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その一見して娯楽のような、搾取のような言葉は小さすぎて聞こえず、聞こえないまま曖昧な微笑みで返した男はひとり、女と別れて歩く、夜の街を歩く。日の落ちた街、模造された街、集団的な人々の交換と売買が息つく暇もなく行われ苦しみ、楽しみ、疲弊し、忘却し、平凡な会話の行く末にあるのはそうやって簡素な重みのないゆるやかな別れでしかなく、要因、ネオンの響き渡るつややかな茫漠とした電光が昼間のうちに熱せられた道路や囲いや建築物の壁面にうっすらと食いこみ、広がり、ありとあらゆる動作音の混ざりあい分別のつかなくなったざわめきが顔という顔に反響して狂わせる神経――各部の機能のそれぞれを一括統御するための刺激の伝導路として働く細胞の接続――ひたすらに断裂を促し、促すが無意となる結論。街灯の間隔、おぼつかない歩幅で計って忘れ、用途不明の情報ばかりが脳裏をよぎる、映像がまたたく。すれ違う人々の閉じられた口から発せられるまるで平均のない、それでいて強固な、絶対的な中心の構造を読み取り、忘れ、しかし読み取ったことは忘れず、いつまでも炸裂の寸前で停止している。型通りに動く、歩道の指図に従う、作りあげられた画面の端々で嘔吐する。発汗した子供、睡眠する浮浪人、夥しい解説と疑問の弾けて息を止め、奇妙な模様の浮いている頭上で漂う雲や鳥や虫たちの行きつき帰りつく場所――おそらくは誰の目にも映らない狭間――地図上には存在しているものの黒すぎる目には映らない微細な衝動、概念、水泡、輝く水泡、鼓動する水泡、決して消滅することのない白色の水泡に自らの漆黒を強められた街のなか、交差する信号を拒絶し、また同じ信号を発する街の眼差しを繰り返し、繰り返し、繰り返す反復はさながら不明な文字列のようで、少なくとも人が、僕たちの筆跡を無視する限り、街は街であり続ける想像、空間、頭蓋に穿たれたピンボール大の綺麗な、誤差のない穴から漏れ出てくる緩慢さ、もうそれ以上同じことをひたすらに続ける勇気などなくとも――激怒が粉砕する骨格を埋めつくしていようとも――すぐさま新しい、それでいて同様の労働が課せられる循環、観察される循環、腐敗した路肩に転がっている黒い塵袋の中身や捻らない蛇口のパイプの奥底や舗道に繁殖するマンホールの直下やすべては容易く述べられ写され恐れるものなどなにもなく、突然の既視的な痛みさえも忘れてすぐそこの新たな事実に期待し、高揚し、訪れない出来事に諦めを覚える。これまでの歴史、様相、生成と滅却を何度も繰り返してきた結果としての街の様相は、重力を焼き払った過去の自分を隠し生きる街の涯から涯まで巡り、分析し、あるものが壊れ、あるものが直され、あるものが風化し、あるものが生まれる激烈な螺旋の形容をそのままに色濃く濃密な匂いは身体の芯まで染みこみ手遅れだ、もう意識しないではいられない――それでいてことごとく焦点のあわない――透明な規律、実感のない規律、流れる川の遠く静かな基調音にも似ている、いや似ていない、いや似ている、いや似ていない、いや似ている、いや似ていない理解を求める、訂正を求める、肉体を反芻して歴とした痛みを味わってほしい。轟くもののなにもない地表に回転はくすぶり、機械の回転はくすぶり、一本の体系をなびかせる、種類や速度を見失う、車体番号も見失う、依り代も見失う、暗さでなにも見えない、あることだけがわかる、いやそれもまた足りない、それもまた足りない視力は足りない、もうすぐあふれる、解体があふれる、もうすでにあふれている、沈黙さえもあふれている。あの遠い振動が聞こえるか、いやまったく聞こえない。あの発光する輪郭が見えるか、いやまったく見えない。あの多くの添付がわかるか、いやまったくわからない。街の外へ追いやられた事実がなんであったのかすらも今ではわからない。報復しようともその根拠が見当たらない朽廃した状況下、遺骨を集めて切り貼りする味気なさを噛み締め――捨て去ってしまえばいいのか、川底に沈めてしまえばいいのか、発火装置を手にして自発的に焼却すればいいのか、煙の濁った隔絶を見あげて――すでに出つくした構成を顔面に見いだす。人間の、五感や思考に見いだす。答えは出ている、美しい模範をなぞって、露光の行き過ぎた画面を瞳孔に刻まれる。