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第六十二話 権力と権威

権力と権威


どちらも、人を引き付ける力。
その違いは何か?


権力とは、その地位を使って、人を引っ張る。
人間的魅力というよりは、地位による強制力によるもの。

権威は、その地位もさることながら、人間的魅力によって
周りを引っ張っていく。


権力ではなく、権威ある人間に。
自分は権力ある人か?権威ある人か?の評価はいつされるのか。

それは、その地位を降りた時。
このとき初めて、自分は権力の人間だったか、権威の人だったかわかる。


権力は無くなれば、人は離れていく。
権威ある人は、いつまでも慕われる。
このことは当事者の時には分からない。


自分が去るその日審判は下される。

第九十話 「空(クウ)」とは何か

ひきよせて 
むすべば柴の 庵にて 
とくればもとの 野はらなりけり 

「庵」とは、草木を結ぶなどして作った質素な小屋のことで、 
僧や世捨て人などが仮住まいとしたものである。 

庵は、「建築する」とはいわず、「結ぶ」といった。 
そこらへんにある柴をかきよせて結んで作ったから庵になる 

もし、結び目を解いてしまえばそこには何も無い。 
この歌が、明快に「空」を説明している。



庵は、あるのか、ないのか。 

柴を結べば庵はある。結び目を解けば庵はない。 


したがって、庵は、あるともいえるし、ないとも言える。 

それと同時に、あるともいえないし、ないとも言えない。 

庵の存在、有無は、「結び」にかかっている。 
結べば庵はあるし、結ぶまでは無かった。 

結びを解けば、庵はなくなる。 

これぞ、空である。 

空は、確かに無である。 しかし、それと同時に有でもある。 


~日本人の為の宗教原論/小室直樹~


第九十七話 完全の追究から矛盾との対峙へ


最も生命的な活動が行われるのは、カオスの淵である。 

この言葉は、20代で知った言葉、実感した事の中でも重要なものです。 
20代の頃は、完璧主義をめざしたり、抜けの無い仕組み作りに奔走したりしていました。 

つまり、完全なるオーダー【秩序】の世界を生み出せば、

全て物事がうまく行くと思っていました。 

しかし、それは間違いでした。 
完全なオーダーの中では、思考停止が起こります。 


何も考えなくても、ボタン一つで事が進んでしまうなら、

人間が思考する意味はなくなってしまう、

もっと言えば生きている意味がなくなってしまうとすら思います。 

オーダーとカオスの行き来の中で、

生命的な新たな発想が生まれ物事が進化していくと思います。 

世の中は矛盾が多いです。

しかしその矛盾を解消し、完全なオーダーを求めてしまうと

それはそれで味気ない世界になってしまうのかもしれません。 

長期利益と短期利益。

バランスポイントを見ながらどちらも成り立たせなければならない。 


利益活動と社会貢献活動。

どちらも大切でどちらか一方ではならない。 



時流を見抜く事と原理原則をはずさない事。

時流だけではすぐに陳腐化する。
原理原則だけでは、時流に乗り遅れてタイミングを逸する。 


などなど、世の中は矛盾するものをその時の状況でバランスをとり、

腹を決めて判断していくという事が実は大切。 

完全を目指して、楽をしようとしてはいけない。 
矛盾と対峙して、その時その瞬間毎の覚悟を持った決断ができるからこそ、道が開けていく。 


その矛盾との対峙こそ、カオスの淵との対峙でもあり、最も生命的な活動が生まれる場であると思います。 

この30代。場面場面でいろいろな決断をしていく事があるでしょう。 
逃げも隠れもせず、この矛盾を包括していきたいと思っています。


第七十一話 二人の石切り職人

旅人が、ある町を通りかかりました。


その町では、新しい教会が建設されているところであり、

建設現場では、二人の石切り職人が働いていました。


その仕事に興味を持った旅人は、

一人の石切り職人に聞きました。


あなたは、何をしているのですか。



その問いに対して、石切り職人は、

不愉快そうな表情を浮かべ、ぶっきらぼうに答えました。


このいまいましい石を切るために、

悪戦苦闘しているのさ



そこで、旅人は、もう一人の石切り職人に

同じことを聞きました。


すると、その石切り職人は、

表情を輝かせ、生き生きとした声で、こう答えたのです。


ええ、いま、私は、

多くの人々の心の安らぎの場となる素晴らしい教会を造っているのです。



どのような仕事をしているのか。

それが、我々の「仕事の価値」を定めるのではありません。


その仕事の彼方に、何を見つめているか。

それが、我々の「仕事の価値」を定めるのです。


これから働き方はどう変わるのか~田坂広志 講談社より~


第百話 やまあらしのジレンマ


あるところに二匹のやまあらしが住んでいました。


冬の朝、とても寒いので、二匹のやまあらしは、

互いに暖めあおうとして身を寄せあいました。


しかし、あまりに近く身をよせあったため、
二匹のやまあらしは、自分の体に生えているハリによって、


お互いに傷つけてしまいました。


その痛みから、二匹のやまあらしは、お互いに相手から離れたのですが、
今度は、また、寒くてたまらなくなりました。

そこで、ふたたび二匹のやまあらしは、身を寄せあいました。
するとまた、互いに相手を傷つけてしまったのです。

こうして、二匹のやまあらしは、離れたり、近づいたりすることを繰り返し、ついに、最適の距離を見出したのです。

こころのマネジメント~田坂 広志 東洋経済~

相手のこころに近づく事、最適な距離を測る事ってとても難しいですよね。
この言葉を言ったら相手はどう思うだろう?
きっとこう思うに違いない。

こんな事を頭の中でぐるぐる考えて、結局行動に移せず、
お互いの距離を適正に保てないままになってしまう事って誰でも経験あるのではないかと思います。

私は、大学時代そんな人間でした。
「自分が我慢すればいい。」、相手を立てるということはそういうことだ。と、思っていました。

しかし、いつか自分が相手に対して不信感を持ったり、愚痴を言ったりしている事に気づきました。
このままではいけない。と思って、思い切って自分の思っていることを相手にぶつけました。


すると、相手も自分の思っていることをぶつけてくれました。

それで関係が悪くなり、気まずくなったかというと、そうではなかった。


むしろ、互いに考えている事を深く理解し、絆がより深くなりました。


この経験をしてから、言う時は言う。心と心の格闘をしていかないと、

本当の意味で前に進めないということを学びました。


ただ、とても大切な事がもう一つあります。

「自分の言葉に責任を持つこと。」

その事が大切です。
相手の心と心でぶつかろうとする時、本気でなければならない、
つまり、自分の言葉に責任を持たなければならない。
でなければ、単なる批判で終わってしまいます。


それこそ、互いの関係は悪くなります。
お互いが本気でぶつかるからこそ、相互理解が得られるのです。

インターンシップの時、学生達に言った事。


仕事はどこまでいっても一対一だ!!!


本気でぶつかれ、


自分の頭の中の仮説だけで、結論付けるな。
この寓話を読んで、大学時代の自分、インターンシップでの自分のあの心のぶつかり合いを思い出しました。


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