目次
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A
A-1 【釧路湿原国立公園交通事情】 … 概況
A-2 【釧路湿原国立公園交通事情】 ・・・ 道路情報
A-3 【釧路湿原国立公園交通事情】・・・JR釧網本線を利用して①
A-4 【釧路湿原国立公園交通事情】・・・JR釧網本線を利用して・・・②
A-5 【釧路湿原国立公園交通事情】…バスを利用して
A-6 【釧路湿原国立公園交通事情】…その他の交通手段
A-7 【釧路湿原国立公園交通事情】…釧路川堤防の利用について
A-8 【湿原展望地ミニガイド】…①岩保木山・岩保木水門周辺
A-9 【湿原展望地ミニガイド】…②細岡・達古武沼周辺
A-10 【湿原展望地ミニガイド】 …③塘路湖・サルボ周辺周辺
A-11 【湿原展望地ミニガイド】…④シラルトロ沼周辺
A-12 【湿原展望地ミニガイド】…⑤ コッタロ湿原周辺
A-13 【湿原展望地ミニガイド】…⑥キラコタン岬周辺
A-14 【湿原展望地ミニガイド】…⑦宮島岬岬周辺
A-15 【湿原展望地ミニガイド】…⑧北斗、温根内周辺(その1)
A-16 【湿原展望地観にガイド】…⑧北斗、温根内周辺(その2)
A-17 【細岡展望台からの鳥瞰】
A-18 【野営場(キャンプ場)情報
A-19 【公園内外の行事やお祭】
A-20  【タンチョウの給餌場情報】 …その1
A-21 【タンチョウの給餌場情報】 …その2
A-22 【タンチョウの給餌場情報】 …その3
B
B-1 【釧路湿原の生い立ち】
B-2 【釧路湿原のまわりには多くの遺跡がある】
B-3 【釧路川】…①概況
B-4 【釧路川】…②釧路川推計とその流域
B-5 【釧路川】 ③大正9年の大洪水
B-6 【釧路川】 ④釧路川の治水 その1
B-7 【釧路川】…⑤釧路川の治水(その2)
B-8 【湿原の瞳。谷地眼】
B-9 【海跡湖】
C
C-1 【湿原には3つのタイプがある】
C-2 【ヨシとスゲ】 …湿原の主役?脇役?
C-3 【ヨシとスゲの観察】
C-4 【ミズゴケ湿原】 …その発達は年1ミリ
C-5 【湿原景観の演出家・ハンノキ林】
C-6 【湖沼に生活する直物(水草)】
C-7 【マリモの種類と生育地】
C-8 【湿原周辺で見られる樹木は約30種】
C-9 【釧路湿原の花暦】…①
C-10 【釧路湿原の花暦】…②
C-11 【釧路湿原の花暦】…③
C-12 【谷地(野地)坊主はどうして作られる】
C-12 【谷地(野地)坊主はどうして作られる】
C-13 【湿原の植物と人間】…"湿原の植物生産性"と北方民族の知恵①
C-14 【湿原の植物と人間】…"湿原の植物生産性"と北方民族の知恵②
C-15 【湿原と人間社会のかかわり】 …湿原の機能と利用①
C-16 【アイヌ民族における有用植物】…①
C-17 【ヨシはアイヌ民族の大事な建築資材】
C-18 【ヒシの実、ペカンペ】…pe(水)ka(の上)un(にある)pe(もの)
C-19 【ノリウツギ(糊空木)】 …北海道ではサビタ
C-20 【マコモの実は野生の米(ワイルドライス)】
D
D-1 【釧路湿原の動物相】
D-2 【釧路湿原の哺乳類】
D-3 【エゾシカの生活】
D-4 【湿原のエゾシカ】
D-5 【リス】 …齧歯目・リス科の小型哺乳類
D-6 【湿原周辺で見られる鳥の特徴】 …森林・高山の鳥①
D-7 【湿原周辺で見られる鳥の特徴】 …森林・高山の鳥②
D-8 【湿原周辺で見られる鳥の特徴】 …原野、低木林の鳥①
D-9 【湿原周辺で見られる鳥の特徴】 …原野、低木林の鳥②
