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ダースベイダー卿、天誅!

「十七日水曜日、込み合う学食内で飯を食い終わったにも関わらずペチャクチャと無意味でどう考えても脳の足りない内容の話を食堂中に聞こえる大声でしている男女何名かの団体、おまけにこいつらときたら鞄置いとく用の椅子も占領しており、学食のおばちゃんに「待ってる人もいるから場所空けたげてくれへんかな」と言われても「えー友達くるから、ていうか鞄下おいたら汚れるやん」とのたまって、また会話に戻りゲラゲラ笑っている。死ぬほど腹立つ

記者は学食でカレーのLLサイズを注文してスマートにこれを食し、外のベンチでコーヒーでも飲もうと思ってたのにこういう輩が席を占領するもんだから座れない、むかつく、つうかその鞄にはどう考えても勉強道具入らねえだろアホ、と思っていた。でも大勢いるし、記者が「どけよ」などと言おうものなら、女の手前はりきった雄猿にえらい剣幕で恫喝されて、記者は涙目になって「うけるー」とかありきたりな、でも非常に傷つく言葉を背中に食堂を後にしなければいけないのは目に見えている。そんな辛い目にあうなら、はじめから外で値段の割にボリュームの足りない豚焼き肉弁当を買って、野菜生活飲みながらベンチで猫でも見ながら食すしかないのだろうか、無念、と思っていた矢先の出来事であった。

「天誅でござる!」という大声とともに学食内に一人の男が闖入した。この男こそが誰を隠そう、かのダースベイダー卿であった。お馴染みのマスクをかぶっているところからも間違いはないだろう。だが、まだ肌寒い四月にも関わらず、黄色のけばけばしいアロハシャツとエメラルドグリーン色の膝上の短パン、足元はなぜか裸足という極めてラフな出で立ちのベイダー卿の手には、これまたなぜか緑色に光るライトセイバーが握られていた。おかしい、と記者は気付いた。フォースの暗黒面に魅入られたベイダー卿が操るのは、赤く光るライトセイバーのはずである

しかし直後、我々はその緑色に光るライトセイバー、ジェダイ騎士のライトセイバーの意味に気付かされるのである。

突然ベイダー卿にお目通りする羽目になった、記者を含む食堂の学生諸君は一様にポカンんとしていた。当然である。アロハシャツを着たベイダー卿が現れたらその姿に目を奪われても無理はない。会話の声が止まり、皆の箸やスプーンが止まった。そんな中、当のベイダー卿は多くの視線が自分に注がれていることを存分に堪能していた。おそらくマスクの下には恍惚とした表情、たとえば理科の若い女の先生が「マンボウは卵を何万個産むでしょう」「先生何ってー?」「だからマンボウが…」「違うそのあとー」「何万個?」「えー聞こえへーん」「なんまんこ!」と何度も聞き返してうっとりしている男子中学生のような表情があったに違いない。

そうして十分に視線を味わったベイダー卿はふと何かを思い出したように静かな学食内を歩き始めた。食堂内は人、人、人で混み合っていたが、ベイダー卿の前には海を割るモーゼのごとく道ができる、みなが彼の通る道を開けて、避けていた。

ベイダー卿は突然立ち止まり、おもむろに近くのテーブルに座る男女に向き直った。このカップルは目の前の暗黒卿が気になりつつも目を逸らし、できるなら関わり合いになりたくないな、と思っていたに違いない、同じ状況に置かれたら記者もそう思うだろう。しかしベイダー卿は二人を見下ろして立ち止ったままである。気まずい沈黙が流れる。

学食の皆の注目の中、夏真っ盛りの恰好をした暗黒卿は突然、手にしたライトセイバーを振り上げた。記者は思わずあっと声を上げたが声にならなかった、カップルの男のほうがとっさに自分の頭をすくめた。しかしベイダー卿はライトセイバーである方を指しているだけであった。…食器返却口である。カップルの食器はもう空であった。ブウン…ブウン…と音をさせているその光の指す意味がわかるが早いか、女の方は食器を持って片付けにいった、慌てて男の方も続いていった。

ベイダー卿はその姿を見送り、またぺったぺったと裸足で別のテーブルの前へ行き同じことを続けた。ターゲットにされた学生は慌てて食器を返却しに行った。それだけではない。ダースベイダーに支持されるのを待たずして、にわかにあちらこちらで学生たちが席を立って、食器返却口に殺到した、あんな変な奴と関わり合いになりたくない、そんな恥ずかしいことは耐えられない、という心境であったのだろう。

だがその沈黙の迫力、暗黒卿のフォースの力の届かない愚か者もいた。それは先ほど記者が脳内で侮辱をなめさせられた、あの鶏のような頭をした男女の一団である。多くの賢明な学生がベイダー卿の世直しを受け入れ、食ったら片づける、という実に美しい合理的な流れを作り出しつつあるにも関わらず、依然としてその一団は食堂内で広い一角を占めたまま、キィキィと声高にわけのわからない話をしながら低俗そうな笑い声をまき散らしていたのである。

当然そのような一団を見逃すベイダー卿ではない。べたしぺたしと足音高くその猿の群れへ向かう卿の姿を食堂の誰もが見守った、猿どもを除いて。最初にその異様な雰囲気に気付いたのはグループの中の女、鼻が上を向いた、眉毛が薄くて頭が悪そうな女である。チラとベイダー卿に目をやった、直後また会話に興じた。

明らかにベイダー卿は頭にきている様子だった。コーホーと大きく深呼吸をしたかと思ったその直後、何も言わずいきなりベイダー卿はその一団のテーブルを蹴り上げたのである。ガッシャーンと大きな音をたててひっくりかえった机から、食器が落ちる、饂飩やラーメンの汁がこぼれる、悲鳴が上がる。

