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食文化を変えた工場食品たち
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日本食は庶民が発展させた
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<電子レンジ簡単レシピ>白子のとろろ蒸し
<電子レンジ簡単レシピ>芋餅
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一諾を守る」の持つ信用力
幕末のアイドル坂本龍馬の実相
優秀な家臣がいても
大金持ちの財力
「高松城の水攻め」にみる黒田官兵衛の心理作戦
人生意気に感ず 功名誰かまた論ぜん
よく遊びよく働け、野村徳七の教え
慶長遣欧使節団に託した思い
スマホで変わる世の中
『古事記の神々』 その12
スコットランド式シャワー
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オイル交換を忘れずに
水の色は?
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ノロウイルスの消毒に関する注意点について
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「高松城の水攻め」にみる黒田官兵衛の心理作戦

  豊臣秀吉がまだ織田家の部将であった頃、「三木の干殺し、鳥取の飢殺し、高松城の水攻め」で中国地方を席巻したと言われてます。

 特に有名なのが城の周囲に延々と土堤を築き、川の水を引き込んで水没させて落とした備中高松城ですが、私がかねてより疑問だったのが、なぜ、ここだけ水攻めだったのか・・・ということです。

 もちろん、他の2つと違い、水を貯めやすい地形だったということはあるのでしょうが、でも、他の2つは普通に兵糧攻めで落ちてるわけですから水没させなくても落とせたんじゃないの?・・・と。

 で、さらに疑問なのが、秀吉方は救援に来た毛利軍の猛将・吉川元春の軍と土堤との間にはわずかな部隊しか配置していないことで、これでは、毛利軍がその気になれば夜間にでも急襲をかけて土堤を破壊し、城を水没から救うことは出来たんじゃないの・・・と。

 ここまで考えて、ハッとしました。

つまり、「ここがどういう場所か?」ではなく、「今がどういう時期か?」と。

 戦闘は梅雨から初夏にかけて行われたそうですから、織田家と違い、兵農分離が進んでいない毛利兵は農繁期の出兵を嫌ったのではないか・・・と。

 兵からすれば、「だったら、来年の年貢は負けてもらえるんですか?」と言ったとしても、言われた側は現代もそうであるように税収不足は困るわけで、「いや、それはそれで・・・」としか言えず、だったら「冗談じゃない」となった・・・と。

 となれば、救援に来た毛利軍は実際には大した兵力を確保できておらず、さらに、いくら、「もうすぐ終わるから」と言ったところで、目の前でしっかり水に浸かっている城を見れば、長引くというのは明らかで、そうなると今いる兵を引き留めるのも難しくなっていたのではないか・・・と。

 結果、少ない兵力で土堤に向かってて出動すれば、待ってましたとばかり、秀吉軍の主力部隊に捕捉され、全滅してしまう可能性があり、また、秀吉もそれを狙っていた・・・と。

 そういう目で見れば、高松城は周辺の泥沼で防御するという「時代遅れの城」で秀吉軍なら水攻めでなくてもどうにでもなった・・・と。

 つまりは、織田家の革新兵制「兵農分離」も含めた戦争形態の変化が勝利の背景にあったと言えるでしょうか。

 ちなみに、この攻略法を献策したのは秀吉の参謀として頭角を現していた黒田官兵衛(如水)だったと言いますが、これは私もそう思います。

 なぜなら、作戦計画という物には人それぞれの傾向というものがあるもので、官兵衛のそれは、後の小田原攻囲の時などでもそうですが、単に物理的に攻略を企図するのではなく、心理的効果を狙うというのが一つの特徴のように思えるからです。

 つまり、水攻めは攻略の手段ではなく、敵兵に与える心理的効果を狙った象徴的な物だったと。(小説家 池田平太郎 /絵:そねたあゆみ)2014-03

 

 

 


人生意気に感ず 功名誰かまた論ぜん

「唐王朝」というのは変わった王朝です。

「大唐」と呼ばれ、中国の歴史上、「牡丹の花」にも例えられるほどの繁栄を誇ったほどでありながら、創業者よりも二代目の方が有名な王朝なのです。

普通、二代目というのは、どうしても、創業者・徳川家康に置ける二代将軍秀忠のように、あくの強い創業者の陰に隠れてしまいがちなのですが、この唐王朝に限っては、その限りではありません。

二代目である太宗皇帝・李世民は、兄を殺し、初代皇帝である父を軟禁して、帝位についたほどにあくの強い人物であり、この点は、父にして鎌倉幕府初代執権、北条時政を追放し権力を掌握した二代目・北条義時を想起するでしょうか。

