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ブルーノート 一文の恋

 南中学校の図書館棟二階、職員棟との連絡通路手前に机が置かれている。その上には一冊のノートがある。表紙に赤い線が入った何の変哲もないキャンパスノートだ。そのノートは通称をブルーノートという。
 国語科の教師が置いたブルーノートは生徒の誰もが好きに書き込むことが出来、そして読むことが出来る。当初は生徒たちが自由に書き込んでノートの中で様々な問題提議をし、また解決していくことを望んだがその思惑は簡単に外れた。
 最初のひと月はまったく書き込みがなかった。次のひと月は程度の低い落書きがされた。更に次のひと月には無記名なのをいいことに特定の生徒の悪口が書かれ始めた。さすがにまずいと撤去も検討されたが、ある一文によって、ブルーノートの中身は一変した。
 それはそう、ある恋の告白から始まった。



1、佐藤春生の否定的恋心

 ブルーノートのことは知っていた。だけど俺がそれを実際に目の当たりにしたのは、告白があってから随分後のことだった。
 ブルーノートに書き込まれた告白はこうだ。
 ――佐藤君、好きです。
 この、たったの一言。
 俺は最初にそれを聞いた時、悪戯かと思った。だが告白の話題はヒートアップしていった。しかもそれは本当の告白だったらしい。だから友達との会話の中でその話題になった時にブルーノートを読んだことがないと言ったら、半ば強制的に連行され見せられた。そこには確かにかわいらしい女子の字で告白文が書かれていた。
 どうだ、と感想を求める友達だったが俺には反応の仕様がなかった。だって、だってだ、佐藤なんて名字の奴は俺以外に何人もこの学校にいる。それなのに、名字だけで俺だと自惚れることは出来ないだろう。第一確率を考えたら俺じゃない方が高い。それなのに一体どんな反応をすればいいんだ。
「つっまんねー。佐藤、ここ見てみろよ」
 誰もお前を喜ばせるつもりはないんだから、俺としては当然の反応をしているだけだ。溜息はきつつページをめくる彼の指を目で追う。そこには二年の佐藤からのコメントが寄せられていた。
 ――告白の相手は二年の佐藤じゃありませんか? それも僕だったら嬉しいです。
 そりゃあ、曲がりなりにも俺も佐藤の端くれだ。同じ佐藤としてその気持ちはよくわかる。だが見せられても、俺であるはずがないだろう。
「お前はこれ見てもなんか感想ねーのかよ」
「だってなあ。佐藤ってうちの学校多いじゃん」
 俺だって、もしも自分だったらと思わないわけじゃない。だけど俺、結構自分のこと知ってるんだ。女子からは単純だって思われてることとか、運動しか出来ないってみんなに知られてることとか、あと俺の顔は人並みだってこともわかってる。だから期待はしない。それに今はそれほど彼女が欲しいと思ってないのも理由の一つだ。
「多くてもそこはときめけよ」
 不満げな友達に俺は段々うんざりしてきた。こんな所で謂われのない責めを受けるよりか外でサッカーをしていたい。
「気持ち悪いこと言うな」
「ちぇー。佐藤って女子に興味ないのかよ。もっと顔真っ赤にして慌てるかと思ってたのにマジつまんねー」
「うるせえ」
 何を言われたところで直接告白されたわけではない。それでは慌てることも出来やしないさ。
 俺は隣で文句を言い立てるクラスの友達に嘆息しながらブルーノートのもとを離れる。そもそも、それが本当に本当の告白かも怪しいというのに、一々喜んだり哀しんだり振り回されてたまるものか。
 俺はそうしてブルーノートのことを忘れたんだ。

