裸文化と日本人
キリストの頃まで1億人だったと言われる世界人口も今や70億人。本来、多産でないはずの人類がこれほどまでに繁殖できた理由の一つに「繁殖期を無くしたこと」があるとか。で、以前、ある人から、「女性が体を服で隠すから、見たい人が出るんだ」と言われ、私は内心、「それはちょっとこじつけだろう」と苦笑したことがあるのですが、最近、少し思ったことがあります。
江戸時代の日本の銭湯が混浴だったというのは割りとよく知られている話ですよね。現代人、特に女性の感覚からすれば、とても信じられないような話ではないかと思いますが、でも、一般の日本人女性が人前で体を隠すようになったのは明治後期以降、自国民の蛮風を恥じた明治政府が「裸は恥ずかしい」と啓蒙(?)したからで、事実、明治17年に来日したある外国人女性は夏の海辺の信じられない光景を日記に記しています。
曰く、「果物売りの小さな女が商売を終えた後、そのまま、海に入り汗を流して砂浜で体を拭いていたところ、一人の男が現れた。彼女は平然と体を拭き続けていたが、男が顔見知りだったらしく、やがて微笑んで裸のままで挨拶を交わし始めた」と。また、ある外国人男性は温泉に浸かっていたところ、知り合いの日本人から声をかけられ、湯の中で妻子を一人一人、普通に紹介されたとか。
つまり、当時の日本人には「肉体」という人間の自然な姿に「恥」とか「罪」とかいうものを感じなければならない道理が理解できなかったということですね。まさしく、「楽園を追われる前のアダムとイヴたち」だったのでしょう。ただ、それは主要都市が少なからず日本より緯度的に北にある所が多い西洋人はそもそも保温のために衣服を身につけることが前提であって、高温多湿の日本は本来、「裸文化」なんですよ。
まあ、確かに、今の日本人がすべて普通に裸で街を歩いていたら、おそらく、私も含め、最初は幕末の欧米人よろしく、「オーマイガッ!」となるのでしょうが、でも、たぶん、人間の発情というのはそれほど長い時間、持続出来るものではないように思うんですね。つまり、慣れてくる・・・と。結果、やがて、普通に何事も無く、すれ違うようになる・・・と。ちなみに、別のある外国人は、「日本人の尺度によると、単に健康や清潔のためとか、仕事をするのに便利だからということで体を露出するのは、まったく礼儀にそむかないし許されることだが、どんなにちょっぴりであろうと見せつけるために体を露出するのは、まったくもって不謹慎なのである」と書き残していますが、一方で、江戸時代の混浴銭湯も一切、そういう問題が起こらなかったかというとそんなこともなく、幕府は風紀が乱れるという理由でたびたび禁止のお触れを出しております。 (小説家 池田平太郎)2015-07
「何もできない」人はいない
貧乏人は、人にモノをあげたりして、相手を喜ばせることはなかなかできません。でも、お金が無くても、人を笑顔にしたり楽しませたりして、喜ばせることはできます。
仏教の教えに、「無財の七施(むざいのななせ)」という言葉があります。これは、宝を蔵の中に貯め込むのではなく、自分の心の中に貯めよ、それがとても大きな徳につながる、という教えです。
無財、つまり財力の無い人でも、人に対して与えられる施しが7つはあるということです。この「無財の七施」を行なうことにより、開運、金運、商運を呼び込める、と言われています。
「目による施し」=心を清らかに保ち、目つきも穏やかにすれば自分も気持ちが良く、人も気分が良くなる。
「笑顔による施し」=いつもにこやかな顔でいれば、自分も人も幸せになる。
「言葉による施し」=悪口を言ったり、グチをこぼしたりせず、真の心で、真の言葉を遣う。
「まごころによる施し」=つねにまごころで人に接していれば、良いことが起こる。
「労働による施し」=弱い人やお年寄り、困っている人には、無償で力を貸してあげよ。
「席を人に譲ることによる施し」=乗り物では、お年寄りや身体の不自由な人に、席を譲ってあげる。
「住まいによる施し」=どんなボロ家に住んでいても、いつも清潔にしておけば、自分も健康になり、人にも好ましく思われ、みんなが清々しい気持ちになる。
お金が無くても、これだけのことができます。施しを心がけ、自分の心に徳を積めば、運も開けてくるということです。
ちょっと説教臭いのですが、正しい教えだと思います。
(コラムニスト 佐藤きよあき/絵:吉田あゆみ)
2011.07
りんごの唄にみる詩人の凄み