突然のことに驚いて、女が慌てて立ち上がるものだから置いていた鞄が床に落ちて、ラーメンの汁に浸かった。「ちょ、ありえへん!」と女が拾い上げようとしたその瞬間、それよりも早くベイダー卿が「天誅!」の声とともにおもっくそ鞄を蹴り飛ばしたものだから鞄は食堂の外へ飛んでいくわ、蹴り上げた勢いで女の顔にラーメンの汁はかかってまた悲鳴が上がるわ、思いのほか奇襲が上手くいき、調子に乗って勢いづいた卿は別の机も蹴り倒すわもう無茶苦茶になった。

しばらく呆然として暗黒卿の傍若無人の振る舞いを見ていた男たちが、ハッと我に返り「なにしとんねんコラ」「殺したる」「待てやオイ」とベイダー卿につかみかかろうとした。

その殺気を敏感に感じ取ったベイダー卿は手近にいた男の頭を一発ライトセイバーでブォン、としばきあげたのち、後はわき目も振らずに物凄い速さで食堂を後にした。四人いた男のうち、しばきあげられた一人は出遅れ、もう一人は饂飩を踏んづけて思いっきりすべり、残りの二人が卿を追跡した。残された女たちは茫然としたり泣き出したりと、さながら戦場のようであった。

他の学生も、あっけにとられているものや、食事をそこそこに出ていくものや、だが異様に静まりかえっていた。これがダースベイダー天誅事件の一部始終である。その後卿の行方は誰も知らない。

しかし記者の調べではその後食堂では食ったら片づける、というマナーが徹底されているという、ありがとう!ダースベイダー!シスとともにあらんことを!」

 

その記事とともに載っていた写真には黒いマスクをかぶった、ハワイ旅行中でもこんなに馬鹿な恰好をしたくないな、という恰好をした男が映っていた。その衣装のひどさは白黒写真でも伝わってくる。ピチピチの半ズボンからでている太い足は力いっぱい食堂のテーブルを蹴り上げていて、テーブルは男の肩ぐらいまで跳ね上がっていた、どんな力だよ、足大丈夫かよ。まわりの変な髪形をした男女も物凄い顔をしている、恐怖に凍りついていたっていう感じだ。

これ以上ない完ぺきなシャッターチャンスをとらえたその写真は、映画のポスターのようで、僕は思わず胡散くせぇなと声に出してしまった。

糞新聞、と書いてあった。


1-1

僕は四月から大学生になり、地元を離れて京都に引っ越した。実家から付いてきて、最低限の家具やら何やら買い揃えるのを手伝ってくれた母と兄貴が「元気でな」と部屋から出た瞬間、僕は思わずガッツポーズをした、天井にぶつからないくらいの高さの昇龍拳を放った。これから念願の一人暮らしが始まるのだ、AV見るのにも親の寝静まったのを待ってコソコソ緊張感のあるオナニーをしないですむのだ、ていうか何がAVだよ、彼女をこの部屋に連れ込んでヤリ放題だ、セックス三昧だ。僕はまだセックスどころかキスもしたことなかった。彼女はいたことがある、中学の時に三週間だけ。喋ったこともない女の子からいきなり「一緒に帰ってくれませんか」と言われて、別れ際に告白されて、次に一緒に帰ったときに別れ際に「やっぱり違う」と言われて、よくわかんないうちに振られた、それを一回にカウントしていいなら、過去に付き合ったことのある女は一人だ。でもAVいっぱい見てきたし、友達から色んな話を聞いてるから童貞ってばれないだろう、いや、でも初めは彼女以外の女の子と練習した方がいいかな、合コン行きまくらなきゃな、などと馬鹿なことばかり考えていた。

腹が減ったのでスーパーで食材を買って、生まれて初めて晩飯を作った。完成した焼きうどんは、麺はのびきってて、キャベツは焦げてるし、豚肉もなんだか獣くさくて、母の作るのとは雲泥の差だったけどサイコーに美味かった、これからブラボーな一人暮らしが始まるんだ、友達百人作るんだ

 

引っ越しした翌日に入学式があって、式の前にあちこちうろうろしてみたが僕の学校からきてるやつはいないようだった。天涯孤独ってやつじゃねーか、早く友達つくらなきゃ、と焦って勇気を振り絞り、入学式でとなりに座った男に話しかけてみたところどうも話がかみ合わないな、と思ったら中国からだか台湾だかの留学生(しかも三年次編入だからちょっと年上)だったようで、僕はエヘヘと曖昧な笑顔を浮かべてごまかした。最大限の勇気を込めた出鼻を完全にくじかれた僕は心が折れてしまって、その日は一人で帰った。

誰もいない部屋に帰って、その晩はいっぱいもらったサークルのビラを眺めながら「僕、友達できるのかな」と急に寂しい気持ちになった。食材がまだあったので昨日と同じように焼きうどんを作った、昨日よりは上手に出来たけど不味かった。一人暮らし、寂しいなぁ。

 翌日行われた学科のオリエンテーションは大学の大きな教室に百二十人くらい、アルファベット順の出席番号で順番に座らされて新品の学生証をもらったり単位や進級についての説明なんかを聞いたりするらしい、ちょっと退屈そうだった。

サークルの出店とか行きたいなぁと考えながら周りを見回すと男よりも女の子がかなり多かった。文学なんて全然興味がなかったけど、友達が文学部には女が多いと聞いて僕は進学を決めた、作戦通りである。にしても隣の金髪野郎、ヤンキーかよ、こんな奴も大学受かるのかよ、こえーよ

