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ないものねだり

「じゃあ、お休み。」

 彼がそう云って、通話が切れた。
 先ほどまでモニターに映っていた彼の笑顔も一緒に消える。
 
 ……。
 
 私は何だか空しい気持ちになって、ため息をついた。後から流れてくるのは、涙だけだった。
 彼はこの少ない通話の時間でさえ、「話す機会が少ないから、惜しいんだ」と云ってくれた。その言葉に、普通の私と同年代の恋する女の子ならば喜びから微 笑みが毀れるのだろうが、私から毀れてくるのは涙と嗚咽ばかりだった。しかも、何故だか分からないこの感情に、説明も理由もつけることが出来なかった。
 しゃくりあげている私に理由も訊かず、まるで空気扱いする家族は無関心なのか、態とそうしているのか判らなかったが、兎に角今日に関しては有難かった。
 涙を拭いて、取り敢えず冷たい珈琲を流し込むと、一旦部屋へ戻った。私は自分用のパソコンを持っていないので、リヴィングでしか彼と話すことしか出来なかったからだ。当然、非喫煙者の家族の集まるリヴィングでは禁煙。自室にしか灰皿はなかった。
 細巻きのメンソールに火を点ける。最近、元彼に貰ったVivienneのライターは機嫌が悪い。

「あれも好き、これも好き、あれは嫌いこれは嫌い。」
「こうなりたい、こうしたい、ここ行きたい、でも出来ない。」

 煙と一緒に独り言を吐きだす。リズミカルな愚痴ついでに韻を踏むと一人自嘲した。しかし、楽しい筈もなく。再びPCに触ろうかとも思ったが、やめておいた。
 
 不調の原因は知れていた。彼も、友達も、ちゃんと仕事をしたり、学校に行ったり、それぞれ頑張って生活をしている。それを知ってからの焦燥感が根底にあ ることは解っていた。彼が忙しい時間を割いてまで私と話してくれたことも、それまで昼夜逆転で眠りこけていた私からすれば酷く有難く、酷く……こう云って は失礼だが私にとって惨めだった。

