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 思わず顔が引き攣ってしまうのが自分でも分かった。頭痛がますます強まってくる。喉もカラカラに乾き、潤そうと唾を飲み込むと痛みがあった。

 

 一刻も早く、この客たちの用が済み、店から出て行ってくれる事ばかりを心の中で祈りながら、大きく息をついた。

 

 すると、社長の横にいた派手女がズカズカとこちらに近づき、徐に顔を覗き込んできた。

 

「あなた、顔が赤いわよ」

 

「はあ……風邪をひいていて」

 

「ええっ? 風邪ぇ? 超ウケるんだけど!」

 

 派手女はこちらが驚くほど大きな声で反応すると、大声で笑い始めた。

 

「なんか、顔つきがおかしいと思ったのよねぇ。顔が……プッ」

 

「何が可笑しいんですか?」

 

 イラっとして聞き返すと、派手女はバカにしたように笑った。

 

「え? マジでなに怒ってんの? こんな事でキレるなんて、超ウザイんですけど! ウチの社長を見習いなさいよ。いつでもドーンと構えちゃって、まあ、腹もドーンとしてるけどね。ギャハハハ」

 

 耳元で大声で笑われ、思わず蝿を叩くように女の顔を引っぱたきたくなる衝動にかられたが、ぐっと堪え、その代わりに大きく身震いをした。

 

「まあ、何だ、心も腹もチンコもデカイっていう奴だな」

 

 社長は鼻歌をやめてそう言うと、ロバのように歯茎をむき出しにして笑った。隣に立っていたマッチョも、釣られたように下品な声で笑う。

 

 うっとおしい程の音量で演歌が流れる中、派手女が再び声を掛けてくる。

 

「っていうかぁ、風邪なのにオレンジとピーナッツなんて買いに来ていていいの?」

 

「風邪の時はこれって……ゴホッ決めてるんです……ゴホッ」


 声を出そうとすると、何かが引っかかるように咳が出始めた。

 

「風邪薬は飲んだのか?」

 

 マッチョがこちらの咳を嫌がる様子で、少し背をそらしながら言った。

 

「いえ……ゴホッまだ」

 

「医者には行ってないのか?」

 

「病院は……ゴホゴホッ……嫌いな……ゴホッんで……グホッ」

 

「まったく、そんなに酷い風邪なら安静にしてなきゃダメじゃないか。せいぜいネギ巻いて寝るとか」

 

「ネギとかって、マジ受ける」

 

 派手女がプッと吹き出した。

 

「何笑ってるんだ、ワシが子供の頃は、風邪をひくと決まってネギを首に巻いて寝てたんだぞ」

 

 社長がムッとして答えると、派手女はバツが悪そうに舌を出して肩をすくめた。

 

「オレンジジュースでビタミンを摂ろうとするのはわかるが、ピーナッツってのがわかんねえな」

 

「それはオレンジジュ……ゴホッゴホ……」

 

 説明しようとするが、声が思うように出ず激しく咳き込んだ。咄嗟にネギを持った手で口元を押さえてしまった。

 

「おっ? ほら見ろ、この若造だってオレンジとピーナッツなんて気取った事を言ってても、ネギ使うんじゃないか。隠し持っていたって事は、ケツにでも突っ込むのか?」

 

 社長はむせるこちらを鼻で笑った。

 

「マジ、ドン引きなんですけど」


 女は相変わらず笑い続けている。

 

「若いのに風邪をひくなんて、日頃から鍛えていない証拠だよ」

 

 マッチョも勝ち誇ったように、こちらを見下ろして言う。

 

「そんな事じゃ、彼女をヒィヒィ言わせる事も出来んぞ」

 

 むき出しにした歯茎から、ぶ厚い舌をのぞかせて社長が言う。

 

「それが、彼女いないらしいですよ」

 

 マッチョが嬉しそうに言った。

 

「そんなんだから風邪をひくんだ。とにかく風俗行け、風俗。風俗はいいぞォ。ま、別の病気をうつされるかもしれんがな」

 

「もう、社長ったら超ウケル!」

 

 三人がゲラゲラ、こちらを見ながら笑っている。

 

 苛立ちと体調不良からか、目の前が朦朧とし、三人の顔がぼやけていく。やがて社長の姿がロバになり、女がブタになり、マッチョがゴリラに変わっていく。

 