はっきりと、白く消し飛んだ匂いや触感――あと数分も経てば緩やかに崩れ落ちるままに補正され、あっさりとした空き地となって荒みゆき、すぐさま新たな風景が、過去をぬぐい去るかのように定型的に、それこそ美しく、それこそ完璧なまでに立ちあがるのであろう老朽化した油性の記述のなかにある、それこそさらに老朽化した、というより息絶えた腐乱死体のような面持ちの廃墟――おそらく生まれた瞬間の、あの晴々しい新鮮な興奮をまとった瞬間には太陽のあらゆる輝きによってあふれ、多くの視線を集め、期待をもしくは希望を全身表層部分に差しこまれ、それらをゆるやかに受け入れはたすほどの頑強なる力を発し、今もそこにかつて住んでいた一定数の男女共々の記憶の奥底に、懐かしさをもって時折反復され、磨きあげられているのであろうアパートのすでに直視されることのない風景の残像は、眼球の視神経の裏側にまで刺さり至る痛み、吸収される痛み、健やかなる痛み、突き抜けそうな痛みとなって眼球の薄い皮膜の奥の黒い内部を反転させる、ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐると模様だけが渦巻いているのがわかる。白い模様、黄色い模様、赤い模様、色の反転している模様の反転しては沸騰し、沸騰しては湾曲する表層部分に連なって無数の筋の入った虹彩が肥大化し、膨張し、瞳孔の小さく縮まっていく感覚が自然と少年の瞼を閉じさせる。ベランダから投棄された縫合糸。隠蔽された多重露光の配線。あきらかに異質で硬直した扉のついていない入口を横目でそっと覗きこんでみると、扉は蝶番から一息に引きはがされたかのように失われていて――ねじまがった金属の、変色した物質性の強調の、ほとばしり暴発した緊張感――そっと足音をたてぬようにして玄関へ入り、細く狭い廊下を進んで、土足のまま進んで――埃まみれの台所、テーブル、黒い油だらけの換気扇、青いタイル張りの浴槽に、曇った窓ガラスの蒸し暑さ、ところどころ穴のあいた襖の向こう側の、湿っていぐさの抜け散らかった畳のうえに座っている老人の、沈澱した泥のような匂いを少年は、噎せるように吸いこんで、背骨の中枢深くへ鉄骨が、冷たい歯痛のような鉄骨が、さらさらと流しこまれて血液の、微細な成分と反応し、錆びつき、集約し、硬直した指先や胴体や肩や腕や首や太股や舌先や足裏の力み過ぎて動かず、しかし視線の合致を避けたい一心で――視線の不可逆な承認を求めて――金属製の部分とプラスチック製の部分の温度がなにかしら違うような気がしてならないカメラを構えて、脂まみれの鼻頭を押しつけ、ファインダーを覗き、シャッターを押そうか押すまいかと震える腕の反発や緊張に耐えながら、判断の迫られる瞬間には決して感じられることのないようなカメラの重みの絶え間なく、伝わってくる幅1センチ程度の長めの紐の、存在している意義も役割も忘れてカメラを構えて、四角く見えづらいファインダーを覗き、自分だけの価値ある一瞬を一瞬として提出しうるその時を迎えた眼球、高ぶった眼球に映る青黒いというか紫の、斑模様が産毛の間からぞろぞろ、ぞろぞろ覗いて見える皮の弛みきった腕や、足や、子供が遊び引きちぎってしまった弾力のある、それでいて壊れやすいゴム製玩具の欠片のような、毒々しい化学的な色をした唇や、斜めに丸く、深く、黒い鼻孔の大胆にあいている、後づけされたかのように不自然に、顔面の中央で高まっている鼻柱やその左右にくっきりと、まるでペン先かなにかで繰り返し、何度も、同じところを力強く、根気強くなぞって、押しつけて、行ったり来たりさせることで結果的に、必然的に生じたかのように思えるくらい片側へ、つまり頬の側から口元へ覆い被さっている皮膚の成す断層としての皺は、顔全体を埋めつくすように取り巻き、頬は足りない食事によって窪み、瞼の裂け目は限りなく細められて光を通さず、額は広がり、耳は萎縮し、眉毛や頭髪はどれも脱色が目立っている修復不能な老人の、ゆっくりと立ちあがる動作動作を確認して思わずカメラを下ろすと、干からびた指先が突然、奇妙に素早い速度で伸びてきて、レンズの部分を掴み握りぐいと引っ張る力は少年の、はてしなく及ばない力で、握り引き寄せ動転する少年は咄嗟に無意識にカメラを手放すとするり奪われ手段は永遠に額縁の枠外へ滑りこみ、視線のまったく一致する呑まれる爆ぜるカメラを構えて、衰えた腕の、筋肉に鞭打って、長らく使われていなかった神経をなぞるようにして覗くファインダーの先のぼやけた少年の走り去る姿を、足音を、虚しさを噛み締め、しばらく呆然とした後に、まるで打たれたように、まるで思い出したように、まるで急き立てられたようにいぐさの抜け散らかった畳の上でふらつきよろめき立ちあがり、左右の裸足を引きずりながら進み、ところどころ穴のあいた襖の向こう側の台所、テーブル、黒い油だらけの換気扇、青いタイル張りの浴槽に曇った窓ガラスの蒸し暑さ、手遅れと再生のあらましの拮抗する呼吸で部屋を出て、玄関を抜けて開かれた光の強さに目が眩み、そこから見える白く白濁とした風景を、幾重にも折り重なり白濁とした風景を限りなく、そこはかとなく感知せず、まるで演じているかのようにさえ思えるひたむきさで進み、通路を進み、様々な人々の、様々な生活の、様々な記憶の充満していつまでも消えることのない集積、ありふれた集積、満ち満ちた定式の充満している個室をいくつもいくつも過ぎて、なにもかもが予測されていたかのような巧みさで朽ち果てていく廃墟の内部を消費し、階段を降りて、転げるように降りて何度か転倒し、直角に足や鼻を痛めて、既に炭化しきった皮膚は衝撃に耐え切れず、繊維の砕けて破裂する骨や血管のそれぞれの本来あるべき状態が凝固する血液によって浸されて、それでも目立った変化なく、そのまま進み行き、暗闇の明るさの冷たさの暑さのこもった四方の壁の反響する呻き声を発して誰にも聞かれず、誰にも見られず、発する老人はさらさらと一方向に波打ち揺れる胸の高さまで生え伸びた緑色の葉々の必要以上に尖り尖った視界のなかに出て、刺すような日光の直射を浴びせられ、ぐいぐいと進み続ける不安定な足元は夏の活気によって促されたのであろう植物たちの止めどない成長によって覆われ、長期的な飢えを象徴しているかのように痩せ細り、強ばり、骨張って頭部から眉間にかけてするりとなだらかな隆起が二本、露骨と言ってもいいほど明確に浮きあがってしまっている顔のその二本の隆起の先には擦れて爛れ、なかば腐ったような状態の鼻があり、わずかながらの鼻孔すらも見て取ることはできず、おそらくは呼吸もままならないのだろう絶えず口を開いて舌を垂らし、その垂らした舌も口を開くことで覗く歯茎も同様に腐ってしまっているのかどうか、その色は奇妙に赤紫を帯びていて、健康な淡紅色からはほど遠く、病の患って死にかけている犬の無機質な視線にも気づかず、いや違う、それがひとつの過程として述べられることそれ自体がなんらかの欺瞞、援助となって老人の傷ついた足や聴覚をなだめているそのことからして意図が、垂らした舌も口を開くことで覗く歯茎も同様に無視し、盲目的抑揚で進み、進めば、進もうとする意志が働いているのであろう眼前に銀色の鉄製の格子状の雨風にさらされて、防腐用の灰色の塗装も破れ欠け、茶色と黒の混ざったような色や手触りをしている刺々しい高さ2メートルほどの簡易フェンスが太陽に熱せられて細かく弾け、重い、分厚い熱をまとっている境界としてあらわれ、触れては押し返し、触れては押し返される境界の堅固な物質に阻まれて、金網を揺らし、指先で揺らし、固定された映像かそれとも連なる瞬間か区別のつかない車道の交錯するタイヤの回転音に流されて        と叫び、というより唸り、というよりささやき、ざわめきによって消え去り、顔面を近づけ、鼻先を擦りつけ、フェンスに付着していた煤のような、灰のような、黒い粉のような汚れは細かい無秩序な皺の谷間にそってこびりつき、     と唱えてカメラを構えて、ファインダーを覗き、眼球を収め、シャッターを切るが切ろうとして切れない、切っても切れない、残せないフィルムの存在が根本からありえず、不確かでありえず、提出された工程表にそって感情は組み立てられていくそのことに反旗を翻す手立ても気力も見当たらず、行っては帰り、行っては帰る意思と欲求の枯渇した肉体をくずおれ腐敗した記憶に重ねて蓄積し、        という言葉を聞いてほしい、指先の爪の先端に触れてほしい、混濁した風景のあの微細な変動を見極めてほしい――残したい、残して君に渡したい、フェンスの向こう側の君に(失われた図面の確かさで生きる君に)渡したい、反復する律動のありふれた、先の読める思いを持って、囲われた閉鎖的地帯の沸きあがり立ち上る空間に依拠して、変換する諦めの微熱を振り払い、        へのささやかな抵抗をこぼして、忘れる、既定の伝達に没して、届かない、光の酸化になびいて――

 

 

それきりもう出会わない、なにも、僕たちに違和感はないままで、


この本の内容は以上です。


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