目次
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7月の星座 りゅう座
梅雨末期の集中豪雨
梅雨前線のメカニズム
紫外線を吸収してくれるオゾン
夏の健康の味方「スイカ」
意外とすごい!?スイカの効用
七夕バレンタイン
たなばたとお星さま
土用の丑の日に鰻
朝顔にも歴史あり
低気圧の誕生
新しい台風情報
花(蓮)よりラーメン
袋鉢で夏野菜
日焼け対策は「黒」
海に沈むことのない2つの星座
アロマオイルでゴキブリなどの害虫対策!
車も日焼けする?
夏を彩る浴衣
各国の夏休み
知って得する機内サービス
アルカリイオン水でアルカリ体質になるの?
女性は7の倍数で歳をとります
脾不統血の崩漏
細胞の感情
脱水と熱中症のおはなし」
絵画の楽しみ方
食器を手にもつのは世界的にはめずらしい
『いただきます。ごちそうさま。』
鍋とお箸の熱くない関係
旬を食す
生のまま野菜を食べる?
牛乳物語
百寿者の分析から
健康にいい植物オイルの使い方/選び方
イギリスの飯はまずい?
食の宝庫、ニュージーランド
遥かなる原始時代の食文化① 
幸せのおにぎり
うまい!TKG。
世界に広がるラーメン!
ときめいて過ごしましょう!
過激なダイエットは逆効果
お腹が張る原因
代謝低下で起こるめまい
不快サヨナラ、痰濁のめまい
熱中症予防に『熱さ指数』
フワフワ眩暈(午前型)
無意識ストレスと酸化
血に関する老化
沈先生の風邪対処民間療法
夜盗上がり
ストレスと便秘(気滞便秘)
体育会系薩摩藩士が見た長州の同志的放言
中間管理職の悲哀
音声入力が凄い!
信長が西向きゃ家康は東
満点アタチュルク
幕末維新は、女たちの戦いでもあった
英雄、残酷さと一瞬の微笑
損な役回り、蒲冠者範頼  
ちょっとの心がけで、豊かな暮らし
「提灯はまっすぐ下がる」の理に感嘆!
『古事記』の神々(その4)
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死んでも残るサイト
裸文化と日本人
「何もできない」人はいない
りんごの唄にみる詩人の凄み
こどもをお客さんにしてしまうのは誰?
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食器を手にもつのは世界的にはめずらしい

 日本人はごはんを食べるとき、茶碗やお椀、丼などを左手にもって食べるのですが、韓国では「乞食食い」といってタブーとなっています。

 中国では、ごはん茶碗は手に持ってOKですが、その他はマナー違反。麺類などはレンゲを使います。

 おなじお箸文化の国なのに、ずいぶんと違いがあります。韓国が茶碗やお椀を手に持たないのは、それらの食器が金属でできているため熱くて持てないんですね。金属製だから重いし。

 中国も韓国も、箸とスプーン(・レンゲなど)の両方を使いますが、日本の場合はほとんど箸だけを使って食事をします。

 日本の箸文化は、中国や韓国から渡ってきたものでですが、日本の米は粘り気がありスプーンですくうよりも箸ですくったほうがやりやすかったことなどから、スプーンは廃れ、茶碗やお椀は手で持つようになったのではないかと言われています。

 また味噌汁やお吸い物のようなスープもスプーンで使うのではなく、お椀から直接口をつけて“すする”という技術を使って飲みました。

 この“すする”という行為は意外と高等技術を要するものであるらしく、すすることで熱い飲み物を冷ましながら口に入れているのですが、この習慣がない外国人にはなかなかできないことのようです。逆にいうと“すする”という高等テクニックを身につけてしまった日本人は、コーヒーなど欧米から入ってきた熱い飲み物も、よほど気をつけないとついついすすってしまいます。

 ある人が外国人に

「どうしたら、熱い飲み物をすすらないで飲めるのか?」と聞いたところ、「日本人はせっかちだ。我々は冷めるまでゆっくり待つ」

 と、言われてしまったそうです。

(食文化研究家 巨椋修<おぐらおさむ>/絵:吉田たつちか)12-07


『いただきます。ごちそうさま。』

●学校給食で「いただきます」はいうべきではない? 

