飛行船のプロキオン号は、次の街を目指して夜の空を飛んでいる。プロキオン号は、碧月サアカス団の飛行船だ。その中の小さな一室、カイはそこに部屋をあてがわれている。そこは、固い小さなベッドがあるだけの狭くて質素な部屋だ。
カイは、ベッドで寝転がりながら本を読んでいる。彼が手持ちの本はこれだけだ。
飛行船での旅では、本は邪魔になる。なので、街に飛行船が着いたとき、読み終わった本は、古本屋に売り、また新たに本を一冊購入する。いま、読んでいるのは、レイ・ブラッドベリの『たんぽぽのお酒』だ。少年たちのひと夏の思い出が幻想的に綴られている。
彼は、一冊しかないその本を寝る前に少しだけ読み進めてから眠りにつく。今夜もいつもの夜と同じくページを読み進めていた。丸裸の小さな電球の明かりを頼りに……。
すると突然、電球がぱちぱちと点滅したかと思うと、明かりが消えてしまった。
「あれ、電気が……」
カイは、突然、部屋が真っ暗になってしまい、びっくりする。一瞬、何も見えなくなったが、しばらくして目が慣れてくると、星の明かりを頼りにキャビネットの上にあったランタンに明りを灯す。そして、そのランタンを持ち扉まで行き、廊下を見渡す。どうやら、ほかの部屋も真っ暗なようだ。この船の船内すべての電気が消えてしまったようだった。
カイが廊下に出ようとすると、何か大きな塊に足を躓かせた。
「うわっと」
転びそうになる身体を何とか立て直す。足をつまずかせた黒い塊を見下ろすと、どうやら人がうずくまっているようだった。
「カイ!」
うずくまっていた人物は、カイの名前を呼びながら立ち上がると、いきなり彼に抱きついてきた。
「うわっ……もしかして、ミハルか!?」
カイに抱きついてきた人物は、ミハルだった。暗闇でもうっすらと光る金髪の髪と背丈で彼だとわかった。 ミハルは、少女であったり、少年であったり……特殊な身体の持ち主だった。いまは、少女ではなく、少年の姿に戻っていたので、カイに抱きついてきたときも力が強く、カイは、後ろによろめきそうになる。「お、おい……ミハル?」
「……」
ミハルは、黙ってカイの肩に顔をうずめている。
「……ミハル?」
「カイ……」
ミハルは、目を潤ませながら顔をカイの方に向けた。
「いったい、どうしたんだ?」
「突然、灯りが消えて、真っ暗になるから。おれ、灯りがない中でひとりでいるの駄目なんだよ」
ミハルは、少し泣きそうな口調でカイに言う。
「えっ?」
カイは、ちょっと驚いた後、しばらくして、クスクス……と笑いだした。
「笑ったな! 男のくせにって、思っているだろう!」
「いや、男がどうとかっていうのは、ミハルの場合は……」
「じゃあ、男のおれに抱きつかれてキモイとか思っているんだろ、カイは!」
「どうしてそうなるんだよ……ただ……」
「ただ?」
「妹の……ルミィのことを思い出して……」
「ルミィちゃん?」
ルミィとは、カイの3つ年の離れた妹のことだ。
「ああ。アイツも暗いのが怖いって、よく俺のベッドに入って来たよ。眠るまで手を繋いでてくれって」
「ルミィちゃんがカイのベッドに!?」
「あ、ああ……ルミィが小さなときの話だぞ」カイは、言い訳するかのように言った。
「……あ、あの……その……」
ミハルは、カイに何か言いたげだが、もじもじとしてはっきりしない。
「どうした、ミハル? まだ、怖いのか?」
「お、おれは別に……いや……その……おれ……おれの手もつないで!」
ミハルは、目をギュッと瞑ってカイに手を差し出す。
「えっ……」
カイは、少しびっくりする。
「あ、ああ、そのやっぱ嫌だよな。女の姿のときならともかく、今は男なんだし……。ルミィちゃんとおれじゃ、違うもんな……」
するとカイは、またクスクスと笑いはじめた。
「な、笑ったなっ……そ、そりゃ、いい歳して暗いのが怖いなんて、おかしいかもしれないけどっ」
「いや、ミハルは、かわいいなあと思って」
「か、かわいいって……」
い、いまのおれ、男の姿なのに、かわいいって……いい歳して情けないって思われたかな……。そんな風にミハルが考えをめぐらせていると、カイは、ふっと、ランタンを持っていない、あいているほうの手でミハルの手を握った。
「……!」
ミハルは、少しドキッとする。
「いま、部屋に戻るのは危ないから、団長が迎えに来るまでここにいたらいいよ」
カイはそっとミハルに言う。
「う、うん」
ミハルは、少し照れた。
カイは、ミハルの手をひいて、自分のベッドまで連れていく。カイは、キャビネットにランプを置き、手を繋いだままふたりはベッドに座る。すると、カイが先に口を開いた。
「でも、何でミハルは、わざわざ俺の部屋に来るんだ? ミハルの部屋の方が広いし綺麗だし、ベッドだってふかふかなのに」
このサーカス団で、ミハルは特別だった……特に、団長にとっては。だから、部屋もカイ達や他の団員達のような質素な部屋とは違う。
「そ、それは……」
「それは?」
「おれ、もともと、夜にひとりでいるのは苦手なんだよっ……」
「もしかして、それで俺のところに?」
「うっ……うん……」
「ひとりが嫌なら、団長のところだって……」
カイは、言いかけて後悔した。これじゃ、ミハルに団長のところへ行けって自分で促しているようなものだ。
「むっ。カイは、おれが団長の部屋に行った方がいいって思っているのか!」
「いや、そうじゃないけど……」
