閉じる


<<最初から読む

1 / 8ページ

ネットワークシステム【ノア】

「全ては、このネットワークに存在している」

 ネットワークに繋がれていないモノはこの世界に存在してはならない。全てのマシン、全ての組織、そして全ての人間は、巨大なネットワークシステム【ノア】により管理されている。ありとあらゆるモノに固体識別番号が割り与えられ、その番号は枯渇することもなく、再利用されることもない。

 工場で開発された製品の識別番号のみならず、製品を構成する部品ごとに識別番号は存在し、詳細な項目を含めると膨大なデータが【ノア】によって管理されている。

 

 管理されているものはモノだけではない。この世界では生命すら管理の対象として扱われている。生物の誕生と同時に監視システムは固体の識別番号を割り与え、一瞬のうちに識別番号と生体情報はネットワークシステムで管理される仕組みとなっている。

 

 この管理システムが稼動して、すでに100年以上が経過している。当然、このネットワークシステム【ノア】を初期開発した担当者は既にこの世にはいない。

 

 【ノア】はもともと生産者情報から所有者情報のルート履歴を表示し、製品の品質保証を行う単純な製品のトレース管理システムであった。

 

 すべての始まりは旧世紀に【ノア】が複数の国家間による共通プロジェクトとして仮想世界プロジェクト導入の対象システムとなったことであった。再構築された【ノア】は巨大な一企業によって開発された。

 【ノア】は、購入者によるレビューの結果や代替品の提案といった情報を瞬時に収集し、分析、結果を表示し、未来予測までを行うシステムとなった。

 

 初期の【ノア】は不具合を出しながらも特定の国々のみで運用された。

 

 

「全ては、このネットワークに存在している」

 


 企業の過剰な謳い文句は、アレゲなネットユーザを中心に世界へ発信され、次第に【ノア】の利用者は増加した。体内に埋め込む(文字通りのプラグイン)端末の標準アプリとして【ノア】が組み込まれたことが普及の決め手となった。

 そして企業が電子政府を築いた時、既に地球上に存在する全てのモノは、この【ノア】に取り込まれていた。

 

【ノア】はモノや生命をデータによって支配した万能システムではあったが、幾つかの問題は開発当初から次期検討課題として残り続けていた。【ノア】の決定的な弱点。それは【ノア】は思想や時間までを管理することができなかったことである。

 

 【ノア】の広報担当はこの問題について語っている。

 「次期改訂では思想までも管理されることとなる。思想は脳波をデータに変換することで【ノア】に取り込まれることとなる。これは支配ではなく共有なのです」

 

 【ノア】の広報担当は続けた。
 

「アナログな意思はディジタルな意思へと変換され、相手との意思疎通は完全なものとなる」

 

 この完全ともいえる管理システムから、はじき出された男がいた。

 

 彼は世界に存在してはいけない男だった。


ある男の朝

 焼き付くような太陽光。ダイレクトに脳へ送られる光信号。閉じたまぶたでも視神経に届く信号を防ぐことはできない。

 奥歯を噛み締めながら、わずかな意識で右手を動かす。右手から人差し指に意識をシフトさせ、伸びきらない指先で右こめかみにあるスイッチを押す。

 眩しかった光信号が止まった。視界の奥ではメッセージが表示されているが、おそらく不要な情報だ。

 

「もう、こんな時間か……光アラームもいいけど、やっぱ音の方がいいかもな、もしくは光の調節が必要だな」
独り言を呟きながら重い体を鈍く動かす。

「たまにはcron使ってみるかな……」

 

 定期的な行動を事前に登録しておけば無意識で会社まで到着することができる。
中には仕事内容まで登録し、仕事中は睡眠時間という猛者もいる。

 かつて「下手な考え、休むに似たり」という誰が言ったかわからない格言があったようだが、「ルーチンワーク、休むに似たり」という言葉のほうが、この時代では適切だ。

 

 寝ていた時間を取り戻すようにメッセージの履歴情報を確認する。
 視界に半透明のダイアログが表示され、未読のメッセージが表示される。

 新着メッセージは2通。嫁からだ。最重要のタスクである。

「まだ、起きていないの?」「ご飯作る身にもなって」

「……どうせ、【朝御飯レシピ】だろうが」
 朝御飯のデリバリサービスが一時期流行ったのだが、今の流行は【朝御飯レシピ】だ。【朝御飯レシピ】は朝御飯を作る一連の行動をパッケージにして販売しているサービスである。「好きな時間に好きな量を、さらに出来立てを自分で作ることができる」というのが売りらしい。

