起こしてその存在を知らせる。専門用語では固有音響抵抗というのだが、音波は物質間の境目で反射を起こす。つまり、最初に音波が伝わった物質である空気と、その他の物質との境目で反射が起きるわけだ。空気中の塵などにも反射してノイズを生むが、微細な粒の一つ一つを知覚できるほど繊細な感性は持ち合わせていない。
 人の肌とサルサとでは固有音響抵抗が異なるため、異物の付着にも気付くことができる。口元に付着する異物など、タマーレスに使われていたサルサ以外には考えられない。
「やっぱり、見えてますよね?」
 わざと付いたままにしていたのだと気付く。どうやら、まだ俺の目のことを信用していないらしい。だが、語調から感じる雰囲気では、怪しんでいるというより、好奇心を持って楽しんでいるようだ。
「その前に、アントニオの家に行く」
 俺の洞穴いえはソニアが生活できる環境ではないため、他の場所へ移動することにした。アントニオにはそのことを伝えておく必要がある。
 それに、どうにも胸騒ぎがする。
 トーマスの店から南、ノガレスの南西部にアントニオの家がある。大きくも小さくもない、町中にありふれた、ごく普通の家だ。
 いつもは、家の前に車を止めるとすぐに声を掛けてくるのだが、今日はそれがない。
 車を降り、玄関を開ける。中にも外にも人の気配がない。目の見えない俺でも、異常はすぐに分かった。
「どうして……」
 ソニアは声を震わせる。
 家中が荒らされていた。争った、というよりは、憂さ晴らしに暴れた、そんな形跡だ。何かを探した形跡を消そうとしたのかもしれないが、俺の目はそういった分析には向いていない。
「行こう」
 外に出ると、こちらを監視してくる複数の気配を感じた。
 俺は、内心舌打ちをしていた。
 荒事になると認識しておきながら、ソニアを連れ回した挙げ句、のこのことこんなところにまで来てしまった。結果、まんまとソニアの居場所を教えてしまったわけだ。
 勘なのだが、ソニアは自分が狙われていることだけではなく、狙われる理由も知っているのではないだろうか。自分を狙う相手の正体も、知っているのかもしれない。その証拠に、助手席に座るソニアは、聞かれたくない、という空気を発している。
 アントニオは、どこまで事情を知っていたのだろうか。

 南のサンタ・アナに向かって幹線道路を走り、途中で道を外れて砂漠に入る。道なき道を走れば、相手は開き直って追跡を続けるか、尾行を中止するかのどちらかを選ばざるを得ない。尾行者がいなければ、そのまま目的地へと向かうだけだ。
 追跡は二台。相手は開き直る選択をしたようだ。距離を詰めようと速度を上げている。砂漠の真ん中で目撃者もいないことだし、実力行使に出るつもりらしい。
 分かりやすくていい。実に俺好みの選択だ。
「トープさん」
 ソニアは不安そうに俺の名を呼んだ。
 返事代わりに、アントニオの帽子を被せる。
「大丈夫だ。すぐに終わる」
 気休めなどではない。ここソノラ砂漠は、俺の猟場なのだ。
「〝狩りの時間だシステム・ブート〟」
 声と同時に世界が広がる。
 俺の意識は、サワロ・アンテナを介して、上空二万マイルにある準天頂衛星に繋がる。
 システムオールグリーン。正常に作動している。
目標捕捉ゲツト・ア・グリツプ
 目標は、追跡してくる二台の車。
 ソノラ砂漠のあらゆる場所に、サボテンなどの植物に偽装した観測装置が設置されている。それらから送られてくる情報によって、ソノラ砂漠のどこに何があるのかを把握することができる。
 そして、把握するだけでは終わらない。
 俺の本領は、〝人間の脳からの直接命令ブレイン・マシン・インターフェイス〟による無人攻撃兵器の遠隔操作なのだから。
弾薬装填ローディング
 長距離狙撃銃スプリングフィールドM21二丁に装弾。照準は右前輪に。
照準固定ロツク・オン安全装置解除セーフティ・オフ

 〝人間の脳からの直接命令ブレイン・マシン・インターフェイス〟による操作は、本来ならば声に出す必要などは全くない。だが、声に出して目的を明確にすると、不思議とスムーズに進む。
 細かい動作は勝手にやってくれる。俺がやるのは、攻撃目標の設定と装弾、発射のトリガーを引くだけだ。
 連続した二発の銃声が響く。続いて、スピンした車が砂地を削る音が聞こえてきた。
「終わったぞ」
 ソニアに声を掛けて、緊張から解放させる。
 ソニアは、背後を振り向いて接近してくる車がないことを確認してから、ようやく安堵のため息を漏らした。
「……殺して……しまったの?」
「いや、タイヤを撃った」
 砂漠で車という移動手段を失ったわけだが、ここは町からそう離れていない。タイヤを交換することも、ノガレスに歩いて戻ることも、どちらでも可能だ。
 これで命を落とすようなら、運か頭のどちらかが悪かったということだ。責任を問われても困る。……などと言えるわけもなく。
 そうして、沈黙の時間が訪れた。

