目次
3月はなだれの季節
3月の星座 おおぐま座
春の天気は忙しい
うららかな春
桜の樹下で
春の蜃気楼
地球の気温
運気学「二の気」
仲良しのふたご座
巨大かにと怪物へびの友情
チューリップバブル
女の子のお祭り
世界の卒業・新学期
プラセボ効果と健康食品の存在意義
肺の老化  
食養生について
男性と女性の老化パターン
人はどんなときに病気になる?
ストレス太りは何故起こる?
胃腸の冷えと花粉症
発がん要因をチェックしてみましょう
食物アレルギー
ワカメの色の神秘  
食物酵素のお話
カレーの歴史
麺類の仁義なき戦い!
お肉柔らかな素
朝食定番メニューに豆乳
戦国武将はどんなものを食べていたのか?
美味しく体に優しいキャベツ
食文化を変えた工場食品たち
風邪に効くお茶
病気になったらはじめる養生
要介護にならないために!
過ぎたるは及ばざるが如し
季節野菜の効用
日本食は庶民が発展させた
<電子レンジ簡単レシピ>ま~るいオニオンスープ
<電子レンジ簡単レシピ>白子のとろろ蒸し
<電子レンジ簡単レシピ>芋餅
<電子レンジ簡単レシピ>リゾット風ミルク がゆ
なぜか身近に感じる二胡の音色
普通に出てきた物が食べられる社会
決して絶望する事なかれ
1万円出しても惜しくない握り飯
一諾を守る」の持つ信用力
幕末のアイドル坂本龍馬の実相
優秀な家臣がいても
大金持ちの財力
「高松城の水攻め」にみる黒田官兵衛の心理作戦
人生意気に感ず 功名誰かまた論ぜん
よく遊びよく働け、野村徳七の教え
慶長遣欧使節団に託した思い
スマホで変わる世の中
『古事記の神々』 その12
スコットランド式シャワー
車を安く直す秘訣 
オイル交換を忘れずに
水の色は?
ペット用携帯電話
ノロウイルスの消毒に関する注意点について
丸い氷で一杯
再生細胞の不思議   
奥付
奥付

閉じる


<<最初から読む

29 / 64ページ

戦国武将はどんなものを食べていたのか?

●意外と少なかった鮮魚

 

 2016年のNHK大河ドラマは戦国武将の真田信繁(幸村)を主人公にしたもの。では、舞台となる戦国時代、人々はどんなものを食べていたのでしょう?

 食に関する当時の記録ですが庶民がどのようなものを食べていたかというものは、ほとんど残っていません。残っているのは。公家や大名のおもてなし料理や、贈答品の記録、あるいは『往来物』と呼ばれる往復書簡、または日記に、残されています。

 魚の食べ方としては、まだ醤油が普及していなかったものの、いまとほとんど変わりません。ただ、活魚、鮮魚で食べられたのは、漁港近くに住んでいた人に限られておりました。理由は簡単。新鮮な魚を台所に運ぶまでの交通手段が極めて限られていたからです。

 よって、多くの魚は、現在の新巻鮭のように荒巻にしたり、塩干物にすることが多かったようです。ときどき記録に『無塩(ぶえん)』と書かれた魚が出てきますが、これはおそらく鮮魚のことだと考えられています。わざわざ『無塩』と書き記すほど、活魚や鮮魚が珍しかったのかも知れませんね。

 

●戦国時代、もっとも高級とされた魚とは?

 

 さて、ここで皆さんに問題です。戦国時代、もっとも高級とされた魚は何だと思います? ヒント、現在でももちろん食べられてはいますが、少なくとも私自身は東京のスーパーや魚屋さんで売られているのを見たことがありません。

答え:コイ。

 意外でしょ(笑)? あの池や川、湖に棲んでいる淡水魚のコイが、戦国時代以前ではもっとも高級とされ、公家や戦国武将の饗応料理や贈り物で喜ばれた魚なのです。

 その理由は、コイは河をさかのぼってやがて龍門に入り、龍となるという言い伝えが中国より伝わっていたため、大変ありがたくもおめでたい魚ということになっていたのです。コイは将軍が天皇家や宮家に送る最高位の魚だったのです。

 次いで高級な魚はタイ。当時の魚のランクとしては、コイは別格として、海のものが高く、次いで川のもの、一番ランクが低いのが山のものでした。タイは海の魚の最上位と魚とされていました。