 三人の顔が目の前でぐるぐると回転木馬のように回りだし、笑い声もあちこちから聞こえるような錯覚に陥っていた。

 

 その笑い声と耳が痛くなるような演歌が交じり合い、私は完全に精神的な消化不良を起こしていた。

 

 吐きたくなるような苛立ちと体調不良、そして言いたいこともうまく言い返せないもどかしさとで体中が熱くなり、震えが止まらなかった。

 

「おまたせぇ。あらあ、若い子を虐めちゃダメよ。いくらアナタたちの勃ちが悪かったとしてもよぉ」

 

「何を言っとる、ワシはバイアグラに頼らなくとも、これを飲むだけでいけるんだぞ」

 

 社長がムキになって反論する。


「俺だって、彼より年を取っているかもしれないが、貧弱じゃないぞ。やはり男は頭脳よりも体が財産だからな」

 

 マッチョも同じようにムキになり、体に力を込めてポーズを決めた。

 

「ギャハハ。超ウケるんですけど!」

 

 派手女は相変わらず、出来の悪いロボットのように同じ言葉を繰り返している。

 

「すまないわねェ皆、アナタみたいな若くて可愛い男を見ると、すぐに張り合っちゃうんだから」

 

「張り合うってなんだね。失敬な!」

 

 社長は途端に眉間に皺を寄せた。

 

「もう、怒っちゃいやよん」

 

 オーナーは社長の扱いに慣れた様子で肩を上げ、いそいそとカウンター上で瓶を包み始めた。

 

「釣りはいらんぞ。そこの学生に、オレンジジュースとピーナッツを買ってやれ。ま、風邪にきくとは思えんがな」

 

 そう言いながら、社長はポケットから財布を取り出して、一万円札を三枚取り出すとカウンターに置いた。

 

「いつもありがとうございますぅ」

 

 深々と頭を下げて、オーナーが礼を述べた。社長がちらっとこちらを見たので、私も釣られるように頭を下げた。下げながら、自分の情けなさに思わず涙が出そうになった。

 

 本当はオレンジジュースとピーナッツくらい自分で払えるから結構だと、強く言ってやりたかった。これほど嫌な思いをしながら、おごってもらうくらいなら、値段の倍を払ってでも、自分で買ったほうがずっとマシだった。

 

 普段だったら、もう少しまともに言い返せたかもしれない。シモネタを言われようが、気の利いたギャグで返せたかもしれない。子供扱いされようが、自分の方がずっと大人の対応をして、あしらう事だって出来た筈だ。


 全てはこの風邪のせいである。

 

 苛立ちは頂点に達し、熱を持った体がそれを放つように、ゴホゴホと、抑え切れない激しい咳が出始めた。

 

「おいおい大丈夫か?」

 

 社長が意外そうな、同時に迷惑そうな目でこちらを見る。

 

「ほら、坊やにオレンジジュースとピーナッツを出してやれよ」

 

 マッチョがいたたまれなくなった様子で、オーナーに言う。

 

「そ、そうね、オレンジジュースよね。あったかしら」

 

 そう言いながら、オーナーは慌ててビロードカーテンの奥に消えていった。

 

 客達は全員黙ったが、店内では相変わらず演歌が流れ続けていた。

 

 喉の痛みは激しさを増し、咳き込むたびに痰がからむのが自分でもわかった。苛立ちから熱も上がっているのだろう、ぼやけたままの視界が晴れる事はなく、ロバやゴリラに変わった客の姿も元の人間に戻る事はなかった。

 

 徐々に力も抜け、たまらずカウンターに寄りかかると、ビロードカーテンの奥から店員が顔を出した。

 

「ねえ、オレンジジュースじゃなきゃダメなの? ナマのオレンジならあるんだけど」

 

「ゴホッ……オレンジじゃ……なくて……」

 

 オレンジジュースじゃなきゃダメなんだと言いたくとも声が思うように出ない。

 

「ええ? 何? なんていってんの?」

 

 演歌で声が聞き取れなかったのか、耳をつんざくような声でオーナーが聞き返してくる。

 

「ゴホッ……だから……」

 

「これでいいの? ダメなの? はっきりしてよォ、お客さん!」



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