 砂漠を走ること数時間。
 到着したのは、アメリカ合衆国はアリゾナ州にあるツーソンという都市。
 ソノラ砂漠の東端に位置するツーソンには、ノガレスから車で一時間ほど北に走ることで到着する。それは国境がなければの話だ。
 メキシコ国内をうろついてソニアを危険に晒すよりも、国境を越えてアメリカに入ってしまった方が安全だと判断し、砂漠の真ん中を突っ切ってアメリカに入った。
 ツーソンには俺が自由に使える一軒家があり、普段は国防高等研究計画局の関係者が住んでいる。年に二回ある雨期の間は、そこで過ごすことにしている。
 ツーソンの北にあるフェニックスまで行けば、高層マンションに俺専用の部屋が用意されているのだが、そこを利用するのは年に数回といったところだ。
 高いところはあまり好きじゃないんだ。
「あら、雨期にはまだ早いわよ」
 別荘の管理人、アミー・マーティン。
 彼女は自身の年齢を〝二十七〟と言い張ってはばからないのだが、三十代の後半に差し掛かっているのは間違いない。
 初めて会った四年前に〝二十七〟だったのだから、よしんば最初は本当の年齢を口にしていたのだとしても、現在は〝三十一〟だ。
「あらやだ。貴方ってば、そういう趣味があったのね」
「子供の前だ。品のない冗談は止せ」
 そう言いながら、以前同じことを口走った自分を思い出して苦笑う。
「ソニアだ。事情があって預かっている」
「ソニアです」
「こちらのおねえさんは、アミーだ」
「よろしく」
 二人が握手を交わしている間、何となく居場所を失った気分になった。
「連絡してくれたら、ご馳走を用意して待っていたのに」
「缶詰なら食べ飽きている」
「あら奇遇ね、私もよ」
「ソニアにシャワーを浴びさせてやってくれ」
 アミーはソニアとバスルームに向かった。
 リビングに残った俺は、身体を投げ出すようにしてソファーに身を預けた。
 〝人間の脳からの直接命令ブレイン・マシン・インターフェイス〟による遠隔操作を長時間連続で行うと、脳は多大な負荷を受けることになる。体力的にも著しく消耗する。それは肉体的な消耗ではなく、頭脳労働を行った際のいわば精神的な消耗であり、単純な睡眠だけでは完全な回復が見込めない。
 回復に効果的なのは、アルコール、運動、そして音楽。
 アルコールについては、酔いによる誤作動を防止するために禁じられているのだが、飲んだところでお咎めを受けることはない。局の連中は、アルコールに酔った際のデータも欲しいのだろう。
 ツーソンの家には地下室があり、各種運動器具とグランドピアノが置かれている。
 ここならば何も気にすることなく演奏できるし、アミーはピアノを始めとした複数の楽器に通じている。少なくとも、ソノラ砂漠の洞穴にいるよりは楽しめることだろう。
 何より、ここにはシャワーとトイレがある。
「何か食べる?」
 バスルームから戻ってきたアミーは、そのままキッチンへ素通りする。
「俺はいい。ソニアに合わせてやってくれ」
「あの子も同じことを言っていたわ」
 前後して、冷蔵庫の開け閉めが行われた。
「トープ。貴方、誘拐犯だったのね」
「なんだと?」
「あの子の写真がニュースに出ていたわ。フアレスで誘拐されたそうだけど」
 メキシコ合衆国チワワ州の最大都市であるシウダー・フアレスは、東西に走る国境の中央付近にある。国境となるリオグランデ川を挟んで、アメリカ合衆国テキサス州のエル・パソと一つの経済圏を形成している。
 両市では収入に数倍の格差があり、フアレスに住んでいるがエル・パソで働いているという者は数多い。大半が不法な入国を繰り返している。
 フアレスでは、夜のうちに川を歩いて渡るのが一般的な密入国の方法だ。フアレス周辺のリオグランデ川は意外に浅く、膝下までしか濡らさずに川を渡れる場所がある。
 そのためアメリカへの麻薬流入が激しく、〝多数の麻薬密売組織フアレス・カルテル〟が居を構え、組織同士の争いや警察との衝突が日々絶えることなく繰り広げられている。
「年間何千人もの犠牲者がいるのに、子供一人の誘拐を取り上げたのか」
「事件に大小はないって知り合いが言ってた」
「その知り合い、良いことを言う」
 あるのは当事性の有無だけだ。自分が関わっていなければ、その事件は起こっていないも同然。年間何千人もの犠牲者を出すフアレス麻薬抗争も、今の俺にとっては他人事だ。
 俺は国防高等研究計画局に飼われている身。勝手な行動は許されない。
 許されているのは、密入国斡旋業者コヨーテとしての活動と、降り掛かる火の粉を払うために行う、少々の荒事だ。不可抗力で巻き込まれたのならばまだしも、他人事に自ら首を突っ込むことは許されていない。
「言ったのは貴方よ」
「そうだったか」
「それで、あの子は何者なの?」
「知らん。アントニオから預かっただけだ」
 そうは言ったものの、予想は付いていた。
 ソニアは、荒らされたアントニオの部屋を見て、おじいちゃん、と心配そうに呟いていた。聞こえないと思ったのだろうが、俺には聞こえてしまった。
「ここで預かるのは構わないけど、私まで誘拐犯扱いされるのは困るわ」
「何が言いたい」
「貴方の目を使わせて欲しいの」
 アミーはコンピュータのスペシャリストだ。いわゆるハッカーであり、国防高等研究計画局に勤める以前は、フリーの産業スパイをやっていたらしい。〝人間の脳からの直接命令ブレイン・マシン・インターフェイス〟による遠隔操作に興味を持ち、自ら名乗り出て計画に参加したのだと聞いている。
 テレビ局や警察のデータベースにアクセスし、必要な情報を取り出す。これがハッキングと呼ばれる行為。参照履歴などで発覚し、侵入経路から正体を突き止められることがある。
 だが、俺の目を使用した場合は少々異なる。容量の次元が違う。セキュリティを潜り抜ければ、システムをまるごとごっそり頂いてしまえるのだ。
 このやり方で、汚職や脱税の証拠などを山のように見てきたし、上院下院議員やスーパースターの子供が引き起こしたスキャンダルの類も、掃いて捨てるほど知っている。
「今度はどこに入り込む気だ」
「分かるでしょ? 私が知りたいの」
 アミーが、誘拐報道の裏側を調べよう、と言っていることはすぐに分かった。
「何も聞かないと約束してある」
「一インチ(約二・五センチ)、右にずれてたわ」
 アミーの呆れた声が、俺を貫いた。
「何がだ?」
 分かっていても、聞き返すことしかできない。
「ここに来る前に使ったでしょう?」
「熱で銃身が曲がっていたんだろ、俺はしくじってない」
「二丁とも同じように? 考えられないわ」
 三百三十フィート(約百メートル)の距離で一インチずれるのは、角度にして〇・〇二度以下の狂いが生じていることになる。通常は誤差の範囲内。だからこそ、偶然ではない。
「それがどうした」
「右側に気を取られる何かがあったのよね」
 運転席の右側は助手席。あのときそこにいたのは、身を震わせるソニア。
「だが俺は――」
「もう甘えるのはやめなさい、トープ」
 俺は言葉を失ってしまった。
「いいじゃない、守ってあげたいんでしょ?」
 俺には、一度だけ頷くのが精一杯だった。