 その次が関東ではあまり見かけませんが、いまでも京料理の高級魚であるハモも、記録によく残っています。これは当時、都が京都にあったからかも知れません。ハモは皮膚呼吸ができるため、海から引きあげても一日くらいなら生きているので、海のない京都の人々や、海から離れた領地を持つ大名でも鮮魚を食べることができたため、人気があったのかも知れません。もっともハモが捕れるのは瀬戸内海や九州ですから、西国大名などは好んで食べたのでしょう。

 貝類ならまずはアワビ。次いでカキ。これらの貝類も、干したものが贈答品として好まれたようです。

 

●好まれたお肉は意外にも……

 

 では、獣肉はどうでしょう? 日本に仏教が入ってきてから、獣の肉を食べることが禁止されたりして、どんどん食べなくなっていきました。しかし、もちろんまったく食べなかったわけではありません。江戸時代では薬と称して肉を食べていました。

 

 戦国時代にヨーロッパからやってきた宣教師ルイス・フロイスは

「日本人は野犬や鶴、大猿、猫、生の海藻などを喜ぶ」

「我々は犬は食べないで牛を食べるが、彼らは牛を食べずに犬を家庭薬として食べる」

 と、書き残しています。犬、鶴、大猿、猫……、現代の日本人からみたらギョッとするものばかりですね。当時の日本には牧畜の発想はなく、牛や馬は農耕用や運搬用で、食べることはほとんどありませんでした。養豚も一部の地域では行われていましたが、一般的ではなく、戦国時代の日本人が食べていたのが、野生の動物の肉だったのです。

 ではここで問題です。中世の日本において、記録に残っている食肉はなんでしょう?

答え:タヌキ。

 え? って思うでしょう。でも記録ではそうなっているのです。タヌキは主に狸汁にして食べていたようです。

 鳥肉ではなんでしょう。

答え:雁(かり)、次いで鶴、その次が白鳥。

 意外な食べ物ばかりですね。でもこれらは公家や大名の贈答品などの記録からなので、本当のところ圧倒的多数である庶民がどのようなものを食べていたのかは、残念ながらあまり記録に残っていません。いったい戦国時代の庶民はどんなものを食べていたのでしょうね?

 

(食文化研究家:巨椋修(おぐらおさむ)/絵:そねたあゆみ)2016-03

 

 


美味しく体に優しいキャベツ

キャベツは、炒めても、ロールキャベツやポトフ、スープなどのように煮込んでも甘さが増して美味しい野菜です。キャベツは、ビタミンCが大変豊富で、大きな葉1枚で一日の必要量の70%ものビタミンCを摂ることができます。また、骨にカルシウムが沈着するのを助ける働きを持つビタミンKも含まれています。 食物繊維も多く、抗潰瘍作用の高いビタミンUにより、胃腸を整える働きもあります。また、がん細胞を抑制するとされるイソチオシアナートやべルオキシダーゼがビタミンCと共に免疫力&自然治癒力を高め、 ガン予防に大きな効果があるそうです。

しかし、これらの成分は熱に弱いので、生で食べるのが効果的。トンカツに欠かせないキャベツの千切りも、実はキャベツの食物繊維がトンカツの脂肪の吸収を抑え、ビタミンUが胃腸を優しく守ってくれているのです。 

ローマ時代には薬や健康維持食として珍重されていたように、ヨーロッパが原産で、その歴史は古く、日本へは江戸時代にオランダからもたらされ、当時は甘藍 (かんらん)などと呼ばれていましたが英語読みが訛ってキャベツとなりました。キャベツには様々な種類があり、いわゆる日本のキャベツは、ホワイト・キャ ベツと呼ばれるもので、まん丸なものからかなり平べったいものまであります。白菜のように縮んだ柔ら かい葉っぱのサヴォイ・キャベツや先がとんがったシュピッツコール、ビタミンCがさらに豊富な芽キャベツなどもヨーロッパでは一般的です。 

で包んでしまうと葉が呼吸できず、早く痛んでしまうので、大きめのビニール袋や新聞紙に包んで冷蔵庫で保存しましょう。雪の多い地域では、新聞紙に包んで雪の中に入れて置く保存法がありますが、そうすると甘みも増して美味しくなるそうです。美味しく体に優しいキャベツは、現代人にも欠かせない野菜と言えそうです。

(アメリカ東海岸在住、フラウ山田/絵:吉田たつちか)