 日付が変わり、夜勤明けの妹が帰ってきた。私はぼんやりと挨拶を交わすと、お風呂に入るべく準備を始めた。

Blackjack


 自分を歪めるのに疲れる反動で浪費するものだから、手許に残るものも残らない。その日のうちに紙幣を黒い服に、アルコールに、騒音に身を置く時間にすり替えて日々を凌いでいた。その一夜は相手に夢中なふりができる点では、私も含め誰もが詐欺師である。享楽的な世界は一見華やかに見えてどす黒い。ちやほやされるのも初めの内だけだと気がついた時には諦めしか残らないのだ。惰性と未練で現にしがみつく。
 騒がしい時間が峠を越える頃に、どんよりとした空気の中、歌うのにも飽きてひそひそと話し込む。遮音性の高いカラオケ店の一室は、逆に静かだった。
「喉痛いねー……。明日休みだからいいけど、通勤に一時間もかかると電車で寝るしかない気がする。」
「よく一時間も電車乗ってられるよ。どちらかと言うとそれが凄い気がする。普通に反対ホームから電車乗って帰ってきたくならない?」
「なるさー。そりゃ、なるよ。」
 でもメールだと来る来る詐欺だしいつ来るかわかんないじゃん?と私が声のトーンをあげると、またか、と言う顔をされた。この友達は色々な意味で表情が豊かである。
「客じゃないのかーい。だから偶然会ったことにしといてコンビニでだけでもいちゃついてきたらそれで良かったんじゃん。」
「いや、それ個人的に凄く割り切れないから。無理無理惚れる。」
「既に割り切れてない気がするんだけど、」
 と、黙って選曲をしていた友達が私の携帯を鞄から取って差し出した。
「盲目というか、難聴まで来たかい、」
「ごめん!電話!」
 携帯を掠め取ると、呆れ顔の友達二人を尻目に私はさっさと部屋から出た。どちらかと言うと廊下の方が他の部屋で盛り上がっている声やら音やらで騒がしいのだが、電話は来る来る詐欺の相手だった。
「よ。何してた、」
「カラオケだよー。お仕事終わったの?お疲れ様。えー何、暇なの?」
「暇じゃなかったら電話しないなあ。」
 彼は笑う。この間、過ぎてしまった彼の誕生日プレゼントがどうとかでもめたばかりだった。結局彼が私の泣き言を聞き入れて「お前からもらえるなら何でもうれしいよ、」と慰めに入ったことで私の無駄に高い自尊心は保たれた。仕事に行くついでに、路面店で彼が「これしか受け付けない」と云っていたヴィヴィアンの灰皿を購入してあった。スタンダードなシルバーと迷ったが、メールアドレスにフランス語で黒を混ぜ込んである彼のことなので、少し値は張ったが黒を選んだ。
 営業時間外に会うことは基本的に私の所属している店は禁止だった。というか、どこでも大体そうだという認識でいる。罰金が怖い、と会うのを拒んでいたが、物件探しをしていた地域がたまたま彼の実家のある地域だったため、最寄の駅で落ち合って、それからこっそり会っている。
「ところでさ、今Y駅まで来れる?」
「何で?」
「俺さ、云ってたけど、引っ越して一人暮らし始めたんだよね。んで、今日引越し終わって一人暮らし初日なわけ。新居にお招きしようかなあって。来れば会えるよ?」
「ほんとに?えーでも、ばれないかなー……。」
「駅からは車だし大丈夫だって。お前のために待っててやってんだぞ、」
 悪戯っぽく笑う。ずるい、と云って私は自分がさっきまでいた部屋のドアを開けた。
「済まぬ。僕を、家に寄ってから駅まで送ってはくれまいか、」
「……それはなんと言う冗談?」
 二人分の冷たい笑顔が返ってきた。どちらかと言うと呆れている。
「ここ持つから!お願い!」
 事情で車の運転ができない私は、携帯を持っていないほうの手を合わせるような仕種で今日のハンドルキーパーにお願いしてみる。悪びれもしなかったのはきっと、アルコールで脳内が水浸しだった所為だろう。
「仕方ないなあ……。」
「アリバイ工作も頼む!」
「最低だな、」
「うん。……ごめん、一時間待って、電車の都合上。」
 にっこり笑って頷いた科白の後半は携帯の通話口に向かってである。呆れながらも早々に店を後にしてくれた友人の計らいで私は自宅に寄ってもらい、彼へのプレゼントと携帯用のスキンケアセットを抱えて、ほぼ脱走するような形で地元駅を後にした。
 イヤフォンの音量を鼓膜が割れんばかりに上げるのは電車に乗るときの私の癖だが、誰もいない車両で彼とメールしながら、少し羽目を外し過ぎてはいないか、と警告する理性を、鼻歌とともに駅のホームに置いて北口に降り立った。やっと見慣れた白いバンがパッシングする。
「おせーよ。」
「電車に文句云って。来てあげたのだから有難く思いなさい。」
「それも、俺の分?」
 後ろ手に隠したつもりのショッパーを目ざとく見つけた彼が訊いてくる。
「スモールオーブと交換ならいいよ。」
「嘘吐けよ。シルバーのオーブかわいくないって言ってたの誰だ。……ありがと、」
 そういって、私が乗り込むには少し高すぎるステップを軽く腕を掴んで引き上げる。そのまま、他の人だったら赦せないと云っていた顎鬚がちくっと刺さって軽く唇が重なった。
 真っ暗で右も左もわからないような夜道を、それからしばらく黙って揺られた。彼は機嫌よくカーステレオに合わせて洋楽を口ずさんでいる。横顔を見ながら、時々合う視線に笑顔を返した。
「狭いけど、どうぞ。引越しのときに友達に手伝ってもらった以外は、人上げるのほんとにお前が初めて。」
「またまたー。」
 まだダンボールも数のある、手狭だが、どこか秘密基地のような雰囲気の部屋はダークトーンで揃えてあり、仕事で内装も担当する彼のセンスを感じさせた。
 ぼんやりしていると何故か本名で呼ばれた。教えてあったので当然といえばそうなのだが、ほぼの連絡手段であるメールでも、気紛れでかかってくる電話でも「お前」呼ばわりされていたので、少し照れくさい。
「風呂沸いた。入るぞ、」
 疲れたーと云いながら浴室の扉を開け放してシャワーを浴びようとするので、閉じがてら背中を流す係になった。Tシャツを借りてかぶる。
「なんかものすごいワカメちゃん丈なんだけど、」
「それが醍醐味だろ。」
 おいで、と引き寄せられる。胡坐をかいた足の間にすっぽり座って背中からくるまれると、やっと安心した。そのままの姿勢でショッパーを指して開けていいかと尋ねてくる。そのために用意したよ、というと、またくしゃっと髪を撫でられた。腕を伸ばしてショッパーを取り、開けてまた相好を崩す。私はなんだか照れくさくて、煙草を切らした、と言い訳をして置いてあった彼のラッキーストライクを勝手に吸った。

