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 もっと良くもっと悪くまだ戻りすべての座と言われた頭で失敗する。

                      サミュエル・ベケット『いざ最悪の方へ』

 

 

夏、という季節にあえぐ街は分裂的な想像のなかで鳥のように浮かび、嘴のように尖り、膜のように破れ、石炭のように輝くことを夢見て自らを直視する。純粋な視線。屠殺場を知らない子牛が不潔な蠅を全身にまとわりつかせながら鼻を鳴らし、涎をたらし、生気のない藁半紙のような寝床を母親と形作り、空腹を満たし、排泄をし、密集した熱の興奮に残り少ない体力を奪われながらもじっと塀のむこうを見つめている黒い、黒い、黒すぎる眼球から、なんの障害もなく発せられる打ち水のような視線、理解。なにも言わない、なにも動かない、極めて純粋な視線、言葉をもって街は図形を放置し、地図上の掠れた印字の外郭でたたずんでいる。

そうだ。すぐに記憶は遠近感覚を失って街となる。情緒的な女の吹かす煙草の煙のゆらぎの奥の赤茶けた壁にくっきりと染み付いた少女の歩行の影を見つめる。君は加害者だ。時間は速められる。かつてそこにあったはずの枠組みはすでに塵処理場の臭気のなかへと埋もれてしまったのか。認識しうる地点、記号、目印などは存在せず、僕は自己矛盾を肯定し肯定し肯定するばかりで街の様相は一変している。肯定。自己否定。君は今を生きている。嘘だ。君は死んでしまう。嘘だ。僕は過去の造り出した偽の故郷だ。高速道路を疾駆する夕焼けの雲の平板。

 さりげなく描かれる絵画的な遡逆をたよりに言葉を満たす男、脈絡のない視界に風景らしき風景がよみがえる。感傷的な音楽は背景に吸収されて色も形も砕けてしまったようで、また、救いようのない自虐的な言語の反復が関係性を飲む。少なくとも、途絶えることのない基調音が小さく肩越しに聞こえ、それでいて、目の前には何もない、なにも、発する何かは事切れた、またしても。余響だろうか、それすらもわからない。ただ記憶は姿を持たぬまま凝縮し、乾いた音をたてる。何かが勢いよく弾け飛ぶような、まるで、意味のない年月の果てにおいて、無知は強まり繰り返される、定型的な、平穏な、思考によって喪失は深まる、明日、明後日、労働はつづく、街並みの横断の法則。

 あるときは罵倒し、ある時は溺愛し、ある時は殺し、あるときはすがりつく、というような選択、興奮、断絶されていながら同時に連綿と続く、矛盾した自我を、限りなく容認しなければならない、限りなく要請しなければならない、限りなく、限りなく、限りなく、容認しなければならない。

 路肩に転がっている破れて断片的になった黒いビニール袋の横で太陽を見つめるともなくただそこに立っているだけの僕の首元に絶えず押し寄せる根拠のない不安(付着した異臭の広がりのような不安(それでいて曖昧な小波にも似た不安))によって導き出される現状、つまり、なにかしらを拠り所として生きていかなければならないという弱さを孕んだ思考のさなかで高まる日差しの強さに打ちひしがれている僕という現状。言葉というものを吐き捨てる相手も言葉というものを受け入れてくれる相手も気付いたときにはこの場から去って疲労は蓄積し、君が君一人であるという事実を裏付けることすらままならないような現実の予測の連鎖が街を覆いつくしていく。

真実は吐露されることなく沈み消え、またふつふつと湧き上がって乾く。繰り返される変化は既視感と未視感の狭間に立ち上がる。塗り替えられていく。些細なことなど気付くはずもない。 

往復する仕組み、いたって簡素な仕組み、僕はそれを定義する。定義すること自体が安易な自惚れの現れなのかもしれない。わからない。いやわかる。わからない。いやわかる。

 

「誰も何も言わなかった。あるとき突然 今 を強調される」

 

さあ行こう。僕は行く。時は過ぎた。そうでもない。

街は願望によって再生と解体を繰り返しながら記憶をつなぐ。物質的、もしくはそれともはたして。人々の足元に広がる大地は幾多の街の瓦礫の集積物だ。時と空間の風化、かすれ。少女の肉体はさりげなく、つなぐ。

人々は基調音に回収されて知らぬ間に自惚れ、自虐へ陥ることをおそれ、語ることはできず、欲することはできず、反復のなかでたんたんと事物をながめ、ながめ、ながめるだけで何を語ることもできず、というのも最初からすべてを諦めているのであって自分が自分であるという現実の強固さ、と同時に不確かさを噛み締め、噛み締め、しかし何をすることもなく、いや少しでも伝わることのできる言葉を探そうとするのだが、しかしどこまで探したとしても見つかるはずもなく、呆然と立ち尽くすだけで到達点など見えず、道もなく、そこがどこであるのかもわからず、気付いた頃にはすでに、彼女はいない。

ああ、日々行われる繰り返しのなかのほんの些細な別れが記憶のむなしい反復を永遠に促し続けるなんていったいだれが予想しただろうか彼はわかっていた一時でも依存してしまった自分を強く恥じるそしてそれも自虐として処理され人々から忘れ去られていく彼もまた同様にそしてまた彼も同様に と して

何も言わない。何も起こらない。防護壁としてのガラスケースに包まれた純粋な商標が小綺麗かつ定型的な数式を即座に組み上げていくという完結した順序は既に逃れようのない基盤となっていて僕の前に現れては消える。停滞した街は不燃性のアパートのように手際よく瓦解し流れ、様々な別称の数々が粉末となって風にのる。いかにして速く、いかにして楽に、ことを終えればいいのかわからない。無償の生物の繁殖、繁茂、半壊によって画家は画家たりうるのだろうか。僕は今を書いているのだろうか。もしくは描く。もしくは呟く。僕の目にした空間と時のリズムは僕を僕として刻みつけると同時に僕を街として強調づけるようでまさしく街の小さな全景は街の高層建築物群によって阻まれ見わたせないままで隠蔽された若干の部分的高低差はゆるやかに気体を循環させていく基調音ばかりが浮浪している街、街、街において錯綜した過去、現在、未来の体系(いやそれすらも壊れはてて既に今しか無いのだろう僕たちは今しか無いのだろうここに存在している今という反復におけるそれ自体としての今しか無いのだろう僕たちは僕たちは僕たちは)下水の支配に怯えながら

続いていく絵画の裁断作業

を忘れる僕は

       とても素晴らしいと思う

とても とても とても

               思い出せない 思い出す 

すばらしく とても

 

 

雨は降るのだろうか。泥まみれの犬の身体。極めて無関係、関係がない。ならば想起する。ならば発想する。画家は描き続ける。また街の類型を描く。画家がいつどこでその絵を描いたのか僕は知らない。僕は知らない。僕はただ、いつかどこかで見た街の絵によって画家を知っただけで画家がどのようにして街を描いたのか永遠に理解できないままできっとそれは少女によって間接的に描かれたのだろうと想像する僕は男も老人も少年も知らないままで事切れる準備を忘れる。画家は今そこで画家としての黒い眼球を真空に浮かべながらじっと街をみているのだろうか。それすらも川の浸食作用によって失われていくようだ。僕は思い出す。僕は未来の過程を歩む。絵画は目の前にある。取り戻すことのできない絵画。

 

それでは思い出す。それでは書かなければならない。それでは書かなければならないと考えたときに僕の脳裏へ浮かぶこの残像は線路だろうか。そうかもしれない。硬く伸ばされた黒い直線は線路なのかもしれない。線路とはなんなのだろう。絵画の端を通り過ぎて行く線路。思い出したかのように挿入される機械的な線路。特に注目することはない。いや、わからない。線路、これは線路だ。そうやって仮定していかなければ進むものも進まない。進まなければどこかへたどり着くということもない。確かめられる、揺るぎない遠近感覚の美意識。そこは線路。思い出される線路。僕は線路を思い出している。それもまさしく一瞬。現在いまこの一瞬においての一瞬。

 

陽光によって油のように照り光る鉄のレールが不協和音にも似た、しかし決して不協和音ではなく、どこか怠惰な雰囲気をおびた走行的な走行音を電線のように伝えていく。電線のような線路の情報の反射によって伝えられた走行音と共に近づいてくる電車、車体、巨大な鋼鉄の映写が白紙の上に刻まれはじめる、ゆっくりと、しかし確実に大きく、順を追って精密さを増していく黒いインクの染みのような発展、構図、線路の上を電車が走るという構図、ありふれた構図、時間の経過を感じさせることなくそれは眼前にせまって叫ぶ、手探りで隠す、泡立ちながら受けとる。

 

古びて軋む車体は数十万もの人間から発せられた重苦しい体臭を永遠とも思える月日のなかで吸い込み腐敗し、風を切る。太陽が無数の影を吐き出す。細く長い蛍光灯を備えた天井には色彩豊かな広告が垂らされ、汚れたつり革が並び、埃を含んだ冷気を発する空調がいくつもいくつも穿たれ、音をたて、その真下では額に腕に汗を浮かべた少年が背筋を曲げた状態で座っている。それはまるで苦痛や虚しさから一時でも逃れようと、身を守ろうと、うずくまっているかのようであり、また、同時に、うなだれ、絶句しているかのようでもあり、その斜め向かい側では黒い外套、黒い山高帽姿の老人が、固形化した諦観に包まれながら座っている。少年のありふれた動作など気にもせず、なにも発さず、ただ座り、電車内の風景に埋もれたまま電車は絵画のように固定され、微動だにせず、変化を見せず、黙々と、走り続けるばかりで他はない。金属製のパイプで構成された荷台にいつの日のものかわからぬ古新聞が置かれているがそれはもしかしたら古新聞ではないのかもしれない。老人と少年のどちらも荷台に置かれた古新聞などまるで最初から存在していないかのように振舞っており、その理由は当然のことながら古新聞に古新聞なりの価値がないからだろう。そういった状況からもわかるとおり、この激しくも醜い直方体の速度のなかでは誰もがすぐに自分が街へむかっている理由など恐ろしいほどの正確さで見失ってしまい、彼らはそれに抗うことすらできないでいる。

 

 同様にして、電車の座席でゆれる男は自分が今むかっている場所、様々な鋭角に囚われたまま抜け出せずにいる場所、街、そこがいつから街と呼ばれるようになったのか知らない。男は知らない。もしかしたら過去のどこかで少女に教えられたことがあったのかもしれないが、そんな仮定は無意味だ。結局のところ、いま覚えていないことに変わりはない。男がなぜ由来の知れぬ街へ訪れようとしているのか、男がなぜそこを街として認識しているのか、男がなぜそこを街として嫌悪しているのか。誰に聞いても答えは返ってこない。当然。そんなことは当然だ。誰に聞いてもあからさまな戸惑いの表情を浮かべて立ち去られるだけで解決の糸口など掴めない。男は窓の外を流れる風景とも言えぬ風景に瞳を結わえながら、太く強張った指先で上着のポケットをまさぐり探し、湿ったメモ帳とペンを取り出して、そこへ乱雑に書き連ねる、彼らが答えを知っているなんてそんな簡素な期待に溺れるほど自分はもう幼くない、と。筆記された文字列は痙攣を起こしたように震え、飛び上がり、崩れ、結合し、曖昧な輪郭となって意味の読み取りを拒む、一種の絵画のようだ。乱雑な協調性によって描かれる絵画。言葉は無限に精細さを失って逆に単調となり、定型的なリズム、予測可能なリズム、ごくわずかな変動など尽く無視されて一塊の大きな集合体として名付けられる、例えば街のように。