 暫く周囲で話題にのぼらなかったブルーノートの告白を、俺が再び思い出したのは学校についてすぐにその話題を耳にしたからだ。普段はそうしょっちゅう口にしない男子も混じっているのをみると、今回は何か大きな進展があったらしい。
「告白の続きはどうなったんだ?」
 皆が口々に言っていても大して興味なかった。とりあえず経過だけを聞いておこうと俺は訊ねる。すると教室中の人という人が俺に白い目を向けてくる。これにはさすがの俺もたじろいだ。向けられる視線は普段よりずっと冷たかった。
「佐藤、知らないの? 当事者かもしれないのに」
「はあ?」
 比較的仲のよい女子が馬鹿にしたように俺を笑う。当事者とはどういうことだ。遂に名字だけでなく名前も出されたのだろうか。
「告白相手の佐藤が二年じゃなかったのは知ってるでしょ?」
「………」
 二年の佐藤が告白に対して書き込んでいる文章はおぼろげに覚えているが、その返事は知らなかった。答えられずに戸惑っていると彼女は呆れた様子で事の成り行きを教えてくれた。
「……告白さんは二年生じゃないって返事をしたのよ」
「へえ」
 じゃあ、一年生に別の佐藤がいるのだろうか。興奮するでもなく続きを待っていると、彼女は再び眉をひそめた。
「反応が薄い! 佐藤って恋愛がらみは興味ないのね。遊び甲斐もなくていやになるわ」
「お前らは一体俺に何を望んでんだよ。まったく」
 盛大に溜息をはくと、ようやく彼女が先刻の続きを話し始めた。
「……あの後は憶測が色々飛んでたのよ。二年生の線は消えたから、残った一年と三年でどの佐藤かって予想。誰が一番格好良いかってノートの中で討論してたのよ」
 それこそ一番どうでもいい。しかも議題に挙げられたものとしては余計なお世話でしかない。
「でもさー、結局告白さんが返事をくれないと話も盛り上がらないわけ」
「まあ、そうだろうな」
「でしょう。そこに今度は一年生の佐藤君は格好良いですよね、って誰かが書き込んだの。そしたら一年生の佐藤君は知らないって答えが返ってきたのよ。そうしたら残るは三年生しか居ないじゃない」
 ついさっきまで不機嫌な面をしていたのに、彼女の頬には赤みさえ混じっている。うんざりする俺とは反対に彼女は目を輝かせている。
「だからこの五組の佐藤であるあんたか、一組か七組の佐藤が相手なのよ」
 すごいでしょう、と言わんばかりの笑顔に俺は目を瞬かせる。そのまま数秒経過して、彼女の眉がぴくりと動いた。
 これはまずいと思ったが、その判断はもう遅かった。
「少しは驚くとかさあ! それか照れるとかしてよぅ」
「出来るかよ」
 どうもみんなが俺にはもっと大げさな反応を期待しているらしい。俺は深い溜息をはいた。

 みんなに感化されたわけではないが、少しだけ気になってブルーノートを見に行った。すると放課後だというのに幾人かがその周辺に集まっている。そして色々と意見を言い合っているのがわかる。特にどの佐藤か、という予想が一番の話題――ではないらしい。
 漏れ聴こえる会話に俺は首を傾げた。
「えー、どうせならして欲しい」
「だよねえ。そんでうまくいったら漫画みたいだよね。ホント気になる」
「ねー。どうするんだろ」
 会話の意味が飲み込めない。俺はどうしたもんかとその場で立ち尽くす。
「あ、れ? 佐藤?」
 背後から呼びかけられて振り向いた。だがそれ以上に佐藤の名に反応した人たちが他にもいた気がする。
「あ、お前もやっぱり気になるんだ」
「別に。ただみんなが騒ぐからさ」
 振り向いた先には元クラスメイトの野宮がにたにたと笑って立っている。いやらしい笑みを浮かべる彼に来るんじゃなかったと後悔した。だが野宮は俺の様子など無視して話を進めていく。
「それにしても驚きの展開だよなあ。みんなが煽ったとはいえ、乗っかってくれるとは思わなかったぜ」
 楽しそうな野宮の表情だが、その意味が俺にはまだわからない。
「絶対告白の主は大人しい子だろうけど返事があるとはな。でもそうなると、やっぱりどの佐藤かが問題だよなあ」
 そう言ってにたにたと眼鏡の奥の目がまだ笑っている。だが俺が怪訝な表情をしていることに気付くと、少しだけ笑いを収めた。
「佐藤……もしかして知らないのか」
 野宮のしかめた顔に俺はこっくりと頷いた。
「あはははは! お前、なんちゅー馬鹿だよ。勿体ねえ、折角佐藤が話題になってるんだから渦中にいろよ」
 今度はさっきとは比べようもないほど大きな声で笑い始めた。しかも俺の背中を容赦なく叩きまくる。段々この態度にも慣れてきてしまった。だが野宮は俺の疑問に答えてくれた。
「ブルーノートの中でな、告白はしないのかって話が出てるんだ。頑なにしないって言ってんだけどさ。だけど三年はもうすぐ卒業だ。それに何もしないで諦めるのはどうかって諭されてるところ。みんなが告白したらって勧めてるけど、まだ返事はきてないみたいだ」
 もうそこまで話が進んでいたのか。俺もさすがに驚いた。
「ま、そんなわけでみんな注目してるのさ」
 野宮は俺の頭にポンと手を置くと、何事もなかったようにこの場から離れていく。俺もその背を追うようにブルーノートから離れた。一回だけ振り返るとまだ、人が集まっていた。返事が来ていないとしても、気になる人は多いらしい。確かにどの佐藤かは俺も少し気になってきた。初めの時と違い、俺である確率も格段に上がってしまったのだ。しかも周りがやたら騒ぎ立てるせいでその熱が伝染したかのように奇妙な高揚感がある。今日はもうさっさと帰って布団に入ってしまおう。
 そう思って過ごした翌日。

