目次
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■プロローグ
プロローグ
■ 第1章 消えた陽子と保護説得
2007年正月
消えた陽子
"反牧"による拉致監禁
キリシタンへの強制棄教
保護説得の歴史
隔離準備段階
隔離中
隔離後の影響
保護説得の成功と恐怖
参考資料:日本国憲法
■第2章 神を中心とした恋愛
統一教会は悪の団体なのか?
勧誘
教会での生活
見合い
祝福を受けて
深まる絆
あらしのよるに
愛の告白
手を繋いで
■第3章 祈りと行動Ⅰ
横浜教会 高木支部長
困惑の中で
お義父さんへのメール
拉致監禁問題担当者:斉藤さん
最初の訪問
義兄宅ヘ
聖地での祈り
拉致監禁裁判経験者:毛利夫妻の協力
毛利夫人の話
ご両親への手紙
ルポライター稲本氏との出会い
森下さん
無言電話
警察へ救出要請書
東京杉並警察署の対応
横浜伊勢佐木警察署の対応
拉致監禁問題学習
お義兄さんに会いに
大阪:枚方警察の対応
二度目の大阪へ
僕を支えた手紙
■第4章 祈りと行動Ⅱ
脱会届
不可解な高木支部長
横浜教区
"おいしい"保護説得
祈りと重苦しさと
大阪へ再訪問
犯罪者 新井俊介
陽子からの手紙
手紙への疑問
信頼を壊す言葉
不信
再会
かすかな希望と孤独の日々
■第5章 哀しみの神
私の考える宗教
統一教会の脱カルトへの道1
統一教会の脱カルトへの道2
宗教的回心とマインドコントロール
なぜ保護説得により、信仰を捨ててしまうのか
陽子からの連絡
哀しみの神
保護説得で離れてしまった人へ
その後
ゆるすということ
■エピローグ
エピローグ
奥付
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目次

哀しみの神 ~はぐれ統一教会員の実体験回顧録~
├─プロローグ
├─第1章 消えた陽子と保護説得
│ ├─
2007年正月
│ ├─消えた陽子
│ ├─"反牧"による拉致監禁
│ ├─キリシタンへの強制棄教
│ ├─保護説得の歴史
│ ├─隔離準備段階
│ ├─隔離中
│ ├─隔離後の影響
│ ├─保護説得の成功と恐怖
│ └─参考資料:日本国憲法
├─第2章 神を中心とした恋愛
│ ├─
統一教会は悪の団体なのか?
│ ├─勧誘
│ ├─教会での生活
│ ├─見合い
│ ├─祝福を受けて
│ ├─深まる絆
│ ├─あらしのよるに
│ ├─愛の告白
│ └─手を繋いで
├─第3章 祈りと行動Ⅰ
│ ├─
横浜教会 高木支部長
│ ├─困惑の中で
│ ├─お義父さんへのメール
│ ├─拉致監禁問題担当者:斉藤さん
│ ├─最初の訪問
│ ├─義兄宅ヘ
│ ├─聖地での祈り
│ ├─拉致監禁裁判経験者:毛利夫妻の協力
│ ├─毛利夫人の話
│ ├─ご両親への手紙
│ ├─ルポライター稲本氏との出会い
│ ├─森下さん
│ ├─無言電話
│ ├─警察へ救出要請書
│ ├─東京杉並警察署の対応
│ ├─横浜伊勢佐木警察署の対応
│ ├─拉致監禁問題学習
│ ├─お義兄さんに会いに
│ ├─大阪:枚方警察の対応
│ ├─二度目の大阪へ
│ └─僕を支えた手紙
├─第4章 祈りと行動Ⅱ
│ ├─
脱会届
│ ├─不可解な高木支部長
│ ├─横浜教区
│ ├─"おいしい"保護説得
│ ├─祈りと重苦しさと
│ ├─大阪へ再訪問
│ ├─犯罪者 新井俊介
│ ├─陽子からの手紙
│ ├─手紙への疑問
│ ├─信頼を壊す言葉
│ ├─不信
│ ├─再会
│ └─かすかな希望と孤独の日々
├─第5章 哀しみの神
│ ├─
私の考える宗教
│ ├─統一教会の脱カルトへの道1
│ ├─統一教会の脱カルトへの道2
│ ├─宗教的回心とマインドコントロール
│ ├─なぜ保護説得により、信仰を捨ててしまうのか
│ ├─陽子からの連絡
│ ├─哀しみの神
│ ├─保護説得で離れてしまった人へ
│ ├─その後
│ └─ゆるすということ
└─エピローグ

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最終更新日 : 2011-05-18 19:43:44

プロローグ

新井俊介32歳。白鳥陽子32歳。 僕たち二人は、あの統一教会の合同結婚式にカップルで参加した。

 

統一教会・・・あの一時期マスコミで騒がれたカルト教団の・・

合同結婚式?・・自分が好きでもない人と、教祖の命令で結婚させられる?