男は電車の定期的な振動に揺らされながら、その薄いまぶたを閉じる。耐えがたい明るさの視界を閉ざす。頑なな視線が行き場を失って男の内部で反射する。鋭利な角度、反射、その連鎖。暗闇が音という音を包み込んで小さく収縮し、外部の雑多な事象事象は熱せられて固まる。融解、蒸発。指先は何に触れることもなく指先であることをやめ、足は歩行状態を維持したまま凍りついて嘆く。瞼を閉じた男は空白へ向かって口走る、何も考えず、何にも抗わず、ただただ外部から吹きつけてくる強大な支配に身をまかせているだけの多くの人々という人々から一時でもうまく逃げおおせられたかのように口走る。

「今日は明後日です、これは水槽です、僕は労働者です、明後日がやってきます、この電車は懐かしいです、とても覚えています、きっとこの電車なのでしょう、きっとこの電車なのでしょう、きっと、車内アナウンスの声すらも知っているような気がします、さあ、あらゆるものは写真のなかの構成に似ています、期限どおりに老いていきます、検索します、日記を書きます、読みます、際限のない不安を投げかけます、はい、言いません、なにも言いません、それでも読みます、抗えません、どこまでもどこまでも容赦のない不安に追い立てられて胃が痛みます、重いです、苦しみます、あなたを見ます、あなたに向かって言います、ああ、なに、助けられません、助けることができません」

だがやはり、男にもわかっている。男はすべてを理解している。背骨の奥で強く噛みしめている。乾燥した唇より発せられる言葉、掠れた小さな言葉の連なりは、結局、視界を閉ざしてしまったとしても、視線を幽閉してしまったとしても、街の空気に飲まれてふらつき舞い上がり、拡散し、根源の掴めぬ低いざわめきへと変化して影に留まざるをえないことを。あらゆる喜びはその場かぎりの即席的な感情でしかなく、期待と興奮は未来において恥辱とともに語られるべきであることを。

総じて個々の格差は無効、ただ茫漠とした匂い、音、映像が目の前を通り過ぎていく流れ、川筋の流れ。一瞬、一瞬、断絶、断絶。白、紺、赤、黒、黄、青、黒と、色彩は飛躍を繰り返す。繰り返す。繰り返すだけで終着点などはなく、ただ反復しているという事実だけが目の前を通り過ぎていく。

 

街。

 

そこでは個々の判別などできない。みな、ありふれた日々の暮らしを営んでいる。過信でもって、今もなんとか生きながらえている。あるものは丸まった肉体で働き、あるものは毒物的な子供を養い、あるものは煩わしいだけの名称をいつわり、あるものは饒舌な性交に溺れる。あるものは安易なあきらめに浸り、あるものは日々の関係性に酔いしれ、あるものは自傷を快楽として用い、あるものは街の喪失を願う。すべては閉鎖された壁画のなかで生まれ、無意識のうちに明るみへと引きずり出される。もはや数え切れぬほどの個人的、そう、個人的感情が、孤独な融和を繰り返しているようで、画一化を繰り返しているようで、それは男の目にも明らかである。きっと、男の目にも明らかである、おそらく。眼球。砂にまみれた眼球の鼓動。使い物にならないガードレールや看板や、自動販売機や信号機、無数の自動車、建築物、あらゆる存在が倦怠感に支配され、気付いたときには街から消えている。消失している。孤絶されている。いや、倦怠感ではないのかもしれない。空腹感、敗北感、高揚感、喪失感、列挙していけばきりがない。だが確かに存在している。そこに存在している何か。根拠は男にしかわからない。すでに燃え尽きてしまった言葉によって積み上げられた根拠。そのわずかな灰をかき集めては恍惚に浸る老人の後ろ姿。夏の臭気のなかで行方をくらましては現れ、くらましては現れる老人の後ろ姿にはどこか見覚えがあるようで、しかしないのかもしれない。その衰えた背中は恍惚に浸って興奮し、いくらか咳き込む。しゃがれた声で咳き込む。痰の絡んだ雑音で咳き込む。死んでもなお生きながらえている老人の肉体によって数限りなく裏返され、表がどちらだったのかすでにわからなくなってしまった名前のない名刺は机の上ではねる。両端から摘まれ、大きく湾曲し、ついにはそれに耐えきれずはねる名刺。もう一度裏返す老人。もう一度はねる名刺。

 

もう一度裏返す老人。もう一度はねる名刺。もう一度裏返す老人。もう一度はねる名刺。

 もう一度裏返す老人。もう一度はねる名刺。もう一度裏返す老人。もう一度はねる名刺。

もう一度裏返す老人。もう一度はねる名刺。もう一度裏返す老人。もう一度はねる名刺。

 もう一度裏返す老人。もう一度はねる名刺。もう一度裏返す老人。もう一度はねる名刺。

 

道端で拾ってきた根拠の断片によって生真面目な反復は為されていく。おそらく永遠にすべては循環を噛み砕く。電車は陸橋の上を走り、どこかで野良猫の擦り切れる音がする。リズム。乱れた楽譜。窓の外から覗く街の部分部分が幾重にも折り重なって白濁とした風景となり、ちいさく収縮を繰り返し、繰り返し、繰り返してはまた単調な韻律へとしずんでいく。電車が起こす震動。瞬間的な風圧の期待。新たな視点を要求して、しかしそれは特に意味がない。

 

電車は線路を走り、土地を走り、陸橋を走る。街にまで至る過程を重視するべきだ、きっと。そのようにして初めて街の相対化は為されうる。では線路とは何か? 土地とは何か? 陸橋とは何か? そこまで言って僕は言葉を詰まらせる。陸橋とはなんなのか? 僕は陸橋を見たことがない。

 

黒く朽ちはてた陸橋の下の砂地、生まれながらにしてコンクリートの塊に幽閉され、太陽からも雨からも見捨てられてしまったそのわずかな砂地でひとり眠る乾いた古新聞、ありふれた小さな事件が掲載され、もはや誰の記憶にも残ってはいない未来の記憶、反復される記憶、終わることのない循環によって律儀にも印刷された文字列、音階の集まり。それはどこからやってくるのか、それはどのようにして響いてくるのか、それはなんと呼ばれうるものなのか。すこし考えれば答えは容易に導きだされるのかもしれない。もしかしたらそうなのかもしれない。だが、あらゆる仮定は無意味だ、忘れてしまった。老人はすでに忘れてしまった。

小さな事件など誰も覚えてはいないだろう。これから起こることなのか、それとも既に過ぎ去ったことなのか、なにを証明するのにも多少の労力は必要だが、しかし、だからといって膨大な労力を注ぎ込みさえすれば確かな答えが得られるという保証はなく、つまり、すべては徒労に終わる可能性がある。街とはそういうものなのだ。逃れたければ故郷を見つける他ない。だが、故郷とはどこのことなのだろう。画家は故郷を知らない。老人なら知っているのだろうか。それも今では遅すぎる。

 

 とめどなく吹きあげる風に身を任せ、目的もなく、視界もなく、ただ街を漂いつづけるだけの砂の一粒一粒、彼らも同様に故郷を欲しているのだろう。僕は想像する。僕は発想する。彼らにとっての故郷とはつまり砂漠と呼ばれるどこかだ、きっと。砂漠は街から遠く離れた場所にあるらしく、そこがいったいどんな場所であるのか、つまり「砂ばかりが果てしなく広がっている」だとか「街では決して見ることのできない珍しい植物が不気味なほどの孤独さで直立している」だとかそういったことに関する噂は頻繁に人々の間で流れるが(それも好奇な視線で語られるのだが)しかし、そこへ実際にたどり着いたものはおらず、この街にはおらず、誰もいないことはもはや確信されるべき真実であり、というのも、なぜなら、この世界のどこにも砂漠という場所など存在してはいないからだ。砂漠とはなんだ? 砂漠はどこにあるんだ? 何も考えず、何にも抗わず、ただただ外部から吹きつけてくる強大な支配に身をまかせているだけの多くの人々という人々の意識は砂をふくんだ北風によって無惨にもひび割れ瓦解し、路地の片隅の薄暗いどこかで小さく堆積する。そんなありふれたイメージ、使い古された解答の幼稚さをもって画家は街を描いている、毎日、音もなく、静かに。そうだ、街に内包された直線や獣は地下への埋没を願ってアスファルトに覆われた地表をうろつくがしかしそれはなんの結果も生まない。たとえどれだけの時間を経たとしても、たとえ気付かぬうちに数万年の月日が流れていたとしても、何らかの変化が彼らに訪れるということはない。老人は確信している。老人の薄弱な記憶はそれを擁護する。街は折り重なって風景となり、雑多は川の澱みに沈む。そう老人は確信して、今も立脚している老人。川はどこを流れているのだろうか。はたしてどこまで流れようとしているのだろうか。

 

「わたし、一度砂漠に行ってみたい。とても、きれいだと思う」

 

 律儀にも印刷された川は発端のつかめぬ湾曲を繰り返し、繰り返し、繰り返しては同時にどこか単調な韻律をつむぎ、流れのなかで大量の砂を飲み、黄色がかったうすい褐色へとその風貌を変え、湾曲を何度も何度も繰り返しながら、気付いたときにはどことも知れぬどこかへ音もなく収斂している。そう、音もなく、静かに。川は街の中心を流れる。まるで街という場所、街という領域をちいさな基調音のもとへ還元しようとしているかのように、ただひたすらに流れている。

川の両岸には廃れた家々が立ち並んでいる。使い古した学習机の上に刻まれた細かい、しかし明瞭な引っかき傷のように点々と立ち並ぶ廃れた家々。そのひとつひとつをよく観察すれば、この、街の中心を湾曲しながら流れる川が、どれだけ頻繁に氾濫をおこしているのかがわかるだろう。廃れた家々に住む画家の目は水によって崩れた画布と筆先に向けられ、なにも言わないまま画家の生活は立体的な厚みを失っていく。基盤、一義的。壁はくすんだ茶色を抱いて川に寄り添い、画家が必死に生み出した念密な時系列はすべて、残酷にも平面をさらけ出して乾燥する。弁論は意味を持たない。氾濫が咽喉をひらく。

氾濫はもちろん嵐の際にもおこったが、しかしそれだけでなく、些細な雨の連なりのなかでもおこった。何も考えず、何にも抗わず、ただただ外部から吹きつけてくる強大な支配に身をまかせているだけの多くの人々という人々は、雨が降り出すと、それがたとえ頬を湿らすほどの小雨であったとしても心のなかに一抹の不安を抱かざるをえず、どれだけ隠そうとしても、荒い呼吸音が指の間から洩れて混濁する。氾濫はすべてを飲み込むのだ。まるで茫漠とした砂漠地帯の静かな、しかし確実な発展のようにすべては飲み込まれ、すべては押し流され、そして座標に依存することのないどこかへと埋もれていく、すべて、あらゆる痕跡。そこは地下なのかもしれない、もしくはとりとめのない海洋の底の広がりなのかもしれない。ただ、どちらにしろ、飲み込み押し流す強大な力は自らの意志で探求に身を乗り出すことのない無数の矮小な意識たちをその隠れた願望に従って痛めつけ、縛り上げ、砂粒となるまでひねり潰し、名状しがたい孤独な暗部へといざなう、ただ、それだけなのだ。意識は反抗を欲しない。川の両岸に、ほんの小さな堤防すら築かれていないことからもそれは明らかだろう。画家。頬を湿らすほどの小雨にさえおびえ震えながら、しかしその一方でたしかな快楽を噛みしめている人々。欲望のおもむくままに湾曲と氾濫を繰り返し、繰り返し、繰り返すなかで砂を飲んでは黄色がかったうすい褐色へと変貌する川を見つめている人々の、集まり。