「戦後」と言えば、「りんごの唄」ということは私のような「戦争を知らない子供たち」どころか、「戦争を知っている子供たちの子供たち」のような世代でも耳にしていますから、やはり当時を生きた人々にとっては、紛れもない「歴史」だったのでしょう・・・。
作詞を担当した詩人、サトウハチロー氏について。
私にとって、この人は、早くから、子供の頃によく耳にした童謡「ちいさい秋みつけた」の作者として、認識しておりましたが、近年、そんな哀感溢れる詩を作る割には、派手な・・・を通り越して、破天荒な私生活で有名な人であったとも聞きました。(まあ、親父の佐藤紅緑も、口論の挙げ句、料亭に火を付けたりなんてエピソードがあったくらいですからねぇ。)
その氏が作詞した、この「りんごの唄」ですが、元々は、軍歌として作られた物だったとか。軍部の「音楽は軍需品である。」・・・という意向の元、軍歌として作ったものの軍の検閲によって「軟弱である!」として却下され、以来、ずっと氏の手許で暖められていたもので、それが、戦後、「敗戦にうちひしがれた国民を励ましたい」という意向の元で、映画「そよかぜ」の上映に向け、その主題歌の作詞を依頼された氏が、「国民を元気づけるのは詩人の義務だ」と言って傍らから出してきたのが、この詩だということでした。
この「りんごの唄」って、確かに、曲調は確かに明るい、はずんだ歌でしょうが、歌詞だけをみたときには、割と普通の情景です。この詩のどこに「明るく励ます、元気づける・・・」なんて部分があるというのか・・・。
「赤いリンゴに 口びるよせて だまってみている 青い空 リンゴはなんにも 云わないけれど リンゴの気持ちは よくわかる リンゴ可愛や 可愛やリンゴ」・・・って、特別なことはどこにもないし、一言も、「頑張れ!」とか「負けるな!」、「立ち上がれ!」なんてのは出てきませんよね。
でも、現実に、この歌は、肝心の映画が霞んでしまうほどに、当時の人々の心を魅了し、多くの人に歌われ、活力を与え、そして、愛されたわけですから、本当に、日本中、津々浦々で口ずさまれた歌だったのでしょうが、そこまで人々の心を捉えたほどの歌でありながら歌詞は何の変哲もない淡々とした情景・・・。
ただ、その一方で、この「りんごの唄」の歌詞を、こと、軍歌として見た場合には、何となく、意図していたところがわからないでもないような気がしますね。リリーマルレーンの日本版と言ったところでしょうか・・・。
この歌を歌った歌手・並木路子さんが、レコーディングの時に戦時中の辛い体験を思い出して、どうしてもうまく歌えず、作曲家の万城目 正氏から、「上野へ行ってきなさい」と言われ出かけていくと、大人ばかりか、年端もいかない孤児たちまでもが働いており、彼女がそのうちのひとり、靴磨きの少年に「僕、いくつ?」と尋ねたところ、「母ちゃん、いなくなっちゃったからわかんない」と答えた・・・と。
文字通り、年端もいかない子供までをも、こんなところに追い込んだ連中には、毎度の事ながら、本当に憤りを感じますが、この詩の意図したところの意味は当時を生きてない私なんぞには、所詮、わからないのかもしれません・・・・。
その意味では、彼の師である、西条八十が、失意の中にあったときに、満を持して書いた、日本初の童謡「かなりあ」の歌詞は凄いですよね。
出だしが、「歌を忘れたカナリアは 後ろの山に棄てましょか」ですからね。今だったら、動物愛護団体や教育委員会が目を血走らせて阻止に廻るんじゃないですか?でも、これはまだ良い方で、二番は、「背戸の小薮に埋けましょか」で三番は「柳の鞭でぶちましょか」ですよ。棄てるのはまだしも、生き埋めや、ムチ打ちの刑は、まずいんじゃないですかぁ・・・。
もちろん、詩人の言わんとするところは、そのあとに、すべて「いえいえ それはかわいそう」とか、「いえいえ それはなりませぬ」などと否定することで、子供の持つ残酷性というカミソリを柔らかく制し最後に、「歌を忘れたカナリアは 象牙の舟に銀のかい 月夜の海に浮かべれば 忘れた歌を思い出す」
という美麗の句に繋げるわけですから、西条八十という手練れの並々ならぬ技量と、同時に、乾坤一擲の想いが見て取れるような気がします。
もっとも、これって、八十自身、詩人としては、不遇期にあったがゆえに、渾身の力を込め得たのかもしれませんけどね。
(小説家 池田平太郎/絵:吉田たつちか)12-07
こどもをお客さんにしてしまうのは誰?