「準備できたわ」
 アミーの合図を受けて、深く息を吐く。
「システム起動」
 声と同時に意識は上空二万マイルの衛星軌道上に飛ぶ。
 システムオールグリーン。感度は良好だ。
 衛星にはカメラも取り付けてあるが、俺はその映像を見ることができない。もしも擬似眼球に映し出すことができたのなら、それだけを見て生活するだろう。
 どこかの国の宇宙飛行士が、宇宙からは国境が見えなかった、と言ったそうだが、地上にはハッキリとした金属フェンスの国境が存在し、今日この瞬間も拡張され続けている。
 ハッキリしているのは俺好みなのだが、そればかりは好きになれそうにない。
「ポート解放。チャンネル接続」
「オーケー、接続したわ」
 アミーは僅かに興奮した声を発した。ハッキングは彼女にとって至福の時間なのだ。
 どういう状況で誘拐されたことになっているのか。現場はどこになっているのか。ソニアの素性、アントニオとの関係、ソニアを狙っていた者たちの正体。アントニオの安否と所在。調べることは、まだまだ他にもある。
「ソニアがシャワーを終える前に済ませよう」
「そうね、まずはどこから行く?」
 ソニアが誘拐されたというシウダー・フアレスでは、麻薬密売組織同士の抗争と、それを取り締まるメキシコ警察との間で起こる銃撃戦が、場所も時間も選ばれることなく発生する。それを引き起こしているのは、国境の存在でもなければ、南北の経済格差でもない。
 麻薬。すべてはその一言で説明できる。
 そして、その麻薬に関する情報を扱っている機関が――
「エル・パソ情報センターだ」



 6

 子供が歩いてくる。男の子だ。小さな男の子。歳は十にも満たない。
 その小さな手に、あまりにも不似合いな箱を抱えて、ゆっくりと歩み寄ってくる。
 俺は叫んだ。止まれ、その箱を置くんだ、繰り返し叫んだ。
 それでも少年の歩みは止まらない。頼むから止まってくれ、という懇願にも似た祈りも、届きはしなかった。
 俺は引き鉄を引いた。
 死にたくない。それだけが頭にあった。
 非戦闘員は市街に退避している。逃げ遅れた市民には外出禁止令が通達されている。
 俺は繰り返す。非戦闘員は市街に退避中。逃げ遅れた市民は外出禁止。俺は繰り返した。何度も、何度でも。
 箱は爆弾ではなかった。
 殺すことを拒否し、殺されることも拒否し、最終的に我が身を優先した。
 俺は、受け入れられない現実から逃げるために、自らの命を絶たんと銃口を頭に据えたのだ。
 生き延びはしたが、心は死んでいた。残った身体は、〝意思を持たぬ殺戮兵器トープ・ソノラ〟になった。

