目次
3月はなだれの季節
3月の星座 おおぐま座
春の天気は忙しい
うららかな春
桜の樹下で
春の蜃気楼
地球の気温
運気学「二の気」
仲良しのふたご座
巨大かにと怪物へびの友情
チューリップバブル
女の子のお祭り
世界の卒業・新学期
プラセボ効果と健康食品の存在意義
肺の老化  
食養生について
男性と女性の老化パターン
人はどんなときに病気になる?
ストレス太りは何故起こる?
胃腸の冷えと花粉症
発がん要因をチェックしてみましょう
食物アレルギー
ワカメの色の神秘  
食物酵素のお話
カレーの歴史
麺類の仁義なき戦い!
お肉柔らかな素
朝食定番メニューに豆乳
戦国武将はどんなものを食べていたのか?
美味しく体に優しいキャベツ
食文化を変えた工場食品たち
風邪に効くお茶
病気になったらはじめる養生
要介護にならないために!
過ぎたるは及ばざるが如し
季節野菜の効用
日本食は庶民が発展させた
<電子レンジ簡単レシピ>ま~るいオニオンスープ
<電子レンジ簡単レシピ>白子のとろろ蒸し
<電子レンジ簡単レシピ>芋餅
<電子レンジ簡単レシピ>リゾット風ミルク がゆ
なぜか身近に感じる二胡の音色
普通に出てきた物が食べられる社会
決して絶望する事なかれ
1万円出しても惜しくない握り飯
一諾を守る」の持つ信用力
幕末のアイドル坂本龍馬の実相
優秀な家臣がいても
大金持ちの財力
「高松城の水攻め」にみる黒田官兵衛の心理作戦
人生意気に感ず 功名誰かまた論ぜん
よく遊びよく働け、野村徳七の教え
慶長遣欧使節団に託した思い
スマホで変わる世の中
『古事記の神々』 その12
スコットランド式シャワー
車を安く直す秘訣 
オイル交換を忘れずに
水の色は?
ペット用携帯電話
ノロウイルスの消毒に関する注意点について
丸い氷で一杯
再生細胞の不思議   
奥付
奥付

閉じる


<<最初から読む

24 / 64ページ

食物酵素のお話

先回、食べすぎはよくないよ!というお話をしました。

それは、体で作られる酵素というのは有限で、食べ物をとりすぎて酵素を消化と吸収のほうに使ってしまうと、解毒と代謝にまわす酵素が不足して、体は毒素で汚れてしまうためです。

 

これに対して、外から酵素を補うという考え方があります。

これが食物酵素です。

例えば、大根おろし、生姜、生野菜ジュース、漬物、納豆などの発酵食品には、酵素がたくさん含まれています。

 

簡単な例でゆきますと、サンマ一匹を食べると、体の10の酵素のうち、8が使われてしまうとします。すると残りの2の酵素で、体を解毒代謝せねばなりません。

 

ここへ、付け合せに大根おろしをいただきますと、大根おろしの2の食物酵素のおかげで、解毒代謝に使われる酵素は2増えて、4の酵素が残るという理屈です。

ですので、お肉を食べたら、たくさんの生野菜をあわせるなどの工夫をすることはとても大切なのです。これは昔の人の智慧だったのですね!

 

お肉、お魚などのメインのおかずよりも、付け合せのお野菜にボリュームをもたせれば、十分に食物酵素の恩恵を受けることができそうです。

ちょっとした工夫で、健康が得られるのですから、どうぞみなさん、お試しくださいね!

(薬剤師、薬食同源アドバイザー  高田理恵)
2005-03


カレーの歴史

 日本最初のカレーの具はカエル?

 いまは国民食とさえいわれるカレーライス。日本人の9割は一ヶ月に一食以上カレーを食べており、4割は一週間に一食の割合で食べているそうです。

 そんなに愛されているカレーライスですが、いつごろから日本で食べられるようになったのでしょう?

 記録によると、最初にカレーを食べたのは後に物理学者となる山川健次郎が明治4年に、アメリカ留学に向かう船中でカレーライスを食べたという記録があります。もっとも山川健次郎がカレーライスを注文したのは、それが唯一の米を使った料理であり、肝心のカレーはすべて残してしまったといいますから、果たして最初に食べたといえるのかどうかは、まあ置いておきましょう。

 次に日本史に出てくるのは、明治5年に発売された『西洋料理指南』という書物。この書物にカレーの作り方が出ているのです。

 その作り方とは、ネギ、ショウガ、ニンニクを刻んだらバターで炒めた後、水をくわえ、エビやカエルなどを入れてよく煮る。さらにカレー粉を入れて煮込み、塩、水溶き小麦粉を入れるというもの。ここで現代人は“ギョッ”とするのが、具に出てくるカエル。おそらく当時の日本にはカエルを食べる習慣はなかったと思われますから、おそらく明治の日本人もかなりギョッとしたに違いありません。

 この『西洋料理指南』がヨーロッパの料理を参考にしたのか、アメリカの料理を参考にしたのか、あるいはやはりカエルを食べる習慣のある中国から来たのかは不明ですが、欧米ではカエルを食べる風習は確かにありますので、おそらくカエルカレーのレシピが、欧米にはあったのでありましょう。ちょっとゲロゲロと思ってしまいますね。

 

少年よ、大志を抱きつつカレーを食せ!

