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小雪姫と春生


  むかしむかし、コルクが重くて
  石がおばあちゃんの巻き毛みたいに
  軽かったころのことだよ
  あるところに、あるところに……


 あるところに小雪姫という名前のお姫さまが、お父さんの睦月王(むつきおう)とふたりきりで暮らしていました。
 空の上の、ひとのたどりつけないほど高いところには、目のくらむほど永遠に真っ白な世界があります。その中で、睦月王は、自分だけの知っている化学の方法で、雪をこしらえていました。小雪姫は星やエーデルワイスからとられた小さな型にもとづいてつくられていました。コルヌー・コピアイという羊の角でできた容れ物が収穫の季節に果物や野菜でいっぱいになると、小雪姫はお父さんの命令にしたがって見渡す限り四方をすっからかんにしてしまうのでした。そして雪が世界を覆い尽くすのです。
 小雪姫は白く透き通るような肌をしていて、いまではもういなくなってしまった女神さまたちのように美しくありました。小雪姫の髪だけはわずかに金色がかっていて、北極星の色をうつしていました。その面映えや両手は地上に落ちる前の雪のように澄んでいて、瞳は青い氷河のように淡い空色をしていました。
 小雪姫は寂しそうにしていました。
 晴れた空に星の出ている夜は休憩の時間でした。そんなとき、お父さんの睦月王は仕事を休んでとってもたっぷりした自分のおひげにくるまって眠るのでした。小雪姫は霜柱によりかかり、両の手のひらにあごをのせて、はるかな地平線を見つめて、その彼方を夢見るのでした。
 いつだったか、傷ついたつばめが、お日さまのよくあたためてくれる土地へ行こうとして山を越えてきて、小雪姫の手のひらの中に墜ちたことがありました。小雪姫は両手でつばめを元気づけようとしましたが、どうにもなりませんでした。死に近づいたつばめはぶるぶる震えながら、海や花でいっぱいの野原、あたたかな地方に生えるシュロの木々、それから終わりのない春を求めてうわごとをつぶやいていました。その日から、小雪姫はまだ見たことのない土地を夢見るようになったのです。
 それである夜、小雪姫は旅に出ることにしました。お父さんの睦月王の長いおひげの上を忍び足で通り過ぎ、氷河と万年雪とをあとにして、谷間へつづく道をゆくと、小雪姫はモミの木の立ち並ぶ森へ入りました。森の暗闇の中ではノームたちが青白く光って踊っていたのですが、華奢な小雪姫が通り過ぎていくのを見ると踊るのをやめてしまい、枝々にまたがって、にやにやした目つきで小雪姫をものめずらしそうに見つめました。
「小雪姫!」
「小雪姫! どこへ行くの?」
「小雪姫! ぼくらと踊ろうよ!」
「小雪姫! 置いていかないで!」
 無邪気な妖精たちは小雪姫のまわりに群がって、その足首に力いっぱい抱きついて小雪姫を立ち止まらせようとしたり、その軽やかな足先を枯れたシダの中にからめとろうとしました。
 小雪姫はほほえんで、愛らしい呼びかけを聞き入れることなく、銀のコルヌー・コピアイから雪のかけらをつかみとってあたりに降らせました。すると、小さな遊び仲間たちから逃れることができました。それからはまた、もういなくなってしまった女神さまたちのように華奢に、静かに、軽やかに歩きつづけました。
 谷へ着くと、広い道に出ました。
 寒さはやわらいでいました。不安な気持ちが小雪姫のこころにのしかかりました。ひと息つくため、小雪姫はコルヌー・コピアイから雪のかけらをつかみとって、あたりに降らせました。すると、すぐに冷たくなった空気の中で、元気と安らぎを取り戻すことができました。
 小雪姫は足早に進み、長い道のりを過ぎてゆくと、十字路にぼうっと立ち止まって、まぶしそうな目をしました。目の前には、見たことも聞いたこともない場所が広がっていたのです。果てなく青い青い広がり――あたかも天の覆いから取り去られたもうひとつの空がこの大地の上に敷き広げられて、見えない両手がその裾をひらひらと揺らしているかのようでした。あたりの土地も変わっていきました。アネモネ、カーネーション、ミモザ、菫、木犀草、水仙、ヒヤシンス、ジャスミン、月下美人――花々は、見渡す限りどこまでも、丘から海まで、壁や庭の生垣に阻まれつつもまるで小川のように氾濫していて、そこに家や林が浮かんでいるかのようでした。オリーヴの木々が銀色の覆いを広げ、シュロの木々は青空に投げられた槍のように抜きん出てて凛々しく立っていました。
 まだ見たことのないものにうっとりしたまなざしを向けているうちに、小雪姫はいつしか雪を撒き散らすのを忘れていました。するとふたたび不安がのしかかってきたので、小雪姫は雪のかけらをつかみ、あたり一帯を真っ白な雪と冷たい空気で覆って、ひと息つきました。花々やオリーヴの林やシュロの木々はびっくりして、透き通った肌の少女が雪の渦巻く中を飛び去っていくのを見つめ、震えあがりました。
