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 店の扉を開けようとした時に、奥から声がした。振り向くと店主である老婆が服を整えながら顔を出している。

 

「いえ」

 

 慌てて首を振って答えてすぐ、老婆の声など聞こえなかったフリをして出て行けばよかったと後悔した。普段なら出来ることも、風邪で頭が朦朧としているせいか判断力が鈍っているのが自分でも分かる。

 

 老婆は人違いと分ってがっかりしたように肩を落とした。

 

 老婆の髪は伸びきっていた。季節外れの厚手の生地で出来た服を何枚か重ね着しているのだが、それが彼女なりのファッションなのか、それとも単に寒いだけなのか、よく分らなかった。

 

「何かお探しですかな」

 

「え、ええ。オレンジジュースと、それからピーナッツを……」

 

「オレンジジュース。ああ、昨日石川さんが持っていったよ」

 

 石川さんなどという人の事は知らなかったが、私はそうですかと言って再び扉に手を掛けた。

 

「あんた、顔が赤いんじゃないのかい」

 

 老婆が皺の間に隠れた目を、大きく見開いて言った。

 

「ああ、風邪気味なんで」

 

「そりゃだめだよ、安静にしてなきゃ」

 

「ええ、ですからオレンジジュースでビタミンを……」

 

「ああっ?」

 

 こちらの声が小さかったのか、老婆は耳に手を当て、大声で聞き返してきた。

 

「ですから、風邪にはビタミンを摂るのが」


「ああ、ビタミンねビイィタミン、アッハッハ」

 

 自分が聞き取れなかった事に照れたのか、それとも単にビタミンという言葉が面白かったのか、こちらには分らなかったが、老婆は大声で笑った。

 

「それじゃ、ここには無いようなので」

 

「いやいや、ちょっと待ちな。風邪にいいもん、持ってきてやっから」

 

「はあ」

 

 老婆は皺の間から見開いた目を輝かせ、いそいそと店の奥へ消えていった。何か風邪に効くものを持ってこようとしているのは分ったが、これ以上話に付き合うのも面倒だったので、すぐにでも店を出たかった。

 

 だが、この店もたまには世話になるかもしれない。老婆は半分ボケかけているから、こちらが感じの悪い態度を取っても、いちいち覚えていないかもしれないが、近所の店でもあるので、それほど時間がかからなければと、大人しく待つことにした。

 

 老婆はすぐに戻ってきた。だが、その鳥の骨のような細く骨ばった手にしっかりと握られているものを見て、私は唖然とした。

 

 老婆は長ネギを持ってきたのである。

 

 しかも使いかけである上、鮮度が悪いのか端の方が微妙に変色している長ネギである。

 

 それを嬉しそうに掲げて手渡すと、老婆は豪快に笑った。

 

「これ、やるからよく休んで寝な」

 

「はあ、これ長ネギですよね、ネギを食べるって事ですか」

 

「何ヤボなこと言ってんだい、ネギっていったら喉に巻くって昔から決まってるじゃないか。そんな子供でも知っていること、知らないのかい。まあ、いいさ。それよりこれも持っていきな」

 

 そう言いながら、老婆は自分の両ポケットをまさぐり、キャンディを四つ取り出した。昔からある、黒蜜味の飴である。


「とにかくネギ巻いて寝ることだね。それが一番だよ。風邪の時にはさ」

 

「ありがとうございます」

 

 水分の抜けかかった長ネギを右手に、そして新たに手渡された飴を左手で受け取ると、いちおう礼を言った。

 

 すると老婆は、それまでの積極的な態度を改め、急に少女のようにはにかんだ。

 

 無論、顔は老婆のままである。

 

 店を後にした時は、老婆の積極性が移ったように、こちらの足取りも軽かったのだが、ふと自分が風邪をひいていた事を思い出した途端、再び体が重くなってきた。

 

「ネギなんか、よこさないでくれよ」

 

 いくら風邪をひいていて判断力が鈍っているとはいえ、強引に手渡されたネギぐらい、断る事は出来たはずである。

 

 しかも袋に入れてくれるならまだしも、むき出しのネギである。飴玉はポケットにしまえるからよかったが、むき出しのネギなど扱いに困ってしまう。

 

 周囲を見回したが、あいにくゴミ箱がない。仕方なくネギを片手に自然派食品の店へ向かった。

 


 自然派食品の店は自宅を改築して店にしたようなのだが、自宅兼店の奥が畑になっており、そこで採れた野菜や近所の農家が作ったものの他、珍しい外国産の食品なども置いてある。

