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第二章

 三人の乗った車が、教会の前に止まった。千鶴は運転手に待機するよう言うと、遥香、田村とともに車から降りた。
 空には星が輝いていた。夏だというのに、辺りは肌寒かった。吹きつける風が古い教会にあたっては、ひゅーひゅーと音を立てていた。
 千鶴は外套の襟を立てた。
「ああ、早く帰りたい」
 寒いのが苦手な千鶴は、意気揚々と教会に向かっいく遥香と田村にはついて行かず、車の側で待っていた。
 どうせ魔法使いなんていない。二人はすぐに帰ってくるだろう。
 そう思った千鶴は教会とは反対側の、切り立った崖になっているところに近寄ってみた。町全体を一望できるその場所からは、闇に浮かび上がる明かりが見えた。三年前に来たときは昼だったから分からなかったが、今思えば夜景がきれいな場所だと思った。
 千鶴の住む町はいわゆる過疎地であり、教育機関や企業はほとんど存在しない。町の子供は学校を卒業すると、皆どこかに行ってしまう。今は隣町の中学校に通っている千鶴も、卒業後は都会に移り住む予定だった。
 ここも見納めだし、来ておいてよかったかな。
 眼下に広がる夜景を写真に収めようと、千鶴は携帯電話を取り出した。夜風に吹きつけられながらも、夜景を携帯電話の画面に収め、シャッターボタンを押そうとした。
 そのとき、
「千鶴ーっ、魔法使いいたよっ!」
 遥香の声が聞こえてきた。
 カシャリと鳴るシャッター音。遥香のあまりに予想外で突拍子もない言葉に、画面上の夜景は手ぶれで見るに堪えなくなっていた。
 あらためて携帯を構える間もない。子供のように無邪気な声で名前を呼ぶ遥香に、千鶴は振り返った。見ると、教会の扉から顔を出した千鶴が、こちらに手招きしていた。
「千鶴、早く早く」
 以前来たときは扉は開かなかったはずなのに、おかしいな。それに、魔法使いがいたとはどういうことだろう。
 千鶴は携帯電話をしまい、教会の方に歩いていった。そして、扉のところで待っていた千鶴に手を引かれ、教会に足を踏み入れた。
 日中も陽の当たらないそこは、外にましてひんやりとした空気が漂っていた。窓から差し入るわずかな月明かりを頼りに、目をこらす千鶴。三年前、窓の外から眺めた礼拝堂は、依然として古いまま。およそ生気の感じられないそこからは、何者かの住んでいる気配は感じられない。
 遥香に手を引かれ、千鶴は敷き詰められた長椅子の間を前方へと進んでいく。椅子の背もたれの一つに触れてみたところ、指先にほこりがついた。
「ほんとにいるの? 魔法使いなんて」
 指先に付いたほこりを払いながら、千鶴が言った。
「うん、今田村君が話してるよ」
 そんなことあるはずない。誘っておいてやっぱり魔法使いがいなかったでは面目が立たないから、田村が独り演技をしているだけだと千鶴は思った。
 魔法使いを発見できたことが嬉しいのか、鼻歌を歌いながら進んでいく遥香に手を引かれ、千鶴は礼拝堂の端に到着した。遥香は突き当たりにあった小さなドアを指差して言った。
「この中にいるの」
「へぇ」
 子供の背丈ほどのドアの中は、おそらく倉庫だろう。ドアには錆びた取っ手が着いていた。千鶴がよく見てみると、その部分にはほこりがついていなかった。遥香たちが触ったせいだろうかと千鶴は思った。
 遥香が取っ手に手をかけ、ドアを開ける。すると、中から光りがあふれ出た。
「えっ?」
 誰もいないはずの教会に、なぜ光りがあるのか。田村は懐中電灯を持っていなかったし、そもそも懐中電灯の光りにしては明るすぎると千鶴は思った。
 身を屈め、中に入って行く遥香。千鶴もその後に続いた。
 中は十畳ほどの部屋だった。中央にはテーブルがあり、シチューのような食べ物が湯気を立てていた。テーブルには田村が着席し、そのシチューと思われるものを口に運んでいた。
 そして何よりも千鶴を驚かせたのは、田村の前の席と、部屋の片隅に二人の少女がいたことだった。
「うそっ」
 思わず声を上げる千鶴。こんなところに人がいたことだけでも驚きだというのに、その少女たちの美しさは千鶴をさらに驚愕させた。
 年齢は千鶴たちと同じか、少し上くらい。白菊のような純白の肌に、純金でできているかのような金色の長髪を持つ少女たちは、端正な目鼻立ちに、小枝のような細長い指を有していた。
 立っていた少女の瞳が千鶴をとらえる。千鶴は金縛りにあったかのように、身動き一つできない。魔法使いと思われる人物に出会ってしまった恐怖からではなく、その少女があまりに美しかったから。
 少女に見とれている千鶴に、少女が近づいてきた。
「ようこそ」
 スカートの裾をつまみ、恭しくお辞儀をする少女。
「お食事の準備ができています」
 テーブルの方を差す。テーブルには田村が食べているシチューの皿の他、さっきはなかった皿が二つ載っていた。
「あ、あの……」やっとの思いで口を開く千鶴。「あなたは、魔法使いですか?」
 少女はにこやかにほほ笑むと、
「ええ、そうです」
 魔法使いなどいるはずないと思っていた千鶴。だがそんな千鶴でさえ、この二人の並々ならぬ美しさを目にしては、魔法使いの存在を認めざるを得なかった。
 テーブルの近くにいた遥香が、手招きした。
「ずっとここに住んでるんだって。お食事用意してくれたみたいだから、一緒に食べようよ」

