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── 目次(試し読み版) ──

注記) 記号をつけた節は試し読み可です         【2011.02.26版】

1章 三つの質問
    三つの質問とは 752文字
     問い1 仏とは何か 813文字
     問い2 どうすれば覚れるのか 3,015文字
     問い3 私も覚れるのか ~ 切実な問いへの答え 966文字

2章 ニルヴァーナ
    ニルヴァーナ 1,523文字
    覚った後の仏の生活はどうなる 1,394文字

3章 解脱
    解脱 1,905文字
    解脱知見 471文字
    三種の明智 ~漏尽通、宿命通、天眼通 881文字
    諸仏の誓願 1,775文字
    解脱の根拠 413文字
    解脱の本体(名称と形態:nama-rupa) 3,677文字

4章 正法
    正法 395文字
    正法の所在 385文字
    智慧 2,489文字
    善知識 880文字
    言葉 1,228文字

5章 修行
    修行 1,968文字
    仏道 1,063文字
    聖求 3,421文字
    信仰 1,173文字
    省察 1,216文字
    覚りの機縁 1,022文字
    善き談論 ~ 知足について 2,017文字
    道中の不安を払拭する方法 2,555文字
    一つの修行法 2,228文字
    在家でも覚れるのか 1,233文字
    性別に関係なく覚れるのか 819文字
    修行すれば必ず覚れるのか  2,083文字

6章 覚りのプロセス
    覚りはどのような順で起こるか 646文字
     ① 発心 1,171文字
     ② 観(=止観)を完成させる 405文字
     ③ 善知識に出会う 653文字
     ④ 解脱する(覚る) 957文字

    実例)SRKWブッダの場合 4,251文字

7章 諦
    苦のありかと苦の滅尽 1,198文字
    苦の関係構造(縁起) 4,047文字
    一切皆苦 1,288文字
    無常 ~ 解脱を保証する根本   943文字
    不生 ~ 作られざるもの   1,690文字
 あとがきに代えて 1,021文字


はじめに

 私は、若い頃から仏教に興味があった。しかし仏教は難解で、いろいろな仏教書を読んでも容易に理解することは出来なかった。また仏教以外にも興味があって、たとえば中国の史書・道教・儒教その他諸子にも親しんだ。私にとって仏教書を一つの極としたとき、その対極には実践的な処世の書物があると考えられた。たとえば孫子や呉子、韓非子などである。仏教は清らかだが実践的ではない。中国の諸子は実践的だがどこかなまぐさい。私の心はくり返し清らかさを求める気持ちとその対極にある処世術との間を振り子のように行き来してそれぞれの本を交互に読んだ。

 しかし、その苦闘はついに終局を迎えることになった。私は42歳のとき解脱して覚り、仏(=如来)となって、この世のすべてを知ったからである。

 この本は、仏が住する円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)の境地、すなわち「覚りの境地」についてその全貌を記したものである。現代に生きる現代の仏たる私(SRKWブッダ)がこの本を著す。ここには覚るために必要なすべてのことを書いた。覚りに興味があって、こころからそれを望む人がこの本を手にしたならばきっと覚るであろう。

 ところで、仏教の知識が得られればよいという人は別にこの本を読む必要はない。世に存する数多の経典が釈尊以来この世に出現した仏たちの言葉をよく伝えているからである。知識としてはそれで充分である。その中には偽経と呼ぶべき仏典ならざるものも紛れているが、心構え正しき人はもしそれを誤って読むことがあっても心を汚されることはないであろう。なんとなれば、覚りの機縁・因縁がある人は何をどのように読もうとも必要なものだけを過不足なく吸収してまっすぐに覚りの道を歩むからである。

 人にはそれぞれ自分に縁のある経典がある。ある人にとってすでに存在する経典がそれである。多くの人々はそれで問題ないかも知れぬ。新たに経典を著す必要が本当にあるかどうかは議論が分かれるところだろう。それでも敢えて私がこの本を著したのは、現代の人々に現代の仏が現代の言葉で理法を説くことによって私に縁有る人々がよりすみやかに覚りに近づくに違いないと考えたからである。