 たいへん美しい若者が、緑と紫のジュストコールをまとって、小雪姫の前にあらわれました。若者は心配そうな目つきで見つめながら、小雪姫の歩くのを引き止めました。
「きみはだれ?」
「小雪姫。睦月王の娘」
「よく知らないけど、ここはきみのお父さんの王国じゃないよ。ぼくは春生(はるお)。きみはぼくの土地を進んじゃいけない。きみの氷河に帰りな、そのほうがお互いのためだ」
 すると小雪姫があんまりやさしく哀願するようなまなざしでこの春の王子を見つめたものですから、王子はこころを揺さぶられたような気持ちになりました。
「春生、行かせてちょうだい。少しも立ち止まっていたくないの。花って呼ばれてるのかしら、青に緑、赤や紫をしたあの雪に触れてみたいの。海っていうのかしら、あの逆さまになった空に指を浸してみたいの!」
 春生は小雪姫を見つめてほほえむと、うなづきました。「わかった、行こう。ぼくの王国をみんな見せてあげるよ」
 ふたりは手をとりあうと、うっとりと幸せそうなまなざしで見つめあいながら、一緒に歩いていきました。けれども小雪姫が歩けば歩くほど、灰色の空気が青空を曇らせ、真っ白いかけらが渦を巻いてみごとな花園を覆い尽くしてしまいました。またふたりは、お祭りでにぎわっている村を通り過ぎました。その村では男たちや女たちが、花咲くアーモンドの木の下で踊っていました。小雪姫は春生と一緒に踊れたらいいなと思って、輪の中に入っていきました。すると村びとたちは震えながら散り散りになってしまい、音楽は止み、空気は凍てつきました。灰色になった空からはアーモンドの香りのついた雪の花が降りはじめました。そう、小雪姫が降らせた雪でした。村びとたちが怒って文句を言うので、ふたりは逃げ出さなければなりませんでした。すこし遠くまで来ると、さっきいたほうを振り返りました。すると、あの村がまた晴れ上がった空の下でお祭り騒ぎをはじめなおしたのが見えました。
「小雪、ぼく、きみと一緒になりたい」
「あなたの国のひとびとは、氷を降らせる女王なんかいやがるでしょう」
「かまうもんか。ぼくがそうしたいんだ」
 ふたりはまた手をとりあって、うっとりした幸せそうなまなざしで見つめあいながら、一緒に歩いていきました。けれども突然、小雪姫がいっそう透き通るように青ざめて立ち止まりました。
「春生、春生、もう雪がない!」
 小雪姫は指の先でむなしくコルヌー・コピアイの底を掻きました。
「春生、私死んじゃう! 国境まで連れて行って……ああ、もう立っていられない……」
 小雪姫はくずおれて、小さくなっていきました。春生は小雪姫を支えようとしました。やがて小雪姫を抱きかかえながら運び、谷の方角へ走りました。
「小雪! 小雪!」
 小雪姫はこたえませんでした。代わりにもっともっと澄んでいきました。顔色が、消え去りかかる泡のように虹色に透き通っていきました。
「小雪、返事をして!」
 春生は、焼けつく陽射しから守るため絹のマントで小雪姫をくるみ、走りつづけてとうとう谷へ着きました。北風に小雪姫の身を任せたかったのです。
 けれどもマントをひらくと、小雪姫はもういなくなっていました。春生はうろたえ、青ざめて、震えながらあたりを見回しました。どこへ行ってしまったのだろう。途中で落としてしまったのだろうか。春生は絶望して、両手で顔を覆いました。けれどもしばらくすると、春生の瞳に光が戻りました。谷の向こう側で、小雪姫が手を差し出して、ほほえみながらさよならの挨拶をしてくれたのを見たからです。
 北風――姫のお付きのあの年老いた教師が、雪の小道を通って、永久凍土へと……睦月王の支配する、ひとのたどりつけない王国へと、小雪姫を連れていきました。
 
 
 


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著者
グイド・ゴッザーノ
Guido Gozzano
[1883-1916] 20世紀イタリアの代表的な詩人のひとり。トリノ大学法学部中退。1907年、ある詩篇のなかで隠遁願望を表す。これは同時代のダンヌンツィオに代表されるような知識人の大望からかけ離れており、独特の気質をうかがわせる。同年、女性詩人アマーリア・グリエルミネッティと交際しはじめる。しかし当時不治の病といわれ恐れられた結核にかかってしまい、若くしてこの世を去った。この33年に満たない短い生涯を通じて、彼は黄昏派と呼ばれる詩人たちとともに当時の文学活動に積極的に参加し、新聞や文学雑誌に寄稿をつづけ、数々の詩篇や童話に加えて小説や評論までを遺した。



訳者
原口昇平
Haraguchi Shohei
[1981-] 熊本県生まれ。東京在住。詩人。 訳書:グイド・ゴッザーノ『小雪姫と春生』『黒魔術師と馬』


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最終更新日 : 2011-04-05 04:56:56

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