D-10 【湿原周辺で見られる鳥の特徴】 …河川、湖沼の鳥
D-11 【湿原周辺で見られる鳥の特徴】 …田園、都会の鳥
D-12 【釧路湿原とその周辺で見られる主な野鳥】 …①
D-13 【タンチョウの生活】…①
D-14 【タンチョウの生活】…②
D-15 【タンチョウの生活】…③
D-16 【タンチョウの生活】…④
D-17 【タンチョウの生活】…⑤
D-18 【タンチョウの保護増殖事業】
D-19 【タンチョウの給餌場の条件】
D-20 【タンチョウの被害と事故】
D-21【タンチョウ小史】…①
D-22 【タンチョウ小史】…②
D-23 【釧路湿原で見られるワシ、タカ類】
D-24【シマフクロウ(亜種、エゾシマフクロウ)は神の鳥】
D-25【日本に渡来するハクチョウ】
D-26 【渡りのチャンピオン「オオジンギ」】
D-27【動物たちのメッセージ(足跡)】
D-28 【おしゃれな旅人(カモ類)】
D-29 【森の中は住宅難(巣穴)】
D-30 【動物たちの食事あと(食痕)】
D-31 【釧路湿原にすむ魚】
D-32 【湿原の主「イトウ」】
D-33 【湿原のホタル】
D-34【トンボ─釧路湿原は日本で貴重な生息地】
D-35 【釧路湿原だけにすむ「キタサンショウウオ」】
E
E-1 【釧路地方1年の気象の移り変わり】
E-2 【釧路湿原を作った気候】
E-3 【釧路はなぜ霧が多い】
E-4 【湿原おろし】
E-5 【天気を当てる ─観天望気とは─】
E-6 【釧路地方のお天気・一口メモ】
E-7 【塘路湖の御神渡り】
E-8 【スター・ウォッチングと星座】
E-9 【四季の星座】
F
F-1 【開拓夜話(1)・鳥取士族】
F-2 【開拓夜話(2)・貫誠社】
F-2 【釧路川を五十石船が行く】 ─地名の話─
F-3 【塘路湖のペカンペ祭り】
F-4 【アイヌ民話】 ─釧路湿原にクジラがいた─
【アイヌ民話 ─湿原と丹頂─】
F-5 【アイヌ民話 ─遠矢のチャシとタンチョウヅル─】
【アイヌ民話 ─オオジンギ(白糠に伝わる神話)─】
F-6 【アイヌ民話─蚊の長老の娘とアイヌの英雄─】
F-7 【アイヌ語─地名の話─】
【アイヌ語─地名に出てくる主な単語─】
F-8 【アイヌ語─地名の解釈─】
F-9 【アイヌ語─地名の解釈─】…②
G
G-1 【日本の自然保護制度】
G-2 【日本の自然公園制度の歴史】
G-3 【日本の自然公園制度】
G-4 【世界の国立公園】
G-5 【釧路湿原国立公園の誕生まで】 …釧路湿原保護行政の歴史
G-6 【釧路湿原国立公園】
G-7 【自然公園の保護と利用】…①保護のための規制
G-8 【自然公園の保護と利用】…②保護のための開発規制
G-9 【自然公園の保護と利用】…③保護のための費用負担
 G-10 【自然公園の保護と利用】…④自然公園の利用
G-11 【自然公園の保護と利用】…⑤利用のための施設等の整備
G-12 【国設・釧路湿原鳥獣保護区】
G-13 【天然記念物・釧路湿原】
G-14 【野生動植物保護と国際協力】
G-15 【ラムサール条約】…①
G-16 【ラムサール条約】…②
G-17 【渡り鳥保護の国際協力】
G-18 【渡り鳥保護条約】
G-19 【ワシントン条約って何】
G-20 【昭和60年釧路湿原の火災】
G-21 【釧路湿原の水利用】
G-22 【8月第一日曜日は「自然公園クリーンデー】
G-23 【自然解説の目的と考え方】
G-24 【自然解説(観察)の実際】
エピローグ
[参考文献]
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D-17 【タンチョウの生活】…⑤