 傍観としての集団は、湾曲した川を受け入れながら同時に直線を愛でる。あらゆる場所から直線が垣間見える、街の全体様式。建物や水や電線は、幾重にも折り重なって白濁とした風景となり、その単調な風景をかたどっている輪郭すらも直線となりはてているがために、街を訪れた人々、それが実際に存在するのかどうかは砂漠同様はっきりとはわからないのだが、しかし、とりあえず、街をなんらかの目的で訪れなければならなかった人々がわずかでもこの世界に存在していると仮定して、彼らは、どうやっても直線から逃れることができない。彼らの視界には絶えず直線らしき直線が混入し、眼球の裏側、眼窩と視神経の接続部周辺をするどく刺激し、彼らの認知できぬどこか一瞬において、頭痛のような、継続的かつ広範囲な苦しみへと変わる。それは妨害のような妨害なのかもしれない。それは喪失のような喪失なのかもしれない。夏の日差しのなかで漠然とした意識さえ持たず風と並木と陽炎にただうちひしがれるばかりの名称を持たない記憶の街の誰かは自らの身体のどこか奥底より侵食するやわらかな腐敗の気配を察して、また、文字を書きつらねる。湿った紙の上へ表出した大量の文字の集まりは、特定の概念を抱くことすらないまま不明瞭な流音のかなたへと沈んでいく。蝉と車道とざわめきと日差し。なにを求めているのか。なにを失っているのか。頬をつたう汗の確かな一滴は、よろめきながらも首筋を巡り、静かに、静かに、色褪せたシャツの襟元へと消えていく。

それを追いかけていけば必然的にたどり着くであろう感覚、つまり腐敗してとけだした肉片から立ちのぼる臭気のような瓦礫へと堕落した建物をうっすらと白濁とした眼球で眺める男たちの分厚い皮膚のような埃かなにかに覆われて彩度の失われた硬直的建設機械の一時的な集団のような音をたてて剥がれ落ちたコンクリートのような冷たい錆色をした鉄筋のような湾曲した関係性を構築しようとするがしかし尽く失敗する無言の唇の群がりのような力によって課せられた自らの虚しい役割をひとつひとつこなしていくなかで過ぎ去ったいつの日かにおいて忘れてしまった誰かのような強まった風の湿気のような遠近感覚を食い荒らす雲塊のゆるやかな流れの先のような語句の響きという響き。

 音は、たしかに足元をうろついている。きわめて抑圧的な低音。歩く度にそれとわかる低音。だが、そのことがなんの前触れになるというのだろうか。誰がそれを前触れとして捉えるというのだろうか。日々繰り返される類似の現象、そのなかで生じる微小な差異。繰り返し、繰り返し、繰り返しては見捨てられた幼児期の記憶もやはりその例外ではなく、もはや想像の一端、原材料、断片的な表象でしかないのか、わからない、それはわからない、現在の感覚は切り取られることなく凝り固まって僕の表面を覆い、僕の眼球は過剰に連続性を摂取する、予感。

 そうした安易な写像によって雷雨は高揚する。街は突然の水圧によって火照り、煌めく素振りを見せる。恐れと侘しさと、凝り固まった同情を携えて雷雨はおとずれ、町をさまたげる。人々は形式化した駅構内にひしめきあう。街のどこかに建設された駅には常時多くの生活者がいたがしかしそういったものはすべて打ち消される。壁際に置かれた用途不明の赤いパイロンもその横で屹立する荒んだコインロッカーの塊も丸く太い鉄筋コンクリート製の柱も地面のあらゆるところを舐めまわす点字ブロックも自動販売機も塵箱も地下道も喫煙所もすべて打ち消されて原子の微かな発声さえ残らない。人々が人々という波によって砕かれ落ちぶれて緑色のなにか粘ついた液体となり充満し広がって人々となりそんな不明瞭な領域が侵食して駅構内は枠組みを失う。頭上に浮かぶ、いや吊らされた、薄っぺらな屋根に吊らされた長方形の電光掲示板は「もうすぐ電車が来ます」という真偽不明の情報を輝かせながら停止している。雷雨の影響だろうか。もはや駅構内は名称としての駅構内を掲げているばかりで駅構内は駅構内でなくなりかけているようにさえ思える。だがそれでも他に適切な場所などない。どこにもない。駅構内。駅構内。駅構内。街は固形化を始めている。がたついた後悔が身を隠す。見慣れた光景だ。何度経験したことか。

 

「なかったことにしたくて記憶も感覚も曖昧にして書き記して私は半端に刻む」

 

                類推する状況。明滅する反復。喝采を浴びる装飾。

 

ここでないどこかへたどり着くために電車を待っているのか、それとも激しすぎる雨を凌ぐためにそこへとどまっているのか、はたして答えなど出るはずもないのだろうが濡れた衣服を身にまといながら人々は各々の願望に従って駅構内で呼吸する。顔を上げ、さながら水面から顔を出す汚れた魚のように呼吸する人々のうねりの中からは判別不可能なざわめきが聞こえる。日常をはるかに逸脱したそのざわめきは狂気をともなう。あまりにも密集しすぎた人間の頭、頭髪はどれだけの数にまで及ぶのだろうか。密着する皮膚や繊維が枯葉のような音をたててこすれあい、痺れ、感覚を失う。足という足が何者かによって踏まれ、痛めつけられ、困惑し、精彩を失う。停止することなく動きつづける人間らしき塊が周囲への不平不満を沸々と胸のうちに抱きながらあせるように呼吸、呼吸、呼吸をし、咳き込み、歯ぎしりをし、そうやって何に結実することもない過程を歩み、歩み、焦燥し、あるとき突然、視線を左右へとふり動かす。自分が駅構内のどこに立っているのか、座っているのか、少しでも安心できるように確認を求める。だが、どうあがいても明確な答えなど見つからず、わかるとすれば自分が駅構内で人混みにもまれながら二本の危うい足で立っているというただそれだけの事実、そういった自明とも言える事実が脳裏をよぎるばかりでなんの意味もなく時は過ぎ去る。ほとんどすべての人間がそこで立っている。ふらついている。座っていることはない。立っている。彼らは立っている。駅構内に設けられた青く錆びつくベンチの数は少なく、また、たとえ座れるだけの余裕があったとしても、青く錆びつくベンチに座っている人間が一人も見当たらなかったとしても、誰かが座ろうとすることはない。彼らは立つ。そういった暗黙の規律がすでに漂い始めているのかもしれない。はっきりとはしない。彼らは立っている。くたびれた黒いTシャツを身にまとい、硬いジーンズをはいた若者、湿気と暑さによって体中のいたるところが汗におおわれ、熱せられ、眉毛や顎や鼻頭から、小さく火照った雫をたらし、予告なく訪れる喉の渇きに苛立ちあえぐ一人の若者は、青く錆びつくベンチに刻まれたどこかの小さな病院名、直線のみで象られたどこかの小さな病院名をひたすらに凝視し、集中し、このベンチはいつからここに置かれてあるのだろうか、数年前からだろうか、数十年前からだろうか、もしかしたら自分の生まれるずっと前からこのベンチはここで立ちつくしているのかもしれない、となると、ここに記された病院はすでに街から消え去ってしまったのだろうか、廃業、風化、死、いつかは訪れる条件条件に直面したときベンチは、青く錆びつくベンチは失われた病院名を意志も根拠もなく肉体に刻印され硬直しているままで永遠にそこに在りつづけることを選ぶのだろうか、それとも、それとも、と、連鎖する想像におぼれ逃避し熱せられ、ふと、電車は来るのだろうかと考える。この雨によってなんらかの事故がおこっていれば、自分は予定をはるかに越えた時間、この息苦しい人々の集まりのなかで呼吸し続けなければならないだろう。もはや後戻りはできない。爪先立ちをして、目線を上げ、線路の果てを見つめる。電線が揺れている。雨が降り続いている。線路は湾曲している。先など見えない。見えるはずもない。まわりを見渡せば、自分と同じ考えをもった者が何人か、確認できる。爪先立ちをして目線を上げ、線路の果てを見つめている。いや、ちがう。何人かではない。駅構内に集まった数えきれぬほどの人間が、みな、ひとり残らず同じことを考えている。線路の果てを見つめようとしている。見つめようとして爪先立ちをし、目線を上げ、眼球に力を込めるがしかし目的のものは何一つ見えず、雷雨に濡れた都市の風景ばかりが現出し、立ち現れ、まさに無意味、無価値の象徴であり、仕方なく諦めて視線を外し、周囲を見渡すが、そこでも彼は、その努力が自分ひとりのものではなかった事実にはからずも直面せざるをえず、足元をただようきわめて抑圧的な低音、歩く度にそれとわかる低音、つまりは絶対的な基調音の存在を意識し、偏執し、ただ、自らの境遇を嘆く、ただ、嘆きながらも呼吸、呼吸、呼吸をする。

要因のわからぬままに発生する抑圧的な呼吸音。入りまじり混乱した駅構内で少年は、事も無げに封筒を受けとる。孤立とともに乾燥した封筒。動作の過程で発生した幾ばくかの音は、周囲を漂う、発端の掴めぬざわめきによってすぐに宛もなく所在を失い、輪郭を失い、今この瞬間、すでに根拠を捨て去った名称ばかりの過去へと落ちぶれている。恐ろしく素早い、それでいて曖昧な、転換によって人々はまた、背景を疎むのだろうか。酷く、あてのない思考、駅構内における、少女の残像。

人々のふらちな抵抗によって壁際まで追いやられた男は、さまざまな方向から無作為に、いや、一概にすべてが無作為であるとは言い切れないが、しかし大方無作為に伝わってきているのであろう圧力に、無表情のまま耐え、呼吸を荒げることもなく、不平をもらすこともなく、体勢をなんとか保ちながら、骨張った指先の間、不安定な平衡と平衡との間で身体を開いている古く黄ばんだ詩集を眺め、それはおそらく詩集であり、それはおそらく男がこれまで経てきたあらゆる時間をはるかに、そう、はるかに上まわるほどの長い年月のなかで黄ばみあせてしまった詩集であり、それは人生を疎んだ若者が、自己をなんらかの形で世界に記そうと思い、しかし写真を用いることはできず、また絵画を描くこともできず、半ば残された最後の選択肢として乱雑に書き上げた、自害への願望、に見せかけた純粋な自己保全としての詩集、言葉の連なり。男は詩集を読んでいる。詩集に目をむけている。黄ばんだ詩集の名は掴めない。掴むことなどできない。年月と風化の定式が、誰を特別視することもなく、平等に、すべてを蝕んでいる。

