第百四話 「絶対なんて無い」ということも絶対無い
そんなこと、考えたこともなかった。
絶対なんて無い。と、強く思った17歳。
永遠、絶対、ずっと、そんな言葉信じられなくなった。
絶対なんて無いという事に、『だからこそ今を』
という言葉をつける事が出来るようになった21歳。
絶対なんて無いけど、
今を大切にするその積み重ねが、絶対とか永遠に
繋がっていくんだ。
そう思えるようになった。
でも、それは、そう自分に言い聞かせていたのかもしれない。
僕はどこか、客観的に物事を見ていて、
今を大切にしようと言いながら、
でもやっぱり最終的には絶対なんて無いものだ
って思っていたのかもしれない。
そして、31歳。
絶対なんて無いという事が正しいのであれば、
「その絶対なんて無いという事も絶対に無い」
という矛盾が成り立つ事に気づかされた。
今の僕にとって、とてもとても大切な人が
そう教えてくれた。
今までの記憶が、 一瞬にして甦って、
脳みそ君がパニックを起こして、
一生懸命一生懸命、
よみがえった記憶を整理しようとして、
後から、後から熱いものが溢れてきた。
そっかぁ。
絶対ってあるって信じていいんだね。
第百五話 天地一切のものと和解する
判断に迷いがある時、運気はどんどん離れていく。
覚悟を持って判断した時、運気は味方となる。
起きている事はすべて何か意味がある。
どんなメッセージを投げかけているのかを考える。
そして、語尾に「よかった」をつけられるようにする。
何か事が起った時、
まず、心を整えてから、事に対処する。
心を整えるとは、
天地一切のものと和解する。
この心持であること。
すぅっと心を整える事で、
現実と調和することができるようになる。
その時、その事から投げかけられる
メッセージを受け取ることができる。
覚悟を持って決断し、あとは、天に全てを任せる。
第八話 あの人の言葉、あの人なりの言葉
「青空」という言葉。
誰でも知っている言葉。
しかし、今僕が思い描いている青空と同じ青空を描けた人はいない。
その空には太陽はあるか?
青の度合いはどれくらいか?
雲は一つも無い?
日本から見た空?それとも別の場所?
少し考えただけでいろいろなシーンの「青空」がある。
そう、これが言葉の限界。
言葉は自分の思っている100%を伝える事はできない。
言葉というのは、自分達が見ている「現実」を切り取って言葉を当てはめているだけ。
だから、言葉は多義的となる。
しかし、人間が自分の思っていることを伝える方法は、言葉だけ。
だからその多義的とも取れる「青空」という言葉を、一生懸命説明する。
そんな中、その言葉に説得力があるひとと無い人が現れる。
それは、「経験」
その言葉に、どれだけその人の経験が乗っているか?
そのことで、その言葉に対する説得力は全く違うものになる。
その時、僕の「青空」は一意の言葉となる。
その「青空」は
「あの人の言葉、あの人なりの言葉」
と言われる。
第百三話 個性が磨かれる時
現代は、個を尊重する時代と言われる。
しかし、個を尊重するという事は、周りから個を切り離すことではない。
個性は自分一人では磨くことはできない。
では、個性というのはどのように磨かれるのだろうか?
それは、他人の個性とのぶつかり合いの中で磨かれる。
他人との関係性の中で磨かれる。
「人間」という言葉。
人の間と読む。
人と人との間に、自我があり、個性が磨かれる。
個を周りとの関係性から、切り離す事はできない。
個だけで生きる事は出来ない。
だからこそ、周りの事を視野に入れた生き方をしない限り、
個性は発揮できる事はない。
第十九話 あなたの補助線になりたい
「補助線」
補助線とは、幾何学の問題で、答えを出す為にその線を引くと一気に答えが明確になる線です。
補助線は答えを出す為の助けです。
補助線は答えを出せば、解答に関係の無い線なので消しゴムで消されます。
補助線はあくまでも「補助」であり、「主人公」ではありません。
このような生き方に深く共感をします。
自分の人生を振り返る時、人の支えになることが喜びでした。
塾講師をしたり、サッカーのコーチをしたり、後輩指導に明け暮れたり、
自分の時間を惜しみなく誰かの為に使うことで、
彼らが成長してくれることが何よりもの報いでした。
もちろん、そのような彼らと関らせていただく中で自分自身も成長させていただきました。
今自分が語りかける言葉が響かなくてもいい、
数年後ふと自分が語った言葉を思い出してくれたらそれが幸せだ。
という事をよく思っていました。
自分の言葉が彼らの補助線となり、
答えではなく、答えを出す為の道標となるならば、
こんなに嬉しい事は無いなと思います。
補助線は、あくまで補助、主人公ではないがしかし、確かな道標。
明確な答えを自分で出す事ができたならまた、消えてしまって構わない。
自分の生き方は、まさにこの生き方だと思います。
ある事象から、自分を「捨てる」のではなく、
自分という「我が無くなる」事、
ここに真実があるのではないかと思います。
今後も私の人生の中で思い続けるでしょう。
「私は、あなたの補助線となりたい。」
第二十話 「解決策」ではなく「提案」を
Not solution , But suggestion
「解決策ではなく、提案を」これが自分の一つのスタンスです。
相手は、味方がほしい、話を聞いてほしい、
という気持ちで、相談をしてくると思います。
しかし、最後の最後、決めるのは自分。
どんなにいい事を言っても、最後行動するのは自分。
だから、背中を押してあげる勇気の出る一言を伝えてあげたい。
解決策を与えるのではなく、
自分で選択して、自分で行動できる勇気の言葉を。
第三十一話 仕事を決める出発点となる3つの気持ち
この考え方なんだか『共感』できる。
この、「なんだか」という気持ちをまず大切にしてもらいたい。
その直感を信じるところから、自分の仕事を決めていく。
決して親や親せきが言うから
世間体があるから、
給与がいいから
知名度が高いから
という理由で自分の仕事を決めてはいけない。次に大切なのは、
その『共感』できたことは自分が当事者となった場合にどうか?