 俺は机の中に手紙を見つけた。



2、真崎奈緒の予期せぬ事態

 どうしてこんなことになってしまったのか。過去に戻って自分を引き留めたい。穴があったら入りたい。もう顔から火が出そうなほど恥ずかしい。今更だけれど、ひどく後悔している。
 ブルーノートが出来たと聞いた時すぐにノートを開いてみた。それは何ヶ月も前の話。その時はまさかこんな大事になるなんてまったく思ってなくて、本当に困り果てている。でも自業自得に違いない。本当にあの時は魔がさしたとしか思えない。どうして私はノートに告白文を書こうとなんて思ったんだろうか。

 ブルーノートは図書室の傍にあったから、私は時々それを開いて見ていた。けれど書き込みは全然なくて、あったかと思うと誰かの悪口だったり落書きだったりで少し寂しかった。真面目に見ている人なんてきっと私だけなんだと哀しくなった。そしてふと思ってしまった。私も何かを書こうと。だからって告白文なんて書かなきゃよかったのに、何故か書いてしまった。告白するつもりなんてなかったから、つい言葉にしなくても文字として残したくなったのかもしれない。それに私の予想では悪口の中に埋もれて、誰にも相手にされないまま忘れ去られるはずだったんだ。
 それなのに今、学校中で話題にされているのは私の告白話なのだ。不思議というか、もう笑うしかない。
 そして後悔でいっぱいなのに、私は今日もブルーノートの前に立ってしまっているのだ。
 私の書き込みに返事があったのは私が書き込んでから一週間も後だった。だけど書き込んでから、それまであった悪口はなくなっていた。そのうえでの返事である。

 ――あんた、誰? 

 短い誰何の言葉に驚いた。同時にどうしてか嬉しさも感じた。
 だけど私は自分のことを知られたくなくてそれに返事をすることはなかった。なのに、その後もぽつぽつと増えていく書き込みに私は何か答えなくてはと焦りを感じて、本当のことだと書いてしまった。もしかしたらあれが引き金だったのかもしれない。その後から一気に書き込みは増え、教室で話題にする人も増加した。それは例外なく私のクラスでも。
 教室内ではどんな風に思われているのか気になって耳をそばだててばかりいた。だから佐藤君の声も聴こえてしまった。友達とブルーノートのことを話している佐藤君は告白に対してたった一言の感想しかくれなかった。
 曰く、興味ない。
 それはそれで寂しくて、私はひそかに落ち込んだ。
 私にとって佐藤君は明るい太陽のような人だ。運動が苦手な私でも楽しそうにサッカーをしている佐藤君を見ていると体を動かしたくなってくる。いつも笑顔で、友達と楽しそうに笑っていて、こっちまで元気になる。休み時間に校庭でサッカーをしている佐藤君は私にとって眩しくて仕方がないのだ。サッカーだけじゃなくて運動全般が得意で体育大会ではしなやかな走りも見せてくれた。その時の真剣な表情は普段と違って凛々しく見えたものだ。それに、佐藤君はやさしい。私に限ったことじゃないけれど、気軽に話しかけてくれるのが嬉しい。名前を呼ばれるだけで飛び上がってしまいそうになるのだ。だけど告白をする勇気はない。だというのに、私はブルーノートに書き込んでしまった。
 それ以来、私は日々ブルーノートと向き合わなければならなくなった。それはある意味耐え難い苦痛を与えられているようにも思えた。
 ブルーノートの書き込みの内容は時間が経つにつれて少しずつ変化していた。初めは私のこと、次に佐藤君の捜索。そして告白の行方へ――。

 ――告白はしないんですか?