 

それが世間一般で知られる統一教会像、合同結婚式像であろうか。

 

僕たちは、統一教会の信仰者だった。 僕は一般の会社に勤めていた。 彼女は教会の仕事を献身的にしていた。

 

僕には、日記を書く習慣があった。 長い一人暮らしの生活による淋しさを紛らわせるためだったのかもしれない。

2007年を迎えて、最初に書いた日記が次の通り。 後から読み返すと、不思議な内容だ。

 

 2007年1月2日夜中の日記 信じられぬと嘆くよりも 人を信じて傷つく方がいい 傷が多いと、いつしか人から裏切られることが怖くなり、人を信じる事を辞めようと遠ざけようとする。

 そのほうが、実際に裏切られた時の傷が浅くて済むからだ。

僕は傷が大きかった分、人を信じる事に"恐れ"があった。

 

でも、人を信じて傷つく方がいい。 傷つくのはもう慣れているはずだし・・ 世の中には苦しんでいる人がたくさんいる。

・・・ 人間って哀しいね だって、みんな優しい それを傷付けあって かばいあって・・・

 

 

歌の文句を交えながら、人間の情を切なさを書いていた。

 

この物語は、僕が体験した"衝撃的な"一連の事件を、当時書いていた日記をもとに書き綴ったものである。

 


2
最終更新日 : 2011-05-18 19:43:44

2007年正月

2007年元旦の夜、いつものように横浜に住む彼女と真夜中の長電話をしていた。

僕の名前は、新井俊介。
東京に住み、大手進学塾で講師をしている。
彼女の名は白鳥陽子。
二人とも歳は34歳。もう若くはない。

新年の挨拶を交わし、何気ない会話の中で、心が暖かく和んだ。
二人とも同じ信仰を持ち、信仰を通して知り合い、二人とも神を信じていた。
彼女は教会内で働き、若い青年メンバーの相談役である「マザー」と呼ばれる立場だった。

お互い出会う前につらい過去を背負っていたが、二人は出会いを通して少しずつお互いに心の壁を溶かしていき、惹かれ合っていった。
順調に交際は進み、僕は純粋に彼女を愛していた。
来月の2月には、彼女は僕の住む東京へ来てくれることになっていた。
 「本当に来てくれる?」
僕はそんな質問を投げ掛けたこともあった。
彼女ははっきりと「2月に必ず行くよ」と答えてくれていた。

その日も電話でいろんな話をした。
素直な気持ちをお互い話し合った。
遠距離恋愛でも、僕の心のすぐ隣に彼女は居てくれた。
僕も隣で彼女の心を支えていた。

彼女は明日大阪の実家に帰省する。

話はいつの間にか信仰の深い話になっていった。
毎日の信仰生活も、大変なことも多い。
でも信仰を貫いていく事はとても大変な事。

僕は答えた。
「結局は『神様の哀しみ』を知ることに繋がるんだろうね・・」


明日実家大阪への帰省を控えた陽子は、急に僕に尋ねてきた。

「一緒に行く?」

一緒に大阪の実家へ行こうか、という意味である。
僕は驚いた。今回の彼女の帰省でそんな話はしていなかった。

今まで僕の方から一緒に行こうといっても、親が受け入れる状態ではないので今は難しいと言って断られてきた経緯があったからだ。

一緒に行きたい気持ちは山々だったが、新年の2日、3日と仕事が入っている。
勤め先が進学塾のため、正月の特訓授業が明日からあった。50人以上の生徒が待っているし、代わりを立てる事は正月の時期と言う事もあり、無理だった。

 「なぁんだ・・もっと前に言ってくれたらよかったのに・・」

僕は苦笑いをしながらそう答えてしまった。

後になって思えば、彼女はこれから実家に戻ることに対して何か嫌な予感を感じていたのかもしれない。
鈍感な僕は、この日の彼女の不安を真摯に受け止めなかったことを一生後悔することになる。


 2007年1月2日12時51分
陽子から明るいメールが届いた。

「いってきますー」

このメールを最後に、陽子からの音信は途絶えた・・・。

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最終更新日 : 2011-05-18 19:43:44

消えた陽子


この年初め、僕は2日、3日と仕事だった。
忙しく時間が過ぎ去り、夜は何だか虚しさを感じた。

陽子にメールを送ったが、返事がない。
正月だから親戚も集まっているのだろう。親戚相手に色々忙しくしているのかもしれない。或いは電波が届かない地域に行っているのかもしれない・・・
僕は少し風邪気味だった・・・


明け方目が覚めた。

一度目が覚めても通常すぐまた眠れるはずだが、なぜかこの日の朝方は寝付けなかった。
日記帳を取り出して、何だかやるせない気持ちを書き連ねた。


2007年2月4日 早朝5時の日記

目が醒める。心が落ち着かない。
仕事の苦労や人間関係の難しさなどが心にいっぱいになり、苦しくなって眠れなくなる。
心が安らがない。余計な事を考えないように努力するが、結局眠れなくなる。
夢の中ですら?良い夢も見れないのか? 