本当は、ミハルが、団長のところではなく、自分のところにやって来てくれるのはうれしい。
ただ、自分らを養ってくれている団長のことを考えると、団長と交わした約束も破れない。
カイが団長と交わした約束は、こうだ。
“行方不明になったカイの妹を探す協力を、サーカス団がする。その代わりに、カイは、ミハルを守ること。そして、ミハルには、手を出さないこと”
少し沈黙があった後、ミハルが口を開く。
「カイと出会う前は、よく行っていたよ、団長の部屋……っていうか、おれがもっと小さい頃は、部屋なんてなかったし」
ミハルは、そっと言う。
「……」
結局、自分が入ることの出来ない、ふたりの過去の話を聞いてしまうはめになって、カイは少し切なくなった。
ミハルは、カイの横に置いてあった本を見つけ手に取る。
「あれ、この本……これと同じ本、おれも持っているよ。カイって結構子供っぽい本読んでいるんだな」
先ほど、ミハルはカイに、子ども扱いされたと勝手に思い込んだのもあってか、そうカイに対抗するかのように言った。
「えっ、子供っぽいかな……でも、内容を知っているってことは、ミハルもこの本を読んだのか?」
「最初の数ページだけな」
「なんだ、読んでないんじゃないか」
「だから、読んだよ、最初の方だけ!」
「それは読んだうちに入らないんじゃないかな?」
「だって、それ以上読んだら羨ましくなるから……」
ミハルは、聞き取れるか取れないかくらいの小さな声で言った。
「羨ましいってどうして?」
「おれらと同じくらいの奴らが学校に行ったり、夏休みを楽しんだり……そういうのわからないし、羨ましいもん。カイは、学校、行っていたのか?」
「両親が亡くなるまでね。その後は、ルミィと店を切り盛りしなきゃいけなくなったから、行けなくなってしまったけど……」
「いいなあ。制服とかあったの? どんなだった?」
「田舎の小さな学校だったから、制服っていったって、すごく地味だよ」
「そうなのか……共学だったか? それとも男子校か?」
「男子も女子も一緒だよ。分けられるほど、子供の数が多くなかったから」
「へえっ、じゃあ、女の子からモテたりしたか? 告白されたりした?」
「ええっ……ま、まあ……」
「放課後、チューとかしたりしたのか!?」
「そ、そうだな……」「なんだよっ、カイ!! おれ以外の奴とキスしたこと、あるのかよ! おれらだってまだしてないのに!!」
「お、おい、話がそれていないか? 学校って、遊びに行くところじゃないぞ、勉強しに行くところだ。ミハルは、今だって俺や団長やダリアさんが勉強を教えてやっても、すぐに寝ちゃうだろ。学校なんて行ったって、きっとミハルは、授業中に寝てばかりいるんだろうなあ」「そんなことないよ、学校でだったら違うぜ。バリバリ勉強するよ」
「そうかなあ……。でも、なんで読まない本をミハルは持っているんだ?」
「だから読んだって! カイのその本と同じ本、ア、アイツがくれたんだよ」
「アイツって、団長のこと?」
「違うよ、前に、団長にそっくりな白髪の男に、カイも会っただろう。アイツがいっつもいろんな本を送ってくるんだ」
「ああ、あの月夜野とか言う学校の教師が……でも、何故?」
「さあ、わからない」
ミハルは、そう言うが、カイはうっすら、あの月夜野という人物が何を目的としているかわかる気がした。
団長は、あの男を嫌がっていたけど、根底ではあのふたりの考えは一緒なのではないかと……。
ふたりとも、ミハルを助けたと思っているのではないだろうか?
「団長とあの教師って何かあるのかな?」
カイは、ふと疑問に思ったことをカイに聞いてみた。
「あのふたり、ずっと一緒だったんだ。母さんがいなくなった後、しばらくふたりでおれの面倒を見ていてくれたんだよ。でも、ラビ……月夜野って今は言われている方な……アイツだけ、おれらと別れてどっかに行っちゃったんだ。それまではさ、ずっと三人で旅回りしていたんだ。夜、寝るときはさ、お金がなくて、ひとり部屋しか泊まれなかったから、三人で一つのベッドで寝ていたよ」
「やっぱり、団長とあの人は、双子とかなのかな?」
「うーん、それにしては性格が違うんだよな……あのふたり」
確かに、月夜野にはたった一度会っただけだが、あのふたり、姿は似ていても性格は違うと、カイも思う。団長は、熱い男だが、あの男にはそういう感情的な部分はあまり見えないような気がした。
「そうそう、本が読みたいならおれのところにあるやつ、持っていっていいぜ。ま、団長は、あの男が送ってきた本だから、おれが持っているの、嫌がっているけどな」
ミハルはそう言いながら、ごろんとカイのベッドに横になる。手は繋いだままだったので、カイもつられてベッドに転がる。
「お、おい、ミハル」
「なんか疲れた。おれ、もうここで寝ようかな」
「ここで、寝たらまずいって」
「だって、この暗闇じゃ部屋に戻れないし。それに、今日は、団長だって来ないよ」
「そ、そうかもしれないけど……」
「それに、ひとりじゃ心細いし……ここのところ嫌な夢を見るんだ」
いつもの元気なミハルの声と違い、か細い、不安そうな声でそう言った。
「ミハル……」
ミハルの顔が真横にある。ミハルは、顔を天井に向けていた。
カイは、ミハルに触れたくなり、あいている方の手を伸ばしかけるが、ぐっとこらえる。
「……やっぱり部屋に戻った方がいいよ」

Luno Teo