その李世民の治世は、「貞観の治」と呼ばれ、徳川家康も参考にしたほどに治世の理想とされています。

それほどの治世を補佐した重臣に魏徴という人物がいるのですが、この人は、元々、世民が殺した兄皇太子の側近だった人物であり、当時、皇太子に対し、たびたび、「早く李世民を殺すように」と進言していたとのことで、皇太子死去後、A級戦犯として断罪される立場となったものの、その能力を見込まれ、逆に、太宗皇帝の重臣として重用され、癇癪を起こした太宗を諫めたこと数多であったと言われています。

その魏徴が詠んだ歌の一部です。

「人生意気に感ず 功名誰かまた論ぜん」(「人生なんてのは意気に感じるもの。功績や手柄などというのは誰か人が語ってくれ」:平太意訳

この話で思い出すのが、春秋時代の中国の故事です。

王を囲んでの宴の席で、余興として、灯りを消して飲もう・・・ということになったとき、暗闇に紛れて、誰かが王の寵姫の唇を盗んだ・・。

このとき、寵姫は機転を利かせて、その者の冠に傷を付け、すぐに、王の側に駆け寄り、王に灯りを付けてくれるように注進したところ、事情を聞いた王は、「いや、皆、今宵は無礼講と言ったはず。これが、つまらぬ事を言ったようだが、皆、今宵は冠を外して飲むことにしよう」と言い、宴席は灯りを付けないまま、お開きとなった・・・と。

後年、王は大国・秦との戦いに大敗し、命からがら敗走を重ねる身となったところ、このとき、一人の戦士が現れ、全身に針鼠の如く、矢を受けながらも、王を安全なところまで逃がし、「なぜ、おまえはここまで・・・」と聞く王に対し、その戦士は、「実はあのとき、寵姫にいたずらをしたのは私でした。王の配慮のおかげで、満座の前でさらし者にならなくて済みました。私はいつか、この恩義に報いねばならないと思っていました」と言い残し、ついに息絶えたと・・・。

何かの浪曲でもありましたよね。親分が祝儀の席に行かないものだから、やむなく、子分が代理として出席したものの、そうそうたる親分衆が集まる中で、肩身が狭い思いをし、さらに、続々と高額の祝儀金が発表されていくと、自腹でなけなしの金1両を包んだのみだったその子分は、何ともいたたまれない気持ちに・・・。

ところが、自分の番で、読み上げられたのは「OO親分!金100両!」のコール・・・。満座のどよめきに面目を施したこの子分は、同時に、心中、「いつか、この人の為に働かなきゃなるまい」と思う・・・と。

(小説家 池田平太郎/絵:吉田たつちか)
2008-03


よく遊びよく働け、野村徳七の教え

野村證券の創業者、野村徳七翁には、「よく働きよく遊べ」の遺訓があり、今でも、野村證券には、そういう社風が生きていると聞く。

昭和三十年代、野村證券に君臨した奥村綱雄、瀬川美能留といった人たちは、同時に遊びのほうも他社の追従を許さないと言われたとか。

ところが、よく見ていると、野村證券がよく「遊んで」いるのは、主に、証券業界が好調のときであり、一旦、証券不況となると、一変した。

野村證券について、三鬼陽之助という、財界記者が遺した古い経済記事がある。

三鬼翁の記事から、その辺を抜粋すると、

「不況襲来の昭和38年後半から40年の前半にかけての野村の幹部連の活動が、じつにめざましかった。会長、社長をはじめとして、幹部総がかりの体制で、いわゆる新規投資層の開拓に、地方の農村・漁村をかけめぐったのである。

これに対して、山一では、地方支店の従業員をはぶけば、支店長以下幹部社員たちは、この非常時にあって、遊ぶでもなく働くでもなく、土曜日の午後になると浮かぬ顔でゴルフに出かけるというありさまであった。

軍隊では、賢明な指揮官であればあるほど、ここ一番の突撃という前夜など、兵士たちをよく遊ばせ、そしてよく眠らせるという。ビジネスの世界においても、これと同じことが言えるのである」と。

もっとも、遊びという意味では、「格差社会」などと言われながらも、普通のOLさんたちが、フランスだ、エジプトだハワイだ・・・と、海外に出かけている。現代の日本人は、ある意味、驚くほど上手に実践しているのではなかろうか。天正10年、宿敵、武田勝頼を滅ぼし天下統一をほぼ、確実なものにした、戦国の覇王、織田信長は、帰途、徳川家康に案内させて、富士山を観光している。戦国の覇者にして、事実上の日本国王と言っても過言ではなかった信長にして、この程度だったのである。