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最終更新日 : 2011-04-02 20:16:33

第三章

 遥香と田村が魔法使いの少女二人と会食を始めてから、半時間が立とうとしていた。
 四人はおいしそうにテーブルの上の食べ物を頬張っていた。食べ物はなくなると自動で出てくるらしく、食べても食べてもなくならない。
 出てくるものは最初にあったシチューの他、スパゲッティーやローストビーフといった洋風のものもあれば、寿司など和風のものもあった。デザートにはプリンやスイカ、ケーキなどもあった。
 空になったカップには自動で飲み物が注がれるらしく、中身を飲み干す度にワインやコーラなど、その都度違った飲み物が注がれていた。
 千鶴はというと、そんな会食を続ける四人とは離れたところにたち、腕を組んで様子を見ていた。
 もっとも魔法使いとて、千鶴に食事を勧めなかったわけではない。
 魔法使いの言うところによると、彼女たち魔法使いは古くからこの教会で平穏に暮らしており、人間に危害を加えるつもりは毛頭ないという。人里離れた古い教会に住む彼女たちにとって、時折訪れてくる人間をもてなすのがささやかな楽しみのなのだという。
 だが子供のころ、魔法使いを見た者は命を奪われてしまうという噂を聞いていた千鶴は、魔法使いの提供する食事の安全を信じられずにいた。
 それゆえ千鶴は、次から次へと生じてくる食べ物をおいしそうに頬張る遥香たちを見つめながら、ずっと仁王立でいた。
「ほら千鶴、大丈夫だから食べなよ。おいしいよ」
 見かねた遥香がフライドチキンを片手に言った。
「いいえ、結構。何にもないところから食べ物が生じてくるなんておかしいわ」
「えー、でもなんてことないよ。ねえ、田村君?」
 鳥の丸焼きとの格闘に夢中になっていた田村は、何も言わずに頷いた。
「ほら、田村君も大丈夫だってよ。せっかくなんだからごちそうになろうよ。千鶴の好きなイチゴとリンゴと蜂蜜入りのクレープもあるみたいだよ。ほら」
 クレープの載った皿を差し出す遥香。千鶴が見てみると、確かにそれは学校近くのクレープ店で売っている、千鶴の大好きなクレープだった。
 だがそれは千鶴の通う学校の生徒にはあまり人気がないらしく、九百円という価格の高さも手伝ってか、そのクレープを食べている人を千鶴は見たことがなかった。
 それほど人気のないクレープが、なぜここにあるのか千鶴は疑問に思った。
「なんであるのよ?」
「知らないけど、自然に出てくるよ」
 千鶴が皿を受け取らなかったので、遥香は皿をテーブルに戻した。
「もったいないなあ」田村が横から手を伸ばし、クレープを口にした「うん、結構うまいじゃん」
「どう考えてもおかしいでしょうが」
 眉をひそめる千鶴。
「でも安全上の問題はないみたいだよ。私たち普通に食べてるけど」
 と遥香。
 すると、食事を楽しんでいた魔法使いの一人が口を開いた。
「ええ、私たちが魔法を使い、丹誠込めてつくった料理です。安全に問題はありません」
 もう一人の魔法使いが言った。
「人里離れたこの場所に住む私たちにとって、客人をお迎えすることは何よりの楽しみ。安全には十分気を遣っています」