 少年はざらついた表面を撫でる。封筒の表面はざらついている。少年の指は乾いている。雷雨の訪れるはるか以前からそこに身をおいていたのだろうか、駅構内の、とりわけ末端に位置する少年の足場、壁際の足場。ざわめきの中心から先天的に離れてしまった少年を人々は少年として認識することはおろか視界にとらえることすらできない。その果てしなく束縛された現状は、明らかに、黒ずんだ眼球の欠陥によってもたらされた記憶の誤謬であり、乖離であり、まるで少年は顕微鏡に備え付けられた丸く歪みのあるレンズを通して垣間見える極めて小さく冷ややかな視界の周縁からわずかばかり外れてしまった何物でもない不溶性の描写のようであり、そういった最低限の基準にも満たない愚かで散漫な顕微鏡の与える数学的分析が幾種類もの細胞、色素、遺伝子、受容器、神経伝達物質、活動電位、血流、循環、骨格、習性といった模範的構造を成立させている事実に直面してはそれを頑なに拒み続ける天候、環境、大地、雷雨は途絶えることなく地表へと降りつづき、その激しい力にただ屈するほかない路上の人々の集まりは自らの冷えた身体を強引に駅構内へ押し込んで少しでも苦痛を和らげようと躍起になっているが、しかし駅構内はすでにあふれんばかりの呼吸音で埋めつくされており、あとから来た者どもを受容する余裕など微塵もないことは明らかで、それゆえ彼らは雷雨に打たれたまま次の電車がやって来るのを待つ、待つほかないように思える、次の電車が来れば駅構内に自分の入れるだけの余裕が生まれるはずだ、生まれるはずなのだ、そんな期待、そんな予定、彼らは互いに顔を見合わせることなく呆然とたたずんでいる、雨だけが彼らを包んでいる、水滴の湾曲した流れが彼らを包んでいる。ふと、どこかでコップの落ちる音がする。プラスチック製のコップ、コーヒーか酒か、もしくは真水の飛び散る硬い震動。だが、やはりそれも一瞬にして喧騒の底へと追いやられ、泡立ち、蒸発する。プラスチック製コップの落下は誰の耳にとどくこともなくすでに微小な痕跡さえも想起できないふらついた過去となっている。誰も気付くことなどできない。コップなど、どこにも存在してはいない。

 駅構内のざわめきを、その渦中にありながらしかし無言のまま処理しつづける黒い山高帽を被った老人。まとった外套も黒い。うっすらと埃で白い。いや、ちがう、白くはない。若干の湿気を帯びた外套は埃を目立たせない。周囲の人間の衣服によってなすりつけられたいくらかの水滴が表面に浮き、停止し、吸い込まれ、そして跡形もなく消える。その単調な反復、繰り返し、ただ繰り返されるばかりでそれゆえ外套も山高帽も黒い、黒すぎるほどに黒い。血の気の失せた凹凸のない顔面、そこに据えられた二つの眼球、黒く乾いた二つの眼球は爬虫類のように左右へ離れている。老人は盲目だ。おそらく盲目である。銀色の杖、金属製の杖を駅構内の地面、アスファルトによって覆われた地面へ突き立てている。体重はかけられていない。硬くたるんだ皮ばかりの手がのせられている、のせられている。それは盲目を補うための杖だからだ。決して二本の足に不満を抱いているわけではない。老人は盲目である。おそらく盲目なのだ。それゆえ意思のない、役割のない、目的のない眼球は、駅構内に群がる有象無象の背景で白く白濁している、雨に濡れぼそったアパートの壁、窓、排水パイプ、排気口、吸気口、給湯器、空調室外機、それらを擁する壁、壁、壁に塗り固められた旧式アパート、その奥の一室、少年の部屋と呼ばれている部屋らしき部屋を睨み、凝視し、そこで何をするともなく、いや、ちがう、何かをしている、おそらく紙かノートの上に黒鉛をなすり付けている少年によって書きつけられた文字列の黒さ、乱雑さ、その黒鉛はもしかしたら何らかの規律、韻律、単調な韻律によって支配されているのかもしれないが、そのことを少年ははっきりと、そう、明確すぎるほどに理解している、理解している、理解しているのであろうこの事実を、老人は漠然とした空想のなかで思い描き、想像し、それはおそらく老人の過去の記憶、黄ばんだ詩集を読んでいる男の若さでは決して体験したことのないような遠い過去の記憶、つまり老人がまだ世間的に少年として扱われ、老人自身も自分が少年であるということを疑わなかったあの頃、もはや盲目のかなたへ遠ざかってしまった記憶の微かな残滓なのだ。老人はその乾ききった残滓を、盲目の腕でとらえ、盲目の肉体で愛する。雨が、水滴が、線路の震えを包む。駅構内を包む。黒く蒸発して狂う。


「くだらない、本当にくだらない」

「どうしたの」

「なんでもないよ」

「ねえ、わたし、犬を飼ってるの。小さくてきれいな犬」

「見に行くよ、こんど。犬。僕も犬、好きだ」

「でも死んだの」

「なにが」

「犬」

「今はいないの?」

「新しく買ったわ」

「死んだのはどんな犬だったの?」

「忘れたかもしれない」

「そんなに前のことなの?」

「そういうものでしょ、ここにいたら全部同じ」

「そうか」

 

書き続けることでなにかが生まれることもなくただ書き続けるばかりで終わらない時を紡ぐ。僕も画家と同じようになってしまったのだろうか。僕は画家が嫌いだ。画家は筆先を恐れている。街の人々を恐れている。僕は知っている、画家が何を描いたのか知っている。画家はどこへ行ったのだろう。歩き続けてもひたすらに歩き続けても街の外へ向こう側へとたどり着けるかどうかはわからないままで何をすればいいのだろう。街の外で僕は存在していない、まさしく、いまだ、かつてないほどの躊躇、戸惑、諦念において僕は存在していない。

 

そればかりか!

 

 狂いあがった結果と原因の下降線は街の境界線を彩る。街の外には何があるのだろうかという古典的な疑問によって子どもたちの自虐はなされていく。ひとつの定型化した歩行パターンが毒牙をもって高層建築物屋上より飛来する。雨音は外壁につよく刻印された雨垂れのなかで少女のように震える。入力という入力が必要不可欠であるという言説を抱く一般市民的社会。

 

「意図することを伝える」       「丁寧な解説を求める」

「黒い染みが地面に落ちる」      「崖上の経験が留まる」

 

「日々誰かの手によって更新されるであろう新たな事実事実をさらにその上から何度も何度も塗り重ね、塗り重ね、漠然と塗り重ねていっていったい何になるというのか、求めあぐねていた答えが導き出されるとでもいうのか、苦痛も快楽もないどこかへ到達できるとでもいうのか……」

 

少年は湿った紙の上に乱雑な文字を書き連ねながら、ふと、窓のほうへと目をやる。雨の音が聞こえたような気がしたのだ、それも激しい雷雨の音が。しかし雨など降ってはいなかった。多くの人々が乾いた暑さのなかで電車を乗り降りしている、ただそれだけ、ただそれだけのことだった。雨など降ってはいない。湿った黒さもない。太陽が街を俯瞰するように浮かんでいるのが少年の部屋から見えるばかり。

 倉庫のように息苦しいその部屋の壁には黒すぎる学生服が掛けられ、窮屈におかれた木製の、いや一見木製に思えるがしかし実際は木製にみせかけているだけのプラスチック製本棚には数十年前の雑誌や小説や漫画や哲学書が並べられ、ベッドの薄い布団は朝起きてすぐの状態のままで放置されている。小さめの箪笥の上には角をまるく削られたガラス製の水槽があり、容量一杯にまで注がれた温水のなかでは熱帯魚がぬめった体を無限に光らせている。途切れることのない濾過装置の発声を耳にしながら、死んだ魚の遺体は小さな海老の集団によって分解、咀嚼されることが常で、今もそのようにして魚は姿を消そうとしている。小さな踏切の警報音が行方の知れぬどこかより響いてきて言葉は効力を失うばかりか物質さえもその輪郭を淡く溶かされて無残にも崩れ去っていく、室内。

 それら雑多な描写を重く背に抱えながら少年は使い古された学習机に向かう。学習机の上には細かい、しかし明瞭な引っかき傷がいくつも刻まれている。少年は筆記を続ける。その動作動作を照らす赤色蛍光灯の力はあまりにも弱く、窓から覗く強烈な日差しによってほとんどかき消されてしまっている。日差しを絶えず吐き出し続けている太陽。太陽の光の運動の力点。

 太陽が街を俯瞰するように浮かんでいるという事実を少年は以前から知っていた。太陽はいつもどこか街の外れにあった。雨がふればもちろん見えなくなるが、しかし晴れている日ならば美しい光暈が見える、という事実を少年はだれに教わるともなく知っていた。懐疑心など微塵も見せず、ただ、真摯に受動的に。

 そのことを口にするのは酷くはばかられるように思えた、思えてならなかった。理由などどこにもなかったが少年の乾いた唇は当然のように抵抗という抵抗ばかりをなぞりあげ、なぞりあげ、なぞりあげるだけで一向に自らの役割をはたそうとはしなかった。咽喉の奥底から沸き上がりたちのぼる青い衝動に対して少年がとる行動はいつもきまって振動、幾分かの振動の発生さえもままならないほど小さく掠れた言葉を歯と歯のあいだで行き来させながら視線を背景の輪郭、少年の前に立ちはだかるだれなのかよくわからない人間の背後へいつのまにか表出しているぼやけた、しかし抑圧的な背景の輪郭へゆっくりと染みわたらせるという何の意味も利点も見当たらない動作だった。じんわりと広がる視線のような視線、意識という意識、断片的にしか聞こえない、いや、断片的に発せられているがゆえにそれ以上鮮明な状態で聞こえるはずのない言葉という言葉。焦点を失った視界はどこか数字のようでもあり、また同様にして意味もなく並べられた数字の羅列のようでもあった。一定の基調音にとらわれた記号たちの織りなす曖昧な描写の数々。少年はその事実もやはり口にすることができなかった。風に含まれた砂を頬で受けとめるばかりでそれ以上のことなどなにもできなかった。

 いや、それもすでに過去の話であり、もはや色あせた新聞紙のなかの、そう、黒く朽ちはてた陸橋の下の砂地、太陽からも雨からも見捨てられたわずかな砂地でひとり眠る乾いた古新聞、その表面に律儀にも印刷された文字列の意味する骨ばかりとなった情報、事件のように空虚な事実なのだろうか、そこまで過去というものは廃れてしまったのだろうか。まさに、そう、その通りだ。なぜなら彼女が少年の嗜好的嗜好を促し続けたからである。少年は彼女の意図するままに衝動を発し、その度に乾いた唇は重いながらも微かにこじ開けられた。つらつらと連続していく呼吸の羅列。曖昧ばかりな描写の数々という数々。

 彼女は人々のふらちな抵抗によって壁際まで追いやられた男の読んでいる詩集のなかの黄ばみあせた言葉でいえば少女だった。少年ではなく少女だった。彼女ではなく少女だった。それは疑いようのない事実だった。同様にして少年という存在は別の言葉に置き換えられているのかといえばしかしそうではなく、男の、雨によって若干湿り気を帯びはじめた詩集のなかで少年はやはり少年のままであった。少年にも男にもそれが適切であるように思われた。少年を別の言葉で置き換えていったい何になるというのか、なんの利益になるというのか。写真を用いることもまた絵画を描くこともできず半ば残された最後の選択肢として詩という手段を選んだあの若者もそのことを十分すぎるほどに理解していたようである。少年はどんな時にも彼女から少年として慕われ、少年は少年らしく少年的な抑揚でそれに答える。少年はただそれだけで満足していた。青い衝動のもたらす咽喉の痛みも彼女によって限りなく抑えられていた。肉感的な心地よさばかりが歩速を速め、指先を熱した。だからこそ少女以外の誰に対しても太陽のあからさまな真実について口にすることができないという残酷な空調のなかで自分はこれまで生きてこられたのだ、他でもない少年が少年であるという純粋な事実によって自分は生きながらえてきたのだここまで、そう言わんばかりの表情で路地を歩いてどこか街の外れへ向かう少年は黒い外套に見せかけたなにか、妙な大きさの衣服に全身を包まれている。だれに咎められることもなく、太陽は街の表層の一部分を担い、その下で少年は歩く。どこか街の外れへ向かう、少年の歩行基準。歩行。歩行。歩行。