 

 【レシピ】なしで自分で料理できる人間がこの世にいるというのなら会ってみたいほどだ。おそらく、一流と呼ばれるシェフでなければ作らないだろうし、それを食べることができるのは一部の人間だけだろう。まあ、自分は嫁が作った一流シェフの複製品を毎日食べているわけで何も問題がないわけだが。

 

 

 新着メッセージが届いた。
「あなたの音声届いているのよ」

 

 そうだった。今日から音声の記録、共有システムも適用されていたんだ。プライベート設定を行うのを怠っていた。

 

 

あいつ、自分だけプライベート設定しやがって。

 

「ごめん、ごめん。すぐに食べに行くよ」
 2階の個室から1階のダイニングへ向かう。この階段はわずかながらの運動である。自分はエレベータやエスカレータといった類は好きではない。特権階級のヤツラは転送装置とかいう機器も使えるらしいが……もし、自分が使えたとしても、そんないかがわしい装置なんて利用したくない。そもそも人間さまを機械が転送するなんて意味がわからない。昔で言う…Faxのような扱いを自分はされたくない。

 

 食卓に着く。向かい側には嫁。黙って朝飯を食べている。

「今日の朝御飯は、なんだよ?」
「【朝御飯レシピ】見ればわかるでしょ」
 箸と口だけを動かす嫁。

 

「いや、会話が欲しくてさ」
「【会話レシピ】買ってくれるの?」
 箸と口だけを動かす嫁。まばたきくらいしろよ。

 

「どっちかって言うと【寝る前レシピ】のほうがいいんだけどさ」
「はい、はい」
 そっと黙って席を立つ。自分の後頭部を人差し指で掻きながら、黙々と朝御飯を食べる嫁の後ろに回る。

「……モード変えとくか」
 後頭部のスイッチを押す。【ツン・モード】から【デレ・モード】へ変換するか。

 

「あなた、今日はいつ帰ってくるの? 会社休めば?」

 

 手のひらを返したかのような嫁の変わりっぷり。これがたまらないわけだが。ま、本当のお嫁さんを手に入れるまでは我慢だ。
 近年の統計データにおける未婚率の増加は、生涯のパートナーがアンドロイドでいいからだろう。

 男が結婚したいと思っても、女性は女性で理想の男性アンドロイドを持っているし、この時代に生身の人間と結婚なんて普通にありえない話なのかもしれない。恋愛の駆け引きが楽しいといっている奴等のほとんどはイケメンだ。奴等は勝った状態で駆け引きを楽しんでいるにすぎない。

 

ニヒルな笑みを浮かべ俺の嫁を見る。

「男は愛するもののために働くもんだ」

もちろんプライベート設定でつぶやいた。


輸送車両が運ぶモノ

別れを惜しみ家の外まで送り出してくれる嫁を背に駅まで歩く。


「今日は晴れか。午後12時より曇り。午後14時より午後16時まで雨か。……よしっ!」

 巨大なドーム内に構築されたコロニーでは気象庁が天気を投票結果で決めている。天気は事前申請である程度の得票があれば思い通りの天気になるわけだ。
 【晴れの日推進会】とか言う晴れの日だけを申請する輩がいる。だから自分はあえて雨を申請している。雨の日を考える善良なドーム民たちの思いが実った成果が雨の日なのである。

 

 天気マニアになれば、翌日の天気などは天気予報などを見る必要はない。天気マニアは前日のレコメンド商品を見ることで翌日の天気を予想する。レコメンド商品に傘が入っていれば間違いなく配送日の翌日は雨だ。

 このコロニーでは未来は決められている。未来を決めるうえでの不確定な要素は可能な限り排除されている。これはコロニー運営だけでなく一般生活においても有益なことが多いため未来決定志向に対する反論者は少ない。

 未来を知りたくなければ未来を知らなければいいだけだと未来決定信者は語気を荒くして言う。まあ、自分は未来決定信者と戦う極めて少数派の未来決定反論者の一人である。

 

 新着メッセージが届いた。

「まもなく輸送車両が到着します」

 ドーム内を定期的に周回している輸送車両が駅に到着する。この輸送車両は5分以上の遅れが発生したことは無い。

 

 輸送車両に乗り込む。車両は6両編成。席は余っている。いつもと同じ顔が並んでいる。

 