(文:小説家 池田平太郎/絵:吉田たつちか)
2007-03


慶長遣欧使節団に託した思い

 仙台藩主・伊達政宗の家臣、支倉常長に率いられ、遠く、欧州の地にまで行ったことで有名な慶長遣欧使節団ですが、一方で使節団を送り出した政宗には天下獲りの野望があったという話もあります。実は私はかねてよりこの説には疑問でした。政宗ほどの人にしてはあまりに構想が杜撰すぎるからです。

 まず、使節団は現在の宮城県石巻市を出帆後、太平洋を横断し、北米大陸に到達するわけですが、当時の船で太平洋を横断するということ自体、今日、我々が考える以上の苦難でした。事実、この247年後に咸臨丸で太平洋を横断した日本人の大半が勝海舟を初め、船酔いで使い物にならなかったと言われてますし、昭和期でさえも離島に帰省する人たちは嘔吐用のバケツが手放せなかったと聞いています。ましてや、当時の船では船酔いは地獄の苦しみだったでしょう。乗員の多くは生きて陸地が踏めたことに喜びますが、道のりはまだ遠く、当時、アメリカ合衆国はまだ無いため、海路、パナマへ上陸、徒歩でパナマ地峡を越えようとします。が、まだ、電信設備も無い時代。着いたからといって、先方が大西洋を渡る船に乗せてくれるかの保証はありません。結果、メキシコに上陸した時点で一行は180人が30人となりますが、それでもなお、常長は愚直に先を目指します。そうやってようやくに到着した欧州では通商の許可を求め奔走。却下された後もなおも粘りに粘り、生活費の支給を打ち切られてもなお、許可を求めて滞留し続けます。結果的に許可を得ることは出来ませんでしたが、ここまで来ると、使命に賭ける姿勢はもはや、「主命」などという簡単な言葉で済ませられるものではなく、もっと切羽詰まった悲壮感さえ漂ってきます。何が常長をしてそこまでさせていたのか。

 実は、この前々年、仙台平野一帯は、後に「慶長三陸津波」の名で呼ばれることになる大津波の襲来を受け、壊滅的な被害を受けていました。そして、さらに直面することになったのが「塩害」。仙台藩では、以後、10年が経過してもなお、米の収穫が出来なかったとも言われていますから、つまり、常長一行が送り出された時の仙台藩の状況は、「政宗の天下獲りの野望」などという悠長なことを言っていられるような状態ではなかったわけです。この未曾有の災害に、さすがに、この時、最終権力者・徳川家康も、「復興の為の活路を貿易に見出したい」という政宗の要望を無視することは出来なかったようで、この使節団に許可を与えています。つまり、送り出した側も、送り出された側も、ともにそこには悲壮な決意と覚悟があったということですね。(小説家 池田平太郎)2018-03

 

 

 

 

 

 


スマホで変わる世の中

 久しぶりに都会に戻り、山手線に乗った。夕方の帰宅時間に遭遇したが、車内の様子が以前とまったく違っている。サラリーマンの朝晩の電車通勤スタイルに、新聞は欠かせないものであった。ところが、新聞を読んでいる人は皆無。殆どの人がスマホに見入っている。ニュースは新聞でなくスマホで読むのが当たり前になっているようだ。駅構内の売店に煙突状態で刺さっていた夕刊紙の存在感も後退している。雑誌も同様だ。若い知人に聞くと、今や、自室にパソコンもテレビも置いていない人も珍しくないという。全ての情報の入り口はスマホなのだという。

 今後、新聞社はどう生き残れるのだろうか?新聞業界出身者の一人として今後の動向が心配だ。

 そういえば、NHKがスマホユーザーにもNHK受信料を取る方策を検討しているという。NHKという有料放送局の存在の必要性の有無についても検討が必要な時代なのかもしれない。

 NHKの独壇場であった国会中継も今やネットで見ることができる。(衆議院TVインターネット審議中継http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php)今後、相撲のネット中継ができればNHKの存在意義は半減しかねない。昔、ホリエモンがテレビ局を買収しようとしたことがあったが、彼は、テレビ局の有する過去のストック映像に商品価値を見出していたが、時代がやっと彼が描いていたテレビとネットの融合時代に近づいた。その意味では、NHKは莫大な映像ストック資産を有しており、これは国民の財産でもあるわけで、世界中に商品として売ることで、受信料は半額かゼロでもやっていける筈だ。

 電車中でのスマホ学習に便利な「アンキスナップ」(ぺんてる)というマーカーペンが話題になっている。これで参考書やノートにマークしたものを専用のスマホアプリで開くと、マーキングした箇所が黒塗りとなり、この部分をタッチするとマスクが消え、文字が見えるという優れもの。電話としてしか使っていなかった小生のスマホ。今年はもう少し使い方を広げてみようと思った。

(ジャーナリスト 井上勝彦)/絵:そねたあゆみ 2017-03

 



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