いや、ちがう、それは明らかな建前でしかないだろう、少年が少年であることを本心から誇示するなどとは到底思えない、馬鹿げている、少年は自らが少年であることを強く、そう強く、恥じていたはずだ、間違いなくそうだ、と、老人は直線的に交差する人混みの流れに逆らいながら思う。太陽ははるか高くまでのぼり、到るところに夏の空気が淀んでいる。電線は熱によって煌めき、アスファルトはゆらめきながらも小さく表面を強張らせる。典型的なカレンダーによって色付された携帯電話を常時気にかけながら大股で急ぎ歩く会社員らしき男の前を学生服姿の少年が黒く小さな、まるでインクの染みのように黒く小さなイヤホンより発せられる音楽、致命的な圧殺力をもった音楽の中へ意図的に溺れ沈みながら歩き、その透明な少年の五感から容赦なく排除され放棄されて既に過去も未来も現在も失われかけているTシャツにジーンズ姿の若者が無表情なままで、というより表情も感情も意志も苦痛も快楽も忘れてしまったような状態で立ちつくしているという単発な光景がめくるめいて残像を横へ横へと滑らせる。全身から汗らしき汗を垂れながしている人々の目には老人の黒い外套、黒い山高帽という格好はさぞかし奇妙にうつったことだろうがしかし老人はそこまで考えがおよばないのかそれとも人々を人々として捉えていないのか定かではないがどちらにしろ確かに表情ひとつ変えることなく道を歩き続けている。どこか、一点を、見つめているようで見つめてなどいない茫漠とした眼球、切り裂かれた瞼、ざらつく頬の輪郭、冷え切った色彩の乱舞。硬くたるんだ皮ばかりの手には銀色の杖、金属製の、歩行補助を目的とした杖が握られ、それはこつこつと乾いた音をたてながら老人の前を規則正しく動いている、右、左、右、左、左右、左右、左右に。老人は盲目なのだろうか。わからない、わかるはずもない。いま街のどこかを歩いている黒ずくめの老人の動作、外見からは、なんの確信もえることはできない。まちがいなくそれは不可能である。不可能である。確かに、不可能である。

 そして街を歩く人々にとってもやはりそんな一人の老人が持つ微かな条件など、側溝を下る汚水に沈んだ空き缶やプラスチック製包装や煙草の吸殻のようないたって無価値な何かにすぎないのだ。誰もが無価値なものなど捨てて、いや、捨てたいと思って、願って、ひたすらに先を急いでいる、せかされるように、砂に追い立てられるように、足の前後運動の往来は素早く直線的な角度で目的、目的、目的を探す。おそらく彼らも視界のどこかで理解しているのだろう、自分たちがこの動作、この振る舞い、つまり夏の日差しのなかで孤立する街の所在不明地点において途切れることなく続けられている歩行的歩行、前進的前進をいつの日か終えた瞬間、次の瞬間、間髪入れず肉体のあらゆる部位、足や腹や肩や腕や顔や頭など肉体のあらゆる部位が徐々に変化し蒸発し、腐り、熱を発し、震え、がたつき、紅潮し、その風貌その形式は何をどう抗おうとしても失われ、失われ、黒ずみ、流れ出し、二度と元の状態に回帰することなく失われ、少しずつ、言語化不可能な浮ついた、と同時に重みをもった肉塊へと堕落していくことを、彼らは自覚しているのだろう、その一連の過程はまるで濁流によってゆっくりと削られ溶けていく川岸、本来は頑丈なはずの、いや頑丈だと根拠もなしに信じられていたどこかの川岸の最後の喘ぎのようでもあり、街はもしかしたら初めからそのつもりだったのかもしれない、自分は街のような街に踊らされていただけなのかもしれない、すべては足元を漂う抑圧的な低音、基調音によって決定されているのかもしれないなどと秘められた真実に一人辿りついたかのような感覚でひそやかに呟くがしかしそれはどこからどうみても自惚れの表出でしかなく、ただただ虚しさばかりが眼球の裏側、眼窩と視神経の接続部周辺へと蓄積していく、痛みを伴って蓄積していく、蓄積していく、蓄積していく。

 

「宛名のない留守番電話がガラス戸の向こうから聞こえてきます、聞こえてくるようです、それは何度も聞いたことのある言葉でしたが、私はそれを拒絶するでもなく、逆に心地よい安心感をもって受け取りを許可しました、私は知っているのです、どこまで逃げ去ろうとしても、どこまで拒絶しようとしても、それには抗えないのです、私は描きます、言葉の届かない、深すぎる虚無より生まれ、少年から男へ、男から老人へ、老人からまた虚無へと還っていく、そうやって何度も何度も巡りめぐっていく誰かを描きます、知らないのです、少年も男も老人もまだ、知らないままなのです、私は」

 

 いま老人の横を通りすぎた女、白い、もしくは黒い、それとも青い、さらには黄色いワンピース、スカート、ズボン、シャツ、もはやどれとも断定できぬなにかを纏った女、絵画的な女、頬から額から首元から、好色そうな汗の水滴、流れを形成してはアスファルトとハイヒールの接触音、低く甲高い接触音を響かせ、いや、ハイヒールなどではなく踵をすこし底上げしただけの靴、もしくはスニーカー、もしくはブーツ、どれともはっきりとは断定できないのだが結局のところ地面に何度も接触する部位、部位であろうどこか、つまり足、靴のようなものをはいた足を、右、左、右、左、左右、左右、左右に動かしながら同時に乾燥した頭髪も揺れ動き、毛先が跳ねまわり、視界を揺れ動き、そのうちの何本かは皮膚表面を覆う汗によって捕らえられ、張り付いており、揺れ動くことはないがしかしそれでもやはり視認を妨害する毛先は多く、あまりにも多く、女はいつまでも、いや女自身が歩くのをやめない限り容赦なく続けられるであろうこの妨害に若干の苛立ちをおぼえ、呼吸を荒げ、その対策として、これもまた狂おしい汗に覆われた、それゆえ強すぎる太陽光によって照り光った手、恐らく右手を額のあたりに添え、なんとかして煩わしさからの解放を果たそうとするのだが、そのさまはなんとも滑稽で、ありふれており、女もそのことに薄々勘づいてはいるが、しかし、だからといってどうすることもできず、いまさら右手をおろすのも、また、諦めて今の状態で歩き続けるのも、女にとっては単純な苦痛でしかなく、恥辱でしかなく、となれば歩行の終結、目的地への到達を待つしかないだろうが、無情にも、女はそこがどこであるのか、どれだけ離れた場所にあるのか、そこをなんと呼べばいいのか、まったく知らず、知識を持ち合わせておらず、ましてやそこがどんなところなのか想像できるはずもなく、ありあわせの楽観的思考に浸ることすらできないため、女は女として、またひとりの歩行者として、無表情を貫いたまま、街の一角を歩き、前進するばかりであり、男はその悲劇的な姿になんの感情も、またなんの起伏も抱かぬまま、ズボンのポケットにむりやり押し込められた煙草、折れ曲がった煙草、そのうちの一本を汗にまみれた右手指先でつかみ、ライターを探す、探す、探すがライターは見つからず、記憶のどこにも、その痕跡はなく、感覚すら、たどることはできない。

新聞社の名前が大きく掲げられた高層建築物、その広大な白壁に寄りかかって立つ男は、仕方なく煙草をポケットにもどし、手持ちぶさたなまま、それを隠すようにして、頭上を見上げる。空は無数の電線によって圧縮され、圧迫され、ゆっくりとどこかへ流れていく白雲もどこか絵の具のようである。白と黒と灰色と水色。油絵具。濃厚な、油絵具。重く流れる雲の影。光。おそらくビルに阻まれて見えない太陽、より発せられる光。風の移り気によって震える電線の微かな呻き。呻き声。一定の感覚で地面より生える電柱の硬さ。電柱の連なり。電柱の調和。電柱の集団。

男の視界からは既に老人の姿など失われてしまっている。微弱な痕跡すらも残されてはいない。男の意識が電柱という電柱に塗り固められているのがわかる。気配でわかる。気配でわかるような気がするという一種の愚かさのあらわれ。男は想像する。男は想像している。男は想像しようとしてまた幼稚な疑問を呼びこむ。街のあらゆる電柱がなぜ電線でつながれているのか。なぜ孤立していないのか。なぜ人々は電柱に焦点をあわせようとしないのか。男は電柱を見る。電柱に備え付けられた幾種類もの形容を愛でる。それは解決できぬ自惚れの表象でもあろう。自惚れ、自堕落、表象。不可思議なほどに入り組んだ黒いケーブルと四角い箱、カラフルな巻貝、円柱状の太いタンク、その表面に刻まれた刺々しい凹凸、凹凸、凹凸と平行にして伸びる電柱それ自体、もしくはそれと垂直関係を保つ電線の広がり、広がり、直線的な広がり、電線は重力らしき重力によって目も当てられぬほどに弛み、落ち込み、引き伸ばされ、しかし落下するには至らず次の電柱へとつながる、つながる、つながっている次の電柱の持つ形容の羅列、つまり不可思議なほどに入り組んだ黒いケーブルと四角い箱、カラフルな横線を引かれた巻貝らしき金属端子の数々、円柱状の太いタンク、その表面に刻まれた刺々しい凹凸、凹凸、凹凸と平行にして伸びる電柱それ自体、もしくはそれと垂直関係を保つ電線の広がり、広がり、広がりによって紡がれていく電柱たちの共生、集団、基調音。彼らは孤独に耐えられない。彼らは電線でつながっている。それが何を示すというのか。いったい何を意味するというのか。男は川の流れに端を発する低い基調音に偏執しているようで実はそうではないと言っているがしかし基調音は男のなかで様々な要因として位置づけられているのかもしれない。いや、それはわからない。男にもそれはわからない。電柱が、集まりとしての電柱が、街の鼓動を耳にしながら基調音を鳴らす、かき鳴らす。まるで弦楽器のように。電柱の肉体へとまとわりついた無数の弦は振動を続ける。低い基調音を絶えずかき鳴らしては人々の視線から逃れる。街の歩行者は気付かない。もはや電柱など存在しないのか。そう、電柱を見たものはいない。誰もいない。基調音など触れたことのない者ばかり。街の雑踏は歩き、呼吸をし、男はそれを見つめている。視線が返ってくることはない。一度も。男はそれゆえ傍観を続ける。傍観の許可を得ているような気がする。雑踏は歩く。一律に歩く。もはや歩くしかない、歩くしか。