2008-03


食文化を変えた工場食品たち

●現代社会は急速に食文化が変わっている

 食文化というのは本来ならそう急激に変化するものではありませんでした。日本人は2千年間、日本のお米、ジャポニカ米を主食としてきました。明治時代、そして太平洋戦争後、パン食が入ってきましたが、いまだに日本人の主食はごはんが中心。

 1993年(平成5年)におこった米不足による『平成米騒動』では、急きょタイからタイ米(インディカ米)が輸入されましたが、日本人の口に合わず、大量に放棄されたり、あるいは「日本の米がないなら、パンを食べればいいではないですか」と、マリー・アントワネットのごとく(実はアントワネットが言った言葉じゃないけど)という人などおらず、まして「貧乏人は麦を食えばいい」などという人もおらず、日本人はただひたすら「日本のお米が食べたい」と訴え続けたことがあります。

 食文化というのは、それほどその国や民族文化と同体であり変化もしにくいものなのですが、ここ百年、数十年の科学や機械の進歩、情報化社会、国際化、交通機関の発達などによって、私たちの日常もそして食卓も大きく変化し続けています。

 食文化がそれほどの勢いで変化したのは『工場』で『製品』として、食べ物が作られ、その製品が世界中に渡って食べられるようになったからです。

●ナポレオンの時代、缶詰が発明される

 もちろん20前半以前にも、大勢の人が集まって魚の干物を作るなど、工業製品に近い作り方をする食べ物はたくさんありました。

 しかし歴史的にそれが本格的になったのは、おそらくナポレオンの時代に開発された缶詰食品ではないでしょうか?

 当時ナポレオンはヨーロッパ各地で戦っていたため、食料の保存がきいて持ち運びやすい方法を探していました。最初に使われたのが加熱殺菌した食べ物を入れたビン詰めです。しかしビンは重く割れやすいという欠点がありました。1810年、缶詰がイギリスで発明され、わずか3年後の1813年やはりイギリスで世界初の缶詰工場が誕生します。

 缶詰誕生の裏話を一つ。缶詰が誕生して48年間という間、缶切りが発明されなかったということ。

 どうやって缶詰を開けていたかというと、ナイフやノミなどを使って強引に開けていたそうです。

 缶詰は、調理した食品を加熱殺菌するため保存がきき、料理するという手間も省けるため、とても便利で一般にも普及。普通の食品だけでなく、果物やジュースにビールと、食文化に大きな影響を与えました。

●レトルト食品はアメリカ陸軍から。一般食としては日本が最初

 現在、実に多くの種類があるレトルトパウチ食品(以下レトルト食品と略す)は、1950年代、アメリカ陸軍により開発がはじまりました。

 軍隊では缶詰よりも軽く使いやすい軍用食を求めていたのです。しかし一般には普及せず、なんと世界で最初にレトルト食品を商品化したのは日本だったのです。

 その商品はいまでも多くの人に愛されている『ボンカレー』(大塚食品工業(現・大塚食品))です。

『ボンカレー』は1968年に発売されましたが、工業製品としての大量生産する食べ物は1958年(昭和33年)にすでに誕生していました。日本で開発発明されたインスタントラーメン、日清食品の『チキンラーメン』です。

 日々、大量生産、大量消費される工場で作られる食べ物たちは、確実に日本の、あるいは世界の食文化を変えつつあるのです。

 

●工場製品食品は食文化の個性を殺す?

 大量生産の工場製品食品は、いってみれば食文化のグローバリゼーション、地方や民族や国境を越えて、食品の均一化をなすものです。

 日本ならば、どこの県のコンビニにいっても、同じ商品の食べ物を食べることができるということです。いまから50年前であれば、ある地方の人が別の地方に旅をしたとき、生まれ故郷とまったく違う味噌汁など、その土地土地の料理を食べることができました。

 しかしいまでは、東北の人が九州に旅をしても、郷土料理のお店にでもはいらない限り、同じ食品を食べることが多くなりました。私が以前、北海道に旅をしたとき、地元の人のご招待だったのですが、連れていっていただいた料理店は、なんと北海道なのに沖縄料理店でした。

 北海道の味を……、と思っていたのですが、北海道の人にとってそれは当たり前で、沖縄料理の方が、北海道の人にとってご馳走だったのかも知れません。

 北陸に全国的にも有名なお医者さんがいて、友人なのですが、北陸にいったとき「最近、近所におもしろいお店が出来てさ」と、連れて行ってもらったお店が……、なんと東京の私の自宅近所にあるお店のチェーン店だったこともあります。