 千鶴が言った。
「だけど、ここに住んでいる魔法使いは、姿を見た人を殺してしまうという噂がありますが……」
 魔法使いの一人が、くすりと笑った。
「どうぞ安心してください。それは人間の流した根拠のない噂にすぎません。私たちにとっては迷惑この上ありませんが」
 ワイングラスを傾ける魔法使い。
 それでも魔法使いを信じられずにいた千鶴は、しかたなく話題を変えることにした。
「なぜこのようなところに住んでいるのですか?」
 千鶴が思うに、その美しすぎる容姿を除いては、魔法使いの見た目は普通の人間と変わりない。ならばなぜ都心部に住まず、こんな寂れた教会に住むのか千鶴は不思議に思った。
 もう一人の魔法使いが言った。
「ごらんの通り、魔法使いの魔法は、人間の科学とは本質的に相容れないものです。歴史を通じ、他の種族や民族に敵対的であった人間が私たちの存在を知れば、きっと私たちを滅ぼそうとするでしょう。私たちは人間と戦って滅びるほど弱くはありませんが、無益な争いは避けたい。ですから、こうして人気のないところに住居を構え、時折訪れてくる純粋な子供をもてなす場合を除き、人間とは接触しないようにしているのです」
 なるほどと半分納得しつつも、遥香が純粋な子供に該当するかは疑問だと千鶴は思った。遥香は確か、魔法使いの画像を撮影し、ネットにアップロードしようとしていたのではなかったか。
 心配になった千鶴が言った。
「ではもしも私たちが、あなたたちのことを誰かに言おうとしたらどうしますか?」
 魔法使いは、手にしていたナイフを動かすのをやめた。魔法使いと千鶴の間に一陣の沈黙が舞った後、
「そうですね。そのときは残念ですが……」
 魔法使いはそこで言葉を切った。
 千鶴は、彼女たちに私たちを害する意思はないが、もし私たちが彼女たちの存在を公にするなら、殺害される可能性があると思った。
 千鶴は遥香のすぐ後ろに近づき、
「ねえ遥香、例の計画はやめた方がいいわ」
 耳打ちした。
「ん、何のこと?」
 振り向くことなく、チョコレートケーキを頬張っている遥香。どうやら食事に夢中で、魔法使いと千鶴のやりとりを聞いていなかったようだ。
「ほら、ネコ動のことよ」
 中継なんてしてないでしょうねと言うため、遥香の耳にさらに口を近づけようとした千鶴。遥香の肩に手を乗せたところ、あまりの熱さに驚いて手を放した。
「え? ちょっと、遥香――」
 身を乗り出し、遥香の顔を見つめる千鶴。
「ん? どうしたの?」
 そう言う遥香の顔はどうも熱っぽい。
「遥香、調子悪くない?」
「……うん、そう言えば」
 言われて気づいたのか、遥香は食べかけのケーキを皿に置いた。
 千鶴が遥香の額に手を当てると、火のように熱かった。
「ちょっと。田村君、大変」
 同じくケーキを頬張っていた田村が、遥香と千鶴を見る。
「遥香、熱あるみたい」
 そう話しかける千鶴の腰の辺りに、何か熱いものがぶつかった。驚いて千鶴が振り返ると、辛そうに息をする遥香が倒れていた。
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最終更新日 : 2011-04-03 00:33:34