男はそうやって時を過ごす。やらねばならぬ仕事などいくらでもあろうがそれをひとつひとつこなしていくほどに男は健全ではない。不健康、男は不健康だ。いや、そうやって己を認識していること自体が冷笑の対象であろう、男にもわかっている、わかっているからこそ男は歩き始める、群衆に合わせて歩行を始める。最初、どこかへ行こうと思って、つまり何かしらの目的を持って歩き始めるが、しかし、すぐにそんなものは忘れる、忘れてしまう。日常茶飯事である、ありふれた出来事である。それ以外のなにものでもない、男もさほど気にしてはいない。

男が歩くという、ごく単純な事象によって背景は流れていく。背景は幾種類もの色彩を見せて男の後方へと流れていく。道路標識に描かれた判別できぬ文字という文字は決まって白い絵図となって空中を舞い、たゆたい、交錯し、孤立したあと、しばらくして所在の掴めぬざわめきのなかに飲まれ、瓦解され、失われていく。人々は焼かれた文字列の間々を進む、移動する。呼吸の感覚は極めてゆるやかに、加速していく。車道を走るエンジン音、その乾いた回転動作が直線をゆがめ、狂わせていく。言葉を呟く誰かはそこから逃げ去り、いつの日か、言葉は基調音に取って代わられる。それこそが最善である。もはや異論などない。異論のあるものは死んだ。広義に解釈して。背景はそればかりでなく街のところどころに刻まれた番地の記述すらも残すことなく流していく。そこで用いられる言葉、数字、記号は定型的であるがために、より一層まざりあって判別できない抽象的な暗号、絵画となって男の聴覚を震わす。男の聴覚は視覚の一部分とまざりあって判別できない抽象的な暗号、絵画となって男の肉体を蝕み震わす。いや、そんなことはなく今現在、男が街を歩いているただそれだけで他に何も起こる気配などない。確かに街のなかの建物が個々の特徴をもってそこに存在する所以などないのだろうがしかしよくよく見てみれば各々の名称を携えてこちらを傍観している背景ばかり、それは集合住宅であったり大規模店舗であったりコンビニであったり本屋であったり喫茶店であったりコインランドリーであったりレンタルビデオ店であったり楽器店であったり図書館であったり映画館であったり画材店であったり美容室であったり中古自動車販売店であったり写真用品店であったり一軒家であったり空き家であったり花屋であったり骨董品店であったり消防署であったり郵便局であったり学校であったり駅構内であったり、もはや尽きることのない名称の氾濫によって支えられている何かなのであろうが、残念なことに男にとって名称を携えた建物たちの連なりが川の流れに端を発する低い基調音以上に価値をもつことなどありえるはずもなく、つまりまったくもって無意味、無価値の象徴、想像することすらはばかられる願望、理論であることはわかりきったことで、確かに、疑いようのない事実なのであり、そういった背景らしき背景のなかに人間らしき人間が迷い込み、なんの違和感もなく生活的生活を始めてしまうというあまりにも悲劇的な述懐を想像することのないよう男はあらゆる浪費衝動を捨てて、気を使う、気を使ってしまっている。それは必然でありまた同様にして必然に似た自惚れであろう。もはや馬鹿げた告白の数々。欲求通りの沈黙。規定通りの落胆、焦燥。男は背景に気を使う。背景を背景として認識し、その限りにおいて気を使っている様子である。男はそのことに関して悩んでいるのかもしれないし、もしくはしばらくのあいだそれを歩く目的にしようと思っているのかもしれないし、いや、それはわからない、男にもわからない。だがそうやって行われる諸処の動作動作がすべて、ひとつの例外もなく深夜の排水口のかたどる渦のような影に染み込んで地中へと埋もれていき、失われていく、小さな塵の断片断片でしかないことは少なくとも明らかだ。そう、あまりにも痛々しい事実、結論、結論。もはや決まりきったことである。男も当然理解している。理解していなければこんな街など、訪れるはずもあるまい。それゆえ排気ガスの群れのなかを飛び交う番地や道路標識や建物の名称や車道のエンジン音は背景として街のどこかを流れていく。背景以上のなにものかヘと昇華することはない、そういったことが起こるなどとは到底思えない、男はそのような思考形態、曖昧な確信を口内で反復しながら歩き、歩き、歩き続け、そしていつの日か、赤く照り光った信号機により止まる。人々も規律に従って止まる。目の前を黒光りした車体が通り過ぎる。一瞬、一瞬、断絶、断絶。次は白、次は紺、次は赤、次は黒。そうやって発展していく流れの細かな分析において男は抱擁すべき関係、法則を見出す。男の眼球によってしか見出されることのない法則。視認する眼球は男の顔面にそっと誰かの手で埋め込まれた頑なな喪失感である。そうあるべきである。人々は汗を身体中にわかせてばかりで諸事情に関する手はずを整えてばかりでそれ以外の事柄に興味を持つことがないと男は確信しているようで実はほんの少しの疑いらしき疑いも同時に抱いている、胸に。そこまで丁寧に語ることはない。そうやって解析していくほどの価値はない。呆然となにかを待っているなかで雨の予感に神経という神経を高ぶらせているだけだ。興奮、性的衝動。男は突発的に横断歩道の白い図柄を踏む。人々もまた同様にして白い図柄を踏む。聴覚はいまだ基調音を捉え続ける。男が見た硬い、もしくは柔らかい、もしくは暖かい、もしくは冷たい音声が風にのって高層建築物の間々をすり抜けほとばしり、太陽より発せられた乾燥と熱の集合体、それは一般的に光と呼ばれうるものなのだろうが、そういった一種の集合体と入り交じって皮膚を刺激し痛めつける。酸素は歯と歯の間にできた小さな隙間から身をのりだして外部をうかがう。街灯がともされたかと思えばそれは眼球による幼稚な錯覚であり、速やかに逃亡経路の確保を果たさなければならないと男は急務におびえる。視線は無意識のままに前後して摩滅の一歩を踏み出す。男は理解を繰り返す。身体に覚えこませて二度と忘れないようにする。それが最善である。それが最善であろう。男のなかの数少ない経験から言ってそれがやはり最善なのである。

 男は所在不明のどこかでひとり立ち止まって何かを見つめる。雑踏は止むことなく進み、呼吸し、汗をかき、男だけがひとり立ち止まって何かを見つめる。何かを見つめる。なにを見つめているのか、なぜ立ち止まったのか、理由は曖昧なままに立ち止まって何かを見つめる男の視線。それは瓦礫である。すり減った瓦礫の山である。

 いや、瓦礫の山というほどではない。それはまだ半壊、半壊した不燃性のアパートとして半壊した巨大な瓦礫の集積物だ。半壊した建物ほど巨大な造形物はない。まるで巨大な、まるで、巨大な、巨大な……

 建物の前面はすでに原型をとどめぬ状態にまで削り取られ、現在では破れた段ボール紙のようになっている本来の意味での床、もしくは天井の断裂部からは、何本もの鉄筋、まるで糸屑のように好き勝手に垂れ下がっている鉄筋があり、その先端には大の大人でも両手で抱えなければならないほどに大きく重いコンクリート片がいくつもいくつも括り付けられており、廃墟的な臭気をつよく吐き出しているのだが、しかし、逆に、削り取られていない残りの部分はほぼ手付かずの状態で、もちろん、家具や人間は綺麗に片付けられてはいるのだが、それでもどこか生活痕が、過去的な生活の記憶記憶が漂い、男は立ち止まってそれを見ている、使い古されたキッチン、ステンレス、窓枠、その奥に切り開かれた化学的な青空の光。

 数年前までアパートとして認知されていたはずの区画全域に敷き詰められた無数の残骸の広がり、一時的に放置されている黄色い工業機械、数分前までそこをうろついていたはずの青いヘルメットを被った労働者たち、あらゆるものの表面にうっすらと埃のような、粉末のような何かがうっすらと覆い被さり、指でそっと撫でれば文字が書けるのかもしれない。風によって舞い上がることもなく、その場でただじっと身動きひとつとらず、はたしてこれは粉末なのだろうか、それとも錯覚なのだろうか、どれだけ凝視しても納得のいく答えなど見つからず、行き場のない疲労は確実に蓄積しては言葉を濁して聴覚を尖らせる。男がたたずむ街の所在不明地点において車列の暴動は続く、詳細に、楽観的に、ふと、瓦礫のなかで動く、停止しているはずの、すでに生き絶えたはずのアパートの残骸のなかで動く、音は背景の有象無象によって掻き消されているのか聞こえない、短い四本の足で慎重に、瓦礫を越えてくる、犬。

 犬? 犬だろう。それは犬だ。どうして犬がいるのか、どうしてそんなところから犬が現れるのか、わからない。それはわからない。犬はよろめきながらも歩道の側へと進む、瓦礫を抜ける、男の足のそばを過ぎる、宛もなく歩き始める、いつか見た光景のように、再び。

 犬の毛並みは乾いている。薄茶色の身体、肋骨はおろか頭蓋骨までもくっきりと浮き出た身体、痩身。爪は黒ずみ割れ、足裏は硬くざらついている。尻尾はもはや動くことなく、ただぶらさがっているだけで何の意味もない。鼻の先は紫色にただれ、呼吸の度に軽い痛みを伴うことから必然的に、口による呼吸が主となるが、口を少し開くだけで斑点模様のついた舌がだらしなく黄色い歯列から垂れさがり、通行人はその表情を見て、狂犬病という上辺だけの名称を思い出す。狂犬病がいったいどんなものであるのか、いったいどんな苦痛を生じうるものであるのか、街の人々、つまり、何も考えず、何にも抗わず、ただただ外部から吹きつけてくる強大な支配に身をまかせているだけの多くの人々という人々は知らず、知ろうともせず、圧倒的な無知のまま、にもかかわらず、犬に対して、あれはきっと狂犬病なのだろう、狂犬病を患った犬なのだろう、初めて見た、俺は初めて見た、確かに気味が悪い、今日仕事帰りに狂犬病の犬を見たぜ、まるで薬中の餓鬼だった、なかなか見られるもんじゃねえ、いいもの見たよ、運がいい。

 犬の眼球は純粋だ、あらゆるものを見つめる。狂犬病なのかもしれない視線でもって犬は静的な街の戦争を見つめる。地面に植え付けられた黄色い点字ブロックの変化(縦、横、停止、停止、停止)を足裏で感じとりながら歩道橋の雨垂れのかたちを見つめる。マンホールの下の荒波を感じる。電柱に等しい存在となった街路樹の列の無言を見つめる犬。犬。犬。視点はとても低い。

 逃すことなく見つめる。頑なに見つめて記述する。

 一定の間隔で電車の走る線路を抱えたコンクリート製陸橋の下の砂地の廃れた新聞紙の文字列はもちろんのこと、使い物にならないガードレールや看板や自動販売機や信号機、無数の自動車、建築物、倦怠感に支配されている街の様々な事象事象を的確な記憶のなかで見つめる犬は、川原の少年少女さえも見落とすことがなく、少年少女、たどたどしい会話を楽しむ少年少女、いつのころだったか、犬をアパートの窓の奥からじっと見つめている少年がいたような気がする、彼は誰だったのだろう、いったい誰だったのだろう、老人の過去のどこかだろうか、もしかしたらそうなのかもしれない、雨に濡れぼそったアパートの壁、窓、排水パイプ、排気口、吸気口、給湯器、空調室外機、それらを擁する壁、壁、壁に塗り固められた旧式アパート、その奥の一室、少年の部屋と呼ばれている部屋らしき部屋、そこで何をするともなく、いや、ちがう、何かをしている、おそらく紙かノートの上に黒鉛をなすり付けている少年は突然立ち上がって窓に駆けより路上の犬を見つめる、犬も少年を見つめる、視線の鋭利は拡散する、街の喧騒を飲み込む、犬!