○冬の生活:冬季間のタンチョウはトウモロコシの人口給餌に強く依存しています。 昼間は給餌場を中心として採餌し、夜間は阿寒川や雪裡川など近くの凍らない河川をねぐらとして集団で眠りについています。
○ツルと天候:夕方遅くなっても餌場を離れず異常な食欲を見せるとその晩か翌朝には天候が大きく崩れます。 雪が降るとなぜか気が荒くなります。

○ツルと色と音:タンチョウは犬をも攻撃する強い鳥。人間以外には成鳥の声明を脅かす動物はいませんが、卵やヒナにとって危険な動物は多くいます。カラスは一番の外敵。親ヅルがちょっと巣を離れた際に卵をくわえ去る。ノスリなどのタカ類、フクロウなどもタンチョウの卵やヒナにとって危険な敵、これらが飛来すると親ヅルは威嚇の鳴き合いをして追い払います。 野良ネコ、イタチ、キツネ、ミンクなどにも親鳥は共同で攻撃します。外敵を首尾よく撃退すると、しばらくの間、ツル達は勝鬨をあげるかのように鳴きながら走り回ります。

○ツルの寿命:昔から鶴、カメはめでたい動物とされ、千年、万年長生きするといわれてきましたがそんなに長生きする動物はいません。ヒグマ、キツネなどの哺乳類は歯に形成される年輪から年齢がわかりますが、タンチョウにはこのような方法がなく、明確な根拠はありませんが、せいぜい30~40年くらいだろうとみられています。


D-18 【タンチョウの保護増殖事業】

 タンチョウの給餌、生息数の一斉調査、監視等の保護増殖事業は環境庁の委託により北海道が実施しています。

 タンチョウの人工給餌事業は平成元年現在、釧路支庁管内24か所、根室支庁管内5か所、十勝支庁管内1か所の計30か所で行われています。 人工給餌は冬期間のタンチョウの餌不足を補うために行っているもので、昭和27年2月、阿寒町の人たちと、鶴居村幌呂小学校の先生、生徒によって始められたと言われています。10月から翌年3月末まで、30名の給餌人の方々がトウモロコシの給餌にあたっています。釧路支庁管内の給餌場は、釧路町1、浜中町
3、標茶町4、阿寒町6、鶴居村8、音別町2の計24か所で、約24トンのトウモロコシが配布されています。

 生息数の一斉調査は、昭和27年12月に33羽が確認されて以来、毎年12月5日を中心に全道一斉に行われ、生息数の推移、生息状況などを調査し、保護増殖事業の基礎資料としています。昭和63年12月の調査は、17市町村、283か所、1590名の協力を得て行われ、485羽(釧路469、根室7、十勝9)が確認されました。

 このほか、釧路、根室地域に11人の監視員が配置され、通年、監視や採鳥指導などにあたっています。昭和62年10月発足した環境庁釧路湿原国立公園管理事務所もこの保護増殖事業に参画しています。



D-19 【タンチョウの給餌場の条件】

 秋から冬にかけてはエサをやっているところを給餌場とよんでいます。 本格的に給餌が始まったのは1952年(昭和27年)からですが、初めのころは十分とはいかず、苦労があったようです。今の様に多くのタンチョウを見ることができるのは地元の人たちの努力があったためです。
 給餌場では道から委嘱された給餌人が餌のトウモロコシを地面に直接ばらまきます。トウモロコシは国や道の予算で毎年支給され現在30か所で行われています。
 給餌場はただ餌を与えるからタンチョウが集まってくるのではなく、安心して夜が過ごせる「ねぐら」が近くにあることが条件です。 ねぐらは浅くて凍らない川、飛び立つのに十分な河原があり、外敵のいない風の当たらないところが望ましいのです。 流水は外気温が下がっても暖かく、タンチョウはその長い脚で立って寒い冬の夜を過ごすことができます。タンチョウが冬、釧路湿原周辺にほとんど集まってくるのは、雪理川や阿寒川に、ねぐらに適したところがあり、給餌場に近いことなどが考えられます。タンチョウはその日の天候などで違いますが、朝気温が上がると給餌場に来て、夕方日が沈み、薄暗くなったころねぐらへ帰ります。給餌場にはエサをねらって、ドバト、スズメ、カラスのほかオジロワシが舞い込んだり、キタキツネが出てきたりします。