 簡単な説明が終わり、配られた書類に名前や連絡先なんかを書いて提出する頃になって、隣に座っていた金髪が「なぁ、悪いけどペン貸してくれへん?」と話しかけてきた、こえーよ、ど金髪のうえに関西弁だよ。断ると何されるかわかんなかったので「いいよ」とオープンキャンパスでもらったペンを金髪に貸した

「男少ないよなぁ」と金髪がペンを返しながら僕に話しかけてきた、こえー。ペンを受け取りながら僕は「そうだね、文学部だしね」とだけ返事した。

「キミ、下宿生なん?地元どこ?」

え?なに?カツアゲとかされるの?僕カツアゲあったことなかったのになぁ、弱そうに見えたのかなぁ、違う、普通に聞かれてるだけだ、多分。むしろ友達フラグだ。金髪ヤンキーと?友達?こえーよ

「僕?下宿生で、地元は愛知県、名古屋の近くに住んでた」

「てことは名古屋ではないんや」そう言って金髪は少し笑った。お?こいつ馬鹿にしたな?

俺京都やねん、やから実家から通い。下宿かぁ、ええなぁ、AV見放題やん」「…それ僕も引っ越し初日に全く同じこと考えたよ」「やんな!羨ましいわ、早速何か借りたん?」「それが、ビデオ屋行って三本くらい選んでおっさんのいるカウンター持っていったら、「会員証を作ってください」みたいなこと言われていろいろ書こうとしたら新しい住所わかんなくて結局ダメだった」「アホやん」「うん、わかりませんってカウンター持っていったら受付がお姉さんに変わってて「じゃ、これ戻しておきますねー」って、僕の借りようとした「男喰い!極痴女四時間SP」とか持って行っちゃった、恥ずかしい思いしただけだったよ」「アッハッハ、おもろいなキミ」お、笑った。ていうか金髪意外といいヤツじゃね?笑顔意外とキュートじゃね?

「はー、おもろ。いや、でも、男も少ないし、仲良くやろうや。俺向井恭介っていうねんけど、名前なんていうん?」

「あ、工藤吉信です」そう言って僕は手元の書類を向井に見せた。

「工藤吉信…何て呼んだらいい?」

「何でも、工藤でも吉信でも、高校の時はヨッシーだったけど」

「いやいや、ヨッシーじゃあ普通過ぎておもんないやろ」そう言って向井は僕の書類をじっと見た。さすが関西人、おもしろくない呼び方は認めないのだ、僕はちょっと感動した。「どんなんがええねやろ」と向井は考えていた、そして遠慮がちに、

「…トーキチ、やな」と言った。

「トーキチ?なんで?」

「工藤の藤と吉信の吉をあわせて藤吉、トーキチ、戦国武将みたいでカッコええやん、おいサル!みたいな」

「おいサル!じゃねーよ」僕は勇気を出してつっこんでみた、こえー

「ウヘヘ、じゃあ自分トーキチで決まりな」僕のつっこみは悪くない感触だった。

 正直いいあだ名だとは思えなかったけど、いいじゃない、新しい名前。なんだか新しい生活が始まるって感じ、トーキチ、今日から僕はトーキチだ。あ、こいつのこと何て呼んだらいいだろう?金髪?ヤンキー?呼べるか、こえーよ。

「じゃあ向井くんは何て呼べばいい?」

「俺?向井でいいや」

 金髪なのに呼び捨てでいいんだ?いいのか?呼び捨てで呼んだ瞬間、調子乗んな、とかいって怒りださない?大丈夫?僕は内心で恐る恐る思いながら、

「あ、そう、自分は普通なのね。じゃあ向井って呼ぶよ」と言うと、

「おっけー、トーキチ」と向井が笑顔を返した、友達成立である。

 そこまで話している途中で前の席の女の子から新しい書類がまわってきて、会話は中断した。また書類に名前や住所を書いたり、「年間百二十四単位のうち、専門課程で最低二二単位を取得し…」なんていう説明をよくわからないので聞くともなく聞いていたりするうちにオリエンテーションも終盤に差し掛かった。

「では最後に学生生活課から…」と聞いて僕はホッとした、しばらく前から寝ていた向井も「最後に」の言葉に反応したらしく目を覚ましたようだった。

「みなさんご入学おめでとうございます、学生生活課からご案内させていただきます。この薄いブルーのプリントを見てください」と壇上の女の人が一枚のプリントを取り上げると、教室の中の一二〇人くらいが一斉にプリントに目を落とした。プリントには「過度の飲酒に注意」だとか「セクハラ・パワハラ相談室」だとかの文字が載っていた。

「だいたいお伝えしたいことはこちらに書いてあるので、熟読の上保管しておいてください」だったら時間とるまでもねーじゃねーか、早く帰らせろ。「ですが、このプリントに書いてないことで一点、ご注意を申し上げます」書いてないこと?書けばいいのに。

「糞新聞を購入しないようにしてください」

 くそしんぶん?確かにそう聞こえた、思わず隣の向井と顔を見合わせた。向井も口パクで「くそしんぶん?」と言って不思議そうな顔をしていた。くそしんぶん?