「トープ、起きて」
 アミーの声。俺はいつの間にか眠りに落ちていたらしい。
「あぁ、すまん」
「疲れているところ申し訳ないけど、あの子がシャワーを終えて出てくるわ」
 俺とアミーは、この騒動の全貌を解明するために、エル・パソ情報センターのデータベースに侵入した。
 まず、ソニアの母親について。
 彼女はアメリカ麻薬取締局の特殊捜査官だった。これは、センター経由でバージニア州アーリントンにある麻薬取締局に侵入して確認した事実だ。
 フアレスでの潜入捜査を行っていた彼女は、麻薬密売組織の男に近づいた。それがアントニオの息子、ソニアの父親となる男だ。
 記録によれば、彼女は十年前に死亡している。ソニアを産んですぐのことだ。ここで分からないのは、麻薬捜査官が麻薬組織の男の子供を産む理由だ。
 次に、ソニアの父親について。
 彼の情報は、麻薬取締局に重要機密として保管されていた。彼はアントニオの息子だ。従って、ソニアはアントニオの孫となる。
 彼は父親であるアントニオに自分の娘を預けた。ただでさえ面倒見の良いアントニオのことだ、頼みを断ることはないだろう。この仮定は筋が通る。ただ分からないのは、彼がソニアを預けた理由だ。
 そしてアントニオ。
 アントニオは、息子から預かった孫娘を俺に預けた。俺に預けたのは、これは俺の勝手な想像だが、自分が息子の元へ向かうためだと考えている。その根拠はある。
 アントニオは麻薬を忌み嫌っている。自分の息子が麻薬密売組織に加担していると知れば、地の果てまでも追い掛けて、殺してでも止めさせる。アントニオとはそういう男だ。
 だがアントニオは、そんなことのために息子の元へ向かったのではない。もしそうであれば、家が荒らされる理由がない。
 アントニオは俺にソニアを預け、自分の意思で家を出た。そのあと、何者かが家を荒らした。俺がタイヤを撃ち抜いた車に乗っていた連中なのだろうが、奴らの狙いがソニアであれば、家を荒らす理由がない。
 最後にソニア。
 アントニオの孫で、麻薬密売組織の構成員と麻薬捜査官との間に産まれた子供。
 仮に、父親が大幹部で、母親はその信用を得るために子供まで産んでみせた、とすると、ソニアには辛い現実となる。麻薬に対して強い憎しみ抱くソニアが、こっそり家を出てアントニオの元に向かったとしても不思議ではない。
 だが、ソニアは父親に対して憎しみを抱いていない。会えなくて寂しいとまで言っている。父親によってアントニオに預けられた、というのは確定的だ。
 また、そうでなければ、アントニオは自分の息子、つまりソニアの父親の状況を知ることはなく、自ら出向くこともない。
 孫娘を置いて町を離れる理由が別にあるのならば、話は変わってくるのだが。
 父親と共にアントニオを訪ねたのか、父親に言われて一人で訪れたのかは分からないが、ソニアがフアレスから来たのであれば、アントニオが向かった先もフアレスだ。
 これらの事実と仮定とを整理する。
 ソニアが狙われているのは、何らかの付帯的な理由だと考えられる。例えば、父親に対する脅迫の道具などだ。
 しかし、アントニオの家が荒らされていた事実を踏まえると、何かを探していると考えるのが妥当だ。つまり、狙いはソニア自身ではなく、ソニアがフアレスを離れる際に持ち出した何か、にある。
 ソニアの父親は、麻薬密売組織の連中が必死になって探さねばならないような何かを自分の娘に持たせ、アントニオに託した。
 こう考えると、麻薬捜査官であるソニアの母親が、麻薬組織の男の子供を産んだ理由も見えてくる。
 単純なこと。二人は愛し合っていたのだ。
 志を同じくした者同士が惹かれ合うのは至極自然の流れだ。つまり、ソニアの父親も麻薬密売組織を潰すために潜入していたのだ。
 アントニオはそれを知っていたからこそ、追い掛けて撃ち殺すような真似をしなかったのだろうし、ソニアの父親の情報が麻薬取締局に重要機密として保管されていたことも、協力者なのであれば納得できる。

「俺はどれぐらい眠っていた?」
「そうね、五分ぐらいかしら」
 ソニアに確認しておきたいことがある。大差はないが、アミーからではなく俺から確認するべきだろう。
 バスルームの扉が開くと、アミーはそそくさとキッチンに向かった。
「おかげさまでとても爽快です。ありがとうございました」
「えっと、フルーツジュースを作るけど、苦手な果物ある?」
「いえ、平気です。いただきます」
 ソニアの逐一丁寧で丁重な物言いには、アミーも対応に困るようだ。
 ソニアは、俺の対面のソファーに座った。
「最初からここに連れてくるべきだったな」
「聞いてもいいですか?」
 ソニアは俺の様子見の軽口をあっさりと撃ち落とす。
「ん? あぁ、いいぞ」
 機先を制され、少々途惑ってしまった。
「タイヤを撃ったと言っていましたけど、どうやって撃ったんですか?」
 ソニアは、何かの意図を持って質問しているようだった。誤魔化すこともできたが、そうしてはならないような気がした。
「砂漠のあちこちに仕掛けがあるんだ。車と同じように、それを自由に動かせる」
「車の運転をしていたのに、同時にそんなことができるんですか?」
「それはだな……」
 俺の感覚では手足と同じであって、身体の一部なのだ。どうやれば両手両足を同時に動かせるのか、と聞かれても、答えに困る。
「それは?」
 ソニアは、考える暇も与えてくれない。
「トープはそれ以上説明したくてもできないのよ。よく分かってないから」
 そこにアミーの助け舟が入った。助け舟かは怪しいが、そういうことにしておく。
「アミーさんはご存知なんですか?」
「彼はね、指揮者マエストロなのよ。音楽をやっているなら分かるわよね? 理論が知りたいのなら特別に教えてあげるけど」
「いえ、そこまでは。でも、指揮者と聞いてナントナク分かりました」
 指揮者という説明が正しいのかどうかは俺にも分からないが、ソニアが納得できたのならそれでいい。
 ソニアは息を呑んで身体に力を入れた。緊張が伝わってくる。
「トープさん、お強いんですよね?」
 鳥肌が立った。
 ソニアの言葉は、悲壮とも言える決意に包まれていた。出方を窺った自分が恥ずかしくもなる。
「聞いて欲しいことがあります」
 それが何かなど、考えるまでもない。俺が聞き出そうとしていたことだ。
 今まで話そうとしなかったのは、口止めされていたからだ。
「待て、ソニア」
「トープさん、聞いてください。私は!」
 何も言わず、何も聞かず。それがアントニオとの約束だ。
 俺は、約束を破るわけにも、約束を破らせるわけにもいかない。
「約束を破ること、約束を破らせること、どっちが悪いことだと思う?」
「それは……」
 勝手な行動は許されない。そんなものは、ただの甘えだ。
 俺は、すべてを他人任せにすることで、責任から逃れたかっただけだ。命令されたからやった、そんな子供の言い訳で、一体誰が納得するというのか。
「一つだけ、教えて欲しいことがある」
 問いただすべきこと、確認すべきこと、それは幾つもあった。だが、すべて頭から消えた。そんなことはどうでも良くなった。
「ソニアの夢を教えてくれ」
 訪れる数秒の沈黙。
「世界一のヴァイオリン奏者になることです」
 アミーの忍び笑いが聞こえた。ソニアではなく、俺に向けられたものだ。
「いいね、実に俺好みだ」
 アントニオは、フアレスに息子を助けに行っている。二人ともまだ生きているかどうかは分からないが、ソニアに父と祖父の両方を失わせるわけにはいかない。
「アミー、俺はフェニックスへ行く。ソニアを頼むぞ」
「トープさん?」
 ソニアは、俺に困惑の声を投げた。
「任せておいて」
 果物の皮を剥く音。柑橘系の甘い香り。出来上がったジュースは、きっとソニアを落ち着かせてくれるだろう。
「トープさん!」
 手を伸ばし、ソニアの頬を撫でた。
 たったこれだけのことなのに、俺は何を恐れていたのだろうか。
「ソニア、世界一になれ。約束だ」
 ソニアは今、どんな表情をしているのだろうか。分からないことが残念でならない。