と、いうことである。
当事者となっても、『情熱』を持ってその事に取り組むことができるか。
共感はできるけど、いざ自分がやるとなると…
という可能性もある。
だからしっかりとその自分の気持ちに向き合ってほしい。
そして、その『情熱』も熱しやすく冷めやすいものではならない。
一時的な情熱であれば、簡単に燃やす事が出来る。
その情熱を燃やし続ける『覚悟』はあるか。
その事が大切になってくる。
共感、情熱、そして覚悟。
この3ステップで、自分の内にある
仕事に対する姿勢を昇華することができるか。
それが、まず仕事を決める上での出発点となる。
第三十七話 必要とされると人は嬉しい
仕事でたくさんの新人アルバイトさんを見てきた。
すぐに辞めてしまう人ととても生き生きと働いている人。
その違いはなんであろう?
カウンセリングをしてみて、なるほどなと思う。
やはり、人は基本的に必要とされる所で責任感を持ち、
所属意識を持ち、喜びを得るのだということ。
辞めたメンバー、辞めたいと言っているメンバーの共通点。
「私なんかが役に立つのだろうか?」
皆が口を揃えて言う。もちろん、未経験分野、なれない環境、
いろいろと不安な事がある。
その不安を取り除いてあげられなかったのは、
耐えられない彼等のせいだけではなく、我々の受入れにも責任がある。
生き生き働いているメンバーに話を聞いてみる。
「こんな私でも、いないと困っちゃうみたいなんですよ。
だから、頑張ってます!」
「今日もきてくれてありがとう!」
「本当に助かります!」
「いや~いてくれてよかった!」
こんな一言が彼らを勇気付け、自分でもできるんだ、必要とされるんだという意識を持ち、モチベーションアップに繋がる。
それをどこか誤解しているマネージャーもいる。
人がいないいないといいながら、新人メンバーさんに対して、
「忙しいから教えられなかった」
「いきなりラインとして働かせた」
「あの人にこの仕事は向いていない」
などという意見を持てば、それは定着もしない。
せっかく入ってくれたアルバイトさんはあっという間に辞めていく。
人がいないのは自分達のせいではないか?
もっと従業員に期待と必要なんだという事を伝える事が出来れば、
人不足はあっという間に解消する。
逆に言えば、これまでどおりであれば、
いくら新しい手を打った所で、また人がいなくなる。
この現実を多くのマネージャーに認識してほしい。
「必要とされると人はうれしい。」
人が居ないというなら、自分にとってその人が必要なんだ
第六十一話 リーダーとマネジャーの違い
リーダー・・・
よりよい未来に向けて人々を一致団結させる。
そのために普遍な事を発見し、それを活用する。
マネジャー・・・
部下一人ひとりの特色を発見し、それを有効に活用すること
リーダーとマネジャーは全く違った資質だということがわかる。
未来を描き皆を引っ張るリーダーか、
現実を推し進める為に個々の能力を引き出すマネジャーか。
自分がどちらが得意かを知る事も、
組織のトップを務めるものとして肝に銘じておきたい。
第六十二話 権力と権威
権力と権威
どちらも、人を引き付ける力。
その違いは何か?