 出来るわけがない。その書き込みを見た瞬間倒れそうになった。出来るのなら、こんな所で伝えずに直接告白しているはずだ。だから私はするつもりはないと、伝える気は初めからなかったのだと返事をした。すると何故か、おそらく女子からの書き込みが激増した。それはもう、怖いほどに真剣で、私は自分を恥じた。
 そこには純粋な応援と少しの好奇心と、私への配慮があった。意味もなく告白をしろと言っているのではなく、後悔するからという理由で勧める人が多かった。自分の実体験を持ち出して説得に乗り出す人まで現れて、私はどうしようもなくなってしまった。そんな勇気があるはずないのだ。ただ自分のうちだけで完結するのも寂しいと思ったから、埋もれてもいいとブルーノートに書いたのに。
 放課後になってみんなが帰った頃を見計らい、私はブルーノートの前に立った。暗くなり始めた空の下で、私は一人ノートを手に取った。

 ――好きだってことすらも伝えられない人もいる。
 ――三年生はもう卒業しちゃうんだよ。もし彼女が出来たら絶対悲しいって。せめて自分の想いだけでも伝えようよ。
 ――私は告白の前に相手が転校して、すごく後悔した。だから告白さんに同じような気持ちは感じて欲しくないな。
 ――なんでも踏み出してみないとわからないよ。もしかしたら佐藤も告白さんを好きかも知れないんだから。
 ――泣くことを考えるんじゃなくて、笑って次へ進めることを考えたら?
 ――僕は告白さんの恋を応援するよ。
 ――そうよ。みんな応援してるから。もし振られるようなことになっても、ここに来てよ。みんなでなぐさめるよ。
 ――ガンバレ
 ――ファイト、一発!
 ――がんばって。
 ――勇気出して。告白しようぜ。
 ――応援してるよ。

 伝わる。伝わってくる。
 鼓動が外に聞こえてしまいそうなほど大きい。みんなの言葉が私の心臓にまで響いてくる。
 どうしよう。涙が出ちゃいそう。勢いあまって鼻水も出そうになり、鼻を啜る。
 一つ一つの文字が私の中に熱をもって入り込んでくる。ここには私一人なのに。暗くなった廊下にたった一人。なのに、みんながいる。言葉が実感を伴って私の心を揺らす。
 ああ、どうしよう。嬉しくて、本当に嬉しくて、もう死んでしまいそうだ。胸がいっぱいで、頭はくらくらと熱い。ただの文字なのに視界がぼやける。拭っても、拭っても溢れ出てくる涙。
 暗い廊下に一人きり。だけど一人じゃない。
 ブルーノートが私に勇気をくれる。私は泣き顔を隠すようにブルーノートで顔を覆った。

 その朝はいつもよりずっと早く起きた。いつもよりずっと早く家を出て、学校へ歩き始めた。
 早鐘を打つ心臓を、紅潮していく頬を感じながら私は教室の扉を開ける。私は誰もいない教室にゆっくりと足を踏み入れた。



3、野宮章吾の期待する結末

 僕はブルーノートを手に取る。
 朝の早い時間にはさすがに誰もいない。暇つぶしではじめたブルーノートの確認はいまや楽しい日課になっていた。読み始めたのは告白の後からだが、なかなかに面白い。僕ら男にとっては女子の思考は未知の世界だ。それをこのノートは教えてくれる。女子が恋バナで騒ぐ気持ちも少しわかった。告白の行方が気になって仕方ない。ドラマなどではない、現実だというのがどうなるかとハラハラとさせてくれる。生身の物語だ。
「お、野宮」
 職員棟から国語の蓮見がゆったり歩いてくる。彼こそがこのブルーノートを置いた人物だ。
「進展あったか?」
「ノートの中じゃなくて現実での告白コールがされてますよ。すっごい女子の書き込み。でもこれ見たら、本当に告白しちゃうかもしれないですね」
「へえ、それはそれは」
 微笑を浮かべる蓮見は嬉しそうだ。朝の日課が出来てから、同じように蓮見も日課にしていることを知った。それでなくても自分の置いたものだ。気になるのは当然だろう。
「聞いてみたかったんですけど、先生?」
「ん?」
 頭を傾ける蓮見に僕は兼ねてからの疑問をぶつける。それはとても単純で、だけどどうしても不思議だったことだ。
「ブルーノートってネーミングはどっからきたんですか。これ、普通に僕らが使ってるやつと同じノートじゃないですか」
 もっと洒落た名前でも付ければいいのにと常々思っていた。しかも色もブルーではない。定着してしまっているので今更な疑問ではあるのだが気にはなる。蓮見は笑顔のままではにかんだ表情で答えた。
「だって青春は青いものだろう」
「……そ、それだけ?」
「それだけです」
 なんて理由。ブルーノートのブルーは青春の青だったのか。これならば聞かない方が夢があってよかった。僕は疑問を口にしてしまった自分を呪いたくなった。
「それより、先生にも見せてくれよ」
 僕の手からひょいとノートを奪い、蓮見はページをめくる。ここ数日間はずっと告白して欲しいという書き込みばかりだ。だけどそれはどれも期待に彩られていて、告白の主を後押しする。告白の主はこれを読んでいるだろう。どう思っただろうか。それを僕もみんなも聞きたい。