 ツーソンの家を出た俺は、トープ・ソノラが生まれた場所、フェニックス・シティへと車を走らせた。トープ・ソノラという俺の名前は、ソノラ砂漠でしか生きられないモグラ、という意味の蔑称だ。
 シウダー・フアレスは、ソノラ砂漠に設置されているサワロ・アンテナの範囲外にある。つまりは巣穴の外。巣穴の外に出たモグラは、餌を獲ることができずに餓えて死んでしまう。
 何の準備もせずに乗り込めば、どんな運命を辿ることになるのかは考えるまでもない。兵役と戦争を経験しているからといっても、俺はスーパーマンでもアクションヒーローでもない。
 サワロ・アンテナがなければ、代替品を用意すればいい。ここフェニックスには、それがある。
「お帰り、トープ・ソノラ」
 できるなら聞きたくなかった声が、国防高等研究計画局の実験施設に着いた俺を迎えた。声は扉脇のスピーカーから発せられている。
 奴の名はジョゼフ。俺に、モグラ、という名を付けたフランス人マッドサイエンティスト。認めたくはないが、俺の恩人でもある。
 ジョゼフは、俺が行った遠隔操作の情報をスタッフと共にここで分析し、新たな技術開発の糧としている。
「〝その名前フルネーム〟は好きじゃないと言ったはずだ」
 俺の声に反応して、扉の電子ロックが解除される。
 開かれた扉の先には、ほんの数歩先にまた同じような扉があり、足を踏み入れると、後方の扉はロックされる仕組みだ。
「君好みのいい名前だと思うがね」
 この他人を見下した口調は、いつ聞いても癇に障る。慣れることはない。相手にしないに限る。
「アミーから連絡を受けているはずだが」
 二つ目の電子ロックが解除される。
 残す扉はあと一つ。
「勿論だとも。早く君に自慢の玩具を見せたくて、うずうずしていたよ」
「一番の玩具は、この俺だろうに」
 三つ目の電子ロックが解除され、最後の扉が開かれた。
 ジョゼフの肉声が耳に届く。
「言うようになったな、トープ。良いことでもあったのかね?」
「大したことじゃない。失くしていた意思ものを取り戻しただけさ」