権力とは、その地位を使って、人を引っ張る。
人間的魅力というよりは、地位による強制力によるもの。
権威は、その地位もさることながら、人間的魅力によって
周りを引っ張っていく。
権力ではなく、権威ある人間に。
自分は権力ある人か?権威ある人か?の評価はいつされるのか。
それは、その地位を降りた時。
このとき初めて、自分は権力の人間だったか、権威の人だったかわかる。
権力は無くなれば、人は離れていく。
権威ある人は、いつまでも慕われる。
このことは当事者の時には分からない。
第九十話 「空(クウ)」とは何か
ひきよせて
むすべば柴の 庵にて
とくればもとの 野はらなりけり
「庵」とは、草木を結ぶなどして作った質素な小屋のことで、
僧や世捨て人などが仮住まいとしたものである。
庵は、「建築する」とはいわず、「結ぶ」といった。
そこらへんにある柴をかきよせて結んで作ったから庵になる
もし、結び目を解いてしまえばそこには何も無い。
この歌が、明快に「空」を説明している。
庵は、あるのか、ないのか。
柴を結べば庵はある。結び目を解けば庵はない。
したがって、庵は、あるともいえるし、ないとも言える。
それと同時に、あるともいえないし、ないとも言えない。
庵の存在、有無は、「結び」にかかっている。
結べば庵はあるし、結ぶまでは無かった。
結びを解けば、庵はなくなる。
これぞ、空である。
空は、確かに無である。 しかし、それと同時に有でもある。
~日本人の為の宗教原論/小室直樹~
第九十七話 完全の追究から矛盾との対峙へ
最も生命的な活動が行われるのは、カオスの淵である。
この言葉は、20代で知った言葉、実感した事の中でも重要なものです。
20代の頃は、完璧主義をめざしたり、抜けの無い仕組み作りに奔走したりしていました。
つまり、完全なるオーダー【秩序】の世界を生み出せば、
全て物事がうまく行くと思っていました。
しかし、それは間違いでした。
完全なオーダーの中では、思考停止が起こります。
何も考えなくても、ボタン一つで事が進んでしまうなら、
人間が思考する意味はなくなってしまう、
もっと言えば生きている意味がなくなってしまうとすら思います。
オーダーとカオスの行き来の中で、
生命的な新たな発想が生まれ物事が進化していくと思います。
世の中は矛盾が多いです。
しかしその矛盾を解消し、完全なオーダーを求めてしまうと
それはそれで味気ない世界になってしまうのかもしれません。
長期利益と短期利益。
利益活動と社会貢献活動。
どちらも大切でどちらか一方ではならない。時流を見抜く事と原理原則をはずさない事。
時流だけではすぐに陳腐化する。原理原則だけでは、時流に乗り遅れてタイミングを逸する。
などなど、世の中は矛盾するものをその時の状況でバランスをとり、
腹を決めて判断していくという事が実は大切。
完全を目指して、楽をしようとしてはいけない。
矛盾と対峙して、その時その瞬間毎の覚悟を持った決断ができるからこそ、道が開けていく。
その矛盾との対峙こそ、カオスの淵との対峙でもあり、最も生命的な活動が生まれる場であると思います。
この30代。場面場面でいろいろな決断をしていく事があるでしょう。
逃げも隠れもせず、この矛盾を包括していきたいと思っています。
第七十一話 二人の石切り職人
その町では、新しい教会が建設されているところであり、
建設現場では、二人の石切り職人が働いていました。
その仕事に興味を持った旅人は、
一人の石切り職人に聞きました。
あなたは、何をしているのですか。
その問いに対して、石切り職人は、
不愉快そうな表情を浮かべ、ぶっきらぼうに答えました。
このいまいましい石を切るために、
悪戦苦闘しているのさ
そこで、旅人は、もう一人の石切り職人に
同じことを聞きました。
すると、その石切り職人は、
表情を輝かせ、生き生きとした声で、こう答えたのです。
ええ、いま、私は、
多くの人々の心の安らぎの場となる素晴らしい教会を造っているのです。
どのような仕事をしているのか。
それが、我々の「仕事の価値」を定めるのではありません。
その仕事の彼方に、何を見つめているか。
それが、我々の「仕事の価値」を定めるのです。
これから働き方はどう変わるのか~田坂広志 講談社より~
第百話 やまあらしのジレンマ
あるところに二匹のやまあらしが住んでいました。
冬の朝、とても寒いので、二匹のやまあらしは、
互いに暖めあおうとして身を寄せあいました。
お互いに傷つけてしまいました。
その痛みから、二匹のやまあらしは、お互いに相手から離れたのですが、
そこで、ふたたび二匹のやまあらしは、身を寄せあいました。
こうして、二匹のやまあらしは、離れたり、近づいたりすることを繰り返し、ついに、最適の距離を見出したのです。
こころのマネジメント~田坂 広志 東洋経済~
きっとこう思うに違いない。
こんな事を頭の中でぐるぐる考えて、結局行動に移せず、
私は、大学時代そんな人間でした。
「自分が我慢すればいい。」、相手を立てるということはそういうことだ。と、思っていました。
しかし、いつか自分が相手に対して不信感を持ったり、愚痴を言ったりしている事に気づきました。
このままではいけない。と思って、思い切って自分の思っていることを相手にぶつけました。
すると、相手も自分の思っていることをぶつけてくれました。
それで関係が悪くなり、気まずくなったかというと、そうではなかった。
むしろ、互いに考えている事を深く理解し、絆がより深くなりました。
この経験をしてから、言う時は言う。心と心の格闘をしていかないと、
本当の意味で前に進めないということを学びました。
ただ、とても大切な事がもう一つあります。
「自分の言葉に責任を持つこと。」
その事が大切です。
それこそ、互いの関係は悪くなります。
お互いが本気でぶつかるからこそ、相互理解が得られるのです。
インターンシップの時、学生達に言った事。
仕事はどこまでいっても一対一だ!!!
本気でぶつかれ、
自分の頭の中の仮説だけで、結論付けるな。
この寓話を読んで、大学時代の自分、インターンシップでの自分のあの心のぶつかり合いを思い出しました。