 テレビは大きくないときがすまないから大きいの買ったんだけど、結局置くところなくてベッドの下に置いた、と笑う彼は、番組が全て終わって画面が砂嵐になってもそのままにしている。
「消さないの、」
「なんか、この音好きなんだよな。海みたいじゃん?」
「家、すぐ近く海だから、天気荒れると海鳴り聞こえるよ。」
「そっか。……明日、家まで送るから、4時起きな。起きろよ、」
「そっちこそ、」
「お前、俺が早起き得意なの知ってるだろ。真面目に蟻のように働いてるからな、」
 お休み、と頭を布団に押し付ける。酔いが回った私は浅い眠りを齧っただけで、結局4時に彼を起こす係となってしまった。
 ゆっくり昇る太陽を背に高速を運転している彼は明らかにイラついていた。酔いもいい加減醒めれば、全てが白々しい。方向指示以外ほぼ無言で自宅まで送ると、さっさと帰ってしまう。
「……お仕事邪魔しちゃったかな、」
 ぽつねんと一人、家の前で携帯を見つめる。ゆっくりと開いて、メールを送った。わざわざ家まで送ってくれてありがとう、お仕事頑張ってね。そのメールに宛てた返信はずっと後になってから、「もう連絡してこないでほしい」というものだった。
 それきり彼は店にも現れない。街で見かけることもなかった。最初こそ当り散らしたものの、仕事はやりやすくなった、と、嘯いてシフトを増やす。けれどもう、切り札どころか、私には何も残っていなかった。最初から駆け引きにすらなっていなかったのだ。ひとつ特別を増やせば負ける。数字合わせのように見事な行方不明者と過ごした時間は幻のようだった。



8hole

 きっとあの告白も血迷ったものだったのだ。それは解りきっていたことで。
 仕事の前に僕は 女の子の自分を作っていた。そう云う職種だったから仕方がない。着替えは職場にて行うが、僕の降りる電車の時間に駅から直通で職場に行くのは時間が少し余 る。珈琲を飲む序でに、仕事の時間が近い彼にメールして、僕等は時々会って、珈琲と煙草で時間を潰しながら他愛もない話をした。そんな、週に数日あるかな いかのある日。
「あ、今日お揃い?」
 何のことかと思ったらば、彼は白いマーチンを履いていた。僕は自分の足元を見る。白に、少し汚れのついた8holeのマーチン。
「本当だ、」
「俺、ホール多い分何か足短く見えない?」
 彼は苦笑する。不意に、彼と偶然出会ったときの屈託のない笑顔が浮かんで視界が滲んだ。
 携帯のアラームが鳴る。そろそろ僕は「あたし」になって行かなくてはならない。
 彼の一番には、なれないのだ。解りきっていたことで、解りたくなかったこと。誰の一番であってもいけない。それは寂しさを埋める行為とかわりはないから。
「……そろそろ、行かなきゃ。」
「頑張ってね、」
「お互いに、」