 つまり地方地方の食文化の破壊につながるのではないか? という意見もあります。しかし私は、それほど心配をしておりません。文化とは変化するものであり、現代という急速に時代が変化している時代であっても、その土地の食文化は、時代に適応しながら変化しつつ残っていくことでしょう。

 私はそんな時代に生まれたことを幸せにすら感じているのです。20年後、私たちはきっといまと違う、しかしいまの伝統を引き継いだ食べ物を食べて楽しんでいるのでしょう。

 

(文:食文化研究家 巨椋修(おぐらおさむ))2018-03


風邪に効くお茶

 まだまだ寒い日が続きます。体がゾクゾク...風邪かな?と思ったら、温かいお茶で体を温めてみてはいかがでしょう?

 実は、お隣の韓国は日本ほど喫茶の習慣がありません。食事の席には、水または白湯が一般的で、ウーロン茶も飲みません。逆にウーロン茶が用意されている店は日本人御用達と言っていいくらいでしょう。そして、ちょっと一息、コーヒーを飲むのも若い世代のみなのです。

 さて、韓国での喫茶文化の始まりは、日本と同様に仏教文化の影響を受けたからで、当初は僧や貴族のような限られた人々が緑茶を嗜んでいたようです。

しかし、その緑茶に重税がかけられたため、一般庶民にまで緑茶というものは普及しませんでした。

そこで、代用品としてカリンやトウモロコシなどの身近な果物や漢方素材を使った茶が広がったのです。今で言うハーブティといったところでしょうか?

このような背景からか、韓国で茶を飲むということは、食欲促進、疲労回復など健康維持に繋がるよう。医食同源の思想とも関係するのでしょう。

 そこで、体を温める茶として上げられるのが、サンガチャと呼ばれる生姜茶です。殺菌効果もあり、冷え性にもよいとされています。 作り方はいたって簡単。生姜をスライスしたものを数枚煮れば出来上がり。本来は干したナツメの実も加えるのですが、なくても大丈夫。じっくり弱火でコトコト煎じてください。生姜の香りが充満して、それだけでも体が温まる感じがするでしょう。飲むときに、はちみつをお好みの量加えます。砂糖でもかまいません。体の芯から温まります。ぜひお試しください

(韓国食文化研究家 カン美加/絵:吉田たつちか)
2005-03


病気になったらはじめる養生

 人の体には、病気になったときに治る力というものが備わっています。生き物は、全て寿命を迎える・・・という宿命をもっていますが、本来の寿命以前に起こったトラブルに関しては、全力で治そうとする力が働いています。

 皆さんがインフルエンザをひいても、しっかり睡眠をとって休めば自然に回復しますし、怪我をしても、しばらくすれば治ってゆきます。急性の病気は、一時的な原因によるものなので、比較的治りが早いですが、がん、アレルギー、糖尿病、血管疾患、認知症・・・というような生活習慣が関わる慢性疾患に関しても、習慣を改め、治る力を後押しする生活を心がけてゆけば、少しずつ快方に向かい、やがては治癒してしまうことも、数多く経験しています。

 私達が快適に生きてゆくためには、それに適応した生活の仕方、食べ物、その人らしい生き方・・というものがあります。

 例えば、車にもいろいろな種類があり、それに合ったタイヤを履き、燃料を入れ、適した路を走る・・・というように♪

 当たり前のことかもしれませんが、おひさまが上がったら、交感神経が働き、陽気が増して活動しはじめ、おひさまが沈んだら、リラックスし、副交感神経が働き休み、明日の活動に備える・・・というような自然のリズム。

 体にとってバランスのとれた食べ物を補給し、燃料を入れたら脳や筋肉を動かして消費するというエネルギーの収支。毎日を笑顔で過ごすことができる、心の持ち方。

 このような、何でもないことが、私達の免疫力、修復力、治る力のスイッチのオンオフに大きく関係しています。

 あなたがもし、重大と思われる病気の宣告をされ、気持ちが落ち込み、将来に大きな不安を抱えておられる・・・としても、焦ることはありません。

 今までの生活を振り返り、あなたに適合した生活を始めることで、本来の治癒力が目覚めてゆきます。

 治療をするにしても、しないにしても、養生は何の邪魔もしません。邪魔どころか、養生こそが治る近道と考えてください♪

(薬剤師、薬食同源アドバイザー 高田理恵)2018-03

 



読者登録

atecさんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について