 日本におけるカレーライスの歴史を語る上で忘れてならない人物が、かの「少年よ大志を抱け」というフレーズで有名はクラーク博士です。明治9年、現在の北海道大学である札幌脳学校の初代教頭となったアメリカ人、クラーク博士は、米食に偏見があったらしく学生にご飯を食べることを禁止しました。ただしカレーライスを除いて。

 札幌農学校の寮では、パンと肉の日とカレーライスの日が、一日交代であったといいます。そのため、日本にカレーライスを広めたのはクラーク博士という説もあります。このようにして、カレーライスは日本に少しずつ広まっていきました。

 北海道にカレーが広まったのは、他にもジャガイモ、タマネギ、西洋ニンジンといった食べ物が、北海道で多く栽培されたこともあったかも知れません。ジャガイモ、タマネギ、西洋ニンジンはいまでこそカレーの野菜に欠かせぬ三種の神器的野菜ですが明治になってから日本で栽培されるようになったもので、明治初期の段階ではまだほとんど食べられていませんでした。

 そして当時のカレーライスは、まだ西洋料理の一品目。まだまだ日本の国民食とはなっていません。せいぜい高級な西洋料理店で出されるものであったのです。

 

軍隊がカレーを広めた?

 明治時代、カレーライスはレストランで人気料理になりましたがまだまだ家庭内で作られる料理ではありませんでした。それが一般家庭に広まるためには安価で美味しいカレー粉が必要。実際に身近で作る人々が、必要でした。それまでのカレー粉はイギリス製のC&B社のもの。舶来品で庶民にはちょっと手が出ない代物だったのです。

 それが明治の終わりごろから大正時代に国産のカレー粉が作られるようになります。いくらカレー粉が安価で手に入るようになっても、食というものは意外と保守的なもの誰かが目の前で作ってくれないと、なかなか新しい料理には手が出ないものです。それを一気に広めたのが、軍隊ではないかといわれています。

 明治37年、日露戦争勃発。そのとき陸軍海軍とも軍用食としてカレーライスが採用されました。戦争が終わったとき、カレーライスの作り方を覚えた兵士たちは、故郷に帰ると家族にカレーの作り方と美味しさを伝えたのです。

 特に海軍では、当時毎週土曜日にはカレーライスを出す習慣ができており、それがいまの時代では金曜日になっているのですが、いまやレトルト食品として『海軍カレー』の名称で人気商品となっているくらいです。

 大正時代になると、カレー粉も多くの会社が手がけるようになり、より手に入りやすいものとなりました。

 いまやカレーの具として必ずといってもいいほど入っているニンジン、ジャガイモ、タマネギも、このころにカレーに入るようになりました。これはシチューの影響であるようです。

 また、カレーうどんは明治の末に生まれており、カレーパンは昭和2年に誕生。カレーは着実に国民食への道を歩んでゆきます。

 第二次世界大戦中は、国中が食料不足となりましたが、カレーライスは相変わらず軍隊で食べられていました。

 

戦後カレーは国民食に

 戦後、学校給食にもカレーライスが出され、子どもたちのハートをキャッチ! カレーはますます日本人の国民食となっていきます。やがて日本は高度成長期に入ります。そのとき現れたのがこれまでのカレー粉ではなく、カレーの固形ルー。このカレールーの登場は、カレー粉から作るものよりも、はるかに簡単に作ることができるため、一気にカレーライスが国民に親しまれていったのです。

 また、1968年、一人用のカレーとして日本発のレトルト食品である『ボンカレー』が登場。いまやレトルト食品の3割はカレーであるといいます。日本全国に広まったカレーライスは、各地域でもそれぞれに発展し、ご当地カレーとして多くの人に親しまれるようになったのでした。

 

カレーを食べると幸せ気分になれる?

