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 毎日が同じように楽しく過ぎていくわけではない。冬美ちゃんがいられる時間は決まっているのだ。

 僕らは昼ご飯を食べ終わると、一直線に秘密基地に向かうようになった。一度待ち合わせる時間をも惜しむようになったのだ。中でも僕は早めに向かった。最初に小屋に入り、こっそり見つけた将棋の本を読むのだ。すごく古くて、紙は黄ばんで今にも崩れそうだった。書いてある中には読めない漢字もあった。それでも今まで知らなかった知識がいっぱい書いてあり、僕はむさぼるように読んだ。そして冬美ちゃんに、得意げにそれを教えるのだ。

「すごーい。全然攻められないね」

 冬美ちゃんかが一番驚いたのは、「美濃囲い」というものを作った時だ。たぶん、「みのうがこい」と読むと思うのだが、簡単に作ることができて、その上とても王将が安全になる。

「もう、将棋ばっかりして。大富豪しようよ、大富豪」

 ヨオコはトランプが好きだった。武雄もそれに合わせているし、久司はトランプに対して何かしらの探究心を持っているようだった。

「わかった、じゃあちょっとだけ」

「またあとでだね」

 あまりにしつこいので少しだけのつもりで参加したら、熱中してしまった。大富豪には終わりがない。

 気が付くと夕方だった。

「あのね……明日は、早く来る」

 帰り際、僕にだけ聞こえる声で冬美ちゃんは言った。

「うん、僕もそうするよ」

 そう、明日は七日目。冬美ちゃんが来られる、最後の日。

 

 

 風の音が、少し大きかった。沢の水の流れも、早い気がした。空は曇り空。

 小屋の扉を開けると、冬美ちゃんはすでにいた。小さな口を大きく開けて、おにぎりを食べていた。僕が入ってきたのに気が付くと、あわてて空いている方の手で口を隠した。

「あ、……こんにちは」

 ちょっともごもごとしながらのあいさつ。とってもかわいかった。

「早いね」

「最後の日だからいろいろ見て回りたいって言ったら、お弁当作ってもらえたの」

「ヨオコは?」

「まだ寝てた」

 二人でくすくすと笑った。そして冬美ちゃんはご飯を食べ、僕は将棋盤に駒を並べた。最後の一日。そして、最後の二人だけの時間。

「はじめよっか」

「よし」

 将棋を始めて、いつもより少しだけ口数が少なめになった。ここに来れなくなるだけでなく、冬美ちゃんは日本からも離れるのだ。今この瞬間を、大切な思い出にしたいと思っているんじゃないだろうか。僕も、精一杯その手伝いをしたい。