第四章

「遥香っ、大丈夫!?」
 倒れた遥香の肩に手をかけた。苦しそうに息をする遥香の身体はとても熱く、服の上からでさえ触れるのがやっとだ。
「た、助けて千鶴……」
 息も絶え絶えながら、遥香が私に手を伸ばす。私の足をつかんだその手は火のように熱い。
「待ってて」
 私は立ち上がると、テーブルの向かい側に座る二人の魔法使いを睨みつけた。
 すました様子で私の視線を受け止める魔法使い。悶絶躄地する遥香とは対照的な、あまりの冷静さに、私は背筋に悪寒を感じた。
 だが、苦しみ悶える遥香を放っておくことはできない。私は意を決し、口を開いた。
「食べ物に、毒が入っていますね?」
 しんと静まりかえった部屋に、私の声が響く。
 魔法使いの一人は、さも当然であるかのように、
「ええ」
 とだけ言った。
 私はテーブルに両手をつき、身を乗り出した。魔法使いの驚くほど長い睫を持つ目の中に、怒りで紅潮した私の顔が映る。
「どうしてですか? 遥香があなたたちのことを誰かに言うと思ったのですか?」
 事実、遥香は彼女たちの存在を公にしようとしていた。だが遥香とて言い聞かせれば分からないわけではない。見たところ遥香はまだ放送を開始していなかったようだし、遥香をこんな目に遭わせる必要はない。すぐに毒を解いてもらわなければ。
 だが、魔法使いは首を振った。
「いいえ」
「ではどうし――」
 言いかけたとき、隣で大きな音がした。見れば、苦しみに顔を歪め、田村が床に倒れ伏していた。
「どうしてこんなことを?」
 魔法使いを睨みつけ、言った。
 すると、もう一人の魔法使いが口を開いた。
「端的に言って、あなたを除くその二人は、罠にかかったのです」
 私は恐怖のあまり、声が出なかった。そんな私を見たもう一人の魔法使いがくすりと笑った。
「二人に効き目が現れる前に、あなたも食べ物を口にしてくれれば手間が省けたのに、残念ですわ」
 どうやらこの魔法使いたちは、最初から私たちに毒を盛るつもりだったらしい。
 私が言った。
「では、人間を客人として迎えるのが楽しみというのは嘘ですか?」
 魔法使いは眉一つ動かすこともなく、
「ええ」
 そのあまりの冷淡さに、私は身の毛がよだつ思いがした。どうやら魔法使いとは、人間を騙すことに何のためらいも感じない生き物らしい。
「あなたたちの目的は何ですか?」
 怒気を含んだ声が、室内に響く。私が怒っているのは、そうでもなければ、恐怖に押しつぶされてしまいそうだから。
「魔法使いの好きな食べ物が何だか知っていますか?」魔法使いがくすりと笑った。「人間ですよ」
 人間? まさか、私たちを食べるつもりだろうか。
 もう一人の魔法使いが言った。
「私たちは人間たちの間に、丘の上には美しい魔法使いがいるとの噂を流し、のこのことやってきた人間を食べているのです」
 なるほど。どおりで変な噂が流れているわけだ。
 魔法使いの一人が、もう一人に言った。
「姉さん、どうしますか、残った一人は?」
 どうやら二人の魔法会は姉妹らしい。姉さんと言われた方の魔法使いは少し考えると、
「あまり好みではありませんが、実力行使しかないでしょう」
「そうですね。では、私が」
 ゆっくりと立ち上がる妹の魔法使い。その動作は、獲物を仕留めようとする獣にしてはあまりに遅い。否、それほどの余裕を持ってしても捕らえられるほど、私という獲物の抵抗など意味をなさないということか。
 ゆっくりと、一歩一歩着実な足取りで、魔法使いはテーブルを周り、私に近づいてくる。
 もう一人の魔法使いが言った。
「傷つけないよう気をつけてください。大切な食料ですから」
「ええ、分かっています」
 どうやら私たちは、最初から食料としか見られていなかったようだ。
 だが私とて、みすみす捕らえられるわけにはいかない。魔法使いがやってくる方とは反対側の出口目指して、一直線に駆け出した。
「ごめん、遥香。すぐ助け呼んでくるから!」