D-20 【タンチョウの被害と事故】

 タンチョウが傷ついたり死んだりする原因には、天敵や病気など自然のなかでのものと人間が関係するものとがあります。
 天敵としては、キツネ、カラス、野犬、野生化したミンクやイタチ類、ヘビなどがあげられます。健康な成鳥をこれらが捕食することはないと思われますが、けがをしたり弱っている時に襲われることが考えられます。 タンチョウにとって重大なのは、卵、ヒナ、幼鳥の時期にこれら加害動物に狙われることです。この時期、人間が写真目的か何かでタンチョウの親を威嚇して巣を離れさせたり、親子が離れたすきに卵やヒナが襲われるのは人間の被害というべきで厳に注意すべきです。

 昭和25年(24年以前のもの7羽を含め)から昭和63年までのタンチョウの全死亡数は339話ですが、病気によるものは42羽(43.6%)です。死亡原因の第1位は電線への接触や感電によるもので、148羽(43.6%)を数え、タンチョウの保護上重要なことから、電線に赤いビニールのタッグや黒と黄色のチューブをつけたり、地中に埋めたりする方法がとられています。そのほかでは、外傷によるもの68羽(20.1%)、不明75羽(22.1%)などとなっています。電線への衝突も人間が急に飛び立たせることが間接的な原因かもしれません。こういった事故が一日も早くなくなるようにしなければなりません。


D-21【タンチョウ小史】…①

 タンチョウは釧路湿原を代表する動物としてすでに有名ですが、北海道の木・エゾマツ、北海道の花・スズラン、ハマナスと並び、「北海道の鳥」として道民のシンボルにもなっています。昭和63年12月の調査では、485羽が確認されていますが、これまでの興亡を簡単にまとめてみましょう。

1.タンチョウの分布
 その昔、タンチョウは春から夏は北海道で繁殖し、秋になると江戸付近にまで移動する系統と、シベリアで繁殖し晩秋江戸以南の本州、九州で越冬する系統の二つがあったものと推定されています。

 現在日本では北海道東部の留鳥として生息し、外国ではモンゴル東部、中国東北、ウスリーなどで繁殖し、冬朝鮮半島、中国東北の南部などへ渡るとされています。

2.明治時代以前のタンチョウ
 タンチョウについてのもっとも古い記録は、擦文時代(700~1,300年前)のものとしてのアイヌの伝説がありますが、アイヌン民族は文字を持たなかったので、口伝えに後世につたえられたものです。、これは釧路国のタンチョウの話、タンチョウが野生になった由来の話(民話)として残っています。

 徳川時代は蝦夷地の探検、見聞記などに多くの観察記録がみられるようになります。この時代、本州では将軍はじめ諸大名はタンチョウを霊鳥と崇め、保護していましたが、北海道では禁猟制度がなかったので明治になっても鶴を乱獲し、塩漬けとして本州で売りさばいていたため著しく減少しました。
 このようなことから、明治22年に北海道庁令によって鶴の猟獲が禁止され、同25年の狩猟規則の公布で初めて保護鳥になりました。 
しかし、このような保護政策にもかかわらず、開拓の進展、狩猟者の増加、猟具の改良発達に加えタンチョウは体が大きく目立つことから密猟の対象になったといわれます。

3.大正時代の以降のタンチョウ

 大正の初期には自然状態ではほとんどその姿を見ることができなくなりましたが、大正13年10月、そのタンチョウを再発見し、詳細な調査報告をしたのが当時の道庁官吏斉藤春治という人でした。
 「その場所は、釧路阿寒郡舌辛村地内チルワツナイ川及びクッチャロ川合流点より北方のクッチャロ原野北3線、西方は坂井、宮島牧場境界に至る1,200町歩の泥炭湿地に5羽認めたり」と記録されています。

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