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「兄貴、出前、行ってらっしぇいませ!」
 ラーメン屋の店内に、店員の浜田の威勢の良い、低い声が響く。
「おう」
 陣野悠里は、その声に押されて来来軒の暖簾をでる。店を出ると凍える程の空気が悠里を包む。

 悠里は岡持ちを自転車の後ろに取り付けると、かじかむ手に息を当てて、勢いよく地面を蹴る。
 デジタル式の、やや古い腕時計を見る。時刻はすでに夜中の十二時を過ぎている。しかし、店のネオンによって昼のように明るい。
 暗闇を纏っている悠里の髪だけが時間相応の暗さを持っている。


 悠里は新宿にあるラーメン屋の店長だ。店を始めて2年。毎日出前をしているからか、三十歳にして贅肉のない、均整のとれて体をしている。
 ラーメンが冷めないように、悠里は勢いよくペダルを回す。冷たい空気と裏腹に、身体の芯が熱を持つ。
 出前先のマンションに着く頃には、悠里の額には大粒の汗が出ていた。悠里は岡持を持って、揺らさないように注意しながら早足でマンションへ入る。エントランスにあるインターホンで、出前先の部屋番号を呼び出す。
『はい?』
「来来軒です」

『やっとか……今開ける』
 苛立ちの籠もった声がインターホンから聞こえる。声は若い。男にしては声が高いが、スッと耳に入る声だ。
「すいません」
 悠里は頭を下げる。急いで来たつもりだが、お客が遅いといったら遅いということなのだ。お客をまたせた店側が悪いということになる。
 マンションへのドアが開く。悠里は中に入りエレベーターに乗り込み、5階のボタンを押す。浮遊感を感じたのと思ったら、静かにエレベーターは止まる。目的の部屋のインターホンを押すと、すぐに男――設楽行が出てきた。

 声で感じたように、行は若い。ついこの前成人式を迎えたような、あか抜けない顔。それに反して、手足が長く、雑誌の紙面を飾れるようなスタイルだ。前髪をあげているのは、幼く見られないようにしているのか。
 不意に、悠里は行の顔に懐かしさを覚えて、腕時計を触る。
「お待たせいたしました。注文のラーメンです」
 悠里は近所迷惑になるのを考えて、声を抑える。
「五百円になります」
 悠里のラーメン屋はたった一杯のラーメンでも出前する。さらに、夜中の三時までやっていることと新宿にあることから、夜の仕事をやっている人たちから人気がある。

 おそらく、行も夜の商売をやっている人間だろう。今から仕事か、仕事終わりか、それは分からないが。
「中で渡すから、それ、リビングまで持ってきて」
 覇気のない声で行が言う。
「分かりました。失礼します」
 悠里は頭を下げて、家に入る。
 行の一人暮らしだと思ったが、部屋の中には行以外の人がいるような痕跡があった。二種類のたばこの吸い殻に、対のマグカップ。
 しかし、悠里が出前したラーメンは一人前。今、この部屋には行しかいない。
「そこのテーブルに置いて」
 行はテーブルを指さして、財布を取りに別の部屋に行く。


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