 それ以来、彼とは会っていない。風の噂と雑誌でアパレル関係の仕事もしているようだと知ったが、所詮、憧憬でしかなかった。時々マーチンを履くと感傷的になる。



2Days #1

 酷く暑い夏だった。初めての遠征先、否、出会っていなかっただけかもしれない、二度目の遠征先。
 過去に大阪に出向いた事はあった。しかし、彼とはまだ出逢っていなかったのだ。
「今回の武道館、行く?」
「うん、行く行く!やっと会えるねー!」
 付き合う、という事になって初めて、やっとやっと会うことが出来る事になった。友達としての付き合いは、それよりずっと先からあったのだが、実際に会うのは初めてだ。しかし私は、ずっと彼のことが好きだった。
「樹の一番になりたい。」
 ずっと云い続けていた事。お互いに彼女や、彼氏がいる中で、それでも不埒なこの告白を、彼はどう捉えていたのだろう。今となっては、訊く事も出来ない。

**********

 武道館に着いて真っ先に云われたことは、「思ったより若い!」だった。なんなんだ、と肩を落としたものの、それでも会えたことが嬉しくて、犬だったら尻尾を振って、という形容の一番似合う様子で私は彼の許に駆け寄った。
「わー!会えた!何、思ったより若いって!失礼!」
「おれ、肥えたやろー。」
「写メで見るのとは違う、ねえ確かに。」
「撮り方、撮り方。」
「ほら、これ。」
  樹にもらった指輪。と云いながら、私は左の薬指を見せてみた。樹が付き合うということになってから、すぐに送ってくれた指輪だ。私にはぶかぶかだったの で、普段は人差し指に嵌めていた。親指ですぐに撫でる事のできる位置だからである。メールで、彼の指にはかぶれが出来たので、(彼曰く、指が呪われた、の だそうだ。)右指に嵌めている、と写真つきでかぶれた指の画像が送られてきた。左薬指の爪だけ青いマニキュアが塗ってあり、他の爪は黒。リアルタイムで メールしながらの画像だという事が判る、駅の構内と思われるタイルが背景にぼんやりと写っていた。それが印象に残っている。
「おれはかぶれたから外した。持ってるけどな、」
  ほれ、と云って見せてくれたのは、色違いの黒のユニオンジャックの指輪。私のものは青色である。お揃いやと別れるから色違いにした、と樹は云ってい た。高価な指輪をいくつも嵌めている中で、私とおそろいの指輪を嵌めていてくれている、その事実に私は感動していた。小さな事かもしれないが、ただ逢えて こうして隣に座っているだけで、夏の暑ささえ、忘れてしまうのだ。
 見入っているうちに、視界から指輪が消えた。彼の指が移動したのだ。ロイヤル オーダーのジッポで、KOOLNIGHTに火を点ける。確か、ジッポを買ったから、と云って、私にヴィヴィアンのライターを送ってくれたのを、まだ覚えて いる。ちょうど私もその送ってもらったライターを持っていた。自分の煙草を吸っても良かったのだが、なんとなく悪戯がしたかった。
「もーらい、」
「あ、とられた、」
 彼が銜えてぽかんとしていた、その唇から煙草を奪うと、私はそれを吸ってみた。ふふ、と微笑んでいると、あーあ、というような素振りをして見せる彼。深い緑色の浴衣に、びっしりと入った墨と、白い肌が映えた。
 と、ピンクの浴衣を着た綺麗な人がニコニコしながら此方へ話しかけてきた。私は初対面だが、顔とどういう存在なのかはだけはプリや手紙、メール等で知っている。現在の同居人で、樹の元彼女だ。
「こんにちは。……で、どうなん?逢った感想は?」
「どーもこーも……付き合い長いから、なあ、」
「う、うん。」
 振られるがままに首を縦に振ってしまった。本当は「嬉しいです!」と云いたかったが、これだけ綺麗な人だったのにいいのかな、などと思うと、口が回らなくなる。
  二人は墨を入れるのと、ブリーチで頭皮が痛いのとどちらが痛いかで少し口論をして、「じゃ、邪魔しちゃ悪いから、私あっちにいるね。」と云って、彼女は 去っていった。駐車場の少し離れたところに、樹の友達たちがいたのが見えたが、挨拶など出来る体でもない。そんな度胸もなかった。
「あー、喉渇いた。コーヒー飲みてえ。」
「じゃあおつかい行って来るよ!小銭ちょーだい、」
「ん、」
 樹は煙草を吸いながら、お財布から小銭を取り出すと、私に渡した。私はそれでコーヒーを買いに行った。生憎ブラックがなかったので、微糖のコーヒーにしたが、それでも満足してもらえたようで少し分けてもらいながら、時間を潰した。
「……長かった、な。」
「うん、」
 照れてしまってうまく話せない。と、携帯が鳴った。メールだった。ごめんね、と手で合図しながら携帯を開いて確認する。
『どこ居るん?今着いたでー』
 向こうの方でも、私を呼ぶ声が聞こえる。友人たちだ。
「ごめん、ライブ終わったらまた会おう。絶対だよ、」
「おう、いてら、」