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最終更新日 : 2011-04-10 01:01:14

第五章

 教会の外には運転手が待たせてある。車で丘を下り、助けを呼ぼう。車の置いてあるところまで、捕まらずに逃げなければ。
 倒れ伏す田村を飛び越え、部屋の出口にたどり着いた私は、ドアを開けようとした。だが、ドアはぴくりとも動かない。
 私がこの部屋に入ったときに鍵をかけた覚えはないし、遥香や魔法使いがかけた様子もなかったのに。
 背後から聞こえる足音が、次第に大きくなっていく。
 一刻も早くここから立ち去らねばならない。少しでも無駄なことをすれば命はないと、早鐘を打つ心臓が伝えてくる。必死の思いで開けようとするも、ドアは最初から壁に貼り付けられた鉄板であったかのように動かない。
 私が部屋に入った時点で勝手に鍵が閉まるようになっていたのか。あるいは離れたところから鍵を閉めことができるのか。いずれにせよ、これが魔法使いの魔法使いたる所以なのかと、こんな丘の教会にやってきたことを後悔した。
 小さなドアの前で、狂ったようにドアノブを回す私の肩に、何か冷たいものが触れた。見れば、魔法使いの白く細長い指先が、私の肩に添えられていた。その氷のような冷たさに、私は骨身が凍る思いがした。
「諦めなさい。大人しくするなら、苦しませずに食べてあげるわ」
 踵を返す私。魔法使いの指が肩から離れる。すぐ目の前にいる魔法使いは、何も言わずに私の返事を待っていた。
 考えるまでもない。私の今までの人生は決して楽ではなかったし、生きていてよかったと思ったことも一度もない。だが迫り来る死を前にして、私の答えはおかしなほど単純だった。
 魔法使いが口を開く。
「ふふ、恐れることはありません。食べられたあなたは、私たちの血肉として、永遠に生きられるのですから」
 その言葉を魔法使いが言い終わるか終わらぬうち、私は魔法使いを蹴ろうと、足を上げていた。
 私は今までの人生でこれほどまでに、生きているということ、ただそれだけがどれほど幸せなことか感じたことはなかった。だからこそ、この命が尽きるまで、必死に生きなければならないと思った。
 高く上げられた私の左足が、魔法使いの頭に近づいていく。私のとっさの反撃を予想していなかったのか、魔法使いはノーガードだ。まるで吸い込まれるように、魔法使いの頭に進んでいく私のつま先。
 勝った。私は確信した。
 魔法使いの力がどの程度のものなのか、私は知らない。だが高速で飛来する物体に画面面を直撃され、無傷でいられる生物などいないはずだ。眼前にいる魔法使いが華奢ならばなおさらだ。少なくとも逃げる時間くらいは確保できるだろう。
 あとわずかで私の靴の先端が魔法使いの瞳に直撃するという瞬間、ぱしっという乾いた音ともに、私の足は魔法使いの手でつかまれていた。
 頭が真っ白になる。魔法使いとはこれほどまでに俊敏に動けるものなのか。
 魔法使いは私の足を放そうとしない。魔法使いの指が、私の足首に食い込んでいく。普通の指ならまだしも、小枝のように細い指だ。痛いどころではない。
 骨が折れるのではないかと思うほどに、締め付けられる足首。私の足をつかみながら、無感動な目で私の様子を観察していた魔法使いは、不意に手を放した。
 その場に倒れる私。痛みのあまり、立つことができない。片足を押さえながらその場にうずくまる私を見下ろして、魔法使いが言った。
「まだやりますか?」
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最終更新日 : 2011-04-10 21:04:32