 少年によって書きつけられた文字列の黒さ、乱雑さはもしかしたら何らかの規律、韻律、単調な韻律によって支配されていたのかもしれないが、そのことを少年ははっきりと、そう、明確すぎるほどに理解していた、理解していた、理解していたのであろうこの事実を、犬は漠然とした空想のなかで思い描き、想像し、それはおそらく老人の過去の記憶、黄ばんだ詩集を読んでいる男の若さでは決して体験したことのないような遠い過去の記憶、つまり老人がまだ世間的に少年として扱われ、老人自身も自分が少年であるということを疑わなかったあの頃、もはや盲目のかなたへ遠ざかってしまった記憶の微かな残滓なのだ。


 犬は語る。

 犬は見つける。

 犬は道に転がっている一塊を発見して近寄る。

 近寄ってみればそれは死体、犬のような犬の死体。

 

 おそらく夜のうちに黒い労働者の車が轢いていったのであろう犬の死体の強張った額からは一筋の赤い血液のあとが流れていて小さな傷口が目をよく凝らせば確認できるのだがしかしそれ以外はとても死体とは思えぬほどに純潔で美しくただ一点眼球だけが白く濁っていてまぶたの狭間の奥でまるく光っている犬の死体を犬は側に寄り添ってじっと見つめている。これはなんだろう? よくわからない。これはなんだろう? よくわからない。

 犬は犬の死体を見てもそれが犬の死体だということに気が付かないようで本当に戸惑った顔をしている犬がそこにいる。

 もちろんそれ以上の発展的事象などどこにも見当たらないはずだろうがしかし人間の想像力というものは! 犬と犬の死体を適度な距離感でもって眺めている歩道上の男は犬と犬の死体という情景から汚らわしき想像を巡らせて興奮して勝手気ままに映像的物語を組み立てる、その映像その物語の中で犬は犬の死体を見て羨望の念を抱くようで男の論理からいって犬は次の瞬間、車列の行き交う道路へ飛び出し自動車の運転手(男)は急ブレーキをかけるが当然それも間に合わず左前車輪のゴム製回転が犬をはね飛ばし犬は後頭部をアスファルトの硬直に叩きつけられて裂けて吐き出してひきつって叫んでこぼれて弾けて砕け散って死ぬのか犬は死ぬのかそれは男の勝手な想像だった。

 

 ……雨はそうやって降り始めるのだ、駅構内、さらには街において。

 

 くだらない男の想像は定型的な物語によって勝訴する、駅構内、人々のふらちな抵抗によって壁際まで追いやられた男、古く黄ばんだ詩集を持ってたたずんでいる男は勝ち誇った表情で、いや表情には出さず、表面的には無機質な状態のままで勝訴、絶対的勝訴、電車をひたすらに待ち続けている人混みの苦しみの中をゆっくりと、しかし確実に一歩一歩進んでいき、老人、黒い山高帽を被った老人の傍まで近寄って呼吸して背中を押す、突然、ざわめきの中で指先と掌は力強く老人の湿った黒い外套を押す、強権なる力、老人の体がそれに従って揺らぎ、がたつき、ふらついて平衡感覚を失い、倒れこみそうになるが密集した人々の身体はそれを許さず、電車はまだ来ないのか、自分はいつまでここにいなければならないのか、そういった言葉ばかりの他者という他者、男はなおも背中を押し続け、少しずつ移動、少しずつ移動、老人と男は少しずつ移動、移動、移動していって遂には足元に引かれた黄色い直線、注意勧告用の黄色い直線、ところどころが掠れて塗装の剥げてしまっている黄色い直線を老人は目にし、対峙し、それでも抵抗などできず、それでも声をあげることなどできず、というのも男は絶対なのだ、絶対的なる勝訴なのだ、記憶の中の年月は時系列上に恐怖を配置、男は恐れている、いつかは訪れる老人を恐れている、予感に対して力を込める、一線を超えよう、超えなければならない、俺は速やかに超えなければならない、ここを、この先を。

 老人は崩れるようにして人混みから吐き出される。全身の部分部分が拡散して中心を失い、それぞれがそれぞれの方向へ伸びて縮んで踊るようにして空中へ投げ出される。駅構内に密集する人々のうちの何人かは落下する老人の姿(と同時にそれを突き落とした男の姿)を目に止め、驚き、喉を小さく震わすが、しかしだからといってなにか有意義な行動を起こすわけでもなく、それは、本能動作以上の何物でもないままそこにあり続けているばかり、茫然自失、臆病未練、街を包む川の流れのような基調音に吸収され、抱擁され、抗うことに価値などなく、駅構内に張り巡らされた広告への没入、単なる文字列と自分を取り違えてしまったかのように、あらゆる呼吸は平板であり、物理的な不自由を感じながら自由を捨てる頭部の集団、悲劇は無視され求められ、物質の虚無、果てしなさ、視線は老人をとらえるが、しかし実質的には雨しかなく、すでに永遠の反復は認められ、もう、見たことがある、知っている。

 空白を埋めよ、すみやかに。既知なるものを分類すべき。老人の身体は線路の上へ。濡れた空気が物体を飲む。苦痛は繰り返し続ける。鉄のレールでしたたかに打ちつけ破裂する「眼球」と橙色の小石の先端によってきらびやかに裂ける手の甲、折れる足首、流された象徴としての血液も赤黒さもすぐに雷雨の強行で消され泡立ち、またこれか、またこれなのか、潰されていない片方の眼球で空と男と駅構内を睨む、睨む、街を睨みつける、老人は盲目ではなかったのか、確かに盲目だったはずだ、いや、ちがう、それはわからない、基盤も基調音も忘れてしまった、わからない、川はどこにあるのだろう、街はどこにあるのだろう、駅構内は錯綜している、人々のざわめきはもはや個々の主張を無へと帰している、人々は入れ替わり、移り変わり、転化と発作を繰り返す、囲われた生成と消費の向こう側で、現在、それ以外の確証を得ることなどできない、ひたすらな、弱さ。 

街―マンション―空調室外機―給湯器―排気口―吸気口―雑居ビル―カーブミラー(顕微鏡のような)―マンホール―点字ブロック―側溝―未舗装な歩道―楽器店―コンビニのゴミ箱―バス停におかれたベンチの下のタバコの湿った吸殻―無断駐輪自転車―自動販売機―トラック―廃工場―線路―浄水場―浮浪者―改札口―ラジオを鳴らしながら歩いていく老いた男―電光掲示板―年表―アパート―集合住宅―大規模店舗―犬の死体―公衆便所―商店街―トンネル―コンビニ―本屋―画家―喫茶店―コインランドリー―美容室―ゴミ袋―図書館―映画館―画材店―中古自動車販売店―写真用品店―一軒家―街路樹―空き家―砂漠―花屋―消防署―郵便局―学校―駅構内

 人々は基調音に回収されて知らぬ間に自惚れ、自虐へ陥ることをおそれ、語ることはできず、進むことはできず、また反復のなかでたんたんと事物をながめ、ながめ、ながめるだけで何を記すこともできず、というのも最初からすべてを諦めているのであって自分が自分であるという現実の強固さ、と同時に不確かさを噛み締め、抱き締め、何をすることもなく、いや少しでも伝わることのできる言葉を探そうとするのだが、しかしどこまで探したとしても見つかるはずもなく、呆然と立ち尽くすだけで到達点など見えず、道もなく、そこがどこであるのかさえもわからず、気付いた頃にはすでに彼女はいない、そう、どこか、遠くへ、どこか、声の届かぬ遠くへ、痕跡を探すために訪れる男、書き記して残そうとする男、それもまた幻影として処理されるだろう、事細かに、詳細に、線路は寸断された。

 重要なのは絶えず押し寄せる根拠のない、それでいて曖昧な小波のような不安に打ち克つことなのだ、打ち克つことなのだ、打ち克つことなのだと老人は、苛立ちながら、諦めながら、自問自答のごとく呟き続けるが、しかしその小さな声は、基調音のようなざわめきのなかへ、一瞬にして飲み込まれ、磨滅し、融解し、老人自身でさえもその痕跡をたどることはできず、また、雨の線路上でいつまでもうずくまっている悲劇的な老人を轢き殺すはずの電車も、死も、終わりも、いっこうに訪れる気配などなく、すべては繰り返していながら同時に孤立しており、過去も未来も記憶の不確かな残像でしかなく、現在その場においてどれだけ求めようとしても、指先は空振るばかりで前進せず、今、自分は循環における街の一風景に沿って生きながらえているのだろうが、しかし、言葉の伝わる範囲は目の前のどこか隔絶された肉体にしかなく、何を、発しても書き記しても、基調音のような一定の規律に飲まれ、飲まれ、飲まれるだけで、消耗、摩滅、砕け散り、速やかに、僕はいないと決断される。

 

きっと誰もが自覚しているのだろう、自分が生まれ出でるはるか以前から脈々と受け継がれ、手渡され、精査されることもまた是正されることもなく延々と受動的に引き継がれ、いつか腐敗した一規律へと堕落するであろう自らの状況が、あらゆる可能性のなかで最も心地好いものであることを、確信しているのだろう、確信しているのだろう、僕は息苦しい」

 

 基調音に犯されてしまった街。訪れる電車はまだ来ない。いや、もしかしたら街が訪れるのも知れない、電車の方へ。そういった思考転換は一種の娯楽に過ぎない。安易な気休めに過ぎない。それでも逃れることはできない。なんという構造、なんというためらい。追い続けるものはなにか。片言の弁解ですべては済まされるのか。

 

 古びて軋む車体は数十万もの人間から発せられた重苦しい体臭を永遠とも思える月日のなかで吸い込み腐敗し、風を切る。太陽が無数の影を吐き出す。細く長い蛍光灯を備えた天井には色彩豊かな広告が垂らされ、汚れたつり革が並び、埃を含んだ冷気を発する空調がいくつもいくつも穿たれ、音をたて、その真下では額に腕に汗を浮かべた少年が背筋を曲げた状態で座っている。それはまるで苦痛や虚しさから一時でも逃れようと、身を守ろうと、うずくまっているかのようであり、また、同時に、うなだれ、絶句しているかのようでもあり、その斜め向かい側では黒い外套、黒い山高帽姿の老人が、固形化した諦観に包まれながら座っている。少年のありふれた動作など気にもせず、なにも発さず、ただ座り、電車内の風景に埋もれたまま電車は絵画のように固定され、微動だにせず、変化を見せず、黙々と、走り続けるばかりで他はない。金属製のパイプで構成された荷台にいつの日のものかわからぬ新聞紙が置かれているがそれはもしかしたら新聞紙ではないのかもしれない。老人と少年のどちらも荷台に置かれた古新聞などまるで最初から存在していないかのように振舞っており、その理由は当然のことながら古新聞に古新聞なりの価値がないからだろう。そういった状況からもわかるとおり、この激しくも醜い直方体の速度のなかでは誰もがすぐに自分が街へむかっている理由など恐ろしいほどの正確さで見失ってしまい、彼らはそれに抗うことすらできないでいる。