 2デイズの一日目、私たちはこうして、会場で逢うことが出来た。

 ライブ一日目は、アリーナCブロック。樹たちはスタンド席だったはずだ。見えるかな、と思いながら、久々のライブに思い切り暴れた。
 帰りは再会する人たち、荷物受け取りの列、合流する人たちでごった返していた。
「ねえ、彼氏さんいいの?」
「うーん……ごめん、ちょっと探して会ってくる、何処かな、」
 その二日間、泊めてくれる友人が気を遣って訊いてくれた。私はくるくると辺りを見渡しながら、人の波に流されるままに出口の方に向かって歩いていった。
「あ、あれじゃない?緑の浴衣って云ってたよね、」
「そうだ!」
 見つけた。云い終わるより早く疲れたからだが勝手に駆け出して、樹の腕に飛びついた。
「うわ、」
「見つけた!楽しかったね!」
 離せ、と、捕まえた腕を少し振られたが、私はしがみついて離れなかった。
「スタンド楽やったなー。よう見えんかったけどな、」
「あたしちょう暴れた!スカート壊した!」
 ペットボトルを提げていたDカンが吹っ飛ぶ勢いで暴れていたのだ。何せ、人が後ろの方で見ているブロックだったので、仕切られている柵ぎりぎりまで出ていた。
「明日、飯でも食うかの。」
「そうだね、」
 少し離れたところから友人に呼ばれる。名残惜しかったが、私は腕を離した。

 明日も会える。会えるのだけれども……

「じゃあ、お疲れちゃーん。」
 今度は届くように、と、樹の頬に唇を少しだけ当てて、走って友人の元に戻った。振り返れなかった。少し高い笑い声が聞こえた。きっと元彼女さんだろう。恥ずかしい、という気持ちよりも、やっと逢えた嬉しさでいっぱいだった。
「よかったねー、」
「うん、ほんとありがと。」
 ニヤニヤする友人と、帰りにスーパーに寄って煙草と売れ残ったカツ丼を買って、彼女の部屋にお邪魔して寝かせてもらった。疲れですぐに寝入れると思ったが、なかなか眠れなかった。