 いまから10年以上前でしょうか? ある学校給食の前に、児童生徒が「いただきます」「ごちそうさま」というのを、やめさせるべきだ」というクレームが、ある親からあり、その理由は

「こっち(親)がお金を払っているんだから、教師の方が「どうぞ食べてください」児童生徒が食べ終わったら、先生の方が「ありがとうございました」と、お礼をいうのが当然ではないか」

 というものであったといいます。これは本当にあった話しなのか、あるいは誰かが作った話しが都市伝説化したのかはわかりません。

 ただ、モンスター・ペアレントが増えてきた昨今、こんなクレームをいう親がいてもおかしくはないということで広まっていったのでしょう。

 

●「いただきます」「ごちそうさま」の歴史と意味

 本来、「いただきます」というのは、神様やあるいは貴人から、物を下されたときに両手で品物を目の高さより上に押し頂き「はは~、ありがたき幸せにございます。謹んでいただきまする」と、うやうやしく品物をいただくことから始まったとされています。

 それが食事前に「いただきます」となったのは、学校教育がはじまってから。おそらく大正時代か昭和の初期あたりに学校でお弁当を食べるときに、食べ物に関わってくれたすべての人たち、食べ物を与えてくれた神様に感謝の意をしめすために、「いただきます」「ごちそうさま」をいうようになったようです。それが戦後になってさらに徹底していったと考えるのが良さそうです。

 そして「ごちそうさま」は、漢字で書くと「ご馳走様」

 馳走とは、走り回ること。これが、客が来た時に、美味しいものを食べさせたいと、いろいろなところを走り回って、食べ物を持ってきて「おもてなし」をしてくれたという感謝の気持ちから「ごちそうさまでした」となったのです。

 

●「いただきます」「ごちそうさま」のときに手を合わせる?

 食事の前に「いただきます」をいったり、キリスト教徒ならお祈りをしたすることを、『食事儀礼』といいます。ネットの『Jタウンネット』の調べによりますと、93.8%もの人が、何らかの食事儀礼をしているそうなのです。その調査結果をくわしくいうと・・・

・合掌して「いただきます」という。64.0%

・「いただきます」というが合掌はしない。28.8%

・合掌はするが「いただきます」と言わない。1.0%

・どちらもしない。6.3%

 という具合。全国的に見れば、東北や北海道は食事のときに合掌する人は少なく、その他の地域では「いただきます」「ごちそうさま」のときに合掌する人がかなりいるようですね。

 前述したように、「いただきます」も「ごちそうさま」も、そのときに合掌するしないも。大正時代、戦前戦後の学校教育からと考えられますので、東北や北海道では、学校で「いただきます」「ごちそうさま」は言っても、合掌するということを、あまり教えてなかったのでしょう。

 別に合掌したから礼儀正しく、合掌しないと不信心で作法を心得ていないなんてことはありません。

 

●海外では「いただきます」っていうの?

 では海外では、「いただきます」というのでしょうか? 映画などを観ると、食事の前にお祈りをしてから、お父さんが「さあ、食べよう」と合図を送るシーンなんかがありますね。

 欧米では「良い食事を」とか「召し上がれ」といった言葉はありますが、「いただきます」といった感謝の気持ちとはちょっと違うようです。合図ですね。

 イスラムの人たちは「神の名のもとに食事をはじめます」といった意味のことをいうそうです。

中国では「いただきます」「ごちそうさま」に類する言葉はありません。

 食事儀礼、食文化はそれぞれですから、自分たちの常識や礼儀と違うからって、相手を軽んずるのは、かえってそれが失礼にあたります。気をつけたいですね。

 

●大切にしたい「いただきます」と「ごちそうさま」

 この記事を読んでいるのは、その多くが日本生まれの日本育ちであることでしょう。

 と、すれば私たちは、海外ではあまりたい「いただきます」「ごちそうさま」という、これから食べる食べ物や食べ終わったとき、その食べ物に関わってくれた人々、大地や空気(いわば神々)への気持ちを大切にしたいと思うのです。

 和食は世界遺産に登録されましたが、その中には「いただきます」や「ごちそうさま」といった感謝の気持ちも入っているのですから。

(文:巨椋修(おぐらおさむ) 食文化研究家)2017-07

 

 

 


鍋とお箸の熱くない関係

 囲炉裏や火鉢、七輪などが日本の鍋料理に与えたことを述べてきたわけですが、もうひとつ、日本の鍋料理に強い影響を与えたものがあります。

 それはお箸。日本は中国や朝鮮といった箸文化圏の中でも、特に箸に特化しているのです。

 では鍋料理と箸とどのような関係にあり、どのような影響を与えてきたのか?

