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「はあ」

 

「で、適当って、どの位やっているんだ。まさかアンタ、実はすごく鍛えているのに鍛えてないって謙遜してるんじゃないだろうな」

 

 そう言いながら、マッチョは突然、私の腕をグイと掴んだ。

 

「な、何を……」

 

 文句を言おうとしたが、途端に激しい頭痛に襲われ、言葉を飲み込んだ。

 

 マッチョは掴んだ腕を指先で撫でると、鼻で笑いながら手を離した。

 

「ま、謙遜って事はなさそうだな」

 

「失礼じゃないですか」

 

 苛立ちながら反論しようとするが、やはり頭痛がし、途中から声が小さくなる。

 

「日に何回くらい腕立てをやっている?」

 

「腕立てなんか、してませんけど……」

 

「じゃ、他にスポーツは?」

 

「別に、してません」

 

「なんだそれ、適当にやってるって言ったじゃないか。バカにしてるのか?」

 

 マッチョの表情が見る見るうちに強張っていく。

 

 迫力はあるものの人懐さはあった表情も、鬼のような恐ろしい形相へと変わっていく。

 

「そうじゃなくて」

 

 頭が痛いんだと言おうとしたが、その途端、やはり強い頭痛に襲われ、思わず頭を押さえた。

 

「アンタ、学生か」


 何も言わずに私は頷いた。

 

「フン。いい気なもんだ。俺は朝から晩まで働いている。肉体労働さ」

 

 言いながら、マッチョは腕に力を入れた。ハンドボールのように丸々とした筋肉があらわになる。

 

「バイトはしているのか?」

 

 また、無言のまま頷いた。

 

「それはいい事だ。真っ当なもんだろうな」

 

 こちらがコクコク頷くと、マッチョは安心したように笑った。

 

「何の仕事だ?」

 

「……家庭教師と、塾の講師です」

 

 今度は無言というわけにもいかなかったので、頭を押さえながら、やっとのことで答えると、マッチョは面白く無さそうに舌打ちをした。

 

「ケッ。割がいいんだろうな」

 

 マッチョは苛立ったような表情で口を歪めた。

 

「で、時給はいくらぐらいなんだ?」

 

「二千円から三千円です」

 

「なんだそれ、俺なんか体削って働いてるのに、時給九百五十円だぜ。そりゃねえだろう」

 

「はあ……」

 

「これが格差社会ってヤツなんだな。クッソ。無性に腹立ってきたな」

 

「はあ……」


 適当にあしらおうとしても、事実を述べようとしても、同じように文句を言う男にうんざりしながら、私はただ返事を繰り返す。

 

「塾講師って事は若い女とも知り合えるわけだ」

 

「……はあ」

 

「クッソッ!」

 

「大学は共学なのか? 女子大生とも知り合い放題ってか」

 

「……はあ」

 

「クッソッ!」

 

 マッチョはこちらの言葉を聞いてから苛立っているというよりも、わざとこちらから嫌な言葉を引き出して、文句をつけたいだけのように思えた。

 

「女はいるのか?」

 

 マッチョの質問はまだ続く。

 

「いえ。いませんけど」

 

「これまで何人と付き合ってきた?」

 

「彼女いたことないんで」

 

 と、答えてすぐに後悔した。どうせこの男の事である、男は女の一人や二人常に好きに出来るようにしなきゃならんだとか、言い出すのだろうと思ったのである。

 

 だが、マッチョは怒るどころか急に態度を変えた。

 

「そうか、それは真面目でいい事だ。うん」

 

「はあ」

 

 私は思わずマッチョの顔を凝視した。


 マッチョの顔から怒りはすっかり消えうせていた。嬉しそうな表情で、こちらの肩をポンと叩き、ニヤニヤと笑っている。

 

「学生ってのは真面目じゃなきゃならん。俺のように女遊びばかりやっていると、ろくな職につけんからな。うん」

 

 あからさまに優越感に浸った表情で、こちらの体を上から下まで舐めるように見ると、マッチョは満足げに頷いた。

 

「ちょっと、ウチの客にちょっかい出さないでよォ」

 

 ちょうどその時、カーテンの後ろからオーナーが顔を出した。

 

「おう悪いな。で、いつまで待たせるんだよ」

 

「出来たわよォ。今包んでるのよ。ちょっと待って頂戴よォ」

 

 オーナーが三十センチ程のビンをカーテンの裏からこちらに持ち込み、カウンターに置いた。中には液体と、爬虫類らしきものが入っている。

 

「いいよ、そのままで」

 

 マッチョは払うように手を振ると、右腕でがっしりとビンを抱え込んだ。左手でポケットからくしゃくしゃの五千円札を取り出すと、カウンターに置く。オーナーが金を受け取り、五百円を返した。

 

「じゃ、また来るよ」

 

 そう言うと、マッチョは回れ右をするように、規律正しい動きで後ろを向き、そのまま出口へ向かった。店の扉に手を掛けようとしたとき、ちょうど反対側から扉が開いた。

 

 カランカランと音がして、外から新たな客が入ってきた。

 

「おう、アンタもか」

 

 マッチョの向こう側から男の声が聞こえてくる。

 

「あんたも諦め悪いね」


 そう言って、マッチョは下品に笑いながら、やってきた男の肩を抱いた。

 

 新たにやってきたのは、恰幅のいい中年男と、いかにも愛人らしい派手な女だった。

 

「よう」

 

「あらァん、いらっしゃい、社長」

 

 社長と呼ばれた男は、右肩をマッチョに抱かれ、左手で派手女を抱きながらゆっくりとカウンターの方へやってきた。

 

「ようマスター、いつものくれよ」

 

「あら、たった今この人が買ったばかりなのよォ。材料はあるんだけど、作るのにちょいと時間がかかるのよォ」

 

「マスター、いい加減その喋り方やめたらどうなんだ」

 

 社長がバカにしたようにオーナーを見下ろした。

 

「だってぇん。最近不景気だから、差別化をはからなきゃやってけないのよォ。これでも近所の主婦なんかに、オカマ店長って人気なのよん」

 

「痛いたしいんだよ。ったく」

 

 社長が吐き捨てるように言うと、オーナーは一瞬泣きそうな顔になったが、すぐに笑顔を作った。

 

「最近じゃ、すっかり板についちゃったみたいで、普段からこんなしゃべり方なのよォ」

 

「急いでるんだろ? 俺のを、アンタにやろうかい」

 

 マッチョ男がオーナーの会話を無視し、社長に言った。

 

「いや、アンタも帰りに送ってやろう。じゃマスター、待とうか。どのくらいかかる?」

 

「うーん。そうねぇ、十分くらいかしら」

 

「急いでるんだ。人と会う約束をしているからね」



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