「ねーえ、ちょっと味がうすいんだけどー」
はい、居酒屋さんでのおじさんの発声ではありません。ここは子ども会主催のバーベーキュー大会。
オトナがテント設営したり、U字工に炭を起こしたりしている間子どもたちは野球&サッカー&バスケットで大盛り上がりしていました。おなかぺこぺこにしてから、バーベキューを思う存分楽しんでもらおうと言う、親心です。
なかなかに良い天気、子どもたちはきゃーきゃー大騒ぎ。その間親もあれやこれやと準備に大騒ぎ。一時間ほど汗を流して、いよいよバーベキュー。子どもたちは30人近く、ずらりとテーブルに並びました。
お父さんたち、次々と肉を焼く肉を焼く肉を焼く!!お母さんたちおにぎり握る握る握る!!!子どもたち狂喜して食べる食べる食べる!!!
みんな汗だくです。
そして、冒頭の一言。小学四年生のかわいい女の子。「ねーえーちょっと」と、忙しく立ち働くお母さんの一人を捕まえ、「味がうすいんだけどー」この言葉もさることながら、態度もビッグサイズ。完全に自分はお客様モードなんですね。立ち上がる気配すらなし。
そのお母さんは「あー、はいはい、焼肉のたれを持ってくるから待っててね」と両手に山盛りの焼きそばをふるまいつつ、答えました。
私は思わず、「味がうすいなら、自分でたれをかけていらっしゃい!!」と叫んでしまいました。ちょっとびっくりした顔のお嬢さんでしたが、「はーい」と返事してぴょんと立ち上がり、たれを取りに行きました。
そうなんですねえ、悪気はないのです。ただ、自分が何をするべきなのかが分からないだけなのです。余計なことをして怒られるより、親に聞いた方がいい。
これは大人も悪いと思います。バーベキュー大会をするのは素敵なアイディアです。が、机やいすの用意やテント設営、下ごしらえから肉を焼いて配ってやることまで、親がすべてするものなのでしょうか。
子どもがお米を研いで、キャベツを刻み、箸や皿を配り、ちょっと熱い思いをしながら肉を自分で焼く方がたぶん、楽しい。そして親の分まで食事の用意させてやって、親から「ありがとう!! あなたが焼いてくれたお肉、とても美味しいよ」と、お礼の言葉をもらう。もちろん、楽しい時間の後は、きちんと片づけまでがんばらせる。ここまでできたらいいなあ、と思うのです。
何もかもお膳立てをしてやることは、安全だし、段取りもしやすい。だけど、こどもから、大事なチャンスを奪っている様な気がするのです。
実際子どもに何もかもまかせようとすると、事故も怪我も失敗もケンカもするので、そっちのが何倍も大変なんですよね。
子ども会主催のイベントで、火傷などしようものなら責任問題にもなりかねません。だから、実際は難しい。だけど子どもを「お客さん」にしてしまっていいのかな、と私は少し心配になります。
消費者としての立場が普通であって、生産者になれない。提供されることに慣れてしまって、自分から動くことが難しい。
用意された結末のゲーム、正解がある問題、ゴールがある授業、
結果が見えるテスト、に慣れてしまって、何もない空間は苦手。
だって、何をすればいいのか分からないから。子どもたちから、自由を楽しむ力を奪ってはいないかな。
バーベキューの後片付けをしながら、そんなことを思いました。
(コラムニスト 中川奈々子/絵:吉田たつちか)12-07
奥付
おもしろコラム(7月編)
http://p.booklog.jp/book/2180
著者 : atec
著者プロフィール:http://p.booklog.jp/users/atec/profile
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