 7

 夜明けが訪れた。
 肌に当たる太陽の光を感じながら、シウダー・フアレスの西にある山の麓へと向かう。
 そこには、とある麻薬密売組織のアジトがある。敷地を塀で囲んだ二階建ての豪邸で、メキシコには似合わない欧州建築の外観をしているそうだ。
 警察もこの情報を知っているが、監視するに留まっているようだ。
 本当の理由は、署長が麻薬密売組織の頭・バシリオと癒着しているからなのだが、そうでもしなければ、署長の家族は全員が蜂の巣にされてしまうのだそうだ。
 同情はするが、興味はない。
 鉄柵で閉ざされた入口には、二人の見張りが立っていた。
 車から降り、両手を上げて武器を持っていないことを示しながら、徒歩でゆっくり近づいた。
「止まれ、何者だ」
 鉄柵の向こう側、俺に向けられたアサルトライフルの銃口が二つ。
「バシリオに話がある。取り次いでくれ」
 歩みを止めずに声を掛ける。
「帰れ。お前には会わ……」
 消音装置サプレツサー付き長距離狙撃銃スプリングフィールドM21による、距離千三百フィート(約四百メートル)からの眉間に孔を穿つ精密射撃。
 今の俺は、ただの密入国斡旋業者コヨーテではない。
 目が見えなければ、容姿に惑わされることもない。武器を持った何か、ただそれだけが知覚できればいい。大きいか小さいかは問題じゃない。武器を所持しているかどうか、ただその一点のみ。
 武器を向けてくる相手に対しては、躊躇なく引き鉄を引く。テレビゲームのモンスターに対するように。淡々と。冷徹に。冷酷に。
 俺には覚悟がなかった。
 殺すか殺されるか。
 ハッキリしていて分かりやすいその現実を、受け入れるだけの覚悟がなかった。
「いいさ、勝手に会いに行く」
 愛車フォードGPWが俺を追い抜く際に、荷台のシートを引き剥がす。
 荷台に搭載してあるのは、一分間に四十発の榴弾を発射できるグレネードマシンガン。勿論、〝人間の脳からの直接命令ブレイン・マシン・インターフェイス〟による遠隔操作に対応している。
 フェニックスから持ち出した遠隔兵器おもちやは、まだまだある。
「〝開演時間だシステム・ブート〟」
 声と同時に、俺の意識は上空二万マイルの衛星軌道上へ。
 この敷地の周囲には、サワロ・アンテナの代替品を設置済みだ。
 コンディショングリーン。チャンネルロック。システム、一部制限付きで稼動中。
 まずは鉄柵の門をこじ開ける。
弾薬装填ローディング
 グレネードマシンガンに装填される第一弾は、暴徒鎮圧用ゴム弾。発射されたゴム弾は、十字形に展開して目標に打撃を与える。
照準固定ロツク・オン
 目標は言わずもがな。邪魔な鉄柵の門だ。
安全装置解除セーフティ・オフ
 にわかに敷地内が騒がしくなった。いつまでも動かない車のエンジン音を不審に思ったのだろう。
 だが、もう遅い。
 ゴム弾は狙い通りに鉄柵の門を薙ぎ倒し、その場に倒れていた二人の見張りを下敷きとした。これで、車は簡単にはここを通れなくなる。
「見張りよろしく」
 見張りの男であった物体に向けて、別れの言葉を告げる。
 敷地内に入った俺の頭上を、次弾が高速で通過する。三発目までは爆薬が詰まった対物弾が発射され、建造物を破壊する。
 三発目のグレネード弾は、見事に正面玄関を吹き飛ばした。
 続く四発目と五発目は煙幕弾。射角を変え、二階の窓へ撃ち込む。
 六発目は音響閃光弾。煙から逃れようと窓から顔を出した相手を嘲笑う一発。
 屋敷の上空には、二十四インチ(約三十センチ)程度の小さな飛行船が複数飛んでいる。
 当然、すべて俺の遠隔兵器おもちやだ。
 遥か頭上から煙幕弾を投下し、俺の周囲を包み隠す。また、低反動のサブマシンガンを搭載し、上空からの強力無比な射撃を加える。
 煙によって視界を奪うことで、俺自身は勿論のこと、上空の飛行船の姿をも隠すことができる。音に頼って気配を探ろうと耳を澄ませば、音響弾によって耳をやられる。煙の隙間に目を凝らせば、閃光弾が飛んでくる。
 音と光と煙。この三つに支配された空間を見通せる者などいない。
 音響弾は、イヤープロテクターをしていれば脅威ではなくなるし、閃光と煙幕は、元より俺には無効だ。少し臭うが。
 あとは、玄関から飛び出してくる者、窓から銃を構える者、それぞれを個別に狙い撃つだけだ。麻薬密売組織のアジトとはいえ、何百人と常駐しているわけではない。制圧は時間の問題だ。
 門から玄関まで百フィート(約三十メートル)。屋敷の間取りは頭に入っている。バシリオの部屋は二階の奥だ。
 玄関前には、虫の息の男が横たわっていた。震える手で銃口を向けてきたが、引き鉄を引く力は残されていなかったようだ。
 無意識に拾い上げたその銃が、かつて自分の頭を撃ち抜こうとした銃・ガバメントであると分かり驚愕する。同時に、笑いも込み上げてくる。
 入ってすぐの広いエントランスホールは吹き抜けになっていて、正面には二階へ上がる大階段、左右には一階部分を見下ろせる廊下がある。待ち伏せに適した構造だ。
 予想通り、複数の銃口が待ち構えていた。
 発煙筒をまとめて投げ込み、視界を奪う。ホール全体を煙で満たす必要はない。自分の周囲か、相手の周囲か、もしくは両者の中間、そのどこかに視界を遮る煙があればいい。煙に紛れて飛行船を侵入させた時点で、勝負は決まっている。ヘリではなく飛行船を採用しているのは、ローターの風圧で煙幕が流れてしまわないようにするためだ。
 エントランスを抜け、階段を上がり、奥へと進む。
 突き当たりにあるバシリオの部屋にいるのは、一人だけだ。窓が割れてさえいれば、飛行船からの反響定位で把握できる。
 扉を開ける前に、グレネードマシンガンの砲撃を止め、煙幕が残っている間に飛行船を退避させた。
 ノブに手を掛け、引き開ける。
「派手に暴れてくれたな」
 俺を迎えた声は、冷静を装っているものの、怒りを隠しきれていなかった。
「俺はいつも加減を間違うんだ」
 大きな椅子に身体をうずめて、大物の余裕を演出しているつもりなのだろうが、そもそも俺はこいつ自身に興味がない。
「幾らで雇われた? その倍を払おう」
「金はいらん」
「では、何が望みだ? 言ってみろ」
「友人を捜している」
「では取引をしよう。見逃してくれたら、友人の場所を教える」
「断る」
 ガバメントの銃口を向け、引き鉄を引く。銃弾は、スタンドライトを弾き飛ばした。
 ひぃ、と情けない悲鳴が聞こえる。
 俺は続けて引き鉄を引いた。瓶が割れる音がして、強いアルコールの匂いが漂った。テキーラでも入っていたのだろう。
「ここにはいない! いないんだ!」
 次の一発は、頭近くの背もたれ部分を抉り取った。
「分かった! 言う! 俺の店の倉庫だ!」
 四発、五発、六発と、構わずに撃ち続けた。
「本当だ! 助けてくれ! もう手は出さない! 許してくれ!」
 残弾は一発。俺はその一発を天井に向けて撃った。バシリオのような小物が組織の頭であれば、これ以上大きな動きは起こさないだろう。
 弾を撃ち尽くしたガバメントを投げ捨てる。
「次はないぞ」
 あとは、アントニオを見つけ出してノガレスに帰るだけだ。
 部屋を出ようと背を向けた瞬間、背後で拳銃の安全装置が解除される音がした。俺は反射的に身体を右に倒し、回避行動をとる。
 左肩に激痛が走る。
 どうやら手元に銃を隠していたらしい。回避行動をとっていなければ、致命傷を受けていただろう。
 苦痛に耐えながら、足で扉を閉めた。
 弾が命中したことはバシリオも分かっているはず。ならばとどめを刺しに来る。ただ閉めただけの扉では、時間稼ぎにもならない。
 自分の迂闊を悔やむ間を惜しんで立ち上がり、壁に身を預けながら扉から離れる。
 弾は肩を貫通しているが、左腕はしばらく使えそうにない。更に、撃たれたショックで全身の運動機能が低下している。
 背後の扉が開き、嘲笑交じりの荒い息が聞こえてきたが、俺は意に介さず前進を続けた。
「命乞いをすれば、助けてやらんでもない」
 その直後、銃弾が俺のすぐ脇を掠めて飛んでいった。
「ヒャッハーー!」
 バシリオは狂ったような叫びを上げている。
 耳障りで不快極まりないが、相手にしている場合ではない。
「こんな思いは……」
「何だって? 聞こえねぇぞ?」
 俺のすぐ後ろの壁に弾が命中し、飛び散った破片が背中に当たる。
「……二度とごめんだ」
 俺はゆっくりと振り向いた。
「やっと観念したか」
 次の弾は、俺の足元に着弾した。発射時の銃口角度から、命中しないことは分かっていた。そんな虚仮威こけおどしは通用しない。
「許してやろうと思ったが、やはりお前のような男は嫌いだ」
「あ?」
照準固定ロツク・オン安全装置解除セーフティ・オフ
 俺の狙いは、グレネードマシンガンの対物弾で奥の部屋を砲撃し、部屋ごと奴を吹き飛ばすことにあった。その際、廊下にいては爆風に晒されてしまう。
 だから俺は、わざわざ別の部屋の入口こんなところまで歩いたのだ。
 俺に銃口を向けた者が辿る末路は常に一つ。
「〝追加演奏アンコール〟は一度だけだ」
 グレネード弾が奥の部屋を直撃し、バシリオの背後の空間が一気に膨張する。
 俺は廊下から室内へと身体を投げ出した。
 床に倒れ込んだ際の衝撃が肩の傷に強く響いて、気を失いそうになったが、何とか爆風を避けることができた。
 だが、これで終わりではない。
 警察が来る前に周囲に設置したアンテナも回収して立ち去らねばならないし、アントニオの救出にも向かわねばならない。
 それを思うと、頭が痛い。
「本当に〝最初で最後にして約束は守つて〟欲しいものだ」
 なぜかは分からないが、俺は笑っていた。