 鍋料理というのは、ぐつぐつと煮えている料理をお箸でつまんで食べることにその醍醐味がありますな。もちろん汁を自分の器に移すためにお玉を使うこともありますけど、お玉だけじゃあ鍋の醍醐味は味わえません。

 では欧米風にフォークを使って鍋を楽しもうと思っても、できないことはないけれどちょっとよろしくない。フォークや朝鮮半島で使われている金属製のお箸だと、熱伝導が早くて鍋にはちょっと不向き。

 中国式のお箸は、日本の箸にくらべて5センチほど長くて太さも太い。その結果当然重いのです。そして日本の箸の端(しゃれだけどしゃれではない)は細くなっていますが、中国の箸はあまり細くなっておりません。日本の箸の端が細いのは、魚など細かいところまで箸で食べやすくしている工夫です。

 朝鮮の箸も中国ほどではありませんが、やはり日本の箸より長く、金属製ですから当然重い。

 日本の箸は鍋の中を泳いでいるいろいろな具材を軽くキャッチできるわけですから、欧米のフォークや中国朝鮮の箸に比べても、もっとも鍋料理に向いている食事用器具なのです。

 日本の鍋料理は世界的にみてめずらしいものなのですが、箸やフォークといった食事用器具を考えてみれば、日本で鍋料理が発達していったことも理解できます。

 世界の食文化を見ると、手で直接料理を掴んで食べる『手食文化』が4割ほど。

 約3割が、フォークやナイフを使う『食文化』

 残りの約3割が『箸食文化』と言われています。

『手食文化』では、ぐつぐつと煮えている鍋に直接手を入れて食材をつまむことはできないから、当然、日本のような鍋の楽しみ方はできません。

 フォークやナイフを使う食文化や、中国朝鮮のような箸では、やはり鍋にはちょっと不向きとなります。

 そう考えると囲炉裏プラス日本式お箸が、日本の鍋料理を生んだというのも理解できます。

 

(食文化研究家 巨椋修/絵:そねたあゆみ)13-07


旬を食す

初めて映画を見て感激、自分は映画館を経営して人々を楽しませるのだと心に決めた少年が、その夢を実現し、熱海・伊東・沼津など静岡に10館もの映画館を経営し、日本の映画業界を影で支えた男の自叙伝の編集をお手伝いする機会を得た。

 戦後長らく、映画は庶民の最大の娯楽であった。

 日大芸術学部出身の彼の後輩達の話も出てくる。その1人である三木のり平が「旬というのは10日間のことでしょう。月に上旬とか下旬とかいうのと同じで、料理の材料になる野菜とか魚が本当においしいのは、1年のうちでほんの10日間しかない。料理屋では、昔から『1つの料理は2旬のあいだに出せ』といわれてますな。つまり、旬の材料を使うってのは、せいぜい20日間だということなんです。」と、熱海の山本旅館での会食時のくだりが書かれている。

 家庭菜園をやっていると、旬の意味がよくわかる。採りきれないほど毎日採れていた絹サヤがあっという間に枯れ始め、わずかに残った苺も、虫の餌になっている。

 夏野菜の代表であるトマトが次々に赤くなってきた。今では1年中スーパーに並んでいるトマトだが、やはり、露地で完熟した旬のトマトの味は格別で、毎日でも飽きない。キュウリ、ナスも同様、旬が忘れられた野菜だが、燦燦と照りつける強い太陽の光をあびたこの時期の野菜が味はもとより栄養の面でも優れている。シラス漁が解禁され、小アジが安く売っている。旬に採れたものは美味しいだけでなく安いのもいい。