 最近の研究によると、カレーには20種類以上のスパイスが入っており、その効果でストレスを抑えたり認知症の予防や血糖値を抑える効果があることが知られています。

 さらに、カレーを食べると、セロトニンという人に幸せ気分にさせる効果がある脳内物質まで、多く出てくることがわかりました。

 美味しくて健康に良くて幸せにしてくれるカレーライス。日本人が大好きなのも当然なのかも知れませんね。

(食文化研究家 巨椋修(おぐらおさむ)/絵:そねたあゆみ)2014-03

 

 

 

 

 

 

 

 


麺類の仁義なき戦い!


●もっとも人気の麺類は?

 日本人は世界的にみても麺大好き民族。すなわち麺族です。日本で人気の麺といえば、うどん、そば、ラーメン、スパゲティ。その中でもっとも店舗数が多いのが、タウンページに登録されているのを調べてみると

1位ラーメン、35,330軒。2位そば、24,924軒。3位うどん、24,030軒。と、なるようです。

 スパゲティは専門店が少ないので不明。

 自分で書いておきながら言うのもなんですが、もっともうどんとそばは同じお店で出されていることが多く、スパゲティも喫茶店などで出されていることも多く、この店舗争いでははあまり意味がないかも知れません。

 1位のラーメンが広く食べられるようになったのが戦後ですから、日本に古くからあるそばやうどんを抑えての1位とは、この新興勢力の勢いはすごいものがありますね。

 ネットの「ニフティなんでも調査団」の好きな麺類アンケート調べによると、やはり1位はラーメン、2位そば、3位うどん、4位がパスタ(スパゲティ)となるようです。ただし女性限定となると、1位パスタ、2位ラーメン、3位うどん、4位そばとなるそうです。

 

●うどん県は香川や関西だけではない

 一般に「関東はそば」「関西はうどん」が好まれていると思われているようですが、実は関東の人たちもうどんが大好きで、東京や埼玉西部の「武蔵野うどん」は、讃岐うどん以上のコシの強さで噛み応えがあるうどんが有名。

 逆に柔らかいうどんですと、ほとんどコシがない太麺の三重県の伊勢うどん。九州の博多うどんは細麺で、やはりとても柔らかく、他のうどんが麺を主眼にしているのとちがい、ダシを主眼にしており博多うどんを愛するタレントのタモリさんが博多うどんを指して「うどんは飲み物」という名言を残しているくらいです。

 

●ラーメンは日本食?

 日本で最初にラーメンを食べたのは水戸黄門だという説もあるのですが、それはさておき、どうもラーメンの最初は、横浜港で働く中国人相手に、屋台で日本そばを売ろうとした日本人がいたらしいのです。

 しかし、慣れない味の日本そばを中国人たちは好まない。そこでそのご主人は知り合いの台湾人に相談し、スープをカツオだしから鶏ガラ&しょうゆ味に変え、麺も日本そばの麺から中華風の麺に変えたのがはじまりだとか。

 この流れの味が、最初のラーメン店舗東京浅草の『来々軒』に受け継がれ、さらに『来々軒』で修行をした人や真似た人が全国に、いろいろなラーメンを伝えたといいます。

 つまりラーメンは中国から伝わったというより、最初は日本で働く中国人労働者相手に、日本人が中国人の口に合うように中国風日本そばを考案して出したのはじまりであるらしいのです。

 また、当時はラーメンという呼び名はなく、中華街のことを南京町と言っていたため「南京そば」と呼び、後に「支那そば」、戦後になると「中華そば」、そして1958年(昭和33年)世界初の即席めんであるチキンラーメンが売り出されるようになり、「ラーメン」という名称が一般的になりました。偉大なりインスタントラーメン!

 

●スパゲティはラーメンになれるか?

 うどん、そばは日本に古くからあるものですが、ラーメンは明治時代、スパゲティは昭和の戦後に日本人に親しまれるようになった料理です。

 スパゲティは、戦後進駐軍であるアメリカ人たちが軍隊の配給品として食べていたもので、茹でた麺にケチャップを和えたカンタンなものでした。それを日本の料理人が改良し、玉ねぎやピーマン、ハムの細切りなどを炒めて作ったのがナポリタンです。

 アメリカ人は麺に髪の毛一本の硬さを残す「アルデンテ」を好みません。そのせいか バブル時代のイタメシブーム以前では、日本でも麺は柔らかめで「アルデンテ」の発想はありませんでした。

 しかしなんでも改良してしまうのが日本人! スパゲティはラーメンやカレーと同様、日本の国民食といってもいいほど親しまれ、なんでも改良してしまうのが日本人の手により、たらこ、納豆、醤油などを使った和風スパゲティをどんどん開発。

 まだ、さっぽろ味噌ラーメンや九州とんこつラーメンのように全国的に大ヒットするような“ご当地スパゲティ”は出てきていないようですが、そのうち大ブームになるようなスパゲティが生まれるかも?