 新着メッセージが届いた。同じ車両で通勤している同僚の4410だ。社員番号が4410だったのでそう呼んでいる。
「音声をプライベートモードにしてないだろ?」

 あわてて自分の音声をプライベート設定を行う。エリアチャットでは音声データが行き交っていた。プライベートモードの設定を忘れている乗員が多いようだ。

「エリチャの設定忘れていたな…出かける前のあのセリフ、誰にも聞かれていないだろうな」

 

 4410が自分の右隣に座る。手に何か持っている。

「なあ、おもしろいもの手に入れたんだ。見てみるか?」
「ああ、どうしたんだよ。急に」

「これ、ドームの外から手に入れたんだ。これ、検索してみろ」
「ん? 登録されていないものか」

「そう、そうなんだよ。珍しいだろ」

 ドーム間の通勤を行うものは少ない。ドームの外は環境汚染が激しいためドームの外には出ることは禁止されている。ドーム間の移動を行うためには、双方のドームの許可が必要という規律まであるくらいだ。

「これは2つある。1つ、やるわ」

 自分は差し出された未登録のモノを受け取るとスーツの内ポケットに入れた。

 

 会社に着きデスクワークを行う。あの未登録のモノが何であったかが気になったが、業務が忙しく定時まで確認することは無かった。

 もちろん定時になったら帰宅する。定時退社デーだったからだ。何も悪いことはしていない。

 自宅のドアを開ける。三つ指を立てて頭を下げた【デレ・モード】の嫁がいた。

「おかえりなさいませ、ダンナ様」
 晩御飯を食べ終わると、気になったモノを検索した。

 

-----------------------------------

【石】

ただの石。

-----------------------------------

 

「なんだ、ただの石か」

すでにネットワークシステム【ノア】にはデータが登録されていた。
しかし、一時登録のせいか参照可能な情報はわずかであった。次第に情報が付加されていくのだろう。

 

 翌日も同じように輸送車両に乗って通勤。
「誰か一緒にいけるやつがいたらなあ」


招かれざる訪問者

 会社の最寄駅が近づく。輸送車両のインタフェースに降車メッセージを送信する。

輸送車両は緩やかに減速し、駅の停止線ぴったりに停車する。

「今回も失敗だったか」

 ギリギリのラインで輸送車両のインタフェースに降車メッセージを送信すれば、停止線を越えるのではないかと些細な通勤時の楽しみをしているのだが、どうやら他に降車する人間がいたようだ。

「もしや、cronで停止ラインギリギリのメッセージ送信タイミングを制覇している奴が、この中にいるのか」

降車する人間を見ても該当者はいない。

「まあ、もしも止まらなかったら困るからな」

 

 考え事をしながら輸送車両から降りる。ここからは徒歩だが駅から5分程度の距離だ。
 空調の利いた会社の自動ドアが開くと同時に新着メッセージが表示される。

 

「勤怠データが更新されました。本日は定時退社日です」
 識別番号と体内デバイスに組み込まれた位置情報送信装置で勤怠の管理が行われている。

 ちなみに「本日は定時退社日です」のくだりはカスタムメッセージで自分で追記したメッセージである。気持ちはいつも定時退社。それが信条である。

 

 会社では空いている席が自分のビジネススペースとなるわけだが、自分にはコダワリの席がある。

 【1F東側の窓際の席】。

 これが自分のコダワリの席である。なぜなら最も人目につかない場所であるからだ。そして、季節の景色が最も色鮮やかに鑑賞できる場所でもある。cronで作業しているフリをしている会社員は知らないだろうし、興味の無いことだろうが。

 

 自分の体内デバイスのみで作業は可能であるが、会社の端末を使うことでビジネスエリアに設定した利用者と情報を共有することができる。
 情報は既に十分すぎるほど公開されているため情報漏えいはさほど問題にはならない。ただし、プライベートな部分の情報漏えいが問題になることが多いのは人類が智恵を手に入れた頃から何一つ変わっていない。

 新着メッセージが届いた。

 

「【緊急】お客様からお呼び出しです。1F応接室へ向かってください」


 ……緊急ねえ。強制割り込み機能を持ったメッセージで送信が行われている。cron会社員の対策の一環だ。今やほとんどの業務メッセージには【緊急】という接頭語がついている。

「本当に緊急なのかと問い詰めたい。小一時間ほど問い詰めたい」


 

 ビジネススペースに展開されたディスプレイを消去し席を立つ。黙々と作業をしている振りの会社員を横目に応接室へ移動する。既に来訪者は応接室の中にいた。

 


 