 昼休みになってぼんやり告白の行方に思いを馳せていた。告白の主が誰かはわからないが、見てくれているといいなあと思う。正直蓮見の言う青春はどうかと思うが、ああいうものがあると学校にも楽しみが出来る。まったく、面白いことをしてくれたものだ。
 と、同じようにぼんやりしている人物を目の端に捉えて、僕は視線を動かした。昼休みなのに校庭に出ていないのは珍しい。五組の佐藤だ。あいつにはブルーノートの顛末を先日話したばかりだった。
「佐藤」
 窓枠に肘をついている佐藤に話しかけた。だがまだ呆けて空を眺めている。本当に珍しい。
「佐藤、どうした?」
「うお! 野宮か。びっくりしたー」
 びっくりしたのはこっちのほうだ。僕はじと眼で彼を見た。
「なんか魂抜けてるぞ。どうした?」
 訊ねると口をへの字に曲げて情けない顔を作る。変な顔だ。口を開こうとしない佐藤の手許に視線を走らせるとくしゃくしゃに握りつぶされた手紙らしきものが目に付いた。
「……手紙?」
 僕の呟きに佐藤は大げさなほど反応した。俺の口を自身の手で塞ぎ、顔を真っ赤にさせて睨みつける。どうやらそれが放心の原因らしい。
「なんだ、今時ラブレターか。古めかしいことする奴もいるもんだなあ」
「……誰にも言うなよ」
「返事はしたのか? それがブルーノートの告白さんからだったら面白いんだけどなあ」
「うるさい」
「ふぎゅっ」
 佐藤を無視して勝手に話していたら頭を叩かれた。佐藤の顔は面白いくらいに真っ赤だ。体中の血液が全部顔に集まっているんじゃないかと思うほどだ。しかしこの反応。もしかして、もしかするのか。
「……当たりか?」
 視線を逸らして無言で頷く佐藤に俺は思わず口笛を鳴らす。ということは告白の主はブルーノートの書き込みを読んだのだろう。そして腹を決めたのだ。けど肝心の佐藤の返事はどんなものなのだろうか。この様子からも多少の状況は窺い知れるが僕は口に出して訊ねてみた。
「返事はしたのか」
 ふるふると彼は頭を振る。やはりまだしていないのだ。悩んでいる様子だったのでそうだろうとは思ったが、どういう返事をするつもりなのか非常に気になる。
「明日まで待ってもらった。驚きすぎて頭真っ白になった」
 まあ、それはもし僕が当事者でもそうなると思うが――僕は佐藤の手に眠る手紙を見やった。相手は誰だったのだろう。
「どうすりゃいいんだよぅ」
 情けなく頭を抱える男に僕もどうすればいいだろうかと考える。出来るなら返事はよいものをして欲しい。だが佐藤が嫌っている相手だったら無理強いは出来ない。そもそも佐藤はその相手をどう思っているのだろう。
「どうするも何も、告白の主はそんなに悩まないといけない奴なのか? ブサイク? あ、性格ブスとか? それともお前はそいつが大っ嫌いなわけ?」
「べ、別に真崎のことは嫌いじゃなっ」
 慌てて口許を手で覆うがもう遅い。しっかりと僕の耳に真崎の名前は届いてしまった。つい抑えられずに口角が上がる。こんな楽しい事態に感情を抑えていられるか。
「そっか。真崎か。ふうん」
「な、なんだよ。悪いのかよ」
 覆った手の下からくぐもった声が弱々しく答える。悪くはない。むしろいいんじゃないかと思う。予想通りに告白の主は大人しい女子だった。だからブルーノートの中でひたすら告白を否定していた。それは自分に自信がないからだ。告白する勇気がないからだ。真崎は図書室の常連だと聞いたことのある。それならブルーノートのようなものに興味を持ったのも少しわかる気がする。
 僕はどうすればこの恋が成就するかと考える。相手が別の佐藤なら迷わず頷きそうだけど、ブルーノートに一切興味を持とうとしなかったこの佐藤だから、迷っているのだろう。どれだけの想いを真崎が抱いていたかわかれば、と思って僕は変化球を投げてみる。
「佐藤」
「……なんだよ」
 声はもう憔悴している。笑いたくなるのを抑えて、僕は言葉を続ける。
「ブルーノートは読んだか? この間会った時も結局は読んでなかったよな」
 佐藤は視線を彷徨わせていたが、僕が真面目に話し始めたことを察したようだ。僕を真っ直ぐに見据えた。
「初めからずっと読んでみろよ」
「はあ?」
「あれはお前には結構価値があると思うぞ。それに普通に読んでてもちょっと感動する」
 人の気持ちの純粋さ。取り巻くみんなのあたたかさ。それに励ましと叱咤。
 ブルーノートを読んだ後には例えようのない気持ちが湧いてくる。それを佐藤は知らないのだ。ならば是非とも知って欲しい。
「いいから。ブルーノートを読んでから返事をしても遅くないだろう」
 僕はくしゃくしゃにされてしまった手紙に目をやって、佐藤に微笑した。
 放課後はぎりぎりまで残っていた。明日の朝でもきっとよいのに、僕にしては珍しく我慢が出来なかった。図書室で宿題をして、それが終わると本を読んで過ごした。そして校門が閉められる前に職員棟の連絡通路の方へ足を向けた。そこにはそう、ブルーノートがある。

 佐藤は読んだだろうか。きっと読んだと思う。単純な奴だから誰かに読んでみろと言われたら、言われたままに行動してしまうのだ。あれを見てどう思っただろう。僕だったら勢いのままに返事を書き込んでしまう気がする。だけど佐藤にそんな芸当は期待出来ない。ただブルーノートを開いて、真崎の心や応援しているみんなの気持ちを感じてくれればいいと思う。すごく、思う。それに僕だって応援しているうちの一人なのだ。
 佐藤の意思がどう転ぶかわからないのが難点だが、だから自然と願ってしまう。ノートに書かれた一文から始まったこの恋が、綺麗な形で終わるのを僕は見たい。
 連絡通路の手前の机には無造作にノートが置かれている。
 僕はブルーノートを手に取った。開く為にいつもよりやや時間を要した。僕もさすがに緊張しているらしい。そしておもむろに最新のページを開いた。
 瞬間、飛び込んできたのは大きめの文字。のびやかに、穏やかに、明るい性格をそのまま表したような彼らしい字だ。
 僕の頬は自然と緩む。そうだ、これが僕の見たい告白の行方だ。ブルーノート、いいじゃないか。蓮見の言う青春が確かにこのノートにはある。朝は否定したけど、今この時になって思えば悪くない。全然悪くない。
 僕は改めて一番新しい書き込みを見た。暗がりに浮かぶそれは僕の目には輝いて見えた。とても眩しくて、目がくらんでしまうくらいだ。
 にやにやと顔が笑うのをとめられない。この気持ちを表すには一つしかない。そう、これしかないだろう。
 祝福の言葉を書き込むべく、僕は備え付けのペンを手に取った。

 

文:恵陽(けいよう)
http://www.geocities.jp/keiyo_u/top.html
現代、ファンタジー、恋愛、友情、青春、などなどとりあえず書きたいものを書いています。楽しんでもらえるお話を書いていきたいですね。今回絵描きの方でも参加予定です。


絵:東雲一(しののめ・はじめ)
http://cls.moryou.com/
東雲と申します。
普段は#twnovelや詩や短編などを書いているますが、今回は絵師で参加です。
PCで絵を描き始めたばかりで、まだまだ絵をかく技術は拙いのですが、 楽しそうな企画なので力いっぱい良いものにしたいです。よろしくおねがいします。


最終更新日 : 2012-08-10 08:39:26