2Days #2

 翌朝、友人は慣れた様子で出社せねば、といい、準備を始めた。私は油の切れたロボットのようなぎこ ちない動きで、一緒に食事を済ませると、開場までの時間潰しにと簡単に原宿への行き方を紙に書いて教えてもらった。急遽作ってもらった合鍵を受け取り、友 人を見送ると、薬を飲んだり、準備しておいた湿布を張り替えたりして、少し遅れて私も部屋を後にした。
  東京は何せ、電車の本数が多い。乗換えなども、私の地元と比べれば問題外の範囲で難しい。軽くパニックを起こしそうになりながら、原宿をぶらぶらした。し かし、一人ではつまらない。穿いていたパンツはあまりに緩かったので、ベルトを二本ほど購入して、それからチャームのついたゴムを買うと、うざったい前髪 をくくってしまった。まとめられたピンク色の前髪が酷く滑稽だったが、まあ、これでもいいだろう。一人でロッテリアで時間を潰しながら、つまらないなーと 外を眺めていた。紙コップが汗をかいている。
 と、携帯が鳴った。樹からのメールだった。短くふざけたいつもの文章の最後に、本日ボーカルさん、と書いてあり、画像が 添付されていた。コスプリを思い出すなあ、と思いながら見ていると、立て続けに電話が鳴る。白い目で見られる気がしたので、私は慌ててゴミをまとめて捨て ると、竹下通りを後にした。
「今何処居るん?」
「原宿ー。つまんないよ、一人じゃ。もう会場向かおうかなーとか思ってるけど……。」
「五反田来い、五反田。飯食うんやろ、」
 そこから私が地下道に入ってしまい、電波が途切れ途切れで良く聞こえなかった。
「行き方わかんないよー!電車怖いー!」
「解った解った。じゃあ、俺等も会場行くし、合流するか、」
「ごめんね。」
「ええよー。ほなの、」
 会場までは昨日の帰りに目印などを覚えたり、色で分けてある事を教えてもらっていたので何とか行けた。会場に向かうのだろう、同じ匂いのする人たちを何人も見る。最悪、解らなくなったらついて行けばいいや、位にしか考えていなかった。
 長い坂道を、ジュースを飲みながら一人登る。たまねぎ、と携帯をカメラ代わりに、会場前の幕も昨日と同じように携帯カメラに収めた。

 一人で随分と待つ。昼下がり、夕方が会場なのに人が多く集まるはずもなく、昨日彼がいた辺りに座り込んで、私はハイライトのメンソールをふかしていた。置き忘れられた缶コーヒーと、ねじ込まれているKOOLNIGHT。少し、笑った。
「何ニヤニヤしてんねん、」
 頭上から声が降ってくる。だるそうな顔をした彼と、彼の友達が昨日と同じところを陣取っていた。
「え、あ、ごめん、気づかなかった。」
「ひでえ。」
  しかも何やねんこのゴムは、と額をパシッとやられたが、ニヤニヤ笑っておくに留めた。今日の樹は、朝の、多分ホテルで撮ったのだろうと思われる画像と 同じでツアーTシャツに同じメイクだった。なんとなく、ヴォーカルとかぶる。まあ、コスしてたもんな、と思い、竹下通りつまんなかった、と云った。
「なあ、昨日浴衣姿見れへんかったし、帰ったら花火でも見にいかへん?名古屋辺りまでなら新幹線で出られるし。」
「ほんとにー!あ、じゃあ探しとく!」
「あんまり人多いのんは行かれへんで。発作出る、」
「そんなこと云ってたら何処も行けないじゃん。」
 携帯で花火大会のスケジュールを検索しながら、私は云った。冗談や、と彼も少し、笑う。
「……あ、」
「なに、」
「9月3日に、名古屋で花火あるみたい。それ行こっか。」
「そうなん、」
 なんとなく、いいなあと思いながら、私は浴衣のことを考えていた。着て来れば良かったのか、でも、花火を見に行く、という提案が彼から出てきた。それなら良かったと思える。
 他の友達と話に行ったり、彼もちょろちょろ散歩してきたり話したりしているうちに、アリーナの方が整理番号順に呼ばれていた。
「済まん、俺等今日アリーナやから行かんと。後でな、」
「うん。いってらっしゃーい。」
 しゃがみこんでいた私の頭を軽く二回、ぽんぽんと叩いて樹たちはアリーナの列に消えていった。
 私はぎりぎりまでスタンド席に入らず、友人を待ったが、間に合わなくなると云うので先に入った。幸い、チケットは渡してある。ライブ中メンバーは機材で見えず、友人は前の椅子に転がり落ち、私は階段に転がり落ちながらも、全力で暴れてきた。久し振りに、幸せだと思えた。
 帰りに友人たちに会い、また会場で仲良くなった友人と一緒にそのまま打ち上げのようなものを焼肉屋と、追い出されてカラオケで執り行ったため、樹とは逢えなかった。



アリーナの列に並んでいた後姿。それが、最後に見た姿になるなんて。



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