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「ああ、早くしてくれや」

 

 マッチョが面倒くさそうにオーナーの手を払いのけると、持っていたナップザックをカウンターに置いた。

 

 ドサリと重そうな音がした。置いた荷物と一緒に自分もおくように、マッチョはカウンターに体重をあずけた。そしてその状態のままこちらを見た。

 

「アンタも客かい?」

 

「あ、ええ……でも大丈夫です」

 

 よく見ると、右頬にはナイフかなにかで傷つけられたような大きな跡があった。目は大きく黒目がちで、らくだのように濃い睫をしている。

 

 身長は百八十以上あるだろうか、その迫力につい、及び腰になってしまう。

 

「アンタ、ここに何買いに来てるんだい」

 

 突然、マッチョが質問をした。

 

「お、オレンジジュースと、ピーナッツです」

 

「オレンジジュースとピーナッツ?」

 

 男は眉をひそめると、含んだような笑みを浮かべた。

 

「ここならあると思ったってわけか」

 

「はっ?」

 

「ん? 違うのか?」

 

「はあ」

 

「まあいい。どうしてそれを買おうと思ったんだい」

 

「風邪をひいたんで、一応ビタミンとか摂ろうかと思って」


「風邪だって?」

 

 マッチョが突然、身を起こし顔をしかめた。

 

「そりゃいかんよ」

 

「はあ」

 

「男は風邪なんかひいちゃならないね。男が風邪をひくだなんて、軟弱な証拠だ」

 

「そうかもしれませんけど……」

 

 答えながら、面倒な男に捕まったものだと思い始めた。

 

 マッチョはこちらの態度など気にすることなく、持論を続けた。

 

「いいか? 男ってものは、常に何かある事を想定して生きなければならない。風邪をひかないように、常日頃、心も体も鍛え、やってくるバイキンどもと戦わねばならないのだ」

 

「はあ……」

 

 話を聞いているうちに、酷い頭痛がぶり返してくる。

 

「アンタはどのくらい、体を鍛えている?」

 

 マッチョは両手を腰に当て、仁王立ちになってこちらを見る。

 

「鍛えるって……まあ、適当に」

 

 本当は体など鍛えていなかったのだが、何か考えようとすると頭痛が酷くなるので、これ以上悪化しないように、適当にかわす事にした。

 

「適当だって? そりゃダメだよ」

 

 だがマッチョはそんな言葉にまで食いついてくる。

 

「適当っていうのが一番よくないんだ。やるかやらないか! これが男として一番大切なことだからな」


「はあ」

 

「で、適当って、どの位やっているんだ。まさかアンタ、実はすごく鍛えているのに鍛えてないって謙遜してるんじゃないだろうな」

 

 そう言いながら、マッチョは突然、私の腕をグイと掴んだ。

 

「な、何を……」

 

 文句を言おうとしたが、途端に激しい頭痛に襲われ、言葉を飲み込んだ。

 

 マッチョは掴んだ腕を指先で撫でると、鼻で笑いながら手を離した。

 

「ま、謙遜って事はなさそうだな」

 

「失礼じゃないですか」

 

 苛立ちながら反論しようとするが、やはり頭痛がし、途中から声が小さくなる。

 

「日に何回くらい腕立てをやっている?」

 

「腕立てなんか、してませんけど……」

 

「じゃ、他にスポーツは?」

 

「別に、してません」

 

「なんだそれ、適当にやってるって言ったじゃないか。バカにしてるのか?」

 

 マッチョの表情が見る見るうちに強張っていく。

 

 迫力はあるものの人懐さはあった表情も、鬼のような恐ろしい形相へと変わっていく。

 

「そうじゃなくて」

 

 頭が痛いんだと言おうとしたが、その途端、やはり強い頭痛に襲われ、思わず頭を押さえた。

 

「アンタ、学生か」


 何も言わずに私は頷いた。

 

「フン。いい気なもんだ。俺は朝から晩まで働いている。肉体労働さ」

 

 言いながら、マッチョは腕に力を入れた。ハンドボールのように丸々とした筋肉があらわになる。

 

「バイトはしているのか?」

 

 また、無言のまま頷いた。

 

「それはいい事だ。真っ当なもんだろうな」

 

 こちらがコクコク頷くと、マッチョは安心したように笑った。

 

「何の仕事だ?」

 

「……家庭教師と、塾の講師です」

 

 今度は無言というわけにもいかなかったので、頭を押さえながら、やっとのことで答えると、マッチョは面白く無さそうに舌打ちをした。

 

「ケッ。割がいいんだろうな」

 

 マッチョは苛立ったような表情で口を歪めた。

 

「で、時給はいくらぐらいなんだ?」

 

「二千円から三千円です」

 

「なんだそれ、俺なんか体削って働いてるのに、時給九百五十円だぜ。そりゃねえだろう」

 

「はあ……」

 

「これが格差社会ってヤツなんだな。クッソ。無性に腹立ってきたな」

 

「はあ……」


 適当にあしらおうとしても、事実を述べようとしても、同じように文句を言う男にうんざりしながら、私はただ返事を繰り返す。

 

「塾講師って事は若い女とも知り合えるわけだ」

 

「……はあ」

 

「クッソッ!」

 

「大学は共学なのか? 女子大生とも知り合い放題ってか」

 

「……はあ」

 

「クッソッ!」

 

 マッチョはこちらの言葉を聞いてから苛立っているというよりも、わざとこちらから嫌な言葉を引き出して、文句をつけたいだけのように思えた。

 

「女はいるのか?」

 

 マッチョの質問はまだ続く。

 

「いえ。いませんけど」

 

「これまで何人と付き合ってきた?」

 

「彼女いたことないんで」

 

 と、答えてすぐに後悔した。どうせこの男の事である、男は女の一人や二人常に好きに出来るようにしなきゃならんだとか、言い出すのだろうと思ったのである。

 

 だが、マッチョは怒るどころか急に態度を変えた。

 

「そうか、それは真面目でいい事だ。うん」

 

「はあ」

 

 私は思わずマッチョの顔を凝視した。



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