 さらにこれから、うどん、そば、ラーメン、スパゲティに新しいアレンジ料理や、また新たな麺類が、麺類の仁義なき戦いに参戦するかも?

 はたして麺類の仁義なき戦いは、日本人が麺好きである限り、終わることはなさそうです。

(食文化研究家 巨椋修(おぐらおさむ))/絵:そねたあゆみ 2017-03

 


お肉柔らかな素

 健康寿命を維持するにはお肉を食べるのが良いそうだ。とはいえ、高齢になると使える歯が段々少なくなって来る。小生も、硬いものを敬遠し、もっぱら豆腐や卵でタンパク質を摂取している。

 そんな中、このほど、味の素から「お肉やわらかの素」という画期的な商品(肉用調味料)が発売され話題となっている。用途がわかりやすい商品名作りは小林製薬のオハコ(ブルーレットおくだけ、トイレその後に、チン!してふくだけ、熱さまシート、など)だが、味の素もなんとわかりやすいネーミングにしたものだ。

 これまで、肉を柔らかくする工夫としては、塩こうじ、赤ワイン、ヨーグルト、ビールなどに 漬け込むことなどが知られているが、時間や手間がかかるため、知っていてもあまり行われていないのが実情だ。小生も、一時、塩こうじに凝っていたが、今や、塩麹の瓶自体が冷蔵庫の奥にしまわれたままだ。

 「お肉やわらかの素」は、調理の前にふりかけて5分置くだけで、酵素の力で肉がやわらかくなるという魔法の肉用調味料だ。

同品は、肉をやわらかくする“酵素+でんぷん等”の独自配合技術(特許出願中)により、調理の前にふりかけて5分置くだけで、肉汁を閉じ込め、肉をやわらかくするという。 鶏むね肉のようにパサつきがちな肉も、これを使うとしっとりふっくら仕上がり、冷めても温め直してもおいしく食べられるため、時間差の夕食やお弁当にもピッタリだとPRしている。しかも、食品のコクを増強する同社独自素材の“グルタミルバリルグリシン”(用途・製造特許取得済)によって、肉のジューシー感も増強されるというから驚きだ。

 歯が少なくなってから、薄くて脂身の多い安い豚バラ肉をもっぱら用いていたが、ジューシーなビフテキも食うぞ!

それにしても、今や世界的企業になったのに味の素という社名のままなのもユニークではある。

(ジャーナリスト 井上勝彦/絵:そねたあゆみ)2016-03

 

 


朝食定番メニューに豆乳

  私の好きな豆乳。台湾では「豆漿(ドージャン)」と言い「豆漿と焼きたてのパン」が朝食の定番メニューの一つらしい。豆漿専門店も多数あるという。友人と台湾に行くことになった私は、ぜひ豆漿専門店とやらで台湾の豆乳を味わいたいと思っていた。

 しかし台湾滞在初日、私は豆漿専門店に行く前に豆漿に出会った。ホテルに到着した頃には夜も更けていたが、好奇心抑えきれない友人と周辺散策のついでにコンビニに寄ってみた。すると豆乳飲料がかなりの数並んでいたのだった。日本人にも馴染みのある豆乳であるが、日本のスーパーに並んでいる数と比べて圧倒的に多い。無調性、調整、砂糖を加えたものなどがズラリ。それに加え、日本で手軽に変えるコンビニに置いてあるのはたいてい紀○の小さい豆乳だが、台湾では500ml、1000mlの豆乳が当たり前に置いてあった。私は興奮した。滞在中は毎晩豆漿を買った。

 日本に帰国後、私は以前にも増して豆乳好きになった。特に寒い夜あたためて飲む幸せは極上。ふわっと口の中に広がる大豆の優しい香りと、まろやかさといったら……。実は私が豆乳をあたためて飲むようになったのは台湾旅行後からである。台湾滞在最終日の朝、希望通り豆漿専門店に行きあたたかい豆乳を堪能した。その味が忘れられなかったのだ。今となっては、ホット豆乳なしで冬は越せない、とすら思っている……。

 豆乳は美味しいだけではない。栄養成分を調べてみると、実にバランスよくミネラル、ビタミン、タンパク質、が含まれている。鉄分や最近注目されてきた女性の強い味方のイソフラボンまで!私はもっと豆乳を飲もう、と思った。夜だけでなく台湾人を見習って朝食として「飲む」のも非常に良いことではないか。腹もちはよく忙しい朝も特別調理は不要。さらに栄養満点!さらに焼きたてのトーストがあれば言うことなしだ。忙しいあなた、朝は食欲が湧かないというあなた、試してみてはいかが?      

(文:コラムニスト 若松真美/絵:吉田たつちか)
2010-03



読者登録

atecさんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について