教室の「?」という空気を察知してか、壇上の女の人はチョークを手に取り黒板に「糞新聞」とデカデカと書いた。やっぱり「くそしんぶん」って言ったんだ。教室中の「??」に答えるために女の人は解説をくわえた。

「糞新聞というのは、学内のどこかの団体が発行しているらしいフリーペーパーの一種のようですが、内容的に公序良俗に反した様子で、みなさんの学生生活を台無しにするかもしれないものです。一種の悪徳商会や宗教勧誘のようなものと思ってください、大体そのくらいの警戒心を抱いてください。くれぐれも糞新聞には関わらないよう、最後にご注意申し上げます」

くそしんぶん?結局なんのことだかさっぱり分からなかった。


1-2

 学科のオリエンテーションが終わった後、向井に「このあと何かある?」と聞かれて「今日はこれで終わりじゃない?また明後日授業登録があるくらいじゃなかったっけ?」「ちゃうちゃう、アレやったら一緒にサークルまわったりしようや」「あ、そーいうことか」「一人でまわるのも勇気いるやん?」え?何言ってんだこのヤンキー?「いーよ、僕も他に友達いないし」友達、でいいんだよな?「よっしゃ、ほんじゃどこ行く?」

 向井と歩いているとなんだか僕まで強くなったみたい、ていうかイケてる感じに見えるんじゃないかなと錯覚した。向井は金髪で、座ってた時はわからなかったが背も高く、ちょっとずつ打ち解けてきたからわかったのだが、なかなかキュートな笑顔が似合う男だった、金髪なのに。でもヤンキーっていうのは多分違ってたんだな、一緒に歩いてサークルの出店をまわりながら話しているうちに、僕はもうこえーよ、と思わなくなった。

 向井は目立つので色んなサークルが声をかけてきた。運動系のサークルはもちろん、「バンドとかやらへん?」とか、「一緒に舞台に立とう!」とか。でも一番多かったのは派手な化粧をした、いわゆるテニスサークル(の皮をかぶったイベントサークルの)お姉さま方の「うちの新歓おいでーや」だった。僕は、おいおい、こいつだけモテてんじゃねーよ、とは思わなかった、むしろ向井のおかげで僕もいろんなサークルに声をかけられてちょっとうれしかった、僕は謙虚な人間なのだ、今はおまけでも全然構わないのだ。

 

 「あかん、しんど」と向井が言ったので一休みしよう、と近くの学食へ向かったが全く席はなかった。もう一か所の学食も行ったがこちらも満員御礼、そりゃそうだ、ベンチも全部ふさがっていてそもそも学校中が満杯の人であふれかえってるのだ、お祭りなんだなあと思って僕は頭上のを眺めた。

「しゃーないからマクドでも行こか」「マクド?」「マクドナルドや」「マックだろ」「え?マクドじゃないん?」「いや、マックだろ」という方言トーク(この「マクド」については別の人とも四月の間にあと百回はすることになる)をしてから僕たちはバスに乗って四条まで出かけた。うお、都会!

「あー、つかれた」向井はビッグマックを二口くらいで半分まで食べて一息ついたようだった。さっき「それビッグマクドって言うの?」と聞いたが無視された、何だよ。

「俺あかんわー、ああいうの苦手かもしれへん」

「ああいうのって?」

「なんかごちゃごちゃと人に絡まれるの」

「そうなの?慣れてるもんだとばっかり」

「そんなことないで、入学式の帰りとかもビラ一枚もらっただけやし、しかも総合格闘技研究会、ごっつい坊主のゴリラみたいな人やったわ」

 たぶん先輩方もこんなデカイ金髪、ヤンキーだと思ってビビってるんだろう。

「男もやけど、知らん女に話しかけられたもの初めてや」

「でも今日いっぱいビラもらってたじゃん」

 向井はポテトを一掴み口に放り込んで考えた、一口でけーよ。

「うーん、あれちゃう?トーキチおったからちゃう?

「え、マジ?そうなの?」僕はちょっと得意になった、悪い気しない。

「俺、普段一人やとみんな避けていくねん、でも今日はトーキチ一緒やったし新入生として認識してもらえたんちゃうかな、「弱そうなツレおるしあいつ大丈夫やろ」みたいな」

「弱そうって、親しみやすいって言えよ!」

 向井は、わりーわりーと言って笑った、チャーミングな笑顔だ。

「でも、俺友達できひんかなと思って心配やってん、ホンマの話

「なんで?」

「だって金パやしデカイし、顔もちょっと怖いやん?」

まーね、と喉まで出かかったが僕はズズっとコーラを飲みながら、そうかな?と言ってあげた。

「やし、間違いなく他人から話しかけられることはないなと、こっちからいかなあかんな、と思っててん」

「そんで?」

「今日のオリエンテーションで誰か話しかけたろって決心しとってん。そしたら隣にトーキチ座ってるやろ?あ、こいついったろ、思ってん」

 向井の「こいついったろ」は洒落にならない気がする、僕はやっぱり財布を出すべきだったんじゃないかと思った。向井にそういうと、

「ペンだけ準備しといてくれたらいいわ」と言った、なかなか気の利いたこと言うじゃないか。

「でも隣がトーキチでよかったわ、女ばっかやから隣女の可能性が高かったわけやろ?女に喋りかけたり苦手やわ。あとチャラチャラした感じの男も話しかける気せぇへんな」なんだか意外だ、自分は金髪のくせに。

「やから、トーキチ、弱そうっていうのもホンマやけど、確かに親しみやすくはあるな、なんつうか、人が油断する?警戒心抱かせへん、みたいな」

「それ弱そうって言ってるのと同じだよ」

 向井はヘッヘと下品な声で、でもキュートな笑顔で笑った。

 

 それから僕たちはマクド(マック)でサークルのビラを広げながらああでもない、こうでもないと言い合った。これまた意外なことに向井はイベントサークルを嫌った。「だってあいつらアホそうやん」。僕としてはああいう派手そうなお姉さんと是非知り合いになって、何かエロいハプニング的なものを期待していたのだが、一人では関わり合いになる勇気はなかった。「トーキチ、お前アホやろ」。