 なお、ここで言っておきたいことがある。私は読者の「覚ることができました」という声を聞きたくてこの本を書いたのではない。もちろんそれは何よりもうれしい声なのであるが、もろもろの仏が本当に聞きたいのはそうではない別の声なのである。覚り以前においてさえそれが何なのか分かったとき、その人は今世での覚りをおそらく間違いのないものにしたのである。


【お試し読み版について】
 本書は、電子書籍『覚りの境地』のお試し読み版である。原著を出版したパブーのシステムでも勿論お試し読み機能があるが、現行システムではページ毎のお試し読みしか設定できず、有料ページの一部を試し読むことはできない。また、購入しない間は電子書籍をダウンロードすることができないためお試し読みの本をポータブルに持ち出すことができない。そこでお試し読み部分のみを抜き出し、また有料ページについてもその一部を抜粋したお試し読み版の図書を無料版としてアップすることで先の不満点を解消できないかと考えた。

 ところで、原著は読者からの指摘や希望・要望に応えて随時加筆訂正増補を行ない、日々にバージョンアップしていくつもりである。しかし、このお試し読み版では基本的にはそれは行なわない。 したがって、最新のお試し読みを所望の場合には原本のお試し読み機能を用いて当該ページを読んで戴きたい。ただし、コメントは受け付けるつもりであるので、このお試し読み版を読んで気になった点、希望することがらが出た場合には遠慮なくコメントをアップして戴ければ嬉しい。

 現在、原著は価格設定を3000円にしているが、今後もそれを変えるつもりはない。それがすでに拙著を購入して戴いた方々への礼儀だと思うからである。このお試し読み版を読んで仏の道に興味を持った人は是非原著を読まれることをお勧めする。それは決して無駄にはならないだろう。今世で私(=SRKWブッダ)という仏に出会ったことそれ自体が読者の人生を有意義なものとする仏縁そのものだからである。

 なお、パブーシステムでは無料版のこのような目的のためのアップを想定しるかどうかは定かではない。システムリソースを無駄に使うものとして敬遠しているかも知れない。しかし、このお試し読み版をアップした目的が上記のことのみであり他意はないことをご理解の上、ご容赦戴きたい。
    2011年2月12日 著者記す

【更新履歴】

 2011年 2月 4日  第1版完成 正式に刊行した。
 2011年 2月 5日  5章-修行 に節-省察 を追加した。
 2011年 2月 5日  文章の継ぎ目に空白を入れていたのをなくした。
 2011年 2月 6日  あとがきに代えて を追加 (著者近影を含む)した。
 2011年 2月 7日  一部に色文字を採用した。
 2011年 2月 8日  読者の指摘により脱字を訂正した。
 2011年 2月 9日  道中の不安 の題名を変更し内容を拡充した。
 2011年 2月10日  智慧 および 覚ったあと生活はどうなる の内容を拡充した。
 2011年 2月11日  聖求 の内容を拡充した。 また細かい脱字を訂正した。
 2011年 2月11日  問い2 どうすれば覚れるのか の内容を拡充した。
 2011年 2月12日  修行すれば必ず覚れるのか の内容をさらに拡充した。
 2011年 2月12日  細かい脱字を訂正した。
 2011年 2月13日  修行すれば必ず覚れるのか の内容をさらに拡充した。
 2011年 2月13日  苦の関係構造(縁起) の内容を拡充した。
 2011年 2月14日  問い1 仏とは何か の内容を拡充した。
 2011年 2月14日  苦の関係構造(縁起) の内容を拡充した。
 2011年 2月14日  7章-諦 に節-不生 ~ 作られざるもの を追加した。
 2011年 2月14日  苦の関係構造(縁起) の内容を拡充した。説明のため【補記】を追加。
 2011年 2月14日  全編にわたり増補・見直しを行った。
 2011年 2月15日  三つの質問とは の内容を拡充した。
 2011年 2月16日  問い2 どうすれば覚れるのか の内容を拡充した。
 2011年 2月17日  問い2 どうすれば覚れるのか の内容をさらに拡充した。
 2011年 2月18日  諸仏の誓願 の内容を加筆した。
 2011年 2月18日  章-修行 に節-覚りの機縁 を追加した。
 2011年 2月19日  在家でも覚れるのか の内容を拡充した。
 2011年 2月19日  解脱 の内容を拡充した。
 2011年 2月22日  5章-修行 に節-善き談論 ~ 知足について を追加した。
 2011年 2月23日  善き談論 ~ 知足について の内容を拡充した。
 2011年 2月26日  不生 ~ 作られざるもの を試し読み可とした。

