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直き真心持ちて 道に違ふことなく 【目次】

まえがき

第一章 政治家の実力とマスコミ
 日本人が持つ帝王の理想像
 人徳と実力の両立
 征夷大将軍は帝に仕える存在
 マスコミにも据えられるお灸
 ポジティブキャンペーンとしての政治報道
 マスコミへの公的支援は是か否か

第二章 政治と宗教
 認識のギャップ
 政治家と預言者
 正義と正義のぶつかり合い
 権力を与えるもの
 信教の自由と政教分離の原則
 カルトが嫌われる理由
 政治の役目
 政治と宗教の役割分担
 健全な民主国家の条件
 経済大国の責任

第三章 世襲と民主主義のコスト
 民主主義のコスト
 政党助成金
 地盤・看板・鞄は民主主義のコストを最小化する
 鼓腹撃壌の日本
 徳治主義と民主主義の隙間
 世襲という看板
 一門の力
 民主主義のコストを薄く広く負担する
 直き真心持ちて 道に違ふことなく

特別対談 ~知人との世相についての対談~

あとがき

 


 

 

 

第一章 政治家の実力とマスコミ


日本人が持つ帝王の理想像

 2010年1月18日、民主党の小沢幹事長(当時)が、国会開会式にご臨席される陛下をお出迎えする列に並んだとの報道があった。先日行なわれた、中国の習近平国家副主席と、今上陛下との緊急会見を巡る問題で、色々と批難の声が集まったのだろうと思われる。流石に拙いとおもったのか、今回のお出迎えでは、陛下に深々と頭を下げたそうだけれど、まぁ遅い。

 

 国民感情としては、もしも、小沢幹事長が、先の緊急会見での自らの発言の不敬さを恥じ入っているのであれば、素直に謝罪して、謹慎・蟄居くらいしたらどうなんだ、となっていると思う。それなのに、例の土地取引問題に関して、自分は「法に触れることはしていない」だの「幹事長は止めない」だの言うものだから、陛下のお迎えもただのポーズなんだろう、と勘ぐられても仕方がない。だから、この期に及んで、いくら陛下をお迎えしたところで、精々、地に堕ちた信頼を、奈落の底に堕とさないようにするのが関の山。一度失った信頼を、取り戻すのが如何に大変かを思い知ることになる。

 

 世界最古の皇室を戴く日本国民は、君主のありかたを知っている。陛下を始め、太古から連綿と続く皇族の立ち振る舞いを、ずっと見てきているから。少なくとも、戦後60年だけを見ても、その立ち振る舞いは皇族の皇族たる所以を国民に示し続けてる。故に、日本人は、所謂、君主、帝王の理想像とでも言うべきものを皇室を通じて、共通イメージとして持っている。高貴な人というものはああいう存在なのだ、という共通認識がある。

 

 現憲法でさえも、陛下は日本の象徴と規定されている。日本の象徴であるのだから、日本人としてのあるべき姿がそこにある。日本人にとって帝王とは、陛下の如きものなのだ、という意識が当然の前提としてあるから、そこから外れる君主に対しては、とても厳しい視線を向ける。無論、それは、陛下が任命する内閣総理大臣、昔でいうところの征夷大将軍であっても例外じゃない。

 

 日本人は、不遜な征夷大将軍は認めない。とりわけ、陛下を蔑ろにするような将軍は絶対に許さない。だけど、その征夷大将軍であるところの総理大臣は、議院内閣制であるが故に、直接国民が選ぶことはできず、また、内閣総理大臣の任命に当たって、陛下はそれを拒否することができない。つまり、日本国民は陛下を通じて、日本の統治者は高貴であるべきだ、というイメージを持っていて、それを了としているにも関わらず、現実の統治者である総理大臣を、直接選挙で選んでいる訳ではない、というジレンマを抱えている。だから、もし、総理に品格なり、何らかの問題があったとして、自分達の統治者として相応しくない、と思ったとしても、総理が解散総選挙をしない限り、直接辞めさせる手段がない。したがって、日本国民は、支持率というものを通じてしか、自分達の意思を表明できない。


人徳と実力の両立

「力を持ってるほど、表に出ない。これが日本の政治だったんだよ。」

                     渡部恒三 時事通信インタビューにて

 

 統治者、権力者に品格、人徳を求める、という意味では、国会議員は、大相撲の関取と似ているところがある。関取は、勝ち星を重ねることで、昇進していくけれど、大関・横綱になるにつれ、その立場に相応しい立ち振る舞いを求められるようになる。これは伝統的に「かくあるべし」とされているということもあるけれど、相撲はもともと神事であって、神々に奉納するものであったことも関係しているのかもしれない。

 

 政治だって、大元を辿れば、政(まつりごと)。だから、政治も一種の神事だと言えなくもない。横綱、大関と同じように、閣僚・総理には、その立場に相応しい立ち振る舞いを国民は期待する。いくら強くても、その立ち振る舞いが横綱らしくなければ叩かれるように、いくら政治的能力があっても、品格がなければ叩かれる。

 