第六章

 私は魔法使いの一人によって、牢屋のような場所に運び込まれてしまった。
 辺りは真っ暗。足首を怪力でにぎられた痛みで意識がはっきりしない中を背負われてきたため、ここが教会のどの部分に当たるのかは分からない。周囲に窓がなく、座っている床がひんやりとしているところからして、おそらくは地下だろう。
 外部と連絡をとろうと携帯電話を取り出そうとしたが、いつの間に抜き取られていたのか、ポケットの中は空だった。
 私を連れてきた魔法使いは何も言わずに帰って行った。魔法使いたちは私たちを食べると言っていたが、少なくとも私は今すぐに食べられそうな状況にはない。
 会食をしていた部屋に残された遥香と田村のことが心配だ。二人ともあの弱った様子では逃げられそうにないし、もしかすると既に食べられている可能性もある。遥香には自業自得のきらいがあるとはいえ、食べられるのはかわいそうだ。
 いや、遥香は痩せているからもも肉くらいしか食べられないはずだ。食べがいがないと思って見逃してくれていないだろうか?
 そもそも魔法使いは人をどう食べるのだろう? 生で食べるのだろうか? ……いや、動物を生で食べるのはよくない。そうすると茹でるのだろうか。いや、火で炙るという可能性もあるな。
 ――様々な調理補方が頭に浮かんでは消えていく。だが、そのいずれも残酷であるという点には変わりなかった。自分もいずれ食べられる身であることを考えると、身震いせずにはいられなかった。
 何とか脱出しなくっちゃ。
 立ち上がろうとした私は、天井に頭をぶつけてしまった。
「痛っ、もう……」
 手探りで調べてみると、天井の高さは私の背丈ほどもなかった。私は床を這い、出口がないか確認することにした。
 四つんばいになって進むこと一メートル。突如、私の頭は何か固いものにぶつかった。
 お、壁か? 
 手で触ってみると、ごつごつした岩でできた壁らしきものであることが分かった。方向を変え、壁づたいに進む私。
 しばらく進むと、また何かにぶつかった。調べてみると、やはり壁のようなものだった。
 もう一度方向を変え、進む私。しばらくしてまた壁にぶつかり、向きを変え、又壁にぶつかったところで、この空間にはおよそ出口らしきものは存在しないことに気がついた。
 おかしい。ここに来たときはどこかに入り口らしきものがあったのに。
 私は自分の通ってきた道をもう一度進み、何か手がかりがないか調べてみた。
 だが、結果は何もなし。辺りは固く冷たい壁で覆われているだけで、外へと続いていると思われる箇所は発見できなかった。
 出口のない部屋。これも魔法か何かなのだろうか。だとすれば抵抗するだけ無駄だ。次に魔法使いと相対したときに備え、今は体力は消耗しない方がいいだろう。
 私はその場に寝そべった。床はとても冷たく、体温が失われていくのが分かる。ひょっとすると魔法使いはここで私が餓死や凍死するのを待っているのかもしれない。
 こんなところに来るんじゃなかったと、後悔の念が過ぎる。思えば、私が初めて丘の上に来たのは三年前。その時無事に帰れたのは幸運だった。本来ならその時死んでいてもおかしくなかったのだから、余計に三年間生きられたのはましと思うべきか。
 ところでなぜ三年前は魔法使いが出てこず、今回は出てきたのだろう? 丘の上に魔法使いがいるという噂は当時からあったのだから、やはりそのころも魔法使いはいたはずだ。
 当時の私のような子どもは食べがいがないから、もう少し大きくなるのを待とうと思ったのだろうか? ……いや、あの魔法使いたちに、過去に私に会ったことがあるという様子は感じられなかった。
 目を閉じ、あれこれ考える私の頭に、一つの言葉が浮かんだ。

「魔法使いは夜にならないと現れないんだ。夜の魔法使いっていう種類らしいからな」

 冗談と思い聞き流していたが、確かに田村はそう言ったはずだ。
 夜にならないと現れない。――それが、三年前に私たちが魔法使いに会えなかった理由か。
 だが夜にならないと現れないということは、昼には消えるのだろうか? いや、消えないにしろ、「夜の魔法使い」という種類である以上、その活動時間は主に夜のはずだ。
 私はつけていた腕時計の文字盤を点灯させるスイッチを押した。暗闇の中、蛍の光のように腕時計の文字盤が浮かび上がる。
 時刻は午前二時。日の出が六時なら、夜はあと四時間しかない。魔法使いの活動が夜に限定されるならば、魔法使いたちはまず遥香や田村を食べ、夜が明けるまでに食べきれない私をここに閉じこめたとも考えられる。もしそうなら、私が食べられるのは早くて今日の夕刻ということになる。
 焦るのはまだ早い。そう思った私に、疲れがどっと押し寄せてきた。思えば魔法使いとの対面といい、格闘といい、今日は人生で初めての出来事が目白押しだった。
 まずは休んでから作戦を考えよう。目蓋を閉じた私は、消え入るように眠りについた。
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最終更新日 : 2011-04-14 00:06:19


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