「すみません、遅くなってしまって。どうしても離せない作業がありましたもので」
「いえいえ、私の方こそアポなしで訪問しておりますので」
 どうやらお得意様のお客ではなさそうだ。営業マンか、何かの監査団体だろう。
「ところで、どなたさんなのでしょうか」

「名乗るほどではございませんので」

 旧世紀では名刺交換等のやり取りを行ったり、相手に手袋を渡したりしたようだが、このご時世では検索しておくのが常識である。


 すでに相手の検索は行っていた。しかし、検索結果が表示されない。

「ん? ちょっと待って下さい」

「あ、私、登録されていませんので」

「ああ、そうなんですか」

「私、こういうものです」

 来訪者は紙を差し出した。四角い型紙に印字された……なるほど、これが名刺というものか。

 

【ノア】エリア代表補修人 カジキ

 

 

「なんか、すごい人のようですね」

 自然に出た言葉はお世辞と本音の入り混じったものだった。
「システムのメンテナーです。簡単に言うと修理屋です」

 冷静にカジキという男は応えた。
「で、どういうご用件で」

 

 

「あなたにエラーが見つかりました」

 

 

「はぁ?」


予期せぬエラー

「もう一度言います。あなたにエラーが見つかりました」

 

「え? はぁ?」

 

「聴覚、思考データにエラーは出ていないはずですが、もしかしたら」
「確かに自分は頭の出気が悪いかもしれませんが、それは元からでして、その、なんていうかエラーと言われるのは心外ですが」
「いえいえ、あなた自身がエラーではないんですよ。あなたの体内デバイスがエラーだということです」
「なるほど、では修理してください」

 

 

「それが無理なんですよ」

 

「へ?」

 

「ご相談にあがったのは、無断では削除できない法律になってまして」
「削除。削除ってどういうことですか」

 

「あなたの代わりをこちらで用意するので、同意をお願いしますという確認です。あなたはいなくなります。しかし、世間一般的にはあなたは存在していることとなります。固体識別番号もそろえますので、この世間的に問題ありません」

「問題ありですよ」

「ほとんどの方がそう仰いますね」
「で、自分は死ぬことになるんですか」

「代わりのあなたは生き続けますよ」

カジキという男は冷静だ。この不毛なやり取りに慣れているようだ。

 

やばいな。このままだと消される。なんとかして自分が生きることを正当化しなければ。

 

「【ノア】の関係者ならご存知ですよね? 【ノア】は生命すらも管理したと公言していますが思想や考え方までは復元や複製はできない。これは過去からの【ノア】の永遠の課題ですよね。実際には、あなたたちは生命について何もわかっていらっしゃらないようで」


 

 自分の発言にカジキという男の眉が動いた。この問題は【ノア】の関係者にはタブーの領域である。

 

 

「はい、あなたの思考にもエラーがあるかもしれませんね。【ノア】は完璧です。まあ、説明を聞いてください」

 そう言うとカジキは我に返り、定型作業のように話を続けた。自分の発言について、うまくお茶を濁された感じだ。

「あなたの体内デバイスにメモリリークが発生しているようなんですね。原因はバグとは言いにくいのでウイルス感染だと考えています」
「なるほど、バグではないと。あくまでウイルス、ウイルスと。ウイルスによる不具合と」

「類似障害がありまして間違いありません。一番怖れているのは、外部への感染を怖れているわけです。もし、あなたのコンピュータウイルスが飛び火してしまうとパンデミックが発生するわけです」
「では、そのパンデミックの対策はどのようにするんですか」
「あなたと通信を行った端末の隔離と検疫、あなたと感染者の削除」

 

「そういうことですか」

「そういうことです」

 

やばいな。これは。自分の体内デバイスがおかしいのは事実なんだろう。でも、どうする。

「家内に相談したいのですが」

「あなたに家内はいませんよね」

 

「では、親に」

「ご両親はいませんでしたよね」

 

「弟と相談したい」

「弟さんがいらっしゃったんですか。ま、期限がありますので、明日にはあなたを削除します。代わりのあなたも用意いたします。最期の一日を楽しんでください」

 

「長い休暇になりそうです」

「ええ。では、ただ今より、あなたはロストナンバーとなります」

「そうですか」

 

「データの移行期間がありますが、あなたの権利はすべて、代わりのあなたに委譲されます」

「そうですか」

 

「つまり、あなたはいつ殺されてもおかしくない状態になります」

「そうですか、では、私は家に帰ります」

 

「今から作業開始しますが帰りの車両は乗れると思います」

 


 はあ、人生オワタ。



読者登録

アリソンさんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について