 あれこれとサークルのチラシを眺めて、僕たちはいくつかの団体をピックアップした。新入生歓迎花見会を色んなサークルが企画していて、日程が被らないように参加のスケジュールを立てた。流れで、当然二人で参加するつもりになっていた、僕は怖い先輩やイキがった同級生に絡まれないように、向井はビビられないように。そうやって色んな新入生歓迎会に参加して、僕は雰囲気のよさそうで女の子の可愛いサークルに入ろうと考えていた。向井は何を考えていたかは知らない

 なんとなく話がまとまって、おかげで会話のほうは手持無沙汰になってしまったので、ざっと目を通したチラシを一枚ずつ眺めていた。その中で一枚のチラシにふと手が止まった。「糞新聞、執筆者募集」。

くそしんぶんだって」僕はチラシを向井にも見せた。

「ああ、さっき言っとったやつか」向井も不思議そうな顔でチラシを眺めた。

「何だったんだろうね、これ。学生生活課の人が気を付けてくださいって言ってたし」

「説明もよくわからんかったしな、らしい、とか、かもしれない、とかばっかやったもんな」

正体不明の団体なのかな、ちょっとこえーな、ていうか気持ちわりい」

「ちゅうかそれ渡してきた奴どんなやつやったん?」

「覚えてないよ、もらったことすら気付かなかったんだもん」

「余計きっしょいな」

「どっかに出店とかだしてるのかな」と僕は「サークルブース案内」という地図を広げたが「糞新聞」という表示はどこにもなかった

「やっぱ正体不明なんやな、こわ」向井みたいなやつでも怖いのか。でも僕は少し興味があった。

「でもすごくね?学校にマークされてる新聞部だよ?どんな記事載ってるんだろう」そういう僕のことを向井は怪訝な目で見ながら、

「どーせアホなこと書いて、それに釣られてきたやつをマルチ商法とか新興宗教とかに勧誘するんちゃう?」といった。なるほど。

「とにかく平穏で楽しい学生生活のためには、こういうキモいのとは関わり合いにならんのが一番やで」

向井はそう言いながらチラシをくしゃくしゃにしてトレイにおいた。僕はちょっと気になったが、まあ向井みたいなやつでも警戒するんだから、関わり合いになったところで少なくとも女の子にモテそうな感じはしない、糞新聞のことは忘れることにした。

それからケータイのアドレスを交換してそれぞれ帰ることにした。去り際に「またなー」と向井はキュートな笑顔で手を振っていた。仲良くやれそうだ。

1-3

帰ってからさっそく向井にメールして、翌日の昼前に学校で待ち合わせた。図書館の前で人ごみにまぎれながら、色んなサークルにビラを持たされながら待っていると、向こうの方から背の高い金髪のヤンキーがやってきた。

「おっす、…なんやお前、えらい大人気やん」向井は僕の手元のチラシを見て言った。彼は難なくチラシ攻撃をすり抜けてきたらしくその手には一枚のチラシも持たされていなかった、多分声すらかけられなかったのだろう。昨日は僕が彼の印象をマイルドにしていたことは間違いなさそうだった。

 マックで作戦を立てたとおり、相変わらずの人混みを掻き分けながらあちこちのサークルを回って連絡先を残してきた。連絡先を書くたびに、先輩達は若干向井にビビりながらも、ずいぶん喜んでくれてなんだかいいことをしている気になった。

 大体のサークルを回り終えて、僕たちのリスト最後のサークルのブースに「授業登録相談乗ります」と書いてあった。それを見た向井が、

「そういえば時間割作らなあかんな」と僕に言った。

 そうだそうだ、昨日のオリエンテーションで単位の話とかしてた気がする。途中から複雑すぎて後で誰かに聞こうと思って諦めたんだった。でも向井も寝てたことだし役には立たなさそうだ、僕には誰か、のあては無かった、多分向井にも。

そこでさっそく向井が、

「時間割ってどうやってつくるんすか?」

と、目の前の茶髪の男の先輩に尋ねた。茶髪先輩は、

「え?簡単やで、取りやすい授業とか教えてあげるわ、君ら何学部?」とニコやかに聞いてきたので今度は僕が「文学部です」と答えた。それを聞いた茶髪先輩はニコやかさが三割くらい減った

「文学部か…誰がおったっけ?」と茶髪先輩はちょっと困った様子で、隣にいた黒ぶちメガネをかけた別の先輩に聞いた。聞かれたメガネ先輩は「アケミちゃんとか文学部ちゃうかったっけ?呼ぶわ」とアケミちゃんに電話した。茶髪先輩は「俺ら二人とも経済学部やねん、文学部の子呼ぶからちょっと待ってな」と苦笑いした。

 ほどなくしてアケミちゃん先輩が到着した。「この子やねん、文学部の」とメガネ先輩が僕たちを紹介した。アケミちゃん先輩はちょっと迷ってから僕の方に、

「君ら文学部なん?学科は?」と尋ねた、向井は文学部っぽくなかったらしい。それかちょっとビビられたか。

「日本文学科です」と返事すると、アケミちゃん先輩も困った顔になって、

「日文かー、あかんなぁ、うち英文やもん」と言った。さっきから困らせてばっかだな、僕たち。でも仕方ないので僕も困った顔をしてみた。その僕を見たせいか、アケミちゃん先輩は、