 だけど、ここで問題になるのは、叩く対象はあくまでも、品格、人徳なのであって、その人の政治的能力は、必ずしも評価対象になっているとは限らないということ。仮に、政治家にトータルの実力というものがあったとして、それを品格と政治的能力の2つに分けるとするならば、国民はどちらかをを優先して選ぶべきなのだろうか、それとも両方備えていなければいけないものだと断ずるべきなのだろうか。

 

 往年の大横綱のように、品格も実力も兼ね備えていないといけないのか、それとも、例えは悪いけれど、全盛期の朝青龍のように、強ければそれで良い、とするのかという命題がそこにある。勿論、実力も品格も両方備えているに越したことはないのだけれど、そうそういつも、そんな大政治家がいるとは限らない。

 

 理屈から言えば、この命題は、常につきまとう問題である筈なのだけれど、これまではいつも何か問題があると、やれ汚職だとか、やれ口利きだとか、やれ収賄だとかスキャンダルだとか、品格に関係する問題でばかり叩かれて、政治手腕や能力そのものを問われる形での叩かれ方は殆どなかった。過去では、60年安保闘争。近年だと、細川内閣、鳩山内閣、菅内閣くらいで数えるほど。

 

 だけど、本当は、政治的能力か品格かのどちらかを選ぶという選択はいつも突きつけられているにも関わらず、それを意識せずに国政が回っていたという点に、日本の幸運があり、不運がある。だから、今回の小沢幹事長の土地取引問題にしても、いざ、品格が問われるような問題が出ると、わっと批難が集まってしまうことになる。

 

 民主党への支持率の低迷の一因に小沢氏の政治と金の問題が影響していることは疑いようもない。それだけで(それだけの事なのだけれど)、支持率ががくんと下がってしまうのだから、如何に、日本は、政治家の品性に重きが置かれているかが良く分かる。

 

 それはそれで、是とすべきものなのだろうけれど、そればかりに拘って、政治手腕なり、政治家としての能力を無視するようになってしまうと、今度は人柄だけ良いお御輿ばかりが総理に据えられて、それを裏で操るフィクサーなり、闇将軍なりが幅を利かせるようになる。冒頭の渡部恒三氏の発言にしても、表には、品性優れた見栄えの良い政治家を出して、真の実力者が出ることはなかった、というのも図らずしも、それを示唆しているように思える。


征夷大将軍は帝(みかど)に仕える存在

 日本において、世論調査による支持率には、政治家としての人徳や品性を推し量る側面がある。内閣を組閣するときには、よく身体検査と称して、大臣候補者にスキャンダルやら危ないところがないか、十分調査してから、閣僚に任命をしたりするものだけれど、これだって、政治家としての品性や人徳と言った部分が如何に内閣支持率に響くのか分かっているからに他ならない。

 

 もしも、利権や汚職が当たり前で、それが普通でなんとも思われない国があったとしたら、その国で一番支持を集める政治家は、最高権力を握り得る実力者になるだろう。力こそ全ての国では、力のない政治家は抹殺されるだけ。品性や人徳など鼻紙にもならない。だから、ある意味において、政治的能力は勿論のこと、人徳や品性さえも合わせて、それぞれ高い資質を要求される日本の政治家は、生半なものではとても務まるものじゃないとも言える。

 

 大きく言って、これまで日本は、天皇陛下が権威を受け持ち、政治家が権力を受け持つという、一種の二重構造の政治が行なわれていた。それはそれで、権力を受け持つ側が腐敗したときでも、最高権威である天皇陛下には手を触れず、征夷大将軍を挿げ替えることで、国体を保持していた面があったことは否めない。もしも、時の政治家に征夷大将軍としての実力がなかった場合でも、最低限の品格を備え、ひたすらに人徳を磨く姿勢さえあれば、それでもどうにかなったことは事実。実務は他の将軍達や臣下、即ち、優秀な官僚組織に受け持たせてやれば、滞りなく行なうことができたから。だけど、このある種の安定構造を壊そうとしたのが、小沢氏。

 

 彼の主張は、一言でいえば、「征夷大将軍は人徳なんかより、実力が第一であるべきだ。お飾りの将軍など不要だし、能力がないからといって、臣下(官僚)に任せたり、言いなりになったりするようなのは駄目だ。まず、臣下から実務の権限を剥奪する。各将軍はすべからく、自らの実力を磨き、臣下に変わって全てを裁可せよ。」と、まぁ、こういうことだと思われる。一応、これはこれで筋は通っている。

 

 国民からみれば、仕事をくれて、飯をきちんと食わしてくれるならば、実務については、将軍が裁可しようが、臣下が裁可しようが、別にどうだっていい。ただ、宮中の将軍達が、下々の民の暮らしを慮ることなく、仕事は全部臣下の言うなりに、無駄遣いばかりしている、という風に思い込んでしまったがために、鳩印の御輿を担ぐ闇将軍の言い分に一理ある、と支持をしたのが、先の衆院選。だけど、この闇将軍は、皇室という、その品位と徳望を揺るがせにしなかった権威を蔑ろにしてしまった。いかな征夷大将軍、闇将軍といえども、帝(みかど)という権威存在を忘れ、将軍としての最低限の立場をわきまえない不届き者であると分かれば、国民はそれを許さない。



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