 同様にして、電車の座席でゆれる男は自分が今むかっている場所、様々な鋭角に囚われたまま抜け出せずにいる場所、街、そこがいつから街と呼ばれるようになったのか知らない。男は知らない。もしかしたら過去のどこかで少女に教えられたことがあったのかもしれないが、そんな仮定は無意味だ。結局のところ、いま覚えていないことに変わりはない。男がなぜ由来の知れぬ街へ訪れようとしているのか、男がなぜそこを街として認識しているのか、男がなぜそこを街として嫌悪しているのか。誰に聞いても答えは返ってこない。当然。そんなことは当然だ。誰に聞いてもあからさまな戸惑いの表情を浮かべて立ち去られるだけで解決の糸口など掴めない。男は窓の外を流れる風景とも言えぬ風景に瞳を結わえながら、太く強張った指先で上着のポケットをまさぐり探し、湿ったメモ帳とペンを取り出して、そこへ乱雑に書き連ねる、彼らが答えを知っているなんてそんな簡素な期待に溺れるほど自分はもう幼くない、と。筆記された文字列は痙攣を起こしたように震え、飛び上がり、崩れ、結合し、曖昧な輪郭となって意味の読み取りを拒む、一種の絵画のようだ。乱雑な協調性によって描かれる絵画。言葉は無限に精細さを失って逆に単調となり、定型的なリズム、予測可能なリズム、ごくわずかな変動など尽く無視されて一塊の大きな集合体として名付けられる、例えば街のように。

いや、電車の進行につれて条件は幾度となく転換し、回転し、横転するものであり、ここでもまた、記した言葉はすぐに無価値となるだろう。車外の温度は昼夜を問わず著しく変化していき、湿度も日付も時間も緯度も経度もあてにはならず、気付いたときにはすべてが一変してしまっている。先程までの知識、経験、理論は現在という安易な規定の奥深くへと沈められてしまい、声など届かない。瞬時に否定の烙印がおされる。肯定ばかりが軒を連ねて無理解のままにわめき散らし、筆記に浸っていた数分前の自分を拒絶する。

 そうだ、それが常なのだ。いま文章を書き連ねているのは輪郭を持たぬ所在不明の誰かであって、男などではない。男以外の誰かが必死にペンを走らせている、明かりのない部屋で。なぜ、そんなことが起こりうるのか。わからない、それはわからない。わからないがしかしそれは確かだ。確かに思えることばかりが永遠に落下して腐敗する倉庫のような部屋なのだ、ここは。

 湿った紙の上に並べられた読むことも聞くこともできない文字列の波。ところどころインクが擦れて無様にも潰れてしまっているなにか。行方の知れぬどこかより小さな踏切の警報音が聞こえ、誰かはふと窓の方を見るが、そこには分厚いカーテンがひかれていて外の様子をうかがい知ることはできない。鋭い眼差しで室内をただよう小さな警報音をにらみ、にらみ、電車の通過する音が聞こえて踏切の気配が消えるとすぐにまた筆記をはじめる誰か。もしくは続ける。もしくはつぶやく。そうやって終わることなく書き連ねるのは輪郭を持たぬ所在不明の誰かであって、男などではない。

 そう、実際のところ男はすでに書き飽きてしまっているのだ。男という文字も、女という文字も、少年という文字も、少女という文字も、老人という文字も、街という文字も、みんな書き飽きてしまっているのだ。かろうじて出来ることといえば、病弱な視線で文字列を追いかけたり、ただ平然と受け流していったりするくらいで、男の関節は何の生産性もない動作音によって際限なく埋め尽くされている。録音された衝動、性的衝動。見境もなく押し寄せてくる叱責の声の広がり、とても小さく細かい。男はつぶやく、男は必死につぶやく。つぶやくことでなにかが少し、好転するかのように思えてくるのだが、しかし、そんなことはなく、まったくなく、あからさまな恐怖としての過信は絶えず喉元を侵してまわる。動物的な回転によってかすかに洩れる痙攣、緊張、理論主義。頭部後方より進行してくるなめらかな衰退の気配に怯える感覚に怯える判断に怯える客観らしき客観。男は乾燥した唇から意味として収斂することのないような混迷した言語言語をつぶやき果てて落胆し、蒼白し、再びまぶたを閉じる。そう、再び閉じる。他に手立てなど無いように思える。道は閉ざされてしまったかのように思える。

 男が視界を閉ざしたのはいつのことだっただろうか。眼球を隠して眠ったのはいつのことだっただろうか。潰れた布団のざらつく手触り、埃。圧迫される肺、喉に詰まる不自由、繊維。残念ながら、もう、忘れてしまったようだ。はるか彼方の過去で捨て去った記憶、記憶の断片。男は忘れてしまったようだ、記憶の断片は痕跡を残さない。絶えず吹きつける風によって形成されたどこかの砂漠の表面ように、すべては押し流され、すべては消えていく。

 そうやって自分の為してきた行動それすらも忘れて不確かになって前後関係など無意味、無価値の象徴、明日も明後日も明明後日もみんな昨日となんら変わりなく続き、区分する言葉も見当たらない。男は知らぬ間に、突然、アパートを訪れ部屋番号の確認、わずかに残された直感をたよりに錆び付いた郵便受けをながめ、ながめ、宛名の書かれていない手紙を探す、探す、探すがそんなものはあるはずもなく、諦めて階段をかけ上がる。埃と砂にまみれたコンクリート製の足場は異常に狭く不便であり、途中子供たちのわめき声が聞こえる、判別できぬ塊のような声、ざわめき、近くの公園で野球でもするのだろうか、そんな記憶がよみがえる、男は姿の見えぬ子供たちの集団に怯え震えながら階段をのぼり廊下をあるき、ガス計測器の向こう側、緑色の鉄板、扉、立ち止まることすらも許されていないようで、男は間髪入れず扉を開いて中へ入り、靴を脱がぬまま乱暴に、どんどんと、押し入って奥の部屋、少年の部屋と呼ばれうるどこか、倉庫のような息苦しい部屋、途切れることのない濾過装置の発声を耳にしながら、死んだ魚の遺体は小さな海老の集団によって分解、咀嚼されることが常で、今もそのようにして魚は姿を消そうとしている、小さな踏切の警報音が行方の知れぬどこかより響いてきて、言葉は効力を失うばかりか物質さえもその輪郭を淡く溶かされて、無残にも崩れ去っていく、室内、において男は僕を見つける、筆記を続ける僕らしき僕、無言のまま座っている僕らしき僕、犬を思い返している僕らしき僕、男はなんの躊躇もなく僕の手元から湿った紙を奪い、握りつぶし、窓をあけ、いや先に分厚いカーテンを開いてから窓をあけ、湿った紙の屑を投げる、遠くへ、目一杯遠くへ、飛ばす、投げ飛ばす、力の限り、飛ばす、投げ飛ばす、僕はその姿を見つめ、見つめ、ただ見つめ、何を思うこともなく想像を終える、感じることなく、欲することなく、もう為されてしまったことだから仕方がない、男がどれだけ否定しようと、為されてしまったのだから仕方がない、今この瞬間、すべては為されてしまった、すべては完了してしまった、その証拠として雨は降り続き、老人は少年に封筒を手渡す、駅構内、茶色く乾いた封筒のなかには湿った紙が納められていて、老人を線路上へ突き落としたとしても少年から封筒を奪い去ることはできない、もう、変えることなどできない連鎖の発端が、重苦しい空間と空間の狭間でまたたき、反転し、炸裂し、視認しうる物体の表層、あらゆる表層が白く白濁とした風景となり、何度も何度も同じ言葉を繰り返し、繰り返し、まわりにまわって街を訪れ、砂漠を包み、彫像のような犬の目線から、地図は構成される。

 語りつくせぬほどの多大な順序が自らの生まれいでるはるか以前より徹底して地上を流れていたなんて僕は知らなかったようだ。僕は想像する。僕は発想する。駅構内に電車が訪れる。待望の電車だ、みんな喜ぶ。だがその電車は急行である。時間に追われる急行であった。寂れた街の寂れた駅に止まる余裕などあるはずもなく、電車は駅構内の雑踏を軽やかに捨て去ってどこか遠くへと流れていく。みんな呆然と立ちつくしている。街全体を震わすほどの爆音が耳をつんざく、まるで機械のようだと思う。黄色い工業機械の表面には埃か砂か判別のつかない汚れが浮かんでいて男は少し気分が悪くなる。音がうるさい。内臓がひっくり返って痙攣を起こし、口から飛び出て破裂してしまいそうだ、なんてありふれた考えを持つ、持たざるをえない、状況。自分はいつまでここにいればいいのだろう、雨のなか、駅構内で、一人、集団において、孤独なまま、物理的な、接触のまま、とばかり悩んでいる人々の姿は小さく、大雑把、まるで潰れたインクの染みのようであり、かと思えば一瞬だった、一瞬、の後、駅構内には誰もいない、僕だけが一人封筒を持って駅構内に立ちつくしているという奇妙な白黒映像がうつし出される、脳に、思考に、街に。

 

 ありきたりなことばかりだ。

 

 僕はいつもそう思っている。

 

 君が街を捨てたのは正解だった。少なくとも僕はそう思う。こんな街にいたって、なにもいいことなんてないだろうから。すぐに捨てちまった方がいい。君が街を捨てた日、僕は学校にいたのかもしれない。自分の部屋にいたのかもしれない。歩道のなかにいたのかもしれない。よく覚えていない。でもいま憶えていないからといってそのときショックを受けてなかったってわけじゃないんだよ、うん。僕はぐったりだった。君がいなくなるなんてまったく想像してなかったからだ。驚いたよ。すこしへこんだ。いや、いいんだ、僕はそれがベストだと思うから。君がベストだ。間違いない。こうやってひたすらに書き続けてるのも結局、君のことを羨ましがってるんだよ、たぶん。僕はそう思うな。確証なんて無いけれど、きっと、そんな感じのことなんだろう。君は今どこにいる? 街の外で元気にやってるかい? 僕は元気さ。見ての通り、ペンだって持ててる。僕は元気だよ。君はどうなんだい?

 

 言葉はうねり、回転する。湾曲しては、流れる川。設計通りに組み立てる。何度繰り返せば気がすむのか。目の前を規定の数値が通り過ぎる。読みあさった本の一言一句をそこに書き写す。沈みゆく真夏の日差しの革命。

 街も川もそこには何一つとして存在せずただ茫漠とした平野が広がっているばかりでなんの生産性もなく、しかし少年はいまだそこに存在し続けているのであり、永遠とも思えるような反復の最中で少年は気付かぬ内に男になり老人になり白骨となり様々なものを体験しながらそれを誰に伝えることもできず、いや、君に伝えることなどできず、一人、息絶えて、消える。

 そんな悲劇を書き記し、遺書として封筒へ叩き込む。それからすぐに嫌気がさし、見るものすべてが陳腐となる。だがそれでもいい、僕は後悔などしていない。僕は今を生きている。僕という人間は今にしかおらず、過去の僕の名は僕ではない。どこまでも、たどり着くことのできないままで、僕は僕としてありつづける。唇はとても冷たい。またいつか会えるんだろう、わからない。

 

 そして一人たたずむ駅構内において少年は茶色く乾いた封筒を開ける。中には湿った紙が入っている。文章。読み上げる。

 

 

 

 

「                  」

 

 

 

 

 僕は環状線の電車の座席でこれを書いています。君はいません。どこにもいません。僕は書いています。窓の外は雨です。街はどこですか。街はどこにあるのですか。


この本の内容は以上です。


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