「ちょっと待ってな、一人日文の知り合いいるから聞いてみるわ」とケータイを取り出した、やりぃ。サークルの先輩→学部の先輩→学科の先輩、と数珠つなぎに手掛かりに近づいていってちょっと面白い、ていうかこの人たちいい人だな、サークル入ってほしいからかな。アケミちゃん先輩ちょっとかわいいな、胸小さいけど。

「うん…うん…縁生棟の三二一教室な、わかった、ありがとう」とアケミちゃん先輩は電話を切って、僕の方を向いて、

「縁生棟の三二一教室で日文生向けの授業登録相談やってるって、そこにいる人わたしの知り合いやしそこで聞いてきたらええよ」といった。女の人の関西弁かわいいな。

アケミちゃん先輩に場所を教えてもらって、僕たちはお礼を言って縁生棟へ向かった。アケミちゃん先輩は「新歓来てな」と言ってニコっと笑った。向かう途中、僕が「アケミちゃん先輩ちょっとかわいかったな」というと向井は「胸が小さい」と切り捨てた。同意。

 

 縁生棟は敷地の隅っこの方にある、ちょっと古い校舎だった、三二一教室ってことは三階か。エレベーターがついてなかったので階段を上った。

 なんだか静かで、そこではサークルの勧誘があまり行われていないらしく、ってそりゃそうだ、迷い込みでもしなくちゃこんな隅っこの校舎、おまけに三階まで新入生はこない、なんか薄暗いし。でも探し当てた三二一教室の前には「日文学科履修相談会↓」と下手糞な手書きのコピー用紙が貼ってあったので多分間違いないだろう。

「間違いないよな?」僕は向井に聞いた。

「ここだけ電気ついてるし、あってるやろ」

 それからじゃんけんに負けた向井がノックして先に入ることになった、僕は後ろからついていく。向井はドアをコン、コン、コンと三回ノックした。ドアの向こうから「どうぞー」というの声がした。向井がドアを開けた、ドキドキ。

中に入った向井が「ここで日文の時間割…」と言いかけるのと同時に、「うお!スゲーの来たな!」という驚いた声がした。たぶん金髪のデカい男がにゅっと入ってくるのは想像してなかったらしい、でもえらいストレートだな、おい

あいさつに割りこまれて思わず言葉につまった向井を、中の男が「あ、ごめんごめん、日文の履修相談会場はここだよ」と招き入れた。

教室は席が二十くらいある、いわゆる小教室で、中には教壇の位置にさっきの男がいるのと、窓側の席に一人女の子がいるだけだった。黒板には大きな文字で「日文研究会主催 履修相談会」と書かれていた。入口に貼ってあった下手糞な筆跡と同じだったので、書いたのは多分この男なのだと思われる。

教壇の男はベロアの黒いハット?帽子をかぶって、メガネをかけて、白黒チェックのシャツに裾の擦り切れたジーンズ、足元は雪駄という出で立ちで、机には読みかけの文庫本が伏せてあった。この男がたぶんさっきアケミちゃん先輩の言っていた日文の知り合いというやつだろう、なんとなく胡散臭い男だ。そんであそこに座っている女の子は僕たちと同じ新入生だろう、チラっとこっちを見て、それからまた机のうえの授業資料に目を落とした、小柄で黒髪が似合う、でもふわっとした白のワンピースにブルーのカーディガンを着ていたので胸の大きさはよくわからない。

教室の入り口で棒立ちになっている僕たちに、帽子先輩が話しかけてきた。

「君たちアレかい?さっき英文のアイザワさんの言ってた人たち?」アイザワさんってアケミちゃん先輩のことだろうか。「多分そうです」と僕が返事した。

「おっけー…ああ、そんなとこ立ってないで好きなとこ座ったらいいよ…それとこれあげる」と言って帽子先輩は僕と向井にプリントを一枚ずつとカントリーマァムを一つずつくれた。

「そのプリントは日文の専門科目が載ってる時間割だから、僕がのお手製だよ」

向井はその言葉に、席にすわりながら「ありがとうございます」と言った、「いえいえどういたしまして」。

それじゃあ説明するからよく聞いてね、と帽子先輩は僕たちの前の席に座って、三十分ノンストップで、学科の単位システムと必要な授業、各教授の傾向と対策、試験の内容なんかについて一気に解説してくれた。途中、息継ぎと水を飲むとき以外はずっと喋り続けていた、聞く方がむしろ疲れた。でも昨日聞いたオリエンテーションの説明よりは、フランクで噛み砕いた説明だったからずっとわかりやすく、完璧とまではいかないけど、どうやって授業を組むべきか僕でもわかった。

「…以上、あとは時間割表使いながら自分で組んでね、わかんなかったら聞いてね、そっちのジュースは勝手に飲んでね、お菓子もどうぞ」と机のペットボトルとお菓子を指してから、帽子先輩はまた教壇に戻った。そして教壇の上のパイの実を一つ食べて、伏せてあった文庫本の続きにとりかかったが「あ、そうだ」と何かを思い出した。そしてまた僕たちの机の前まで来て、

「申し遅れました、僕は日文学科二回生の津久本です、日文研究会の会長もやってます」と自己紹介した。

「向井です」「工藤です」と僕たちも自己紹介した。

それとあっちの女の子は西条さん、新入生同士だから仲良くしな」と窓際に座っている女の子を紹介した。急に名前を呼ばれた西条さんは、慌てた様子でこっちを見ながら作り笑いを浮かべて会釈した、笑顔がぎこちないけど結構かわいい子だと思う。僕は「よろしくね」と控えめに言ってみた。西条さんはもう一度ぎこちなく笑って会釈してくれた。