 

 店のあった場所に近づき、看板にある店名を見たとき、思わず足を止めた。店の名が変わっていたからだった。

 

以前は「自然食品のお店 ナチュラルハウス」と書かれていたはずが、「超自然派食品のお店 スーパーナチュラルハウスDX」となっている。

 

「これって……同じ店だよ……な」


 限りなく確信に近い不安を抱えながらも、オレンジジュースとピーナッツを求めて、私は超自然派食品の店に歩を進めた。

 

 自然派食品の店は、以前と変わらず木造の一軒家だったが、窓が全て塞がれていた。元々はガラスの出窓や普通の窓があった場所が全て、外から木の板でしっかりと塞がれているのである。

 

「店……潰れたのかな」

 

 呟きながら店の扉を開けると、チリンチリンと喫茶店のような鈴の音が鳴り響いた。

 

 店は暗かった。以前は外からの光が店内を照らす、爽やかで清潔な印象を与えるログハウスのような作りが印象的だったのだが、久々に見た店内は薄暗く、まるでどこかのバーにでも迷い込んだようだった。

 

「いらっしゃあい」

 

 店の奥にあるカウンターの更に奥にある赤っぽいビロードカーテンから、店員らしき男が顔を覗かせた。だが店内が暗いせいか、顔だちまでは、はっきり見えない。

 

 店内の様子があまりに変わった事に驚いて、扉を半分開きっぱなしにしながら眺めていたが、店員の声で我に返り、慌ててネギを背後に隠すと店内に足を踏み入れた。

 

「ちょっと待っててよねん」

 

 店員はオネエ言葉でそう言うと、再びビロードのカーテンを閉じ、その後ろへ消えてしまった。

 

 店内はBGMも流れておらず、静かだった。ビロードカーテンが防音の役割をしているのか、店員の消えた先からは物音一つしてこない。

 

 待っているように言われたので、店員が現れるまで店を見て回る事にした。

 

 明かりは天井に設置された小さなライト数個と、店の角に設置された四つのスタンドから放たれていた。床は、歩くと革靴でもないのに音が響いた。

 

 店内には壁に沿って三段の棚が設置されており、その上に様々な商品が置いてある。

 

 異様な雰囲気に呑まれるように、私はふらふらと店の端から見始める事にした。


 入ってすぐ左手には、パンが置いてあった。包装はされておらず、むき出しのままおいてある。

 

 最近よく見かける、硬そうな天然酵母のパンである。パンを焼いているような匂いは店内から漂ってこないので、恐らくどこかから仕入れてきたものなのだろう。隣を見ると、いかにも有機野菜といった生産地と生産者の写真入の野菜が置いてある。こちらは以前と変わらない品揃えだった。

 

 このところ不景気のせいか、知っていた店がよくつぶれていた。

 

 割とひいきにしていた食べ物屋がつぶれ、その後に似たような店が出来てはつぶれの繰り返しをする状況や、外観は同じでもオーナーが変わった事により、全く違う店に変わってしまう店をよく目にしていたので、この店も同じようになってしまったのではと、店の看板を見た時に思ったのだが、どうやらその心配はないようだ。

 

 ホッとしながら有機野菜の隣を見ると、今度は変わった販売用の置物があった。こちらは今までなかったものである。置物と言っても、大概が木か金具で出来たもので、曼荼羅を思わせるような宗教絵が置いてある。

 

 その隣の棚には、珍しい石が多く飾られてあった。大きな書店がやっている企画にありそうなものである。水晶だとか、アメジストだとか、巨大な石や、それらで出来たペンダントだとか指輪などがおいてあった。

 

 何せこの不景気である、店を自然食だけで経営していくのは色々と大変なのだろう。そんな事を思いながら、石のひとつを手に取ろうとするとカウンターの方から声がした。

 

「何をお探しかしらん?」

 

 突然の事だったのでぎょっとして横を向くと、いつの間にかビロードカーテンのこちら側、カウンターを挟んで店員が立っている。

 

 ネギを背後に隠したまま、店員に近づいた。

 

 店に入ってきた時は店内の方が暗かったので店員の顔がよく見えなかったのだが、目が慣れたのか、今度ははっきり顔が見える。

 

 以前来ていた頃は、小太りの、いかにも人の良さそうな店主が店番も兼ねていたのだが、どう見ても同一人物には見えなかった。



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