 8

 メキシコ合衆国ソノラ州。八割以上を砂漠が占め、西側はコルテス海に面している。
 主な産業は、畜産と鉱業、そしてコルテス海を利用した観光業。
 最後にもう一つ、アメリカへの密入国斡旋業。俺が生業としている仕事だ。
「おぉアントニオ。珍しいな」
 朝食のタマーレスにかじりついていた俺は、店に入ってきたアントニオに対し、店主のトーマスよりも先に声を掛けた。
 ついさっき、アントニオが毎朝ここに来ていたことを聞いたばかりだ。
「怪我はもういいんですかい?」
 アントニオはまだ足を引き摺っているが、順調に回復しているようだ。
 アントニオは、バシリオが経営している酒場の倉庫に、息子と一緒に監禁されていた。二人とも酷い怪我をしていて、殴る蹴るの拷問を受けていたらしい。
「ご覧の通りさ」
 盲人の俺が、ご覧の通り、という言葉を使うのは、なかなかにハイセンスなユーモアだと思っている。俺は気に入っている。
「お祝いに乾杯でもしやしょう」
 バシリオのアジトに乗り込んだあの日から、すでに一ヶ月が経過している。
 その間、俺はフェニックスの研究施設に拘束されていた。拘束とは名ばかりで、傷の治療と目のメンテナンスを受けていたのだが、新しい感覚に慣れるのに時間が掛かったのだ。
「奴ら、このノガレスを密輸ルートにしようとしてやがったんですよ」
 一連の顛末は、研究施設で聞かされている。
 バシリオは、ノガレスの国境警備隊の一部を抱き込んで、新たな麻薬密輸ルートを作り上げようとしていた。
 その第一手として、邪魔な密入国斡旋業者コヨーテと情報屋たちを一掃する計画があった。
 その計画の情報を掴んだソニアの父親は、即座に麻薬取締局へ知らせようとした。ところが、内通者であることに気付かれてしまい、すべての情報が入ったディスクを娘に持たせ、ノガレスのアントニオの元へと行かせた、というわけだ。そのディスクは、ソニアが俺の洞穴いえの傍に埋めていたそうだ。
 以前から司法取引によるテキサス州への移民が決まっていて、すでに父娘揃ってアメリカ国籍を取得している。
 ソニアとは、ツーソンで別れてから一度も会っていない。
 アミーを通じて、お見舞い行ってもいいですか、との連絡が何度かあったのだが、すべて拒否した。
 今の俺は、表舞台に立つことを許されぬ身。そんな俺に関わっていれば、ソニアの未来に悪影響を与えてしまう。
 俺の名はトープ・ソノラ。その名が持つ、ソノラ砂漠でしか生きられないモグラ、という意味の通り、地面の下に住む者であって日陰者ですらない。
 ソニアが夢を叶えるためには、これ以上関わってはならないのだ。
「お礼を言い忘れてやした」
「礼などいらん。好きでやったことだ、俺自身のためにな」
 俺には夢があった。人生の目標があった。
 世界中に音楽を届けたかった。世界一のコンサートホールで、世界一のリサイタルを開きたかった。世界一のヴァイオリン奏者になりたかった。
 ソニアには、俺の代わりにその夢を叶えて欲しいと思った。その夢を叶えるには、支える存在、家族の存在が不可欠となる。
 だから、俺自身のためにやったことなのだ。