 この本にはまた、こう書いてある「昔は色々な物売りの声が聞こえてきたものだ。朝は納豆売りが『なっと、なっと!』と声を張り上げ、豆腐屋はラッパを鳴らしながら朝晩決まった時間に家の前を通った。冷蔵庫のない時分は、むしろ、新鮮なものを食べることができた時代でもある。」

 近くにコンビにがあり、冷蔵庫には食材が溢れ、飢餓の恐れはなくなったものの、食材の旬を見失った現代、はたして、我々は贅沢になったのだろうか不幸になったのだろうか?。

 原子力の電力も必要でなかった時代の食生活の方がむしろ贅沢に思える今の時代だ。92歳になる彼の後輩達もすでに鬼籍に入り、本を配る人もほとんどいなくなったので、自叙伝は電子ブック化した。今でも毎日裸眼で新聞を読む彼は、ipadを繰りながら自分の若き良き日々を毎日、幸せな気持ちで思い起こしている。

 お礼にいただいた信楽焼きの立派な壷に良く似たものに、先日のお宝鑑定団というテレビ番組で1500万円もの高値が付けられた。壷の価値がわからない自分は今、この壷をネットオークションに出品するかどうか躊躇している。壷の旬はいつなのだろうか?

(コラ

 

(ジャーナリスト 井上勝彦/絵:そねたあゆみ)13-07


生のまま野菜を食べる?

 昨今、旅館などに泊まると、「今朝、畑でとれたばかりの野菜です」と言って、洗ったばかりの生野菜などを出してくれることがありますよね。そういうのを見ると、「こうやって食べるのが本来の姿なんだよな」などと思いがちですが、実はそれは大きな勘違い。博多でトマトが出回り始めた大正時代、まず、最初の感想は、「大型のホオズキみたいで気持ち悪い」。次に、「赤く熟れたトマトは、煮たり焼いたりしないで生のまま食べる」と教えられても、「大根でも茄子でも煮て食べるのに、生のままというのはどうにも工合が悪い」だったとか。つまり、当時は生野菜を食べる習慣がなかったということですね。

 そう言われれば、「えー。テレビなんかで、よく、とれたての野菜を『新鮮!』とか言って、その場で食べる映像があるじゃない」と思われるかもしれませんが、思えばそれは無理からぬ事なんですよ。そもそも、日本の農業は、化学肥料が登場する前は、大豆油粕、干魚などを含む動植物由来の有機肥料が主流でしたが、中でも、仏教伝来以来、長く肥料の主流であり続けたのが人間の排泄物である糞尿、つまり、今で言うところの「し尿」です。

 昭和30年頃までは、地域によっては、農家から汲み取りの人が来て、お礼に畑でとれた野菜などを置いていくことがあったといいますが、こう言うと、いよいよ、混乱する人がいるかもしれません。「し尿を汲み取ってもらってお礼をもらえる?ホワイ?」と。つまり、農家にとって糞尿はそれだけ貴重な肥料だったということ。おそらく、最初は無料で汲み取らせていたのでしょう。それが、次第に農家間で獲得競争をするようになると対価を払ってでも汲み取るようになったと。(事実、江戸時代には、同じ糞尿でも、栄養価が高いご馳走ばかり食べている上級武士宅の糞尿は、庶民の糞尿より買値が高かったとか。)

 となれば、大正以前は人糞有機農業の時代。いくら、作物には直接かけないと言ったところで、実際に作業していれば、まったくかからないわけもなく、たとえ、かからなかったとしても、ばい菌どころか、回虫に寄生虫、衛生的に良いはずが無いわけで。つまり、生野菜を洗っただけでそのまま食べるなどというのは、肥料を人糞に頼らなくなった現代だから出来る話なわけです。ちなみに、私は子供の頃にバキュームカーという物を見たことがある世代ですが、その頃、一度だけ、「肥溜め」という物の匂いを嗅いだことがあります。これはもう、悪臭などという生易しいものではなく、「熟成」の差でしょうか、本当に「鼻が曲がる」という表現が相応しいものでした。その、汲み取りが対価をもらう方から、代金を払って持って行ってもらう方に変わってきたのが、大体、大正期あたりから。戦中戦後の一時期を除いて、この傾向は変わらず、今に至るわけです。(小説家 池田平太郎)2017-07

 

 

 

 

 

 



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