三つの質問

 仏教に興味がある人は必ず三つの質問をする。それは次のことである。

 「仏とは何か?」
 「どうすれば仏になれるのか?」
 「私も仏になれるのか?」

 とくに最後の質問は切実である。この世に仏が実在しその境地が人々が羨むような素晴らしいものであるとしても、もしも自分自身がそうなれるので無ければ覚りについての話など聞いても切なく空しいこととなるからである。

 しかしながらその心配はいらない。人は、こころから望むならば誰もが仏になれると断言できるからである。と言うのは、もろもろの如来はそれがまさしくそのとおりであることを知って人々に広く理法を説くのであるからである。そして如来がそのように説くという、その事実そのものが誰もが覚り得ることを示唆している。すなわち、もしも覚れる人とそうでない人とが予め分かれていて、覚りが一種運命づけられたものであるならば、仏たちは理法を広く説くことはないからである。なんとなれば、その場合、覚れない人に向かって覚りについて語ることはまったくやさしさを欠く行為に他ならないこととなるからである。

 そもそも、仏とは一言で言えば究極のやさしさを体現した人を指す。仏は決してやさしくない行為を為すことができない。それが仏の仏たるゆえんである。その仏たちが口を揃えて人々に広く理法を説く以上、この世に望んでも覚れない人など一人もいないと言えるのである。

 私(=SRKWブッダ)もまたそのように理法を説く。この世にはこころから望んだのに仏になれない人など一人もいないことを知っているからである。今を生きるすべての人がそうだとは言わないが、私との縁によって覚りに至る人はすみやかに覚りに到達してほしい。覚りの道について問う人があるならば、私は隠すことなくすべてを明かしたいと思う。

 ただし、先に述べたことと矛盾するように聞こえるかも知れないが、如来は誰もが覚り得ると説くが誰もが覚るとは言わない。覚りはそれぞれ人の因縁にもとづいて起こることであって、確約できるものではないからである。こころから望む人だけが覚りに至る。これが実際のことである。この点については5章-修行において節を分けて詳しく述べたい。

 さて、次節から首記の三つの質問に対する答えを記すことにしよう。

問い1 仏とは何か

 仏とは何か? これが最初の質問である。そもそも仏がどんな存在であるか知らなければ、自ら仏になろうとは誰も思わないだろう。人が仏道に入るのは、先ずこのことが気になって身近かな人に尋ねたりいろいろな書物を読みあさったりして、微かなりとも仏というものがどういうものかを知って、一種憧れを生じるからであろう。そうして自分も仏を目指そうと思うのである。

 「仏とは何か?」 この素朴な質問には次のように答えなければならない。

 『仏とはやさしさの究極を体現した人格完成者である。』

 ところで、世の仏教書には次のような説明がしばしば見られる。

 「仏とは抜苦与楽を為す人のことである...」 つまり、苦を抜き楽を与える人のことであると言うのである。この説明は当たらずとも遠からずだが、仏の本質とは少し違っている。なんとなれば、仏は直接に人々の苦を抜くことはできないからである。ただ仏は苦を抜くための真の方法を説く。それを総じて理法と呼ぶ。仏が説いた理法を信じ実践するならば、人は自分自身で苦を抜き去ることができ、そうしてこの世の最上の楽が訪れることになる。この安らけく境地をニルヴァーナと言いならわす。

 人は解脱して覚り、仏になるべきである。仏が住する覚りの境地、すなわちニルヴァーナは無上の楽しみを体現した境地であるからである。それは一切の苦悩の滅である。そこに至れば憂いが無い。まるで夢のような境地であるが、これは決して思い込みの所産ではなく実在するもの、虚妄ならざるものである。もろもろの如来はその楽しみを知り、未だ仏ならざる人にもひとしくこの境地に至って欲しいと思い、願い、人々を覚りへといざなうのである。

 なお、この仏たちが思い願い勤しむところの根底の動機たる誓願を”諸仏の誓願”と言う。これについては章をあらためて説明したい。また、覚ったあとの生活、つまり仏の生活がどうなるかについても章をあらためて私の経験を述べることにする。


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