「おや、こいつは珍しい」
 アントニオが、驚きの声を上げた。
「お久しぶり」
「なんだ、アミーか」
 どちらに言ったのか分からない挨拶に対する皮肉を込めて、精一杯がっかりしてみせる。
「ソニアちゃんの方が良かったかしら?」
「そんなことはない」
「トープ、貴方に渡す物があって来たの」
 アミーは俺の右隣の椅子に箱を置いた。それは、アミーの家に持ち込んだままになっていた、俺のヴァイオリンケースだ。
「それと、ソニアちゃんからのお手紙」
「手紙だと?」
「大丈夫よ、音声で録音してあるディスクだから。すぐ聞きたいでしょ?」
 アミーは俺の耳にイヤホンを押し付けた。

『――トープさんへ
 これを聞いているということは、元気になられたということでしょうか?
 面会もできないほどの重傷だと聞いているので、とても心配です。でも、大丈夫だと信じてこれを送ります。
 私はドイツに留学することにしました。トープさんと約束した通り、世界一のヴァイオリン奏者を目指します。アミーさんが、ベルリン芸術大学の先生を紹介してくださったのです。今はドイツ語を勉強しながらなので、とても大変です。
 そういえば、トープさんのお名前はドイツ語だったんですね。〝トープ〟が〝場所〟という意味だったので、スペイン語の〝ソノラ〟と合わせたお名前はとても素敵だと思いました。
 トープさんのヴァイオリン、本当はドイツまで持って行ってしまおうと思ったのですが、やっぱりお返しすることにしました。
 トープさんにも、ヴァイオリンを弾き続けていて欲しいから。
 まだまだ話し足りませんが、私もあまり時間がありません。
 だから、最後に一つだけ。
 正直、ヴァイオリンの練習は毎日とても辛いです。逃げ出したくなります。
 だから、お願いがあります。私が世界一のヴァイオリン奏者になったら、そのときは、私と一緒にヴァイオリンを弾いてください。私はそのためだったら、どんなに辛くても耐えられます。
 お返事をいただけたら、嬉しいです。
 ソニアより――』

 俺はイヤホンを外した。
「アミー」
「何かしら?」
「約束を破ること、約束を破らせること、どっちが悪いことだと思う?」
「そうね。難しい質問だけど、これだけはハッキリ言えるわ。悪いのは貴方よ、トープ」
 薄々感じていたことをハッキリと言われると、かえって気持ちが良い。
 ハッキリしていて分かりやすいもの。それが俺の好み。
「一つ、頼まれてくれるか」
「いいけど、高いわよ?」
 俺はまだ、約束を果たしていない。

 翌日の明け方、俺はただ一人砂漠の真ん中で、ヴァイオリンを構えた。
 明らかに睡眠時間が足りていないが、演奏を失敗したときの口実にしてやる。
「〝ヘタクソだが笑うなよシステム・ブート〟」
 意識は上空二万マイルの衛星軌道上へ。
 システムオールグリーン。
 ソノラ砂漠に散らばる情報収集用サワロ・センサを使って、ヴァイオリンの音を集音する。その際、集音マイクまでの距離の差を利用して、屋外では起こらないはずの反響による音の重なりを実現する。ソノラの砂漠は、世界一のコンサート会場へと変貌するのだ。
 ここで行われた演奏は、衛星回線を通じてどこまでも響きわたる。
 そう、ドイツのソニアにも届けられるのだ。
 時差は七時間。こちらでの明け方は、向こうでは昼過ぎだ。

 こうして俺は、ヴァイオリンを演奏して聴かせるというソニアとの〝一つ目の約束〟を果たした。
 俺の名はトープ・ソノラ。
 トープは、ドイツ語で〝場所〟という意味を持ち、ソノラは、スペイン語で〝響きわたる・音〟という意味を持つ。
 ソニアが教えてくれたこの言葉を都合良く意訳すれば、〝音が響きわたる場所〟となる。
 俺が毛嫌いしていたトープ・ソノラという名前は、案外心地の良い名前だったらしい。


文:村崎右近(むらさき・うこん)
単純明快な話から、酸いと甘いとを知る大人向けの話まで、ジャンルにこだわらずに書いています。


絵:女将(おかみ)
まだまだ未熟者ですので、どこまでできるか怪しいですが精一杯やりたいと思っています。どうぞよろしくお願いします!
27
最終更新日 : 2012-08-10 08:52:51

あとがき


オリジナル短編小説誌「でんしょでしょ!」創刊号をお届けいたします。
ツイッターでの思いつきから作成が始まった電子同人誌ですが、なんとか無事発行にこぎ着けることができました。
ネット小説を愛する皆様にご満足いただける作品集になったのではないかと自負しております。

本誌作成にあたって、作者さま、絵師さま、そして、校正担当のメンバーのみなさまには大変お世話になりました。この場をお借りして御礼申し上げます。
本当にありがとうございました。

只今、2号の作成中です。
3号以降に関しては今のところ未定ですが、参加希望者が集まるようであれば発行への努力を惜しまないつもりです。
ご興味を抱かれたかたはぜひ下記サイトの方をご覧ください。

でんしょでしょ!  http://densyo.sblo.jp/

2011年4月吉日 なび

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最終更新日 : 2012-08-10 09:08:56



【オリジナル小説誌】
でんしょでしょ! vol.1

http://p.booklog.jp/book/23895


定価 無料

でんしょでしょ! 作成企画室 (http://densyo.sblo.jp/

作成責任者:なび (http://wanavi.squares.net/

校正担当者: 藍間・椎堂かおる・damo・なび・冬木洋子・柚希実  (五十音順)
  
表紙イラスト/ロゴ:damo (http://applechair.sakura.ne.jp/circuit/

初版:2011年4月
二版:2012年8月

発行所:ブクログのパブー(http://p.booklog.jp/
運営会社:株式会社paperboy&co.


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