この早朝の日記が、後に僕の決意を固めるようになる。
このとき彼女は僕に何かSOSを送ってくれていたのではなかろうか…


4日以降も朝から夜まで仕事だった。連日陽子にメールを送るが、全く返事がない。

色々と不安になる。4日には横浜に帰ってくるはずだったが・・。
陽子と話がしたい。


この日の夜、初めて「反牧」の言葉が頭をよぎった。


「まさか…」

(そんなはずはない…)自分自身に言い聞かせた。
(きっと何かの事情で遅れて連絡がとれないだけ。すぐ彼女は戻ってくるはずだ…)

しかし、気が気ではなかった・

陽子からの連絡がないまま時間が過ぎた。

6日にたまらず携帯に電話をかけたが、「電源が入ってないか、電波の届かないところにいます」のメッセージ。

彼女の実家にも電話をかけてみたが、留守だった。


まだ大阪に居るのだろうか。


("反牧"か・・まさか・・・)


不安が増していく・・・

横浜に電話したが、誰も出なかった。

神に一生懸命祈った・・・


次の日、ほぼ間違いなく彼女が"反牧"によって拉致監禁されたことが分かった・・・

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最終更新日 : 2011-05-18 19:43:44

"反牧"による拉致監禁

僕たちが所属していた教会とは、一時期世間を騒がせた"統一教会"である。

統一教会は、その教義の独自性から、既成キリスト教会から"異端"の烙印が押されている。
新しい真理を掲げ、聖書に対しても独特の解釈をする。たしかに今までのキリスト教とは違う。
今でも既成キリスト教会を訪問すると、三大異端の『ものみの塔』『モルモン教』『統一教会』を批判するポスター等が貼られていることがある。
"万人救済"、"博愛"、"人類みな兄弟"などと掲げておきながら、他宗教を批判する宗教は、悲しいかな数多い。

統一教会内では、統一教会に反対し、統一教会信者を脱会説得するキリスト教の牧師のことを、"反対牧師"、略して"反牧"と呼んでいた。

反対牧師は、世間的にはキリスト教会の牧師として地位もある。家族に相談を受ける立場にもなる。

家族は"世間で評判の悪い"統一教会に子供が入教し、心配だ。どうしたらよいかと相談する。


そこで、"良い方法"を提示される。

反対牧師は「統一教会にこのまま通わせていたら大変なことになる」と、恐怖心を煽り、「子供を脱会させるにはこの方法しかない」と家族に迫ることもある。

あるいは得体の知れない統一教会への悪い評判、社会的偏見、世間体の悪さが後押しして、家族自らが牧師に「どうしてもお願いします」と頼み込む場合も多い。


その方法とは、統一教会信者をマンションの一室に監禁し、数週間ないしは数ヶ月、時には数年という長期間をかけて説得し、棄教を迫る方法だ。
本人が脱会の意志を示すまで、監禁状態から解放される事はない。


"拉致監禁"という言葉は使わない。

"保護説得"あるいは"救出カウンセリング"と呼ぶ。


家族が統一教会員の子供を拉致、監禁し、その後反対牧師が説得にやって来て思想改造を試み、棄教あるいは改宗させる。

反対牧師は、統一教会に恨みを持っていることが多く、統一教会を批判する資料を膨大に所持して、統一教会の信者を脱会させる事に使命感を感じている。

通常の話し合いでは信者に逃げられてしまうので、隔離する事が必要になる。

他人が監禁すると監禁罪という刑事犯罪になるので、家族をうまく煽動して本人を監禁状態にするわけだ。


"統一教会=犯罪集団"だと思い込んでいる家族にとって、我が子を監禁する事への犯罪意識は薄い。

成功すれば、我が子は脱会する。
家族はそこに藁をもすがるような気持ちになる。


保護説得というのは"犯罪的手法"であることは彼らも分かっているのだが、反対牧師はそれを知りつつ確信犯的に行っている。


統一教会内の一部では、いつしかこの"拉致監禁されること"自体をも"反牧"と呼ぶようになっていた。

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最終更新日 : 2011-05-18 19:43:44


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