そんな僕たちのちょっとハートフルな交流を余所に「日文研究会ってなんなんですか」と向井が津久本先輩に尋ねた。

津久本先輩は「え、君金パなのに研究会興味あるの?」とニヤつきながら言った、こいつもしかして性格悪い?向井は「金パ関係ないでしょう」と苦笑いした。西条さんのほうをチラッと見たらちょっと笑ってた、さっきより自然に。

「うそうそ」そういって津久本先輩は笑った。「研究会は学生有志が自発的に文学研究をする、まぁサークルみたいなもんかな、学科所属の」「研究?」向井は興味津々だ。

「まぁそれは名目上で、年に一本レポート書くくらいであとは好き勝手に不毛な文学談義とか漫画の話とかしてるだけだね。どっちかっていうとメインはこうやって新入生のお世話をしたり、別にある学生執行部っていう団体のサポートしてちょっとしたイベントやったりとかかな、ホラ、オリエンテーションあったでしょ?」

 思い出した、そういえばこの人もあの日いた気がする、プリントとか配ってた。あのときはスーツでもっとちゃんとした恰好だったから気付かなかったけど。

「まぁ、そういうゆるーい団体。興味あったら仲間にいれてあげるよ、ていうか今年一人も入らなかったら僕、執行部と教授に死ぬほど怒られるんだけどね」と言ってへらへら笑った。そして「考えといて」と僕たちに研究会のチラシを渡した。

まだ渡してなかったらしく西条さんにもチラシを渡しながら、新入生三人に向かって、

「別に研究会入らなくてもお世話してあげるから、なんかあったらそこの連絡先にいっておいで」と言ってくれた。いいやつじゃん、津久本先輩。「解決できなかったら逃げるけど」無責任だな、津久本。


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 それからしばらく僕たちはああでもない、こうでもない、といいながら時間割表と格闘していた。ときどき津久本先輩は読書を中断して、僕たちや西条さんの席まできてアドバイスをくれた。といっても西条さんのほうは時間割が大体出来ているらしく、津久本先輩と大学生活について何か話していた。

 しばらくして津久本先輩が、

「お腹空かない?どうせ学食混んでるから、購買で何か買ってきてここで食っていいよ」と言ってくれたので、時間割は一旦保留にして、僕たちはお昼ご飯を買いに行くことにした。

財布を持ってふたりで教室を出ていこうとすると、津久本先輩に、

「おいおい、薄情な男どもだな、西条さんも連れて行ってあげなよ」と声をかけられた。

振り返ると、またしてもいきなり自分の名前を呼ばれて驚いたらしい西条さんが津久本先輩を見てからチラッとこっちを向いた、目が合った、西条さんは慌てて目を伏せた、かわいいぞ

僕たちに「女ばっかの日文で女の子に優しくない男は殺されて死ぬぞ」と言いながら、津久本先輩は西条さんの机の前に行き、「ほら、このチャラそうなお兄ちゃん達に連れて行ってもらいなさい」と言った、西条さんはまだはずかしそうにしていたが、

「西条さん、一緒に行こうや」と、向井に呼ばれて、慌てて「はい」と立ちあがった。

ちょっとビビってる?と思った僕は「大丈夫、こいつ金パだけど怖くないから、噛みつかないから」と場を和ませようと挑戦すると、西条さんは「そ、そういうわけじゃ…」と恥ずかしそうに笑ってこっちへ来た、かわいいぞ。

僕と向井が歩くうしろから西条さんが付いてくる恰好で三人で歩いた。購買までの道すがら向井と話しつつ、うしろの西条さんを気遣って話をふったりした、ミスター気配りとは僕のことだ、西条さんは五割がた僕に惚れてるに違いない。

購買は別の校舎にあったので外を歩いた。まだちょっと風が吹くと寒いけど、四月の太陽はあたたかく、遠くから聞こえるサークル勧誘の喧騒も僕の心をわくわくさせた。嘘だ、春の日差しの中なんかこうやって三人で歩いてるのが、青春映画みたいでうれしかったのだ

到着した購買も新入生上回生入り乱れてごった返し、無茶苦茶に混雑していた。おかげで売り物だって選ぶほど残ってない、だというのに僕はたっぷり迷って、ミスター優柔不断を発揮し、ようやく昼飯を決めてながーいレジを済ませてから購買の入口に目印のように立っているデカい金髪のもとへ行った。あいつ便利だな。

人混みを掻き分けて近づくと、実は隣に、向井の胸の下くらいの高さに西条さんの頭も待ってて少し驚いた。二人の間には知人と他人の間くらいの微妙なスペースがあって、二それぞれ神経質そうに自分のケータイをいじってて、それが何だか笑えた。シャイなライオンくんと臆病なウサギさんみたいだった。その間に調子のいいおサルくんが入って、

「西条さん大丈夫だって、こいつ噛みつかないから」といって向井の前で手をヒラヒラさせると、「ウガッ」と言って危うく噛みつかれそうになった、くわばらくわばら。でも西条さんはちょっと笑ってくれた

 「君らさっき、シャイなライオンくんと臆病なうさぎさんみたいだったぞ」「…え?なんて?」「だから向井がライオンくんで、西条さんがうさぎさんで、僕が調子のいいおサルくんで…」「お前それ、すべってるんやから粘るなよ」「え?僕今すべったの?」「トーキチ、意外とハート強いよな」「…クスクス」みたいなのんびりした会話をしながら、さっきの教室へ戻ると、教壇で本を読んでいるはずの、メガネで帽子の津久本先輩の姿はなかった