 風が扉をたたく音が大きくなってきた。そして、肌に少し湿り気を感じる。窓から外を覗くと、雨粒が見えた。みるみるそれは勢いを増し、あっという間に大雨になった。

「急だね」

「すぐやむかな……」

 冬美ちゃんにとって、日本の気候は全て未知数なのだろう。だけど、僕にもこの雨がどうなるかなんてよくわからない。

「とにかく……雨漏りしないといいな」

「今のところ大丈夫そう」

「みんな……来れるかな」

 この雨では足元も危ないだろう。傘を持ちながらの移動も危険だ。

「このままだと来れないかなあ。すぐやんだらいいけど」

「だといいね」

 僕たちもこのままでは帰れない。いつもより暗い部屋で、とりあえず二人は将棋を始めた。

「なんか、すごい強くなった気がするな」

「そうかな」

 二局ほど終わった時だった。部屋の中が一瞬真っ白になった。二人の動きが止まった。そして数秒後、ドーンという大きな音とともに、小屋全体がびりびりと揺れた。

「ワッ」

 冬美ちゃんは体を揺らして、そしてとっさに僕の手をつかんだ。僕もとても怖かったけれど、なんとか「大丈夫だよ」と言って、笑顔を作った。

 それから何回か、雷は続いた。将棋どころではなかった。そして、当然誰も来なかった。二人は世界から取り残されているかのように、不安に顔をゆがめていた。

 どれぐらいの時間がたっただろうか。雷は鳴らなくなり、小屋全体が静寂に包まれていた。窓から外を覗くと、雨脚も随分と弱まっている。

「やんだら帰ろう。みんな心配してるだろうし」

「そうだね」

 雨はどんどん小降りになり、降らなくなり、ついには日の光まで差してきた。世界は、嘘みたいに明るくなった。

「もうちょっと、みんなといたかったな」

「もう、ここに来ることはないの? 来年は?」

「日本には来るかもしれないけど、ここまでは……。先のことはわからない」

 あまり考えないようにしていた。毎年、夏休みは終わらないつもりで遊んでいた。そして今、この日、冬美ちゃんとの最後の時間だということも受け入れられていなかった。

「わからないなら、来れるかもしれないよね」

「……うん」

「じゃあ、またここで会えるかもね」

「……うん」

「もっと教えられるように、将棋強くなっとくよ」

「……うん! 私も、何とかして勉強しておく」

「じゃあ……これ持ってきなよ。僕はどこかで買うから」

 最初からぼろぼろで、そしてさらに使い込まれた将棋の本を、僕は冬美ちゃんに渡した。

「いいのかな」

「いいよ」

 扉を開ける。日常へと戻る、出口。

「またここでね。たとえ十年後でもさ」

 なんでそんなことを言ったんだろう。でも……言わずに後悔するような人間じゃなくてよかった、と思った。

「うん。またここで」


 埃を掃き集めて、外に捨てる。月に一度ほどは掃除しているとはいえ、使っていないとすぐに汚くなってしまう。

 僕だけがここに残った。大学、就職、夢を追っての上京。いろいろな理由で、みんなが旅立っていった。

 だんだんと、それはただの習慣になっていった。何かにすがって、信じ続けて、頑張り続けるような人間ではなかった。この秘密基地を守り続けることで、自分を見失わないでいられる気がした。みんなのように大きな目標は持てなくても、大丈夫だって安心したかった。

 腰を掛けて、折り畳み式の盤を開く。九年前、お年玉で買ったものだ。今思えばおもちゃなのだが、当時は木の盤というだけでとてもテンションが上がった。駒袋から駒を取り出す。駒も平べったい、字をプリントしたもので、せめてもと思ってあとでいい駒袋を買ったのだ。その後バイトもするようになって新しいものを買う余裕はあったけれど、結局ずっとこれを使っている。

 駒を並べていく。何回も繰り返したこの作業。僕は、棋譜を並べるのが好きだった。一つ一つの棋譜が、オリジナルの物語だと思った。途中で難しいことは考えずに、ただただ再現していく。それが楽しい。

 携帯電話を開いて、モバイルページに接続する。昨日行われたタイトル戦の棋譜を検索。今日この場所で並べるために、見るのを我慢していたのだ。

 今、一番強い人たちの将棋。やっぱり、迫力が違う。

 中盤から、よくわからない手順が続く。次の一手が全く予想できない局面で、手が止まる。きっとここが勝負どころだ……

「昨日の将棋だね」

 耳の後ろから、すっと手が伸びてくる。白くて細くて、それでいてピシッとしていて。その手は飛車をつかみ、自陣に打ち付けていた。まったく予想外の、相手の攻めを封じ込める一手。

「見てたんだね」

「昨日、日本に来たの」

 振り返り、ちょっと驚いた。そこにいたのはもちろん大人になった彼女で、それは予想していた。けれどもすらっと背が高くて、肩まである髪はゆるやかにウェーブしていて、とっても知的な顔で。記憶の中の少女が、こんな風に成長するとは思っていなかった。

「それでここまで来たんだ」

「私、約束は守る方だから」

 彼女が帰国すると知ったのは二週間前。アマチュアの女流棋戦に海外招待選手が呼ばれることになって、そこに彼女の名前があったのだ。見つけた瞬間は飛び上るほどびっくりしたけれど、すぐに言い知れぬ喜びに変わっていった。

 僕はどこかで、確信していた。どれだけ時間がかかっても、この日が来ると。

「時間はあるの」

「うん。今日は大丈夫」

「じゃあ、指そうよ」

「うん」

 僕の前に座る彼女。真っ白なワンピースだ。

「ちょっと待ってね」

 急いで棋譜を並べて、そして二人で最初の形に駒を並べ直す。

 十年ぶりだ。

「なんか変な感じ。あの頃と変わらないね」

 そう言って、冬美ちゃんが最高の笑顔を見せてくれる。確かにこうしていると、子供の頃の気持ちがよみがえってくるようだ。

 だけど。確実に一つ変わったことがある。あれから僕は、頑張って将棋の勉強をした。いつの日かこうして対局できるとき、しっかりと教えられるように。そして、アマ初段の免状をとった。それを見せて、少しは自慢しようと思っていた。

 でも、冬美ちゃんの方が頑張っていたのだ。彼女は海外で一番強い女性になって、ここに戻ってきてくれた。教わるのは、僕の方だ。

 窓の外は、太陽の光であふれている。夏の日に、秘密基地で、最高の思い出に、最高の思い出を重ねていく。

「お願いします」

「お願いします」

 大人になった二人はしっかりとお辞儀をして、対局を始めた。きっとずっと、忘れない一局になる。


お城は飽きた 一



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