あれ?一瞬教室を間違えたかと思ったが、教壇の後ろの黒板にはさっきと同じように下手糞な字で「日文生履修相談会場」と書かれている、間違いない。トイレでも行ったんちゃう?という向井の言葉に僕も西条さんもうなずいて、津久本先輩の行方は気にしないことにした。僕は「そっち行っていい?」と、西条さんの意向を確認してから、向井と机の上の荷物を西条さんの近くの席に移して、窓際で三人でご飯を食べ始めた、あったかい。

相変わらず西条さんはだいたい僕と向井の話を聞いてるだけだったが、ちょっと仲良くなってる気はする、相槌とかうってくれるし、笑ってくれるし。「津久本先輩おそいねー」「うんこちゃう?」「飯食ってるときにうんことか言うな!」って言ったときは苦笑いしてたけど。僕は西条さんが笑ってくれてるかどうか気にしてばっかりいた。

多分「向井食うのはえーな」って僕が言ってるくらいのときだったと思う。教室のドアがいきなりガチャリと開いた、いきなりだったので、三人とも思わず「え?なんで?」という顔をしてドアの方を見た。よく考えれば「何で?」もなにも、履修相談会場として開放してるんだから誰が入ってきてもおかしくない。でも、もうちょっとよく考えれば、この教室が僕たち三人のものだと錯覚するくらいには親密な空気になっていたということなんだと思う、僕だけ?

それはそうと僕たち三人以外の人物が入ってきたのだ、ガチャリ

 

しかもそれはうんこから帰ってきた津久本先輩でもなかった。女のひとだった。細くて背の高い、僕ぐらいあるんじゃないか、髪は肩くらいで黒のタートルネックにスキニージーンズ、細い小さなネックレスというシンプルな恰好だったけど、セーターで体のラインが出てて、僕はちょっとグッときた。

女の人は、教室の中をぐるりと見て一瞬僕たちのあたりで視線は止まったが、すぐにその視線を教壇に移してつかつかとそちらへ向かい、机の上に何かを見つけたらしい。一言「うわ、ハメられた」とつぶやいて肩を落とした。いやいや、状況がよく飲み込めない、何が起こったんだろう。

 はぁー、と深いため息をひとつついて、教壇の椅子に腰かけて、女の人はあらためて僕たちのほうに向きなおった、ギロっと睨まれてる気がした。なんだか目つきが鋭い人だ、ちょっとこえーな。

「日文の新入生の子たち、だよね?」

「…あ、はい」目つきの迫力に押されて三人とも一瞬息をのんだが、そこは向井が代表して答えた。

「時間割のほうはどう?できてる?」

「え、ええ、大体は」今度は僕が返事する、なんか怒られてる感じがするぞ。

「ならよかった。あたしが教えてあげなきゃいけないことはあんまりないね、津久本君にいろいろ聞いたんでしょう?」女の人はホッとしたような顔をして言った、その顔にちょっと僕たちもホッとした。西条さんがうなずいた。

「よし、んじゃあたし一応ここにいるけど気にせずくつろいでて、お昼ご飯の続き食べていーよ。時間割のこととか学校のこととかなんかあったら話しかけてくれりゃいいから」

 そういって女の人は机の上に伏せてあった文庫を取り上げて読みだした、まるでさっきまでの続きを読むように。でもさっきまでその本を読んでいたのは津久本先輩だ、ていうか津久本先輩、どこまで読んだかわかんなくなっちゃうんじゃないかなあ。

「あのー」西条さんが教壇の女の人に控えめに声をかけた。「先輩も研究会の方ですか?」

「ん?あたし?」先輩は本から顔をあげて「あたしは違うよ。研究会とはなんの関係もないのに、津久本に呼ばれて何かと思ったら留守番を押しつけられた、そんなただの日文生」と言ったが、そこまで言って「あ、違うわ」と訂正した。

「ただの日文生じゃないわ、春から学生執行部のメンバーだ、オリエンテーションのときもいたんだよ?」

いたっけ?…ああ、いたかも、メガネかけてませんでした?

そうそう、お前目がキツイから新入生が泣く、とか言って伊達メガネかけさせられてたの、あたし目いいのに」

 そう言って先輩はギロっと僕のほうを見た、多分ふざけてるんだと思うけど、確かにちょっとこわい。

そのギロっを次は向井に向けて、「オリエンテーションで君、見たよ」と言った。

さすがの向井も一瞬とまどった様子だった、おそるべしギロっ先輩

「おっきいし、金髪だし、一番目立ってたよ、名前なんていうの?」

「向井です、向井恭介です」

「キョウスケ、…強そうだね」

「いや、多分その字ちゃいます」

「あ、そう?」

 それから先輩は順番に僕と西条さんの名前を聞いてから、

「申し遅れたけど、あたしは峰岸康子です。執行部の新入生担当だから何かとお世話するかも、よろしくね」と自己紹介した。こちらこそお世話になります。峰岸先輩はひとつ年上なだけなのにずいぶん大人に見えた。

「ところで津久本先輩はどこ行かはったんですか?」と、向井が思い出したように峰岸先輩に尋ねた。

峰岸先輩は、「あーあー、津久本?プロレス同好会の新歓イベント見に行ったみたいだよ」と飽きれたように言って、教壇の上のメモを見せてくれた。

メモには、「総知大プロレス見てきます、新入生の子たちよろぴく つくもと」と例の下手糞な字で書いてあった。おいおい、僕たち置き去りにして行っちゃったのかよ、ていうか曲がりなりにも相談会の責任者だろーに新入生相手の学生プロレスのイベントを優先するってどうなんだよ。

「あいつ自分の名前も書けねぇのか」と峰岸先輩が忌々しそうに言った、こえー



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